ミリオタと暇空茜の罵倒合戦が続いているが、それを見ながらふと一つの疑問が湧いた。ミリオタ側ネームドが暇空氏を罵倒するときに”戦争と戦略の天才”の部分を取り上げる時があるが、なぜミリオタは彼がそう自称する根拠の方を叩かずに自分たちの論理で彼の自称を叩いているのだろう。
相手の鼻っ柱を折りたいのであれば、相手のテリトリーの中にある相手のプライドを叩く必要がある。この場合、彼の自称である戦争と戦略の天才を叩きたいのであれば、彼がそう名乗っている理由、つまり根拠の部分を明確に否定すべきなのである。なぜ彼らはそれをしないのだろうか。
まず筆者の考えを明確にしようと思うが、私も彼の自称は些か過大評価だと思っている。というのも確かに、彼の分析能力と妨害能力は高い。それは認めるべきである。また、分析と妨害の出来る奴の戦略というのは大抵の場合は有効なので彼の戦略能力も相応に高いであろうというのは想像がつく。しかし、それで戦争と戦略の天才を名乗るのはやはり過大評価ではないかなと思う。
過大評価と思う理由だが、暇空氏は自身を天才と自称する根拠の中で、オンラインゲームでの戦績とその後、作成に携わったゲームの話題を上げている。だが、それらのオンラインゲームはいずれもアクティブユーザー数に関してはたかが知れているし、ユーザー数が限られるということは内部戦略の研究もそれだけ限られるということである。悪い言い方をすれば、そのような狭い世界の中でトップを取れたとしても、上には上がいるというのは想像に難くない。
例えば彼が推定ユーザー数が数億人規模であるチェスの世界でグランドマスターに上り詰め、チェス界を揺るがすような新しい戦術も生み出したと言うならば紛れもない天才と名乗っていいと思う。あるいは現実の軍の中で相応の地位に上り詰めていても才能を誇っていいと思う。だが、実際に彼がトップを取っているのは億どころか数千万も怪しいようなオンラインゲームの世界である。たしかに人に誇れる程度の戦績とは思うが、名だたる本物の天才達に並び立つような名乗りが出来るほどの実力とは思えない。
もし彼がこの文章を見た場合、やる気と時間さえあればチェスだろうがなんだろうがトップと渡り合えると言うかもしれないが、それは他の天才達も同じことである。例えば、羽生善治氏がやる気と時間を持って彼のやっていたゲームに取り組んでいた場合、羽生が圧倒的実力でトップに上り詰め、彼は負け続けている可能性だってあるわけだ。もちろん、これらの話は所詮たらればの話なので実際のところは分からないし、する意味もない話であるが。
以上の理由が、私が暇空氏の自己評価は過大評価だと思う理由である。とはいえ、実態に関わらず自己評価の仕方というのは本人の自由なので、彼が戦争と戦略の天才を名乗るのは自由である。私含めて周囲にそれを辞めさせる権利はない。ただ、仮に私が彼の自称を辞めさせずとも否定するのであれば、上記の理由をもう少し詰めた上で彼に叩きつけるだろう。相手が自信に思っている部分を否定しない限り、折れるタイプではないからである。
問題は、なぜミリオタ側はこの程度の否定すら出てこないのかということである。上記の文章は病床の筆者が30分程度で考えて30分程度で書き上げたものである。いくら趣味を否定されて頭に血が登っている奴が多いといえ、なぜ病床の筆者から出る程度の否定が出てこないのか。相手に下手な煽りは通じない以上、戦うなら相手のテリトリーで相手のプライドを殴るしかないのに、何故それができないのか。本当にミリタリーや軍略のオタクなのだろうか? 敵の行動と思考の分析は勝つための第一歩やぞ?
彼の煽りに顔真っ赤で反論したい気持ちもわかるが。逆にそういう時ほど冷静に戦ってほしい。冷静に戦えば、手強いが決してダメージを与えられない相手ではないだろうに。(逆に相手から冷静さを奪うあの煽りは彼の見事な戦術の一つである。私は嫌いな戦術なのであまり見たくはないが)
暇空は女を叩きたくてでも女に相手にされたいから女のアニメアイコンって言うきもさを煮詰めた存在やな
暇空なんかに長文書くなんて人生の無駄
分析能力が高いとは🤔🤔🤔