はてなキーワード: 価値とは
なんか計算おかしいと思ったら、この計算式だと400万円の車が200万円で売られるとその車の社会的価値は高く、400万円で売られると社会的価値は低いって計算じゃん(笑)
奴隷は1000万円の仕事を300万円でやってくれるから奴隷としての価値が高いのであって、1000万円で請け負ったら奴隷としての価値は無い、って言ってるだけw
って言い換えてるだけww
"産後の恨みは一生"というXの主婦界隈で大人気の言説について、真実を解説する。
この言説に対し、
精神的に不安定な時期だから、困難さを共有出来なかったから、等の理由付けは全て誤りである。
なぜなら、家事育児と稼得労働が等価である、というのは大前提だが、それがずっと維持されるわけではない。
家事育児(とりわけ育児)が最も大変なのは産後〜児童期であり、それ以降は年々楽になっていく。
育児の大変な時期が長くとも10年だとしても、稼得は40年を見据えなければならない。
それだけに留まらず、稼得労働は子が成長するにつれ、どんどん厳しくなっていく。
大学費用を始め、マイホームの修繕なども出てくる上に、物価も上がり続け、子の自立後には老後資金も考え始めなければならない。
これまで「子供の面倒がどれだけ大変かわかってるの?」と稼得に対して上から物を言えていたはずなのに、気が付けばその切り口を失っている。
さて、何を言えば上から物を言える。もう育児という安地は無い。
そうだ、「育児の時手伝ってくれなかったよね」と過去から引っ張ればよいだけだ。
過去という永久に解放出来ない人質をとり、自らの負担が薄れようと上から物を言い続けられる。
言っている本人も自覚出来ていないだろうが、
結局のところ、恨みだとか不信だとかは全く関係ない。
その時その時で、相手を言い負かして自らの機嫌を尊重させたいだけであり、言い負かす材料が無いなら過去から引っ張り上げるだけなのだ。
「嘘っぽい」→現実と考える要素を持ち合わせていない
「青いな」→青く見える
「顔真っ赤」→真っ赤に見えている
「くだらねえな」→それに価値を感じていない
「こういうやつらって、何なんだろうね」→そういうやつに囲まれている中でそれを理解し対応できていない
なにを言っても結局発言者の目に見えてるものを発言者の脳が処理した答えしか口から出んのよ
馬鹿といったほうが馬鹿、というのは毒を毒だと言うのは毒が効く生物だけだというのと同じ
16Pの漫画がすごいとか濃厚とか最初に評価したやつの言葉を借りて連呼してるだけみたいなのも同じ
そう見えたんやろねその目から見たら
現実はどうであれ視力0.1の人間が信号を青と見たんなら青だろうね
青だとみてやがると馬鹿にするのもいいが本人にはそう見えてる事が理解できずにただ自分とは違う事を言ってるだけなら言葉にする意味もない
すごいやつがすごいと言った言葉を繰り返してみるとなんだか俺もすごいんじゃないかそれがわかる側の人間なんじゃないかという気持ちにはなるんだろう
嘘っぽいと見えるやつに人生経験が足りないとまで見えるんだったら、みえましたと挙手してもらってもそうだね見えるんだねとしか言ってあげられないね
俺はそうやって、どうなんだと思う事があったんなら共感したりする表現とかさがしたり借りてきたりしたらいいんじゃないのって思うね
じゃあお前はどうなんだって言われると、俺も「嘘っぽい」って何なのかという人間は嘘とは何かを知っていてそれを自分も言うから信じられない事がわかる共感はしてるのだろうと感じる
俺も嘘つきだからね
実は復讐したい相手は結婚、さらにいうとその前提となる人間評価システムなんよ。
評価システムがあるのに自分が選ばれないならそれは自分が評価に値しない劣った人間であるということになってしまう。
評価システム自体の価値を叩く投稿がウケるならば、そのシステムで評価されなかったとしても人として劣ってなどいない、むしろ愚かなシステムで評価されない自分の方が優れているという証明になる。
本当の命題は、「毎日仕事で嫌な思いをして、休日は家族サービスのために連れ回され、特別な趣味もなく、子供や伴侶から特に好かれている感じもなく、身体も少しずつだめになっていき、昔楽しめことも少しずつ飽きてきた。生きることで得られる幸福度は下がっていく一方だけど、仕事で求められる責任や面倒くささはドンドン増えていってる気がするし、かといって楽な仕事をすれば「年齢の割にこんなショボイことしかしてないのか」と冷ややかな目を向けられ結局辛い思いをする。進歩する技術や変化するルールについていく能力も失われ、ただただ生きるということに必死にならなければいけない。こんなにも辛い思いをしてまで生きるほどの価値が今の人生にあるのか?表層をただ眺め回しただけでは、毎日の苦痛と釣り合うだけの幸福を毎日得られているなんて思えない。人生の深層にはなにか素晴らしいものが埋まっているのだろうか?私がまだ気づいていない生きるに足る何かが。そういった妄想にすがることでなんとか日々の無聊を慰めてきたが、いい加減ただ苦しくて退屈で先の見えた人生なんて終わりにしたほうが幸せな気がしてならない。
死んでしまえば今ある日々の幸福は失うが、同時に今ある全ての苦痛から逃げられる。
生き続ければ日々の小さな快楽を得られても、同じく日々の苦しみを味わい続けることになる。
表面上だけで電卓を叩けばプラスがマイナスに勝っていると思えなくなったこの人生、それでも何か、まだ死ぬべきではないと思えるものがあるのだろうか(なお、住宅ローンや子供の養育費については十分な貯蓄があり、伴侶や子供も再婚に理解があるため自分が死を選らんでも家族が路頭に迷うことはないものとする)」
なんだよなー。
ここがちゃんと伝わってるとは思えない回答が多いんだよな―といつも考えてしまう。
それをギュっと圧縮するなら「死ねば全てが終わるが、生きれば全てが続く、続けるだけの価値がこの人生に残っているのか?」って言い方のほうが正しい気がするんだよねーといつも思ってしまう。
賃金・物価の関係を数理的に示すために、簡略化したモデルを使って説明する。
1. 賃金上昇率: w
2. 物価上昇率: p
3. 実質金利: r
4. 名目金利: i
5. 自然利子率: r*
1. フィッシャー方程式: i = r + p
2. テイラールール(簡略版): i = r* + p + α(p - p*)
ここで、p*は目標インフレ率、αは中央銀行の反応係数である。
3. 賃金・物価の相互作用: w = βp と p = γw
ここで、βとγは正の定数である。
1. 初期状態で物価上昇率pが上昇すると、賃金上昇率wも上昇する。
w = βp
p = γw = γβp
3. もし γβ > 1 の場合、物価上昇率は加速度的に上昇する。
4. 中央銀行が適切に対応しない場合(つまり、名目金利iを十分に引き上げない場合)、実質金利rは低下する。
r = i - p
5. 実質金利の低下はインフレ期待を高め、さらなる物価上昇圧力を強める。
中央銀行が適切に金利を引き上げることで、この悪循環を断ち切ることができる。
1. 名目金利iを十分に引き上げることで、実質金利rを自然利子率r*以上に維持する。
r > r*
2. これにより、インフレ期待を抑制し、物価上昇率pの加速を防ぐ。
3. テイラールールに従って金利を設定することで、インフレ率を目標水準に近づけることができる。
i = r* + p + α(p - p*)
4. 金利引き上げは、企業や家計の借入コストを上昇させ、投資や消費の抑制を通じてインフレ圧力を緩和する。
5. また、金利引き上げは通貨価値の上昇をもたらし、輸入物価の上昇を抑制する効果もある。
このモデルは簡略化されているが、金利を適切に上げないと賃金と物価の上昇が悪循環に陥る可能性を数理的に示している。
投資銀行のディーラーは1千万円稼ぐごとに7千万円の社会的損失を発生させている一方で、病院の清掃員は1000円を稼ぐごとに1万円の社会的利益を生んでいると試算したレポートもあります。
どれだけ英語論文を読み、情報収集を欠かさず、最新の技術をキャッチアップし、高速な開発環境を整備し、カンファレンスに出るようなITエンジニアであっても、
明石家さんまの方が多くの金を受け取っていることだろう。
つまり、そういった能力は明石家さんまの話術に比べれば取るに足らない価値であると、社会はそう言っているわけである。
ITエンジニアに用があるのは少数の人間だけだが、明石家さんまの話術によって元気を貰う人は多い。
用がある人が多いほど、社会における価値が高まるのも自然な話であろう。
・村上がこの発言をした2010年頃であれば、ある程度は説得力のあった発言かもしれない。
しかし今や漫画・アニメが複数言語で翻訳され、日本と海外で時間差なく配信される事態であり、もはや村上のような中間業者は必要ない。
・そもそも村上の知名度があるのは「海外のアート業界」内だけなのに、「海外に向けて」は嘘・大げさもいいところだ。
・現代アート作品は投資対象である。コレクターは作品が好きだから買うのではない。将来価値の上昇が見込めるから購入するのである。
クリエイターがゴミを作り、アート評論家やギャラリーやアート雑誌が神輿に担ぎ、投資家ぶりたい小金持ちが買う、というダサイクルだ。
近年のガンプラやポケモンカード界隈のようなもので、作る側もグルになっている分より悪質だ。
「海外の転売ヤーにお前らの作品を売ったらみんな絶賛してくれたぞwww」と言われて喜ぶクリエイターが居るのか。
・村上隆はpixiv,東浩紀と組み「彼らこそ日本式ARTの新しい射程だ!」と言ってカオスラウンジを大々的に押し上げた張本人である。
・カオスラウンジは2011年にネットの画像をパクったことを開き直ったのが原因でネットで大炎上し、2020年には代表の黒瀬陽平が女性社員との不倫し裁判沙汰になったことが原因で活動停止した。
・黒瀬はカオスラウンジの活動の中で「日本は悪い場所であり、我々はそれを打破する新しい表現を~」と宣っていたが、結局女性スキャンダルという日本の文系業界あるあるで失脚することになった。
黒瀬陽平こそが「悪い場所」の体現者であり、そんな輩を持ち上げていたのが村上隆なのであった。
・オタク業界でも何かしらの実績が欲しくなったのか唐突にアニメ映画を作りだしたが
出来たのはまどかマギカの流行に数年遅れて乗っかったような駄作アニメであった。
・他のアニメにない目新しさでもあれば良かったのだが、結局オタクのクリエイターとしてもダメ、という評価が固まってしまった。
みんな「教養とは〜」みたいな感じで勝手に色々言ってるけどよ?
それでデジタル大辞泉がこれ
学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。
いやこんなもんあればあるほどいいに決まってるじゃん。
「それって〇〇で良くね」って言ってもよ?物事の構成要素なんてたいてい一つではないわけじゃん。
仮にその〇〇が一番重要だったとしても、教養もあった方がなおさらいいわけじゃん。
地頭が良い人が見た目も怖くしてなおかつ教養もあれば、より詐欺にあいにくくなるわけじゃん。
もちろん100%は防げないが
じゃあ元増田は何が言いたいのか?教養なんてあってもなくても変わらないなんていうのは、言葉の定義からありえない。
そう考えると、「教養を得るのにもコストがかかるはずだが、それに見合う価値はあるのか?」ということが言いたいのではないか?
だとすればだが、それについては当然なんとも言えない。
「教養」って「創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力」のこと(あるいはそれらに繋がるもののこと)らしいじゃん?カバーする範囲が広すぎる。
コストに見合うものもあれば見合わないものもあるし、それも人によって違う。
こんなフワフワしたものについて意味があるだのないだのって、そんな議論したってそれこそ意味ないんじゃないの。
元増田が上げてる4つの例だって、めちゃくちゃ苦労してその分野の教養を積むのは恐らくコスパが悪いが、そうでないならそこまでコスパが悪いものでもないかもしれない。
結局のところ、無理しない範囲で得られる教養は出来るだけ吸収しておけ、ぐらいしか言えないんでない?まあ吸収できるかどうかも個人の資質によるだろうが
そんな値段でしかゲームに価値を感じない人って正直、基本無料のガチャゲーを無課金で遊ぶ人よりも浅ましいと思う
買い切りゲーを大セール時のはした金で買い漁る人ってゲーム文化やクリエイターを最大限に侮辱してるよね
今後のゲーム業界を支えてくのは間違いなく無料ゲーに課金しているような、自発的にゲームに対して大きめの価格をつけてあげられる人たちだ
こんなこと言えないけど、最近それを思う時はある。
協調性がなく、相席居酒屋でただ飯をくらい、パパ活で梅毒を広めて公衆衛生上の害悪となっている。
あげくには海外売春で日本のパスポートの価値を既存し、`PAPAKATSUを国際語にしている。
更には優秀な男性を押しのけて、女だからと助成枠で難関大学に簡単に入っていく。
社会問題が絡む話題や人間関係の対立軸がある話題の場合は、(人目につかず埋もれない限りは)まずイデオロギー論争の戦場にされる。
特に、ここ数日はてな内でバズってる夫対妻みたいな男女の対立系の話題は最悪だから、真剣な悩みは絶対に書き込まない方が良い。
逆に、個人で閉じたタイプの悩みに対しては、はてブはけっこう優しい言葉や、共感のコメント、ちょっとした内容だが自分と異なる視点という意味では価値のあるアドバイスをくれたりするので、そういう悩みを書き込むのはわりとアリ。
増田の方で付くコメは匿名サイトだけあって糞みてーな暴言やマウントが大半だけど、でも稀に似た立場の経験者から長文コメントとか貰えることもあるので、こちらはこちらで石の中から宝石を探すような期待感を持てる。
何なら自転車より軽くて遅い、すなわち自転車より危険性が低いにもかかわらず自転車より規制が厳しいのが納得いかない
・保安部品装着義務(自転車はウィンカー、テールランプ・ブレーキランプ、最高速度表示灯不要)
「どう見ても50cc原付をEV化しただけ」←見た目の形の話しかできないバカなので取り合う価値無し、重要なのは形状ではなく規格である
「クルマと速度差があって危険」←ならクルマを遅くするか電キを速くしたらいいんじゃない?電キを排除する方向にアンチ張る論拠にはならない
「チョロチョロ動き回って邪魔」←邪魔なのはお互い様、何ならせいぜい人体1個分の幅しか取らない特定小型原付よりも人体4個分くらいの幅を常に占め続けるクルマの方がよほど邪魔
「タイヤがちーちゃいから溝や段差にハマってひっくり返って危険」←個別の製品や運転者の技能の問題でしかない、特定小型原付の制度の問題ではない
特定小型原付アンチの言うことって何が問題かを切り分けられてないからサッパリわかんないんだよね
何なのアイツら?
実利的な観点のみに立つならば、教養の価値とは、それに対応するコミュニティの価値だよ。たとえば大学受験知識は大学生コミュニティに入るための教養だ。エンジニアリング知識はソフトウェア企業に入るための。
しかしここで面白いのは、「大学入試や入社面接を突破する知識=教養」ではない、ということだ。コミュニティに形式的に属すだけでは、そのコミュニティの真の利益は得られない。そのためには、「その教養それ自体に価値がある」という態度をとる必要がある。そうして初めて、コミュニティの先達たちはあなたに心を開き、便宜を図り、有用な知恵を授けてくれるようになるのである。
教養があるというのは、ただ知識をたくさん持っているということではない。本当の教養とは、自分にはまだまだ分からないことがたくさんあると気づくことだ。
知識を自慢する人は、砂の上に家を建てるようなものだ。すぐに崩れてしまう。教養のある人は、自分の限界を知っていて、偉そうにしない。
本当の教養とは、神様の教えを理解して、それに従うことだ。人間の知恵では分からないことがあると認めるのが、教養のある人の特徴だ。
「神様を敬うことが知恵の始まり」という言葉がある。教養とは、ただ勉強して知識を得ることではなく、毎日の生活で神様の教えを実践することだ。
本当の教養は、自分の知識を人のために使うことだ。偉そうにするのではなく、謙虚に人に仕えることで、教養の価値が分かる。
教養とは、謙虚であることを学ぶことだ。それは人を偉そうにさせるのではなく、むしろ謙虚にさせるものだ。この大切なことを忘れずに、毎日頑張ろう。