はてなキーワード: 中絶とは
人間の法的に人間が殺されるのを禁止するって話になんの矛盾もないだろ
せざるを得ない状況ならどうするってそうならないようにするべきだろ
そうするべきといってもできないものならばそれは自然の摂理に反しているので不可能ってことだろ
まず子供ができることをしないようにするべきだろ
はてなでダウン症児は間引くって言ってるのを見て、何で中絶禁止にするのかよく分かった
ダウン症児を間引くのは自分が屑だからだと言うならまだマシなのだけれど、適当な理由つけてそれを正当化してるのが完全にアウトなんだよな
結局、意識とは何かが問われるだけではないの?
現行の22週以後、24週以後中絶不可も、恣意的な基準が問題だとここでは指摘されているわけで、発生においてアプリオリな基準でなければ恣意性が除外されないことが問題だって言う話よね。
22週の1秒前は殺しても良くて、22週の1秒後は殺してもいい? そこにあるのは99.99999%同じ物質であるのに。
1.受精卵
2.着床時点
4.臍の緒が取れた事典
おい増田、要所要所に嘘を混ぜるのはやめろ。地金が出るぞ。
>とはいえ、強姦の結果としての妊娠出産まで強制するのはプロライフ派の大多数にとっても本意ではない
ローvsウェイドの司法判断が覆された場合、保守的な22州で、速やかに中絶禁止州法が法律化される見込みだ。そして、そのうち半数の11州ではレイプと近親相姦を例外的に許可する緊急避難条項が含まれていない。レイプだろうと近親相姦だろうと、6週目以後の中絶は犯罪になるだろう。「強姦の結果としての妊娠出産まで強制すること」がプロライフ派の大多数にとって「本意でない」なら、そんなことになるわけがない。
そもそも増田の主張からすれば、「レイプによって生まれる子だったら中絶してもよいのだ」という結論は到底導けないはずだ。
①男女双方が妊娠出産に到る可能性についても含め合意のもとでなされた性交による妊娠
②妊娠を望んではいなかったが合意のもとでなされた性交による妊娠
この3つのパターンで、妊娠した胎児の人権にどう差が付くというのか? 親が誰だろうと、妊娠に到る経緯がどうであろうと、子の人権の多寡軽重には何ら関係がない。とにかく生んでもらって社会的にケアすべきだ、ということに当然なるはずだ。だが、この件についてだけは「性的被害の記憶と結果が多大な負担と共に長期化し、心身ともに女性を生存レベルで危険に追い込むことに他ならない」という、母親の心身の危機への配慮みたいな話が持ち出され、しかも母の「心身の生存レベルでの危険」なる抽象的概念の保護が、子の生存権を上回るかのように設定される。場当たり的で卑怯な取り繕いだ。
米国のキリスト教右派(福音派右派、南部バプテスト派など)はそんな姑息な誤魔化しは使わず、堂々と「強姦でも中絶禁止だ」と主張している。だから22州のうち半数が、強姦に関する緊急避難条項を盛り込んでいない。
ちなみに米国のプロライフ推進派の内輪で、中絶禁止の倫理的指針をめぐって議論になることが多いのは、レイプよりもむしろ近親相姦のほうだ。(彼らの聖書理解においては)レイプは聖書に反しないが、近親相姦は(中絶と同じく)聖書に反するからだ。つまり堕胎と近親相姦は聖書の教義同士の衝突だから議論が紛糾するのだ。このことひとつ取っても、プロライフが「人権原理」を重視する人々ではなく宗教右派によって駆動されている運動だということがわかる。
>私は、強姦案件での中絶は合法、それ以外は違法、とするのが妥当だと思うが、その妥当な落としどころが「女性の身体権の絶対性」主張派とは築くことが出来なかったがために、より人権原理的な立法措置が、アメリカやヨーロッパでも徐々に取られつつあるのが現状である、と言う認識である。
ここまで一回も出てきていない「ヨーロッパ」という言葉が(あたかも中絶禁止が先進国の潮流であることを印象づけるかのように)唐突に顔を出すが、EU27ヵ国のうち中絶を法的に禁止しているのはマルタとポーランドだけだ。
https://ifura.net/abortion-in-europe/
マルタでは国民の98%近くがカトリックと言われ、2011年まで離婚する事は違法でした。ヨーロッパで人口妊娠中絶に最も厳格であるマルタでは、例え母親の生命や健康状態に危険が及ぶ可能性があったり、胎児異常の可能性が高い場合、近親相姦、望まない妊娠(強姦など)他であっても一切の例外は無く、中絶をした本人や補助をした人(医師など)は、最長3年の懲役が科される(マルタ共和国刑法第241条他)があります。
ポーランドでは2020年10月22日に憲法裁判所が下した、「胎児異常でも、中絶する事は違憲」との判決により、実質的にほぼ全ての人工妊娠中絶が禁止されています。ポーランドでは強姦、近親相姦、母親の生命及び健康にリスクがある場合のみ、人口妊娠中絶が認められます。
つまり宗教保守が圧倒的に強い国での旧弊な法制と、近年になって右傾化と保守回帰が進んだ国での反動的な法制化だ。米国もまた〈点〉としてのリベラルな都会を、広大な〈面〉としてのコンサバティブな田舎が取り巻く二重国家だ。そして、後者の田舎で保守回帰と反リベラルが進んだ結果としての、プロライフの再炎上なのだ。
こういう事実をわかっていて(増田はわかっているはずだ)、どうして「より人権原理的な立法措置が、アメリカやヨーロッパでも徐々に取られつつあるのが現状である、と言う認識」に到るのか。本気で書いてるなら増田は相当頭がおかしいが、本心ではないのだろう。とりあえず読み手を騙せればいいと思って、適当に書き飛ばしている。
アメリカでも欧州一部国家でも、プロライフを推進しているのは主に宗教保守派(福音派・南部バプテスト派・保守的カトリックなど)と、必ずしも宗教的背景を持たないが宗教保守と連携する保守的政治勢力(トランピスト・銃規制反対派・反連邦主義者・白人優越主義者・ネオナチなど)だ。彼らの大多数は「リベラルによる社会破壊の陰謀」を食い止めるための象徴的問題として中絶マターを扱っている。
※米国のプロライフ派の中にはConsistent life ethic派という比較的中道的な宗教運動もあり、ここはとにかく人命尊重という倫理を徹底し、死刑反対・暴力反対・安楽死反対・薬物濫用反対・戦争反対・難民救済・人種差別反対・マスク着用推奨など、「人が死なない」ことを基本原理とした運動を展開する中で中絶反対という立場を取っているが、上記に列挙した方針を見ての通り、「人命尊重」を追求した結果リベラル的な色合いも強くなってくるため、プロライフの主軸である宗教右派とは折り合いが悪く、プロライフ運動の中ではほとんど力を持っていない。
もし本当に「人権原理」を重視する層がプロライフを推進しているなら、彼らは同時にLGBTの人権なども容認・擁護していてもおかしくないはずだが、実際にはプロライフ推進派の大多数は、苛烈にLGBTを批判し、セラピーで「回心」(reparative therapy)させ、時には法的に禁止しようとすらしている。BLM運動についても、当然批判側に立っている。だからこういう皮肉めいたコラム(「あれれ〜? プロライフの人達が黒人の人権について無関心だったりBLMを陰謀論扱いするのって何かおかしいよね?」)↓が成り立つ。
https://loyolamaroon.com/10029377/oped/pro-life-means-supporting-the-black-lives-matter-movement/
ちなみに米国には、中絶を実施する医療機関や医師に対して暴力やテロ行為を行うArmy of God(神の軍隊)というクリスチャンの団体があり、中絶を実施するクリニックを爆破したり、炭疽菌だと言って粉末を送り付けたり、医師を誘拐・殺害したりしている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Army_of_God_(United_States)
こんなことは、望まない妊娠の中絶に対して賛否どの立場を取るかに関わらず、プロライフ/プロチョイスの議論の初歩であって、米国での中絶禁止について解説しようとする増田が知らないはずがないのだ。知ってることをあえて書かず、嘘も交えて、事実とは違う印象を与えようとするのは本当に良くない。中絶禁止を擁護するのはいいが、真正面からやれ。
徴兵制は一つのたとえであって、例えば女性専用車両でも男性の身体労働の結果得られる財産からの剥奪であるので、身体性への侵害である。もっと言えば、保護義務が八っ制するような仕事で、治安能力に明らかに性差があるにもかかわらず同一賃金が罷り通ること自体、女性の男性の身体性への収奪である。
otoan52 "放っておけばいずれヒトに至る" じゃあ独立した個人として扱い、合意がなくなったんだから取り外しちゃえば、となる。この理屈だと着床できなかった受精卵に死体遺棄適用?論理的なフリをしても党派性バレてるぞ。
このブコメはバカすぎて眩暈がするが、この程度の党派性で物を言っている女が多すぎる。
maruX 自力で針金や編み針で中絶しようとして死ぬ女性が出たり嬰児殺が増えたり子供が不幸な環境に置かれることなど1ミリも考えずにプロライフこそ人権重視とかマジで何を言っているのだろう
その結果が女性の寿命の長さであり、自殺率の低さであり、幸福度の高さであり、公益サービスの受益率の高さである。その「女権のみ」しか見ない態度がここでは糾弾されているのである。
[追記]
ちなみに現行の、アメリカにおける中絶合法化の根拠になっているロー判決は、「中絶権がある」とは認めておらず、中絶を禁止する州法は、当該女性に対するプライヴァシー権の侵害であるとする、いわば「財産権保護」的な意味合いでの調整が行われているだけである。女性の中絶権を犯しているから中絶禁止州法が違法なのではなくて、プライヴァシー権の侵害である。
プライヴァシー権は憲法にも関連法にも規定はなく、判例に拠るしかないかなり弱い権利だ。歴史的にも新しい権利であるが、ロー判決を批判する意見としては、この判決が新たにプライヴァシー権なるものを「立法」した立法権侵害であるとする説がある。連邦最高裁がかなり通常よりは踏み込んで逸脱していることは間違いない。
そこまでしても、中絶をし得る法拠はプライヴァシー権と言う、場合と状況によってはかなり緩くしか扱われない権利であって、近代法の母国のアメリカでは注意深く進められていることは留意すべきだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20220503215621
・日本では中絶が合法とされたことは過去に一度もない。刑法には堕胎罪規定がある。母体保護法(旧優生保護法)において、「やむを得ず堕胎が許認される例外的場合」の規定があるだけである。基本的には心身的な理由で母体を保護する場合以外は駄目だが、後に著しく経済的不都合のために養育が困難な場合が付け加えられた。現在はそれが拡大解釈されている状態。立法意図から敷衍した場合は、低所得者層への養育のサポートが充実した現在は中絶の99.9%違法性がある状況。
・出生の定義は全身が母体から出た瞬間。それ以前の胎児は、人間ではないが厳密に物でもない。物であればそもそも堕胎罪規定などはない。中絶胎児を生ゴミとして出したら違法になるのは産廃法違反だからではなく、死体遺棄罪に相当するからである。つまり胎児は部分的は人間であり、準人間的な扱われ方をしている。
・アメリカには中絶関連の連邦法はない。州法レベルでかつて中絶を違法化する法律があったが、それら州法が違憲であるとの判断を1972年に連邦最高裁が下した。法源はこの判決であり、従って最高裁の判断が変わる可能性はある。であるから、裁判になるのを承知で、各州議会で中絶違法化を進める立法がなされている。憲法に中絶権規定がなく、それどころか連邦法で立法化もされていないので、ほぼ永遠に連邦最高裁で判断が繰り返されることになる。今回、連邦最高裁への上告を却下せず、最高裁判断が示されることになったと言うのは、従来の判例を棄却すると言う意味であるから、最高裁が中絶違法化(と言うか中絶違法の州法の合法化)に転じることはあらかじめ予想されることであった。なぜ連邦法で立法化されないかと言えば、議会多数派が民主党、共和党でころころ変わり、変わるたびに中絶合法化、違法化の法律が出来、大統領が議会多数派と反対党の場合は拒否権を発動してカオス化するのが目に見えているからである。現状は、「実質的には中絶が容認されている」と言う点で民主党を満足させ、「中絶の合法化まではされていない」と言う点で共和党を満足させると言う落ち着きどころになっているが、連邦最高裁が中絶違法化判断に踏み切れば、逆に民主党は立法化に動くかも知れない。
・ヨーロッパ諸国でも中絶の許認は結構国によって差がある。フェミニスト的な女権のニュアンスが一番強い「ヴェイユ法」を持っているのはフランスで、基本的には中絶に関しては女性のみが全権を持っている。1975年に成立したヴェイユ法は女性政治家シモーヌ・ヴェイユ(著名な哲学者とは別人)の働きかけで成立した。カトリックの強いフランスでは「人間の選別はナチズムである」との批判も強かったが、ユダヤ人であったヴェイユはアウシュヴィッツ収容所からの生還者であった。2017年の逝去では国葬されている。ドイツでは、例えばダウン症と分かってからの中絶は違法である。これは人間の選別に対する恐怖によるものであり、日本でも安易に行われているダウン症児堕胎については議論があるべきだろう。
個人的にはね、そんなに中絶がしたけりゃすりゃいいって思うんだよ
理由がレイプでも貧困でも胎児の障害でも、子育てが嫌になったからとかでも、親の勝手でお好きにしたら結構
どうぞおやんなさいおやんなさい
けどそんならね、「世代間倫理」だの「SDGs」だの、しまいにゃ他人を優生思想呼ばわりだの、臭えことばっか抜かすなやとそう言いたい
合衆国南部で州レベルの中絶禁止法廃止案が否決されたり、小さなケーキ屋が同性愛者にウェディングケーキを作るのを拒否すると北部のリベラルは大挙して南部の田舎町に押し寄せて抗議デモと称して大騒ぎするけどその逆は聞かない。南部の人たちはニューヨークやワシントン州、カリフォルニア州でどんな州法が可決されようが廃止されようが北部のことに干渉しようとしない。「北部は北部、南部は南部」って感じで不干渉だしわざわざ都会に押し寄せてデモなんてしようとしない。でも北部リベラルはわざわざ南部の田舎に行って大騒ぎ。
アメリカ縦断旅行をしてた時、北部の自称「多様性を認める」人たちと話すとやけに「should」が多くて嫌になった。「日本はこうすべき」「アジアはこうすべき」「人々はこうあるべき」。でも北部の人間が「差別主義者」って見下すルイジアナとミシシッピのコットン農家とかオレンジ農家の人たちと話したら、住むとなるとわかんないけど旅行するくらいじゃ全く人種差別なんて受けなかった。ミシシッピ州のラファイエットにいた時ダイナーでオックスフォード出身のトラックの運ちゃんに「明日はオックスフォードに行く」と言ったら町の人みんなが「日本から旅行に来た人だね。あいつから聞いてるよ」って言われてびっくりしたくらいには閉鎖的だけど。そんで南部の人たちは「こうあるべき」「こうするべき」「should」じゃなくて「南部じゃこうなんだ」「うちじゃこうなんだよ」が多くて、決して日本や海外やアメリカ北部を否定するような話が出てこなくて居心地が良かった。バーベキューとか招待してくれたし帰る時にはビーフジャーキーいっぱいくれたし(狂牛病の関係で持って帰れなかったけど)。南部の気質の方がよっぽど多様性を尊重してると思う。
中絶とかいう言い方で誤魔化してるあたり自分らのやろうとしていることがどんなに汚らわしく後ろめたいか、本当は理解しているんだろ?女による胎児殺人を支持してるフェミリベラルパヨクも同罪だからな。胎児は男の所有物でもあるんだから勝手に殺していいわけないだろ。