はてなキーワード: 法則とは
パーキンソン凡俗の法則って奴でくだらない議論ほど白熱するってやつだな。
原子炉の建設計画は、あまりにも巨大な費用が必要で、あまりにも複雑であるため一般人には理解できない。このため一般人は、話し合っている人々は理解しているのだろうと思いこみ口を挟まない。強固な意見を持っている人が、情報が不十分だと思われないように一般人を押さえ込むことすらある。このため審議は「粛々と」進むことになる。
この一方で、自転車置き場について話し合うときは、屋根の素材をアルミ製にするかアスベスト製にするかトタン製にするかなどの些細な話題の議論が中心となり、そもそも自転車置き場を作ること自体が良いアイデアなのかといった本質的な議論は起こらない。次に委員会の議題がコーヒーの購入といったより身近なものになった場合は、その議論はさらに白熱し、時間を最も無駄に消費する。
自転車置き場については誰もが理解している(もしくは理解していると自分では思っている)ため、自転車置き場の設置については終わりのない議論が生じることになる。関係者の誰もが自分のアイデアを加えることによって自分の存在を誇示したがるのである。
法則どおりにすることが必ずしも正しいとは限らないってことかな
なんていうか話を聞いた感じまだ単体でマネタイズできてるわけでなくてサービス自体は開始してるけど恐らく無料で配って知名度上げているっていうフェーズっぽい。
資金調達額は結構凄いっぽくて恐らくそれだけで回している状態だと思う。
なんていうか社長から与沢翼の匂いを感じるんだよね、なんか肩書は凄そうなんだけどさ。
「○兆円規模の市場」とか「○○分野では一日に○十億円売り上げが出ている」とか「○千万円プレイヤーの社員」とか
なんか社長のツイッターとか求人情報見るとやたらでかい数字使ってるのがすげー気になる、いや「売り上げ○億円」ならわかるんだけど、その何兆円だとかはお前の功績でもなんでもないだろっていう。
大体でかい数字を使いたがる奴は胡散臭いっていう法則あるじゃん
これが孫正義だったりトヨタの社長が言ってるならまだわかるよ、名刺配ってる段階で口に出せる数字じゃないだろ
給料は割と高くて、でも逆に使われている技術スタックやドメインロジックの複雑さ以上に高いって感じだから、これ自体がなんか胡散臭く感じてきた。
法則だけ教えられてもすぐには使いこなせないのが凡人なので、私のような人間はチャートとかで問題を解く。
おっしゃる通り法則は事例から抽象化されたもので、でもだからこそすぐには「理解」できない。往々にして理解したつもりになる。
(なのでネットで法則に準拠したつもりになって結局はとんちんかんでしかないことを言ってこうやって突っ込みも食らう。理解が不十分故)
問題を解いて、間違ったらそれに向き合っていくというのを繰り返すうちに、自分自身の理解の抽象度が高まっていき、法則の真の理解、その法則さえ理解していれば原理上解ける全ての問題が初見でも解けるような理解、へとたどり着くのだと思う。
チャートが無いならこうやって自分や他人に問題をぶつけることで同じような理解の過程を再現するしかないということ。
これには同意できるか?小中高学生とかの理数科目の勉強見てれば同意していただけるとは思うけども、
やはり他人の折り紙付きを得ないと自信が持てない。俺だけが言葉のみから抽象的な理解というものができない(俺以外の小中高生は言葉を言葉通りに理解するだけで初見問題も解ける?)馬鹿なんじゃないかという気がしてくる。
光速に近い速度で移動する宇宙船で同時に起こったことは、宇宙船の外側にとっては、宇宙船の移動方向に沿って前で起こってったことか後ろで起こったことかで起こる時間が変わる。要するに宇宙船内で同時だったことにずれが生じる。
ということは、外側ではより早く起こったことになる場所で、宇宙船内で上手い具合に別の場所よりもうまいぐあいに後にあることが起こった場合、宇宙船内ではあることよりより後におこっているものが、宇宙船外ではあるものより早く起こっているという状況もあるんじゃないの?
そうだとすると、宇宙船内のある場所でボタンを押すと、宇宙船内の別の場所の人が感電とかで死にます、なんて状況も、場合によっては船外では、死ぬのが先で、ボタンを押すのが後ってことになるじゃん?これってどうなってるの?逆再生されてるように見えるってこと?因果律は平気なん?
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法則だけ教えられてもすぐには使いこなせないのが凡人なので、私のような人間はチャートとかで問題を解く。
おっしゃる通り法則は事例から抽象化されたもので、でもだからこそすぐには「理解」できない。
問題を解いて、間違ったらそれに向き合っていくというのを繰り返すうちに、自分自身の理解の抽象度が高まっていき、法則の真の理解、その法則さえ理解していれば原理上解ける全ての問題が初見でも解けるような理解、へとたどり着くのだと思う。
ようするに手ほどきが雑なんだよ。もっといろいろな状況設定を自分でできてかつ自分で考えられるように、つまり応用が効くようになるためには言葉足らずだと思うんだ。
相対論レベルの話を大学受験のチャート式だとかみたいなノリで懇切丁寧に「手ほどき」するレベルまで人類は進歩してない。そもそも需要がない。
それは自分で教科書を唸りながら読んだりランダウくたばれと思いながら章末問題を解いたり論文を読んだり自分で研究をしたりして身につけるしかない。
物理の理論、特に相対論みたいなものは可能な限り一般的な法則を記述しようとしているわけで、工学みたいな「実例集」の集合体ではない。
実例集をいくら集めても、それを抽象化して一般的な形式にしそれが現象を正しく予測することを確かめなければ理論にはならない。
繰り上がりの計算を教えてもらえればだいたいどんな桁数でも計算できるじゃん?
同じように「光速度不変の原理」ってものさえあれば特殊相対論的効果が関連するどんな状況設定に対してもこうなるという解を論理的に導き出せるはず。
でも実際は「お互いに反対方向に光速の90%で進むもの同士があるのは相対論に矛盾してるか→してない」
「公転を公転を公転するものって光速超えない?→超えない」「一秒までの時計が光速一秒分ある巨大な時計ってどうなってるの→秒針がうずをまく」
みたいにそれぞれに応じて適切な解を「光速度不変の原理」からだけで導き出せる人は少ない。
ようするに手ほどきが雑なんだよ。もっといろいろな状況設定を自分でできてかつ自分で考えられるように、つまり応用が効くようになるためには言葉足らずだと思うん
だ。
なんというか正の数と正の数を足し合わせたら数が大きくなりますってすごく雑な法則を教えてもらってるだけって感じ。それでは繰り上がりの計算ができるようにはならないし、実際もっと筆算の手順は具体化されている。
同じように「光速は不変なんです」だけじゃなくて、もっと具体的に教えるべきことがあると思うんだよね、ってか絶対あるでしょ。
科学哲学の話がしたいんじゃなくて、自分の頭で考えられるようになりたいだけ。それには教えることがが足りてなさすぎてるんじゃないのって話。
本来は同一の法則から導ける問題なのにちょっと状況設定が変わってるだけで他人に聞かないと分からないなんて状態は不便すぎるもの。いちいち会計とかで他人に聞かないと合計額がわからない頭のままなのは不便でしょっていうのと同じで。
あなたのようなすでに理解してる側は初心というか初学者の頃のことを忘れてしまっているというか、理解できない側にいる人の気持ちがわからなくなっちゃうみたいだけど。
あなたも初学者のころは光速度不変の原理を提示されてもすぐにはさまざまな状況設定に対して的確にこうなるという解を導き出せなかったころはあったと思うよ。
もしそんな雑な説明で理解できる人だらけだったらそんなのより程度の低い高校物理でもあんだけ問題集が出てるわけないし。
さっき手ほどきが雑って書いたけど足し算引き算なんて大人にとっては簡単な概念なはずなのにわざわざ「さんすうセット」なんて買わせておはじきとかで教えるでしょ。
そりゃ子供にとっては足し算引き算だって真新しい概念だから当然。これを当然とするなら相対論は大の大人にとっても十分真新しい概念たりうるから学ぼうとする人には同じようにもっと直感的な理解の助けになるような教材とかも充分用意されてるべきなんだよ。
既存の守られヒロイン描写がそんなに嫌なら最後の決闘裁判みたいなのでよくない?あの映画は割と良かったと思うよ、
――ヒトラーは金融緩和を行っていた。金融緩和を行う日銀はナチスと同じだ。
――男女平等は共産主義者が言い始めた。男女平等を掲げる政治家は共産主義者だ。
――戦中日本は優良多子家庭を奨励していた。少子化対策は戦時体制に回帰している徴だ。
これらが全体的に例証として荒唐無稽なのは言うまでもないでしょう。これは特定の主張と同じ主張をしている別のグループを持ってきて「お前は〇〇だ」と対人論証を行うもので、「連座の誤謬」や「関連付けの誤謬」と呼ばれています。その中でも国際的にも有無を言わさず巨悪とされるナチスは何かを批判する際に引き合いに出されることが多く、些末な共通点だけで同一視するような詭弁が蔓延ったため特に「ヒトラーに例える論証」と特別に名前がついているわけです。本来のヒトラーに例える論証とはそういうものでした。なおこれは論証として不成立であることを批判するもので、侮辱か否かとは少しまた別のレイヤーの議論であることを留意しなければなりません。
そしてヒトラーが持ち出されることが多いのを皮肉ったのが「ゴドウィンの法則」です。議論中にこうなったら大抵建設的でないレッテル貼りになりがちですよね。
しかしつくづく思うのですが、ナチス関連の例えを出した時に”機械的”にゴドウィンの法則を持ち出して論難し始めるのはどうなんでしょうか。元来、「誤謬」に名前を付け「法則」という諧謔を作ったのは非論理的な議論を排し建設的な議論を行うための道しるべを示すためではないのでしょうか。相手の失点を指摘することで点数を稼ぐゲームを行うためのルールなのであれば私の不見識ですが、そういうものではないですよね?現代人が好きな”建設的”な議論をしたいのであれば、紋切り型に言うのではなく相手の論証が不十分である根拠を滔々と説く必要があります。そうすると必然的に根拠を示すだけで議論は成立するので特段誤謬や法則の名前を持ち出す必要も無いものです。
そもそものところ、ヒトラーを出した即ち誤謬・詭弁とするのはあまりに乱暴ではないでしょうか。いや菅直人元首相の発言が連座の誤謬に該当しないと言うつもりはありません。連座の誤謬だと言い切れる自信も自分にはありませんが…。例えばナチスが抱えていた論理的誤謬と同じ誤謬を抱えていると指摘しそれが危険な帰結を導出しかねないと論証できれば連座の誤謬とまでは言えないのではないですか。話を変えて最初に挙げた例に移れば、少子化政策として子供が多い家庭を表彰するという話が出たら戦中の優良多子家庭表彰政策を持ち出し問題点を指摘する程度であれば連座の誤謬とは言えないでしょう。もしくは少子化対策に前のめりになるあまり子供が多い家庭を理想モデルにすることの危険性に注意を促す程度に留まれば個人的には問題無いようにも思います。
こうした区別の判断は「ヒトラーに例える論証」とか「ゴドウィンの法則」とか言って即座に議論を終わらせるのではなく丁寧に反証をしようとすれば、相手の主張が誤謬と言えるものかどうかが見えてきてできるものではないでしょうか。ヒトラーと言うだけで機械的にゴドウィンの法則に該当してお仕舞の世界よりは判断基準が主観的で曖昧になりますが議論とはそういうものではないでしょうか。もちろんそんなに労力をかけられないという意見は分かるのですけれども。
正直なところ、ナチスに関連できることを見つけてすぐヒトラーだと言い出す人とナチス関連の話を持ち出したのを見てすぐゴドウィンの法則だと言い出す人の思考回路は同じようなものじゃないですかね。
と匿名の人間が書いても意味がないでしょうから、権威に訴える論証(詭弁)をしましょう。何を隠そうゴドウィンの法則の発明者であるゴドウィンはオルトライトについてナチスと比較するのを奨励しています。
By all means, compare these shitheads to Nazis. Again and again. I'm with you.― Mike Godwin (@sfmnemonic) August 14, 2017
Since it was released into the wilds of the internet in 1991, Godwin’s Law (which I nowadays abbreviate to “GL”) has been frequently reduced to a blurrier notion: that whenever someone compares anything current to Nazis or Hitler it means the discussion is over, or that that person lost the argument. It’s also sometimes used (reflexively, lazily) to suggest that anyone who invokes a comparison to Nazis or Hitler has somehow “broken” the Law, and thus demonstrated their failure to grasp what made the Holocaust uniquely horrific.
[抄訳]
ゴドウィンの法則はしばしば次のようにまとめられている。ある人が現在の何かをナチスやヒトラーと比較したら議論が終わったか負けたことを意味するのだ、と。またはその人が法を『破った』とされ、ホローコーストの比類ない恐ろしさを理解できてないということを示唆するとして(反射的に、怠惰に)使われている。
反射的に(reflexively)怠惰に(lazily)という修辞句を使うゴドウィン氏の心情を慮りつつ…。いわゆるトランプ政権のゼロ・トレランス政策をヒトラーになぞらえて批判した議員がいたことについてこのように記述されます。
The response has been predictable: Debate for some people has been derailed by the trivial objection that, even if it is terrible to separate children from their parents (and sometimes lose track of them, or make it impossible for their parents contact them, or even deprive them of the comfort of human touch), it’s not as awful as what the Nazis did.
[抄訳]
「ナチスの行いを矮小化しているからこの比較は不適切だ」という反論したことはないですか?それがいつもつまらない反論でしかも議論を脱線させるような非建設的な意見かは知りませんが、この時なされたその類の反論はゴドウィンからすればここまで大上段に切り捨てられて当然のもののようです。辛辣ですね。この後、こうした時にゴドウィンの法則の名前が出てくるという話もしています。
But I do want to stress that the question of evil, understood historically, is bigger than party politics. GL is about remembering history well enough to draw parallels — sometimes with Hitler or with Nazis, sure — that are deeply considered. That matter. Sometimes those comparisons are going to be appropriate, and on those occasions GL should function less as a conversation ender and more as a conversation starter.
[抄訳]
ナチスの問題は政党政治より大きなものであることを強調したい。ゴドウィンの法則は深く考察される類似性(ヒトラーやナチスとのを含む)を描くのに十分なくらいよく歴史を記憶することに関するものだ。時にそうした比較は適切であり、その場合、ゴドウィンの法則は会話の終止符ではなく会話の第一歩となるのである。
要するにナチスが現代の政党政治と比べるべくもないヤバい奴なのは前提ではありつつも、ナチスとの比較は適切な時もあるから「ゴドウィンの法則に該当するからアウト」みたいな単純な使い方はするなよってことです。もちろんゴドウィンの法則の発明者だからと言ってゴドウィンの言うことが全てではありませんが。ただ、ヒトラーに例えることで議論が脱線し行き詰まるのを防ぐためのゴドウィンの法則という言葉が議論を脱線させる一因となるのであればミイラ取りがミイラではないですか。
ネット上では新しい概念が日夜発明されています。大抵の場合は既にある概念が再発見されて流行してるだけなんですけどね。そうするととかく流行概念に合致してると言えれば即何かしらの結論を得られるという思考に陥りがちです。しかも政治においては用語や見方という枠の解釈合戦(フレーミング)が起こるものです。しかし政治家や活動家でなければ必ずしもそういった方向に行かなくてもいいでしょう。結論と同じようにもしくはそれ以上に過程こそが議論にとって重要であるという基本に立ち返りませんか。その時、数多の概念は思考を論理的に展開する際の補助輪になってくれるはずです。そう、概念は結論に直行するものではなくあくまで思考の補助線なのだと考えた方が良いのではないでしょうか。概念に振り回されず、連座の誤謬もヒトラーに例える論証もゴドウィンの法則も上手に付き合えば落とし穴に嵌らないようにしてくれるはずですから。
基本的に「みんなが知ってる」とか「誰もが簡単に見られるもの」は炎上しにくい。逆にいうと炎上は予想外のところから火が上がる。
宇崎ちゃんポスターは献血ルームにあってわざわざ見に行かないといけなかった。
しかし宇崎ちゃんの広告が駅に連絡通路にでかでかとあったけどまったく話題にならなかった。
こんな風に発見しずらいものは燃えやすく、簡単に見つかるものは燃えにくい。
ブイチューバーの戸定梨香はそもそも存在を知ってる人が少なかった。
温泉むすめも炎上して初めて知った人が多いだろうし、実際に温泉にいってどんな風になっているか確認できる人は少なかっただろう。
「みんなが知ってるもの」を炎上させて失敗したのは京都地下鉄の萌えキャラクター。責任者の人がインタビューできちんと反論していた。
と、ここまで書いたけど特にこういう法則がある というつもりはない。
キズナアイのアシスタント問題みたいにメジャーで誰でも見れるけど燃えることもある。
アニメコラボとかを見ると「あんまり考えてなさそうだな」って感じるものはあって、そういうのは担当者も強い意志があるわけじゃないから簡単に折れる というのがほとんどだと思う。