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はてなキーワード: 迷信とは

2022-12-27

anond:20221227152936

いない。

居たとしたらそもそも最初から概念定義?に当てはまる人ではない。種類が違う。

 

スピリチュアルってのはさ、宗教なんだよね。

迷信である」の言い換えとして宗教とか呼んでるんじゃなくて、

信仰に基づく、という点で宗教

脳と社会人格個人史の結び方が、宗教なんだ。 

 

そういう前提で、例えばなんだけど、

「昔から経験キリスト教徒だったけど、今は無神論者の人いる?」とかさ。

居るとしたら、最初からなんか疑念は持ってた人とかだよね。

「親がキリスト教徒なんだけど、イスラム教改宗させたい。でも話が通じない」とかさ。

当たり前だよね。ヒトは言葉信仰を捨てることはありません。なんなら拷問受けても死ぬまでそのままです。

 

お前はただただ、家族他人詐欺商法しかけたり、逆に自分が高額すぎる無駄遣いしたりしないように、それだけを注意するしかない。

信仰をなんとかしようとはするな。無駄から

2022-11-20

anond:20221118194332

それはそうよ。

新興宗教、だけでなく、宗教全部が緩やかに終わりつつある。

 

いやもちろん、すぐに全ての宗教迷信が消えたりはしない。インターネットで見た情報信仰を捨てるやつはいない。ていうか、信仰はどんな時も捨てないか信仰だ。死ぬまでそれは消えない。

 

だが逆に言ったら、死んだら信仰は消える。

宗教の一番強い持続要素は、「子供は親から言われたとおりにする」といつヒトの性質によるので、死んだ後の信仰は子に引き継がれる。

インターネット=広い世界が楔を打ち込むのはそこなんだな。ガチガチ敬虔信者の父母の子は、インターネットで広い世界を見て、そんなガチでなない信仰者になったりするんだ。では、更にその孫の代はどうなる? 

 

こうして起きているのが、世俗化だ。

2022-11-19

anond:20221118164806

百均の300円か500円くらいの安めの土鍋を買ってくればいいとおも。

土鍋に水と米をだいたい一対一くらいの割合で入れて30分くらい浸してから炊くだけ。

始めトロトロとか中パッパとか赤子泣いても蓋とるなとかは、迷信だと思って一切無視して

ずっと中火くらいでも問題ない。ただ深く考えずに炊けばよいよ。

途中で蓋をあけて確認しても全くかまわない。

炊けたと思ったら火を止めて3分くらい放置(蒸らす)。

他の鍋(ステンレス等)でも炊けるけど、焦げ付き落とすのがめんどいんで、自分土鍋おすすめ

2022-11-07

虹(ニジ)と、ヘビと、ウナギの話

 この文を書いている今日、所用で外出した先で雨に遭い、それが止むのを夕方まで待ち、さて自転車で自宅に帰ろうとした道すがら、空に虹(にじ)を見た。

 今日の外出先から自宅へと向かおうとすると、ちょうど西から東へ進行する形になる。東の空へと流れ去る黒い雨雲を背景に、色の濃く鮮やかなもの、色が淡いもの、二本の虹が綺麗な弧を描いていた。

 その時、私が通行していた自転車道兼遊歩道には、他に散歩ランニングをしている人たちもいたのだが、彼らも私と同じように、虹に見とれたり、スマホ画像を撮ったりしていた。中には「二本の虹なんか初めて見た!」と驚いている人たちも少なからず見られた。虹が二本出ることを知らない人もいるのかと、むしろそれに私は驚いたのだが、のんびりと空を見上げる余裕を持つことがあまり許されない現代人には、仕方が無いことなのかもしれない。綺麗な虹を見たという新鮮な感動が機会となって、彼らが空の気象天体に関心を持ってくれたら嬉しい。

 ところで、二本の虹が出ることを知らないということは、おそらく彼らは二本の虹の名前も知らないのであろう。しかし、虹が二本出ることを知っている人でも、案外その名まで知っている方は少数派ではなかろうか。こんなことを言うと「虹は虹でしょ?区別とかあるの?」と思われるかもしれないが、漢字による呼称区別がある。

 漢字の原型は、殷代の甲骨文字に見ることができるが、その中には既に、虹を表した象形文字を見出すことができる。それは、弓形の弧を描く二本線で描かれており、弧線の両端には口を開いて下を向く頭を持ち、しかも角らしき突起まで見られる。

 甲骨文字占いに関する記録を遺したものであることから卜辞(ボクジ)とも呼ばれ、古くから中国人自身による研究が行われていた。その一つに郭沫若(かく・まつじゃく)の著した『卜辞通纂考釈』があるが、この中で「一つ出た虹を『虹(コウ)』、二つ出た虹を『霓(ゲイ)』と称したものであろう」という説が述べられている。ただし、現在漢和辞典を引けば、『虹(コウ)』が雄で『霓(ゲイ)』が雌とも記されていて、郭沫若の説とはやや異なる。二本の虹の濃い方を『虹』、淡い方を『霓』として雌雄ペアと見るのが後代の見方である。いずれにしても、卜占の亀甲や肩甲骨に刻まれるような神秘的・神話存在として、虹・霓は古代中国人の心を捉えていた。

 残念ながら、私のデバイス文字変換では『霓』の文字しか出てこないのだが、本来は『虫』偏に『兒』旁で、ちゃんと『虹』とペアになるのに相応しい形をした文字である。それが現在、雨冠の字形が主流となっているのは、科学的な物の見方をするようになった近・現代人が、この漢字には神話的・呪術的な役割ではなく、気象用語という科学的な役割を担わせるようになったことの反映であろう。

 虫偏の字であることからも判るとおり『虹(コウ)・霓(ゲイ)』のことを、昔の人々は、広い意味での『蟲(むし)』の類いと考え、すなわち「ヘビ」の一つと見做していた。これは日本でも同じことで、マムシやフクムシなど「ムシ」呼び名がヘビには用いられている。『フクムシ(福虫)』というのは、これは穀倉を荒らすネズミなどの害獣を捕食してくれる益獣だからである。『マムシ(真虫)』の真(ま)は、オオカミに冠した神名大口真神(おほくちのまかみ)』における真(ま)と同じく、強く猛々しい神の名を軽々しく直接的に呼ばないようにするための、一種忌み名としての尊敬接頭語であろう。

 『虹(コウ)・霓(ゲイ)』は、両端に頭を持つ怪蛇であるから「それではヘビじゃなくて、むしろ龍とかの仲間ではないか」と言われるであろう。しかし、昔の人々にとっては、家屋の周辺や田畑などで身近に見かける普通のヘビですら、神秘的な存在だったのである。昔の人々にとって、龍(りゅう)/蛟(みずち)etc.普通のヘビとの間の境界は、我々現代人が考えるよりも遥かに曖昧であったと言ってもいい。足を持たない、もしくは四脚が有っても小さくて目立たない、細長いクネクネとした身体動物のことを、一纏めの仲間として昔の人々は捉えていたと考えられる。このことを少し頭の片隅に置いてから、以下を読み進めてもらいたい。

 「それにしても、虹がヘビだなんて、昔の中国の人たちは面白いことを考えていたものだなあ」と思われるかもしれない。しかし、実は「虹(にじ)=天の蛇」という考え方は、近代化する以前の社会では、地球レベルで広く見られた/見られるものである。そして、それは日本例外ではない。そもそも日本語の名称『ニジ』そのものが『ヘビ』を意味していたとも考えられている。

 日本における「『天の蛇』としての虹」の話に関しては、ロシア人言語学者ニコライ・ネフスキーによる有名な研究をはじめとして、多数の調査研究が為されている。それらから、思いつくままに事例を紹介していこう。

 例えば、琉球諸島宮古島では虹を『ティンパウ』と呼んでいたが、『ティン』は「天」、『パウ』は「ハブ」のことである。『ハブ』は『ヘビ/ヘミ』系統の語である大蛇を表す『ウワバミ』の語に含まれる『バミ』もまた『ヘビ/ヘミ』の転訛であると考えられる。『ウワ(上)』はマ(真)カミの真と同じく、忌み名としての尊敬接頭語であろう。

 宮古島の北にある池間島には、若返りの水についての昔話が伝えられている。欠けて新月となり姿を消し、再び満ちて姿を現すことを繰り返す月。脱皮して不老不死を保つ(かのように信じられていた)蛇。若水とは、神話では月や蛇と結び付けられて語られる、不老不死象徴である。月と水が結び付けられるのは、潮の干満との連想であろうか。

 太古の昔、人間はスデ水(若返りの水)を浴びて脱皮することで、不老不死を保っていた。ある時、天の太陽神が、セッカ(ヒタキ科の鳥類)に命じて、スデ水を月から地上へと運ばせていた。ところが、途中で『アウナズ(虹)』が、スデ水を奪って捨ててしまった(あるいは、スデ水を横取りして使い、脱皮するようになった)。このため、太陽神月神の怒りを買ったアウナズは、それ以来、太陽の反対側に出るようになったという。

 若水物語に登場する『アウナズ』という語は、琉球諸島地域におけるアオヘビ類を指して言う『アウナジ/オーノジ』系統の語と明らかに同じものである。他に、八重山群島竹富島でも『オーナーヂィ』と言うとされる。つまり『天の虹』と『地上の蛇』を、同じ名前で呼んでいたのである

 少し変わったものでは、小浜島では虹を『チネー・ミマンチィ』と呼んでいたというが、これは『ティン・ヌ・ミミジィ(天の蚯蚓[ミミズ])』の意であるという。細長くてクネクネした動物を昔の人々は一纏めに捉えていたという話を、今一度、思い出してもらいたい。

 新城島では、虹を『アミ・ファイ・ムヌ(雨を食うモノ)』と呼ぶ。雨が降りそうで本格的には降らない俄か雨で終わる状況を「虹が雨を食った」と言うからだそうである与那国島には『アミ・ヌミャー(雨を飲むモノ)』という呼び名もある。

 虹が喉の渇きを潤すために雨や地上の水を飲みに現れる、或いは、虹が喉の渇きを潤すために雨を呼び起こすという信仰もまた、広く見られるものである

 長野県では、龍が天から水を飲みに降りてきた姿が虹とされ、また、同県更科では「虹は『ジャ(蛇)』の吹く気である」と信じられていた。山梨県西部でも「『ノジ』は蛇の息」とされた。秋田県平鹿では「『ノギ』は吹いた」と表現した。大分県でも、虹が出ると「『ジャ(蛇)』が吹いた」と言われていた。水神としての蛇神が棲むとされた湖沼から天の蛇としての虹が出現して、雨を呼び起こすという話も広く分布していることが認められる。このことからネフスキー湖沼支配神を指す『主(ヌシ)』も『ニジ』と同一起源ではないかと考えたようであるが、それは流石に後代の研究から否定されたようであるしかし、湖沼の主といえば大抵は龍蛇なので、語源論としてはともかく、ヌシと虹を結びつけるネフスキー見方は意外に悪くないと思える。

 ネフスキーと同じ頃の時代宮良当壮という研究者は、虹とヘビ類の方言呼称分析して「『ニジ』はヘビを意味する語から分化した」ということを立証しようと試みた。ニジの呼び名には『ノジ/ネジ/ヌジ/ヌギetc.』がある。既に上でも紹介したが、琉球諸島地域におけるアオヘビ類の呼び名が「アヲ+(語根)」の形をとっており、その語根部分の変化が『ノジ/ナジ/ナギetc.』となっていて、極めて似ている。そこから、宮良は「『ナギ』が『ウナギ(鰻)』を含めた『ヘビ型動物』の総称であり、そこから『ニジ/ヌギ』などの語が派生分化していった」と考えたのである。細長いクネクネした動物を一纏めに捉えていたという話を、再度、思い出していただけたであろうか。

 この宮良説の傍証としては、例えば秋田県ではアオダイショウのことを『アヲノジ/アヲノズ』と呼び、『ノジ/ノズ』は同地域における虹の呼称共通しているなどといった事例が幾つも見られるので、宮良説はあり得ると個人的には思っている。大蛇を指す『オロチ』という語も、尊敬の『接頭語オ(御)+ロチ(ノジ系統語の転訛)』と考えられる。

 とはいえ現代人の感覚から見れば、特に生物学動物分類学知識を通じて見れば、ヘビとウナギ同類視するという考え方は、なかなか受け入れ難いものと思われるかもしれない。しかし、以下の話を読まれたならば、どうだろうか。

 昔の日本人は、雷神に対して信仰を抱いていた。特に農民は、落雷に対する特別信仰を抱いていた。例えば、岐阜県美濃地方では、稲田落雷があれば、その場所注連縄を張って神聖視・聖別した。何故このように稲田への落雷特別視したのか。それは『稲妻(イナヅマ)』という単語に端的に表されている。イナヅマとは「稲の配偶者」であり、昔の日本農民たちは、雷神を「稲田神を孕ませる夫(ツマ)」と見做したのである。これは、落雷のジグザグ線が蛇神の顕現と見做されたこと、そして、蛇体が男性器の象徴と考えられていたこととも関係しているのであろう。落雷は豊作の予兆であった。

 東北地方には、落雷のあった稲田神聖視する風習存在した。例えば、岩手県では、落雷のあった稲田を「お田の神の田」と呼んだり、女性家畜を入れないようにしたり、雷神と刻んだ石を建てて祀るなどした。

 この岩手県をはじめ、東北地方には「ウンナン田」と称する水田の事例が見られ、これは「落雷のあった水田」であり、しかも「鰻(ウナギ)の姿が見られる水田」のことであるとされる。ウナギが住める水田は、水温が比較的高く、良い水田だと考えたからともされる。落雷後の水田ウナギを目撃したことで、農民たちは「雷神水田に棲み着いて、良い水田に変化した」と考えたのであろう。しかし、それだけではあるまい。

 今では、落雷が豊作の予兆であるという考え方は、単なる非科学的な迷信ではなく、それなりの自然科学的な根拠があったと知られている。農作物の稲だけに限らず、植物の生長には、窒素肥料成分が不可欠である大気中には気体の窒素が大量に存在するものの、それらは化学的に安定な窒素分子状態存在しているため、そのままで植物栄養素として利用できない。ハーバーボッシュ法による大気中の窒素を人工的に固定する方法確立し、窒素肥料大量生産が実現するまでは、大気中の気体窒素を、植物栄養素として利用できる窒素化合物の形に化学変化させることができたのは、マメ科植物の根に共生している根粒菌を除けば、雷による空中放電だけであった。おそらく、落雷が起きた水田の周辺では、雷の電気により生じた窒素酸化物の影響で、稲の発育が良かったのだと想像される。それを見た農民たちが、経験知として「落雷=豊作の徴」と語り伝えたものが、ウンナン田なのであろう。

 最後になるが、もしも『ナギ系統の語がヘビ型動物を指すという説が真実であるとすれば、そこからどうしても思い浮かべてしまうのが、インドから東南アジア地域に広く分布する蛇神『ナーガNaga』の存在である果たして、ヘビの古い呼称の一つである『ナガムシ(長い蟲)』の『ナガ』は『ナーガ』と関係があるのか。水の中にいる長くクネクネしたヘビのような身体をした動物ウナギは、もしかしたら『オ(御)+ナーガからその名が付けられたのか。

 妄想は尽きない。

【参考文献】小島瓔禮・編著『蛇の宇宙誌』(東京美術)

 今回の内容は、この本の受け売りである。とても面白い名著なので、是非、図書館などで一読することをおすすめしておく。

栗花落カナヲと蛇の話⇒anond:20221108215545

2022-10-18

ふたばのimgでそうだねが自演できるらしいのでやってみたら虚しすぎた件

日本語で → とある匿名掲示板本来は1人1回しか押せない「いいね」を何度でも押せる裏技があるので、試しにそれを使ってセルフいいね」連打でレスバをコントロールしてみたけど虚しくなった話

「img」っていうのは「ふたばちゃんねる」という2chの劣化コピーみたいな掲示板にある2大板のちょっと過疎ってる方。

2chで言うと「ニュー速」と「VIP」のVIPの方、もうちょい踏み込んでいいなら「嫌儲」と「なんJ」のJの方。

フェイスブック」と「ツイッター」だと「ツイッター」に近い方って言い方のが伝わりやすいのかな。

「そうだね」っていうのはレスごとに入れられる「いいねボタンで、ようははてなスターみたいなもん。

これは本来回線につき1回しか入れられないので、これの数が本来ならそのまま「わざわざいいねを押すほど賛同した人の数」になる。

でも裏技があって、スマホガラケー機内モードとかを使って回線を一度切って切り替えるとまた押せるようになるので1人で何回でも押すことが可能(実質の上限はあるんだろうけどわざわざやらないと思う)。

大体1回押すのに5秒ぐらいかかるとしても1分でそうだね×10まで増やせる。

imgのスレの流れは実況でもないなら1分に10レスが良い所なので1分でそうだね×10伸ばすのはスピード的には早すぎるぐらい。

この裏技を使えばそうだねを増やすだけなら完全にコントロール可能になる。

掲示板人間は流されやすいので、喧嘩してる意見が2つあって片方がそうだね×3でもう一方がそうだね×10だったら、よっぽど違和感がない限りはそうだね×10を信じる。

流石にコレは自演してるでしょってレスが飛んできても「うに(意味:ということにしたい 語源:ということにしたい→うにといいことしたい→うに)」か「アルミホイル巻かなきゃ……(怪電波アルミホイルを巻くと防げるという迷信から)」ってレスして、そっちにもそうだね×5ぐらい入れておけば封殺できる。

そうだね自演しまくると不思議なことに段々こっちの勝ち馬に乗りたい人や、逆に負けている側を徹底的に虚仮にしたい人がこっちに有利なレスをどんどんしてくれる。

そしたらそこにもいい感じにそうだねをばら撒いておくとあとはいつの間にか最初喧嘩してた相手が「狂って噛みついてきたイカれた狂犬」みたいな扱いになる。

そして最後には「ID」っていうのが出る。

ふたばちゃんねるはデフォルトの設定では誰が書き込んだかわかないようになっているんだけど、「del」っていう「コイツ荒らしですよ」的なボタンが押されまくるとその回線限定IDが表示されるようになる。

すると2chみたいにその人の書き込みがどれなのかがID:〇〇(n/N)でズラーって出るようになる。

そうすると周りの人間ウンコつついて遊ぶ感覚で「N回も顔真っ赤で同じスレに書き込んでるんだ……」って煽り始める。

こんなのはただのネットリンチで何の価値もない行為なんだけど、この状況に相手を追い込むことでドーパミンがバシバシ出る人種がいるらしい。

んでまあ自分も今回上手くいってバシバシ出たんだが……まあそれ以上に虚しさが勝ったわ……。

レスバってのは論理的思考力と場のコントロール能力を競い合う決闘のようなものであって、そこにこんなチートを持ち出して勝っても何も面白くない。

でも、今回自分でやってみると今まで感じていた「いやこれは流石に自演では?」ってのがやっぱり半分ぐらいは自演だったんじゃないかと改めて感じ取れた。

多少不自然でも良いからそうだねを自演で入れまくると面白いようにスレの流れはコントロール出来たし、それは全く難しくなかったからだ。

はっきり言ってPC携帯の2回線使って2chで成りすましをして相手側を貶めようとしたときよりずっと簡単だった。

よっぽどの暴論でもない限りは一度そうだねの数で有利な流れを作れば、あとは勝手勝ち馬に乗りたい連中、というよりも屍肉にたかりたい連中が動き出してくれる。

あの掲示板には誰かにIDを出したくて仕方ない妖怪ウヨウヨいて、奴らは常に誰でもいいかIDを出せるチャンスがないかと睨みを効かせているんだ。

こっちはピラニアの池に切り傷を負った人間を突き落とすように、ソイツらの目の前に格好の餌を提供してやるだけであとは勝手に流れが生まれていく。

そうして流れが生まれると「IDが出そうな奴の味方をして自分ID出されたくない」と恐れた人たちが離れていったり、こっちに有利なレスだけをしてくれる。

インターネットという場所はやはり議論には向いてないんだ。

こんなに簡単コントロールできるし、それに必要なのはほんの僅かな「ズルをしてでも流れを作ってやる」という穢れた情熱だけでいい。

本当に悲しくなった。

なんで俺は今までこんな場所でマジメに議論なんてしようとしていたんだ。

吹っ切れた奴が争うと思えばいくらでも仮初の勝利でっち上げられる地獄のような場所じゃないか……。

こんな所で自分の正しさを証明しようとするのも、相手の過ちを指摘するのも、そもそも正しい答えを探して意見を交え合うことさえ無意味だろ……。

2022-10-17

人口ピラミッドを見ると1966年まれだけ明らかに窪んでる。

ひのえうま年というらしく、その年に生まれた女は性格が悪いみたいな迷信が(主に女性週刊誌とかで)流布したそうだ。

それで産み控えが発生したと。

ちなみに現在1966年より全然出生率低いけどね。

やっぱし迷信より不景気のほうが怖いね

2022-10-14

anond:20221014164020

生煮え豆腐は腹壊すという迷信 にも、その迷信が生まれるような経験があったはずなんだよ。

新鮮な冷ややっこを生煮えで食べる分には問題ないけど、

おそらく、何らかの事情で、痛んだ冷ややっこを生煮えで食べて、食中毒を起こしたとかさ、

はいまほど、冷蔵設備も発達していなかったし、煮る前からすでに雑菌が繁殖していたら、

しっかり煮てやらないとおなか壊すでしょ。

anond:20221014164020

下手したら教会員以下の中世脳だろ

原理研教科書?は内容自体は首尾一貫してるというから矛盾のない理論に引き付けられる人間は信じてしまうかもしれない

支離滅裂迷信を信じるなんてそれ以下だ

生煮え豆腐は腹壊すという迷信を信じる=統一教会信仰

レベルだぞ

冷ややっこと生煮え豆腐じゃ物性同じなのになんで冷ややっこを温かい鍋に入れた瞬間毒性を持つなんて理屈鵜呑みにできるんだ?

大卒である必要もなく地元進学校行けるレベルの頭ならこの支離滅裂迷信を誤りと気づけるもんだと思うんだけどな?

2022-10-01

anond:20221001121315

雑多な迷信を一掃して一つの神への信仰だけにした

「雑多な迷信を一掃して一つの神への迷信だけにした」の間違いでしょ。

そしてその一つの神への迷信分派しまくって新しいカルトをたくさん作ってるじゃない。

そういうすり替えカルトへの入り口だってからない?

エボシ様ってなんでシシガミ殺すのに躊躇なかったの?

ジコ坊も言ってたけど、神殺しとか怖いよね。

そんなもん迷信だとか言えるほど物質的な世界でもないしさ。

呪いやらコダマやらデイダラボッチやら知ってるなら、絶対なんらかの副作用あると思うじゃん。

でも天皇の力を借りて地侍撃退する為にはそれしか道は無かったのかな。

それでもゴンザを代役にしなかったのは、やっぱ甘いよな指導者として。

anond:20221001104708

キリスト教の功績が何かというとそれ以前の雑多な迷信を一掃して一つの神への信仰だけにしたってことだからなあ。

逆に言えばそのベースがない社会はいくら潰しても次から次へ雑草のようにカルトが湧いてくる土壌があるってことだよね。

実際統一教会も元々キリスト教メジャー本国韓国では完全に異端視されて相手にされてないらしいし。

2022-09-29

anond:20220929152439

そもそも野球試合結果で我が軍がどうのこうの言う事時代迷信だろ。

仮に野球日本代表がアメリカ代表に勝っても実際に日本軍アメリカ軍戦争したら余裕で負けるだろ

2022-09-28

「人は死ねば神になる」とかいう野蛮な迷信は改めて害悪だなと思った

死人が神格化されてて誰が得をするのかといえばいつの世も権力者に他ならない。

2022-09-24

ボールペン字講座はルッキズム助長している

昨今議論が激しいがルッキズムというのは何も「人」にだけ適用できるものではないハズだ。

「見た目だけではなく中身を見るべき」という点では「字」にも適用できるだろう。

例えばよく「字が綺麗だと賢く見える」とか、逆に「滅茶苦茶汚いと天才肌っぽい」とかい迷信があるが、こういうのは文章の内容を見ずに外見だけで印象を決めているためルッキズムのものと言えよう。

よって「字は綺麗な方がいいですよね」という前提で成り立っている「ボールペン字講座」や「書道」はルッキズム助長させていると言っても過言ではない。

我々は「字」そのものではなくその「意味」を「読む」べきなのだ

見た目で偏見を持っては断じてならない。

2022-09-20

造物主の掟(1983 )P50

 コンロンはため息をつき、座ったまましばらく頬杖をついて机を見下ろしていた。これから何もかもどうなっていくのだろうかと彼は考えた

ーー石油会社鉱床探しに雇われた大勢振り子占い師たち、遅まきながらということで大学に設けられた「超常現象学位、かつては立派な科学出版物だったものに現れはじめた変人もの論文、もうすぐピラミッドから無限の「宇宙エネルギー」が得られるようになることを確信して核融合研究費の削減を要求する政治家ーー

折も折、合衆国日本から最新型のトカマク反応炉を輸入しなくてはならなくなっている。

 優秀な技師や技手を見つけることはほとんど不可能になってしまった。科学工学技術などの専門職

ーー事実上努力と忍耐と勤勉さを要求されるようなものは何でもーー

は、どうやら若い世代にとっては野暮くさく、とろいやつのすることと考えられはじめているようだ。

それに訓練を受け、経験を身に付けた若者は、すぐにもっとやり甲斐のある方面へ転進をはかり、より有利で挑戦の機会がある海外へ出ていこうとする。

日本中国インドアフリカといったそうした地域に住む人々は、現実と顔をつきあわせてきた長い歴史のおかげで、どういう意味しろ自己発見」の概念だとか「神秘的な至福の探求」といったものに惑わされずにすんだ。

そして二十一世紀に遭遇したとき、彼らは何も解決してくれない魔法迷信への信仰をすばやく放棄し、今やその地に進歩工業化した高度技術文明の礎を築くべく、営々と立ち働いているのだった。

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