はてなキーワード: スフレとは
※注意! これは愚痴です
支部に載せてた時期は、何か書いたらその日のランキングには入るねーって感じで、そのジャンルでは、新参だけどまあまあのPVはある、みたいな感じでした。
愚痴に関わることなので書きますが、こういう作品は初めてですドキドキします、みたいな感想を頂くことが多くて、そのジャンルでは珍しいタイプの物書きであるようです。
ツイ始めた頃は原作が終わってから一年半くらい経ってたので、結構、ツイやってる人の中にはもうページメーカー? みたいなのでしか書いてないって人もいたんですね。
そんな中で自分は定期的に書いてたから割と色んな人にフォローしてもらえて、嬉しいなーと思ってた。
好きですってマシュマロ送ってくれる人もいて嬉しかったんだけど、なんか新作をアップしたときの反応が……。
ものすごい遠回しに褒めてくれてるのかもしれないんだけど、エロシーンの細かいシチュエーションまで指定して「こういうシチュ萌えるんですよー私の性癖なんですよー」って
私の作品のことを言ってる……の……?みたいなツイートがちょくちょく流れてくる。
デートシーンでたとえると、「コメダでデートしてふわふわスフレ見ながら、食べ方どうするって相談する二人って可愛いよね」くらい具体的。
でも作品名も作者名も絶対に出さないで私のいないところで言うわけ。
遠巻きにされてるのかなー、気にしすぎなのかなーって思ってたんですよ。
そういうやり方が多いジャンルみたいだったし。
でも、そういう風に言ってた一部の人達が……なんていうのかな……うーん、パクリじゃないんですよ。パクリじゃない。それは断言できる。
段々なんか作風を寄せられてるっていうか。
めっっちゃくちゃハート喘ぎ作品ばっかり書いてた人が、ぱったりやめて特定のシーンにだけ入れるようになったり。
(私はハート喘ぎはしないシーンとするシーンのギャップが萌えると思っているので多様せずに心がほどけたってシーンにだけ入れてるし、それをツイートで言ってました)
その同じ人なんだけど、夢オチ書くのにめっちゃくちゃ似た演出を使ってきたり。
もの凄いピンポイントすぎて他に描いてる人を界隈で見ないような、大好きなシチュエーション(何パターンか書いてる)を私が考えた性癖なんですけどって前置きつきでツイートされたり。
(これは単純に被りなのかもしれないし、まあいいんだけど……)
「ドイツの刃物は研ぎ澄まされた良質な刃物です」的などこにでもある文章をモチーフ化して各所に差し込んで特別な色合いを出した作品を書いたら、
話自体は別なんだけど、まんま「ドイツの刃物は良質だから」を決め台詞に持ってきた作品(なおそのジャンルでドイツの刃物は特に原作に出てこないし関連もない)を書かれたり。
なんか、影響を受けてるのは別にいいんだけど……もの凄いみんな無意識?? っぽいというか、面と向かって感想言われたことないのに、
周りの人間が作風や性癖だけ寄せてくるって怖くなっちゃうというか。
別のジャンルでも時々こういうことがあって、酷いときは私の書くネタと同じネタばっかり書くなー、寄せてきてるなーって思ってたら、
その人が突然「あなた私のパクリですよね」って言い出して、時系列とかを説明して同じネタ書いてるときはいつも私が先でしょって説明をしたこともあるので心が重い。
そのパクりって言ってきた人も、なんか自分は絶対に正しいって思ってたっぽくて、無意識なんですよ。無意識なの。
ネタ被ってるけど、パクリと言えるほど文章そのままじゃないし。
影響を受けるのはいいから意識してさえくれれば、パクリの冤罪を着せられる心配がないから助かるんだけどなあ。
ついったーで人と絡むのが苦手だから、私自身の存在が忘れられてて、作品のフレーズやシチュだけ頭に残っちゃうのかな。
最寄り駅(がある時点でど田舎ではない?)まで自転車で坂道を2キロ、行きはずっと下りだからラクチンだが、帰りがあまりにキツいので、必然的に休日は引きこもって暮らした
当然、博物館とか美術館とか、大学で都会に出るまではほぼ行かなかった
高校がある街の駅前のショボい書店で本買うくらいが、俺の「文化」の限界だった
でも、正直、俺はヘタな東京生まれ東京育ち人間より教養があると思う
まあ、はてなにいるような奴にはたぶん概ね負けるんだけど、多くの人間はそもそもインターネットに「居ない」からな
オンライン対戦型早押しクイズアプリをやれば、スッと上位層にいける ランカーにはなれずとも、養分にはならない
音楽や映画の話をするときは、どちらかというと気を遣う これ言っても多分通じないな、と思って話を引っ込めることが多い
美術……には正直あまり強くないが、まあ、基礎教養みたいなところはひととおり押さえているので、アホには勝てる
東京人、恐るるに足らねえよ
ガチで田舎しか知らなかった高校生時代でも、東京人の半分には勝てたと思う
なーにが文化資本じゃ
図書館あってもどうせ行かねえだろ
でけーショッピング・モールにばっか行って、そん中でもお気に入りのブランドの店にしか入らねえような層と、山暮らしの俺の間に、そう大きな違いはねえ
テレビで紹介されてる店に行って、ふわふわスフレパンケーキを食ったところで、人間的にはほとんど成長しねえよ
俺はその間に郷土料理「とんこつ」なんかを作る 東京のカスがスフレパンケーキの食感を体験として学ぶ間に、俺は豚の豚骨を柔らかくするために何時間煮込めばいいかを体験として知る
東京人がなんだ
かかってきやがれ 返り討ちにしてくれる
スマホのちっちぇえ画面で見ようと、立派な映画館のバカデケエ画面で見ようと、おんなじ映画ならおんなじ体験だ……ってことは流石にないが、感想を語る際にはその差はそんなに効いてこねえ
音響がすごかった、映像がすごかった! そら結構 でもその体験はあくまで「体験」であって、教養バトルにおけるカードにはなりえねえ
東京モンがヤマノテ線で映画館に行って映画見てる隙に、俺はGEOで借りた映画を3本見る 3倍だぞ3倍 完全に僕の勝ちだ
上野動物園でパンダ見てハシャいでる間に、インターネットでおもしろフラッシュを見る これに関してはノーコメントかも
昔ならとにかく、デジタル・ネイティブのインドア人間にとって、いまの東京のアドヴァンテージなんて大したことねー
俺は都会からまた田舎に戻ってきたが(失意!w)、想像以上に何も変わらなくてびっくりしてるぜ
東京、思った以上にショボいよ
多少便利、だがそれだけだ
奥さんがコストコで大量のディナーロールを買ってきたのでパンを焼けずにいるおじさんです。コストコのディナーロールって安いしいつまでたってもそれなりに柔らかいし、あれはどうなっているんだろう。でも、そのままたべるのは悔しいので、フレンチトーストとピザパンにアレンジして食べてやった。やってやった。
メロンパンを焼いてやろうと思っていたのにパンが作れない週末、みなさんならどう過ごしたのかしら。
いつも牛乳・卵・砂糖・バニラエッセンスを混ぜた卵液を作って、そこにパンを漬して焼くのだけど、先に砂糖を溶かした牛乳に漬してから、そこによく溶いた卵を混ぜると良いと聞いたのでやってみた。
ぼくは違いが判らない男として生きていこうと思う。
土曜日、おくさんがドデデデデデデと音を立てながら階段をおりてきて、これを見ろ!とスマホの画面をぼくの顔に押し付け「台湾カステラ」の存在を強く主張した。
ぼくは台湾カステラを知らなかったので、YouTube(べんりな動画サイトだよ!みんな使おう!)でどんなたべものか調べてみると、ふわふわぷるぷるしている。なるほど。
作り方はシフォンケーキとほとんど同じ。スクエア型で焼く。150℃で1時間湯煎焼きしたらちょっと焦げた。型から出したできあがりはふわふわぷるっぷるで笑ってしまった。
でも、砂糖120gってちょっとすごい量ですよ。そして大量の砂糖のわりに甘くないのでスルスル食べられてしまう危険なたべものである。怖くてあまりたべられなかったけど、おくさんがモリモリ食べていた。フォアグラ農家の気分。あんまりカステラっぽい味がしないので、別のレシピを探してみたらサラダ油の代わりにバター使うものがあった。次はこれにしてみようと思います。
台湾カステラをちょっと焦がしてしまったのでなにかやってやりたい気分の日曜日。いぜんに「強力粉とイーストあるなら中華まん」というブクマをもらっていたので、ぼくは、あんまんを作った。蒸しあがったあんまんがものすごく黄色くて慄いたけど、こんなものなのかしら。ごま餡のかおりがすごくよかったので、蒸したてのをひとつたべて口の中をやけどした。8個蒸したけど、目を離したら奥さんと子供が全部食べてた。ずるい。
おまえはカレーパンマンなのか?とおもうくらい黄色かったので、何か間違えている気がする。
(追記)
>「Saint-Exupery サラダ油 65g ごま油 15g 薄力粉 100g 牛乳 100ml 卵 6個 砂糖 120g 一個で2500kcal超えとか怖いわぁ。」
焼き上げると、18cmスクエア型から4,5cmくらい縦にはみ出るくらい膨らむので、それなりに大きいです。そびえたつカステラの壁。プリンのような、甘く焼いた卵焼きのような、スフレのような……おいしいのだけど、出来上がりが完璧じゃないと「カロリー満足度」が下がるので難しい食べ物だと思う。プロが焼いたものを食べてみたい。
最近はやっているみたいなので、大都会に住んでいるシティボーイ、シティガールは是非食べてみてほしいなあと思います。
対カロリー満足度:摂取カロリーにたいしてどれほどおいしかったのか計る指標値。カロリー高いけどすんごい美味しかったからまあ良しとしよう、という言い訳に使う。かりんとうはおいしいのでスコアが高い。おじさんは勝手な造語を使う。でも、みんな同じような言葉をもっているよね?
重い過去がある人に対して、どんな反応すればいいか分からない。
昔仲良くしてた女の子の母親が事故で亡くなった。その年の夏休みに二人で彼女のおばあちゃん家にお泊まりすることになった。気晴らし旅行みたいなものだったと思う。とにかく悲しいことは忘れて、ぱーっと遊ぼう!みたいな。(実際めっちゃ遊んだ。映画にプールに遊園地など) 私はなんとか彼女に安らぎを与えたくて(そんなの無理かもしれないけど)、とにかく無邪気に振る舞った。空回りしてたかもしれないけど、重い空気にしたらせっかくの精神回復旅行が台無しになってしまう。私は彼女の心の安寧であり、家族以外のなにか悲しいことを忘れられる場所でもあるのだ。そんな自負をもって旅を楽しんでいたのだが、やはり時折お母さんの話題がちょろっと出る。そのたびになるべく感情を下げないように「ふーん」「そっかあ」「そうだったんだね」と差し障りのない返答をしていた(じゃないと私のほうが悲しくて涙が出てしまいそうだった。彼女のお母さんによくしてもらってた)しかし帰りのお土産コーナーで「これね、お母さんが好きだったお菓子なの」とスフレを差し出されて、いつもの通り「そうなんだね、そっかあ……」と返答したら、ちょっと怒ったように言われた「なんでお母さんの話題を出すと急に冷たくなるの。別にわたしはお母さんのこと、悲しかっただけじゃないから」そこでハッとした。気を使いすぎていたのかもしれない。話すことで思い出す優しい記憶もあるのに、私は全て彼女の母=死んでしまったという事実でしか捉えられていなかったのだ。小学五年生の夏だった。小説にかじりつく本の虫である私は、親のいない主人公や登場人物が出てくる本をいくつも読んできたはずだった。そんな彼らに共感し(ちなみに私の両親は生きている)、そんな彼らが一番嫌がるのは「同情」だということも知っているつもりになっていた。しかし人間って複雑だし、小説みたいに上手くいかない。あのときは「ごめん」と謝ることしかできなかった。
彼女の母の葬式のとき、本当は身内しか入れない控え室みたいなところに入れてもらってボードゲームをしてた。私だけじゃなくてクラスの女の子も7.8人呼んで皆でワイワイやっていた。内心(葬式って悲しむべき悼むべき静かなところであって、こんなに馬鹿騒ぎするのはおかしいんじゃないの)って同級生に引いてたんだけど、彼女にとってはそんな馬鹿騒ぎでもしてないとやってられなかったのかもしれない。一歩引きすぎてたのかもしれない。そこで私がいの一番に盛り上げて彼女の不安をどうにかして紛らわせることができたら一生の友になってたかもしれないが、正直彼女を見るとお母さんを思い出してテンションがぶち上がれない。
葬式で配られたハンカチがあった。ご丁寧に葬式に出席した同級生全員に配られた。しかし私はそれを使うことはできなかった。ある日、学校の給食の時間に馬鹿男子が牛乳か何かをこぼしてハンカチを取り出した。例の葬式の引き出物だった。しかも彼女の目の前で。でも意外なことに彼女は笑った。「あ、それうちのお母さんのだ」「……悪かった?」「いや、使ってもらったほうが嬉しい。棚の奥にしまわれるより」私は完全に引き出しの奥に詰めていた。なんか、こういう考えないクラスメイトの行動のほうが、彼女にとっては嬉しいんだな──と、彼女と一番心の距離が近いと思っていた私は嫉妬のような不思議な感覚を持った。だってあの旅行に誘われたのは私だけだったのだから。そして、「あぁ、これが『いつも通り接して欲しい』ってことなんだなあ」って思った。私は考えすぎていた。今まで読んだ小説をサンプルになんとか状況を整理して、一番適切な行動、役割を全うしたいと思っていた。なぜなら彼女と私は親友で、親友がなにか危機的状況にいるときは相棒が助けなければならないからだ。しかしそれは、「同情」にも似た、そして、同情よりもたちのわるい「計算」をして彼女を支えたつもりだったのだ。
葬式で馬鹿騒ぎしたクラスメイトも、葬式のハンカチを日常で使う馬鹿男子も、「計算」なんてこれっぽっちもしてなかった。「いつも通り」だった。むしろ私はその場の空気を冷やしてしまっていたんじゃないか。私は感動しいである。感動ものの小説やドラマや映画は大体感動ポイントで泣く。感情豊かだと自負していた。だから相手の気持ちも分かる気がしていたのだ。今年お互いに成人の日を迎え、年賀状も届いた。しかし、毎年返せずにいる。
重い過去がある人に対して、どう接するのがいいのだろう。よく小説や漫画にあるのは、聞き手がはてなを浮かべて「だからなに? おまえがおまえであることに変わりはねえよ」ってさも当たり前みたいな雰囲気を醸し出すやつだけど、あれを柔らかく伝える瞬発能力はない。お家に帰って反省会すれば出てくるかもだけど。人の死に構えすぎなのか。でも人が死ぬのは悲しいことだし……実際に身内が死んだ経験がないから分からない。自分の親が死んだときどんな反応をされたら心が逆立たないのか考えても、今の時点では「……そっかあ」という差し障りのない返答が精神衛生上いいんじゃないかと思う。分からない。