優生思想と聞いて多くの人は何を思い浮かべるだろうか。ユダヤ人虐殺?障害者の強制不妊?確かに、それはどちらも優生思想に基づくものだということは誰もが同意できる。ではちょっと思考実験をしよう。低収入コミュ障不細工の三つを揃えたおじさんがいたとする。そして、そういうおじさんをガス室に送り込むことを思いついた政治家がいたとする。それは優生思想だろう。間違いなく批判を免れ得ない。そういうおじさんを去勢するのは?それも優生思想だろう。そのことも確かだ。そういうおじさんが生殖をするのを法律で禁じるのは?それも優生思想に違いない。
では生殖を許可制にすることを考える。そのためにポイント制度を導入する。低収入なら減点、コミュ障なら減点、不細工なら減点。逆に、高収入、コミュ強、イケメンなら加点する。そして一定ポイント以下の人の生殖を禁じよう。これは優生思想だろうか。論理的にはそれも優生思想ということにならなければおかしい。でもちょっと待ってほしい。この制度は自由恋愛として現代社会で実現されているのとほぼ同じではないか?40歳年収300万で不細工な男は婚活に苦労するだろうし、30歳年収2000万のイケメンは引く手あまただろう。あたかも暗黙のうちに導入されたポイント制度に婚活参加者が従っているかのようだ。つまり、この制度が優生思想であるなら、現代社会のあらゆる箇所で実践されている自由恋愛も優生思想であるということになる。
「いや、優生思想というのは誰が生殖すべきで誰がすべきでないかを人為的に設定することだ。低収入男は自然に結婚相手として対象外になっている」というのがよくある反論だ。しかし「低収入男は婚活で不利」という状況は果たして自然に生じたものだろうか?次のことを指摘しなければ分からない人がいるとすれば残念なことだが、低収入男と高収入男、貧乏人と金持ちは自然に生ずるものではない。資本の蓄積が可能になり資本主義が導入されて初めて生じる状況だ。資本の蓄積が可能になったのは農耕開始以降であって、狩猟採集時代は誰もが結婚できる平等な社会が実現されていたことが研究により示唆されている。弱者男性が孤独死するという現状は自然の摂理の反映ではなく、社会制度の産物にすぎないということだ。
低学歴で何のスキルもなければこのメリトクラティックな資本主義社会では収入が低くなり生殖できず死ぬことになる見込みが高いが、そういった無能な男も仮にこの社会が共産主義を採用していれば、あるいは5万年前、農耕開始以前に生まれていれば結婚できたかもしれない。社会制度というのは一つの側面として「誰が結婚を許されるべきか?」という問いへの答えとなっているのであって、資本主義を採用することでこの社会は「基本的に高い収入を得る能力を備えた人間が結婚を許されるべきだ」という回答をしたと解釈できる。
結局のところ、以上の議論から分かるように自由恋愛が受容されている現代社会において優生思想は是認されていると言うほかないのであって、現状を追認しながら「優生思想」に反対するのは欺瞞であり論理的一貫性を欠く、というのが本稿の結論である。
恋したい増田かわいい
愛があれば大丈夫だから
何回否定されても理解できないゾンビ増田
長すぎ。読めない
自由恋愛=優生学だとして、だから何なの?
だったら気に食わない他人や国家を優生思想とか言って非難しない方がよろしいのでは
既婚者からお金を徴収して結婚できない人に見舞金を配って欲しい。
うんこ
個人的な思想・信条の自由と、社会制度として他者に強要することの区別もつかないのか?