「山車」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 山車とは

2021-05-28

anond:20210528231644

ちがうよ。開催はしなかったんだが、山車を展示した町があって、そのせいでコロナが、拡がったとかデマイチャモン延々と書いてる。

2021-04-06

ウォーキングデッドが詰まんなくなった理由偽善者(ローリ)がいなくなったから。

コミュ力が高くて上手い事やってく奴ばかりになった。

君と世界上司おっさん露骨自己中みたいなのがいい味を出していてウォーキングデッドもこんな感じで続いていてほしかった

いるはずの人がいないから非現実山車つまんあいんだ

2021-02-27

アンチ山笠増田かいう頭おかしい奴が暴れているので「山笠に親でも轢き殺されたのか?」って言おうと思ったけど、俺が頭に思い浮かべていたのは山笠じゃなくて山車だったわ。


そして、本物の山笠ってどんなのだっけ? って検索したら、山車ほどじゃないけど山笠も人を轢き殺せそうなくらいのパワーがあった。

2020-10-13

anond:20201012190604

飽きる

けっきょく素人の作れる山車の種類なんて限定されている

たった1週間でも毎日変えるパターン集すら無い

2020-03-17

マン島TTレースの中止

イギリス公道で行われるバイクレースマン島TTレースコロナウィルスの影響で中止になってしまった

一般道バイクでめちゃくちゃ速いスピードで駆け抜ける危険レースで毎年ライダー死ぬ

それでもだんじり山車で毎年死ぬみたいなもんで、危険奇祭みたいなものだと思っている

からライダーが死んでもまた死んだかと思うだけだ(でもとても悲しい)

しかし、レースライダー死ぬはいいが、コロナで人が死ぬのはダメなんだなと思った

それだけ

2020-02-07

なぞかけの考え方

A とかけまして、Bと解く、その心はC

みたいないわゆるなぞかけである

こう考えるとやりやすい。

Aというお題に対して、思いつく“C”をまず考える

その上で”C”に関連するをBを考えるという流れ。


まり。A―>C―>B という思考の流れ。

まずAからCを考えて、逆算して関連するBをもってくるながれ。



けっしてA―>B―>C の流れでない。

この構造がわかっているとなぞかけが意外と出来るようになる。

ねづっちなんかは恐らく訓練でこのスピードを極限まで上げているケース。


(例)

味噌汁(A)とかけまして。。。。と言うお題なら。

1) 味噌汁から想起されるもの、たとえば出汁(C)。

2) だし(c ) から逆算して想起できるものをさがす。例えば山車…..お祭り(B)

3) 味噌汁(A)とかけまして、お祭り(B)ととく、その心は、どちらも出汁山車)--B が大切です。

コロナウィルス(A)とかけまして。。。。と言うお題なら。

1) コロナウィルス(A)から想起されるもの、たとえばクルーズ船(C)。

2) クルーズ船(c ) から逆算して想起できるものをさがす、例えばクルーズトムクルーズ….ミッションインポッシブル(B)

3) コロナウィルス(A)とかけまして、ミッションインポッシブル (B)ととく、その心は、どちらもクルーズ(船)に注目です。


みたいなイメージ面白いかは別の話です。

2019-11-05

宇崎ちゃんジャンプ乳首と、あいちトリエンナーレの違い

なぜか前者だけ守ってくれる人が多い。本当に表現の自由だと言うなら少女像は守られるべき山車天皇写真がどうなろうが表現の自由には違いがないはずだ。少女像天皇写真には「俺のお気持ちが傷つくから」と言うなら、それって宇崎やジャンプで傷ついたからなくせ!って言ってるフェミと同じだよね?

2019-06-02

なにが伝統

例えば地方でやってる大きな祭事

 

ちょっとした観光事業にもなっていて大勢の人でにぎわう。

見に来る人も実に楽しそう。

 

参加者神輿山車で街を練り歩き、酒を飲み仲間とわいわいやる。

やる側も楽しそう。

いいじゃないか

 

でもね、みんながみんなそうじゃない。

貴重な休みを、苦手な酒を飲み(飲まされ)、一部の騒ぎたい連中や俺には一銭の得にもならない観光客のために、なーんでやらなきゃいけないのか。

 

そもそも何が楽しいのかわからない。

楽しいからやるんじゃなくて伝統行事を守るんだよって外部からキレイごとは要らない。

 

参加者みんながこういう意見でないことは承知だよ。

 

ただ、そう感じてる人がイヤイヤやることに意味があるんだろうか。

田舎の各世帯から一人ないし二人絶対参加するのが暗黙の了解

  

自由参加に変わっても出ないことで村八分になるのを恐れて意味ないし。

「みんなイヤならやめませんか」なんて言った日には、発言きっかけで本当にお祭りが終わったら、末代まであの家がお祭りを終わらせたなんて言うんだよ。

 

自分がひねくれてるし、マイノリティ意見なのはわかってる、わかってるんだよ。

あーーーーーやりたくないーーーーー

田舎のウェットな人間関係とつまんない伝統行事さえなければ最高なのになーーーーー

 

さ、今日もがんばろう

2019-06-01

グランツーリスモの最新作を買った

そんな事はどうでもよく、グランツーリスモは沢山車があるのに色んな車に乗ろうとしたら、やれお金を稼げだ、やれレースで勝てだ、やれタイムを出せだと要求される

根気がないので一切やらない

作業がやりたいんじゃなくて、好きな車で走りたいだけなのに、入ってる車のごく僅かしか操作できない

何故させてくれないのだろう

そこに無駄ゲーム性は要らない

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士あいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

勢州桑名に過ぎたるものが二つあり 銅の鳥居に二朱女郎

勢州伊勢のことで、つまり現在三重県桑名市のこと。

「銅の鳥居」は桑名宗社の青銅製の鳥居のこと。

「二朱女郎」は二朱銀で買える安い遊女のこと。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

2018-11-22

特殊な例。これって飲酒運転でしょうか?

これって飲酒運転でしょうか?

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/3445743.html

お酒を飲んで神輿を担ぐのは飲酒運転でしょうか。(神輿は接地していません)

お酒を飲んで山車を牽くのは飲酒運転でしょうか。

お酒を飲んで山車に乗車して牽き手に進行方向を指示するのは飲酒運転でしょうか。

お酒を飲んで大八車を牛馬に牽かせて人は手綱持って歩くと飲酒運転でしょうか。(牽引扱い?)

お酒を飲んで騎馬戦の乗り手になって馬役に進行方向を指示するのは飲酒運転でしょうか。

この発想は無かった。これは弁護士に聞いた方が良い気がする。

ただ、どちらにせよ法律とは無関係にここでの飲酒は良くないと思う。

体調は万全にすべきだ。

酒気帯び騎馬戦等すべきではないと思う。

2018-10-03

anond:20181003194503

この場合多分「ロシア」というキーワード意味は無くて、「作品山車政治的主張をするbot、ないしはbotみたいな振る舞いをする連中がどこの国にもいる」という事かなと

例えばabemaTVとかでGATEをやっていると「自衛隊違憲」とかいコメを連投する連中

2018-08-04

地元神社祭り

私は今年引っ越してきたばかり。

つい先日、回覧板がまわってきたんだがそれによるとつい先日地元神社祭りがあったらしい。

要約すると

祭りでは山車を引いて町内を練り歩くが、参加人数が少なくて、暑い中人員の交代もままならず参加者の中には気分の悪くなる人もいた

・この山車を引く当番は順番で町内の区画ごとにまわってくる

・このような事態を避けるためにも当番以外の方も参加してほしい

・うちの区画も再来年が当番になるんだから、そのあたりのことも考えてとりあえず一度説明会を行うから予定空けてみんな来てくれ

とまあそんなことが書いてあった。

一人暮らし別に子供もおらず、祭りなんかと無縁な身としてはうわぁー絶対参加したくないでござるって思った。

と思った所でふとオリンピックボランティアどうこうの話を思い出したんだが、ボランティアやらせるなちゃんと金を出せとか言ってる人の多いはてなあたりだと、地元神社祭りなんて当然ボランティアで参加したりしないんだろうか。

2018-07-30

anond:20180730153815

コストが売りの某チェーンも山車は自前で作ってるよ

加工食品ではフレッシュさが出ない

anond:20180730153202

自前で山車を作るとか、洛外の方はびっくりするような大きな夢があってよろしおすなぁ。

anond:20180730152848

正しいだしの取り方をネットで見て自前で山車を作ったほうが良い

ネギショウガ柚子(レモンも本物がいい

フレッシュさが違う

2018-07-25

寒い北の祭りは大きな山車を引いてゆっくりと練り歩く

暖かい南の祭りは男たちが出しをかついで全力で街中を走る

寒いゆっくり暖かいと速いというところは、やはり人間原子からできているのだなと実感できます

2018-07-15

街中の音楽過剰反応する人たち

昨日、今日と俺の住んでる田舎町で例祭があったわけだが、

神輿山車とともに練り歩くお囃子に対し、

うるさいとの匿名の苦情が毎年のように市役所やうちの町内会に寄せられるそうだ。

年末辺りから町内会行事を手伝うようになって、

その流れで他所町内会の人たちとも会話することが増えたんだけど、

町内会によっては全く苦情が来ないところもあるみたいだった。

ちょっと気になって調べてみたら、苦情が寄せられてる町内会共通してるのは、

銀行郵便局、それらのATMが設置されてるところなんだよね。

それに加えて、数年前までは各町内会ごとにスピーカー音楽を鳴らしてたんだけど、

やはり匿名の苦情が来て鳴らすのを止めていたことまで同じだった。

しかしたら…と思って古参町内会役員に、

「どういう人から苦情が来たのか」と訪ねてみたけど、

個人情報だということで教えてもらえなかった(当然か)

でも、話の途中でポツンと「(苦情を入れた人は)電話が通じねーんだよな…」と

その人が言ったので確信した。

苦情を入れたのはオレオレ詐欺の一味だ、と。

おそらく出し子が騙し役も兼ねているんだろう。

出先や事故現場で困ってるはずの息子や孫の後ろで、

囃子の音や、○○○甚句とかが流れていたら、

いくら気が動転してるお年寄りでも我に返ってしまうだろう。

まあ、あくまでも俺が思ってるだけなんだけどね…

2018-06-07

みずだしこーひー

水だしコーヒー

水なのにコーヒー

ふしぎ

出汁コーヒー

から出汁がとれるなんて

ふしぎ

見ず出しコーヒー

気配だけでオーダーが通るどこかのマスターの得意技

すごい

山車コーヒー

意味がわからない

2018-05-27

anond:20180526200516

花園神社祭り山車がぎりぎり通れるか通れないかくらいの狭い道まで入ってきてとろとろ進んでいく(というか全然進まないから通行できないしずっと騒音漬け)の理解できないんだけど。

担いでる人しょっちゅう潰されそうになってるし、潰されないように塀や建物私有財産)を押さえて支えたりしてるし、明らかに駄目だろこれ。見てる警官も止めないどころか、俺がさんざん待ってやっと隙間縫って自分の家に入ろうとしたら危ないから近づくなと引き止められて、そんなの筋通らないだろと。

あと神社から周囲のビルに何回も反響しまくるような非常識な音量でスピーカー音出したり。最近祭りに苦情が来るようになったとかいう話あるけど、むしろこれで苦情来ないと思ってる方が頭おかしい。昭和の野蛮な風習スルーされてきただけのことじゃないの。

2018-02-24

anond:20180224120756

おめでとうおめでとう!

ところで増田神社が5箇所も実際にあるらしいよ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%97%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE

増田神社ますだじんじゃ)は、日本各地にある神社

増田神社 (名取市) - 宮城県名取市鎮座

 普通に地区から命名。

 http://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310010290

増田神社 (桑名市) - 三重県桑名市鎮座。国の重要無形民俗文化財伊勢大神楽奉納される

 神楽が有名っぽい。

 https://mainichi.jp/articles/20171225/k00/00m/040/030000c

増田神社 (高松市) - 香川県高松市鎮座。讃岐国史跡調査して『三代物語』にまとめた増田家の鎮守神

 写真見てびっくりした。これが神社ってアリなのか…

 https://wanikawa.com/jinnjya/takamatu/245_79masu/79masu.html

増田神社 (唐津市) - 佐賀県唐津市鎮座。殉職した増田太郎巡査を祀る。殉職警察官を祀る唯一の神社

 明治時代警察官で、警察官なりたてほやほやでコレラ防疫の任務につき、デスマのあげく本人も感染して亡くなった模様…

 過重労働ネタ増田でもよく盛り上がるし、謎の親近感が。

 なかなかファンキー山車を曳くお祭りもある模様。

 佐賀県警察本部-増田神社例大祭 https://www.police.pref.saga.jp/annai/ongakutai/_1690/_2395.html

増田神社 (中種子町) - 鹿児島県熊毛郡中種子町鎮座

 普通に地区から命名。

 http://www.kagojinjacho.or.jp/search/kumage/nakatane/post-898.html

2017-09-11

anond:20170911124300

追記読んだ。見に行くだけなら全然大丈夫でしょ。

山車だったら買い物帰りの人とかが立ち止まって見てたりするわけだし、一人の人なんて珍しくない。

地方と言っても大規模なお祭り奉納踊りとか山車とかあるなら、たぶんカメラおたくの一人行動男性とかもちょこちょこいるし。

自分お祭り好きだからそのへんの町内会お祭りとかにも一人で行くけどなんてことないよ。中高年に話しかけられたりはするかな。

ご近所の小規模な祭りだと顔が知られてるとかまたちょっと別の問題が出てくるだろうけど。

お祭りに一人で参加

するのは痛いですか?

お祭り行きたいのに友達いなくて詰んだ

【追記】

地方でやる大きめな秋祭りに行ってみたいんだよね

山車とか地元の舞とか見に行きたい

ぼっちにはハードル高いわ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん