はてなキーワード: 社会福祉とは
俺たちは何かと理由付けて、ベーシックインカムを否定するけど、たった一つの『わたしは、ダニエル・ブレイク』という映画を見せるだけでそれらを論破出来るんだよな
現行の複雑化した社会保障を理解するのは難しいし、高齢だったりすると申請そのものが高いハードルになってる
役所は親切じゃないし、サポートしてくれる人も圧倒的に足りてない、場合によっては非合理な活動を強制されてますよって映画な
この思考実験を突き付けるだけで、ベーシックインカム否定論者は黙るしかない
すべての人が等しく自分を救済出来る権利として必要最低限の金銭を給付されるのは、申請式で権利すら得られない社会福祉よりもずっと倫理的なんだよな
かの新興教会は、収入の1割をお布施することを推奨してるけど、これって安いものなんだよ
当たり前だけど、弱者って虐げられてるから“普通に”生きてくことが出来ない
普通じゃないから、友達もいないし恋人もいないし希望も持てないわけ
そういう居場所が無く孤立してる人たちに対して、友人を作り恋人や結婚相手を見つけて貰い、教義によって何が良い事なのかを教えて“普通に”生きていく機会を与えるのが宗教なんだよ
虐げられた人たちがたった1割の収入で、“普通に”生きていけるのなら喜んで支払う
本来、国の宗教を持たないなら、こういった人をきっちり救い上げる福祉が必要だけど、それをやってないんだから、宗教を福祉として活用する弱者は後を絶たないよねって話
言ってる意味分かる?
白杖の人がとあるお店の前でウロウロしていたから、入り口がわからないんだろうなと思った。
「こんちには。お困りですか?」
って声をかけて、やっぱり店に入りたいってことだったので誘導した。
で、何かすげー申し訳なさそうにお礼を何度も言われた。
ただ外出して店に行ってちょっと手伝ってもらっただけで、そうなってしまうのって日々大変なんだろうな、と思った。
というか、日本の、なんというか、世間様の目が神より怖いみたいな文化って生きづらいなって思ってモヤモヤした。
もうちょっと軽いノリにならんかね。若者たちの文化は変わってきていたりするんだろうか。
「この場所がわかんないんだよね」
「それは、ここだぜじいさん」
「おお、そうか。助かったよ。ありがとな。」
くらいの感じで良いと思うだよ。
俺だって自分が困ってたら誰かに助けてほしいから、誰かが困ってたら助けるだけで別に善行じゃないのよ。
過剰な敬語がいけない気がするのよね。関西人の方がフランクなのって、「〜しはる」で全部行けるからじゃねーかなって思っているんだけど、どうなんだろ。
標準語をそっちに寄せたらいいのに。
当方、夜の店大好きおじさんだ
いろんな疾病を抱えてる夜の子達に接してきた
遊ぶのもそっちのけでいろいろ聞いたのだが、社会身分不安定で将来も見えず、障害を受け入れられず、デリで本強に耐えるという身の上話であった
上に書いた友人も双極性2型だ
彼は発症から15年でようやく受け入れて、就労見直しと人生立て直しをしている
話を聞いていてこちらも胸にくる状況であった
2年以内には無職になるか社会制度の隙間に潜り込むかぐらいしか昼職ルートは難しい
そして、夜の仕事とはしばらく縁を切れないだろう
本強を受け入れているのでいろんなリスクもある
そして、脳機能の低下による判断の低下もあり、別の問題も起きそうだ
こんな状況でも、友人との縁を維持して、家族にもうわべは取り繕いつつ、本人が望む社会生活が成り立つのは夜の仕事を体調に合わせて行えるからだ
反対はしない
だが、モヤモヤする
何故、女性だけなのか?家族からも疎まれ友人とも関われず社会から孤立した男性は支援しなくていいのか?
本人が疾病と向き合える状況になく社会福祉への道が遠く、まともな就労も出来ない男性の生活はアレで良いのか?
決して陽を当てろという話ではない
AVを含めて社会的には当座を凌ぐ機能の側面があるのにそこまで否定する事なのか?
夜産業の従事者全般の行き場の無さや生活の酷さも含めて女性支援だけをするのか?
目の前の苦難に満ちた女性を前に愚息も動かず、ニコニコと話を聞きつつ、この子にとっての良い道は誰にもわからんなと思った
そこまで思った所で愚息は復活をし、気を許した目の前の人にそっと挿入し、やっぱり生だよなって思った
まあ実際、高校に通えなかった子が、大学もなんとか通信制で卒業できたとして、それでどうなるかって話だよな
一般論として、高卒よりは大卒のほうが給与が良いのはそうだけど、それは普通な就職をした場合なわけで
問題を抱えた子に大卒資格をつけても、あまり解決というか、社会福祉にはならんよなぁ
もちろん、俺たちは社会福祉をしてるのではなく、別け隔てのない学びの場を与えているんだ!
異常性欲を「そんな異常なこと止めろ」と脳死で押さえつけるのは、結果的に押さえつけたモノが溜まって爆発する結果を誘発する事に繋がるのではないか。
それを防ぐために、異常性欲という障害を持った人達に対する福祉事業として、何らかの形で彼らの欲求を満たしてやる必要があるのでは無いか?
完全に欲求が待たせるわけではなくてもガス抜きにはなる別の手段を探すことが必要ではないのか?と思う。
じゃあどうすれば、というのはそういう欲求がない俺には考えが及ばない所なんだが。
私はそこそこ年かさのパパで、就学前の子供一人と社会人としても家庭人としても優秀な妻の3人で暮らしている。
子供を持つ喜びがネットであまり共有されていないのがもどかしい。
子育てについて、よく把握しないまま否定しているような意見まで見るようになり、残念な気分になった。
そこで我が子を育てる中で感じている喜びを紹介したいと思う。
うちの子は、保育園のお迎えや、仕事からの帰宅でパパが来たのを知ると全力の笑顔とダッシュでつっこんでくる。
承認欲求と言うとなんだか下品な感じがするけれど、この誇らしい気分は悪くない。
結婚も家族が増えるという点では同じだが、また違う良さがある。
うまく伝えるのは難しいのだけれど…たとえば照明に例えよう。
結婚後、妻を見ると蛍光灯が灯るように、一拍おいて心が明るくなった。こんな体験は今までなかったので、結婚はすごい…家にいるだけで毎日新鮮で、修学旅行みたいだな…と思ったものだ。
ところが、子供が生まれたあとの喜びは、もう自分が経験したことのないほどの強烈な喜びを感じる。
子供を見ると、瞬時に天井いっぱいのLED照明が点灯され、多幸感が落ちてくるイメージだ。
そんなに愛おしい子供が、一人でできることが増えたり、同い年の子が苦手にするような野菜をパクパク食べたりしたら、どれだけ誇らしい、幸せな気分になれるか!
生理的な影響もあると思う。
子供を腕に抱きながら寝ると、寝覚めのときに、満たされた気持ちで起床することになる。
おそらくオキシトシンか何かがドバっと分泌されているのではないか。個人の感想だけど。
子育てをしていると親のネットワークができ、連絡先を交換することになる。
私の妻は素晴らしいママ友ネットワークを築いている。彼女には感心させられることが多いのだが、結婚後最もすごいと感じたのは、このママ友ネットワーク構築の実績だ。子供が生まれる前は近所付き合いなんて皆無だったのに!
妻の1/10も真似できていないが、コミュ障、陰キャの私でもご近所と多少は知り合えた。子供と、模範をみせてくれた妻のおかげだ。
私は妻と子のおかげで、今の街に根を下ろすことができたと思う。
我が子が知識や道徳を習得していくプロセスに寄り添うことで、人という生き物への理解が深まった気がする。
仕事でもプライベートでも、他者に対する感じ方がかなり変わった。
それから、フィクションで人が死ぬのを見ると、苦しくなるようになった。人の命の大切さを知ったと言えるかもしれない。
だが、消費する喜びや趣味を生きがいに生きていく、という人には、オタクで趣味に没頭して生きてきた私から言わせると、ちょっと待ってほしい、という感じだ。
個人的な感想になってしまうが、買い物ならば、子供のための買い物のほうがより楽しい。
おもちゃを手にとって、うれしいな、うれしいなと感激している子を見る満足感。このおもちゃを通して、何か新しいものを学んでいくという期待感。
子供が初見のものに感動するたびに、愛おしくて抱きしめたくなる。
子供がプラレール沼、レゴ沼、ロボットアニメ沼に落ちるたびに、親である私も一緒になって楽しんでいる。
人生の酸いも甘いも噛み分けたはずのジジババが、親が反対しても際限なくオモチャを買い与えようとするのは何故か?
まず、こんなに楽しい自分の子育てのために、公費でタダ同然の保育所、無償の医療が提供されるのはすごいことだ。
そして今の保育の充実ぶりは、質・量共にすばらしい。
保育所に入れないという話も聞かなくなった。昔は本当にひどかったようだが・・・
近隣の認可保育所は活動も食事も自宅育児では全く実現できないほどクオリティが高い。
私は日本での子育てがそこまでハードだとは思わない。成人してからの失業も少なく、子供が犯罪にかかわるリスクも低い。
金銭の問題はつきまとうが、行政も遊んでいるわけではないので、基本的になんとかなるように設計されている。
子育ての喜びを知らないまま年齢を重ねるのは機会損失につながる。
若い人にはライフプランについてよく考え、勇気を持って人生の方向を選んでほしい。
親子というのは離れがたい関係なので、障害など、困難な問題が起きてもそこから逃げられないというのはある。
世の中には子供が居るのに家庭をぶっ壊したり、子供に加害する人も居るのは事実。まったく理解できない世界だが、私が感じるようなバラ色の状態だけではないんだな…
長時間残業、長距離通勤、介護などで時間が無い場合は育児の困難さはかなり上がると思う。
キャリアも犠牲になると思う。我が家は夫婦ともにそこは受け入れているが。
いろんな立ち位置の人がいると思うけど、みなさんありがとうございます。
この界隈で見かけない意見を言語化できて、誰かの役に立てたなら嬉しいな。
説明したいと言いつつ、人によっては表現が伝わりづらかったなと思う。
ごめんなさい。
愛情で繋がっている嬉しさって言葉にしにくいということなのかもしれない。
大事なことを書き忘れた。
世界で一番かわいいママがいて嬉しい、なんでも知ってるパパ大好き、と…俺の息子…天使みたいに笑って…
彼はハッピーボーイなんだよ。そりゃ嬉しい。
いっぱいやってるよ!以上。
家事にからめて妻自慢をさせてもらうと、うちの妻の食事を作るスピードは半端ない。
省力化しつつ爆速で食事を用意する彼女は、キッチンという戦場を駆け抜ける疾風ウォルフだ。
私は高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に余った食材を組み合わせて使い切るタイプ。
とにかく時間
・土日に休めない
子供に張り付き、溜まった家事をすると休日さのほうが疲れる気がする。楽しい時間で体力消耗してるから良いような、良くないような。
我が家は語りかけ育児を信奉していて、家で子供を放置してしまうときは焦る。過保護かな。
・仕事への関心が薄くなる
心を広く持てるようになったような気もするが…
これ以外は人によって違うかな。
パパ友ママ友がみんな素晴らしい人なんだ。不思議。こわ有り難い。
子供は離れていくだろうし、ある意味犬を飼うより賞味期限の短い時間かもね。しらんけど。
>コミュ障、陰キャの私でも多少の知り合いができた。これもバイクのおかげだ。
ここリアルだな。
子供が欲しい。
でも、家族の半分以上が発達障害グレーぽいことがわかり、発達障害の家系である確信があるので諦めている。
グレーなんてただただ生きづらいだけで、社会福祉のフォローも受けづらく、しんどい思いをするだけ。
幸い私は発達障害だけど得意なことと好きなことが合致していたことためかそれなりに給与がもらえる仕事につけた。友達はいないけど旦那はいるし。正直女だったのも幸運だったと思う。
一方で、男兄弟や従兄弟は完全に男性弱者になってしまった。彼らの親が死んだ時にどうなるのだろうと思っている。
そして、彼らを見るたびに私が子供をほしいというのは無責任かなと思ってしまう。旦那も「正直不安」と言われてしまった。たぶん私は子供が持てないだろう。
これが昔の価値観だったら、発達障害グレーぐらいだったら女性として子供を産むことを優先できた気がするんだ。
子供が発達障害でも、社会のレールに沿って生きていれば良いのであれば、親が死んだ後もどうにか生きれるだろうって見切り発車できたと思う。
うちの男性弱者くんたちは【自発的に】選ぶ、継続することが苦手。でも他人にきつく監視指示されていればある程度どうにかできる。
なので、「結婚、子供は当たり前」「仕事して当たり前」「男は〇〇」「女は△△」とかの圧力があればもう少しまともに生きられたのではないかと思ってる。
そんな社会は息苦しいかもしれないけど、社会に馴染めず仕事もできず、自分で配偶者を見つけることも難しい今よりも楽になるのではと。
それかいっそ、遺伝した場合は福祉を受けるレベルの障害になるとかがよかった(よくないけど)。だって親が死んでも行政のフォローを受けやすそうだし。
と、ここまで好き勝手言ったけど、私がそれなりの給与で働けてるのは今の価値観があるからで。
昔なら女に生まれてこんなに自由に生きられてなかったことも理解しているつもり。
もちろんいいとこ取りなんてできないのはわかってる。難しい問題だなと思う。
JRAの売り上げは3兆円を超えている。
その1割が納税されるので、年間3000億円の納税が確定している産業だ。
この1割は国の一般歳入になって、4分の3が畜産振興に、残り4分の1が社会福祉に使われるというのが決まっている。
これは馬券の売り上げのみで、実はそれだけではなくて、特殊法人としてのJRAが色々事業をやっている。
キャラクターグッズを売ったり、あるいは競馬場で物販があったり、グリーンチャンネルという放送をやっていたり、色々ある事業収入も年度末の3月末に改めて企業体として決算をすると、その利益の2分の1もまた政府に入る仕組みになっている。
また地方公共団体が運営しているNRAという公営競馬も全国にある。
その一つである川崎競馬では、コロナ禍で川崎競馬組合から県や川崎市への収益分配金は60億を超えた。
それ以外にも北海道を筆頭に全国の牧場やトレーニングセンターで働く人たちの雇用と産業になっている。
外国人の騎手は日本の競馬が世界一安全で文化的にも尊敬されていることを知っていて、こぞって日本の騎手免許を取ろうとしている。