はてなキーワード: 古語とは
そーゆーのを古語ではデファクト・スタンダードっていうんやで
広告代理店を早期退職したキョウコは、今にも倒れそうなボロアパート「れんげ荘」に住んでいる。生活費は月10万円と決めて倹しく暮らすキョウコの楽しみは、猫のぶっちゃんに逢う事くらいだったが、ぶっちゃんことアンディは飼い主の家から出して貰えなくなってしまう。
キョウコはあまり変化のない日常を送っているが、れんげ荘の若者達は人生にもまれて忙しそうにしている。コナツさんは事実婚相手の男性の連れ子の育児、チユキさんは田舎に住んでいる彼氏の所とれんげ荘を往復しつつ、他人に貸している分譲マンションのトラブル解決に追われていた。
そんな若者達に深入りし過ぎないよう愚痴の聞き役になっていたキョウコのもとに、実家から母の死が報じられ……。
若い人達のすることに上から目線でアドバイスや批判をしたい欲と内心で静かに闘うキョウコ。その心情が、今にもアウトな方へ傾きそうなギリギリのラインに立っている感じで、ちょっとハラハラした。心の裡だって理想と現実はかなり違うもんなあ。
一時流行った丁寧な暮らし系統だが、そういうのは結局豊かさの産物であり、現実の日本社会ではもはやリアリティーを喪っているように思う。だが、本作では相変わらずキョウコは節約を頑張れば働かなくても生きていけるという設定のままだ。
ところが、彼女が実家に戻れない最大の理由だった母親(他人にとってはいい人だがキョウコにだけは害悪って感じの毒親)が死亡したので、キョウコにはれんげ荘を出て兄夫婦とシェアハウスするように同居するという、新しい道が示される。だが、キョウコは全然乗り気ではない。そりゃ長年一人で暮らしてきた人が、いきなり独居の自由気ままさを手離すことはできないよね。
クマガイさんの生き方や考え方がカッコいいのだが、先のことは知らないなんて、キョウコよりもずっと年長者(敢えて言えば老い先短いともいう)だから言えること。確かに、人生を悩まなくてもいい事に悩んで浪費したら勿体無いとは思うけど。
他人には後ろ指を差されるかもしれないが理想的なキョウコの暮らしは、ずっと手放しで幸せとだけ言えるものではなくて、いつも後悔と不安がついてまわる。
作中の時間の流れがリアルタイムよりもだいぶ遅いのか、本作は2021年に出版されたのにコロナのコの字もない。現実世界はこの数年は酷い事続きだから、現在よりも少し昔を生きているらしいキョウコがいっそ羨ましいくらいだ。もし作中の時間が2022年に追い付いたとしたら、キョウコの心境はどう変わるのだろう。「先のことは知らない」という言葉の受け止め方は、どう変わるだろうか。私は先のことが知れない事に恐怖しかないけど。
ラストでぶっちゃんと再会して急に元気になり小躍りするキョウコ。やっぱあれだ……推しは世界を救う的な……。何があっても推しが元気でいてくれさえすれば生きれるってことか。
前に今読んでるとこって書いたけど、やっと読み終わった。半月以上かかってしまった。(他に色々読んでたのがいけなかっただけだが)
舞台は古代中国のような世界で、神の住む天界、人の住む下界、そして鬼の住む鬼界がある。
主人公の謝憐(シェ・リェン)はかつて大国だった仙楽国の王太子。彼は類い希なる才能を持ち、17歳の若さで天界に飛昇し神官(現代日本で言うところの神)となった。
だが、彼は自分のやらかしによって天界を二度も追放されてしまい、下界でガラクタ集めなどをして糊口をしのぐ暮らしにみをやつすことになった。
最初の飛昇から約八百年後、謝憐は三度目の飛昇を遂げ神官に返り咲くものの、飛昇した際の衝撃で他の神官達の住居などを壊してしまい、多額の負債を作ってしまった。
そこで謝憐はまた下界に降りて、人助けをしたり自分を奉る廟を作り信者を増やしたりなどして功徳を積むことで弁済をする事にしたが……。
読み終えるまでに半月もかけてしまった私が言うのもなんだが、かなりページターナーな作品。
ただの人間が修行をしたり功績をたてたりする事によって神となり、信者を増やして功徳を稼ぐことによってより強い法力を得るという設定が、ゲームっぽくも俗っぽくもあって面白いけど、中国のWeb小説ではあるあるな設定だったりするのか、それくらい解ってるよね? と言わんばかりにストーリーはサクサク進んでいく。でも文章が平易なので設定に振り回されて訳がわからなくなるなんてことはない。
同作者の『魔道祖師』もそうだったが、個々人の心情や集団心理の描写が巧み。謝憐の、お人好しなんだけどいつの間にか味方が誰もいなくなるのもやむを得ないような性格……簡潔に言えば空気を読めない独善的でアイタタタな性格とか、権力者のワガママに振り回される下々の人々の様子とか。
巨陽将軍(ジューヤン将軍。日本語にすると巨根将軍)の名付けエピソードなんかかなり風刺が利いていて、えぇ……意外と中国、表現の自由あるじゃん……(発禁になりませんように)……と思った。
ストーリーが面白いけどBL作品なので当たり前のようにボーイズがラブする。本作は『魔道祖師』のときみたいに男性同性愛の事を「ホモ」の意の古語で呼んで露骨に差別することもない(1巻時点では)。
メインカプの三郎(サンラン。攻め)と謝憐(受け)は前半くらいでもう出逢い、すぐに打ち解けて仲良く暮らしたり一緒に事件を解決しに行ったりする。三郎はなぜか謝憐に対してとても親切で優しく、謝憐は訳もなく親切にされることに戸惑いながらも、根っからお人好しのため受け入れる。
ところが、謝憐と普通の人間達以外の誰もが三郎のヤバすぎる正体を知っていて、でも三郎を怒らせたら事なので、誰も口を挟まない。謝憐と三郎が人目も憚らずに二人の世界に浸っているのを、第三者がドン引きで見てみぬふりを貫く様が滑稽で面白い。
本作ではまだ謝憐や三郎の来歴に語られていない部分が多く、楽しそうに交流しているだけなので萌え萌えでいいけど、きっとそのうち超弩級の不幸展開ややり過ぎて引くエロ展開が来るんだろうな……。
終盤の鬼市に潜入する話が好き。な、なんか鬼市の風景にデジャ・ビュが……『幽遊白書』と『ハリーポッターシリーズ』と『昭和元禄落語心中』と『千と千尋の神隠し』を足して4で割ったような雰囲気。厨二心に刺さる。
丁半賭博であからさまに謝憐が贔屓されるシーンの糖度が高くてほっこりした。
「うららか」という語自体は、万葉集の有名な歌「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも一人し思えば(大友家持)」にあるように、古くからある和語に由来する。もっとも、古語にある語だからといってそれを名前にするのが適切か否かは別問題。
ただ、名前について時代に合っているか否かを考えるのは正直無意味な気もするので(落語の寿限無ではないが、そんな議論は昔から果てしなく繰り返されており意味がない)、難読でなく周囲が呼びやすい名前であればそれでよいと思う。やれ「子」のつく名前の子は賢いとか、逆にシワシワネームだとかいろいろ言うが、「子」のつく名前が女子の名前としてメジャーになったのは20世紀も後半の話で伝統というほどの歴史もない話。それがすでに廃れ始めていることを考えれば、今生まれた子が死ぬ頃には、また全然違う常識が「伝統」のような顔をしていることだろう。ただ、自己満足に陥った名前がいただけないのは事実。名前は周囲(社会)とのかかわりに関するものなので、周囲に受け入れられにくい名前だと思えば避けた方がよい、という判断はアリ。その意味では、今なら最低限「うらら」でネット検索して、語感や関連するものが何か、他人からどういう風に受け止められるかくらいは調べてから命名するのがよいんではないだろうか。別に、今から命名するって話じゃないんなら関係ない話だけど。
えてして ← よくあることだけど
いみじくも ← すばらしくも
ほふる ← コロス
すがめる ← (目を)眇目(細くしたまぶしそうな状態)にする
あやかる ← 萌えパワーをいただく(命名や宗教行動をする) ある世代の声優には当時活躍していた松阪選手にあやかって大輔という名前が多い
そびやかす ← (肩を)あげて威嚇する。もともとはそびえさせる。そびえ立つ肩ってすごい偉そうだろ。
しじま ← 昔は静寂をしじまとも読んだ
はつり ← 斫ると書く、石を斧で叩いてぶっ壊す、クラッシュする
かこつ ← 託つと書く、例えていうみたいな意味が転じて愚痴を言う
いぶかる ← 訝る 怪訝(けげん)に思う、怪しむまでいかないけど疑問点が出てる
おざなり ← お座なり 場の雰囲気にあわせて適当なことをいう
なおざり ← 等閑 部下とか親から注意しとけっていわれてもほっとく
「さもありなん」は、「そうであるに違いない」をそのまま古語で言ってるのだが
わざわざ現代に古語でいうのだから「事前推測との一致」でめっちゃ頷いてる場合に使用されるようわりと用途限定されてきた
「あたらし人をうしにけり」で「惜しい人を亡くしました」に意味変化してるし
「かなし」は悲しくなくて愛しいって言ってるし
「あわれ」は無惨じゃなくて風情があるって言ってる。
尻を蹴るときはボンとかじゃなくてフタって音がすることになってる。
そんで生き残った「そびやかす」とかはもう肩専門だったりするわけよ
俺が密かに婚活を考えていて、お前は独身貴族を謳歌していたとき、
いつも会うならサイゼリヤだった。
「リア充爆発しろwww」などとと、今となっては古語を垂れ流しながら
夜遅くまで飲んでいたっけ。
あれから十年たって今、こうして、たまにお前と飲むときもやっぱりサイゼリヤだ。
ここ何年か、こういうファミレスに一人で行くのはお前と一緒のときだけだ。
別にお一人様が悪いというわけじゃないが、ファミレスというのは文字通りファミリー(家族)で行っても構わないだろう。
一昔前だったら立派な家庭を築いていたはずの年齢じゃないのか、俺たちは?
でも、今のお前を見ると、
婚活で連戦連敗した挙げ句「ツイフェミ」だの「ミサンドリー」だの、小難しいカタカナ語を並べて
俺の目の前で女嫌いを拗らせているのを見ていると、妻や子供のいる立場としては何も言えなくなるんだ。
お前がネットストーカーみたいなことをしているの聞いたよ。とあるイベントを出禁になったのも知ってたよ。
両親も実家も失ったのに、水際作戦で生活保護が却下されドヤ街に流れ着いたらしいというのも分かっている。
だけど、もういいだろ。
わずか10ブコメではてブ賢人が4人も登場した。ワクワクすっぞ
2021/12/22
2021/12/22
ponpon_qonqon Wikipediaの解説が参考になるが https://bit.ly/3H0HmRu 増田の言う用法が関西弁に特徴的にあるわけない。古語で嫁の意味が家族構造を土台にしたものなので、関西中心の方言周圏論からして誤り。自家製スラングを正当化するな
2021/12/22
kyo_ju 増田が力説する関西での(自身の配偶者を指す)用例を含め、家父長制家族に入ってきた余所者を表す"嫁"の語を無自覚に使う事自体がマズいからよそうな、となっている訳で。サベツガーと言って混ぜっ返せる話じゃない。 日本語 ジェンダー 差別 家族
2021/12/22
ヘンに古臭え概念とLINEやコンビニなどをおり混ぜてギャップを狙ってるのか?気持ち悪いんだよな
杜若、じゃねえですよ そんなんその辺に生えてっかあ?生えてたらごめん
とにかく浮いているのだ季語が
なんなんだ なんで漢字で書くんだ
おまえ、🌻みて、あっ向日葵だ!なんて思ってんですか
あれはなあ、ヒマワリですよ
いかにもノーテンキじゃないすか なにが向日葵だ 表現のために自分を曲げるな 世界を曲げるな
思考を57577に整えるっていう行為、ある程度正気じゃないとできないので、中身が「エモい」ほど、どうなってんだという感じが出てくる
たとえば長く付き合った恋人とどうしようもないすれ違いの末別れた、っていうのをうつくしい短歌として詠まれると、感情どうなってんねんとしか思えねー
彼女にフラれて悲しい、を表現するリアルな言葉は、グエーしかないんだ
水滴とか風とか、トイレの水とか、知らねえけど、そういうものに感情を仮託するな
これが一番キモい これさえなくしてくれれば、俺はここまで俳句と敵対しなかった
「してをり」みたいな表現が突如混ざってるのを見るとはらわたが煮えたぎる
オマエそれ言わないだろ、日常で!!
言ってんのか?
言ってたとしたらそれはそれで尊敬するけど、言わねーだろ、絶対
ゐる、とかさあ、キショイんですよ 本当にキショい
いま「ゐる」って打とうとして、けっこう変換に手間取ったぞ キショ俳句人間、毎回変換に手間取ってまでわざわざゐるって言ってんだとしたら死ぬほどキモいし、辞書登録をしてスムーズに打っていたり、予測変換が覚え込んでしまうくらいにゐるゐる言ってんだとしたらさらにキモい
救いようがないですよマジで
アーバンな感じがしてすげえムカつくわけ
すっげーイケてない、コンビニもない、ウンコみたいな田舎、実際に空気にウンコのにおいが混ざっていることもあるような、そういう場所の感じがしねえんだよな
全員シティーボーイっぽい、つうか、なんなら、三大都市圏っぽい
三大都市圏の人間が、「私は雅を介します!」みてえな顔して、都市の風景を詠み、しかも生意気にも季語なんかを盛り込んだり、古語っぽい表記をしてみたりするわけじゃないですか
そういうのはよくないし、許せないし、許すべきではないし、許されるべきではない
あるよね。最近の読者や視聴者はバカだから説明してやらないと分からないって
だから最近の作品は質が落ちたとか、低俗なやつには俺の作品が理解できないとか、分かりやすさを求めて面白さが減っているとか言われてるよね
いやいやいや!分かりにくくても面白ければ長い間愛される作品になるじゃん!?
意味わかんない謎とか投げっぱなしの伏線とかただただ分かりにくい作品いいっておかしいでしょ
で何が言いたいかって
プロを目指すアマチュアで高尚な作品を作ろうとしているやつ、いいからまず相手に伝える技術を身につけろ!
そういう人大体怖いから逆らうの怖いんだよ。だからすごいですねって言うしかない。しかもそういう人には他人が理解できない物をわかる俺みたいなファンが付くからますます頑固になる
先にデビューした仲間を読者に媚びたとか嘲笑う前に歩み寄れよ!出版社を紹介しろとか言ってくんなよ!まず自分をかんがみろよ!
確かに「嫌いと言ってるけど本当は好き」とか「好意的な言葉をくれるけど内心見下している」みたいな描写が分からない人はいるよ
いわゆる「サリーはAの箱からボールを出してBの箱に入れました。後からマイクが来てボールを探しました。さてどこを探しますか?」っていう問題を間違えるみたいなもんでしょ?んなやつ昔からいっぱいいたわ
本当に「この作品意味わかんねーかわおもしろくねーわ」って言われる作品って普通につまんないだけじゃないの?
分かりやすくて面白い作品もあれば、分からなくても楽しめる作品もあるし、予定調和で何もかもが主人公の都合よく進むだけの作品もあるし、作者の描写力不足で何を伝えたいのかわかない作品もあるし、マジで意味が分かんないし面白さの欠片もないし時間をドブに捨てるだけの作品もある
普通に謎が伏線回収されていく場合とか読者それぞれの答えを探してもらいたいからあえて隠しておくとかはいいよ。それで面白いなら
考察しようとか読み解こうって気が起きない作品はだと悲惨。魅力もないから真剣に見る気も起きないし、頑張って考察しようと思っても作者が下手くそだからなんっもわかんないし大抵謎はないのに意味深に言ってるだけかあってもしょーもねーの
しかもそういう作者は自分が選ばれし者にしかわからない作品を作れる天才だと思ってるから「低俗な凡人共には俺の高尚な作品が分からない。読者の質が低いと苦労する」「私の作品は難しいのでみなさんは理解できなかったかな?でもあの程度のギミックもわからないなんて逆に笑っちゃう」なんて言ってんの
せめて読者は敵に回すなよ!高尚な作風を変えたくないならせめて解説とかしてみろよ!それで新規の読者もつくから!
やったらやったで無駄に長文で意味わかんない古語とか四字熟語とか使う必要もない難読漢字を入れまくって「つまり何が言いたいの?」な解説になっちゃうんだけどな!