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シリコンバレーと深センを回って判明「PDCAが日本の病の原因だ」(井上 久男) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)
http://b.hatena.ne.jp/entry/gendai.ismedia.jp/articles/-/55957
日本企業でみんなが思い描く家電充電メーカーに値するメーカーは
ジョブズの能力っていうよりジョブズという創業者というワンマンっぷりによるものだよ
企業の体質とか枝葉に過ぎないと思うよ
国民性とかな
新陳代謝がおこらないとはいえ、そのなかでも多少の新興企業として代表的な楽天とかソフトバンク見てみると
ZOZOもそうだけど
そりゃアメリカのテック企業とは規模が違うからしょぼいとか言うだろうけど
それは別の話だからね
いったい何に対する実力なんだろうって
家電のデザインひとつ見てもみんなの意見きいて作りました感あるよね
俺が好きって感じがしない
私は沖縄出身。彼氏は静岡出身。今は出身地とは別の場所で2人で暮らしてる。
問題なのが、何かケンカがあるたびに「これだから沖縄の子は」「沖縄人はみんなこんな感じなんだな」みたいな発言をされること。
彼氏の身近に沖縄出身は私しかいないのに、私とケンカをすると、それが沖縄全体の話にされてしまう。
本当に辛い。
私は彼氏以外に仲の良い人で静岡出身の人はいないし、ケンカをしても「これだから静岡県民は」なんて言わない。
私はあなたにとって『沖縄出身の女性』という存在でしかないのか。私を1人の人間として見てはくれないのか。
普段からも沖縄の経済や政治に対してクソとか最悪とか言ってて、沖縄が嫌いなんだろうなとは感じている。
東京オリンピックのボランティア募集に対する批判が話題になったが、それを受けて運営側はやりがいをPRするということが記事になり、また批判が集まっている。
ここで気になったのが、今までの開催地ではボランティアがどれくらいいたのか、どういう待遇だったのかということ。
日本の国民性がどう、みたいな話があるけど、それは本当なんだろうか。
第28回アテネ(4万5000人)→第29回北京(7万4615人)→第30回ロンドン(7万人)→第31回リオ(7万人) と推移している。
東京は8万人だが、これまでのオリンピックに比べてボランティアの規模が大きいわけではなさそうだ。
ただし、リオでは色々問題があったようで、これも記事になっている。
5万人以上のボランティアから、一週間で1万5000人がいなくなったらしい。会場によっては予定したボランティアの2割しかいない場所もあったが、全体としては70%を超える参加率とのこと。
日本以外においても給料はおろか、国外、市外からのボランティアに対しても渡航費や滞在費は出ないようだ。
1日1回の食事、市内から会場に通うための交通費などは出ていたらしい。
大会ボランティアの条件としては、年齢(18歳)、ビザがある、大会期間を通じた活動ができること、大会前の研修への参加がある。
年齢(18歳)、法を守る、大会前の訓練に参加可能、期間中に連続で7日間活動できること、母語と外国語(母語が中国語でなければ中国語)の基本会話能力、活動に必要な専門知識・技能などが条件としてあがっている。
東京は話題になったくらいだから詳しく書かないが、連続でなくてもいいから10日以上活動できることが条件になっているあたり北京よりはゆるいのか、そうでないのか。
「情熱を持って最後まで役割を全うできる方」「お互いを思いやる心を持ちチームとして活動したい方」あたりが条件に入っているあたりが面白い。
個人的な所感としては、日本だけがとりわけやりがいでボランティアを搾取しようとしている印象はない。
安倍さんの有能無能というより怖い。安倍さんも日本国会議も、国家のための国民を作ろうとしています。それは "日本国憲法改正草案" からも見て取れます。
憲法は、法律ではありません。近代立憲主義憲法は、国家権力を制限し人権を保障する法です。つまり、法律を作るときや、それを運用するときに守らなければならないことを示し、国民が国家に遵守させるという、法律とは逆方向の役割を本質とする法です。時に国家は暴走するという歴史的教訓から生まれた役割であり、日本国憲法も、(制定過程の議論はしませんが、少なくとも内容において)そのような役割を担っています(※1)。
今回の草案は、そうした従来の意味での憲法ではありません(その事実についてどう考えるかは自由です。)。 つまり、現行憲法では公務員のみが負っている憲法尊重義務を全国民が負い(102条1項。これはQ&Aによれば「遵守」より重い義務です。)、「公益及び公の秩序」(12条後段、13条後段、21条2項等)による人権制限が認められ、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚」(12条後段)することが要求され、国民の義務が大幅に増え、前文冒頭の主語が国家になるなどして、国家から国民への法に変容しているのです。
そもそも個人主義的な方向にシフトしていかないといけないという指摘があります。
人間を自由にしていけば必然的にたどり着く個人主義というものを前提に、制度を家のように作り上げ、その中に住む。自由な発想で全力を出せば、それが全体の力になる。これがルネッサンス以来の世界の文明の方向性であり、人類は実際にそのように発達してきた。基本的に、システムが個人をサポートすることばかり考えてるといっていい。それ以外の方法は、なにより個人個人の支持が得られないことにより、廃滅しつつあるのだ。
しかし、日本会議や安倍政権が実行する施作には、全体主義的なものが多い。道徳を評価対象の教科にしたり.., 必要性の低い空母を導入したり.., 過労が問題視されてるのに高プロを導入しようとしたり.., 憲法素案にさえ.. その全体主義的な傾向が現れている。
ひとつひとつの政策をつなぎ合わせると、上への服従という言葉にまとめられる気がする。改正憲法の条文を読むと、日本がこんなに凄いんだぜ、っていう文章が並んでいて空気感が伝わると思います。しかも、この上への服従は、「私」への服従だと思う。自己肯定感を満たすために、若い人達が利用されていると思う。
安倍政権の諸々の政策やそれを支持する人間の言動は、「権威主義」や「権威への服従」という観点で読み解けば、すべて一本の線上にある。個人で物事を判断せず、親や教師、組織の上位者、そして国家の上位者の指示に服従することが「道徳的」であるかのように教化する。個人で判断することを否定する。
ネトウヨの人たちは、他国を見下して自国を称揚して、自己肯定感を高めようとしている。安倍政権を利用して自己肯定感を勝ち得ようとしている。でも、実際には、全体主義の下位側に位置付けられて、安い給料で働かさせられ、彼らの自己肯定感を満たすために利用されている。ネトウヨだけではなく、普通の人もみんな。本当になんなんだこの構図はと思う。
もちろん、自己犠牲は悪いことではないし、戦後の価値観が正しいとも思わない、正直、忖度だって、誰もがみんな空気を読んで生きてるのだから、忖度そのものが悪いものだとは思いません。
でも、安倍政権、日本会議の理念は、「私」は偉いという物語、宗教、神様であって政策ではないと思う。そんな自己肯定の物語にうちらを引きずり込まないでほしい。
熊田曜子が飛行機の荷物の重量制限について苦言を言っていて、小生も思い出した。
なぜに人は搭乗口に群がりたがるのだろうか。
確かに私自身も搭乗する際、まわりがざわざわし始めて搭乗口に群がり始めるとおしりがムズムズするので国民性なのかもしれないが、飛行機に早く搭乗する理由などほとんど無いはずである。
強いて言えば、先に荷物をぶっこめる、中央席であれば先に中に入れる、それくらいか?
そもそもなぜ整列搭乗をしているかというと、スムーズな搭乗のためとのことであるが、「搭乗完了までの効率」の点ではランダムの方が早い模様。
どちらかというと、「きちんと順番を決めたので自分の座席を確認して喧嘩せずにあせらず乗ってね」という狙いだと思われる。
↓参考記事
http://helppointuk.blogspot.jp/2015/01/airlines-boarding.html
で、話を戻すと、そんなに早く乗りたければ優先搭乗利用しろ、それが嫌なら自分の登場の番まで黙って座って待ってろ、ということである。
搭乗口まわりで座る席がないのであれば、わざわざ搭乗口のまわりに群がるな、だ。
みんなが、ちょっと一つ考えるだけで全体的な効率や満足度が上がるのに、一部のせっかちのアホのせいで、ごちゃごちゃしてみんなそわそわして、やきもきする。病院の待合室のように呼ばれるまで静かに待つ、これである。
さらに大体、群がるやつに限って着陸した瞬間でかい音を立ててシートベルトを外したがる。
「着陸したけどまだシートベルトはしておいてね」といわれているのに。
http://www.afpbb.com/articles/-/3169752
これみてちょっと思った雑感。
ここ20年くらい、企業の純利益とか内部留保とかが5倍10倍のレベルで増えまくってるのに、人件費の総額はほぼ横ばいなんですってよ。
和を以て尊しとかなんとかの国民性かどうか知らねーが、そんなのかなぐり捨てて、ストとかデモとかもっとガンガン主張すべきだと思うんだよなー。
人手不足でヒーヒー言ってる業界が多い今こそ千載一遇のチャンスじゃんw
思えば、30年くらい前に初めて就職して労働組合のヒトが職場集会で使う「闘争」って言葉にものすごい違和感を覚えたもんだった。
闘いとか争いとか、そんな物騒なこと毎年、あるいは半期に一度、やっていかなきゃいけねーのかよ、クワバラクワバラ…みたいな感じ。
でも、会社やめちゃってもう長いことニートしてる「第三者的視点」から見ると、やっぱ闘争はすべきだよなーって思うよ。
和を大切にするのは利害関係を共有する仲間内だけでいいんだよ。経営者・資本家側と労働者側は、明らかに利害関係の対立がある。
国や公的機関が何とかしてくれる的な、お上に頼る意識もダメだ。自分たちで闘って勝ち取っていくという姿勢が大事。これホント。
漫画で、ヤンジャンのキングダムは、食糧だとか装備の大切さを解いてくれる漫画のように思える。補給って地味だし、狭くて水も豊富な日本じゃあんまり、大切さって分からないよね。国内戦だけだと。
そう言えば、敵に塩を送るなんて故事があるのに、どうして兵站の大切さを日本は分からずに太平洋戦争をしてしまったのかな。
東日本大震災だったか、淡路・神戸の地震でも、物資は届いても輸送がダメだったって話だった。倉庫に整理整頓してものを置くことが上手に出来なくて、放置されたり消費期限が切れてしまうと言うこともあったようだった。
なんでも水に流そうとする国民性が、いけないだろうか。