はてなキーワード: 矯正とは
http://anond.hatelabo.jp/20130814112912
ある誰かと当たり障りのない会話とするときに使う
どうでもいいことなはずなのに、
たまにそこにとても価値を見いだしている人がいるから面倒くさい。
記事に出てくるボサ眼鏡くん(仮)は、ボサ眼鏡くんが気持ち悪いからであって、
AVをよく見ている人が気持ち悪いのと少し違う気がする。
文脈を追うと、
ボサ眼鏡くんの
・性格が気持ち悪い。
・特に、「暇さえあればクラスの女の子をSかMかで分別しているような」ところが気持ち悪い
・それを「口にも出しちゃう」ところが気持ち悪い。
・SかMかを断定してしまうところが気持ち悪い。
・「世の中の女は、大体おれみたいなSが少し調教すれば全員Mになる」という断定を受けて「ああ、こいつはダメな人だな」と感じた。
・以上を受けて、「ああ、こいつはダメな人だな」と思い、重ねて「未だに上記の男だけは地上から消え去ってくれないかなと思」った。
閑話休題。
AV脳。
AVで起こっていることと、
AVの外で起こっていることを混同している脳のこと?
こんな人が現実と折り合いをつけて生きていけることが信じられない。
日常生活を送っていて、障害が多すぎると思う。
ましてや、元増田さんと同じ歳くらいになれば、
嫌なやつは確かにいい圧力にはなるけど、それへの反発心は往々にして自分の本来の願望とは違っている気がするよ。
プレッシャーに抵抗するために一生懸命勉強して医者になって、見返せたとしても
その人が本当にやりたかったのは漫画を書くことだったかもしれない。
でも手っ取り早く見返す方法に目を奪われて安牌へそのエネルギーが向かってしまう、みたいな。
本当に大事なのは自分の欲のほうで、嫌なやつの圧力はその欲を一般社会に適応させるよう矯正してしまう。
上手く欲のエネルギーを自分でコントロールできるようにするのはやっぱり嫌なやつじゃなくて楽しいと思わせてくれる奴だと思うよ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/KoshianX/20130810/1376173877
優生学の話なんてしてないのに勝手に優生学持ち出してきて被害者面MAX感でブコメ&スターしてる奴らが多くて草不可避
結婚どころか恋人すら作れない高学歴の連中は、とりあえず気にくわないことは極論で潰すって条件反射から矯正した方が良いんじゃないですかね。
近視について調べた元の増田だけど
俺は分別のあるロリコンだ
http://anond.hatelabo.jp/20130727185937
嘲笑されるべき話としか思えないw
まず本当に分別があるならロリコンにはならないということ。
ロリコンでいられるのは自信の性加害への無自覚があるということ。
この3つを自覚してないので、バカ丸出しといえる (意図的にバカなロリコンを演じているなら上出来)
これは当然。しかし、漫画でも考えていいこと、悪いことがある。これを表現の自由(ドヤァ)で正当化するのは、はっきり言って異常。
「こういう人間からフィクションを奪うな」と自分を卑下した表現をしているので、自分が異常(=性加害者)だと多少は自覚しているのだろうが、では何故矯正しないのか、不思議に思いますね。
時折ロリコンが自分は先天的にロリコンだったと、矯正しない理由として自己正当化をするケースがあるが、これもセクシャリティへの不勉強を発露している。
性嗜好と性指向は全く別だし、科学的に証明されてる。もうひとつ言えば、ロリコンが自身の嗜好を性指向として扱うのはマトモなセクマイへの差別でもある。
これは例えば自分はヘイトスピーチをしたり、それがなければ生きていけない、なのでヘイトスピーチをさせてくれ、といってると変わらない。
ロリコン漫画(LO)とかは女性への差別だし、子供を持つ親への差別でもある。その自分の差別性に対して無自覚でいいのか?ということ。
ロリコン漫画について恐怖を感じる人間は沢山いる。子供を持つ親なら当然だし、女性でも当然。男性だって意識の高い人間なら恐怖を感じるのではないか。
その不安感に対して「俺は大丈夫だ」「自分は分別のある」の宣言をするだけで、誠実な態度を取ってるといえるのだろうか。
純な恋愛を経験していたり、他者に対する共感性があれば、性的搾取表現には嫌悪感を感じるものである。ロリコンは性的搾取以外の何物でもない。
ロリコンの抱く性的欲望は、その背後にある人として、人を理解する、愛する気持ちが欠如してる部分に恐怖を与える。
そのような人間が、大手を振ってロリコン漫画をネット上にばらまいて、ロリコンサイコー!とか言ってエロ漫画を楽しんでいる。
自身の暗い欲望に対する自省の態度があってしかるべきじゃないか。
表では自分は分別がある(キリッ)、裏ではロリコン漫画で表現される性暴力をニヤニヤ楽しみ、俺はロリコンだ!!(ドヤッ)では社会から排除されるのは当然だと思う。
ロリコンの社会公益に対する態度は単なる口裏合わせ、ポーズにすぎないことは、社会が見抜いている・・・
自省の態度が見られないから、上から締め付けられる。(ロリコンは直ぐに規制厨だ!と喚くから明記しとくが、私は表現規制推進派ではない。単に事実を指摘しているだけ)
ロリコンは証人台に立って「私の書いた表現はこれこれこういう理由で公共性に対して寄与するものです。女性や子供、子供を持つ親に対する表現による性的加害を正当化する十分な理由があります」と社会に対して発言できるのだろうか?
本当に規制されたくない、ロリコンとして社会に認められたいならやってみれば良いと思いますよ。
単に規制されたくない。恐怖を感じている側の人間はどうでもいい。性加害?そんなものはどうでもいい。エロを守れ!!
女性や子供、子供を持つ親より、自身の好きな漫画が大切・・・正直、ふざけるなと言いたい。
他者の尊厳を尊重する態度をもう少し見せて欲しいと思う。
何故ロリコンは、そのような誠実な態度を取らないのか。
だから彼らは問題なんだよ。
間違った行為は指摘しないと訂正されないよ。
ただ、本人たちは、まず、人を否定する前に自分はどうなんだ、とちゃんと考えないと。
彼らがそういう行為をされてどう思うかを表明することには意義がある。
別に表明することはいいけど、それは親なら出来る範囲では受け止めてきたはずだ。
そして言ってることなんて痛いほど分かってる。
そういった時に、例えば親に追い出されたとして、
そうやって人を見下して、自分は何もやらないのに、お前らが悪いからこうなったんだ、って態度を貫くなら、
他へ行っても絶対上手く行かない、ってこと。
だれも引きこもりをバカにしても居なければ肯定もしてないだろ。
それは俺だって気持ち悪いわ。
バカにしてる、っていうのは、親など手を差し伸べてくれた人達に対し、
現にトラバの中でも親が悪い、そうやって周りがわるい、って文句言ってるやつが居るだろう。
そういう態度になる気持ちはわかるが、それが一番治さないとどうしようも無い部分だ、ってこと。
抑制しなくてもいいけど、単に自分に手を差し伸べてきた人間に対し、少しでも気に喰わないことがあったら
そこは、はっきり言って無理矢理にでも矯正しなきゃどうしようもない所。
もちろん、そういった状況を物凄く上手くカウンセリングしてくる人も日本には居るかもしれない。
ただ、そんな人に当たる可能性なんて万に1つもない。
そうしたら、多少強引にでも矯正しないと本人が親の死後に露頭に迷うだけ。
はじめに、桜宮高校による過度の体罰によって亡くなられた方には、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
また、トラウマとなるような体罰を受けたことのある方々にも、深くお詫び申し上げます。
その中で、「何を言っても本当に言うことをきかない生徒」を何人か目にしました。
こう言うと、「言ってもきかないのは、教師の力量不足だ」と言われそうですね。
その通りです。異論はありません。多くの教師は、間違いなく力量不足です。
よく言われる、「社会に出たことも無いのに”先生”ぶってる」のが大半の教師ですから。
そもそも、1対40という圧倒的数的不利状況、多数の事務作業、、、この先は本意では無いので、止めておきます。
どうしても変な方向に生える歯があるから、正しい方向に矯正する。
どうしても言うことをきかない生徒がいるから、正しい方向に矯正する。
でも、正しいって何でしょう。誰にとって、正しいのか。
ところで、日本社会の新卒信仰に対する異常さは、様々なところで耳にします。
それについての是非は今は置いておきますが、そこには「新人の矯正」という観点が見え隠れしているように思います。
日本人は、どうやら規格通りの、正しい製品を作るのにかけては、ほぼ世界一のようです。
ただ、それが得意すぎて、どうやら人間に対しても―学生であれ、新入社員であれ―規格にはめようとする傾向がありそうです。
日本人の、人間に対する考え方―教育方針―が「そのまま」である限りは、正しく矯正するために、体罰は必要でしょう。
規格に収まってもらわないと、困ることがあるからです。あなたが歯や骨盤にするように。
日本人が、もう少し多様性を認められるようになれば良いな、と思います。
もちろん、他人に過度の迷惑や危害を加えるのは論外です。
また、「自由」と「放縦」は違います。これについては、多くを書かなくても大丈夫でしょう。
多様性を認めるとは、「ありのままを認めること」だと思います。
そう言うと、「子供が努力しなくなる」という声も聞こえてきそうです。
僕は学生時代は、勉強(特に英語と化学)は得意な方で、大して自慢にはなりませんが、その2つは偏差値が70を切ったことはありません。
それだけの勉強も、毎日のようにしていました。でも、それを努力だなんて思ったことはありません。むしろ楽しかったです。
薔薇に向かって、「おいコラ、お前も紫陽花みたいな綺麗な青色を咲かせられるよう努力しろよ」という人がいるでしょうか。
もしいたとしたら、薔薇にとってはとんでもない苦痛でしょう。それこそ遺伝子操作をしてもらうしか無いわけです。
「おい、お前も立派な赤色を咲かせられるよう、頑張れよ」と言えば、本人(本花)は自ら喜んで精進するでしょう。
それが、「自分のまま」だと知っているから。認めてくれて、嬉しいから。
もう少し、もう少しで良いんです。
そして、それを―教育の場でも、会社でも、普段の生活でも―他者に展開する。
そういったことができれば、良いな、と思ったりもします。
ってそう思えるくらいに、同じ状況で、同じことを元彼女は言っていて、同じことを俺は元彼女に言ったよ。
なんか思い出してきたから、元増田と元彼女は違う人だろうけど、元彼女の場合の被害妄想が現実はどうだったか、ってのを伝えてみる。
俺は元彼女と結婚を前提に付き合っていて、元彼女は元増田と同じようになぜか異常に劣等感を抱いていた。
実際の元彼女はといえば、学歴は低学歴と卑下するところではなかったし、ブスや馬鹿と自分では言いながら、実際はすごく美人で、馬鹿ではなく無邪気だった。
俺の友達は口を揃えて「どこでこんな良い彼女を見つけたんだ」と言っていたし、元彼女ほど魅力的な人なんてどこにもいなくて、
この先60年の時間を一緒に過ごしたいと思える相手に出会えて、本当に俺は幸運で絶対に後悔なんてありえないと思えたし、
2人に子供ができたとしたらそれはどれだけ嬉しいことで、どれだけ愛に溢れた家庭になって、子供が母親を責めるなんて想像すらできなかった。
別に俺は高学歴ではないと思うけれど、元彼女から見たらそうだったのかもしれない。確かに職場の人は皆それなりの学歴だったし、女性も優秀な人が多かったよ。
でも職場で優秀なことと、職場を離れた場所でその人に惹かれるかは、まったく別のことだよ。
自分の結婚相手に求めたことは、仕事ができる優秀な女性ではなく、元彼女のような安らぎをくれる人だったんだよ。
そもそも、仕事ができる優秀な女性と、元彼女が立っていたフィールドはまったく違ったんだよ。
何年も前に劣等感を訴えられた。「俺くんといると自分がダメな人間に思えてくる」って。
だから、俺は「俺をすごいと思うんなら、そういう自分がすごいと思える人間に、好かれて付き合っているってことは自信持っていいんだよ」と言った。
同じくらい前に自分のどこが好きかと尋ねられた時に、「仕事を持って自立しているところ」と言ったよ。
「付き合う女性とはパートナーでいたい、だからそういう自己実現のできている女性が好きだ。
でも結婚して専業主婦になると経済的にきついし、世界が狭くなるから、結婚して子供を作っても働いて(自分の世界を持っていて)ほしい」というのが俺の希望だった。
正直なところ、自分としてはここまで深く考えていなかった。
正社員にこだわっていなかったと言えば嘘になるけど、こどもを作ることと正社員でいることを天秤で考えていなかった。
逆にもっと不安を話してくれていたら、俺ももっと違ったように考えられたのかもしれない。
ただ、俺が元彼女を好きだったのは、「仕事を持って自立している」から好きだったわけではなく、
「仕事を持って自立している」かつもろもろ俺の好みだった、から好きだった。
元彼女はそれを唯一の取り柄だと言っていたが、それは俺から見たら数ある元彼女の魅力のひとつにしか過ぎなかった。
『俺の嫁美人なだけでなく正確も可愛いんだぜ。パートしてくれるだけでなく、家事もやってくれて、安らぎを与えてくれる。大当たりだよ、本当に結婚してよかった』
『でもその分二人っきりで過ごせて、時間も経済的にも余裕があるから気楽でいいよ』
元彼女は元増田と同じように将来に怯えていた。ずるずると交際を引き延ばしていた、というのも同じ。
俺にはなぜ元彼女が将来に怯えていたのかわかっていなかったし、ずるずるなんて気持ちは微塵もなく将来の結婚を想定して付き合っていた。
嫉妬深いとは特段感じなかったけど、長所はたくさんあったよ。元彼女が自覚してなくても、俺にとってはね。
愛想を尽かしたわけではなく、俺といない方が元彼女は幸せになれるのかな、と思ってた。元彼女のためを思ったら何も言えなかった。
もっと優秀で結婚に前向きでまともな女と付き合っていれば、相手は今頃子供の一人二人作って幸せな家庭を築いていたのではないかという罪悪感もわずかにある。
まったく理解できなかった。感じるべき罪悪感なんて、被害者と想定される俺からしたってそんなのはどこにもなかった。
そんなことを感じるくらいなら今一緒に過ごしている時間をかけがけのないものだと感じてほしかった。
やはり元彼女も同じように「正社員でなくなったらもう自分には価値がない、捨てられる」と言った。
俺には大げさにしか聞こえなかったが、たぶん元増田のように元彼女は本気で思ってたんだろうと、後になったわかった。
恐らく自分は精神科の医者に見せたら生育環境のトラウマがどうこうで認知の歪みがあれそれで、ナントカ性人格障害で、という診断や分析のもとに矯正を施される案件なのだろう。しかるべき治療を経て健常者に生まれ変わり、結婚をして子供を作るのが本来人間としての正しいあり方なのかもしれない。
元彼女も同じように、ではないが、精神科に通っていたよ。良くなっていったかどうかはなんとも言えないが。
それでもこの異常な自分のまま、一生独りでいることを決めて本当に良かったと思っている。
元増田と元彼女の決定的に違うところは、元彼女は俺より高スペックの男を見つけてそっちに行ったということだ。
多分今頃はとっくにその男とよろしくやっているのだろう。
ここまで書いてみて、我ながら非常に残念な気持ちになった。
やはり元彼女のことは今でも心の底に引っかかっているんだな。
誰かと一緒にいようといまいと、今でもこうして書けるくらいに、忘れられていない。
今思うと、どうしてもっと早く仕事辞めていいよ、って言ってあげられなかったんだろうと思う。
苦労をかけさせたくなくて、苦労をともにしていくって発想がなかった。
きっと元彼女は苦労するとわかっていても、一緒にいたいと思ってくれていたのに。
もっと言えば、当時の俺は給料が少なくて、だからこそ考え方に余裕がなかったと今は言える。それは当時でも自覚していたけど。
給料が増えた今は、当時自覚していた「給料が増えたら考え方も変わるのかな」ってことが現実になって、
相手に経済的なものなんて求めなくなった。むしろ専業主婦で家に帰ったら出迎えてくれるのでもいいとすら思ってる。
それは「もうこれで『あんな女じゃ彼氏(夫/子供)が可哀想』という他人の目線におびえなくても済む」という安堵を得られたことだ。
今も昔も「屑女」「価値がない」「ブス」「ババア」「低学歴」「底辺」「馬鹿」と自分自身を嘲られることは別段辛くなかった。その通りの人間だからだ。劣っていると他人に馬鹿にされても、劣っていない人間になろうと努力しようとすら思わない無能で怠惰な人間だからだ。
だがこの嘲笑が親しい人を哀れまれる形となると自分の心は酷く傷ついた。よくよく考えれば自分を罵ってくる嫌な相手にいくら見下されようと大したダメージはない。しかし好きな相手から同様に自身の無能を失望されるとなると話は別だ。そうした親しい人に軽蔑され、見捨てられてしまうのは考えるだけでもつらいことだった。
「結婚を前提に」と言う名目で異性と付き合っていた頃、劣った己と交際相手のスペックを引き比べて、悪い想像をひどく頻繁にした。
「あんな女じゃ彼氏(旦那さん/子供)が可哀想、別れてあげたらいいのに」と相手の知人が哀れみ、「あんな彼女で可哀想、私ならもっと幸せにしてあげられるのに」と優秀で魅力的な女が彼を誘惑し、「こんな妻と結婚しなきゃ良かった、もっとマシな相手だったら幸せだったのに」と夫が後悔し、「こんな母親から産まれてきたくなかった、もっと良い親から産まれたら幸せになれたのに」と子供が嘆くさまを思い浮かべては絶望的な気分に苛まれた。
自分が相手と並び立つ能力を持った優秀な人間であるか、相手が自分と同等の駄目な男であれば杞憂で片付けられたのだろう。
しかし残念ながら交際相手は名の知れた企業に勤める優秀な人間だった。相手の職場の同僚は同じような高い学歴を持ち、子供が出来れば産休育休をとって当たり前のように職場復帰し、家庭と仕事の二足のわらじを履いて活躍できる優秀な女性ばかりだった。相手の学生時代の友達も、相手のご両親も、みんな自分と違って優秀だった。
何年も前に劣等感を訴えた際、「なら俺みたいに優秀な男と付き合えてる自分の価値に誇りを持ったらいい」と言われた。
同じくらい前に自分のどこが好きかと尋ねた時に「仕事を持って自立しているところ」と言われた。「そういう自己実現のできている女性が好きなので、結婚して子供を作っても働き続けてほしい」というのが相手の希望だった。残念ながら低学歴零細勤務の自分は子を作れば仕事を辞めざるを得ず、正社員への再就職は確実に不可能だった。
子供を作らなければ相手の最低限の希望に添えず、子供を作れば「仕事を持って自立している」という唯一の取り柄が失われる。いずれを選ぶにせよ自分の悪い妄想が現実になることは目に見えていた。
『同期の女はみんな仕事も家事も子育てもきちんとやってるのにお前の嫁はパートか。ハズレの寄生虫引いたな』
『子供も作ってくれない奥さんなんて結婚した意味がないじゃない。旦那さん可哀想』
どちらも能動的に選べず将来に怯えたままずるずると交際を引き延ばした末、結局大きな喧嘩をきっかけに自分から別れを選んだ。相手も嫉妬深さばかり一人前でろくな長所もない糞女に愛想を尽かしていたのか大した諍いも起きなかった。
もっと優秀で結婚に前向きでまともな女と付き合っていれば、相手は今頃子供の一人二人作って幸せな家庭を築いていたのではないかという罪悪感もわずかにある。あえて「わずかに」と書かざるを得ないのは自分の僻みだ。多分今頃はとっくに別の女とよろしくやっているのだろうから。
この30代半ばの高齢で怠け者でみすぼらしい低学歴低収入の無能なブスは、この先望もうが望むまいが死ぬまで独りだろう。
客観的に見ればこれほど惨めで不幸な女もないのかもしれないが、「独りの人間は誰にも見捨てられることはないし裏切られることもない」という気付きを得られたことで、自分は初めて産まれてきて良かった、生きていて幸せだと思えた。
会社が潰れて二度と正社員になれなくても、貯金がどんどん減って生活に困っても、最悪体を壊して倒れたって独りなら何の心配もいらない。どうにか生きて行けるだろう、生きて行けなくてもそれはそれだと今は前向きに考えられる。以前ならば「倒産や重病で今の仕事を失ったら終わりだ、捨てられる、そうなったら死ぬしかない」と本気で思っていたところだ。
恐らく自分は精神科の医者に見せたら生育環境のトラウマがどうこうで認知の歪みがあれそれで、ナントカ性人格障害で、という診断や分析のもとに矯正を施される案件なのだろう。しかるべき治療を経て健常者に生まれ変わり、結婚をして子供を作るのが本来人間としての正しいあり方なのかもしれない。
それでもこの異常な自分のまま、一生独りでいることを決めて本当に良かったと思っている。
彼氏が非モテをこじらせているので、これを読んで少し考えてしまった。
彼の中学高校時代の思い出を話すときの申し訳なさそうな、言いたくないような、それでいて聞いてほしいような口調が、どれだけ彼に禍根を残しているのか察せられる。私自身はモテたわけではなかったが、スクールカースト的な部分ではまったく苦労をしてこなかった。正直、彼の後ろめたさのようなものをまったくわかってあげられないとよく思う。そして増田を読むくらいはネットが好きで、オタクも通っているので、ほんの少しだけ、面倒だなと思ったりもする。
それに例えば結婚して、子供を生んだら、子供にもこの人と同じような苦労をさせるのかなと思うこともある。ただ、今の彼氏のように偉ぶらない人をみたことがないし、尊重してアドバイスを言ってくれる人と生まれて初めて出会った(前の彼氏が、着る服まで矯正するような人だったからかもしれないけど)。もちろん時々喧嘩もするし、結婚したり心の底から彼が救われたら(何からかわからないけど)変ってしまうのかなと思うこともある。だけど、彼が人を頭ごなしに否定しない優しさを持っているのは、学生時代の記憶に起因するんだと思っている。それが少し悲しくて、ありがたく、だけど元増田のようなことを考えているのなら少し寂しい。
「俺がカレーを注文したのに甘いカレーを出しやがったこんなのカレーじゃねえ指導してやる」とか言うのだったらそんなの指導とかしなくていいから店かえたらいいんじゃないかな
それとちゃんと注文した?
辛いカレーが食べたいとか注文した?俺の知ってるカレーが食べたいって持ってる知識を伝えた?
シェフの味覚でいうところの辛いがどんなものか確認して伝えた?シェフは星の王子様カレーでも辛口っておもっちゃう人じゃないって確認してた?
構造工学的に指示だしてないと「シンプルで」とか意味わかんないよね
いろんなサンプル見せたかもしれないけどそれ「俺がおもうシンプルデザイン」だよね
お相手の方の感性だと「あれこの枠シンプルじゃないんすけど」とか思ってない?思ってたら言ってほしい?それシンプルに思えないって性格を矯正したい?
他人の無定形な作品をみて系統を割り出したりマネしたり特徴を捉えたりってもう芸術の粋だから「サンプル見せたらできるだろ」とか意味わかんないよ
カレーに生野菜が入ってたりすると「素材をそのままぶつぎりにしてカレーにいれるのはシェフの仕事じゃないでしょ」とかいっちゃう感じ?
ごめんねカレーの話ばっかりして
とくにシーフードカレー
どんなものをみても「あーこれ新古典主義のドーリア式だわこのスペーシング比率はシンケルっぽいわ」とか的確なデザイン分類ができるディレクターさんなのだったら
やっぱり指導しなくてもいいと思うわ
たぶん「あなたの」センスを理解してくれる人はそんなにたくさん居ないと思うんだな
赤ペンいっぱいいれて返したってのは「人の作品の上に自分の思いをぶっかけた」だけのものだよね
「俺の気に入るものを作れ」っていうならおごりで飲みにでもさそって「自分の気に入る基準」を見つけさせる機会を与えないと無謀だし
「俺の言ってる基準のものをつくれ」って美術論を勉強させるなら職業訓練に行かせる必要もあるだろうし
それ考えたら指導とかしてる暇あったら仕事しなさいよって感じなんだけどな
ディレクターさんって教育担当でデザイナ育成を担う職業じゃなくてプロジェクトを推し進める人じゃないの?
プロジェクトが滞ってるのをデザイナの責任にするのがディレクターの仕事じゃなくって進むデザイナに変更を判断するのが仕事なんじゃないの?
残業代を稼いでデザイナを罵倒していいものできたら俺の指導のおかげで失敗したらデザイナの責任でとか言うつもりなのですか
業界の保全のために悪い噂を流しておきますねとか業界の保全はお仕事に含まれているのか謎だけどその人によほど素質があると見抜いているのかは知らないけれども自分の成就が待ち遠しいのを書いてしまったのかもしれないけど