はてなキーワード: 自己批判とは
「衆院選で自民と維新が勝って立憲民主が負けたの、リベラルが自分たちの意識の高さや教養を鼻にかけて大衆をバカにしてたのが一因なんじゃねえの? 主張が地に足ついてなかったからじゃねえの?」っていう。
なんか、我先に言ってる感じがして気持ち悪いな。
「俺は正しいリベラル。正しいから自分たちに近しい立場の批判も素直に率先してできるんだぜ(党派性に拘泥してできないやつとは違うんだぜ)」っていう感じがするんだよな。
結局、公益とか政治とかどうでもよくて、時勢と潮流がいろいろ変わっていく中で、独自性をひけらかすのとなんか思想っぽいものでバクチ打つのが好きなだけなんじゃない?
そう見える。
潔さや知性を演出したいんだろうけど、選挙結果で価値観の底がいま抜けたもんだから、一塊になって落ちていくのが嫌で、とりあえずちょっと違ったポジションに立っておきたいだけにしか見えないんだよな。
発言におかしな角度つけて自己批判できる自分を演出したがってるのはてめーだろうが、って言われたらそうなんだよ。
だから、なんていうかさ、「清廉な人格。反省もできる。今回の教訓を生かして頑張っていこう」、みたいな人間がさ、俺も含めてこんなにたくさんいるわけねーだろ、って感じになるんだよ。ブコメ見てると。
お前らも俺も、悲壮感に酔ってその場のノリで言ってるだけだろうがよ。
今後、進めていくべき方向性って、色々あるんだろうけど、それには「人権や平等を謳う理念(だけ)ではなく、経済や外交に関する信頼を勝ち取る戦略の提示」「一部のリベラルが抱えてる特権意識を見直す」みたいなことが大事なんだろう?
できるわけねーだろ、そんなこと。俺はできねーと思うよ。「特定のリベラル」にはできねーと思うし、俺にもできねーと思う。
(これは俺の想像だけど、)たぶんお前らも俺も、それほど学校の勉強にも苦労しなくて本読むことにも抵抗がなくて、周りの同級生のいくらかとか成長してからは大人とかに対して、バカにしてるわけじゃねえけどなんでこんなことができないの? なんでこんなもの(人)に入れこんじゃうの? って思って不思議に見てたんだろう?
俺たちはそうやって、自分より勉強できない、意見の言語化も下手な連中に対する理解と想像が不足してるのに、社会における平等の必要性や人道的なそれっぽい話を語ってレポートで評価されたりネットで「いいね」がつくのは気持ちよかったろう?
そんなやつらが、そうやって二十三十、四十年生きてきたやつらが、いまさら世の中の物の見方とか他人への理解を変えられるかよ、って思っちゃう。少なくとも俺には無理だ。自覚がある。
俺は、はてなの一部のリベラルの感じに、とても嫌な感じがした。俺自身の写し鏡だから。
できもしねえこと言って気持ちよくなってんじゃねえ、と思った。
お前らは俺と一緒で、他人への共感が致命的に欠けてるのに、たまたまそこにあった道具が「リベラル」だったために無関心とヒューマニズムっていう矛盾を抱えるハメになった連中だろうが。
選挙の結果がどうこうじゃなく、ずーっと前から隘路だったんだ。自分でもうっすらわかってただろう? そういうやつらが、いけしゃあしゃあと清廉さを演出すんな。なんなら、選挙結果をきっかけに自分たちのハマってた矛盾から一抜けした気になってんじゃねえ、とさえ思った。
自分が応援している(していた)党が選挙で敗れたから、今後期待している方向性を語ると同時に、自分の考え方を見直す。
それ自体は反応としては正しい。俺には無理だけど。他のやつにも無理なはずだと思ってるけど。
でも、何割かは本物がいるのかもしれない。
本当に、本当に誠実なやつ。
言論をファッションに使わないやつ。他人への想像力を持ってるやつ。
そういうやつがブコメの中にいるなら悪かった。ごめんなさい。
俺はお前らの大半は嘘っぱちだと思ってる。マジで思ってる。だから、俺が俺自身にずっと言いたかったことも含めてめちゃくちゃ言ったけど、許してほしい。与党・維新に投票する大衆の気持ちがわかるなら、俺の気持ちもわかったっていいじゃないか?
「同性婚を認めよう」と言うと、「結婚だけが幸せじゃないのに、恋愛の末に結婚を求めるなんてジェンダーバイアスの強化に繋がる!」と言うバカがいる。
「萌え絵ポスターを認めよう」と言うと、「性的に強調した女性をアイキャッチに使うなんてジェンダーバイアスの強化に繋がる!」と言うバカがいる。
同じ話。
まずシスヘテロ対人性愛者のみなさんには自己批判の方を徹底していただいて、マイノリティの断罪はその後で考えませんか?
私は(最終的には)結婚制度を廃止すべきだと思いますけど。「だから同性婚を認めるべきではない」と(シスヘテロへ向けた皮肉ではなく本気で)言ってるバカは、単に同性愛者を何とか理由をつけて排除したいだけでしょうね。
バッハ/森元/ガースー/百合子/吉村/川村/オリンピッグの人/コーネリアス/渡部/ほか他薦者
コロナで大変なことになってる中でよ、わざわざ東京の都心で大学の同期が結婚式挙げるって言うんだよ。
いやまあ、日取り自体は半年前に決まってたことだし、あれから感染状況がここまで悪化するとは俺らの誰も思ってなかっただろうし、仕方ないんだけど。
中止しろよ…と正直思ってるけど言えない。向こうだって嫁さん待たせてるし、結婚式って何百万もかかるんでしょ、そりゃ中止できないよね~
なにが厄介って俺受付やらなきゃいけないんだよね。半年前引き受けちゃったから。
俺結婚式とか行ったことないからわかんないんだけど、受付って一番人と接する役目じゃないの?大丈夫?みんなワクチン打った?聞いた感じだと俺ら20代、あんまり打ててなさそうだけど…
ほかの同期に話聞く限り一応打った人もいたけど、式の日までに2回目を打って、かつそれから一週間以上経過してるっていう括りで言ったらほぼ居ないっぽかったぞ…
あとお前、会社の上司とか親戚も呼ぶんかい、高齢者に差し掛かってるような世代がこんな集まり来て良いのか?しかも県境跨いでるやろそれ…今更こんなこと気にする俺がおかしいんか…?
だって俺同居家族いないし。無職だし。頻繁に会うような友達も恋人もいないよ。
あと俺基礎疾患がある関係でほかの奴らより早くワクチン打ってるんだよね。もう2回打って1か月経つ。
式を中止することができない以上(まあだってもう今週末だもんね)、俺が今ここでケツまくって逃げたら、ほかの誰かがやることになるでしょう。
その「他の誰か」が、会社の同僚やら家族や恋人がいる誰かがこの役割をやって感染したら大変なことになるけど、
会社辞めてて、誰とも会わないで生きてて、一応ぼんやりしてても半年は暮らせる貯蓄がある俺なら、まあ感染したっつっても俺が苦しいだけの話で…ワクチン打ってたら死にはしないってほんとかね?そうだといいんだけど、でも基礎疾患持ちは重症化しやすいらしいしなあ…
それで最悪死んじまったってなってもなあ。正直なんかそれで死ぬなら仕方ないかという気持ちよ。疲れた。
童貞で無職で基礎疾患持ちの俺が結婚式を挙げる奴の人柱になるのか…という暗澹たる気持ちは正直あるよ。これは嫉妬やない、嫉妬やないぞ。嫉妬と言うよりなんかもっと…なに…?言語化できないけど…
半年前までは普通にめでたい!って思ってたんだよなあ。祝う気持ちがあったよ。今もそりゃあるんだけど、複雑ですよ。
医療崩壊ってどういう感じなの?コロナなんですけどって言っても自宅にいてくださいねって言われるだけで病院は入れないの?いま荒川区ってどうなん?
Amazonで食料買いだめするのと別にブルーシートでも買おうかなと。なんでかわかんないけど、死ぬことそれ自体より俺の死体がこの夏場で、この部屋でぐちゃぐちゃに腐っていくことがすげー嫌だ。自分の住んでる部屋が好きだからかね?気に入ってるカーペットに俺の腐敗液が垂れるとかマジで想像したくねえ。
なんかこう、こういう「しょうがないよなあもう」っていうのが積み重なった結果みんなで崖に飛び込んでいくような事例が繰り返されてるのかなあとかナイーブになったり、
言うてもずっとマスクして会食の席に立たなければ感染しないでしょ、なにを悲観論に浸ってるんやみたいな自己批判が脳内で始まったりとか、勝手に一人で忙しいよ。
ま、しょうがねえわ!別に向こうだって俺が無職だから受付に選んだわけじゃないし、むしろなんか聞くところによると受付って会場で人とだらだら話したりしなくていいみたいな話もあるから、人と話せない俺への配慮では?という気もするし、
こんなのは全部俺の僻みこじらせた被害妄想よ。仕方ないんすよ。
会場が用意する感染対策とか全然当てにならないっぽいし、自分でできる対策を用意するだけして臨むわ。
というわけで今週末、行ってくる。
日共政権が樹立したら自民支持者はたぶん自己批判を余儀なくされるので、
インターナショナルを暗唱できるようになっておくことで昔からの共産主義者で仕方なく自民政権に協力していたことにしよう
起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し
暴虐の鎖 断つ日 旗は血に燃えて
海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
聞け我等が雄たけび 天地轟きて
屍(かばね)越ゆる我が旗 行く手を守る
圧制の壁破りて 固き我が腕(かいな)
今ぞ高く掲げん 我が勝利の旗
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
「差別反対を名目にビジネスしようとする人権団体」というような言い方をしている時点でまだ攻撃していることがわかってしまうんだが……解放同盟との確執はいまだに終わっていないし、意見の違う新左翼党派や市民団体をいじめた過去についてきちんと総括したとも聞かない。以前の同性愛差別発言について自己批判したのは評価するけど。そういうわけで、共産党は左翼でも、というか左翼だからこそ積極支持できないという人がまだかなりいる。昔とは違うというなら、そのへんへの反省と信頼回復できるような振る舞いをもっと見せてほしいところ。まあそれでも直接殴られたりしたことのない私は共産党候補に何度も投票してるし、立派な党員の人も知ってるから基本は応援してますよ。それゆえの苦言ということで。
「がまん」にメリットや意義を見出して自己洗脳して頑張っていても、もうフタがゆるゆるになっているというか、過去何度か「がまんやーめた」という判断をした記憶がある所為でシリアスになりきれない。
がまんしてると「いやいや、結局演技なんだし、もういいじゃん」的な甘えがでてきてしまう。
がまんはむっちゃメリットある。
だからがまんをキープしなきゃなんだけど、モラルにまつわるそれ(自身の中のモラハラ的特性の封印)は「がまん」として捉える事自体が間違いである。
損得を越えた「無思考で受け入れるべきルール」として捉えなきゃならない。
まあ、なかなかできるものではない。
やっぱ、それをやっちゃった時の苦痛を何度も何度も反芻し、他人がやらかしている履歴をたくさん集め「やったらこうなっちゃうぞ」と自分を脅し続けるしかない。
それでも本当はそれを思い切りやりたい・・的な。
どこかにゲーム的、サービス的に「それ」をやらせてくれる秘密クラブでもないかなー・・って。
え、なに? ハラスメントを?
まあ、そうな、うん。
旧い人間は昭和 / 平成中期までだったら当たり前とされていた(社会のモラルが凄く低かった頃の)概念に懐かしさと居心地の良さのようなものを感じてしまう。もちろん、その世界に居た人間でも最初に他人からその態度、言葉をぶつけられた時はショックだったがわけだが、それを乗り越え、笑い話にし、普遍的なものとして受け入れる事で獲得した「社会性」ってもんがある。当時はそれに慣れる事自体が「社会性の獲得」すなわち「大人になること」とされていたわけだ。
現在そういうものの「前提 / きっかけ」の部分にメスが入れられている。
思い返してみれば最初は「おかしい、嫌だ」と確かに思った。しかしあまりにも「過去」すぎて、もはやどうでもよくなっている。ハラスメント耐性は精神と一体化し、その耐性自体が耐性を持たない人間にとってのハラスメントとして機能してしまう。
「普通XXって思わない?」「XX耐性なさすぎ」
的な、「差別や悪意や見下しに対する抵抗力を持っている方が普通、モラルに対し潔癖すぎる人間の方がウザい」という意識が、ハラスメント慣れした人間の中には染み付いている。
・
はっ?!
はい、もう忘れた。少し思考を途切れさせると上記で書いたこと、自己批判性は一切忘れて「潔癖うぜー」っていう思考で満たされる。
「面倒くさいことを考えさせやがった・・時間無駄にしたー」という感情を呼び起こさせる。
まず、上記思考ログを読みこむ事自体、どう考えたって面倒くさいじゃん。これだって十分整理してんだし。整理してこれだし。
世の中で語られてるモラルにまつわるあれこれはさらに枝が複雑だし、回りくどいし、DQNやハラスメントする側の意見や視点が欠けすぎている。
でも、自己批判する事の意義、価値を思い出させてくれる人や時間ってもんは、好きだよ。脳に負荷をかける事自体、それなりに好きだから。
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「面倒くさい事自体が大好き」という悪趣味さを持つ僕のような✕✕人間以外のDQNや無知者に、どうやって「ハラスメントをがまんする事自体がハラスメントの助長になるのでハラスメント耐性を身に付ける事自体が悪」という理屈を理解させたらいいのか。
皆目見当つかない。