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2024-10-20

横浜文字通り横に浜があったか横浜なのよ

なのよ。

https://anond.hatelabo.jp/20241018154926

画像で見たら一目瞭然なのだ

https://maps.gsi.go.jp/#14/35.444624/139.627604/&base=std&ls=std%7Crelief_free&blend=1&disp=11&lcd=relief_free&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m&reliefdata=03G6060F7G6GGG

今の横浜駅場所関内駅場所も水の底。M字ハゲだった頃の舛添要一みたいな地形で、野毛山や戸部の辺りが半島突き出していて、その隣に二つの湾が剃り込みが入ったみたいにあったのだ。

みなとみらい高島の辺りは近年の埋め立てで高くなっているが無視して欲しい。

というか、東京湾内の神奈川県多摩川河口の三角州以外ほぼ全域が、崖がストンと海に落ちる地形だった。これはリアス海岸のような沈降海岸の特徴でもある。

 

さて、そんな中に山下公園に接した、地下鉄元町中華街駅~日本大通り駅がある一帯が棒状に少し高くなっていて水に沈んで居ない事に気が付くだろう。更にその根元は外人墓地がある山手の丘の方から生えるようになっている。

これは砂州なんである。南の方から沿岸流が漂砂を持ってきて、湾状になっているので山手の崖海岸を延長するように砂州が伸びて来ていた。天橋立とかサロマ湖と同じだ。

まりはこれこそが「横浜」だったのだ。

この横浜砂州があるのでその内側はラグーンになっていて貝とかが獲れる。また周囲は崖海岸ばかりで船を係留するのに便利なのは横浜砂州しかない。

という事でここに横浜村という小さな漁村が出来た。

 

埋め立てて吉田新田

さてこの湾はラグーンで全域水深が浅いし、横浜入口を塞いでいる。この横浜って締切堤防に最適じゃね?

って事で江戸幕府江戸商人吉田さんにここの干拓事業承認を出す。横浜を延長してガッツリ閉鎖、土砂で埋め立てた。この辺はタウンニュースが書いてるので興味のある人はタウンニュースへ。

https://www.townnews.co.jp/0113/2017/01/01/363616.html

リンク先大まかな地図もあって、「横浜」も見える。横浜の先端付近馬車道駅の辺りだ。

 

横浜開港

こんな田舎埋立地だった横浜だが大転機が訪れる。

ペリー黒船がやってきて幕府に門戸開放を迫ったわけだ。幕府はイヤだったが大砲デカ動力軍艦で脅かされては何も言えない。

そこで江戸に近すぎると困るので距離が随分と離れて交通も不便だが不便すぎないという場所を探していた。そこで白羽の矢が立ったのが横浜ってわけ。

今の大桟橋の途中にある「象の鼻」はこの幕府が作った横浜港の防波堤だったものだ。

 

鉄道開通

横浜の名の由縁はこれで終わりだが、横浜駅横浜村が大きくずれてる説明必要だ。だからもうちょい書く。

幕府は倒れ明治政府汐留横浜の間に鉄道を敷くことになった。

さてここで問題になるのが、野毛山を挟んでもう一方の剃り込みだ。

話は前後するが、高島町駅から浅間神社を結ぶ、県道13号より南側幕末にすでに干拓されていた。

https://maps.app.goo.gl/nuiDnwfHNRUhaT2cA

平沼さんが3代に亘って工事をやった平沼新田岡野さんが2代でやった岡野新田などがあり地名として残っている。

すると陸地を通ると神奈川宿京急神奈川駅付近)→浅間神社高島町という迂回ルートになってしまう。

そこで、神奈川宿から高島町に掛けて海の中に土手を通してそこに線路を敷くという思い切ったコースにした。

終点横浜駅現在桜木町駅だ。

 

こうして嘗ての寒村だった横浜村には鉄道が来て倉庫街や歓楽街官庁街、商社街や異人街が出来て異人さんが闊歩するハイカラな街となったのでありました。

 

漂流する横浜駅

さて官製鉄道神戸まで延長される事になったのだが、ここで厄介なのは横浜駅(現桜木町)の存在だ。横浜駅から延長すると遠回りになるし港南区丘陵地帯を突っ切る必要が出てトンネル必須になってしまう。

から本線は神奈川駅から保土谷に直行して、横浜駅盲腸線扱いにした。でも大事な駅なので通過はできず、一度横浜に行ってから機関車を付け替えて神奈川に戻り、再度機関車付け替えで神戸へ、という運転をしていた。

クソめんどくせえ。

客もめんどくさいが貨物は更に、で運転系統がややこしいので横浜駅貨物が溜まりまくってしまい、神戸から送った荷物郵便汐留着が1ヶ月以上先、とかがザラになってしまった。

これに陸軍はぶちギレ。鉄道省に文句を言ったが改善しない。しかも当時の役人は元武家ばかりなのでメンツに拘り軍といえども罵倒なんてしたらエライことになる。

なので陸軍の持ち出しで保土谷→高島横浜という線路を敷いて軍の貨物は優先で動かせるようにした。

 

鉄道省も横浜駅の扱いの厄介さと滞貨には頭が痛かったので、盲腸線方式を辞める事にした。最初線路東側線路を新設し、陸軍が敷いた線路に繋げる。で、その繋げた辺りに横浜駅移転、元の横浜駅桜木町と改称した。

https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.456283&lng=139.626467&zoom=15&dataset=tokyo50&age=1&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

 

しかし見れば判るが港にも繁華街ビジネス街からも遠くて不便で、かなりの不評だった。

そこに関東大震災。新しい駅は木っ端微塵に崩壊してしまった。

そこで三度目の正直で、どうせ不便なら分岐点の方がいいだろという事で、今の場所横浜駅移転したのだった。2代目の駅は基礎だけが残っていて、マンションの公開空地として公開されている。

https://maps.app.goo.gl/ZCBUxiAJ9RwfSxvw5

 

3代目駅はもう最近まで海の上だったところで、全く何もないとんでもない場所で今で言う秘境駅だったが、今までと違うのは、帝都震災復興と開発計画が付随していた事だ。

市電が来て新しく開通する東横線京浜急行東海道線立体交差する様に建設されていた。ただ、駅の西側に残っていた水面の埋立地戦後米軍摂取されてしまった。

しか高度経済成長期に摂取解除されると商業ビルが一気に立ち並び、それで横浜=現横浜駅付近認識されるようになったのであった。

因みに駅西側に残った水面は平沼と呼ばれていた。平沼という地名が近くにあるので誤認されたものだ。元は平沼さん埋め立てしたところが平沼なので間違いなのだが、国が発行する地図にも平沼と書かれていた。

 

と、こういう経緯。

横向きの砂州横浜→埋立てで砂州消滅横浜開港鉄道横浜駅場所邪魔素寒貧海辺移転駅前米軍接収解除で繁栄→今はそこが横浜という流れ。

駅前徒歩2分くらいの場所に金港という港があるのもこういう経緯による。

2023-03-31

魅惑のデパート搬入口の世界

読者諸兄はデパートに行ったらどこが気になるだろうか?デパ地下ファッション売り場?

増田搬入口の場所だ。売り場で何売ってるかなんてどこから搬入するかに比べたらどうでもいいことだ。この文書を読んだら君もきっとそうなる。

売り場で物が売れたらそれを補充しなきゃならない。その搬入口は大抵ビルの裏にある。

しかデパートがある場所というのは一等地だ。バックスペースである搬入口なんかの為に一等地を使うのは余りに勿体ない…。

という事で離れた場所搬入口が設けられて秘密通路で結ばれていることがあるのだ。

それを幾つか紹介するよ。

因みにこういう所は仕事しか入れないもので、増田仕事で行ったり同僚に聞いた入りした事がある個所に限られるから偏りはあるよ。

池袋LABI

ヤマダ電機運営する池袋LABIは元は池袋三越だった。開業昭和29年地下鉄丸の内線の前年か同年と古い。

LABIの裏に都道があって、道路反対側に3階建てのマクドナルドがある。その裏に付近に似つかわしくない古くて灰色運送会社的なところがある。

https://goo.gl/maps/9fDTtZiNEB3pQTbJ8

ここが搬入口で地下トンネルで結ばれている。さっきのマクドナルドはそのトンネルに乗ってるのだね。だから周囲が高層化しても3階建てのままなのだ

 

池袋東武

かなり離れたところにあるびっくりガードの中に分岐がある。

https://goo.gl/maps/bsTBq4EtxBrgqc23A

元々ここは東上線線路だった。山手線から東上線への渡り線と電車留置線が伸びていた。

国鉄貨物輸送を全廃に近い合理化すると東上線行きの貨物輸送も無くなり、ここは遊休施設になった。

90年代東武デパートが増床して新館のプラザ館を作る事になるとこの線路跡も一部利用され、新館より先は地上は駐輪場、地下には搬入路として旧館の搬入も集約化。東上線池袋駅が行き止まりホームになったのはこの時だ。

それまで旧館は東上線北口改札横にある汚らしい搬入口で搬入していたのだが、ここのせいで一帯が大変に荒んでおり、まるで古いアメリカ犯罪映画ダウンタウンのようだった。

 

銀座松屋

デパートより一ブロック離れた箇所。

https://goo.gl/maps/WQB7qSNwj4AjQPQc8

こはちょっとバックスペースが大きすぎる印象がある。

新宿小田急

ロード甲州街道ルミネとの間にあって、急勾配でミロードの中を登り、モザイク坂上のミロード広場の上階に出る。

https://goo.gl/maps/oEbSXc96jzT8adFW8

ここは急勾配&高さ制限キツイ&急勾配登ってすぐに急カーブクランクというデンジャラスコースだ。クランクの路面は坂登ってる間は見えない。しかも途中で止まると再発進不可な程の急坂なのでアクセルを緩められない。そして暴走してクランクを突っ切ってしまうとミロード通りに落下だ。

なすぎる。ハードドライビンのスタントコースみたいなところなのだ

ここを攻める人は注意して欲しい。落下したらインスタントリープレイされるだろう。

 

新宿ルミネ

遥かかなたのJR本社ビルの先にある。

https://goo.gl/maps/ZCo693QRHujchVqZ7

ここからJR本社ビルの周りをぐるっと回って甲州街道橋の下を潜り、ルミネに到達する。甲州街道橋の下公共占有だ。

因みにJR本社前にBLAST!っていうお店があって、周囲は高層化されているのにここだけ2階建てだ。

実はここは土地取引を巡って管財人司法書士ヤクザが殺されたという曰くつきの土地でずっと更地駐車場のままだったところだ。

また、バスタの下には昔JRバスの駐車場になっていた大きな地下空間があって高島屋タイムズスクエアJR本社トンネルで結ばれているらしい。駅の工事の際には工事基地職工詰所になるようだ。ちょっと入ってみたいもんである

 

渋谷西武

ロフト井の頭通り側にある。

https://goo.gl/maps/UxNpSesPQp88VQY68

西武デパート群は駅に近いA館と井の頭通りかいのB館、ロフトパーキングとあるが、全て地下トンネルで繋がっている。

特に特筆すべきは井の頭通りで、ここは宇田川という川が暗渠化された道で今でも暗渠に宇田川が流れている。

搬入トンネルはこの地下の宇田川の更に下を通ってるってわけだ。

公共占有+川の下を潜るという2段構えの珍奇さである

 

東急東横

珍奇な搬入路の王者と言ったらこである。もう無くなってしまったが。

駅の東西に建っていたややボロッちかった東急東横店。ここの搬入口がどこにあったかというと、現在ストリームになっている東横線高架下にあった。(古い画像

https://goo.gl/maps/tA5i7NkHkTGbhhce9

ここからR246の下を通り、東横東口店までずっと地下トンネルが通っていた。

更にここには空港手荷物コンベアのようなコンベアがあり、行先(受取り先)が書かれた専用のコンテナに入れて流すと東横店の方に着くというシステムであった。こんな風にシステムになったのは246の掘り下げ工事があり、途中にエレベータを挟んでいたためだと思われる。

このルートというのは全部東横線の高架線と駅の下だ。高架の下に後からトンネルを作るのは危険だし難しい。

まり昭和2年東横開業時にはすでにこういう通リになっていたという事である

因みにこの近くには稲荷橋という橋があったので「稲荷橋搬入口」と呼ばれていた。というか、最近行ってみたら川が無くなっているのに橋だけ残ってたわ。

東横店は無くなって今は新しいビルになってるし、稲荷橋搬入口はストリームになってるが、あの地下搬入路はそのままのはずだ。

あれは今どうなっているんだろうか?東横店跡の新しいビルストリームの地下で荷物輸送に使われているんだろうか?実に気になる。

肝心の「東横東口店と西口店の間はどうなっていたか」については西口店の方に用が無かったせいで不明である。無念だ。JR線地下を通っていた、京王マークシティの方にあった、二つの可能性がある。

開業当初は国鉄より頭の固い鉄道省と別会社帝都電鉄だった訳で気になるのだが…ちゃんと見ておきたかった。

 

スキーム輸送スキーム

 

これらには公共である道路を潜って離れた場所に繋いでいるケースが多い。

普通はこういう占有方法は認められないが、施設公衆性が強い場合は許されるのである私鉄道路地下を走っていたり病院渡り廊下道路跨いでたりと同じだ。

デパート場合公衆性は、公衆自由に立ち入り出来て買い物ができる、市場性格がある事だ。だからデパートは会員制の立ち入り規制的な事が出来ない。 

 

余談だが、中野ブロードウェイまんだらけ性的商品通路側に陳列して対面の商店トラブル、その商店ネット民攻撃して炎上するというトラブルがあった。

この時にネット民中野ブロードウェイ私有施設から陳列は自由まんだらけ占有面積は大きいので施設運用でのヘゲモニーがある、というような考えを開陳する人が多く居た。

でもこの法的スキームを知っていたらこの考えは間違いという事が判る。中野ブロードウェイ公衆施設一種でありそれは立ち入りが自由である事だから、そこの通路公道が準用される。

そこに性的な陳列をしたら独立店舗の中での陳列よりも厳しい基準取締りが行われるのは当然なのだ。実際まんだらけはガサ入れされて商品押収されて件の店舗は後に閉鎖する事になった。

 

また、デパート売店床面積を最大化したいのでこういう離れた箇所に搬入口を作るのである。だからビル裏に搬入口を作る場合はその面積を最小化したい。

売り場を持つ業者は相当な数になるので、それらが少量ずつ荷物を持ち込んだら忽ち渋滞だ。

そこでデパート流通センター搬入代行業者倉庫搬入して、そこからまとめてトラックに混載してデパート搬入するという形になっている。

当然その業者には委託料を支払わねばならない。だから利幅が小さくなるのでその分価格を上乗せする他無い。故にデパートで買うとどうしても高いのだな。

これはデパ地下の小さな食品売り場、レストラン街の業者もそうなので、地方業者東京などのデパートに出店する場合、支社をその代行業者倉庫内に置いてしまう事もよくある。

東京支社長就任おめでとう」とか言われて辞令を受け取ったら倉庫勤務とかになっちゃうわけだ。つらい。

 

大阪名古屋編を誰か頼む。

2021-04-14

anond:20210413215320

スウェーデンなんかは何年か前に250億くらい突っ込んでた気がする。

これのソースどこだろ?

適当検索して見つけたスウェーデン障碍者対策に関する論文https://core.ac.uk/download/pdf/236033281.pdf)だと

また鉄道省は,2010年までに150の駅をアクセスやすくするべきであると述べた。政府は,鉄道省に早期に目的を達成してもらうために,予算を1億5千万SEKと決定した。

ってある。現在のレートで日本円で約19億円。

古めの論文からこの後に大幅に増額されたって事かしら?

2015-06-22

戦前関西鉄道関東の各社と比べると比類なき発達をしていた。

京阪複々線は、昔からあるのがすごい。

1933年昭和8年)12月29日蒲生信号所 - 守口駅複々線化。当時私鉄最長。

京阪の子会社が作った新京阪線(今の阪急京都線)の地下線の西院駅 - 大宮駅間は1931年開業

天神橋駅 - 大宮駅間をノンストップ34分の俊足だった。

鉄道省は、対抗して関西急電と呼ばれる、料金不要優等列車を設定。1936年には、流線型の車体デザインの52系(流電)を投入。現在新快速の礎を築いた。京都駅 - 大阪駅間を34分、大阪駅 - 三ノ宮駅間を25分。

大阪市営地下鉄御堂筋線は、1933年昭和8年)5月20日:1号線 梅田駅(仮) - 心斎橋駅間 (3.1 km) が開業

開業当初、御堂筋線わずか1両編成での運転だったにも関わらず、当時からすべての駅のホームが、将来を見越して 17 m 級車による8両編成に対応するように建設されていた。

さらにいうと、東洋初の東京銀座線と比べると電車が一回り大きい。

近鉄前身ひとつの参宮急行電鉄は、大阪 - 伊勢間130km超の長大電車路線を作り、1932年昭和7年)には、上本町駅 - 宇治山田駅間を2時間1分で走破した。ライバル鉄道省準急列車は、3時間、鈍行は5時間かかった。20m級車体で最高時速110km/h、二等客車並のクロスシートが装備された。21世紀初頭の電車と遜色ない性能があった。

阪和線前身の阪和電気鉄道では、1933年超特急の運転を開始、阪和天王寺 - 阪和東和山間を45分で結んだ。表定速度81.6km/h。まじで速いよ。特急こだま号が登場するまでの日本で最速の鉄道だった。

戦前の話じゃないけど、自動改札機1970年台には関西私鉄の主な駅にあった。大阪万博から続く未来がそこにあった。国鉄は人がきっぷにはさみを入れていたけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20150622211206

2014-09-18

[]糞尿物語

木村(榮)委員 私が準備いたした質問厚生大臣がおられませんから、この次の機会に内閣委員会その他で厚生大臣質問いたしたいと思いますが、ただ一点だけ参考までに承つてみたいと思うことは、大体これを見ますと、なかなかたくさん項目ばかりうまく書いてございます。ところが今までこういつたものができますが、大体なわ張りと責任のなすり合いが多いのです。そこで私は話をうんとくだいてひとつお尋ねしてみたい点は、たとえばびろうな話になつて來ますが、あの鉄道停車場のレール上の現象でございます。糞尿物語りになつて來ますが、ああいつた風な現象です。大阪の駅に行つてごらんなさい。レールの上は糞の山です。ああいつたもの鉄道省監督すべきものか、厚生省監督すべきものか、社会保健衞生といつたふうな関係から言えば、國際的な大きな問題である。そういつたことは何十年この方かしらんが、このごろはちよいちよい私も旅行いたしまから見受けるのですが、特に大きな駅においてはこれを毎日のように目撃いたします。今日に至るまで何らほとんど具体的な措置が講ぜられない。一事が万事です。これは一つの例です。小さいと言えば小さい具体的な例ですが、このような現象を見たときに、ここにたくさんうまいことが書いてあるけれども、なかなかうまいことを書いただけではできないのです。そこで私の意見ばかり言つても問題にならないから鉄道の糞はどこの管理になるのですか。

葛西説明員 正確に申し上げますれば、直接管理していただくもの鉄道の構内でございますから運輸省でございますしか厚生省といたしましても今のようなことは公衆衞生、環境衞生の面から重大な関係がございますので、積極的運輸省にお願いして、そういうものはとつてもらうように、即刻運輸次官にもお願いいたしまして、その措置を講じてもらうように努力をいたします。

第005回国会 内閣・厚生委員会連合審査会 第1号

昭和二十四年四月二十二日(金曜日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/005/1098/00504221098001c.html

2013-08-10

日本鉄道ファン多いのは、富国強兵政策の遺産

日本明治以降、鉄道を「国力の象徴」として、初等教育現場で積極プロパガンダした。

鉄道唱歌はまさに初等教育でのプロパガンダの典型だろう。

当時の日本人は「軍艦戦車に憧れるように、鉄道に憧れた」。

その象徴が「満鉄」への憧れだろう。

戦後、「軍艦戦車への憧れ」は「タブー」となった(一部のミリタリーオタクを除く)が、

鉄道への憧れはタブー視されることなく継続し、新幹線戦後復興の「象徴」になった。

日本人鉄道ファンが多い源流は、富国強兵への憧れがあったのでは?と思う。

一方、中国朝鮮インド民衆にとっては、鉄道は「列強侵略の象徴」であり、

完全にネガティブアイコンになっている。

日本人にとっては「満鉄」は憧れでも、中国国民にとっては「打倒すべき存在」となる。

これらの国に今でも鉄道マニアが少ないのは、

鉄道に対するイメージ政治的にネガティブ」だった点も影響してるのでは?

中国などでは、民衆の間では未だに鉄道ネガティブイメージで、

中国鉄道省は「中共利権腐敗体質の総本山」みたいに思われてる

2011-06-29

中国海外新幹線技術特許乱発」ってこれ審査請求しただけでは

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110628-OYT1T00623.htm

読売新聞に、中国新幹線特許をあちこちの国で出してるってニュースがでてて、それに対して「中国けしからん」「JRは何をやってるんだ」って憤ってる人をちらほら見かけます。でも、この出来事が日本国益を大きく損ねるかというと、そんなこともないと思うんですよねー。

ここから例え話をします。

前提
あなたは、「シャーペン」がA社によって既に発明され、特許化もされているが、「消しゴムつきシャーペン」は発明されていないし特許化もされていない、パラレルワールド日本に住んでいます
Q
あなたは「消しゴムつきシャーペン」を発明して特許申請しました。さてこの申請は認められるでしょうか。認められたとして、A社に対して権利行使をすることができるでしょうか。
A
特許申請は認められ得ますしかし、A社によるシャーペンの製造・販売を邪魔することは一切できません。シャーペンの製造・販売に関して金を巻き上げることも一切できません。

なぜそんなことになるのか。それはあなたの「消しゴムつきシャーペン特許」の権利は、「シャーペン消しゴムをつけたら便利になる」という発明にのみ関するものからあなた発明のうち、「シャーペン」に係る部分は、あくまで先の特許申請していたA社のものなのです

では、あなたは「消しゴムつきシャーペン特許」を使って何ができるのでしょうか。

消しゴムつきシャーペンを作って売って大儲け

できません。あなたは、消しゴムつきシャーペンを作って売った時点でA社の「シャーペン特許」を侵害していますので、権利侵害で訴えられます

A社と「シャーペン特許」のライセンス契約を結んで、消しゴムつきシャーペンを作って売って大儲け

できます。ただ、儲けた分の何割かはライセンス料としてA社に渡さないといけなくなりますので大儲けにはならないかもしれません(契約内容にもよりますが)。

A社に「消しゴムつきシャーペン特許」を売り込んでライセンス契約結んで大儲け

できます消しゴムつきシャーペンがすごい発明であるとA社に認められれば。

A社があなたに無断で消しゴムつきシャーペンを新発売したので権利侵害で訴えちゃう

できます。あくまで、消しゴムつきシャーペンに関してのみですが。

日本特許って、ざっくりこんな感じです。パクりはダメです、でもどこかしらにオリジナルの部分があれば、そこは認めます、という。

ではここで、件の記事に戻ります

中国が高速鉄道に関する技術特許申請を日本欧州など5か国・地域で進めていることが28日、明らかになった。

申請だけなら、お金を出せばいくらでもできます。それが特許として認められるかどうかは別の話。

中国特許申請の手続きをしているのは、日本米国ブラジルロシア欧州車両台車や先端部分など計21件の手続きを進めており、このうち8件は予備段階の審査をすでに通過したという。

これだけだとよくわかんないんですが、この「予備審査」って、国際予備審査機関による国際予備審査報告のことなんじゃないでしょうか。この国際予備審査報告は、「キミのその発明が、国際的に見て特許するに値するかどうか、各国に実際に申請する前にある程度教えてあげるよ」って類のもので、実際に各国で特許されるかどうかはあんまり関係なかったように思います((Wikipediaの記事))。

中国政府は「(日本などから技術を)取り入れ、消化吸収し、革新させた」(鉄道省)として、高速鉄道に関する技術は完全に独自開発と主張している。

実際に中国がどんな発明を出願したかはわかりません。考えられるのは以下のパターンでしょうか。

  1. 完全にオリジナルなすっごい技術自分発明して申請
  2. 全然パクリだけど申請
  3. 上記の例え話で言う「消しゴムつきシャーペン」みたいな改良発明を申請
    • 上の例え話みたいな展開になると思います

自分は、今回の件は上記の中で、2と3に該当するんじゃないかなーと思っています

2だったら、どうせ却下されるんで、国益は害されないでしょう。

3だったら、ひょっとしたら、今後中国にどっかでお株を奪われる可能性はあります。でも「消しゴムつきシャーペンだって、れっきとした発明です

海外技術を持ち込んで中国新幹線を作るとしても、多分、中国なりの苦労があると思うんですよね。国土とか電力事情とか、中国固有の障害が。で、それを乗り越えるためには、それなりの改良があったはずなんです。それは、れっきとした発明ですし、オリジナルものであるならば世界中特許される資格があります。それは中国努力の勝利と言えるんではないでしょうか。

====

さてここから補足。

上記の話は、あくまで「日本の話」です。国が違えば、事情も違うと思います中国特許制度がどうなってるのかはぜんぜん知りませんが、ひょっとしたら、海外メーカー権利を認めず、今回の特許がまかりとおってしまうかもしれません。わかりませんが。

あと、ひょっとしたら海外に申請した特許が「共同開発なのに中国のみを発明者として申請した」のかもしれません。それだと色々と悶着があるかもしれません。わかりませんが。

2009-09-09

もう一本のチベット侵略鉄道、着工が大幅に遅延

もう一本のチベット侵略鉄道、着工が大幅に遅延

西寧―ラサの「西蔵鉄道」の次は成都ラサを八時間で結ぶ鉄道

****************************************

四川省成都チベットラサを結ぶ高速鉄道は九月着工をあきらめ、大幅に遅延する見通しと発表された。

すでに青海省の西寧からラサへは鉄道が繋がり、一昨年の開通時には世界中鉄道ファンが試乗にやってきた。

日本でもマスコミが大きく扱った。リチャード・ギアは、これを「チベット侵略鉄道」と呼んだ。

もう一本の「侵略鉄道」も早くから計画されていて、四川省成都からラサまで、時速二百キロ、走行距離1629キロを八時間で繋ごうという大プロジェクトだ。

現在は一日おきにT22という長距離列車が運行されており、45時間かかる。

或いは山道、岩盤、高原をゆくハイウエィがある。ぶっ飛ばしても三日、ふつうは五日ほどかかる。

鉄道が一般的で、しかし切符は滅多に手に入らない。

筆者はこのルート飛行機で行ったが、やはり飛行機も満員だった。理由は四川省からラサへの出稼ぎ。この場合、観光シーズンにホテルレストラン、土産屋、ガイドタクシーの殆どが四川資本四川の人々がチベットへ行って荒稼ぎをするからである。

さて、中国鉄道省は総額540億元(79億ドル)という途方もない大国家プロジェクトの遅延を渋々認めた。

九月着工では区間の大半が気象条件が悪くなり、凍土が半分以上となるため、というのが表向きの理由。

成都からラサへは途中に雅安、カンディン(健定)、リタン(巴塘)、ゾガン(左貢)、ボニ(波密)、ニャンチ(林芝)などを通るが、この地域世界的な銅鉱山地帯として知られる。

チベット鉱物資源横取り鉄道とでも名付けられるかも知れないが。。。

 

(地名はチベットの呼称を漢族がかってに漢字を当てている)。

  「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

      平成21年(2009年)9月7日(月曜日

         通巻第2699号 

2009-09-07

中国情勢 - 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 通巻第2699号 

もう一本のチベット侵略鉄道、着工が大幅に遅延

 西寧―ラサの「西蔵鉄道」の次は成都ラサを八時間で結ぶ鉄道

****************************************

四川省成都チベットラサを結ぶ高速鉄道は九月着工をあきらめ、大幅に遅延する見通しと発表された。

すでに青海省の西寧からラサへは鉄道が繋がり、一昨年の開通時には世界中鉄道ファンが試乗にやってきた。

日本でもマスコミが大きく扱った。リチャード・ギアは、これを「チベット侵略鉄道」と呼んだ。

もう一本の「侵略鉄道」も早くから計画されていて、四川省成都からラサまで、時速二百キロ、走行距離1629キロを八時間で繋ごうという大プロジェクトだ。

現在は一日おきにT22という長距離列車が運行されており、45時間かかる。

或いは山道、岩盤、高原をゆくハイウエィがある。ぶっ飛ばしても三日、ふつうは五日ほどかかる。

鉄道が一般的で、しかし切符は滅多に手に入らない。

筆者はこのルート飛行機で行ったが、やはり飛行機も満員だった。理由は四川省からラサへの出稼ぎ。この場合、観光シーズンにホテルレストラン、土産屋、ガイドタクシーの殆どが四川資本四川の人々がチベットへ行って荒稼ぎをするからである。

さて、中国鉄道省は総額540億元(79億ドル)という途方もない大国家プロジェクトの遅延を渋々認めた。

九月着工では区間の大半が気象条件が悪くなり、凍土が半分以上となるため、というのが表向きの理由。

成都からラサへは途中に雅安、カンディン(健定)、リタン(巴塘)、ゾガン(左貢)、ボニ(波密)、ニャンチ(林芝)などを通るが、この地域世界的な銅鉱山地帯として知られる。

チベット鉱物資源横取り鉄道とでも名付けられるかも知れないが。。。

(C)有限会社宮崎正弘事務所 2009 ◎転送自由。ただし転載は出典明示。

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090906/1252238213

2008-10-27

http://anond.hatelabo.jp/20081027165411

調べたら法律にあったよ。関係条文抜粋。

鉄道営業法(明治三十三年三月十六日法律第六十五号)

第十八条  旅客鉄道係員ノ請求アリタルトキハ何時ニテモ乗車券呈示検査ヲ受クヘシ

○2 有効ノ乗車券ヲ所持セス又ハ乗車券検査ヲ拒ミ又ハ取集ノ際之ヲ渡ササル者ハ鉄道運輸規程ノ定ムル所ニ依リ割増賃金ヲ支払フヘシ

○3 前項ノ場合ニ於テ乗車停車場不明ナルトキハ其ノ列車ノ出発停車場ヨリ運賃ヲ計算ス乗車等級不明ナルトキハ其ノ列車ノ最優等級ニ依リ運賃ヲ計算ス

鉄道運輸規程(昭和十七年二月二十三鉄道省令第三号)

十九条  有効ノ乗車券ヲ所持セズシテ乗車シ又ハ乗車券検査ヲ拒ミ若ハ取集ノ際之ヲ渡サザル者ニ対シ鉄道ハ其ノ旅客ガ乗車シタル区間ニ対スル相当運賃及其ノ二倍以内ノ増運賃ヲ請求スルコトヲ得

 
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