はてなキーワード: 本質とは
小学校の時。昭和の終わりだからいじめとかからかい合いが普通にあった
他にも無視とかばい菌扱いとか色々なバリエーション。暴力は少なかった(無くはなかったけど)
ずっとからかわれてる(言葉が軽い、暴言を投げつけられてる)数人(基本的に容姿由来)がいて、
愛嬌のあるチビ、優しくて強い巨漢、などは言い返したりしばくぞと叫びながら追いかけたり
暴言を投げてリアクションを楽しむというよくない遊びに発展していった
毎休み時間に始めるのは一人か二人ぐらい。なんか面白そうだから混ざって行って、で5人くらい
反撃しない場合は面白がられず構って貰えないのであえて反撃するようなやつもいたはず
増田は顔のパーツに難があってそこを弄られていた
あまりにバリエーションが少なかったので、相手は工夫して色々な容姿弄りをしてくる
その中で後頭部の形状についてのいじりがあった
COMPLEXでもなんでもななかったのだが、一応ルール上嫌がって対応しているうちに気付いた
自分への悪口をこっちに誘導出来たら少しはダメージが通る顔弄りが減る
当時は自分だけそうやってズルしてると思ってたけど、元々弄られてたやつら(誰が見ても容姿に難がすごい)以外への攻撃はそもそも軽かった
さらにたとえシリーズが流行り、髪の毛が焼きそばみたいなどたとえ先がそこまで下品? 悪辣ではなく、
「やーい、やきそば」「なんやと、このメロン!」みたいになってった
とはいえ、親の職業や家の臭さなど普通に弄ったらあかんとこも弄ってたし、いじめはなくならんと思う
上記はおまえのかーちゃんでべそ的な悪口のための悪口でまだマシで
そこに本質を混ぜたりするとより言う側に快感が与えられるのだろうなと、地名カタカナ表記とか、法損金氏用語になる過程とか考えてて思った
ゆらゆらしてる
解決策を考えてみてる
いじめ先を人間以外に担ってもらう(いじめてくんみたいないじめたくなるロボット)
?
ディストーションにしても音が濁らないこと
当然、メジャーマイナーに判別できる音が含まれていないことであるが、
世間でバッシングされてようがなんだろうがハライチ岩井を叩くヤツは物の本質が見えていない。
確かに彼は顔はキモいし言ってることもクソだし陰キャ感もすごいが、おもしろい。みんなが言えないが思っていることを言っている。それで嫌われてもいいと考えて自分の人生を全うしようとしている。
アイドルっぽい感じの10代と結婚して何が悪いというのか。若い女を選んで何が悪い。犯罪でもないし叩くヤツは狂ってる。妬み・嫉み・僻みが透けて見える。見苦しい。結婚するのはお前じゃねえし。
言っとくけどな、10代後半の女っていうのはガキだがそんなにガキじゃない。クソみたいなおっさんについていくほどバカではない。3歳児だとでも思っているのか。
日本はルッキズムに侵されすぎている。もちろん外見的な釣り合いとかは重要だし、顔や肉体に釣られるとかもあるけどな、本人たちがそれでいいならそれでいいだろうが。
自分たちの人生が全然うまくいっていないからと言って芸能人のただの結婚を自分たちの狭い価値観や倫理観でバッシングする日本社会が気に食わない。
他人の足を引っ張ることしかできないのか。幼稚すぎる。どうせ10年続けば手のひらひっくり返されるぞ。こういうのいつまで繰り返すんだ。江戸か?ボケカスが。
仕事をしていて、人の役に立つと嬉しいと思う。自分の役割があって、自分の捧げた時間と能力について、他者から承認される時間。社会の輪の中に自分の居場所がある感じがする。
でもこれは「役に立たないなら居場所がない」と裏返しではないかという気もしてる。
おれは別に「役に立つ」なんて心底どうでも良いと思ってずっと生きてきた。別に好きでこの世に生まれたわけではないし、まして役に立つために生まれてきたわけでもない。当人が幸せだって思えればどんな生き方だって良いと思っている。
でも、「役に立っている」と実感すると実際嬉しいことがわかった。考えてみれば、人間は一人では生きられないから、そういう風にできているのかもしれない。それが人間の本質に近いところな気もする。
だから他人にも、誰かのためになるって良いことだよって伝えたくなるけれど、それの是非がよくわからない。もちろん強制すべきものではない。それはわかっている。別に役に立つために好き好んで生まれてきたわけではないから。
みんなはどう?人の役に立つと嬉しい?
そしてそのことについて、例えば自分のこどもにはなんて伝える?
そんなんで反対してもオタク業界以外全部から叩き潰されるの流石にわかるよね?
つい先日、私人逮捕系ユーチューバーであるガッツchが逮捕された。
一方で同じようなことをしていた煉獄コロアキは大バッシングされていた。この二人の違いは何か?
ガッツchを支持する女性の大半は彼が捕まったことによる男のこれで安心といった趣旨のコメントや警察の対応の早さに憤っていた。
一見すると「性犯罪者を野放しにしている」「警察は性犯罪だけ対応が遅い」といった怒りだが、これは彼女たちの本質なのだろうか?
自分は違うように感じる。
彼女たちの怒りの本質は「自分たちが持つ男への暴力性の代弁者がいなくなったこと」ではないだろうか?
自分たちを舐めている存在である男。実際痴漢や盗撮に相手への侮りがあることは否定できない。
しかし舐められてもやり返すことは出来ない。なぜなら多くの女性は男に力で勝てないから。
そんな男が組み敷かれる姿にある種の痛快さを覚えるのではないだろうか。
全然方向性が違うが日本人が大谷翔平のホームランを見た時のような感覚だ。
白人や黒人よりチビで力が弱く舐められやすいアジア人が向こうのどの野球選手より豪快にホームランを飛ばす様は見る者に「やり返してやった」というようなカタルシスを感じさせる。
つまりガッツchのような人を支持するのは「性犯罪者を止めてくれるヒーロー」という建前の裏に「自分たちの持つ暴力性を発露してくれる人」という心理があるのだと思う。
実際私人逮捕系が登場したての頃に「冤罪だったらたまったもんじゃない」「やりすぎ」というコメントに「そんなに怖いなら自衛すればぁ?」という女性の意見が多々見られた。
だからこそ今回の逮捕に安心するのも自衛の一つだと思うのだがそこに憤る辺りやっぱり本質は男が蹂躙されるのが見たかっただけなのでは?と感じてしまう。
これを見て諸君はどう思う?
その通りだと思うかい?
しかし、差別とは、プレ暴力であるから、言う人間の主張主義が何かという話で扱いが変わることはない。
「人権を語る人間にだけ差別語を使わないことを求めている」とは、
言い換えれば、
「人権を語らない人にはそこまでの厳格な差別語の忌避を求めない」「人権を語らない人へは、もっと寛容に多少の差別語は見逃してもいい」という事だと言えるよね。
あれ?おかしいことに気付けるかな?
という構図なことに気付けるかな?
全く許さないか、それ以外か、の2つしかないんだ。少しでも許してしまうなら、結局、差別の許容でしかないからね。
「どうせネタだから、悪気のない人にまで厳しく言うのはさすがに空気が読めてない」という考えは、実は差別主義者の本質のひとつである。
冗談やネタは「差別が受け入れられやすくなるための戦略」として意図的に使われるくらい、「典型的な」差別の方法なんだ。
匿名ネットで差別語を言っちゃいけないのは「人権語ってる奴」「人権を説くなら人権に配慮しろ」と言ってしまうこと自体が、差別への寛容さのあらわれ、差別の許容の裏返しであること
はわかったかな?
だって、本当に差別がいけないと思ってたら、相手の属性なんか関係ないはずだからね。誰が言っててもダメだ、と言うはずなんだよ。
こんな言葉が出てくるはずがないよね?
「全員」「すべての差別を言う人を、冗談でもネタでも許さないこと」「悪気の有無や主義主張に関係なく、徹底的に排除」
差別をする奴でも、人権について語ってない人はなあなあに許されてしまう空気自体がすでに差別の肯定、差別への加担だってことが、わかるかな?
そんな人はたぶんこれからもできないし、結婚したくないっていうのは本質だと思う。
ただ、だからといって結婚しない事が後悔しないか、という点は別問題だと思う。
正しい選択をすれば後悔をしないか、というと必ずしもそうではない。選択権がなくなってから「ああ、あの時ああしていれば…」となるのは人間の性。その感情を消す方法さえあれば良いんだが…
これを見て諸君はどう思う?
その通りだと思うかい?
しかし、差別とは、プレ暴力であるから、言う人間の主張主義が何かという話で扱いが変わることはない。
「人権を語る人間にだけ差別語を使わないことを求めている」とは、
言い換えれば、
「人権を語らない人にはそこまでの厳格な差別語の忌避を求めない」「人権を語らない人へは、もっと寛容に多少の差別語は見逃してもいい」という事だと言えるよね。
あれ?おかしいことに気付けるかな?
という構図なことに気付けるかな?
全く許さないか、それ以外か、の2つしかないんだ。少しでも許してしまうなら、結局、差別の許容でしかないからね。
「どうせネタだから、悪気のない人にまで厳しく言うのはさすがに空気が読めてない」という考えは、実は差別主義者の本質のひとつである。
冗談やネタは「差別が受け入れられやすくなるための戦略」として意図的に使われるくらい、「典型的な」差別の方法なんだ。
匿名ネットで差別語を言っちゃいけないのは「人権語ってる奴」「人権を説くなら人権に配慮しろ」と言ってしまうこと自体が、差別への寛容さのあらわれ、差別の許容の裏返しであること
はわかったかな?
だって、本当に差別がいけないと思ってたら、相手の属性なんか関係ないはずだからね。誰が言っててもダメだ、と言うはずなんだよ。
こんな言葉が出てくるはずがないよね?
「全員」「すべての差別を言う人を、冗談でもネタでも許さないこと」「悪気の有無や主義主張に関係なく、徹底的に排除」
差別をする奴でも、人権について語ってない人はなあなあに許されてしまう空気自体がすでに差別の肯定、差別への加担だってことが、わかるかな?
コツコツ勉強するのは嫌いだったけど、幼い頃から塾に行かされていて、学校と塾で2回同じ単元の授業を聞けばテストでは点を取れた。なぜその答えが出るのかという本質を理解できていたかは覚えてない。コツコツ勉強するのなんて嫌いだったし、そもそも理解しようとしなかったし。
でも受験のシステムは好きだった。受験のために必死に努力してきたやつの1点と、なんも勉強せず鉛筆を転がして選択肢を選んだやつの1点が同じ価値になる。
どんなに努力してきたやつでも受験当日体調が悪かったり調子が出せなければ勝手に脱落していく。
逆に怠けてきたやつでも調子が良かったり勘が当たれば努力してきたやつを蹴落とすことができる。
合格という結果さえ出せればその過程はなんでもいい。とにかく合格を掴み取ればいいのだ。しかも、必要なものは学力だけ。とにかく勉強だけしてればいい。コミュニケーション能力とか礼儀とか気遣いとか、非認知的な能力はほぼ不要なのだ。
例えるなら、車で一斉にスタート地点から出発して、制限時間内にゴールに辿り着けば無条件で合格みたいな感じ。とにかくタイムアップになるまでゴールに体があればいい。無茶な運転をしてぶつけて人の家を壊しても関係ない。車は最後乗り捨てていいので、ベコベコになってもう乗れない状態になろうが関係ない。学生のうちはこれでよかった。
しかし社会人になって会社に所属し、仕事で給料を貰うようになると、仕事は受験のようには行かなかった。結果だけを出せばいいだけでは無い。車に一切傷をつけないように運転しなければいけないしその過程も重視される。なんならその過程がちゃんとしてないと結果を出すことさえできない。今まで自分が無視してきたこと、思考を放棄してきたことが、社会人になって重くのしかかってきた。
テストの採点結果が返って来て間違えたところを必死に理解しようとするようなやつ、そういうやつが仕事でも結果を出すし、その過程も評価される。自分は全く仕事で結果を出せなかった。ただ暗記するだけで良い勉強とは違い、非認知的な能力、人への気遣いとか、ただ暗記したことをそのままアウトプットするのではなく自分の頭で思考して自分の意見を発信することが求められた。
別に受験のシステムが悪いとか社会が悪いとか言いたいわけじゃない。ただ、受験ばかり意識して学力だけ高めて満足しててもダメだ。仕事では非認知的能力が求められ、逃げることはできないぞ、とだけは言いたい。
歌詞の感じからしてめくらの男って「馬鹿な男」みたいなニュアンスなんだろうね。
(ggったら文字を理解できないこと・物事の筋道や本質をわきまえないことって出てくるし)
自覚があって多分いつも人からも言われてんだろうな、馬鹿な男が似顔絵を通して自分と向き合っちゃって
ポツリと「似てる」なんて漏らしちゃう。
そうすると自分の不甲斐なさとかやるせなさみたいなものが吹き出してきて涙が溢れる。
っていう情景がもうありありと思い浮かぶよ。
二番の歌詞も切なくて、
つきそう子供はたじろぎもせず、だよ。
子供に支えられるくらいの体重に落ち込んじゃってんだろうな、もう限界って感じが伝わってきて悲しいよ。
こんな歌詞を見てると曲名の「自己嫌悪」ってよくもまぁこんな綺麗にネーミングしたなって思うよねホント。
なのにメロディは穏やかでなんならほんのり明るい感じでさ、元気だしてねみたいな雰囲気が伝わってきてすごく胸にくる。
こんな曲ばっか入ってんだからそりゃ氷の世界は売れるよな。すげえよ井上陽水って。
寝れなくてついこんなこと書いちゃったよ。
例えば、架空の物質とか、架空の国家とか、架空の作家だとか、そういうこと。
ChatGPTは素直に、その架空の存在に対して長々と何らかの文章、それも、ちゃんと意味の通る文章を返してくる。
私はそれを読んで「ほほーっ、こんな物質があるんだな。素晴らしい物質だな」といった感じで、心から感心するのだけれど、
そのうちに、「そうだ。こんな物質は存在しないんだった。危ない危ない」と気づく瞬間が、なんか楽しい。
実際には存在しないとわかっているのに納得してしまう、という自分の心の動きが、なんか興味深く思えてしまうのだ。
頭では不存在をわかっているのに、心は納得を感じてしまうのが素朴に面白いのだ。
ちなみに、ChatGPTが「架空の○○」として出力する事項は、○○という事項についての抽象化、
つまり、私たちが「こういうことを書けば、○○ってぽいなぁ」というイメージを書き連ねたものなのだと思う。
だから、その出力自体は全くの架空であったとしても、○○に対する概念自体を身につけるには良い手段ではないかと思ったりはする。
(それは、本やWEB(ウィキペディアなど)で学んでもいいのだろうが、それらの記述は事実によって制約されている。
例えば、本質的でない事実で記述が迂遠になることもあるだろう。だから、架空化することで、逆にその本質が見えやすくなることはあり得ると思う。)
弱者男性とか性的搾取とかは割合新しめの言葉であると記憶しているのだが、このあたりの増田で議論がさかんな単語は発信源がよくわからないところか、活動家発信だったと思う
弱者男性については「低収入」「非モテ」…と一応関連はあるが括って議論するには厳しいものが一緒にされてしまったもんだから、各事項個別に解決していこうという議論がどんどんなくなっていった(高収入非モテ男性による一般~低収入非モテ男性からの弱者性簒奪とかあったし)
文章書いてて単語を新しく定義したいというときは、ふつう定義する範囲とか意味をかなり考え込むものなんだが、あえて雑に括ることで既存の概念などをうやむやにしたり濡れ衣を着せることで得をする人がいるよなと考えている
(というかこれの議論のせいでストレスを蓄積しているなら増田とXをやめなければいけないのだが、放置したらしたで現実の居場所も奪われるのでそうもいかない)