はてなキーワード: 国会図書館とは
さる土曜日、国立国会図書館の関西館にヒマを潰しに行ってきました。存外良かったのでみなさんにお知らせ。
Official サイトはここ。http://www.ndl.go.jp/jp/service/kansai/index.html
外観がこれ。
http://mbp.tumblr.com/post/13545972949
中は天井が異常に高く、吹き抜けみたいなホールを下っていくのでなんか得した気分になれます。
なかはあんまり写真とっちゃダメっぽい雰囲気だったので写真ありません。
設計どこだろ。
第一の目的はこれ。最近論文読める環境にないのでネタ探しと興味本位で行ってみた感じ。
しかし!蔵書はされていても全部のジャーナルが電子化されているわけではありません。
化学系だとScience Direct系は読めるんですが、ACS系やNature系は書物としてなら読める感じです。
車で行くしか方法がないと言っても過言ではないほど区画整理された土地にあります。
SPring-8を彷彿とさせる。しかしあそこよりは都会かも。
場所は京都府相楽郡精華町といって京都の南、奈良との県境くらいの場所です。
B5以上の書類が入るバックはロッカーに入れる必要があります。電話とかも原則禁止。
カメラ禁止。持ち込みPCは場所を限定して許されているようです。
入るために一時入館証を発行する必要があります。住所電話番号まで必須。
館内でインターネットするためには継続カードみたいなのを発行する必要あり。
こんな僻地の国会図書館来てまでスポーツ新聞やらインターネットしてるひと、
かたや難しそうな本を読んでいるひとなど。
ビニール袋みたいなのに入れれば持ち込みできる?のかな、
隣のおじさんはずっと縮刷版の新聞読んで唸ってました。
ボロクソ書いたとこもありますが、みんなの財産なので国会図書館、一回暇つぶしに行ってみてはどうでしょう。
現在高校一年生、将来の進路について模索中です。大学への進学を一番の視野に入れています。
背伸びせず自分の学びたいものを学べるところに進学したいのですが、いまいち分からない所が多く、ここで質問してみたいと思いました。
偏差値といって私が直接影響をうけるのは、私自身と言うより、周囲の人間がステロタイプ気味に変わるのかな(偏差値が重要であればあるほど)というぐらいで、そこまで深く考えていません。
今私は比較的大きめの、コース別に別れた普通高校に通っています。偏差値は高い所で65,低い所で50ギリギリ届かないところで、坩堝です。みんな黒髪ですが、コースが違うとスカート丈の長さとズボンの下ろし具合が変わるので、一目瞭然です。
脱線しました。とりあえず、そういう人もいるということは知っていますし、友人はすべてのコースにいるので、交友関係が一色に染まっても問題はないかな、と考えています。
ですが、これはあくまで私の考えです。できれば偏差値がもっと重要、その程度の見方ではまずい、という方の意見が聞きたいです。
ちなみに大企業で働きたいとか、学歴が大事だとかはそこまで考えていません。じゃあ結果が大事かというと、それもそこまででは・・・。
正直なところ、どこの大学に行っても大して変わらないな、というのが実感です。
山手線域まですぐ出れるとか、アクセスはそこまで考えていません。モノも服もほぼネットと近くの店で済ませています。
実際新宿だとか渋谷だとか原宿だとか下北沢だとか自由が丘だとか言いますが、ぶっちゃけそこまでいいところとは思えないと言うか、電車乗ってまで行くところかな?というのが感想です。とはいえ、都立中央図書館や国会図書館、国立美術館なんかは電車乗ってまで行く価値があると思うのですが、そこの近くの大学にするっていうのもなんだか違う気がするんですよね。大学なら図書館もありますし。
大学自体の違いはジュンク堂と紀伊國屋ほどの違いしか感じられないのですが、そんなことはないよ、という方がいらしたらぜひ伺ってみたいです。
私は今のところ興味関心をひとつに絞り込むことができず、ゆえに大学で何を学びたいとかいう方向性までは定まっていません。なんというか、もったいないと思ってしまうのです。
ですから、おそらくこのままだといわゆる専門的教育のような学部よりは、幅広く理解を求める総合的な教育の方に行くのかもな、ぐらいには思っています。
大学の学部学科は様々で、教員も様々ですが、異なる大学で、同じ学部学科、研究テーマなどまで同じ教員というのは少なくないと思います。
そこで、大学の序列抜きにして、こういう両者に違いを求めたい場合、何を基準にすれば良いのでしょうか。
論文を見ろ、とおっしゃるかもしれませんが、見たところで何を言ってるのか分からない部分も多く、見たところで違いが分からない、というのも本音です。
オープンキャンパスで会ってみるにしても、時間が限られており、満足の行くようにはならないだろうと思うので、できればそれ以外の情報から判断したいのです。
国会図書館といえば日本最大の図書館で、漫画だろうとエロ本だろうと集めていることで有名である。
であれば、ここ数年の日本文化を語るのに外せない「けいおん!」は当然置いてあるはずである。
以下のデータベースで調べられるようなので、「けいおん!」「かきふらい」で検索してみた。
結果
>和図書 1-1(1件)
>1. けいおん!テレビアニメ公式ガイドブック / かきふらい[他]. -- 芳文社, 2010.1. -- (Manga time KR comics)
…ってちょっと待て。
肝心のコミックスが入ってねぇ!!
ここに無いということは、数百年後には誰もけいおんを読めなくなる可能性がある。
クソッなんて政治だ!
ちなみにBDは全部入っている。(「音楽録音・映像」にチェックする)
>1. けいおん! [映像資料]. 1 / かきふらい[他]. -- TBS, 2009.7
>2. けいおん!! [映像資料]. 1 / かきふらい[他]. -- TBS, 2010.7
> :以下続く
どうやら国はアニメ派のようだ。
これってかきふらい先生の功績を歴史から抹消しようという政府の陰謀じゃね?
…が、他にも検索してみると、ひだまりもGAもAチャンネルも入ってない。
要するに芳文社が本を送っていないのが実情の模様。
一応雑誌の方は入っているが、コミックス限定のネタも結構あるしな…。
後世の研究者に「ムギちゃんのたくあんネタはアニメが発祥」とか勘違いされても困る。
・けいおん!のようなここ数年の文化に大きな影響を与えた作品が残らないのは、日本国として由々しき事態である
・芳文社が送らないなら俺が買って送るので、送り先を教えれ
デスクリムゾンを国会図書館に寄贈したという人がいたので、個人からの寄贈を受け付けていることは確認済み。
しばらく経ってから返事。
・ご指摘ありがとうございました。
・確かに当該出版社からの納本率が低いようなので、先方に督促します。
まあ芳文社から直接送ってもらった方が、けいおん以外もあるし良いだろうね。
気になって他の漫画も調べてみたが、結構入っていないのが多い。
・角川書店 … 電撃コミックスがほぼ皆無。一方でらきすたは入っているのが謎。
角川なんて角川歴彦が納本制度の委員を務めてるくせに、この有様だよ。
納本制度審議会 | 国立国会図書館-National Diet Library
逆に集英社、講談社、小学館といった大手はさすがに全部納めている。
ただ、古い本は入っていないようだ。
例えばジョジョなら、1993年の35巻より前が入っていない。
これはどの出版社も同じなので、想像だが「税金で漫画を買うとはけしからん」という時代だったのかもしれない。
ジョジョみたいな有名作品なら文庫版が全部入っているけど、打ち切り漫画なんかはそれもないから雑誌分しか後世に残らないな。
自分の本棚で調べたところ、幽遊白書の10巻以前や、KCコミックス版の魔法騎士レイアース、聖闘士星矢コスモスペシャル、ファンロードハンドブック、蘭宮涼の昔のエロ本等、70冊近くが所蔵されていない。
本以外もセガサターン版レイアース(名作)や、LeafのWindows版ソフト(雫、痕etc)、おさわり探偵小沢里奈等々が入っていない。
再度メール
・古い漫画やゲームで、国会図書館にないものが結構あるんだが、寄贈してよいか
返事
・出版社には督促する。
・古いものは出版社でも持っていないと思われるので、寄贈してほしい。
あと、何か連絡するかもしれないので住所と名前を。
未開封に限るんじゃゲームは送れねえよ…。
まあディスクの中身が違っている可能性とか考えると、お役所としては仕方ないのかね。
宅急便で送ってひとまず任務完了。住所と名前を求められていたが、エロ本もあるのでHNで送らせてもらった。
肝心のけいおんについても、芳文社が督促されたからといって送るとは限らないので、半年後くらいに再チェックせんとな。
しかしこんなに抜けがあるんじゃ、漫画オタとして激しく不安だわ。
結論:
おまいらもNDL-OPACでヒットしない本とか雑誌があったら、ブックオフに売る前に国会図書館に送ってやってください。
数十年後、数百年後のオタが喜ぶかもしれないから。
Orderly disaster reaction in line with deep cultural roots
http://news.blogs.cnn.com/2011/03/12/orderly-disaster-reaction-in-line-with-deep-cultural-roots/
災害発生時にしばしばつきものの、人々の混乱――食品・サービスをめぐる略奪やいさかい――が日本においては皆無であることは、注目に値する。
「略奪(looting)は単に日本では起きないのだ。われわれがlootingという言葉を聞いたときに想起される概念を明確に表すことばが存在するのかどうかさえ、私にはよくわからない」と、グレゴリー・プルーグフェルダー氏(コロンビア大学ドナルド・キーン日本文化センター所長)は言う。
日本人は「社会への責任を第一に、最優先する感覚」を持っている、と同氏。
日本文化を研究するメリー・ホワイト氏(ボストン大学人類学教授)にとって真の問題は、なぜ米国社会には略奪や無秩序が存在するかということである。同氏はその原因を、社会からの疎外と格差のせいだとする。
「確かに日本にも多少の疎外や格差はあるが、暴力をふるったり、他人のものを盗んだりすることは、文化として是認・支持されない」(同氏)
プルーグフェルダー氏は会議のため日本におり、東京での落ち着いた反応をじかに目撃している。東京は8.9Mの震源および広範な被災地からは、数百マイル離れた場所にある。
「国会図書館では、閉館時間から1時間半にわたり利用者が館内に残ることが認められた。これは私が災害の大きさを認識した理由のひとつだ。通常と比較してこれほど予定が変更されることは、きわめて異例だからだ」と同氏は言う。
夜半過ぎ、地下鉄が再び動き出したときに整然とした行列ができたことも、プルーグフェルダー氏の印象に残った。
「そのような社会的秩序や規律は、通常時においてもかなり浸透しているので、緊急時でさえ、いつもの慣れた姿勢を維持することは、日本人にとってきわめて容易なのだと思う」
日本文化の基盤となっている協同精神は、災害時のストレス下において、さらにいちだんと効果を発揮するようだ、と同氏は言う。
「(フリーマーケット的なあり方で)他者も同じようにふるまうという理解のもと、自分自身の利害を守るためにできるかぎりのことをする。そして秩序は、見えざる手のようなものから生まれる」
「日本はそのように機能しない。秩序は個々の多様な必要性を平均化するような形で、集団や共同体から発生するように見える」
このような社会的態度は、日本が災害から立ち直るのに役立つだろうか。
「ひとことでいえば、イエスだ」
議論がまったくかみあわないね。
まず問題にするべきは、伊藤が暗殺直前に、併合に合意を与えたか否か、
そこの最も基本的な事実の認定じゃないだろうか?
あなたは、ひとつの説に過ぎない、と、典拠をしめさないままいっている。
せめて、最低限の事実確認でも、客観的な証拠に基づいて話をすすめるのでなければ、
歴史なんて議論することはまったくできないよ。そう思わない?
だからこれ以上、話をすすめたいというならば、典拠を示して欲しい。
具体的に、どんな本を読んで、あなたはあなたなりの主張をしてるのだろうか?
それはね、たしかに大事な指摘だと思うよ。
でも、あなたも、高宗の伊藤論だとか、エルヴィンだとか、唐突に持ち出してきたでしょう?
その理由はなぜ? 自分が最初から持っている史観、考えに一致してるからじゃないですか?
本来ならね、伊藤を論じるなら、『伊東公全集』、公式な伝記の『伊藤博文伝』以下の基本書、
書簡集である『伊藤博文関係文書』(9巻)を最低でも読まなくちゃいけない。
この書簡集は、遺漏があるといわれているし、何より、膨大な政府文書のほうは
ほとんど未刊行。だから、専門家なら、さらに国会図書館憲政資料室にいって、
そういうものを、くずし字の読み方も勉強して、十年かけてゆっくり読み解いて、
出てきたものが、相応の客観的事実に基づいた史観といえるわけだ。
あなた、そんな面倒なこと出来ますか? できないでしょ? 俺だってとてもできない。
ならどうするか。ひとつは好き勝手に、自分の見たいもの気に入ったものだけ、切り取ることですよ。
あなたは、俺がそうしてるといってる。俺は、あなたがそうしてると思う。
これはある程度、仕方ないことかもしれないさ。だけど、それだけじゃニッチもサッチもいかないから、
一次史料にくわえて、先行研究の蓄積もしっかり読み込んでる、できるだけ新しい研究書に、
多少は他の分野の人間でも、学問の訓練があれば、「鼻が効く」ようになる。
自家の常識、知っている他の史料、最新の研究書にいろいろ併せて、
ある程度は論じられるようになる。あくまで、「ある程度」だけれども。
でね、俺もあんまり勉強してないことは、素直に認めますよ。
もう外出しなきゃいけないので、適当にまとめるけど、
史料や物の見方についての「センサー」が、あなたと俺でちがうんだろうなあ、と。
俺はねぇ、欧米での生活が長くて、日本人だなコノヤローっていじめられた経験があるもんだから、
併合された韓国人の気持ちが、少しはわかるような気がするよ。
ひとつの民族、国民として、オメエの国はダメだな! っていわれるのは、本当に屈辱的だ。
高宗が伊藤ほめたのだって、はじめだけの話か、リップサービスじゃないのかな?
密使事件やら退位の強制やら、あなたが高宗だったり、韓国の大臣だったら、どんな気持ちだろう。
そういう想像力が、あなたにはちょっと欠けてる気がする。
あと、せっかくあなたが引用したエルヴィンの一節に、
「武断派及び言論機関は、高圧手段に訴うべしと絶叫」した、とあるよね。
これ、韓国併合に対する当時の軍閥と一般国民の姿勢をを示唆していないだろうか?
当時の新聞なりちょっと見てみたら、日本人はひどかった! 帝国主義者だ! っていい得る史料が
これまたいくらでも出てくるだろう。
俺の「センサー」は、どうもそっちに眼がいってしまう。
あなたの場合は、そういう世評に抵抗した伊藤はえらかった! となるのだろうか。
毎日新聞に電凸!外国人選挙権を主要先進国の殆どは認めている←嘘吐くな!・国会図書館にも電凸!毎日新聞曰く「国立国会図書館によると、主要先進国のほとんどは外国人の地方選挙権を認めている。」・毎日変態新聞の悪質な虚偽報道だったことを確認
ttp://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3747.html
coffee
「クローズアップ2010:揺れる外国人選挙権」という記事を読んだんですけど、その記事には「国立国会図書館によると、主要先進国のほとんどは外国人の地方選挙権を認めている。」と書いてありました。
毎日新聞は、国会図書館の誰か偉い人か担当者に取材して、あの記事を書いたのですか?
「国立国会図書館によると、…」と書いてあるのですから、当然取材をした上で記事を書いています。
coffee
そうなんですか?
国会図書館の誰に取材したのか知りたいので教えて頂けませんか?
それは今ちょっと分かりませんが…
coffee
実は、私が先ほど国会図書館に問い合わせたところ、国会図書館は毎日新聞から取材を受けていないと明言していました。
えー、そうなんですか?
cofee
そうなんです。
国会図書館では、取材を受けていないので、毎日新聞が国会図書館の資料を見て「国立国会図書館によると、…」と書いたと推測していました。
あ、そうですか…
coffee
それでですね。
私が毎日新聞の記者が見たと推測される国会図書館刊行の資料を確認したのですが、「主要先進国のほとんどは外国人の地方選挙権を認めている。」という記事は事実に反していました。
その部分に関しては、他にも問い合わせが多く、確かに誤解を与えるかもしれません。
しかし、ヨーロッパ諸国を中心に多くの先進国が外国人の地方選挙権を認めていることは事実です。
coffee
いや、事実じゃないですよ。
「主要先進国のほとんど」というのは、どこの国のことですか?
確かにその「主要先進国のほとんど」と表現は誤解を与えるかもしれません。
でも、主要先進国を「二十何か国」と考えるとオランダやベルギーやルクセンブルグやスウェーデンなど、ヨーロッパの多くの国が外国人の地方選挙権を認めています。
coffee
いや、でもね。
イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどでは認めていないのですから、「主要先進国のほとんど」で認めてはいないでしょ。
それに、ヨーロッパ以外の主要先進国であるアメリカやカナダでも認めていないのですから、全てのG7国が外国人の地方選挙権を認めていません。
G7の全ての国が外国人の地方選挙権を認めていないのに、「主要先進国のほとんどは外国人の地方選挙権を認めている。」と記事を書いたら、それはもう虚偽報道ですよ。
主要先進国をG7ではなく、「二十何か国」と勝手に定義するのもおかしいですし、仮に主要先進国を「二十何か国」に拡大したとしても、外国人の地方選挙権を認めている国は過半数に達しないのではないでしょうか?
それに関しては確かに誤解を与えたかもしれません。
coffee
記事の表現は明らかに事実に反していて、外国人参政権に反対している私のような者にとっては非常に腹立たしいです。
このままでは到底許せないので、訂正と謝罪の記事を掲載して下さい。
然るべきところに必ず伝えます。
coffee
あと、同じ記事の他の部分に【「(外国人地方選挙権は)憲法上禁止されていない」とした最高裁判決(95年)】と書いていますが、これもおかしいです。
1995年の最高裁判決の「(外国人地方選挙権は)憲法上禁止されていない」の部分は傍論であり、本論では全く異なる逆のことを述べているのですから、判例とはなり得ない「傍論」の方だけを取りあげるのはインチキです。
1995年の最高裁判決の結論は、本論で述べてある「外国人に参政権は認められていない」です。
それも併せて伝えて下さい。
特に、「主要先進国のほとんどは外国人の地方選挙権を認めている。」という記事は明らに事実に反する虚偽報道ですから、訂正記事を出すまで私は納得しませんから。
分かりました。
伝えます。
ほんと、マニフェストというかINDEX2009はきちんと読まないと駄目ぷりが出てこないね。
思わず図書館員の私が絶句したところをあげときます。
学校図書館の整備
等子どもの読書活動は、子どもが言葉を学び、感性を磨き、表現力を高め、創造力を豊かにするうえで欠かせないものです。子どもの読書活動推進法や、2010年を国民読書年とすることを定めた衆参本会議での「国民読書年に関する決議」を足がかりとしながら、全国の学校図書館の整備・充実を進めるなど、子どもの読書環境を改善します。
また、文字・活字文化の振興を図るとともに、司書教諭が不足している現状にかんがみ、その充実に取り組みます。
はい、ここ。試験に出るよ
司書教諭が不足している現状にかんがみ
司書資格保有者は腐敗するほど余ってます。余っている教諭資格者と違って、コンビニ店員並みの時給でパートタイムとして働く司書が多いのが昨今の現状です。
マニフェストの段階から無駄使い宣言するつもりですか。きちんと現状を把握してから書きましょうね。
もっと、問題になりそうなところ
今日の日本の平和と繁栄の陰には、先の大戦において内外に多くの犠牲が存在したことを忘れてはなりません。そのことを念頭に、戦後諸課題の解決に取り組みます。
北方領土問題を解決して日露平和条約を締結することや、拉致問題を含む諸懸案を解決したうえで日朝国交正常化に取り組むことが重要です。
また、国会図書館に恒久平和調査局を設置する国立国会図書館法の改正、シベリア抑留者への未払い賃金問題、慰安婦問題等に引き続き取り組みます。
はい、ここ。こいつはもっと重要。必ず出るからきちんと覚えようね。
また、国会図書館に恒久平和調査局を設置する国立国会図書館法の改正、シベリア抑留者への未払い賃金問題、慰安婦問題等に引き続き取り組みます。
図書館てのは国民の知る権利を保障する大事な機関。資料が無ければ存在しなかったという事も大いにアリ。歴史てのはそうやって存続してきているからね。
こういった観点から、「特定の思想・信条・イデオロギーに属さずに、資料を収集・提供する」てのが図書館の当然の常識中の常識。これ、理解していない図書館員が居たら、シューキョー化してる図書館員です。頭いかれてます。でも、たまに居ます。フィクション大好きな人間が集まりやすいから。
そもそも
なぜ平和調査を「政治的に中立でなければならない図書館」に設置する必要がある?それぞれ独立して置き、それぞれ独立した立場で利用してもらえばいいでしょう。
それとも、平和のためには資料として存続してはならない資料を廃棄するつもり? と、勘ぐられても致し方ないよね。
マニフェストはちゃんと読まなくちゃね
http://www.dpj.or.jp/policy/manifesto/seisaku2009/img/INDEX2009.pdf
それでは、また来週~
果たして必要なんだろうか?
石原都知事が「司書っていらないんじゃない?」と物議を醸したらしいが。
現在、都内の図書館では「セルフ貸出システム」の整備が進んでいる。
セルフ貸出が普及すれば、貸出事務の部分は「自動化」されることになる。
返却はブックポストでOK。
そうすると後の主要業務は「延滞管理」と
延滞管理は勿論のこと、迷子へのサービスも、司書資格が必要とは思えない。
あと考えられるのが、「蔵書管理」、つまり、限られた予算の中で、
どの本を購入して、どの本を閉架にして、どの本を廃棄するか、という点。
たしかにこの点は、「司書」の腕の見せ所のような気がするが、
「この1年間でどのような本が図書市場に出回った」という情報を有しているのは、
実は国立国会図書館じゃないのか?
「人口100万人の都市であれば、この1万種類の本を選べばいい」
「人口1万人程度の小都市の図書館であれば、この1,000種類の本を選べばいい」と
アドバイスすればどうか?
人口5万人の稚内市図書館の司書と、同じく人口5万人の豊見城市図書館の司書が、
同じようなことに頭を悩ませる必要はない。
というか、国会図書館が蔵書レパートリーを一元管理することによって、
「この本は尼崎の図書館にはないが、西宮の図書館にはあるから、実質的には不自由しない」
というような「全国的蔵書管理」が可能になる。
むしろ全国レベルのアーカイブネットワーク、という観点から考えれば、蔵書政策は
国会図書館が一元管理した方が、蔵書の重複(予算の無駄)、蔵書の漏れ(こっちの方が怖い)を
防止できる。
となると、司書の役割といえば、「起業指南」「ビジネス相談」とかになるが、
仮に公的セクターが行うとしても、市の商工会議所とか商工課が行うべき話だろう。
「新聞折込チラシやミニコミ誌等、国会図書館じゃ収集しきれないアーカイブ収集の現場」
としての役割は、ありうる。
しかし私見だが、この役割は、地方自治体の公文書アーカイブ保管管理作業と
一緒に行った方が効率的になるんじゃないか?
そもそも、一般の利用者で、「司書の資格を持った人が居てもらった方がいい」と
感じている人は、どれだけいるのか?
90%以上の利用者が図書館を「無料貸本屋」程度に考えている現状では、
「司書はいてもいなくてもいい」のではないか?
元増田です。
みんなガンダム大好きなのね。
マジ否定してる人も居るみたいだけど、あくまでネタなので笑って流して貰えると嬉しいですよ。
アニメの殿堂反対はマジだけど。
つかねー、本気で漫画やアニメ・ゲームをメディア芸術にしたいなら、国会図書館なり国立博物館なりで既存文学や既存芸術と同列に扱えばインザネ?
わざわざ専用の格下施設作って赤字前提で保管だの育成だの研究だの笑い話にもなんねー。
ま、それはそれとして、別ネタとしてこんなのも書いてみましたよ。
あくまでネタとして笑って貰えれば、と思いますですよ。
まず漫画だが、古い作品では原稿がすでに失われている物もあり、そういう事態を避けるためにもちゃんとした公立のアーカイヴが欲しい。
それと漫画は例えば手塚治虫や楳図かずおなど、単行本を出す度に頻繁に描き変えを行うような漫画家もいるし、過去の作品が復刻される際はかなりぞんざいにセリフの改変などが行われている(そもそも漫画のセリフを表現に問題があるとして改変するのは(たとえ作者が了解してやったとしても)ミケランジェロのダビデ像に後から他人が勝手に割礼を施すような行為だし、ほとんどの場合改変箇所の記述すら無い事からどれだけ漫画が軽く扱われているか分かる)。そういう版の研究・管理もきちんと系統立てて行ってほしい。国会図書館に全て保存されているわけでもないし、そういう研究・管理は大学や在野の研究者が細々と行っているものに任せっきりになってるのが現状だ。
次に映像メディアだが、我が国では黒澤明や内田吐夢のようなドメジャーの超巨匠の作品ですらフィルムが失われた事により(一部、または全部)観ることができない作品が存在するのはよく知られている。映画のフィルムは現在国立のフィルムセンターという機関が保存、研究を行っているが、予算が少なくとても苦しいらしい。
テレビ番組の場合、例えばNHKアーカイブスが知られているが、フィルムとビデオの端境期にビデオで収録された作品は、放映後多くの場合ビデオテープが別の作品で上書きされており(当時のビデオテープは高価だったので受信料を取っている手前再利用した)、視聴者や出演者が家庭用ビデオテープに録画した物などを少しずつ収集・複製・修復してアーカイヴしているのが現状だ。
以上のような原稿、フィルム、ビデオなどの収集、修復、バージョン管理等々は高度な専門知識と膨大な手間がかかるわけだが、専門の職員を大学の専門学科で教育するといったような事から考え始めると莫大な予算がかかる事が予想される。
私は現状でも文化事業(美術館や上述のフィルムセンターや各種公立図書館等々)にいくら税金がかかっているかが国民に詳しく知られたら大反発(こんなに苦しいのに漫画や映画なんかに金をかけるとは何事だ!)を食らうだろうと思っている。その上にさらに金をかけて上述のような機関を作ることが許されるのかどうか分からない。そのような機関は必要だが公立で税金をかけてやることは無いという意見もあるだろう。
国会図書館に行ったことがあれば分かるけど、あそこは一冊本を読むためどころか、建物に入るためにも手続きがいるわけ。
申請書類書いて、受理されて、待たされて、みたいな感じで、いろんな人達がいろんな目的でやって来てる。貴重品や筆記具も持ち込み禁止。そういう所持品はロッカーに預けなきゃならない。だからとてもじゃないが代用にはならない。むしろ代用したら、本来の利用者の邪魔にしかならないよ。
さらに、国会図書館は書籍が対象なので、映像媒体やハードウェアの保存は行っていない。誰もが知ってる往年の名作ゲームなのに、開発機材やマスターROMが残っていないとか、再生するハードウェアが現存しない、復元しようにも設計図すら残ってない、なんて事にならないための役割も期待されてる。
たとえば、アメリカのスミソニアン博物館にはセガのバーチャファイターの各種資料とかが保管、展示されてる。本来であれば日本が率先してやるべき事なんだけどね。
こちらこそ、いろいろ愚痴につきあってもらってスミマセン。
どちらに転んでも、難しい問題ですよね。
それは確かに、そうなんですよね。ただ、その観点(編集者のセンス・出版社の構成/校正センス)
でもいろいろ議論はありますし、日本だと青空文庫さんなんかが先行的な深い議論をされていると思います。
それから、クラシック畑の楽譜なら「○○版のコレコレという楽曲」という表現をするものも
ありますので、多少は編集者の創作を加味されるのかもしれません。
といっても、ゲージツ的手書き譜の時代と、電算写植... もとい、DTP入稿の時代では、
重み付けも全然違いますが。
コピー機の普及によりもはや民間企業がやれることではないのかもしれませんね。それこそ元増田の言うように国立の音大や国会図書館がやるべきことなのかもしれません。うーん、でもそれも違う気がするなあ。
19世紀までの楽曲は、そういうスタイルも1案かもしれませんね。
吹奏楽の場合で、かつ特殊ケースにはなりますが、吹連が売ってる(権利を持っている)課題曲・楽曲は、
基本的には在庫が尽きるまでは原譜を販売、在庫終了後も権利者認定のコピー譜を販売、という
スタイルだったかと思います。
PDF配布なんかも普及してきましたし、昔のように在庫や原板の保管の障壁も下がってきていますので、
「権利者(or相当者)認定のコピー譜」という制度が普及してきても、いいかもしれません。
(追記)
というか、個人には大きすぎる・民営会社には少しキツい問題なので、
ほんとは真っ当な「権利者団体」が、利用者・著作権者・出版社のそれぞれに、
損は少なく得できる方策を提案すべきだと思うのですが、JASRACがなぁ...
DVD/CD-R/HDDであんな議論されちゃ、そのうち「コピー用紙にも楽譜をコピーできるんだから」
などと言い出しそうで怖いです。ってか、コピーするのが前提かよ!みたいな。
お話も尽きませんので、いったんこんな感じで。
http://anond.hatelabo.jp/20090505065159
それもおっしゃる通りで。基本的には、著作権は出版社に譲渡...
つか、国内は基本的にJASRACに譲渡で、しかも取り返せない形になるんでしたっけ。
あと出版社も(在庫リスク付の)商売ですから、確かに出版社が力を持つのは
仕方ない側面もあるとは思います。
東芝EMIが、同じ内容のCDを数年毎にパッケージを変えて再版してるのを見て、
最初は「セコいなー」と思っていたものの、最近は在庫調整&継続販売のためには
仕方がないのかなーと同情に思えてきたり、
NSBの旧版がde Haskeあたりで再出版されてる様子を見て、
国内版で出してくれないのもなんだかなーと思えていたのが、仕方ないなーと思えたり、
そんな気分になることに、年を取ったなーと思う今日この頃です。
そうなんですよねー。中学校や高校の吹奏楽部なんかで楽譜に対する著作権意識がまともに醸成されてない、むしろ楽譜は一冊買ってコピーして使えばいい、そういうものなんだという意識が植えつけられているようなのが問題なんですよね。
でもまともに考えるとクラシックの楽譜の著作権というのはかなり微妙なラインにあるんじゃないかなあとも思うわけです。もちろんもとの原譜を使える状態に仕上げてかつ印刷に適したフォーマットに整えるという作業が大変なのはわかるのですが、これって小説ならいわゆる編集作業であって創作とは通常はみなされないですよね。
コピー機の普及によりもはや民間企業がやれることではないのかもしれませんね。それこそ元増田の言うように国立の音大や国会図書館がやるべきことなのかもしれません。うーん、でもそれも違う気がするなあ。
難しいですね。