2015年05月04日の日記

2015-05-04

GWなのに増田に張り付いてる奴を尻目におにゃのこと遊んでこよーっと

http://anond.hatelabo.jp/20150503050801

お金ほしいでしゅじゃなくて

働きたくないにゃんだだぼはぜ

http://anond.hatelabo.jp/20150504102329

なるほど、こう言いたいわけだ

法はキチガイの前に無力

まんしゅうきつこと青二才、「才能は育たない」という現実

【まんしゅうきつこと青二才

ウェブをずっと見てきてわかったことは、「才能は育たない」というものです。

表現技法を磨くことはできますしかし、面白くない人が、才能を育てていって面白くなるという例は皆無です。

ウェブで出てくる新人はいだって突然、現れます

例えば、まんしゅうきつこさん。彼女は一時期、漫画家アシスタントをしていましたが、結婚して筆は折っていました。何がきっかけかはわかりませんが、あるときブログを書き始めたら、これがウケた。

では、彼女ブログをやる以前はつまらない人間だったのかというと、そうではありません。

彼女はずっと面白い人間で、ただ発信をしていなかっただけです。

このようにウェブでは面白い人間ブログを書き始めて話題になる、というパターンしか新たなクリエイターブロガーは出てきません。

あるいはたまたま見られていなくて、はてブなどで発掘されるパターン

これの特徴は読者が少なかった過去記事も十分に面白くて、本当に「たまたま見られていなかった」というもの

「cityboy.me」がこのパターンに当てはまりますね。

ぼくが「才能は育たない」と確信するきっかけとなった存在が、青二才さんです。

彼は何年もブログをやっています文章表現にこだわっていて、それを磨こうとする意思も感じられます。こつこつとネタを探していて、情報収集をする努力もできます。何より、数年単位で一つのブログ更新できるだけでも、すごいことでしょう。

だけど、彼の文章面白くありません。

彼のブログ話題になるときはいだって「半可通が偉そうに語ってらぁ」とはてブで突っ込まれるというものです。

数年単位でやっていても、面白くなっていかないのです。努力を何年続けても、「面白さ」というコアの部分は磨かれない。これはもう、何をやっても育たないということです。

青二才さんが何年もブログをやった結果、「才能は育たない」ということが証明されてしまいました。

彼にはずっと期待してたりもします。彼が面白い記事を連発するようになったら、ぼくの結論は覆って、「才能は努力によって育つ」と言えるのですから

それは多くの人にとって希望となるはずです。

例えば、今まで映像をやってこなかった人が動画を撮ってみたら、意外なほどの映像センスが発揮された、ということはあると思います

だけど、文章を書こう、面白いものを作ろう、とやってみて、出来なかった人は一生出来ないのだと思います残酷ですが、20年近くウェブを見てきた人間結論です。

http://anond.hatelabo.jp/20150503132555

自分が一番満足する方法を知って、そうじゃない方法で見たんだから、そりゃあ満足しないんじゃないの?

クラブで踊っている人たちの中で一人でも踊っている人は少ないと思う。

確かにここには二、三人のキチガイが常駐しているが

この司法試験の奴と親がどうのうるさい社労士の奴、ここを完全にその二人のTwitterにするのか?

はてなは何もしないんだな。

増田なんてどうでもいいようだしな。そうか。

「MIRAIには未来はない」理由を、理系はてなーにわかるように書く

理系はてなーのみなさんは、MIRAIに関するさまざまな問題点の指摘をすでに目にしているだろう。

曰く、水素自動車に使われる水素は結局は電気で作るほかなく、その電気化石燃料含めた既存の発電設備で作る。化石燃料をそのまま使う内燃機関車や、電気の段階でエネルギーを受け渡すEVより多段階のエネルギー変換をしているわけだから、そのぶんエネルギー効率が落ちている(実際、コスト比較するとHVEVよりも燃費は悪い)。水素ステーションという社会的インフラ基盤を整備するコストも高い。液体ではなく気体を扱うわけだから設備にもそれだけ高い保安性能が要求される。1拠点で1億円かかると言われている。エネルギーロスがある技術に、多大な社会的投資必要になる。

これらはすべて、MIRAIという車両の「川上」に属する問題だ。でも、MIRAI自体問題について指摘した文章をあまり目にしていない。そこにこそ「MIRAI(FCV)には未来がない」ことの雄弁な証拠があるというのに。

なんでMIRAIには未来はないと思うのか。端的に、でかすぎ、重すぎなのだクラウンよりも5mm短くて横幅が15mmでかい。同サイズ以上。車重は2000kgオーバー。定員は4名で、後部座席の足元は前席下に入らない。トランクは狭小。これが、FCV未来がないことの証拠だ。

そんなことがなぜ問題なのか。「初代の実験販売車だからいいじゃないか。そのうち改善されていくだろう」。そうではない。たとえば初代プリウスはMIRAIより全長が600mm、横幅は100mm短く、車重は1200kg台で、定員5名だった。MIRAIより800kgも軽いのだ! 初代プリウスをあれだけコンパクトパッケージにまとめたトヨタが、MIRAIでは会社の命運を賭けてもここまでのパッケージングしかできなかったということが、FCVの将来を暗示している。MIRAIはHVに比べても、積載している技術要素が多く、しかもそれぞれ小型軽量化するのが困難な技術的制約があるから、この大きさと重さになってしまっている。以下、それぞれの技術要素について言及する。

まずFCスタック燃料電池部が重くてでかいこの重さと大きさでどうにか155psを確保した。2tを超える車重を動かすにはおっつかっつのレベルだ。しかも、その性能(重量出力比)を規定しているのが化学反応領域なので、技術革新のペースが電子技術機械技術よりも格段に遅い。これは燃料電池だけでなく、電池技術一般的命題として知られている。実用車として必要な出力を確保するには、大幅な小型化は難しいだろう。

高圧水素タンクも重くてでかいでも、これ以上小さくすると650kmという内燃エンジン車の平均的航続距離を切ってしまう。タンク圧を上げればそれだけリスクが増す。現状でも水素自動車スタンドでは危険性を考慮し、専任オペレータチャージしなければならない(=セルフ補充はできない)仕様なのだから、これ以上の高圧化の可能性はないだろう。そしてタンク耐用年数は15年だ。しかも2年毎に定期点検必要になり、一般車検場では検査はできない。とてもエコだのサステナビリティだのを胸を張って主張できるような代物ではない。

水素ガスの供給系も重いしでかい燃焼性の液体を発火プラグの直前で気化する内燃機関に比べて、気体を高圧タンクからスタックまで送り込むのだから、配管の気密性もポンプの性能も桁違いに保安基準が高く、それだけ重く大きくなる。これも技術的制約であり、簡単解決できるようなものではない。ちなみにこの車には数ヵ所に水素ガスのガス漏れ検知装置がついている。

廃熱系も重くてでかい水素自動車は水しか排出しない。つまり排ガス経由で廃熱を抜けない。しか燃料電池部分はかなりの発熱を伴う。FCスタックで起きているのは、酸素水素から電気と水と熱を作る反応だからだ。だからあの異形の巨大グリル必要になり、その内部に大型のラジエーターが鎮座している。これも化学反応特性に紐付けられた制約だから技術革新で容易に克服できるものではない。

バッテリも、EVほどではないにしろ、それなりに重くてでかいFCスタックだけでは柔軟な出力制御回生はできない。だから大型の補助バッテリセルを積んでいる。FCスタック+モーター+バッテリというパワートレイン。これエンジン+モーター+バッテリパラレルな、要はHV車と同じような構成なのだHV並みにパワートレイン構成が複雑で、構成部品も多い。しかも可燃性気体を扱うぶんだけ重く大きくなる。これは技術革新だけでどうにかできるような問題ではない。FCVという特定テクノロジーの組み合わせによる、固有の限界、固有の制約というものがある。それがMIRAIの初期モデルの性能と価格規定している。こう説明すれば、理系はてなー直感的に「あっこれ、技術的に筋が悪いな」と感じるのではないだろうか。

から値段も高い。補助金なしなら700万円オーバーだ。そこに、国民の皆様の血税が220万円注ぎ込まれて、やっと500万円程度になる。ちなみに初代プリウス補助金なしで215万円だった。おわかりいただけただろうか。だからMIRAIには未来がないのだ。

6年後の追記

2021年6月16日ホンダ・クラリティFuel Cell生産中止が発表された。ホンダ、FCV生産中止 販売低調で : 日本経済新聞 理由販売低調。そりゃそうだ、高い(783万円)、でかい全長4915mm・全幅1875mm)、買いにくい(リース専用)。2021年6月時点でも全国の水素ステーションの数は147箇所止まり助成金たんまり乗せて官公庁法人に買ってもらうしかマーケットがない。そもそもクルマとしてのユーティリティが乏しいFCVで、さらにあえてホンダ車を選ばなければならない自治体企業ほとんどない。全世界での累計販売台数はわず1900台だったそうだ。FCV全体を断念するわけではなくGM合弁でFCVは続けるということだが、あくま保険的なムーブだろう。

もう一方のトヨタ・MIRAIはどうなったかといえば、こちらも累計販売1万台・国内販売3700台と全く振るわない状況だったが、2020年12月にガラッと雰囲気の変わった2代目が出てきた。https://toyota.jp/mirai これが実にお見事なのだ。といっても「これなら売れる! FCV時代が来た!」という意味ではない。5年前にこの増田で書いた諸問題まったく解決できないまま、それでも「FCVには将来性がある」という幻想を維持するために、針の穴に糸を通すようなコントロール商品企画をやり直し、それにある程度成功している、ということだ。

どういうことか。まずボディサイズだ。レクサスLSと同じGA-Lプラットフォーム採用して、全長4975mm・全幅1885mmに。ちなみに初代は全長4890mm・全幅1815mmだった。初代よりひとまわりデカくなっているのである! 価格は? 細かくグレードを刻んで710万円〜860万円。こちらも高くなっている! 高圧タンクはどうなった? なんと3本に増槽している。しかも1本は運転席の真横に据え付けられている。

全幅1885mmにして、巨大なフロアトンネルにも水素タンクを入れて、750〜850kmという航続距離を確保。全長4975mmにして、ゴルフバッグ3個分のトランクを確保。大径タイヤ採用して地上高を上げ、タンク寸法を拡大。とにかく、全体をデカくすることでどうにかした。「技術課題解決しないという解決をした」ともいえる。

一方でトヨタはさすがだなと思うのは、そういう「FCV限界に気づかせないための、ほぼ唯一の正解ルート」を新型MIRAIでちゃんと選んでることだ。上司に「お前、FCVなんとかしろや」と言われた時に現場が練ってくる商品企画としては、ほぼ100点満点といえる。つまりデカさと高さを「これはあくまで高級車、ラグジュアリーカーなんですよ〜」という建て付けにすることで、「要素技術的に小型化・低価格化が困難」という自家用FCVの致命的欠点希釈したのである

自家用FCVの「デカい・狭い・高い問題」を誤魔化せるのは、もともとボディサイズが大きいスポーツ寄りの大型セダンか大型SUVぐらいしかない。だがエコカーの上得意である自治体法人SUVを買わない。だからMIRAIは「レクサスLSみたいな、スポーツ寄りの大型セダン」になった。2代目MIRAIは、顔つきこそスポーツカーっぽいが、シルエット的にはギリギリ自治体法人用のショーファードリブンカーにも富裕層向けのドライバーサルーンにも見えるし、実際に両方のニーズをそこそこ満たせるように作ってある。辻褄は合ってる。

ショーファードリブ用途に供するために、狭い車内で後部左右席をめいっぱい広く取った。だから後部中央席は実用に向かない。あくまで「5人定員」というカタログスペックのためのエマージェンシーシートだ。これはファミリーカーなら大きな欠点だが、ショーファードリブンやドライバーサルーンなら別に困らない。ほとんど使わないから。辻褄は合ってる。

後部中央席を実際に使わない想定なら、フロアトンネルを大きくしてそこに水素タンクを増槽してもいいよね、となる。結果として航続距離が伸び、600km→850kmになった。これで水素ステーション不足の問題をある程度緩和できている。辻褄は合ってる。

ガッチガチの制約条件の中で唯一の正答を導く論理パズルみたいなことになってて、しかちゃんと正解してる。さすがトヨタ。だがこれは「やっぱりFCV大衆乗用車(5人乗り+5ナンバー)を作るのは無理でした」という事実上の敗北宣言でもある。やはりMIRAIには未来がないのだ。

追記追記

おそらくトヨタも、自家用FCVという路線にはもう勝ち目が薄いと認識していると思う。そこで繰り出してきたのが水素エンジンという隠し球技術的にはそう目新しくなく、過去にも複数メーカー販売している。ただカーボンオフセット問題視される以前は既存ガソリン内燃車に比べて全く優位性がなかったし、そもそも世の中に水素燃料のサプライチェーン存在していないから普及することもなかった。

でもFCV普及が厳しくなった今、水素エンジン車は、既存自動車メーカーが手持ちの技術資源を使ってEV勢に対抗しうる希少な選択肢になる。内燃で培った基幹技術の多くを使い回せるので、今からでもイノベーションで先行するEV勢にキャッチアップしやすい。ミッション系ほか大手下請サプライヤーもそのまま連れて行ける。ガソリンに比べて重量エネルギー効率はかなり悪いが、お得意のHV機構と絡めれば何とか燃費実用域まで持っていける可能性はある。官民を巻き込んだ水素ステーション全国展開というプロジェクト延命もできる。モジュール化に不向きなので中長期ではEV勢に対してどうしても不利になっていくが、レガシー技術延命させて戦えるとこまで戦うというのも旧主派勢力の立派な戦略だ。3代目MIRAIは、出るとしたら普通水素エンジンHV車に生まれ変わっているかもしれない。

(続きを書きました https://anond.hatelabo.jp/20210820195856

法など力の前では無力


力の前では無力って頭痛が痛い案件

スイーツ(笑)を笑ってるお前

お前が一番滑稽だよ。「アタシ、肉食べないとダメなんだよね〜」って知らねーよ

ああああああああはたらきたくねえええええええええええええええええええええええええええええええ

富士山が爆発しねーかな

そんで火山灰ナウルグアノみたいに高値で売れりゃいいのに

低学歴馬鹿にするなら

大卒バカはどうなるのだ。中学歴?

http://anond.hatelabo.jp/20150504092547

俺も初代PC-8801を持ってたんだが、まあSRとの格差はおいといて、

1985年くらいは女子だけの家庭でも結構ファミコン買ってた家庭多かったと思う。少し金持ちが居る学校だったら特に

で、あまり88だからバカにされるとかはなかったんだけど、

一回、ファミコンゼビウスと88のゼビウスを比べて88のゼビウスの出来が悪いのをボロクソに言ったテレビ番組があって、

そのときはいろいろ言われた。お前が持ってるパソコンって全然大したことねーのな? みたいに。

日本に誇りを持つためにはね

昨日ラグビー日本vs香港戦を見てきた。

試合前に国歌斉唱があって君が代ききながら「日本がんばれ」と思った。

国家斉唱とき自然に起立するね。

そして「日本がんばれ」と思う。自分の国を、自分達の代表を応援する。

でもこれ自然に立つから違和感ないけど、「貴様なぜ起立せんのか!」みたいな奴がスタンドに居たら、意地でも座ってたくなるだろうな。とも思った。

自虐史観を教え込まれから自分の国に誇りが持てないんだ!」って言う人いるけどさ、僕らの世代はそういう人が言う「自虐史観」で教わったけど、それで国に誇りを持てないってことはないよ。

自分が生まれる前の人達が何してたかより、今、日本が何してるかの方が重要

ここがしっかりしてたら誇りを持つね。

経済政策の実績を強調して選挙戦をしてた人がさ、終わった瞬間に「党是でありますし、公約にも書いてあります」って言って、選挙期間中は触れもしなかった憲法改正をがんばったりね、

国の代表が「代表であることの意味を知らないのか、自分の主張を国の主張としてしまったりね、

日本を変えるのに、先に米国議会で宣言して「いまだに外圧だよりかよ!」って感じになったりね、

こういう、だらしがないことをやってると、誇りを持てないね

自虐史観を訂正する前に、やることあんじゃねえの。

日本国憲法の前文を美文に書き換えてくれ!

憲法前文は美しくない」「日本語としておかしい」という改憲論者が多いけど、内容は今と同じまま美文に書き換えてみた人っているの?

過去に例があれば教えてください。美しい日本語で読みたいです。

こんなに辛いGWは初めて。

生きていることが辛い。

死にたくない。

やらず後悔するより、やって後悔する方がいいって

元嫁が娘を連れて出て行った。離婚した。

それからもうすぐ2年が経つ。

娘がいる。

当時1歳だった娘は元嫁に引き取られた。

私は関東に住み、二人は四国。離れている。

去年、娘には3度会った。

連れてくるのは極不機嫌な娘の祖母。

最後に会った時、

劣悪な環境下での面会は誰にとっても不幸しか呼ばないと感じて、

娘とはそれから会っていない。

それは去年の5月だった。

概ね、もうすぐで1年が経つ。

交流と言えるかは人それぞれ判断が異なるだろうけれど、

正月ホワイトデー誕生日クリスマスには手紙を送っている。

思いの他、この交流自分自身の心の支えとなっている。


手紙と共に絵本を送ったり、

こどもに流行りのシールを貼ったり、

娘が、いつか手紙意味を分かるようになった時、

これらの手紙が手元に残っていたならば、

きっと何かを感じてくれるだろうという期待を以て、

これが心の支えとなっているのだと思う。


上記の交流タイミング、要は手紙を送るタイミングの他に、

もう一つ手紙を送るタイミングがある。

これがやって後悔する可能性のあると感じている行為だ。


それは元嫁の誕生日手紙を送ること。

大した内容でもない。

ハッピーバースデー幸せを祈っている。

およそそれ位。

これが娘にとって何かを意味するかは分からない。

ただ、俺自身にとっては、相手の不機嫌さを回避するという意味を持つ。

送らなければ送らないで不機嫌になるし、

送れば送ったで、なんで送ってくるんだという不機嫌になる。

やってもやらずとも自分にとってはこころ不快が残る選択肢の内、

より将来にとって意味のある選択という行為という意味とも言える。

二者択一局面においては、

良いか、悪いかの選択だけではなく、

悪いの二択から、どちらかを選択せねばならないという局面がある。

しか継続して。


やらずの後悔が将来何も生まず、

やって後悔は、それが蓄積して将来極めて重大な後悔となる場合がある。


この言葉は、

点ではなく、時間軸という線、そして両者の感情という視点で捉えると、

非常に深く、趣深い言葉となる。


それは、

やって後悔する方がいいって言い切れる勇気と、

自身感情、相手の感情を受け止める責任まで考えた上で行動するという意味を持つ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1838868.html

めいろまって同世代だったのか、もっと上だと思ってた

んで当時、女の子ファミコン持ってたのって男の兄弟が居る子だけだったけどなあ。

持っていても学年が上になれば「兄や弟はやるけど自分はあまり遊ばない」って子も多かった。

女児向けゲーム」なんて無い時代だし、ファミコン男児の間では流行ってても女児の間では大して流行ってなかった記憶

女なら高卒でも結婚して主婦やってるのが多そうだし、下層の方ならお水風俗に行くのも多いだろうし

「非正規で独身で親と同居」ってのは男しか想定してないっぽい。

この手の「人間デフォとして男しか考え付かず、女の存在忘却」と言うのは男の発想としては自然だけど、女の発想としては不自然さを感じる。

パソコン持ってて馬鹿にされるってのはねーだろってのを含めて、なんか創作臭がする。

意図的に(こういうのに食いつきそうな男を狙って)釣ってるのか、或いは完全に名誉男性化してしまって女の事は忘れたのか。

でも名誉男性の子時代ルサンチマンって大抵「容姿が悪くて他の(可愛い・お洒落な)女に馬鹿にされていた」とか

女の子が好きそうな話題や行動に関心が持てず浮いていた」的な方向に行くよなー。

少なくともファミコンはないわ。

ドヤ顔グラビアでは抜けない

お前何偉そうな顔してんねん。もっと媚びたような服従の印を見せんかい

特に素人コスプレ画像でそれやられると腹立つ。最悪顔無くてもええねん。自己主張するなっちゅう話や。奉仕精神が無いんか。

http://anond.hatelabo.jp/20150503224124

私も増田と同じような考え方で、

かつ同じく自戒もしていた。

しかし、そもそも論

1:"他者価値観と向き合った際に否定してしまう人"

というカテゴリで言うと、

それを許容していない自分同類だと考えるようになって考えを改めるようになった。

自身思考回路美学に反した。


改まった振る舞いとしては3つある。


距離を置く相手を決める、あるいは、どのような時間を長く確保するかを決める。

これをすることでポジティブ自己の振る舞いを適切に決めることができる。

時に、1:のような人との交流は、自分一人で過ごす時間に劣る事も多くなると思う。


次に注目した点として、

自分否定的に捉える人を如何に受け入れられるかという視点

これは器と表現できると思う。

こころの器を広くする。


そして、他者に対して上手な返しを身に付ける事。

否定された時に、自身こころが傷む振る舞いしか取れないのは、

ある種の無能だ。

沈黙や応戦も手段の一つに過ぎないから

こころ平穏に、かつ、自身美学に沿った返しを身に付けることが重要だと思う。

芸人さんってこのスキルに長けている人が多い。

なんでやねん的な意味で。


偉い人ってこれらがうまいように感じる。

自己決定権有効行使する

・器を広く、こころに余裕を

他人とのコミュニケーション力を向上させる(他の価値観との向き合い方を体得する


と、こういう分類も増田以外でなかなか表現することができないので、

こういうSNS活用するのも一つのスキルだね。

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