はてなキーワード: ジェンダーとは
ジェンダー論の話題って簡単にミュートできるから大抵の人はミュートしてると思うんだが、
そうなってくるとジェンダー論に一言申したい人間だけがブコメするようになるので、完全に蟲毒になってる感ある。
久々にミュート解除して覗いたらヒェッってなった。
ジェンダーギャップをなくすってのは「男女の性別を理由に制限されるべきではない」であって「同じ数出てなければならない」ではない
何かしらの要因によって「男性主人公を出せない」ならば、それは問題
※ 性別が逆でも同じな
観なきゃいいだけなんだけど、あんなつまんない番組が女性向けで女性にウケていると思われてるのかなりイヤだし、女性主人公の作品やジェンダー的な作品が苦手な女性は透明化されがちなのがわりとキツイ。
こういうこと言うといまだと「三体」「オデッセイ」「シュタインズ・ゲート」みたいな単語だけ挙げて「ドヤァ・・おれのかちぃ・・」とかやってくるアホが湧くけど、じゃあそれらと同じレベルで売れてる小説・映画・ゲーム全体のうちSFって何%なんすか?って話ですよ。
そもそもね、元々SFなんてものがまともに流行ったことはないの。
でもギミック中心のコンテンツだから、なんらかのギミックが用いられた作品が出てくると類似作品としてSFの名前がよく挙がって、それによってさも皆がSFに親しんでたと勘違いしてるわけ。
つーかね、何らかのギミックがあったら何でもかんでもSFだし、サイエンスしてるかスペースしてたら全部SFと言い張るからね奴らは。
未来のガジェットが出てきたらSF、宇宙が出てきたらSF、超能力はSF、モンスターの生態もSF、未来が舞台ならSF、過去が舞台でも架空要素があったらSF、ジェンダー扱ったらSF、政治を扱ってもSF、仮説が出てきたらSF、ファンタジーは全部SF、とにかくSFっていう暴力的な理由で恋愛者だろうが魔法少女だろうが怪文書だろうがなんでもSFと言い張って全部SFにして勝手に「SFってめっちゃ流行ってるなあ」とやってるだけのアホの集団だから。
マジでアホ。
俳句が"情念"や"私"を盛る器たり得るか? というのは、増田の言う通りあるあるネタだと思うが、正直情念マシマシの俳人もいるので、情念一本槍で説明するのはちょっと難しいんじゃないかと思う。というわけで、自分の好きな情念系の俳人、三橋鷹女の句を紹介したい。
あまりにも有名なこの句。なんというか、余りにもぎょっとする一句だ。作者は秋の夕方に燃え上がるような紅葉の樹をただ見ているだけだ。しかし、その樹の美しさが作者の心中と出会って化学反応が起きる。「この美しい秋の夕暮れの紅の陽の中で、こんな燃え上がるように輝く紅葉の樹に登ったら、私の中の何かが身を焦がし、たちまち目はつり上がり口元は避け頭には角が生え私は鬼になってしまうのではないかしら……」と考えるという、そんな俳句だ。想像できるだろうか?
たとえば妖艶な女性が秋の夕暮れ、紅葉を見ながらほんのり微笑んでるわけだ。(できれば舞台は京都とかその辺の古都であってもらいたい。)やあ、紅葉がきれいですねえ、なんてうかつに声をかけると彼女はにっこり笑って、「そうですね、きれい……あんまりきれいで…」と何か言いたげに言葉を濁す。ここでついうっかり、え、紅葉好きなんですか、なんて下心を出して聞いたが最後、「いえね、あんまり燃え上がるようにきれいだから、この樹に登ったら全身火に包まれてしまいそう、そうして大声で叫ぶ私は、まるで鬼になったように見えるかしらなんて思うと面白くて……」などとやべー妄想を全開でぶちかまされるからだ。考えてみてほしい、鬼になるかどうか、とか以前に、美しい紅葉を見て「その樹を登ったら…」なんて想像をする時点で(まともな大人でそんな奴、いるか?)もうこの人尋常じゃないヤバい系の人なのだ。紅葉を見たら、駆け上る想像をせずにいられないくらいの、この人の身を焦がす情念っていったい何だろう? 恋か。恋だとしたら、どんな恋なのか想像するだにオソロしい。一方でこの「燃え上がる樹に包まれて鬼女になる」というその妄想自体は、余りにも凄絶で美しくてカッコいい。自然・風景と一体化しながらも、この人の情念はまったく矮小化も定型化も減量もされず、読む人の心を打つ。
これにビビっと感じてくれたかもしれない人のために、もう一句だけ鷹女の名句を紹介しておく。
ただそれだけ。まあ、露ははかない人の命の比喩でとか、白露はことに露が美しい秋の季語だとか、そこから作者の人生も秋にさしかかっている立場で詠んだ句であろうとか、まあそういう教科書的な講釈はいい。いいと言いながら一応一通り言ったけど、それより、スッとこの句を眺めてほしい。そこに立つ、一人の女性の姿が鮮やかに立ち上ってこないだろうか。
和服の着付けというのはなかなかの苦労だが、帯を締めるというのはその仕上げの工程に当たる。この句で「帯を締める」というのは、普段から服の手入れもぬかりなくし、朝からきちんと身支度をし、化粧もふさわしくして、そして最後にキュッと帯をしめるまでの一連の工程の総称だと考えられる。これまでも、これからも、そしていつか死んでゆく日にも、私はこうして帯を締めて(そうして死んでゆく)、という( )内の聞こえない言葉が、「帯締めて」という言い差しによってかえって響いてくる。女性としての自身、当時の社会との軋轢、様々なものを一身に引き受けながらすっくと立つ一人の人間としての強い思いが伝わってくるようだ。
「死ぬにはいい日だ」なんて言葉もあるけど、常在戦場の心構えというのはそういう何気ない言い回しの中にあるものなのかもしれないと思う。それになぞられるというわけではないのだけれど、この「帯締める」行為も何だか戦いに備えて自分自身を隙無く装っているような、そんな雰囲気が漂っている。こういう「私はオンナよ」みたいな、固定化されたジェンダーの内面化って昨今あまり流行らないんだけど─まあ軽やかに変化し続ける自己というのもそれはそれでもちろんよいのだけれど─人が成熟の深みとでも言うべきものに到達するには、ここまで強く深く「私は○○○だ」という意識を自身に刻み込み、時を重ねる必要があるのだろう。そんなこの人の「覚悟」みたいなものを、「死」の一字がぐっと引き締める。誰にも文句は言わせませんよ(ニッコリ)、という体で、これまた見事な情念の世界だと思う。
どうだろう、こういった情念・個性の強さ深さというのは、なかなか短歌のそれに劣ったものではないのではないだろうか。
そうしてみると、結局増田の言う”情念”も、それぞれの作家性に拠る部分がかなりあるということも理解していただけるのではないだろうか。鷹女の句は、俳句の王道を決して踏み外してはいないけれど、輝くばかりの個性と情念に満ちあふれている。もちろん、増田の言う、短歌と俳句の出発点となる発想・捉え方の違い(ほとんど真逆)、それに基づく「短歌やりすぎると俳句作れない」という主張もそれなりにもっともだと思う。ただ、だから俳句には情念が盛れないと言われると、いやいやそんなことはないんだけどなあ……と思ってしまうんだよね。
さすがだな
Chat GPTだとこんな感じの鑑賞だったよ
まだまだ人間が上か
この俳句は、日本の伝統的な文化である俳句の形式を使用していますが、その内容は現代のポップカルチャーとの興味深い対比を表しています。一般的に、魔法少女というキャラクターは、可愛らしさや女性らしさを象徴するイメージがありますが、「実はおれ」という男性の主語が使用されており、性別や期待に対する挑戦を示唆しています。
また、「告げる雪」というフレーズは、冷たい雪のイメージと、何かを伝えるという意味合いを持っています。この対比は、普段は明るく希望に満ちたイメージの魔法少女と、冷たく静寂な雪のイメージとを結びつけ、その両方に含まれる可能性や複雑さを示唆しています。
この俳句は、伝統的な日本の文学形式を通じて、現代のジェンダーの役割や文化的な観点に挑戦し、異なるレベルでの理解や考察を促しています。
最近のマンガってさ、反社・犯罪・エログロは過激になったけど面白さは低下してるな。ホントに見ただけですっげえええええええ!みたいな気持ちに全くならない。
ジェンダー抜いただけでここまでつまんなくはならないよな。一通り出尽くしちゃった感あるよな。
本来はwebが新しい段階に移行する場面だったと思うんだけどなんか普通にjpg載せてるだけだし、脱皮失敗しちゃった感は否めない。
ジェンダー政策の部分で言っているのは、子どもに対する性暴力は絶対許さないということだ。
ただし、児童ポルノという言葉を使った表現規制ということに対しては明確に否定している。
表現の自由を守り抜くのは当然だし、児童ポルノを無くせば子どもへの性暴力も無くなるという話ではない。
どう解決していくかはクリエイターも含めて国民的に議論していくべきだ。
具体的には、子どもたちや一般の人たちの目に触れないような場所に置くゾーニングというやり方もあると思うし、“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、クリエイターの皆さんも作らなくなると思う
吉良よし子=共産党の思惑は「子どもに対する性暴力は許せない」という前提からなぜか「クリエイターによる創作を児童ポルノと同一視」したうえにおいての「ゾーニングを通じた表現する意思の萎縮」に尽きるんだから完全に間違った前提条件から導き出した経済活動の制限を通じた表現規制。
ゾーニングの目的は表現の対象者以外のものの目に触れることを避けることであり表現自体を取りやめることではない。
たとえば現状の二次元ポルノ作品もそのほぼ全てが(意図的に脱法行為をするのでもない限り)流通ルートにおいては最初から子供や興味のない一般人に向けて販売されていないし、そうではない購買層だけで経済が成り立っている。
1.恣意的に別条件付け足したらミラーリングじゃなくなるでしよ
の記載内容に関して論理的根拠は問題ないと思う。ただ今時、女性向けの性的商品であるBLが駅や新聞広告に頻繁に登場する中で、ネットの素人議論ならともかく「たわわ」に関しては、なぜ曲がりなりにもプロの報道機関や研究者が取り上げるんだろうか?
https://www.moj.go.jp/content/001324318.pdf
P.12より
「◦ アダルトサイト(暴力的性行動,小児ポルノなど)などで逸脱した性的ファンタジーを強める
https://www.moj.go.jp/content/001362700.pdf
P.16より
「アダルトビデオやアダルトサイトのようなことをみんなしたいと思っているはずだ」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/pacjpa/71/0/71_3PM012/_pdf/-char/ja
「モデルで導入された外敵潜在変数は「メディア興奮」「性的欲求」「性格特性」「女性認知」の4つである。強姦や暴力メディアに興奮しやすいほど、そして性的欲求が高いほど買春、違法ポルノやのぞきといった逸脱した性行動をしやすく、逸脱した性行動をしやすいほど、そして性的欲求が高いほど、および平等的性役割感が低いほど、悪質な性加害行為を執行しやすくなる。」
上記のように法曹や心理学の分野では、性犯罪者は男尊女卑的な価値観に影響されやすく、性的ファンタジーの反芻と強化が逸脱した性行動を引き起こしてると記載がある。性的商品が性犯罪者の認知に影響を与えることが認められてるよう。
なので言及元の記事にある「言われたことに反論出来なくなったらとりあえず『性暴力ガー』と絶叫しておけば最悪引き分けまで行ける」などの主張は、法曹や心理学の世界での根拠付きの議論と比べると弱いと思う。少なくとも、性犯罪の要因として根拠が示されていることを考えると、男性向け性的商品の批判はある程度根拠があると言えると思う。
ポルノも酒と同様に、禁酒法のように全面的な規制が闇に潜り犯罪化を促す可能性があると思う。実際、フランスで買春を禁止する方向での規制が行われた結果、セックスワーカーの活動が闇に追いやられたという報告もある
「フランス買春処罰法がセックスワーカーの仕事と生活に及ぼした影響」
引用記事はセックスワーカーの権利を推進する団体が書いた記事とはいえ示唆としては参考にできる。
ポルノや買春の極端な規制は性暴力の問題解決に効果がない可能性があるよなあ。結果として、男性向け性的商品がなくなることはないと思う。
性暴力被害者側が多い女性(もちろん男性にも被害者はいる)だけでなく、性被害に遭っていない男性も「男性向け性的商品はファンタジーであり、性暴力衝動を肯定するものではない」って当たり前の考え方を広めることしかないかなあ。引用した法務省の二つの資料でも
「性犯罪者の現状」P.10より「性に関する認知のゆがみとは◦性犯罪者だけでなく,実は社会もその多くを共有してはいないか?」
「性犯罪加害者の理解と対策」P.5より性暴力を強要する側とされる側の力関係の発生について「この背景には日本社会の文化的背景も影響している」
と社会の性差別的な思考が性暴力の発生に影響を与えている可能性があると認識してるようなのよ。昨今例のジャニーズ問題で女性と思われる人によるセカンドレイプが問題になる中でさえ、「フェミニストはバカ」と同じくらい、いえそれ以上に「男性は性犯罪者になりやすい、統計的数値にもでてる。男性向け性的商品も影響ある」と思われてる。その認識を解消するしかないんじゃないかな。
ネットの匿名記事とはいえ、ジェンダーの話は、どの立場からも問題点の洗い出しや分析、解決案を考える気の無い素朴な記事が多いなと思うので女性の立場からちょっと書いてみた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4753165127601855040/comment/frothmouth
この記事に対するエビデンスの弱さを指摘いただいた。ありがとう。ただブコメでも書いたけど、私のリテラシーのなさより、男性が法務省のような政府機関から弱い根拠で性犯罪と結び付けられる方が問題大きいと思う。その関係が弱いなら性犯罪の対策誤った認識で取られてるってことやん。ちょっと検索したけど性犯罪とポルノの因果関係が弱い証明の記事って本当に見つけにくいのよ。それを持って性犯罪とポルノの因果関係の強弱は決めれないけど、その辺り「女はばか」みたいな話より、ポルノの自由含め、ちゃんと洗い出しや議論する方がええと思う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4753165127601855040/comment/kishimoto0050
「法務省がそうなっているのも大学や言論人の偉い方々が様々な議会や勉強会なんかに参考人として出入りして色々言った結果でもありフェミニズム言説と法務省を切り離せる問題ではない気がしていますがどうなんでしょう」
法務省はフェミニストにロビイング受けている!と言いたいと思うけど、仮にロビイングがポルノ業界に悪影響与えてるなら、なぜネットでフェミニストに反対してる人筆頭に、エビデンス出して反論しないの?酒とかタバコ業界はある程度ロビイングしてるからこそある程度の規制で済んでるのに、なぜポルノ業界はネットの世論味方につけてそれをしないんだろう。ポルノ業界の味方の方々は、たとえネットでも、もっと実行力のある発言を心がけた方が良いと思う。
「法曹界でも意見が割れている」「根拠ない」なら頼む、本当にエビデンスを持ってちゃんと議論した方がいいと思う。少なくともポルノ業界と利益造反するフェミニスト業界と思われる人は一応政府機関に食い込んでるわけよ。勝ち負けで言うと、どっちが有利かは考えてみよう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4753165127601855040/comment/li_tide
「法曹の間でも意見が割れてるけどポルノが因果関係をもって悪影響を与えるとまでは認められてないかな。それとたわわや性的商品広告も資料にあるようなポルノとは全く違うので、これらを結びつけるのは雑過ぎる」
確かに雑だ、すまん。ただ規制する方はこちらの記事で2例ほど出したけど、大抵「性犯罪を犯す人は男尊女卑の価値観に過剰適応している」って前提で活動してると思う。
https://anond.hatelabo.jp/20240508152120
なんでポルノに限らず、たわわみたいな性的商品広告も少なくとも女性のモノ化みたいな意見で男尊女卑の価値観に沿ってる、てなロジックで槍玉に上がりやすくはなる。てかなってる。それが間違いだ、という意見はもっと言っていい。
たとえ雑とはいえ、私の稚拙な意見でも、ある程度考えたら批判意見でも煽りみたいな意見減って、論理立てた反論が返ってくるのよ。この調子で男性ももっと言葉を積み重ねてほしい。できれば根拠となる引用つきで。