はてなキーワード: 助長とは
https://note.com/oniyome0913/n/n90ab0d29612d
性犯罪に苦しむ方が多数おられます。表現規制などではなく、性犯罪を減らすための適切な対策を求めます。データは割愛しますが、例えば、性教育にリソースを費やす方が、性犯罪の減少に効果がある
この人はよくわかってる。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsicr/30/2/30_2_81/_pdf
こちらも同様。
http://blog.livedoor.jp/kaizaringu/archives/29948623.html
現時点では「たわわのような表現は性犯罪を助長する」は完膚なきまでに否定されていると同じように
話題の吉野家「生娘シャブ漬け」発言騒動について、ウーマン村本が↓のようにコメントした。
<script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>ただの喩えね。学生がいたから調子に乗って過激な比喩使っちゃったのかな。飯テロとか自分より可愛い女の子と写真を撮る時に公開処刑とか、グロい比喩はみんな使ってるくせにね。居酒屋で酔って友達と話すのと勘違いしてました学生の場で相応しくなかったです、だけでいいよhttps://t.co/tkT8rUmxT3— 村本大輔(ウーマンラッシュアワー) (@WRHMURAMOTO) April 19, 2022
これはかなり鋭い指摘をしていると思う。
実際ネット上にはこのような露悪的な表現が巷にあふれている。チー牛、メンヘラ、地雷女、和室界隈、他無数。
つまり、表向き口にしないにせよ、こういうノリを内心面白いと思っている者が大勢いるということだ。
「生娘シャブ漬け」にしても、ネットでは面白ワードとして消費する動きがみられる。
本当に不適切な言葉だと思っているのなら文字にして発信することすら憚られるはずだ。
「生娘シャブ漬け」に対して本気で怒っている人など、実はそんなにいないのではないか。
一方で、ポリコレ論者が自論を語るときは必ずと言っていいほど「世の中にポリコレが浸透した」とか「時代が変わった」とか述べる。
こんな感じに
今現在、世の中の流れは、「差別発言は笑いの文脈のなかでもNG」という方に傾いている。
ポリコレの意識が浸透し始めたからだ。ポリコレとは、ポリティカル・コレクトネスの略で、「人種や宗教、性別、容姿などの違いに対する偏見を助長したり、差別的な扱いをしたりするのはやめよう」「差別的描写ではなく、公平な描写を心がけよう」という概念だ。
一体何を根拠に言っているのか。せいぜいTwitter上の固定層が団結して凸るようになったぐらいじゃあないか。
「生娘シャブ漬け」にしたって、発端のfacebook投稿の時点ではさして大きな反響はなく、翌日にいつもの方々に拾って貰ってやっと広まった形だ。
現実は、巷に「正しくない」表現が次々と生み出されては定着し、
「世の中にポリコレが浸透している」「時代が変わった」だなんてポリコレ論者が自論を補強するための大嘘あるいは妄想でしかないのではないか。
広告デザインから原作の性的な成分をかなり抜いた点(もちろん「たわわ」の文言は残ってる)を過小評価どころか無視するのは、表現に対する批判としては片手落ちだよな。
頭の中が、ゼロかイチになってる輩が多い。
本件はかなりグレーゾーンの議論の対象のはずが、専門家が「見たくない表現を触れない権利」とか「性犯罪を助長する可能性」とか阿呆なぶち上げからスタートするから、肝心の「①未成年者を性的に眼差す(が抑えた絵柄の)漫画広告が、②新聞の全面広告に載ること」という、それぞれ即座に是とも非とも言えない問題がスポイルされてるように見える。
その辺の話は、ツイフェミとフェミニスト/フェミニズムを明確に区別しないと混乱するで。
概念が妥当かどうかは置いといて(俺は間違いだと思う)、70年代からこっち、そういう概念がフェミニズムに存在し無かった時代などない。
性的コンテンツやTV番組の犯罪助長、みたいな話はフェミニズムはしていなかった。
これはメディア論によって、90年代までにだいたい論破された。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story-germany-blm_jp_5eddab79c5b6bd197e145755
中でも「Silence is violence(沈黙は暴力だ)」「Silence supports racism(沈黙は人種差別を助長する)」というのがいくつもあり、目をひいた。
その通りだと思った。声をあげないことは、認めていること。知らない振りをしているのは、この状況を受け入れていることなのである。だから私たちはこうして集まり、これからは見て見ぬ振りはしない、人種差別は許さない、と世界と隣人と自分に宣言しているのだ。
正確には、出してもいいけど女とセットにしろ。
パーソルテンプスタッフ株式会社は以前、Hey! Say! JUMPの中島裕翔の写真を使った全面広告を日本経済新聞に出している(2021年3月23日)。
ttps://www.tempstaff.co.jp/corporate/release/2020/20210315_5025.html
また、ジャニーズから城島茂・国分太一・松岡昌宏が独立して株式会社TOKIOを作ったとき、同じく日経新聞に全面広告を出した(2021年4月1日)。
ttps://sirabee.com/2021/04/01/20162546415/
これらの広告には、日本人の男性しか写っていない。したがって、これは、日経新聞が創設メンバーであるアンステレオタイプアライアンスの掲げる「3つのP」の1項目「Presence」に反しているし、2項目目の「Perspective」も怪しい(後者にはTOKIOの視点しかないし、前者には、イケメン男性を愛好する女性ファンの目線で描かれている)。
だいたい、パーソルテンプスタッフ株式会社の業務と中島裕翔に何の関係があるというのか。中島とテンプスタッフの業務との関係は、巨乳女性が出てくる漫画と献血事業との関係くらい薄いだろう。事業の広告に無関係なイケメンを出すのはルッキズムを強化するので有害である。
えっ? TOKIOの広告にはTOKIOしか出てなくてTOKIOの視点しかなくても問題ない? 商品そのものの広告だった『月曜日のたわわ』は男目線だと叩かれたよね? ということは、商品そのものの広告にも「3つのP」は適用されるべき、ってことになるよな。OK?
納得してもらえたところで次いこうか。
Yoshikiのワインブランドの全面広告が日経新聞に掲載されたこともある(2021年12月15日)。もちろんYoshikiしか写っていないので、上述のジャニーズと同じ問題が発生する。日経新聞は今後このような多様性に欠けた広告はやめるように。
『月曜日のたわわ』の広告は有害なジェンダーステレオタイプを強化するのだそうだ。なるほど、有害なジェンダーステレオタイプを強化する表現が広告として世に広く掲示されるべきではない。
ところで、日経新聞は『鬼滅の刃』の登場人物である煉獄杏寿郎を使った全面広告を載せている(2020年12月4日)。
ttps://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1293062.html
ものの見事に日本人のキャラクターしかいない、多様性の欠如した広告キャンペーンだ。当然、「3つのP」に抵触する。
しかしそれだけではない。『鬼滅の刃』は、主人公に対して「弱い 未熟 そんなものは男ではない」「どんな苦しみにも黙って耐えろ お前が男なら」といったセリフを投げかけるキャラクターが存在し、主人公はその指導に従う。これは、弱さを否認するウィークネスフォビアや、弱音を吐かず耐え忍ぶという有害な男らしさ(トキシックマスキュリニティ)を助長する描写であり、男性にとって有害なステレオタイプである。このようなジェンダーステレオタイプを強化する広告を載せるべきではない。
また、主人公が刀を振るって戦うことは、刃物による攻撃に怯える人たちをさらに脅かすものであり、「刃物で人を虐殺して構わない」というメッセージを社会に発している。
なに? 『鬼滅の刃』をちゃんと読め、『鬼滅の刃』は主人公が虐殺を肯定するシーンなんて一度もない、だって? 『月曜日のたわわ』にも主人公が痴漢を肯定するシーンはひとつもないが、痴漢を連想する、痴漢を助長するとして叩かれた。ということは、『鬼滅の刃』も、刃物を振り回すキャラクターのイラストを以て、通り魔などの恐怖を連想する、通り魔を助長するとして叩かれなければ筋が通らない。
さて、ここまでは、実際に日経新聞に掲載された広告に基づく話だ。次からは、「アンステレオタイプアライアンスの創設メンバーとして、このような広告を載せないように注意してほしい」という警告を発しておきたい。もし将来このような広告が載せられたら、みんなは存分に批判してほしい。
プリキュアは短い髪のキャラクターであっても変身後は長髪になり、スポーティなキャラクターであっても変身後はヒールを履くなど、「女性は髪を伸ばしヒールを履くものだ」というジェンダーステレオタイプを強化している。「女性はヒールを履くべき」という固定観念がいかに時代遅れかは#KuTooの運動で明らかになった通りだ。さらに、なんと前作ではメイクがテーマとして扱われていた。「女性は化粧をするべき」というのが家父長制による押し付けであることは韓国のフェミニストたちによる脱コルセット運動が示している。プリキュアは女性のエンパワメントを阻害する。これ以上このような有害なステレオタイプ表現を公共の場に掲示すべきではない。暖簾の向こうにしまって子供に見せないようにすべきだ。
さらに、歴代プリキュアには男性メンバーがいない。これはもちろん、ジェンダー平等であるべき広告にはあるまじき多様性の欠如である。仮面ライダーに女性ライダーがいるべきであるように、プリキュアにも男性プリキュアがいてしかるべきだ。それが本当のジェンダー平等だろう。
したがって、プリキュアという多様性に欠け有害なジェンダーステレオタイプを撒き散らす作品の広告を、アンステレオタイプアライアンスの創設メンバーである日経新聞が出すべきではない。今後、プリキュアの広告を載せてほしいという依頼が来ても断るように。
『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』という漫画がドラマ化されてヒットを記録した。しかしこれは、男性に性経験がないと馬鹿にされ軽んじられるという有害な男らしさに基づく性規範を下敷きにしたタイトルであり、有害なジェンダーステレオタイプを助長している。日経新聞はこのような作品から広告を持ちかけられても毅然と断るべきだ。
また、チェリまほの原作者の豊田悠は女性である。男性同性愛者というマイノリティの性愛を、非当事者である女性が創作のネタにすることは、文化の盗用であるだけでなく当事者から機会を奪っているし(たとえばアメリカでは、白人女性がメキシコ移民を主人公にした小説を書いたことで簒奪だと批判された)、マイノリティを自らに都合のいい存在であるかのように扱うという性的客体化である。チェリまほに限らず、女性によって書かれた男性同性愛もの(あるいはその逆)を日経新聞は肯定的に取り上げるべきではない。なぜならそれは簒奪であり文化の盗用であり性的客体化であり、つまりはポリティカルコレクトネスに反しているからだ。
映画が大絶賛公開中の『ファンタスティックビースト』シリーズは『ハリー・ポッター』シリーズのスピンオフである。ところで、同シリーズの原作者J・K・ローリングがトランス女性への差別発言を度々行っているのは有名な話だろう。「温泉むすめ」のコラボが叩かれた件では過去にR-18コンテンツを描いていた作家がいたことが批判されたように、「誰がそのコンテンツを作ったか?」は重要な問題である。日経新聞は、間違ってもTERFによって作られた『ファンタビ』を肯定的に宣伝すべきではないし、広告に手を貸してもいけない。多様性を尊重すべき世の中なのだから当然だろう。
『月曜日のたわわ』全面広告批判の急先鋒となった『ハフィントンポストハフポスト』は、もちろん、日経新聞並かそれ以上に厳しい倫理観を問われる立場であるはずだ。であれば、まさか児童性虐待を恒常的に行っていたジャニー喜多川に対して肯定的な記事を書いてはいないだろうし、同性愛への偏見が根強く残る日本において同性愛者を面白おかしく扱ったステレオタイプ強化ドラマ『おっさんずラブ』の記事も同様であるはずだろうし、TERFが原作者である『ファンタビ』の知名度向上に寄与していたりはしないはずである。「ジェンダー、女性の生き方、人権、ハラスメントの問題、ルッキズム(ボディポジティブ)などに関心が」あるライターなら、なおさらそうでないとおかしい、の、だが……あれ?
本来青年向けにゾーニングされてる漫画の広告が全国紙に載る場合、それが公共の福祉に全く反さないと考える理由は何?その根拠は?
「公共の福祉」を持ち出すなら、漫画の広告が特定の誰かの人権を侵害するとまでは言えない、でFAだな。
今回はそういった法律論ではなく、漠然とした「社会」がどこまでの広告を許容するか、という問題だと思うけどね。
その時に、何の根拠もなく「性犯罪を助長する!」みたいな議論の妨げにしかならないノイズを入れないでくれ、と言ってるの。
ちなみに「青年向けにゾーニングされてる」のかは知らんが、少なくとも本広告では性的な記号がかなり抑えられていた。
本編にはもっと露骨な描写があるとのことだが、それでも痴漢を推奨するような内容とは全く逆の内容だし、ヒロインも人格と主体性を持ったキャラとして描かれている。
あくまで主観として、つまり「不快感」を根拠として配慮を求めるのは、全く正当な振る舞いですよ。それでいいんじゃないですか。
しかし根拠なく「痴漢を助長する!」をさも客観的な事実であるかのように主張するのであれば、立証責任はそちらに生じますよ、というだけの話です。
・作者の他の作品は関係ない。本広告が社会に与える影響の話ですよね?
・本作品は視姦そのものではないし、「痴漢にエスカレートする可能性」はそう主張する側が証明して下さい(再掲)
・もし広告だけで判断するのであれば、広告の絵柄は本編と違って性的強調もかなり抑えられたものなので、より社会への影響は少ないと思いますね(繰り返しますが、広告の方についてもどこにも痴漢を助長する要素はありません)。
というか、他人の作品の広告一枚をつかまえて社会に悪影響だまで言い張るのですから、その作品の内容をある程度理解するくらいは当然やるべきだと思いますけどね。
また広告である以上、広告を見て購入する層がいます。実際に作品を読んだ層への影響は広告を見ただけの層とは桁違いでしょう。
広告の上っ面だけ見て妄想をかますとか、まともな大人のやることじゃないですよ。
本作品が何の問題もないと主張しているのではなく、より解像度を上げた丁寧な議論をするべきだと言っているのです。
表現の自由が何であるかもう一度確認して貰いたいのですが、「これは社会的に有害」のような主張で他人の表現の自由を制限したいのなら、客観的な事実に基づかなければならないのは当然です。
いいえ。何度でも言いますがあの広告が痴漢を助長するという根拠はない。あればそう主張する側が出せ、です。
痴漢被害者の気持ちに配慮すべきはその通りですが、そこから広告を排除すべき理由として「あの広告は痴漢を助長しそうだから」という理屈が入るのはおかしい、と言っているのです。
「未成年者を性的に見る漫画の広告を新聞に載せることの是非」を問うためには、もっと作品の内容に踏み込むべきで、その上でゼロイチでなくその懸念の「濃淡」が問われるべきです。
広告が何がしかの影響を社会にもたらすのは間違いないですが、だからこそ広告の絵柄や本編のストーリーが問われるのですよ。
「月曜日の〜」は性的な視線を含むものの、痴漢を奨励するような漫画ではない。むしろ痴漢は否定的に描かれている。ヒロインにも人格や主体性が与えられている。
つまりこれを読んだ層が「よっしゃ痴漢したろ!」となるとはとても考えにくい。
また、新聞の全面広告はそのまま社会全体からのメッセージと解釈できるのか、という論点もある。
その上で、表現の自由とジェンダー平等との関係において、こうした広告を社会としてどこまで許容できるのか、というのがあり得る議論です。
また私は当事者でも何でもありませんが、人権同士が衝突している事案に市民が加わるのを否定するような言い方はやめて下さいね。
これは「社会」の問題ですから、当然市民に関与する権利があります。
ともあれ色々な意見があっていいと思いますが、「本広告が痴漢を助長する」というフェイクに乗っかった議論は、ノイズでしかありません。