はてなキーワード: 燃えるゴミとは
妊娠7ヶ月。
4日間の出張があり、九州から東北まで各地を巡って帰路に着く。17時に帰宅。
炊飯器は洗われておらず、水出しのお茶パックは浸されたまま、キッチンペーパーは芯だけ残っていた。金曜日にあったはずの資源ごみ回収は忘れられていて、ゴミ箱にペットボトルが積まれている。出張前に夫には「猫の世話と燃えるゴミだけはお願い」と言って出てきた。なので、これは指示をしなかった私が悪い。
夫は21時過ぎの帰宅になると言う。疲れてくたくただが、この4日間の1人出張でろくな飯を口にできなかった上、最終日の昼に支給された弁当があまりにも冷たくて美味しくなかったので、今夜はちゃんとしたご飯を食べると決めていた。
スーパーで根菜の水煮セットを買って、ホットクックで筑前煮を作る。後はきのこの炊き込みご飯、わかめと豆腐の味噌汁、ほうれん草の胡麻和え、惣菜コーナーで買ったコロッケ。
ホットクックと炊飯器を駆使すれば、私は食材を切って調味料を入れるだけ、ほとんど何もせずに滋味溢れる料理の出来上がり。待つだけでできる料理、最高。
丁度いいタイミングで夫が帰宅。今日ほど早く帰ってご飯を作ってもらいたかった日はなかったが、共働きだし仕方ない。メシマズ嫁なので「ありがてえ」は言ってくれるが「美味い」は言ってもらえない。私としては味噌汁もご飯もあって野菜もあるし最高の飯が作れて大満足である。
妊娠7ヶ月ともなると腹が出てきて動作もしづらく、体力も無くなってきた。妊娠後期は出張も行かないつもりなので、来月が出張納めである。
今朝は出張土産として送った黒豚が自宅に届いた。こういう機会も余裕も出産後はなくなるんだろうな。産休中の不安も大きい。でもまずはしゃぶしゃぶ食べてから考えよう。
2022年の夏から賃貸でセカンドハウスを借りてで二拠点生活を始めてみた。
始めた理由は、自宅の一部屋がコレクションで満杯になっているので、荷物を置く倉庫と別荘を兼ねたセカンドハウスが欲しかったからなんですが…
生理痛で腹が痛くて死にそうなんだけど、でもやっぱシンクロフィットは神だな。
シンクロフィットで出口に固めててもらった方が、お腹が冷えない気がする。気のせいかもしれないけど。
あと、シンクロフィットと吸水パンツの組み合わせにすると、少ない日はナプキンいらないし、
多い日もナプキンは吸水力重視の大きいのじゃなくて通気性優先で薄いのにできるから、
圧倒的に蒸れない。
今まで生理くるたびに湿疹ができて生理終わって一週間後にやっと治るような感じだったから、
ほぼ年の半分パンツの中に湿疹があったけど(おむつかぶれの赤ちゃんみたいだな)
いまは湿疹すらできない。
あとは紙箱販売さえやめてくれたらなあ。
あの紙箱を他の紙ゴミと一緒にリサイクルに出すのは気がひけるし、かといって燃えるゴミにしても見咎められそうだし。
パウチはマツキヨ系専売だから緊急に必要な時通販ですぐ届かないし。
どんどん大容量パックが作られるようになっているのは、ありがたいんだけどね。
まあ貧乏くさい話なんですけど
コロナ禍はじまったあたりでさ、なかなか不織布のマスク買えなくて洗って再利用してた時期あったじゃん
あのとき習慣になっちゃって、使用したマスクはもう洗濯カゴに投入するようになってんのうちでは
洗濯機で他の洗濯ものと一緒に洗濯して、靴下みたいに干して、なんとなくストックする。外に出かけるときは新品使うのにね
まあウイルスやらなんやらが付きっぱなしのゴミを収集するほうも嫌だろうと思ってさ、洗った方が良いかなって
そんで洗ってからしばらくおいといて貯まりすぎたら燃えるゴミに捨てる
でも洗った不織布マスク置き場が家の中にあるわけよ、廃棄待ちの
耳にかける部分はさみで切ってみたらまっすぐのゴムが2本とれる。これの端を結ぶと布に包まれたちょっと弱い輪ゴムができるんだよね。髪とか結べなくもないし、散らばってる単4充電池まとめたり充電ケーブルとかイヤホンケーブルまとめたりするのに使えた。普通の輪ゴムみたいにべたべたしないのがいい感じ
あと口に当てる部分の両端を切り落とすと折りたたまれてる部分が伸びてちょっと広くなるのね。鼻のところのワイヤーをとるとちょっとでかくて吸水性のよくないティッシュができる。家具とか床とかの埃を取るのに結構便利。ちっちゃいクイックルワイパーというかそんな感じ
ワイヤーも2種類ぐらいあって、何にも使えないへにょへにょプラスチックの棒の場合と、針金をビニールで覆ってある奴の場合がある。こっちだとスナック菓子の袋とめたり園芸用品の固定に使うあれなんだっけネジネジしたやつ、あれそのものなんでそれに使える
でもなんかすごいもったいない気がするんだもん
あとプラスチックの棒の使い道誰か教えてくれ
彼にもらった花束を大事に花瓶にいけて、飾ってたけど、1週間経って枯れてしまった。
美しくて、わたしのここ最近の生活の彩りになってたその花束はすっかりしおれて、茶色くなって命を失ってた、だから「燃えるゴミ」で捨てた。
恋を花束に例えるなんて、「花束のような恋をした」のようにありふれてる表現なんだろうけど、花瓶から花を取り出して、ゴミ箱を開けてざっと捨てるっていう動作一つ一つを実行すると、花をもらった時の高揚感と幸福感もなくなってしまったみたいで、急に魔法が解けた気がした。
彼とは出会って2ヶ月、たまに会ってご飯を食べて一緒に寝て、そんな関係で、彼が出会ったその日からわたしのことを好きって言ってた。わたしはそんな距離の詰め方が苦手で、でも何度も会うたびに彼の知らなかった魅力を発見して、彼の過去のエピソードや現在の思想を聞いて、より深い解像度で彼を理解し始めて、気づいたら好きになってた。
だけれども、
この関係には、彼氏彼女に近いけど、お付き合いはしてないから、名前がつかない。
彼に同じ質問をしたその日、「好きだけど、付き合いたくない」と言われた。なんか鼻先でドアをぱたんって閉められたみたいに冷たさを感じた。
彼を理解して信頼してる限りでは、「俺らセフレだろ!察せよ」っていうのは否定できると思う、一応。
冷たさを感じた、だとしても
「わたしも好きだし、彼も好きって言ってくれるならこんな関係でもいいじゃん。世間とはステップが違うかもしれないけど自分達は自分達に合う関係構築をしていればいいヨ」
貰った花束を飾って、その水を毎日取り替えて、彼との時間を何度も思い出して、幸福感を反芻した。
鮮やかな花束がいくら茎を切って葉を剪定しても枯れたから、もう寿命だと思った。
燃えるゴミに捨てた。
そしたら、何も残らなくなった。
土に根を張ることのない切花は、あんなに美しく大ぶりに開いていても、一度だめになったら何も残らない。
水替えを甲斐甲斐しくしてたわたしの愛はどう行き場を失って、台所の流しで空中分解した。
今、彼の中で一番好きなのがわたしだとしても、この名前のない関係は、どんなに鮮やかでも来る時が来たら瓦解する。
だって根が生えてないから。美味しいところだけ愛してるから、愛を持続させることはできても育てることは出来ないと思う。
わたしは彼に愛を注ぎたいのに、その受け取りができないよ茎から切り取られてたら。
愛を相手から貰えなくなるより、愛を与えられない方がわたしは酷だと感じる。
そもそも、付き合ってない人の愛を土で受け止めようって思わないでしょ、花瓶に入るまでで十分、それが適正な距離感だから。
付き合ってないってことは、彼の中長期の人生やイベントにわたしを考えることはないし、別にわたしが他の人と付き合って離れていってもいい、そういう存在ってことだと思う。
付き合うっていうのが、お互いが二人だけの車に乗って先の道を決めながら進んでいくことだったら、彼とわたしの関係は乗合タクシーみたい。たまたま同じルートにいて都合がいい、違う道に進むときは、相手を置いて走ってけばいいんだから。
ひどい男でしかない。A子さんも都合よく扱われてるなら離れればいいのにと思った。
でも一連の酷い発言の中で、本人が発言したか不明だけど『お前のことが好きだったらとっくにちゃんと付き合ってる』と見た。
あれ?
勿論こんなことはされてないとはいえ、彼とわたしの関係の先に待ってる複数のうちのゴールの一つだと思った。だって付き合ってないんだからね。
この考えに至ったとき、関係を聞いた時の彼の冷たさを思い出した。
花束をまだ捨ててなかったら、こんなこと思いもしなかったんだろうな。
俺はここで「私はゴミの分別が苦手です」というような話を少しでもしたか?
いっさいそういう話はしていないのだが?
どちらかというといつもいつも燃えるゴミと燃えないゴミを区別しなかったり、細かい鉄屑とかをガムテープでぐるぐる巻きにして燃えるゴミに混ぜたり、
あと個人的な趣味としていろんなジャンルのいろんな分類を細かく分けたり考察するのが楽しい人間なのだが?
俺はここで自分がゴミの分別が得意か苦手かの話なんかしていない。
俺はずっと一貫して「撮り鉄マインドを許さない」という話しかしていない。
こういう読解力ゼロの奴しかいないんだから日本の学校教育では国語教育は「行われていない」と考えるしかない。
日本語の文章を正しく読める日本人が殆どいないんだから日本はもう既に滅亡済みである。
ゴミにおける撮り鉄マインドとは、全く何の合理性もない無意味な分別ルールに偏執的にこだわる事の話をしているのだが
だいたいの日本人はみんな撮り鉄マインドだからそれの何がおかしいのかを理解できないのだろう。
だから燃えるゴミと燃えないゴミを平気で一緒くたにするくせになぜかペットボトルは燃えるゴミか燃えないゴミかとかいう心底どうでもいいことには神経質にこだわるのだ。
日本人がやることは全てこれ。
やらんけど。おれも犬を飼っていた。そいつはずっと前に死んだけど、いまでも夢に出てくることがある。だからやらない。
でもな、犬猫の迷惑というか、犬猫の飼主の迷惑を普段から被っている奴らが、ペットフードに針入れてやろうかと思う気持ち、わからんでもないんだ(やらんけど)。
都会に住んでいてびっくりするのは、どんだけ意地汚い犬の飼い主がいるかっていうことなんだ。
この前、住宅街を歩いて駅に向かってたら、チワワを3匹連れたおばちゃんが目の前を歩いていたんだ。おばちゃんは辺りをキョロキョロ見回して、挙動不審な感じでな。次の瞬間、チワワのウンコが入っているらしいスーパーの袋を縛ったやつを、道端のごみ収集カゴに差し込んでスタスタ歩いて行ったんだ。
おばちゃんは交差点を曲がる時おれに気づいて、こっちの顔を睨みながら立ち去って行ったよね。こっちは最後まで何も言わなかったけど。
そこの区は燃えるゴミを回収する時、カラスが寄り付かないように、地域住民はゴミの日にカゴを組み立てて、ゴミ袋を入れるんだけど、チワワのおばちゃんは、畳んで道端に立てかけてある空っぽのカゴの隙間に、わざわざクソ袋を差し入れて去って行ったんだ。
そこの地域の人がゴミの日の前日だか朝だかに、カゴを手に取ったらどうなると思うよ? ウンコが入った袋が足元に落ちてくるんだよ。夏の暑さに数日さらされて、腐り始めたウンコの袋が。その地域の人がいったい何をした? いったい何の罰ゲームなんだよ。
そこの地域住民みたいに、不条理な体験をさせられると、やってやろう気持ちになってくるの、わからなくもないんだよ。もちろん日本の法律で自力救済は禁止されてるから、動物愛護がどうのこうのいわなくても、他人の所有物を破壊した人間は罪を償わなくちゃいけないだろうさ。でもな、いくら言っても聞かない奴、他人が見てないところだと完全に規範意識が吹き飛ぶ奴の被害を繰り返し受けて、黙っているかどうかは別の話だと思うんだよ。国や自治体が犬猫にそこらじゅうにクソさせるのを禁止できないで、現に自分たちが被害を受けていて、防ぐ方法がなかったらどうするよ? 地元の議員に相談したところで、犬猫にクソさせるのを禁止できるわけもなかろうし。
そんなときにさ、怒りとか憎しみが暴走して、やってやろうという気持ちになるのは、わからんでもないってこと。やらないけどな。
犬猫を自分の家族だっていうなら、てめえの家族がひり出したクソぐらいてめえで片付けたらどうだ。それができないなら家族がどうのとほざくなってこと。