はてなキーワード: 過大評価とは
AI時代において、容姿や性別が重要になるという主張は、あまり正確ではありません。AI技術は、人間の労働力や知的能力を拡張することができますが、人間の生理的特徴や性的特徴を変えることはできません。AIが人間の外見や性格を完全に再現できるという仮定は、過大評価されています。AIはまだ、人間の複雑な感情や社会的な相互作用に対する理解に限界があります。これらの要因により、AI時代においても、人間の能力や知識が重要視されることに変わりはありません。
また、後天的努力で知識を習得することができる分野であっても、その分野において成功するためには、知識だけでは不十分です。コミュニケーション能力、問題解決能力、リーダーシップなどのスキルも必要です。これらのスキルは、努力や訓練によって磨かれるものであり、容姿や性別に依存するものではありません。
最後に、人間の肉体的な存在は、AIに代替することができませんが、AIによって人間が行う仕事の多くは自動化される可能性があります。このような状況下では、人間はより高度な専門性や創造性を求められるようになるため、むしろ知識やスキルがより重要視される時代となる可能性があります。
ミリオタと暇空茜の罵倒合戦が続いているが、それを見ながらふと一つの疑問が湧いた。ミリオタ側ネームドが暇空氏を罵倒するときに”戦争と戦略の天才”の部分を取り上げる時があるが、なぜミリオタは彼がそう自称する根拠の方を叩かずに自分たちの論理で彼の自称を叩いているのだろう。
相手の鼻っ柱を折りたいのであれば、相手のテリトリーの中にある相手のプライドを叩く必要がある。この場合、彼の自称である戦争と戦略の天才を叩きたいのであれば、彼がそう名乗っている理由、つまり根拠の部分を明確に否定すべきなのである。なぜ彼らはそれをしないのだろうか。
まず筆者の考えを明確にしようと思うが、私も彼の自称は些か過大評価だと思っている。というのも確かに、彼の分析能力と妨害能力は高い。それは認めるべきである。また、分析と妨害の出来る奴の戦略というのは大抵の場合は有効なので彼の戦略能力も相応に高いであろうというのは想像がつく。しかし、それで戦争と戦略の天才を名乗るのはやはり過大評価ではないかなと思う。
過大評価と思う理由だが、暇空氏は自身を天才と自称する根拠の中で、オンラインゲームでの戦績とその後、作成に携わったゲームの話題を上げている。だが、それらのオンラインゲームはいずれもアクティブユーザー数に関してはたかが知れているし、ユーザー数が限られるということは内部戦略の研究もそれだけ限られるということである。悪い言い方をすれば、そのような狭い世界の中でトップを取れたとしても、上には上がいるというのは想像に難くない。
例えば彼が推定ユーザー数が数億人規模であるチェスの世界でグランドマスターに上り詰め、チェス界を揺るがすような新しい戦術も生み出したと言うならば紛れもない天才と名乗っていいと思う。あるいは現実の軍の中で相応の地位に上り詰めていても才能を誇っていいと思う。だが、実際に彼がトップを取っているのは億どころか数千万も怪しいようなオンラインゲームの世界である。たしかに人に誇れる程度の戦績とは思うが、名だたる本物の天才達に並び立つような名乗りが出来るほどの実力とは思えない。
もし彼がこの文章を見た場合、やる気と時間さえあればチェスだろうがなんだろうがトップと渡り合えると言うかもしれないが、それは他の天才達も同じことである。例えば、羽生善治氏がやる気と時間を持って彼のやっていたゲームに取り組んでいた場合、羽生が圧倒的実力でトップに上り詰め、彼は負け続けている可能性だってあるわけだ。もちろん、これらの話は所詮たらればの話なので実際のところは分からないし、する意味もない話であるが。
以上の理由が、私が暇空氏の自己評価は過大評価だと思う理由である。とはいえ、実態に関わらず自己評価の仕方というのは本人の自由なので、彼が戦争と戦略の天才を名乗るのは自由である。私含めて周囲にそれを辞めさせる権利はない。ただ、仮に私が彼の自称を辞めさせずとも否定するのであれば、上記の理由をもう少し詰めた上で彼に叩きつけるだろう。相手が自信に思っている部分を否定しない限り、折れるタイプではないからである。
問題は、なぜミリオタ側はこの程度の否定すら出てこないのかということである。上記の文章は病床の筆者が30分程度で考えて30分程度で書き上げたものである。いくら趣味を否定されて頭に血が登っている奴が多いといえ、なぜ病床の筆者から出る程度の否定が出てこないのか。相手に下手な煽りは通じない以上、戦うなら相手のテリトリーで相手のプライドを殴るしかないのに、何故それができないのか。本当にミリタリーや軍略のオタクなのだろうか? 敵の行動と思考の分析は勝つための第一歩やぞ?
彼の煽りに顔真っ赤で反論したい気持ちもわかるが。逆にそういう時ほど冷静に戦ってほしい。冷静に戦えば、手強いが決してダメージを与えられない相手ではないだろうに。(逆に相手から冷静さを奪うあの煽りは彼の見事な戦術の一つである。私は嫌いな戦術なのであまり見たくはないが)
公務員のくせに「俺って出来る奴だから回りに仕事押し着けられて大変だわ~~~」みたいにしてる奴はキモいので。
AIに仕事が奪われきったあとの世界は幸せだろうが、暫くは無能にとって冬の時代が来る。
働きたくても働けないが、役所が生活保護を呉れるわけでも無い。
AIにドンドン仕事を奪われた後の世界で残っている仕事の中で、無能向けなのは本当に辛いぞ。
生産性が低すぎてAIを導入できないブルシットジョブ、マニュアルを作ることを開くと断じる昭和脳、異論な連中がいるがどれも等しくウンチッチだぞ。
もしも生活保護が貰えても、教養のない人間が生活保護だけ貰ってもまともに楽しめないぞ。
金が無いから酒も飲めず、資産をモテないからパソコンも使えない。
本を読んだり創作活動に打ち込めるような人間じゃないから無能なわけで、つまりは金払ってなんか娯楽やってないと自力じゃ楽しめないわけだな。
スマホだけは許されているから、日がな一日スマホで無課金ゲームしたり小さな画面で動画を見て過ごすわけだ。
いい年こいた大人が頭の悪い中学生みたいな暮らしを一生続けるのは辛いぞ。
競争率が高くなるだけで、落語者としてなにもやってなくて、社会に出てないから情報にも疎い人間は完全に締め出される。
そもそもが無能だからSNSでも上手く友達を作れず、気づけば異常な発言を繰り返して注目を集めるだけの妖怪になる。
最終的には満たされなすぎた承認欲求のはけ口として反ワクとかの異常思想にすり寄り、頭が悪いからラインを間違えて捕まって刑務所行きだ。
そもそも公務員はITオンチな上に目先の節約が大好きでずっと低スペPCを使っている。
PCなんて贅沢品だ。コピペが簡単にできちゃうからズルいんだ。とか未だに言ってるやつもいるぞ。
そんな世界でAIがまともに機能するはずがないから公務員の仕事はなくならない。
AIをこき使って自分はらくしてお金持ちになれるのは一部の有能だけで、無能はAIに仕事を奪われるだけ奪われた挙げ句に意味不明な仕事を格安の賃金で奪いあうだけだ。
そうなるぐらいなら公務員をやれ。
公務員ならそこそこの給料が出るから、AIでドンドン豊かになる世界で中の下ぐらいの仕事をダラダラ維持できる。
AIに溢れた世界で無能同士の仕事の取り合いをするより絶対に幸せだ。
自称有能な奴なんて要らん。
公務員の世界はスピードが遅いから自称有能の勉強サボりマンは自称有能宣言から15年後においてかれるけど、そうなってから自称有能マンが反省して追いつくのはもう無理だ。
すると自分が有能なフリができるようにとありとあらゆるムチャを始める。
情報を絞って自分だけが知ってるものを作って優位にたとうとするとか、他の人間の仕事を妨害して自分のほうが仕事を出来るかのように見せたがるとか、自分が得意な分野を過大評価して他人を馬鹿にしまくるとか、とにかくなんでもケチをつけることで違いの分かる男を演出できないか模索するとか、自分の思い通りにならないと癇癪を起こすことで周囲をコントロールするとか、知識自慢する機会を増やすために自分の知ってる分野であるかをあらゆる決定の最優先事項にするとか、昔の武勇伝を延々と新人に語って悦に浸って相手の時間を奪い続けるとか、そういったありとあらゆる無能行為を繰り返す生産性ハイパーウルトラマイナスのブルシットエナジーバンパイアが誕生するんだ。
世の中の人は自分が必要としていない、少なくともさして価値を認めていないものに対して、何でもかんでも『羨ましい』とは思わないし、
『興味も関心も持たない』です
この点においては間違いなく元増田はマイノリティだと思います。似たような症状があるので貼っておきますね
患者は大きな業績という空想(圧倒的な知能または美しさについて賞賛されること、名声や影響力をもつこと、または素晴らしい恋愛を経験すること)にとらわれています。自分が、普通の人とではなく、自分と同様に特別で才能のある人とのみ関わるべきであると考えています。患者はこのような並はずれた人々との付き合いを、自尊心を支え、高めるために利用します。
自己愛性パーソナリティ障害の患者は過度の賞賛を受ける必要があるため、患者の自尊心は他者からよく思われることに依存しています。このため、患者の自尊心は通常は非常に壊れやすいものです。患者はしばしば他者が自分のことをどのように考えているかを注視しており、自分がどれだけうまくやっているかを吟味しています。
自己愛性パーソナリティ障害の患者は、他者による批判、また恥辱感や敗北感を味わう失敗に敏感であり、これらを気にしています。怒りや軽蔑をもって反応したり、荒々しく反撃したりすることがあります。または、自尊心を守るために、引きこもったり、表向きはその状況を受け入れたりすることもあります。患者は失敗する可能性のある状況を避けることがあります。
診断
自己愛性パーソナリティ障害の診断を下すには、以下の5つ以上に示されるように、自分の価値についての過大評価、賞賛への欲求、共感性のなさが持続的に認められる必要があります。
- 自分の重要性や才能について、誇大な、根拠のない感覚を抱いている(誇大性)。
- 途方もない業績、影響力、権力、知能、美しさ、または素晴らしい恋という空想にとらわれている。
- 自分が特別かつ独特であり、最も優れた人々とのみ付き合うべきであると信じている。
- 無条件に賞賛されたいという欲求をもっている。
- 特権意識をもっている。
- 目標を達成するために他者を利用する。
- 共感性に欠けている。
- 他者を嫉妬しており、また他者が自分を嫉妬していると信じている。
- 傲慢かつ横柄である。
JAXA広報が「まあ結果的にやり直せるだけで失敗ですね。マシな方の失敗。取り返せる失敗。そこまで悪くない失敗。最悪の失敗ではない」と口に出来る国になって欲しい。国民が「そうなんだ。やり直せる失敗なら失敗でも全然マシだね」で受けいられる国になって欲しい。今の「大小問わず失敗と口にした時点で全ての信用が失われるので、なんとかして『失敗という単語』そのものを気合で回避できないかに最大の労力を使う」って状態はあまりにも不健全だよ。この国はずっとそのせいで色んな物が停滞しているし『失敗』しているよ。いい加減「取り戻せる失敗だから大丈夫です。でも失敗なのは事実なので再発防止は頑張ります」で終わらせられる社会にしてくれよ。なんで何から何まで完璧じゃなきゃ駄目っていう病気を患い続ける道を選ぶんだよ。この国は小さな完璧ばかり求めすぎだろ。なんかもう全部減点方式で採点しすぎて頭おかしくなって切るじゃん。それこそ「東大の入試で6割解けたやつよりFランの入試で100点出したやつの方が間違いが少ないから賢い選択をしててエライ!」みたいな事言い出しかねないぐらいの失敗恐怖症でミスがないことだけが評価点の人間だらけの痛がり大国じゃん。アホみたいだよ。JAXAは科学者としての圧倒的なバックボーンあるんだからハッキリ言ってやれよ「失敗ですけど、取り返せます」をよ。なに腹芸してんの?科学の最高峰としての意地を見せろ。失敗だと認めながらも、それを過大評価も過小評価もさせないように徹底的に理詰めを積み上げ続けろ。その姿勢をこの国に示してくれ。宇宙開発を通じて日本人だって痛がりなだけお猿さんばかりじゃないんだぜって見せてくれよ!
おリモートで働いているときに、求められるお成果をお期限内に出しさえすれば結構自由ですわねと当たり前ながら気がついたのですわ❗
お会社では落ち着けるお場所を探しておトイレに籠もる、なんてことをするかもしれないけれど、お自宅ならどこでも落ち着ける。食べたいものがあればいつでも食べられるのですし、お部屋の中でおストレッチをしていても良いですわ!
こう言うと「怠けてる!」とお怒りのご高齢者もいそうですけれど、仕事として出すべきお成果は出している。お出社とお自宅の違いは、お会社でやったらお奇行と思われる行動をしているかどうかだけですわ。つまり生産性お自体は落ちていませんのよ。
なんというの、幾人のお世間のお人を観察して思ったのは、仕事をしているのではなく、忙しいふりをしているだけのお人が結構いるのですわね。忙しいおフリをしていないお人を無根拠に怒鳴るお高齢者もいる。
あるお記事で「お合理性が過大評価されてる!」というのを見たんですけれど、お合理性が過小評価されてるんではありませんの?
もちろんお自分も不合理なことをいたしますけれど、お合理性ってお自分を守るために使うのでして、お合理性を攻撃するお人って詐欺師と同じようにお人の弱さに漬け込もうとしてるとしか思えないのですわ!
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今日はquantum random number generatorが「自分自身のこと」というトピックを選択したので独り言日記を書きます。お気づきかと思いますが、自分は匿名ダイアリーを独り言を書く日記だと思っているので、基本的に反応数とかはどうでもいいって感じでぼちぼちやってます。(ところで、以前年齢について書き込みましたが、あれは詐称でした)
何にもなれなかったんだよ。自分を過大評価しすぎ?そうかもしれない。
社会の隅で誰かがやらなきゃいけない、誰にも気にも留められないことを淡々とこなす毎日。
もう何か新しいことをする気力もないし変化も望まない。年とったなと思うよ。
平凡で退屈な毎日だ。何かを成すこともない。
でもたまに思い出すんだ、関わってくれた人のことを。小さい頃のこととか、寝る前とかにふと。
かわいがってくれた人。よく思い出せない、顔も声もぼんやりとしか。たぶんもうこの世にいない人がほとんど。
でもかわいがってくれたことは覚えてる。途方もなくたくさんの時間を過ごしてきて、その中から思い出す、よく覚えてない関わってくれた人。
そうだ、こういう人がいたなぁって。
最近は、自分はそういう誰かになるために存在してるのかなと思うようになった。
姪っ子や甥っ子や、そういう未来を担う誰かの、よく覚えてないけどかわいがってくれた人になるために。
①虫歯になったことがある→治療が痛いし日常的に不便だし最終的に息が臭くなる→メッチャ痛くても長期的には歯石取りのほうがマシ
②虫歯になったことがない→痛いらしい?不便らしい?息も臭いらしい?→メッチャ痛いけど虫歯よりマシかもと信じて歯石を取りに行く
なんか変な音するし、歯の表面削るのが痛くないときでも開きっぱなしにしてる顎は少なくとも辛い。
これを「まだなったこともない虫歯に対する警戒心」のために毎月通える人はちょっと何かがヤバイと思う。
それとも虫歯になったことが全くない人は虫歯治療の痛みに対して過大評価してる可能性はある。
ぶっちゃけ虫歯治療はヤバくなったらさっさと麻酔を打つので麻酔が神経に突き刺さる激痛を10秒耐えればあとはほぼ無痛。
でも歯石取りは麻酔打つべきだったんじゃないかと歯医者も患者も後悔しだすレベルの虫歯治療と同じダメージを何分も味わう日もある。
逆に虫歯になったことがない人はその辺を知らずに「未知なる虫歯の恐怖」から逃れるために毎月痛い思いをしているのだろうか。
分からんね。
俺は始めて歯石を削られたのは20歳のときだが、その頃には虫歯治療を人生で50回ぐらい体験したあとだったよ。
だから「え?これならまだ虫歯治療のほうがマシじゃね?」と驚いた。
でもまあ、いざ歯が抜歯スレスレになって噛む力が弱ってくると「このストレスを抱えて生きていくぐらいならガキの頃から歯石取っていくべきだったな」と感じている。
でも無理なんだよね。
時間は戻せない。
ガキの頃に通っていた歯医者が「虫歯になってから治す。歯石は下手に取ると悪化するので放置」を基本方針にしてたからさ。
運ゲーすぎるね。
たまたま贔屓にしていたコンビニが実は賞味期限切れ商品をおいてるタイプの店だったせいで内蔵に変な持病をもらったみたいなもんだね。
しゃーないね。