はてなキーワード: taとは
一番得票数多かったネット配信者役、茜にも抜かれて3位でざまああああああああああああああああああ
1枚の投票券で2人に投票できる時点で他のアイドルのPと連携して得票重ねるのがセオリーなのに、
つまり政治がうまいPが中心となってたコンベンションセンターの勝ち。陰キャの集まりの杏奈Pじゃこんな真似できねえよ
こんなんだからTAから始まった総選挙で1回しか役取れないんだよ。しかもその1回も主人公級じゃなくてチョイ役くらいの規模。
ミリシタで人気がある組の中では総得票数はぶっちぎりで低いよね
配信者で1位になった翼の得票数より杏奈の総得票数の方が全然低いってマジ??落ちぶれすぎでは???
いい加減こういう役取り総選挙5回目なんだから、桃子パイセンのPや琴葉Pを見習えよ。マジでどういう統率力だよコイツら
少しくらい人気っぽいからって毎度毎度陰キャばっかでイキリやがって、罰が当たってせいせいしたよホンマ
退職して地方国立大学の博士課程に進み、今春博士課程取得予定の者です。
巷を見ていると社会人博士は多いですが、退職して(企業の後ろ盾なく)D進する人はあまり見なかったので情報共有しようと思います。
追記:サンプル数=1の標本なので、過度に一般化しないでください。他の退職D進事例を並べて読むことをお勧めします。
お金はどうしても必要です。あなたが親に支援してもらえるならここは読まなくていいです。
私の場合、頭金約100万円必要でした(入学費+前期学費で60万円程度+引っ越し+半年分の生活費)。東京or大阪だと税金(住民税+国民健康保険費)や家賃が高いため、200万円は見たほうがいいと思います。私立大なら更にこの倍は見たほうがいいかと(あなたが家族持ちの場合は、さらにその数倍は必要に思えます)。授業料免除は積極的に活用すべきですが、入学費と前期学費の免除は難しいです。これは、所得課税証明書(源泉徴収票)に前年度の社会人としての収入が記されているためです。
入学後もバイトしないと生活は維持できません。私は授業料免除+日本学生支援機構奨学金+TA(ティーチング・アシスタント)をフルに使い、かつ週3(15時間)バイトしてトントンでした。確定申告して気付くと思いますが、収入が非課税ギリギリで同世代の1/5くらいになります。比較して心を病まないように。
学振(DC,PD)は期待できません。社会人から研究持ち込みのパターンでは、ツテもコネもありません。博士に入る前に受け入れ先の先生とよく相談して、研究計画を立てて狙うのが良いと思います。
(そもそも、地方国立大学で学振はとれないと思った方がよく、採択されなくても落ち込むことはないです。とれたあなた、相当優秀です。)
おそらく、博士取得のためには論文誌(ジャーナル)X本、国際会議Y回発表というノルマが課されていると思います。それを入学前に確認した方が良いでしょう。なぜなら、論文の査読から採択・掲載まで半年持っていかれることはザラにあるため(分野によります)、それを見越しておかないとノルマを達成できないということが起こりえます。
旧帝大クラスではX=3が多く(分野によります)、課程博士(3年)の場合は年1本のペースで論文を書かねばなりません。博士スタートの場合、修士からのエスカレーターと比べハードルが高いです。博士に入る前に論文のネタを1本準備しておくなどの対策は必須でしょう。
研究室に入った段階で自分の研究デザインが出来上がっていたほうがよいです。学振を書く際に必須になりますし、博士審査でもその点は何度も聞かれます。
研究所に入る場合、先生や就職事務と相談して空いてる研究者ポストがないか探すことになります(研究者採用は一般にオープンではないです)。年度末ぎりぎりまで採用が開かれているので(今でも面接しています)、諦めずに頑張りましょう。面接では研究内容を発表する機会が多くありました。自分の研究内容をまとめたスライドを作っておくと良いでしょう。
民間企業に就職する場合、あなたの扱いはおそらく第二新卒になります(就業年数にもよる)。新卒というくくりですが、面接では中途とほぼ同様の問答が起きます。たとえば「どうして前の企業をやめたのか」、「なぜ博士に入ったのか」、「あなたのできるスキルは何か」、「前の企業で公にできる成果物はあるか」、「あなたの研究は弊社の何に役立つのか」はほぼ確実に聞かれます。このあたりの回答ははっきりさせておくと良いでしょう。職務経歴書の準備も必要です。
中小企業にとってはあなたの存在は重く、採用を渋られることが多々あると思います。めげずに頑張りましょう。また、インターンシップの参加は絶望的と思った方がよいです。私は1つも受かりませんでした(私の能力がないだけかもしれません)。企業の立場になって考えると、一度社会に出た者にインターンさせてどうするの?というのはあると思います。
課程は一般的に3年の長期戦になります。体調管理に気をつけましょう。
リタイアした人は、ほとんど精神を病んで大学に来なくなる(連絡も取れなくなる)パターンを踏んでます。対策としては、よく先生(友達)と連絡をとる、研究以外の趣味を持つ、散歩でもいいので運動する…くらいしか思いつきません。
論文査読や審査ではあらゆる点から(ときには理不尽な)攻撃を受けるので、そのディフェンス能力が試されます。博士課程はそういった精神・体調面でも試されていると思います。
博士課程は逃げ場や遊び場ではありません。モラトリアムの延長と思って入ると審査で弾かれます。
一度博士課程に入ると、あとは自己責任になります。先生はある程度の所まで(課程取得のために)サポートしてくれますが、限界があります。
退職D進を検討している方。本当に退職して問題ないか、研究分野が好きか、博士を取れる見込みがあるか、よく考えてみてください。
ツリー長くて全部は追ってないけど
TAは大学の金、RAは教員個人の研究費とかで雇われてる場合が多いですね
自分が学生の時(10年前くらい)の感じだと、RAの方が時間数が多くて結構稼げる場合が多い、けどその分チェックを細かくやり始めると煩雑
TAはどうせ授業に帯同するし週一とかなので楽ではあった
そもそも全部が全部きちんとTAやRAという名前をつけて募集とかされてるものでは自分の周りでは無いんよ
TAと言われるのはほぼ全部授業の支援をする仕事であってほかの仕事はRAの場合もあるけどそれ以外にいろんな呼ばれ方されてるし
お金の有無ではなく労務管理の煩雑さに関する「余裕」が無いってことなのでは?
詳しく無いので的外れだったらすまんがTAなら教育の項目ってことになるだろうし科研費から出すってのは無さそうという前提で読んでいたが
完全に自信を失ったとき、真っ暗な海でどこに向かっていいのかもわからなくなるときがある。そういうとき、俺は心の中にある小さな灯台を探すようにしているんだ。
それは大学生の頃、実験法を学ぶ授業で、俺のグループの担当になったTAの大学院生の言葉だ。彼の指導はとても厳しいことで知られていた。だから俺は貧乏くじ引いたことに相当げんなりした。他のチームは楽しそうにやってるのに、俺達だけはTAにしごかれてゾンビみたいになっていた。彼は手抜きを絶対に許してくれなかったし、どんな小さなミスも目ざとく見つけてはやり直しを要求した。方向性が間違っていれば、それが教授の定めた提出期限の前日であれ、全面的に書き直しを命じることもあった。だから俺は、本当に仕方なくTAが満足するようなレポートを書いた。もちろん、今見ると全く完璧などではないのだが、少なくともあの時点では、ギリギリまで最高に考え抜いたレポートをしたためて提出した。
レポートの返却は個人面談をするような感じでおこなわれた。TAはいつものように無表情だったが、レポートを見ると朱文字でA+と書かれていた。
当時の俺はAを貰えることもあったが、自分にはまるで能力がないのだと常々思っていた。それは今思えば、すでに自分が持っているものを表面的に見栄え良く並べたものにはAがつき、新しく学んだことの評価にはせいぜいBしか付かなかったからだった。要するに、何事にもツメが甘いくせに傷つきやすいというどうしようもない状態だったのだが、当時の俺はそれにすら気づくことができなかった。TAはそこではじめて微笑みを見せ、とてもよく書けていました、グループの他の子にも教えてあげてくださいと言ってくれた。
これが俺の灯台だ。
TAにとっては、数多くいる学生のうちの一人に、いつもどおりの対応をしただけだろう。TAはこのあとにグループの他の学生5人にレポートを返さなければならなかったから、面談もこれだけで、とても短かかった。でもこの体験は、およそ10年たった今でも俺の心の中で決して消えることのない温かい光となって、絶望して暗い海で漂う俺を、港に戻してくれる。そして、もう一度あの時のように頑張ってみようと思えるのである。
そこそこの規模の会社でテクニカルアーティストをやっているものです。
耳慣れない役職だと思いますので、どんなことをしているかは以下のURLをごらんください。
https://magazine.cygames.co.jp/archives/12870
端的に言えば、アーティストの方々の業務効率化を図るのが仕事です。きな臭くなってきましたね。
ゲーム業界のアーティストという職種において、数年のうちにあらゆるこだわりは邪魔なものになると予想しています。
狙った出力を出せるように工夫する? AIで「入力」を作ればOK。 (すでにあるものの発展+多少の力技でできそうです)
大量の出力から良いものを選び出す? ではAIでピックアップします。 (設定表との比較と、マス向けなら審美AIで相当絞れると見込んでいます)
ピンポイントな微修正? 該当部分の再出力一覧を表示しました。(再出力範囲が小さければ力技もやりやすいでしょう)
という制作は可能と予想されますし、そうする判断のできる人が評価される日は近いでしょう。
そして、そのような人々を自分も"TAとしては"評価しますし、自分たちはそれを支援するツールを作ります。
その結果、ワイシャツの左右の襟の高低差からみえるキャラクター性について熱く語ってくれたあの人や、
設定から街の気候を考えると窓は一回り小さくしたほうが良いと指摘していたあの人のような、
一人の"趣味者として"尊敬していた人々を追い出す後押しをしてしまう。
○ご飯
朝:なし。昼:カロリーメイト。夜:納豆たまごかけご飯。トマト。きゅうり。豚汁。カニカマ。
○調子
むきゅーはややー。お仕事はそれなりー…… からの定時後会議。しかもしょうもないやつ。(これから寒くなるので体調管理を気をつけましょう…… だって)
イライラしてしまい頭むずむずしながら帰ったらアンケートの人に声かけられてビックリしてパニックになっちゃった。
なんか追い越し発生してね? まあ運営の匙加減だから仕方ないんだけども。
○ウマ娘
アストンマーチャンは引いた。最近、デジたんの2枚目来たこともあって引く基準がガバくなってきたなあ。一時の貯石生活はどこへやらだ。対人戦は完全に諦めてサポカは友人かグループしかひかないと決めてから遊びやすくなった。心の持ちようだなあ。
ごめんなさい。すべての男性を代表して謝る。すいませんでした。
でもね。
友だち(男)に、帰り道に置換されたこと話したら、
嘘つくなよwww で始まって いや、キンタマ蹴り上げろよ、なんで反撃しねーの って言われるし。
友だち(女)が寒そうにしてたときに、ぼくの上着使う?って冗談めかして言ったら、
まずキモい。怖いこと言わないで って言われるし。
女子校にTAとして派遣されたときに、床に生徒が傘を放り出していたので踏んでしまって。ごめんって謝ったら、
「最悪…」って呟かれるし。
いつだか同じことを増田で相談したら、解らないなら黙ってろ、みたいに言われた。
今日、ブックマーカーの人が、男性は生まれたときから下駄を履いている。と指摘していた。
ひょっとすると、こういう告白も女性の方から見ると、贅沢な悩みのマウンティングに聞こえるのかも知れない。
ぼくのことは好きにボロクソに言っていいから、どなたか、人間扱い入門を教えてください。
大学でまだ友だちがいたとき、何人かに開いて祝いました。でもそういえば、逆にぼくの誕生会を開いてくれたりはしなかったな… その後、いじめられたりとかして結局縁遠くなってしまった。
最近の某事件の犯人が、某私大の理系学部を経済的理由から中退していた、とネットの記事で知りました。
私も犯人と同年代で、同じような経験をしています。同様の境遇の若い人たちに、何とかなるかもしれないと思って欲しくて、私の体験した私大生活や修士号取得について書きます。
なお、犯人が起こした事件は決して許されるものではないと思っており、犯人を擁護する意図はありません。
私は高校時代、恥ずかしながらセンター模試の結果がいつもボロボロでした。中でも古文漢文や歴史、化学などの科目がひどい出来でした。
一方で、得意科目の物理や数学が大きく評価される私大模試では、いつもなかなかの偏差値でした。
結果、センター試験は本番でもボロボロでしたが、早慶や関関同立といった私大の理系学部に合格しました。
それまでも職を転々としているような父で、実家には大した預金もなかったようです。
入学式を迎えたものの、いつ授業料が払えなくなるか分からない状態でした。
大学の事務室で授業料について相談し、入学直後に募集のあった大学オフィシャルの奨学金に申込みました。
家庭の収入を証明する書類や推薦状など揃えなければいけない書類が多く、なかなか大変な手続きでした。
親の都合なのになんで私が…と思いながら手続きしたことを覚えています。今思えばバチ当たりな考えですね。
無事に奨学金の審査に通り、私の場合は年間およそ100万円の授業料が免除されました。
ただし、年間50万円ほどの施設利用料は支払う必要があり、こちらは母が支払ってくれました。
奨学金の審査は毎年ありましたが、幸い三年間、連続で採用されました。
この間、奨学生になるために成績だけは学科タップをとり続けていました。
だからといって勉強漬けではなく、アルバイトで飲み代を稼いで、サークル活動も楽しんでいました。
大学3年生になると、理系学生は院進学について決めなければなりません。
私は進学してもう少し勉強したい気持ちがありましたが、来年、さらに修士課程でも奨学生になれるとは限らない。
大学3年生で4年生と共に試験を受け、合格すれば来春から一年早く修士課程に入学できるのです。
もちろん入試を受けました。
志望先の研究室の学生にコンタクトを取り、院試面談に関するアドバイスをもらって無事合格。
おまけに特待生として修士課程二年間の授業料免除もゲットしました。
さらに無利子の奨学金で月7万円を頂くことができ、激安の学生寮にも入れたので、修士課程はバイトなしで生活できました。
ときどき研究室の先生にTAをさせてもらい、お金を貯めて研究室旅行にも行くことができました。
大学院での研究は、周囲と比べると卒論を書いていないという負い目もありましたが、先生には分け隔てなく指導いただきました。
また、リーマンショック前の売り手市場だったこともあり、就活では複数の大手企業に内定をもらいました。
さらにラッキーなことに、そこそこの成績だったようで奨学金の返済が半額免除になりました。
結局、学部時代から約50万円プラス生活費で修士号を取得することができました。
その後、就職してから数十年。すでに奨学金も返し終わっています。
それが何だと思われるかもしれませんが、東大生人気ランキングに入るような会社で、そこそこお給料もいただいています。
自分の子供には幅広い選択肢の中から進路を決めてほしいと考えていて、日々子供のために頑張って働いています。
あのとき、奨学金制度を教えてくれた方や、採用して下さった方々のおかげで、今があります。
経済的な理由から学びを諦めそうになっている学生の方へ。何か方法がないか、周囲の大人に相談したり、裏技がないか調べてみてください。
学ぶ意欲のある人には、どこかで誰かが味方がついてくれると思います。
どうか諦めないで。