はてなキーワード: 歌手とは
アンサイクロペディアで行われているエクストリーム・スポーツという設定の、その年で行われた謝罪会見で不謹慎の度合やこれまで見なかったありえない謝罪会見を扱った晒し記事
起こした不祥事というよりも謝罪会見の内容を重視するので全ての不祥事や不謹慎の内容を扱っているわけではないが、ほとんどの場合は謝罪会見もセットされているので問題はない
(ロシア・ウクライナ、イスラエル・ハマス、アルメニア・アゼルバイジャンなどの戦争については謝罪会見なんかするわけないので、このあたりでは扱われない)
1998年から自由情報という個人ホームページで独自に展開しているテレビ音楽番組という設定の、その年で不祥事や不謹慎なことを起こした人間やユニット、組織などを晒すための企画
こちらもテレビマニアである自由情報の独断と偏見が強い関係や、そもそも出場歌手の枠数の問題もあって全ての不祥事や不謹慎を扱ってはいないが、「選出に漏れたもの」も含めると8割以上を網羅していると言っても過言ではない
もちろん発表された後に引き起こされた不祥事や不謹慎は審査されていないためか、羽生結弦は夫妻のまま、池田大作は「Wikipedia訃報2023年」で無理やり対処されている
低能先生や銃殺された元首相botなどを批判するために作られたとも言われている自分もやべーやつの一つと言われている晒し増田
上記2つと比べると増田以外の範囲はないのだが、増田における不祥事や不謹慎の確認にはなるとされている
ブラック企業大賞企画委員会がその名の通りブラック企業に皮肉的に賞を与えてその会社に対して業務改善を促すための企画
2019年まで開催されており、ワタミフードサービスや電通などの大規模で有名な企業のブラック企業が明かされていた
現在はコロナの関係なのか開催されていないためエントリ登録時は外していた(復活求む)
また海外版と言えるものとしてパブリックアイ賞となるものもあるが、こちらも現在は賞みたいなことはしていない模様(ただ怪しい企業の審査みたいなことはしているらしい)
Twitterの不動産関係者が募った「全国宅地建物取引ツイッタラー協会」が実施する、話題になった物件・事件を選出する賞
こちらは好意的に話題となった物件(例のプール)や事件も扱われるが、基本的にろくでもないまさにクソな物件や不動産関連の不祥事・不謹慎な事件が扱われることが多い
一応、ある弁護士が「この物件に対してクソと言うのは業務妨害になるのでは」と指摘しているが、そもそもそういうクソな物件だからそういう風に言われることについても考慮すべきである
ウェンディー・ノースカットという人物が勝手に開催している「バカな行動で自ら死亡、或いは子孫を作れなくなった人間」を皮肉的に表彰して晒上げる賞
不祥事というよりも不謹慎の方面だが、原因は全てバカな行動というものであるため、いわゆる『しくじり先生』などのような反面教師としての教訓として確認すべき有用な情報でもある
残念ながら我が国ジャップからも「ニコ生主富士山滑落事故」と「フォークリフトパレット現場猫案件」の2件が受賞しているため、†悔い改めるように†
歌い手グループは高齢層が知らないだけでドームツアーや武道館ライブもやってて10代女子を中心に絶大な人気があるんだよ。
ターゲット的に今回ジャニーズ外しの恩恵を受けた可能性はあるけど、すとぷりはNHKの番組出演や関わりも増やして外堀は埋めていたので紅白出場は時間の問題だった。
ジャニオタが怒りの矛先を向けるのはお門違いもいいとこ。
というかジャニーズの学芸会が許されてた時点で紅白にそんなレベルは求められてないと思うけど。
彼らの見た目も二次絵やVTuber(的なもの)嫌いからヘイトを向けられてるっぽい。
でもCG出演はGreeeenという前例があるので何もおかしくないし、すとぷりはライブでは生身でネットでも半ば顔出ししてるので紅白もそういうスタイルで出演するかもしれない。
Vやバーチャルシンガーの出演枠がここからレギュラーになるかもね。
けーぽより日本ならではで良いのでは?
地上波テレビ、しかも紅白の内容が気になっているおっさんなんて、意識高いはてな村においては最下層の人間として軽蔑されるのだろうが、気になるものは仕方ない。
何が気になっているがといえば、今年の紅白で朝ドラをどう扱うかということだ。
地上波など愚民の見るものと見下して知らない人のために説明すると、紅白では毎年、朝ドラは重要なコンテンツで、主題歌は優先的に選ばれるし、朝ドラの登場人物が応援に駆けつけたり、以前は『あまちゃん』の特別編的なものを展開してみたり、まあいろいろな取り組みをしてきたわけである。
で、今年の下期の朝ドラ『ブギウギ』であるが、笠置シヅ子の生涯を下敷きにしたこのドラマ(ドラマでは福来スズ子)、わりと評判がいいらしい。
なにしろ歌手の生涯の話だから、舞台の歌唱シーンに力が入ってる。そして主役のスズ子を演じる趣里が、なかなかに好演している。
この人は水谷豊と伊藤蘭の娘というバリバリの2世なのだが、もともとバレリーナ目指して挫折した過去があるそうで、女優に転身してからも親のゴリ押しを使った印象が希薄なところが、好感を呼んでもいるようだ。
映画に出てもないうちから映画賞もらったり、なぜかブランドアドバイザーを歴任してたりするどこぞの誰かとちがって、ご両親もしっかりしているのであろう。
ドラマではいい感じに10代から演じていて、とても33歳には見えない。母親役の水川あさみとは実年齢が7歳しか違わないのに親子に見えている。
で、ドラマでは初回で『東京ブギウギ』の公演を再現してみせ、歌唱力もあるところを見せつけて、これはそのまま紅白の企画として使えそうなクオリティであった。
で、今週は、育ての親である服部良一(ドラマでは羽鳥善一)とであって、服部良一・笠置シヅ子としての最初の曲である『ラッパと娘』が大好評になる、というくだりだったが、これもなかなか良かった。
5分の朝ドラで全曲フルコーラスのステージをそのまま流すのは、わりと思い切った演出だと思うが、制作側も趣里の歌手としての実力に信頼をおいているからこそ、だろう。
この『ラッパと娘』という曲、昭和14年(1939年)の日本の曲とは思えないおしゃれな曲なので、知らない方はぜひ聴いてみてほしい。笠置シヅ子のオリジナルも含めてYouTubeにいくつも上がっている。作詞も服部良一だそうだが、変に抒情的な意味などなく、“みんなこの歌歌えば楽しい”くらいの内容であとはスキャット主体なのもかっこいい。日本がアメリカと戦争始める数年前は、まだまだこんな“敵性音楽”が普通に劇場でやれてたんだなあという軽い驚きもある。
で、これを紅白でどう盛り込むのかと考えると、気になるのは羽鳥善一(服部良一)役が、草彅剛ということなのだ。
なにしろ笠置シヅ子の育ての親であり、今週のドラマでも羽鳥善一がノリノリで指揮するバンドをバックに歌うステージが展開されていた。
紅白に趣里を出して企画やるなら、やはり羽鳥善一(草彅剛)も一緒に出ないとすごい不自然なことになるだろう。
おそらく今、NHK内部でいろんな駆け引きやら調整なら行われているのだろうが、堂々と草彅剛を紅白のステージに出したら、ちょっとNHKを褒めたい(←謎の上から目線)
本当は勘違いで終わらせたい話。
とあるバラエティ番組を見ていたところ、ちょっとした違和感に気がついた。
全員歌がうますぎる。
うますぎるというのは、リズムが完璧すぎて機械的であるという意味。
プロからアマチュアまで色々なライブを見てきた人ならわかると思うのだけど、人のなま歌というのはどれだけ歌がうまくても必ずゆらぐ。
そのゆらぎなく機械的に歌うためには別の訓練が必要で、それ自体はむしろ音楽的価値を下げるとも思われているのであまり取り入れる歌手は少ない。
いうなれば、プロが次に目指すことであって、素人が当たり前に見に付けている技術ではないということ。
それで話が戻ると、その番組は歌手ではない芸能人が、お題で出てきた歌を次々に歌っていくというものだった。
もちろんその芸能人の持ち歌でもないし、前提としてはその番組のために歌を練習するような機会もないはずだ。
その部分にやらせがある可能性は十分に考えられるし、人前で歌う以上は恥をかくようなことになっては芸能人としても番組に出演する意味もないので、台本はあるだろうことくらいまでは予想ができる。
そこまでは別に良いのだが、歌そのものに手を加えるのは流石にどうなのか。
一緒にテレビを見ていた子どもたちは、「この人本当は歌が上手いんだね!」と目を輝かせていた。
それについて「これ、後で編集されているよ」と教えるのはあまりにも無粋で、思わず言葉に詰まってしまった。
おそらくその日行われていた修正は、ピッチ調整と言われるやつで、マイクから拾った音声を後で修正したものと思われる。
口パクとは少し違って、実際にその場で歌ったものを、後で修正してから放送するというものだ。
ただ、やっぱりよく見るとリズムを修正した部分はほんの少し口の動きと違和感があったり、声の伸びも口の動きとずれてくるので見ていて気持ちが悪い。
見る人が見れば一発で手が加えられていることがわかる内容だった。
これは真面目に歌を頑張っている人間に対する冒涜であるし、出演している芸能人やそのファンに対する裏切り行為にほかならない。
別にテレビなんてもうとっくにどうでもいいのだが、これ以上ピュアな人たちが騙されるのも見ていたくないので注意喚起しておく。
彼らは怒られるまでやめないし、怒られたら手を変え品を変え視聴者を騙そうとする。
※一応書き加えておくと、素人さんが出てきて点数を競い合うカラオケ番組は、採点が目的なのだから歌声はそのままだと思う。
たまたま思い付いてGS1200SSを動画サイトで検索してみたら発売当時のインプレのアーカイブ動画があって聴いてたら「GSX-R1100よりもカウルの幅やスクリーンが大き過ぎる」って言っててワイも当時から(なんかコレ横から見ると前後に寸詰まりなカウルとタンク・シートなんだよなー)と憧れては覚めるのを繰り返してたので、やっぱ変やったんや!とわかった
あと、当時の雑誌インプレ記事や後の評価を読んでも「期待して買ったらぜんぜん早くないし…」てな話ばっかりだったんで、それも調べてるうちに覚めちゃう原因のひとつだった
というわけで、コレは結局『メーカー公式カフェレーサー』だったんだなー、と
やっと納得できてヨカッタヨカッタ
(動画を漁ってたらなんと当時のメーカー作成PVが出てきて動画のタイトルバックになぜか歌手と曲名があったんでさらに検索したらゼロ年代初っ端に『裸足でギター肩からかけてステージ走り回る』ので話題だった女性シンガーの大ヒットアルバムの中の一曲で…!)
※そこにしか量の多い記述がないので何度も訪問してる『~系譜』サイトの記事では8耐のGS1000オマージュのレプリカって書いてあるのはもちろん知ってるけど、できた物の仕上がり具合を当時の状況からみるとワイの見解はこうなのだ
新しい道具には三種類の使われ方がある。
一例としてVOCALOIDを見てみると、それはまず女性ボーカルの伝手などない零細DTMerのためのジェネリック知り合いの女として売り出された。
次いで、零細インドア趣味レベルというより「売れる曲」が書けるクリエイターにより、作者の意図を忠実に出力する優秀な歌手として使役されて人気に火がついた。
そして最後には人間にどれだけ寄せられるかという評価軸と離れて「VOCALOIDという楽器」になった。そうなるとPOPSシーンのありようそのものに、支配的とまでは言わないまでも少なからず影響を与えるようになる。
自分はVOCALOIDメイコとか初音ミクのパッケージを見てアイタタwとしか思わなかったのだが。
流れをまとめるなら
3. 新しいシーンを拓く存在
になったわけだ。
さてAIだが、今のところ(1)の使われ方ばかりが聞こえてくる。
ぜんぜん絵が描けない人でもそれっぽい絵をでっちあげられる。
まともに文章が書けない人でもそれっぽい(略
資料がまとめられない(
調べ物のやり方がわからない(
要するに「既存の工数のかかる需要に応じて、それっぽい体裁の成果物モドキを一瞬ででっち上げる」という、劣化コピー生産機としての使い道ばかりが取り沙汰される段階。
「初音ミクがあれば陰キャオタクでも女性ボーカル曲っぽいものが作れる、すごい!」という。