はてなキーワード: チーズとは
数日後、別でパレスホテル内のレストランを基本料無料で招待いただきました。
素晴らしい思い出の詰まった場所で、ぜひまたゆっくりしたいと思い、レストランへ行ってきました。
基本料無料とはいえ、ドリンクはそれぞれの値段がかかることは当然のことで、
そこで1,000円くらい払う必要があるのは全く違和感がなかったです。
その後、途中で「追加でfromages(チーズ)はいかがですか」という案内がやってきました。
2人で行ったので 2人前だが、腹一杯の状態だったため、1名分2人で分けるという注文をしました。
そして会計の時。
店の偉そうなか方から、「今回はドリンクだけでしたが、1年後にはぜひまた来てくださいね」という話をいただいた。
会計の値段は、7,728円。 ドリンクとサービスチャージの値段でそのくらいになるか?! と思い、レシートを見ると、
2 Alain Milliat
2 Promages 5,090 /
Open Discount ***
...
Promagesだけで5,090円を支払っている。これはそう、あの追加で提案されたチーズのことだった。
まず、1人2,500円以上もかかるということを知らされず、しかも1人分を2人で分けるという注文をしたのにも、2人の追加料金がされていた。
ちなみに、この5,090円が高いということに文句を言いたいのではない。
この値段を一切伝えていないこと。そして会計の時には"ドリンクしか追加料金がない" と嘘までつかれたことに、とてつもない悲しみを覚えた。
全く自炊をせず、夕ご飯はスーパーの惣菜売り場に頼っている。数年間同じスーパーに通い詰めると、如何に飽きないように工夫するのかが重要になってくる。
カレー単体だとボリュームが足りない時、他の惣菜を投入するのが楽しい。以下は今まで試したもの。
・餃子:餃子単体でも美味しいが、プリプリとした食感がカレー風味になって新鮮である。
・コロッケ:単体では味気ない普通のコロッケがカレーコロッケになる。かぼちゃコロッケでも良い。
・ジャガイモと鶏肉のトマト煮込み:カレーの風味が変わってややアダルトオリエンテッドになる。新鮮。
・唐揚げ:唐揚げカレーになる。ボリュームがかなり上がる。かなりこってりした感じになる。
惣菜ではないが、納豆やチーズを入れてもお手軽にバリエーションを増やせる。
他におすすめの組み合わせがあったら教えて欲しい。
コストコのが有名だけど、うちの近所の激安スーパーも発掘したら400円足らずで同じ袋の出してた。1個13円くらい。
食パン(8枚切り200円、1枚25円)よりやすい。たべ手もある。ただし消費期限は短い。3日程度。ジャムやクリームチーズではだんだん飽きてくる。
食べきれないなら冷凍させてもいいが、かさばるので、これをおいしく食べる方法を言うぞ。
あっという間になくなる(といいな)。
まず100均のまな板とよく切れるプチナイフを用意し、サニーレタスかレタスも洗ってちぎっておく。
赤・緑・黄色を最低一種類挟むとハンバーガーだ。いくらでも食べられる。
赤:ささみピカタorポークビッツor生食用ベーコンor生ハムorカモパストラミorタコスミート
炙るかどうかは各自にまかせる。
炙らなくても十分おいしいが、赤に油分がある場合は炙って油を出させると黄色が要らなくなることもわりあいにある。
赤:ささみピカタはさほど赤くないのでわかるとおり、一番ヘルシーなので黄色食材との取り合わせが必須だ。
ピカタにするのはまとめ売りのささみを二つに縦割りして筋・皮を取って、
ボウルにいれて卵一個・ハーブ塩・砂糖少しをぐちょぐちょにまぜこんで、
普通に加熱しただけよりはパサつかない。即席サラダチキンとおもえばだいたいあってる。
黄:シュレッドチーズっぽいシュレッド、カロリーハーフマヨネーズは自分としてはものたりない。
なお激安スーパーはたまにチーズいれた四角いコロコロパンをうってる。これはもうバジルソース塗るかピザソース追いチーズでよい。
https://kurashinista.jp/articles/detail/37445
https://www.kewpie.co.jp/products/product/mayonnaise/mayonnaise/4901577082849/
わりとそこらのスーパーでうってるようになったな
じゃあ呪術廻戦の領域のぶつかり合いとかどうやって理解してるん?
アレってまさしく「俺の脳内世界とこの世界を同化させてやるぜ!これでこの世界(の一部)≒俺!つまり俺が最強!!!!!!!!!!!!」のぶつけ合いだろ。
それが理解できないなら呪術廻戦の物語とか全然わからないと思うぞ?
あの漫画における呪いってつまりは「自分のルールで世界を染め上げる力」であり、それをぶつけうことを通して「俺の世界の方が強い!俺のフィーリングが最強!俺の価値観!一番強い!!!!!!!」をする漫画じゃん。
そんな世界だからこそ弱いやつが「弱い人間は他人のルールに逆らえない。自分を通すことも出来ねえ……」って苦悩するわけで。
だからこそ熟成されまくったカビチーズみたいなコンプレックスまれみ紳士淑女が多数出てきては暴れまくって「俺の方が強くなった!つ・ま・り!俺の世界の方が強い!俺が正しい良い良い良い良いいい!!!!!!!!!」しあうわけでしょ?
男の価値観だとそれってある程度力のある人間にとっては当たり前というか、万能感にあふれていた幼少期はみんなそうだったわけじゃん。
喧嘩にしろゲームにしろ日常のあらゆる遊びの中に「俺の世界観こそが強い!!!俺の考える最強が一番この世界で最強であることを俺の力が勝利によって証明する!!!!」をぶつけ合うものだったわけで。
たとえばスポーツ漫画とかで意見が食い違った時に「決着はゲームでつけよう」とか言い出すのって、冷静に考えると「一戦の勝ち負けが証明になんてなるのか?」って気がするんだけど、世界観そのものをぶつけあう決闘においてはそれでいいんだよ。
バトル漫画は大体この文脈なんだけど、最近は結構ソレも垢抜けてきて「あくまで戦うのは手段」って割り切ってる作品も結構ある。
呪術廻戦は一見そうやって垢抜けているように見せて、実際にやってることは領域をぶつけ合って「俺のルール最強!俺の考える世界の形が絶対!俺の色に染まれ❗俺が正しい❗と言え!!!!!!」をやってる。
貧しかった学生時代の名残だろうかと思いながら生活してきたが、30代になっても全然変わらない。それどころか使い古されたものの方が好きになってしまった。中古品には誰かの影が残っていて、耳を傾けるとものを言う。昔の何気ない日常を熱心に語る。そういうのを聞くのがすごく好きだ。
車も中古車だし、服も靴も半分は中古だ。椅子は中古のコンテッサ。パナの加湿器もモンベルのテントもクリステルの大鍋も中古。これは蓋が別売りなのだが、それも中古。鏡面仕上げの隅に磨き傷がある。その他に目立った傷はない。気軽にクリームクレンザーか何かでひと拭きしたところで、粒度が粗すぎたことに気づいたのだろう。
フェールセーフは機能したが、蓋を閉めるたびに自分のミスを突きつけられているようで我慢ならなかったのだ。ところが私は他人である。他人の些細なミスを引き受けるのは容易い。その蓋は「本来そういうもの」なのだ。少し奮発してぴかぴかの鍋を買い、うっかりから無用の傷をつけてしまったことにどうしても耐えられなかった。この悔恨の情が彼女の影を色濃くし、おでんを味わい深くする。
オーブントースターは知り合いの厨房のお下がりだ。ボロボロの佇まいが妙に魅力的で、もう使えないというのに無理を押して譲ってもらった。洗い場の棚にあったもので、戦場の罵声と泡まじりの飛沫にさらされ続け、2015年製とは思えない錆び方をしている。引き取るとき「グラタン用だったから...」と口を濁していたのが印象的だったが、電源を入れると漂うチーズの香りで腑に落ちた。私の好きな磯辺焼きがまずくなるため、しばらく使っていたのだが捨ててしまった。
正直にいうと中古の電気シェーバーを買ったこともある。先回りしておくが、いくらなんでも刃は取り替える。一応健康リスクという言葉くらいは知っている。だが日常的に使いこんだ道具には特別な魅力がある。いずれ中古住宅も買うだろう。割れた石畳が並び、炭酸カルシウムのこびりついた亀の子格子がついているといい。長く使われた板の間はゆるやかに窪んでいて、松の木は取り返しのつかないほど枯れているといい。秋めいてきて、私は出どころのわからない隙間風を止めるのに必死になる。これは懐古趣味が行き過ぎていると思う。
食器も中古の方が好きだ。それもできるだけ多くの人の手に渡ったものがいい。骨董屋も好きだが、掘り出し物を探しに行くというよりは単に古い食器を見に行く。欠けたり萎びたりしているもの、古いものほどよい。こういう目線も一つの美観だと思えなくもないが、その一方で品評基準や技術的なことはあまりわからない。開き直ったように、不完全な主観を甘やかしながらものを愛している。貴重性のようなわかりやすいものなら理解できるのだが、知れば物怖じの原因になるだけだ。かといって知らないまま使って台無しにしてしまっては寝覚めが悪い。人並みの道徳心が働く。したがって、ただ古いだけの日用食器が一番よい。器の前に座った昔の人々を想像しながら、手の中でくるくる回して欠けやひびに入った汚れを眺めるのが好きだ。あまり酒は飲まないが、熱い湯を李朝の徳利に移してから注ぐと、300年前の丸い赤ら顔がうっすらと蘇ってくる。底座はすり減っていないがヒビは濃く色づいている。清潔な卓の上で大切に使われていたに違いない。奥の間の文机には美しい硯が置かれていて...
状態が良い中古もまた良い。大切に扱われてきたものには独特の緊張感がある。タグが破れかかるほど繰り返し洗濯されているのに、型崩れもせずきれいに保たれている服。裏返しにしてネットに入れ、丁寧に洗って乾かしてもらっていたんだろう。自分は几帳面な人ではないので、几帳面の染み込んだ服は神々しくさえ見える。隅に手垢がつくほど読み込んであるのに、折り目の一切ない本を見たことがある。それは大正後期の本で、日焼けして小口にはポツポツとカビが生えていたが、中は一昔前のCGみたいに均一だった。人が何度も開いた本は湿気を吸ってごわごわしていくので、それとわかる。奥付に強い朱色で購入年月日が書いてあった。尾の長い達筆だった。日常生活を勝手に楽しまれるのは気味の悪いことかもしれないが、増田に書くぐらいはよかろと思う。
本は好きでも間の悪いことに古典や思想書が好きだ。浅学なので最先端の思想や技術を吟味するような知識はない。開拓された新天地を後から眺め、「おお」とのけ反ることしかできない。だから勧められて読むことはあっても新刊あさりをすることはない。死ぬまで教わる側だろうと思う。買うのは電子書籍を優先しているが、それはスペースが足りないからだ。遠慮なくびっしり引いた傍線や、付箋や、日付入の署名はいつでも恋しい。折り目もないよりはあった方が好みだ。
新しいものというのは、誰にも使われていないものだ。時代の御沙汰を経ていないものだ。自分には後世に残すべきものを見抜く目がない。最大多数の最大幸福というものが、わかるようでまるでわからない。誰かが作ったものに勝手な理屈でうなずき、あるいは名批評の情熱を譲り受け、誰かの生活を勝手に愛することくらいしか幸福に向けた積極性を持っていない。でも世の中の多くのものの価値は、そこにくっついた誰かの影ではないかという気がする。誰かの生活を愛する時間と時間の間に、それらの記憶と記憶の隙間に、ガスのように後の未来からゆっくりと幸福が満ちてくるのではないかという気がする。中古品を買い漁っているとき、この作用に期待しているという自覚がある。それらを構成するのは自分の記憶でなくとも良いのだ。
作った場所から直接やってきたものが、何か恐ろしい未知の存在に見えることがある。そこに何が宿っているのか、自分の目には判断がつかない。それはひとりでに明らかにはならない。誰かが指摘してはじめて、私達は宿るものの姿を見ることができる。ここまであえてこの言葉を使わずに来たが、どうしても気持ちが悪いので書いておく。私はこれが魂だと感じている。私が勝手にものの中に見出し、呼びかければ話し出す誰かの姿。恋人にもらったネクタイに宿ると感じるもの。死んだ犬の首輪に宿るもの。それに触れた子供の指に宿るもの。それを見た私の目に宿るもの。こうして文字にしたことでどこかのあなたの目に宿るもの。言葉と物とが受け継がれる中で、それは形を変えながら宿主を移り、誰かの指摘によって唯一性を獲得しながら無限に増えてゆく。歴史は生活の集合であり、魂の集合であり、決して失われない無限の価値だ。こういう虚構を片手に中古品を愛でている。あと中古品は安い。そこもいい。
井村屋のアンコ塗ってスライスチーズ乗せて食うのは寒くなる前にはよくやってた。チーズは風味が強い本格的なヤツよりスライスチーズの方が合う。トーストしたことはないが、トーストしても不味くはないだろう。多分。
逆に「これを何にかけたらいいのか」を知りたい。
買ったはいいけど使えてない調味料やスパイス、ハーブが多すぎる。
これかけると全部スモークパプリカの味になってしまうし、なんか粉っぽい。タコにかけるとタコのガリシア風という料理になるらしいが、タコが高くて買えてない。卵や6pチーズにかけて燻製っぽさを楽しんでいる。でも全然減らない。どうしよ。イカでもイイカな?
パクチー大好きなので買ったが全然あの風味がしない!騙された感。仕方ないのでフォーとか食べる時に大量に入れてる(大量に入れるとかろうじて薄っすらあの味がする)。パクチーの良さは生のフレッシュな香りと、あのシャキシャキした食感の良さにあるのだろう。ミツバとかで代用できないだろうか?
ロシア料理の本を買ってテンション上がってた時に購入。ピクルスにすると美味しいらしいが、ピクルス作るのが面倒。ただ、マヨネーズにかけるとタルタルソース風になることを発見した。しかし揚げ物を家であまり食べないのでなぁ…。生のにすればよかった。
でそのマヨネーズ自体も毎回余るんだよなぁ。そもそもカロリー高いから出来ればあんまり使いたくないし。粘度が高いから「ボテっ」とついてしまってテンション下がるし。レモン汁を混ぜてゆるめるとオシャレになるのだが毎回そんな事やってらんねーし。
上記のマヨネーズと混ぜてブロッコリーやジャガイモにつけると無茶苦茶美味いが、早死にする味がする。
あと金属の歯磨き粉みたいなチューブに入ってて全然出てこない。
これもなんか外食で揚げ物につけたらめちゃくちゃウマいので思わず買ってしまったが揚げ物を食べないのでなぁ…。おでんのカラシの代わりにできるかな?
おでんで思い出したがおでん作るとき必ず入れてる。しかし美味しくなっているのかどうかイマイチ自信はない。炒め物は油で汚れるからしない。
昔、「オイスターソース+醤油+ごま油」の組み合わせが美味しいと何かで見て、酢をプラスして冷やし中華のタレにしてみたら美味しかったので、夏になるたびにやろうやろうと思うのだが今年も忘れて冬になっちゃった。
隠し味的に入れると美味しいのだが使い所が難しい。初心者の頃は「これひとつあれば韓国料理はバッチリ!」と万能調味料のような印象を持っていたが、韓国料理詳しくなればなるほど実は本場ではコチュジャンだけではなく唐辛子粉など他の調味料と組み合わせることが分かってきた。で、今はほとんど買わなくなった…。
ほぼお好み焼きにしか使わないので余って捨てる事多し。小さいサイズで売ってくれたらいいのに。ポテサラにかけると美味いというのを試してみたいが、ポテサラ作るのが面倒くさい。
すぐ賞味期限切れる。生のレモンの方が良くないか?でも切るのも捨てるのも面倒だし、ついつい買っちゃう。
これは例外。意外と使い所がたくさんある上にめちゃくちゃ日持ちするのであっても困らない。エスニック苦手じゃないならオススメ。
とにかく小さいサイズを買うこと。
変なものばかり買い集めるんじゃなくて醤油とか味噌とかの基本の調味料に金を使え。その方が結局はコスパがよい。
出来合いのソースがあるならそれを買え。結局プロが作った方がうまい。
材料に合わせて調味料を買うのではなく、調味料に合わせて材料を買え。
iHerbを見るな!カルディに行くな!
付箋などで賞味期限をデッカく書いて貼っておくのがいいと思う。
おわり。
日本のTV局と日本人の料理人が「間違った」日本食を出す海外のレストランにダメ出しするみたいな番組あるじゃん。
俺の出張先にいるアメリカ人から聞いた話で、そいつの親戚がやってるシカゴの寿司バーに、そういう番組の取材が来たらしい。
その店は例に漏れず、アボカドとかチーズとかを使った、日本人からしたら「これは寿司と言えるの?」っていうアメリカナイズされた寿司を提供してる店だったそう。
そんで調理現場とか料理を見て、日本人の寿司職人がボロクソにこき下ろし、その様子をカメラマンが撮影。
最後に寿司バーの店長のコメントをもらう段になったので、店長がこう言った。
「ひとまず俺が君たちに言えるのは、とっとと失せろ、っていうことだけだな。日本の伝統なんか知ったこっちゃねえ。
俺は20年間この場所でこのスタイルでやってきた。お客さんもこの寿司を食べて満足してくれている。それの何が悪いって言うんだ?
日本人だってインドのカレーやイタリアのスパゲッティを日本人好みに改良しているだろう。それと同じことだろ。
店のことを日本人に知ってもらえると思って取材を受けたが、こんなクソみてえな企画だとは思わなかったな。
さあ、撮影が終わったんなら荷物まとめてさっさと帰ってくれ!」
結局、その店で撮った映像全部お蔵入りになったらしい。
っていう、今思いついた作り話。