コツコツ勉強するのは嫌いだったけど、幼い頃から塾に行かされていて、学校と塾で2回同じ単元の授業を聞けばテストでは点を取れた。なぜその答えが出るのかという本質を理解できていたかは覚えてない。コツコツ勉強するのなんて嫌いだったし、そもそも理解しようとしなかったし。
でも受験のシステムは好きだった。受験のために必死に努力してきたやつの1点と、なんも勉強せず鉛筆を転がして選択肢を選んだやつの1点が同じ価値になる。
どんなに努力してきたやつでも受験当日体調が悪かったり調子が出せなければ勝手に脱落していく。
逆に怠けてきたやつでも調子が良かったり勘が当たれば努力してきたやつを蹴落とすことができる。
合格という結果さえ出せればその過程はなんでもいい。とにかく合格を掴み取ればいいのだ。しかも、必要なものは学力だけ。とにかく勉強だけしてればいい。コミュニケーション能力とか礼儀とか気遣いとか、非認知的な能力はほぼ不要なのだ。
例えるなら、車で一斉にスタート地点から出発して、制限時間内にゴールに辿り着けば無条件で合格みたいな感じ。とにかくタイムアップになるまでゴールに体があればいい。無茶な運転をしてぶつけて人の家を壊しても関係ない。車は最後乗り捨てていいので、ベコベコになってもう乗れない状態になろうが関係ない。学生のうちはこれでよかった。
しかし社会人になって会社に所属し、仕事で給料を貰うようになると、仕事は受験のようには行かなかった。結果だけを出せばいいだけでは無い。車に一切傷をつけないように運転しなければいけないしその過程も重視される。なんならその過程がちゃんとしてないと結果を出すことさえできない。今まで自分が無視してきたこと、思考を放棄してきたことが、社会人になって重くのしかかってきた。
テストの採点結果が返って来て間違えたところを必死に理解しようとするようなやつ、そういうやつが仕事でも結果を出すし、その過程も評価される。自分は全く仕事で結果を出せなかった。ただ暗記するだけで良い勉強とは違い、非認知的な能力、人への気遣いとか、ただ暗記したことをそのままアウトプットするのではなく自分の頭で思考して自分の意見を発信することが求められた。
別に受験のシステムが悪いとか社会が悪いとか言いたいわけじゃない。ただ、受験ばかり意識して学力だけ高めて満足しててもダメだ。仕事では非認知的能力が求められ、逃げることはできないぞ、とだけは言いたい。
副業始めると嫌でも考えるよね 誰をターゲットにするか、どうやって知ってもらうかの手段とか 客のクレームにも対応しなきゃいけないし やっぱ副業だわ時代は