はてなキーワード: ゾンビとは
ドッペルが俺の兄貴に好意を持っているのは、仲間はみんな知っている。
だけど、その好意がどんな色をしていて、どんな形をしているかはボンヤリとしていた。
たぶんドッペル自身もよく分かっていないんだと思う。
そんな状態で無理に型にはめようとすれば歪なものになってしまう。
四角いスイカってあるだろ?
あれって容器に入れて、その中で成長させて作ってるんだ。
大人の発想としては、かなり強引だよな。
あの形にするために手間隙かけて“団子より花”を作ってるんだ。
まあ花の方がいいって奴もいるんだろうけどさ、ドッペルの気持ちは観賞用じゃないだろ。
それはタオナケだって分かっているはずなんだけど、この時のあいつは冷静じゃなかった。
「ねえ、ねえ、ドッペル。ロマンス育んでる~?」
「ろ、ロマンス……?」
「そうよ、ロマンスは死なないの! 初恋はゾンビとなるのよ!」
意味不明なことを口走るタオナケに、内気なドッペルは戸惑うしかない。
今のタオナケには、ドッペルの困った顔が見えていないようだ。
「何もないのなら何かしなきゃだめよ。失敗を怖がってはダメ。失敗しない人間は何もしない人間だけなんだから」
なんだか自己啓発セミナーじみたことを言っているが、たぶん漫画の受け売りだろう。
タオナケは善意でやってるんだろうけど、あれほど“余計なお世話”といえる状況も珍しい。
時代が違えば、地元のお見合いを斡旋する「お節介おばさん」として活躍したかもな。
「うーん、そろそろ止めるべきか」
俺は二人の間に割って入ろうとする。
このまま続けさせるとドッペルが可哀想だ。
「マスダ、ちょっと待って」
しかし仲間のミミセンが俺を止めてきた。
「今のタオナケは恋愛模様に飢えている。いま止めてしまうと、かえって悪化させるかもしれない」
最近、知り合いにタバコをやめたがってる人がいたんだけど、その人はすっぱりやめるわけじゃなくて吸う量を少しずつ減らすようにしているらしい。
無理やり我慢すると禁断症状が出て、かえって日常生活に支障が出るからだ。
まあ結局その人は今でも喫煙者のままだけど、やってること自体は筋が通ってる。
つまり今のタオナケも、恋愛模様から遠ざけると危険ということだ。
恋愛脳の状態で機嫌を損ねれば、いつ念動力が暴発してもおかしくない。
あの時は泣いたなあ。
ドッペルには(それと兄貴には)気の毒だけど、タオナケが落ち着くまで話を合わせてもらおう。
ニュースサイトに流れてくる「鬼滅の刃」論では作者自ら「参考にした」と話してるせいかジョジョとよく比べられていて「影響受けてる」とか「受けてない」とか言われてるけど、最後まで読んでみて一番似てるのは「鋼の錬金術師」だよねって思った
鬼滅最終巻のラスボスの執念とラストバトルの総力戦の展開は、鋼錬最終巻を思い起こさせる
ってなると兄弟愛をテーマにして兄が弟(妹)を元に戻す旅に出るって展開からして同じパターンだし、合間に泣ける悲劇のエピソードもはさみ、敵にも同情させ、ラストもギリギリまでラスボスに追い詰められる中で弟(妹)の想いによって兄に力を与えて勝利をもぎとるのも同じ。作品全体のテーマも「命」とか「つなぐ」とか。
さらには両作品とも20巻台で完結していて、両方とも作者は女性。20代で連載開始し作品完結時の年齢は30代。両者とも連載終了後に東京から離れて地元在住。
共通項は多数あるのに、鬼滅の敵はゾンビものや吸血鬼もののジャンルに加えられるので、ホムンクルスというなかなか分かりにくい敵ジャンルのハガレンは比較の対象から見逃されがちなのである
明確に違うのは主人公の目つきの悪さか
2000年代の20年、大ヒットして時代を作った「命」テーマの両作品の作者が2人とも地方出身の20代の女性作家だって点を、評論家の人は分析して論じてほしいね
まず、この作品は未来少年と言いながら、主人公は中年の髭を生やした船長であった。
彼は歳の大きく離れた美少女に恋をしたが、現代の日本において児童婚は違法であり、またそのような恋が実るはずもない。
最終回「大円団」で彼は潔くJSを諦め、姉さん女房、肝っ玉母さん、「私はあなたのママです」な成人女性と結婚する。
古くはミイラ取りがミイラになり、現代ではゾンビハンターがゾンビになるのである。
歴史上有名なロリコンといえば、古くはナボコフのロリータ、ゲーテの晩年の失恋、少女と結婚したが金を持ち逃げされたゴーギャンが思い浮かぶ。
しかし、未来少年コナンの作者は、そんな幻想は捨てろ、目を覚ませ、成人女性を恋愛対象としろ、と作品で熱く訴えかけてくるのである。
これは作者の実体験に基づいているのではないか、そう思えるぐらいの説得力であった。
中年や老人がJSに恋をしてもJSとの恋愛が成就するはずがないのである。
JSはただ足の指の力が異常に強いDSと駆け落ちして村を出ていくだけなのである。
我々老人はJSを遠くから眺めながら、嫌々JavaScriptを書き、ゴロ寝して任天堂DSで遊ぶのである。
そう考えるだけで未来少年コナンを観るのがつらくなるのである。
未来少年コナンの代わりに名探偵コナンを観ても、非実在のロリババアに恋をするのでよろしくないのである。
フランク・フラゼッタの画集を観ながら、おっぱい!おっぱい!と悶えるべきなのである。
格好つけて英語キーボードを買ってみたけど、
円マークがどこにあるか分かりません。
ちょっと前に水戸行くんだ!って言っててこないだ行ってきたんだけど、
水戸ってさ
仙台の伊達政宗さんは牛タンを全国に広めた人で概ね兼々有名なのね。
じゃ水戸は?って思ったら、
あの水戸黄門さまのふるさとというか生まれ育ったというか発祥の地というのか産地なのかしら?
ラーメンを初めて日本で食べた人だってググったら一発で出てくるけど、
でね、
本格的なあのあのよ!
あれがずらーっと一面に吊り下げられて売ってたら迫力あるし
納豆の素敵なスメルがスゴかったわよ!
なんか納豆の香りがする!って香りのもとに導かれるようにリビングデッドでお馴染みのゾンビばりに売り場へ歩いて行ったら、
ゾンビってあんな全速力で走れるものかしら?ってそんな話しは置いておいて
2つ耳のところに当てて卑弥呼様!って言うのと
藁納豆に火を灯してファイヤーダンスしか思い浮かばなかったのが残念でならなかったんだけど、
もっと残念だったのは、
納豆ってお土産で買っても要冷蔵ちゃんみたいな感じで持ち歩かなくちゃいけないので、
いざって言うとき、
いちいちクーラーボックスから出す手間って敵に見られたらダサいじゃない。
懐に隠し持っておいていざってときに出せばいいとも思ってない?
あれもあれで、
そんなこんなで
まだ食べてないけど。
納豆で思い出したけど、
羨ましいでしょ?
でね、
スーパーカップ界のアイスと言えばスーパーカップでお馴染みなんだけど、
その
あのまるでアイスのスーパーカップに入った大盛り納豆が私のお気に入りで、
これってスーパーカップ界に凛として君臨し輝く素晴らしい納豆なのよね。
なんでも1.5倍っていう大盛りさ加減で
スーパーカップ界に一石を投じているのよ。
ってまあラーメン界のスーパーカップのそんな話しは置いておいて
でも欠点なのはその納豆スーパーカップ1つ200円ぐらいするので、
美味しいからいいけど。
そう思ったらいきなり合点がいったのよ!
あの印籠入れに納豆入れたらスマートに敵にかざせるんじゃね!ってスゴい発見したわ。
あの印籠入れには、
さすがに生の納豆がダイレクトに入ってるわけじゃないだろうから
まんまその形の
納豆だけに!ってね。
さすがにその木刀を買うノリで
でもちゃんと普通の瓶入りの乾燥納豆のふりかけは買ってきたわ!
この紋所が目に入らぬかー!ってね。
敵はビックリして驚くはずよ。
だって納豆の匂いもしないから懐にそんなのを持ってるだなんて思いもしないでしょ?
藁納豆で卑弥呼様とファイヤーダンスとジャグリングは思い付いたので、
それら使って良いからね!
水戸って梅も有名なの?
今思ったらそれ梅関係ないじゃん!って
雪山で遭難したときにセントバーナード犬が首からぶら下げているウイスキーをほら飲めって言うぐらいな勢いで
パプロンを咥えてほれ飲めって薬を持ってきてくれる賢いワンちゃんのように条件反射で思っちゃったわ。
自分用に1つ買って食べてみたら、
ほんと、
ぜひ水戸に行ったら美味しいものがたくさんあったからいろいろと試して欲しいわ!
あの大仁田厚さんの有刺鉄線電流爆破デスマッチの有刺鉄線を藁納豆縄のようにしてに置き換えたやつよ!
うふふ。
時間が無かったのでおにぎりにしようかと思って鮭おにぎりを買ってみたものの、
週明けの朝の忙しさ故、
事務所に来たらさっさと朝の作業をしていたら食べるのを忘れていたわ!
私の中の天使と悪魔が戦っていたわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
腹が減らないのではない。何ならいつも減っている。
偏食なのではない。嫌いな食べ物はない。
小食なのでもない。並の女性より少し多く食べられる方だと思う。量が多くなりがちな旅館の夕食や法事の食事なども残したことがない。
ただただ、「食べたい」という気持ちがとても薄い。
空腹と、何か食べたいという気持ちが連動していない。周りを見ているとおそらく、多くの人が空腹を感じれば自動的に食欲のスイッチが入り、食事をするということになるのだと思う。
自分にとって空腹は空腹であって、それ以上でも以下でもない。ただ、お腹が減ったな、と思う。よっこらせと腰を上げなければ、フルオートで何か食べたいという境地には至れない。
結果的に、軽率に食事を抜いてしまうことになる。もしくは、「これじゃ足りない」という気持ちもないために、少しの量で食事をしたとカウントしてしまう。ルマンドを一つ食べるとか。
「おいしい」は理解できるが、それを追い求める気力がない。加えて「おいしくない」判定のハードルが非常に高いため、たいていのものはおいしい。強い好物もない。最近、私はゆで卵が好きなんじゃないかなという気がしてきた。でも明日からゆで卵を禁じられても、そんなに悲しまないと思う。そのぐらい。
今は一人暮らしなので、生存のために「昼食だけは金をつかってできる限り食う」ことを自分に課している。職が外回りなので、訪問先をうろうろして何か食べることは仕事のうちなのだ。結果的に1日1食のような生活をしている。
料理は苦手ではない(とはいえ食べられれば良いため同じメニューを作り続けがち)。確かに面倒くさくはあるが、食欲のある人間なら買って食べればよい。外で食べても良い。お金に困る経済状況ではない。
義務感と強迫感によって何とか食事を作り、食べる。義務感と強迫感からなので、それらを横に置いておきたくなれば簡単に食べないことを選ぶ。とても調子が良くてやる気に満ち、他にしたいことがあるときは食べない。とても調子が悪く、何もしたくなさが勝れば食べない。
最近に始まったことではない。子どもの頃も食欲の薄い子どもだった。ただ、当時は食事を作ってもらい、それを食べる以外の選択肢がないので顕在化しにくかっただけだ。「お誕生日には何が食べたい?」「今日は外で食べようと思うんだけど、何がいい?」こういう質問が本当に苦手で、いつも曖昧にお茶を濁していた。何も思いつかないのだ。兄弟が自分の誕生日の時に毎回即答するので驚いていた。
困ることはいくつかある。
・健康に悪い。
良いわけないよなとは思っている。当たり前のように、低体重、低血圧、低体温の3拍子揃っている。以前体重を増やしたいと思い、ジムに通ってみたのだが(有酸素運動はするなと言い渡された)確かに筋肉がついて姿勢が良くなった気がするものの、脂肪の減りに追いつけず体重は落ちた。
吐いたりしていないし普通に食べているので拒食症ではないと思う。せめてと思って野菜ジュースをすすってみたりしている。
・ストレス解消、ごほうびを作りにくい
食欲というのは他の様々な欲求に比べるとカジュアルに満たすことができる欲だ。そのため、世の中の人はよく好物などで自分のやる気などをコントロールしているように見える。その手法が使えない。
学生の頃は、終わらせておやつを食べることをモチベーションにして勉強をはかどらせる方法が情報誌によく出ていた。自分も実践しようと試みるのだが、終わらせたところでチョコレートを食べる気は起きず、ただただ机の隅にチョコレートを積み上げていた。
怒りや憤りも薄い人間なのでストレスはそんなにないのだが、重い案件が終わったときや、夜遅くまで仕事をしたときなど、コンビニで何か買うことで自分なりに区切りをつけようと思う日もある。しかし入ったところで何も欲しいものは見つからないので、ゾンビのように店内をぐるぐる回ることになる。何かを買って出なければという強迫感で店内で泣き始めたこともある。傍から見たら狂人以外の何物でもない。最近ではそういうバッドトリップが入ったときは缶詰を買うことにしている。今日食べなくても良いので。
酒はさほど飲めないし、飲まない。飲みたい気持ち(飲欲?)もない。
つまり義務感が発生するまで食べられないので、多くの食べ物を賞味期限が過ぎてから食べることになる。これは本当に申し訳ないことだ。作った人はおいしいうちに、それも食欲のある人間に食べてもらいたいと思っているに違いない。とても心苦しい。
これはもらいものにも発生している。友人や恋人が贈ってくれたお菓子や、職場の人がくれた野菜。罪悪感がすごい。
都合の良いことに私は嫌いな物がなく(忍耐力のレベルが高いとも言う)、ついでに非常に強い胃腸をしているので、たいていのギリギリの食品は食べることができる。後悔しながら食べている。
何かを食べるというのは人間、というより生物最大の共通点だ。その「あるある」にノれないというのは本当につらい。
夜中に何かを食べちゃうというようなあるあるや、甘い物は別腹だったりするあるある。評判の良い店に行ってみたいあるあるや、TLに流れてくる料理の写真に「飯テロ」とか言ったりするあるある。世の中は食欲のある人間を誘うように作られているのだ。そのたびに、お呼びでないんだな、という気持ちになる。
何が食べたい?と聞かれるのが怖い。せめてメニューを用意してくれたら、看板メニューか安いメニューか野菜の多いメニューを選べる。いつも「お昼にスパゲッティ食べたから、それ以外で」などとほざいて、議論に加わっているような顔をしている。何も提案できない人間じゃない、貴方を軽んじている人間じゃないよと伝えたい。上手くいっている気がしない。
幼少期に美味しんぼを読んで育ったので、知識だけは無駄にある。本当に無駄だ。あの世界は食欲だけで回っているけれど、完全にフィクションなので嫌いじゃない。本当に山岡さんみたいな人が現れて、何かこう、ちゃちゃっと作ってくれて、私を食べたいものがある人間にしてくれないだろうか。
うわーーーーーーーー何かもう本当は全部嘘なんじゃないかな。みんな私みたいに食べたいものがあるふりをしているだけで、そうやって生きているんじゃないかな。皆本当は望んでないのに、朝昼晩3食食べるってルールを頑張って守っているんだ。きっと私が怠惰なだけ。夜にTLに料理の写真が流れてきたら、誰が一番早く「飯テロだ!」って言えるかってゲームをしているんだ。そうなんでしょう???誰かそうだと言ってほしい。そうだと思わないとこれから何十年も死ぬまで続く「あるある」と付き合っていられる自信がない。どうしたらいいんでしょうね、これ。