はてなキーワード: 双眼鏡とは
わたしはある美少女バンドゲームのアイドルバンドのドラマーがだいすきで、所謂架空の女の子に恋する女の子だった。過去形にしたとはいえ今もすきなことに変わりはない。Instagramのアカウントには文化の日に誕生日を迎えたその子の誕生日会の写真だって載せている。Twitterのアイコンもヘッダーもその子に統一しているし、LINEのステータスメッセージだってその子のガチャの演出のことばをまるまる引用している。だけど以前のような、例えるなら自分の命だってかけられるような、そんな気持ちはもうない。冷めてしまったのでは無いと思うのだがわたしにはこの気持ちになった原因に心当たりがある。もうひとりの推しの存在だ。
今から1年前くらいのことだろうか、たまたまテレビに出ていたジャニーズの男の人が目に止まった。ありえない歌唱力に整った鼻筋。ひと目で好きになってしまうような、どこかの王子様のようでわたしは手当たり次第に周りのジャニオタに声をかけた。名前を知った。年齢を知った。誕生日を知った。そしてたまたまグッズを頼もうとしていた友人のジャニオタが「割り勘する?」と言ってグッズの購入を勧めてきた。財布には都合よくお金があったので購入したいものをリストアップしてみた。そのどれもが顔がめちゃくちゃに良かった。
それからはとんとん拍子でアクスタを手に入れ、公式写真を手に入れ、ファンクラブに入った。母親はわたしがジャニオタになったことを一緒に喜んでくれた。わたしが撮り忘れたMステも録画しておいてくれたし、幸いここまで彼の所属するグループが出演した歌番組は全て見ることが出来ている。ここまでのオタ活での唯一の後悔は半裸のハンガーを買い忘れたことくらいである。
今までジャニーズに触れたことがなかったわたしにとっては公式写真の1枚160円など全体的に安すぎる価格や何ヶ月おきかに発売されるCDというのは新鮮で、舞い上がったわたしは客観視すれば痛いオタクなのだろうがジャニオタの友人と割り勘したライブのうちわを受け取るやいなや教室で高々と掲げてみたりしていた。
そんなある日ご縁があってその方が座長を務める舞台を観劇した。
存在はしていたものの彼は違う世界の人間だった。股下は地球を包み込めるくらい長かったし、神様が彼を創った時アイビスペイントの対称定規を用いて顔を造形したのではないかと疑うくらい整っていた。歌声はのびやかで芯があって、上手く言い表せないくらい素敵で、わたしはスタンディングオベーションの間涙をこらえるのに必死だった。
家に帰ってきてチケットの整理をしていたらふと机に飾ってある女の子と彼のアクスタが目に入った。
女の子は絵だった。彼は写真だった。どちらもアクスタという平面を組み合わせた立体に存在することに変わりなかった。
わたしは収納ケースに入った女の子の缶バッジを見た。苦労してひとつの絵柄で40個集めたそれは既にただの絵の印刷された金属でしか無かった。
ああ、と思った。
わたしの3年間はこの絵に吸い取られていたのか、と。たぶん女の子に抱いていた夢からその瞬間に醒めてしまったのだと思う。
勿論2次元にも3次元にもいいところはある。だが、存在するということを知った途端に全ての世界が変わってしまったような気がした。この感情はどうにか残しておきたくてこの日記を書いている。
ライブの開催が告知されたいま、様々なことが重なりわたしの財布はスカスカになっている。ライブに当たっても入金が出来ないだろうし、紙袋に収納ケースの缶バッジを入れて、家の近くのブックオフまで自転車を走らせようと思う。
これが無いことには始まらない。
もし一眼レフ/ミラーレス一眼でやるなら、150-600mmクラスの本格超望遠レンズのエントリーモデル(13〜17万くらい)が望ましい。300mmでもできないことはないが、本格的にハマり出すとバズーカみたいなやつがすぐ欲しくなると思うので、少しでもやる気があるならさっさと超望遠レンズを買ってしまおう。マイクロフォーサーズであれば焦点距離150−300mm(フルサイズ換算で300-600mm)くらい。
ちなみに、望遠が利くカメラであれば必ずしも一眼レフでなければいけない訳でもない。高倍率ズームできるコンデジでも十分挑戦できるし、NikonP1000には「鳥モード」が付いてたりもする。レンズを買い足す必要がないので、まったく機材を持っていない&安上がりに済ませたいならオススメ。
望遠の大敵は手ブレである。一瞬のシャッターチャンスを逃さないために、手ブレになりうる要素は減らしておきたい。
また、超望遠レンズをつけていると機材の重さですぐに腕がやられてしまうので、長丁場の撮影をこなす上でも必須の機材となる。
鳥を探すのに必要。遠いところから狙うので、肉眼で探すのはよほど目が良くない限り厳しい。
バードウォッチング目的だと10倍、12倍の双眼鏡が使われたりするけど、鳥を探すのには広い範囲を見れたほうが良いので、6倍、8倍程度がちょうどよいと思われる。
シャッターチャンスに巡り合うため、野外の厳しい環境でじっと待ち続ける根性が必要。
撮らせてもらう鳥さんたちはあくまでも野生の生き物。鳥を驚かしたり、自然環境を変えたりしてはいけない。
ふとしたきっかけでずっと気になっていた素人モノの出演者の詳細が見つかることがある。
もとはといえばFC動画アダルトで見つけた更衣室盗撮動画でなぜかbgmはspeedぽい音楽が流れているし隅では田代まさしが双眼鏡を覗いているのがワイプ上に表示されている…
まあそんな感じのよくわからん編集が施されていたが顔に一目惚れ。なんとなく素人ではない気もしていた。
SDに保存してスマホ上でムラっとしたときによく見ていたのだが数年経ったある日SDにデータを詰め込みすぎてデータの一部が欠損してしまった。よりによってその動画が消えた。
前から似てると思っている人が出ていた作品があったのだがそれも素人ものを装っていてメーカーのページには出演者名が書いていない。
でも最近になって俺は「作品名で検索すると『みんなのAV』というページが出てきてそこに出演者が書いてある」という知恵を得た。
早速調べてみると書いてある。「星まりあ」と。てか別名義10個以上あるな!?無駄に多いな!?
無料で見れる動画に飛んだら更衣室動画で確認できていた左胸のほくろと陰毛の特徴的な剃り方を確認。同一人物と確定。
それと関係ない話だがまた別のAV女優のブログってものを見つけたんだけど入るのに合言葉みたいなのが要るようになってた。AV女優のくせにお高く留まってんじゃねーよ。
先に言うけど推敲や読み直しは一切しないし直書きなので何か間違ってることがあるかもしれない。そして長文であることを先に謝罪する。読まなくていい。
端的にいうと推すのをやめたいがやめられない自分の感情の整理をしたいからこの文章を書いている。
ここでは稀にしか見ないが、自分はその辺にいる多分平凡なジャニヲタ。応援してるのはSnow Manの佐久間大介。佐久間ニキとか言われてる奴だ。ここをぼかすときっと話が通じないからぼかさないで行こうと思う。
初めて見たのは2013年頃。当時SexyZoneが好きだった自分が見に行った舞台でバックJrをしていた彼を見つけた時。見た瞬間に目を奪われたのを今でも覚えている。顔は絶対的にSexyZoneの方がかっこいいのに、舞台上で踊る彼は自分の目線を奪い続けた。気がついたら双眼鏡で彼ばかりを見ていた。当時の自分はまだ学生で、彼らSnow Manは全員年上。ファンも彼らと同学年あたりが多く完全に自分は浮いている存在だったのに、気がついたら私はSexyZoneのファンから、Snow Manの佐久間大介のファンへと鞍替えしていた。担降りして、佐久間担になったのだ。
当時のSnow Manは今ほどキラキラしたアイドルでは決してなかったと思う。どちらかといえば路線はKAT-TUN、ギラギラしててちょっとだけガラの悪い感じ。髪色もほぼみんな金髪、クロムハーツが大好きだった佐久間は全身にジャラジャラとクロムハーツをつけて渋谷の街を、有楽町を歩いていたのを散々見かけた。
彼らの特技、というか売りのダンスは今も変わらずだがジャニーズ内だと屈指の上手さだと思う。やったことないからわからないが。けれどファンは少なかった。理由は単純で、ブスだった。今でもたまにブスって言われるけれども。
よく言われた表現はブスノーマン。でもまあその辺の男よりはお金もあってギラギラしてて顔がいいから女の子と遊ぶことも多くて、カスノーマンなんて呼ばれたりもしてた気がする。
そんな彼らもジャニーズ内の時代の波の中、Jrが急速に人気を増やしていくようになり、YouTubeチャンネルを始めたあたりではまあSnow Man、人気だよね。前に比べてすごいファン増えた!?ぐらいになっていた、2018年頃。思えばこの時はピークだったのかもしれない。応援する自分の感情が。
2019年の1月に状況は一変した。人数が増えた。9人に。オタクというものはそこまで単純じゃ無くて、今まで築き上げてきた6人でSnow Manというものがそう簡単に忘れられなかった。今ではもう9人でSnow Manですね〜ぐらいにしか思ってないが、その当時は猛烈に嫌だったのを覚えてる。自分だってそんなにお花畑な思考回路じゃないからこのままじゃデビューなんて一生無理なのもわかっていた。でも彼らの6人で、Snow Manでデビューしたいという思いを感じていた夏があって、その上でこれはあまりにも拒絶反応がすごかった。当時は彼らの気持ち、なんてものは聞ける訳もないし、公的に否定的な感情なんて出すわけがないなら本人たちが望んでいたのかすら疑うしかなかった。
話は変わるが、彼のどこが好きかと言われたらステージ上の立ち居振る舞い全てが好きなんだとはっきり言える。ダンス、目線、アクロ、表情、作り出す雰囲気、本当に全てが理想的で、間違い無く今も大好きなところだ。ちょっと…ではないぐらいバカなところもまあアイドルならご愛嬌だと思えるし、ウマ娘に言えないくらい課金するのだって好きなんだね、で済ませられる。それは6人でも、9人でも変わらない。佐久間大介と言う人間ははそんなもので簡単に変わる人ではいし、なんならいい影響だけを受け続けて進化していくようなそんな人間だった。
デビューしても、佐久間大介は何も変わらない。いつもと変わらず、大好きな佐久間大介のままだった。だからこそ今の自分に整理がつかない。
たしかに新しいファンとは圧倒的に話が合わないと感じるけれどそんなのは応援するにあたって些細だとおもう。ありがたいことに自分には10年来のオタク人生全てを知っている友人が数人いるし、今でも毎月のように話したり遊んだりできる関係性だ。まあ新しいファンと根本的に違うと感じるのは明らかに見ている景色が違ったからなんだと思うが。
それに人数は変わったが彼らがデビューを掴むために決めたことで、結果としてその決断は間違いではなかったことが今わかってる以上もう新しい3人にマイナスの感情はない。プラスも特にないけれどそれは他の佐久間以外の5人にもそこまで興味がないからそんなもんなんだと思う。
じゃあなぜ今、担降りなんて考えてるのか。たしかに自分はつまみ食い的に他のグループを見たりしてやれあの子はかっこいいだのやれあの子が可愛いだのやっているけれども根本的にそこが理由ではないのはわかっている。
単純にきっと不満が多いんだと思う。推していて幸せになれないアイドルになってしまっているんだろう、自分の中で。佐久間は何も悪く無くて、でも小さい不満が例えばよくわかってもいないのに大きな声で発言する新規のファンに向けてだったり、運営サイドだったり、他のメンバーだったり、事務所だったり、滝沢秀明にだったり、まあとにかく色々あるんだと思う。
10年20年と一人のアイドルが好きで好きで仕方ない!なんてざらにあるジャニヲタの中で、自分はいまだに佐久間大介のファンとして新規だ。実際ファンの中での基準はわからないからどうかは知らないが自分はSnow Manになる前の佐久間を知らないから。永遠に古参なんか名乗れない。
ただ、そんな気持ちでも事務所は待ってくれない。とにもかくにもコンサートが決まった。デビューして初めての有観客コンサートだ。取れたチケットは2枚だけ。
楽しめるかわからないのが正直1番辛い。
でも最後になるかもしれないし、1番上から最前まで、どこで見れるか入るまでわからないが大好きな佐久間大介の大好きな瞬間は1秒たりとも逃さず見てから降りるか考えてもいいかな、なんだ思ってしまっているあたり多分もうしばらく佐久間大介のファンなんだろう。
ここまで長文になったし誰も読んでないだろうからこそ書いておくがもし私の大好きな自担、佐久間大介、あなたがこれを見てたらすぐに忘れてほしい。こんなファンは貴方にとって大事じゃない。あなたにとってプラスにはならない。あなたのことが大好きで仕方なくて、あなたに会える日を心待ちにしているファンが大勢いる。私があなたに出会った時と桁違いの、本当に桁違いのファンがいまあなたにはいる。そう言うファンを大事にしてほしい。
それともし、これを読んだ誰かが気に留めておきたいと思うならば一つだけ、私は佐久間大介のダンスが大好きだ。初めて好きになったのは2013年のトニトニ、今まで1番好きなのは2014年のいつか。一生忘れない瞬間だった。きっとこれを気に留めるのはオタクだけなので詳細は書かないが2014年のものは今でも円盤を買えば見れる。見てほしい。暗闇で桜を散らしターンをする彼は間違い無く世界一かっこいい。たぶんその辺に写真も落ちてる。きっと多くのオタクを魅了した瞬間があれだ。
佐久間大介と、Snow Manと、私以外の全てのファンが幸せだと思えることを祈ってる。
おわり
幼少の頃の記憶。当時は人口一万人弱だった私の郷里の、小さな町。そのまた更に片隅に在った、小さな神社の祭り。その夏の一夜も毎年の恒例どおり、屋台が並んだ神社前の商店街―――と呼ぶにはあまりにも短い道―――を御神輿が練り歩いていた。
「ワッショイ!ワッショイ!ワッショイ!ワッショイ!」
(※掛け声や会話を正確に表記すると方言などから地域を特定される虞れが有るので、この文では誤魔化してあります。)
盛大で楽しげな掛け声と共に、御神輿は上下に、前後左右にと、激しく揺れ動いていた。
その御神輿を担ぐ集団が、幼い私の前を通過しようとした時のことだった。
「ワッショイ!ワッショイ!ワッ」
大きな音を立てて、御神輿の担ぎ棒が、見物客の一人である中年のおじさんの額に当たった。
おじさんの額は割れて、血が流れ落ちた。飲酒して赤ら顔だったおじさんの皮膚よりも、もっと色が鮮やかな血は、瞬く間におじさんの着ていた白い半袖肌シャツを赤シャツに変えた。
御神輿の動きは止まり、夜の街に集まった群衆も、水を打ったような静寂に包まれた。
ドッ!!!!
一瞬で群衆は笑いに包まれた。血を流したオジサンも一緒になって、腹を抱えて愉快そうに笑っていた。
「ワッショイ!ワッショイ!」
「ワッショイ!ワッショイ!」
「ワッショイ!ワッショイ!」
再び担ぎ手たちが声を上げて、御神輿が進み始めた。その動きは止まる前よりも一層激しく、上下に、前後左右にと、揺れ動いていた。御神輿は、夜の街並みを屋台と群衆の間を縫って進み、やがて幼い私の視界から消えた。流血おじさんも消えていた。きっと、あの後は手当を済ませ、何食わぬ顔でまた何処かのお家にお邪魔して、酒を飲み直したことだろう。小さな漁港の傍にある小さな街で暮らしていた、平凡で呑兵衛のおじさんたちは、それが普通だったから。
あの時の群衆を成していた、御近所のおじさんたち、おばさんたちの殆どが故人だ。今では私も同級生の大多数も、故郷を離れて暮らしている。Googleマップで現在の様子を見ることができる郷里の小さな商店街は、残念ながら所謂シャッター商店街となっている。
コロナの影響で、老齢の両親や彼らと同居する兄夫婦の元に帰省することも、おちおちできなくなった。私が郷里を出た後も、祭りは行われていたのだろうか?高校生の頃まで暮らしていたというのに、あの流血の夜の翌年以降の祭りについて、実は私には記憶らしい記憶が無い。私は自分の思い出を、何処に置き忘れて来てしまったのだろうか?
何か思い出せることと言えば、神社の境内へ上がる高い石段から見下ろした、屋台が並ぶ夜の商店街の光景ぐらいである。とはいえ、幼い時には聳え立つように見えた神社の石段も、大人になってから帰省した時に一度訪れたので、実はそんなに高くはないと今では知っている。
現在の私が暮らしている場所にだって、神社ぐらい幾つも有るが、幼い頃の私が目撃したような楽しそうな祭りは見ていない。私が移り住んで来る以前の、昔にはあったのだろうか?もちろん、あったのだろう。しかし、仮にあったとしてもコロナの影響下では、やはり御神輿を担いで練り歩くなんて事も出来はしない。
あの後、流血おじさんに御利益はあったのだろうか?
きっと私は、幼い頃の思い出を美化しているだけなのだ。双眼鏡を逆に覗くと、普通の風景が小さくまとまって何だか美しく見えるように。
それでも何時かまた、あんなささやかで、しかし猥雑なエネルギーに満ち溢れた、夏祭りの夜に巡り会えたら良いなと思ってしまうのだ。父や兄、幼い頃の御近所のおじさんおばさんたちとは違い、大人になっても私はてんでお酒が駄目だし、おまけに酔っ払いは苦手なのだから、きっと御神輿の担ぎ手にも楽しげな群衆の輪にも上手く混じれないだろうけれど、楽しそうにしている彼らの姿を、少し端っこの方から私は眺めていたい。
ワッショイ!ワッショイ!と呟きながら。
こっちに引っ越してきたばかりのとき、サミットの二階はドラッグストアではなくて衣料品売り場でした。
当時4才か5才の僕には春先用のコートは大木で、ハンガーラックにかかったそれらは森のように見えました。
「エルマーのぼうけん」だかなんだかに夢中だった僕は、母さんが夕ご飯の食材を買っている間、森を探検していました。まぁ昔は今よりもっとおおらかな時代だったんです。許してくださいよ。
すると、森の中で、自分よりちょっと小さい女の子と出会いました。引っ越してきたばかりで幼稚園にも行っていなかった僕は、おんなじ遊びをしているその子が、とても身近な人に感じられ、とても好きになりました。紳士服から婦人服まで探検し終わった後、婦人下着の林までやってきました。
僕は、何を思ったか、あるいは何も考えてなかったのか、前の幼稚園で流行ってたギャグを思い出して、それを口走ってしまいました。手をパンと叩き、手をピースにし、OKサイン、双眼鏡を除くポーズ。「パンツー丸見え」というギャグです。意味を深く考えたことはありませんでした。誓っていうと、僕は下品なことが嫌いです(当時)。出来たばかりの友達はお手本みたいな「キャー」を言って去ってしまいました。
母さんにそれを報告したら呆れられたのを覚えています。よく分からんなぁ女の子はってバカな僕は思ってました。
未だによく分からんなぁって思ってます。ジャンゴ・ラインハルトが左手で数えられるくらいには恋人ができたりしました。流石に何が下品かは分かっていて少しは機嫌も取れるようにはなりました。でもなんでしょう、相手が不満を募らせるタイプの怒り方してるときの気まずさ。こう、1つクリアしたら新しい難しさが出てきます。
こないだ駅で「努力しても無駄」を連呼し、「樹海へ行け」と自分に言い聞かせるように、自分以外のその他大勢に向けてささやいてる、ちょっとおかしい人を見かけて思い出しました。なんでだろう。本当になんでなんだろう。
(追記)
全然突っ込んでもらえないからネタバラシするけどイマジナリー息子とイマジナリー私のお話です
(追記終わり)
写真を整理していたら色々思い出したので、今更ながら日記に残したいと思う。
何を隠そう、私は動物園が大好きだ。
小さい頃は、休みのたびに両親にせがんで動物園や水族館に連れて行ってもらったものだ。特にアメリカバクやオタリアなど大きくて柔らかそうでヌメッとしていそうな動物たちの不思議な造形と質感が大好きだった。
本当は息子ももっと早く動物園に連れていきたいと思っていたのだが、このご時世おいそれと遊びに行けるわけでもなく、調整に調整を重ねてついに実現できた、満を持しての動物園デビューだ。
私の英才教育のおかげですっかり動物に興味を持って育った息子はもちろん、久々に動物に触れられると思うと私も楽しみで仕方がなかった。カメラに双眼鏡、スケッチブック、前日夜から念入りに準備をした。当日は動物園の近くのコッペパン屋さんに寄ってお昼ごはんを調達し、開園時間と同時に動物園に飛び込んだ。
ちなみに入園は時間予約制となっているので、これから行こうと思っている人は気をつけよう。
予習バッチリな息子はまずオカピを見たいとリクエストしてきた。良いチョイスだ。
知らない人もいるかもしれないので解説するが、オカピは茶色いわがままボディにしましまの手足とお尻がキュートなキリンの仲間だ。
いわゆる珍獣として話題になり、私も子供時代にたいそうおもしろく観察したものだが、今も変わらず珍獣のようだ。オカピの魅力を一発で見抜くとはさすが我が息子。
どちらかと言うと人間に興味がなさそうなイメージのあるオカピだったが、この日は草を喰みながらじっと息子を見下し…見つめてきた。ああ、ちょこんとした角がかわいい。息子も一生懸命見つめ返して、スケッチを取る手が完全に止まっていた。
ちなみに私はオカピの近くにいるハシビロコウがお目当てのひとつだった。ハシビロコウは鋭い眼光と巨大くちばしが特徴的な大きな鳥だ。一時期「動かない鳥」として話題になったこともあったが、少なくとも動物園で見ているぶんには結構動く。大きく形の良い羽がふわりと膨らみ、瞬きするたびに淡く澄んだ灰色の瞳がキラリと輝いて、実はとてもきれいな鳥だと思う。私が見たときはオスとメスが一羽ずつ、一つの大きなケージに入っていた。繁殖にチャレンジしているのだろう。ちょっとオスが奥手なのかな?メスの気が強いのかな?人間目線ではあまり上手くいっていないように見えた。頑張れオス。
この調子で一つ一つの動物を語っていくと永遠に終わらないので一気に端折るが、結果として息子は大変満喫したようだった。
おみやげコーナーで新しい図鑑を買ってあげたら、今日に至るまで毎日飽きずに読みふけっている。ちなみになぜかイルカのぬいぐるみも欲しがったが、動物園にイルカはいなかったので許可しなかった。見ていない動物を実際に見た動物より優先させるのは私の教育方針に反する。ニシキヘビなら買ってあげるよと言ったら、少し迷ってから「いらない」と言われた。それから更に色々迷って、結局ホッキョクグマのリアルな模型を買ってあげた。
そういえばコッペパンも美味しかった。私はやはりベーシックなポテサラが好きだ。息子はいちごホイップが気に入ったらしい。
動物園から帰った日の夜、息子がしみじみと「ぼく、あんなにたくさんの動物に会えたなんていまだに信じられないよ。動物園って天国だね」と言った。
妙にませた口ぶりにちょっと笑いながら、私は「そうだね、でも昔は『狭い檻に動物を閉じ込めるなんて動物がかわいそうだ!』って動物園のことを嫌う人もいたんだよ」と教えてみた。
息子はかなり驚いたようだった。そりゃそうだ。いわゆる「野生動物」が自然界から消えて久しいのだから。
野生動物は絶滅した。動物園でその名残をかろうじて確認できる今の世界しかしらない息子には、自然が溢れ、野生動物が溢れていた時代など信じられないだろう。息子より先に生まれた私でも実際に見たことはなく、最初は理解できなかったのだから。
一部の愛護団体から動物虐待だのなんだのと批判されていた動物園が、動物たちの最後の砦となり、今では動物を愛するものは皆動物園にすがっている。皮肉なようにも見えるが、まあ動物園はもともと博物館の一種であり、動物や自然の保護や研究、教育普及を目的とする施設である。当然の結果とも言えるだろう。
ともあれ、息子の動物園デビューは大成功だった。また近いうちに、息子と一緒に動物園に行こうと思う。コビトカバと息子のツーショット写真撮り損なっていたし。
以下相互さんと呼ぶ。
その途中、何だ...あれは。
近くに人がいるわけでもない。
私は一瞬奇妙に感じたが、ひとまずこう解釈した。
『あれ、新種の案山子(かかし)じゃない?きっと!今まで動く案山子なんか無かったから、
農家の人か誰かが考えたんだ!多分さっきから吹いてる風で動いてるんだよ!』
相互さんは、私のズバリ的確な解釈に納得した表情だったが、その表情は一瞬で消えた。
風がピタリと止んだのだ。
相互さんは『おい...まだ動いてるぞ...あれは一体何なんだ?』と驚いた口調で言い、
気になってしょうがなかったのか、家に戻り双眼鏡を持って再び現場にきた。
ふと見ると、私達はまだ相互関係だ。
私もブロックしていない。
青白い光弾が飛びだし、女の霊を吹き飛ばした
今年の夏の課題図書が図書館に置いてあった。小学校高学年が対象の本で『飛ぶための百歩』というタイトルだ。翼を広げた平べったい鳥の後ろ姿の曲線がに惹かれ、手に取った。なお、私は小学校高学年の少年少女ではない。夏休みの苦行、読書感想文を書かねばならぬ彼らがこれを必要としていることは認識していた。罪悪感はちゃんと持っていた。多少の良識がある大人だと、自分に言い聞かせた。
本の貸し出し、一番乗りだった。ごめんなさい。
この本は、目の見えない少年が人付き合いが苦手な少女に出会い、絆をつくる、ボーイミーツガールの物語だ。
タイトルにある「百歩」は山小屋の名前とラストでの「ここまでちょうど百歩だった」ことのダブルミーニングと思われる。ラストの舞台は1年後の話になるので、困難を乗り越えたあと、彼が良好な状態になる「ための百歩」だろうな、とタイトルの考察をした。
ただ、「飛ぶ」がわからなくて、いやラストシーンで”飛ぶ”んだけど”トぶ”にしか思えなくて、飲み込めなかった感あり、今もなお喉奥に引っかかっている。
この物語は、タカのひなが密猟者にさらわれ、それを救出し、巣に戻す、という事件があるのだが、都度、主人公の驚異的な聴力と、驚異的なモノマネ力が爆裂し、困難を乗り越える。その過程で主人公と少女はお互いの悩みをぶつけ合い、自身の在り方を見つめ直していく。
いいでしょ。いいんですよ。少年少女なんです。
でもね、1年後のラストシーンで主人公が上空を飛んでいるタカを「ぼくに会いに来た」とのたまい始めて、様子がおかしいと不安になる。よしんば、空を飛んでいるタカがその時のひなだったとしても、ひなは君を認識していないだろう。双眼鏡でヒロインに実況してもらわないといけないほどの距離にいたのに。
さらに彼は、崖に向かって走り、崖下へ飛び込んでしまう。空を飛んでしまう。比喩である。比喩であった。しかしこの描写は、私を完全に置いてけぼりにするには十分だった。
これは自論なのだが、舞台装置としての魔法・奇跡といったものは、冒頭の設定で使われるか、事件解決のために”1度だけ”使われるべきだと思っている。(SAVE THE CAT が言ってた)
この場合、事件解決に使われた主人公の驚異的な〇〇が魔法だとしたら、2回目が使われたのは残念に思ったし、なにより、最後の最後で突然、前触れもなく白昼夢のような魔法の世界が描かれ始めてしまったことで、今まで読んできた現実的な世界観との温度差が生じ理解が追いつかなくなった結果、本当に崖下にジャンプしたのだと解釈したほど混乱した。
それまで、物語の傍観者だった私は、彼が飛び立った崖に取り残され、空から降ってくる立方体のキャラメルを眺めていることしかできなかった。
さて、ラストシーンから書いてしまったのは悲しみが深かったからで、文字数的なノルマはまだ残っているので、この物語が課題図書たるゆえんっぽいところについて、述べたいと思う。
作中に明記されているが、この社会はマジョリティーが便利なように作られている。その中で、マイノリティはサバイブしていく作戦を練り続けなくてはならない。主人公は、このサバイブしていく少年である。しかし、ヒロインもまた自信のなさをを抱えたマイノリティでもある。
誰しもどこかにマイノリティを抱えている。その部分を痛むのではなく、誰かに助けを求めたっていい。また、マイノリティな部分を自覚して向き合うことも大事だ。
ボーイがガールにミーツして成長する話ですが、この成長は冒頭に述べた"崖からトぶ"力を得る、ではない。当然である。
ヒロインのキアーラは、男子に憧れられ、女子に嫌われるタイプのミステリアス引っ込み思案クールビューティーなわけですが、無言でジェスチャーをしたところで目の見えない主人公には何一つ伝わらず、口に出して表現せざるを得ない。その状況に置かれて初めて、言葉に出さないと気持ちは伝わらないことに気づく。
これは、万人に対してそうであることはご承知のとおり。しかし、ひるがえってみれば「言葉がなくても理解できる」と錯覚するほど、ジェスチャーやアイコンタクトからは多くの情報が得られる、ということなのだろう。
私の会社の営業が「付き合いの長い取引先とはWebミーティングでもいいけれど、新規さんは相手のクセが分からないから、やりづらい」と言っていたのを思い出した。だから”最大の理解者”というのは尚早すぎると思うよ、キアーラ。
主人公のルーチョは、目が見えないことを"アクセサリー"と考えている(この表現は好きだし、私もハンディは個性の一種だと考えている)のに、周りが「目が見えない」ことを前提に自分を見ることに怒りを感じている。
ルーチョは誰かに頼ることを極端に嫌う、意地っ張りで頑固な少年だ。でも、その意地っ張りは、誰かに頼ることなく、自分でできることは極限まで自分でやれるように訓練する努力にも結びついているのだと感じて、だれか、彼の頑張りを称賛して欲しいとずっと思っていた。
それをやってくれたのが、キアーラだった。私は心のなかで拍手喝采した。ありがとうキアーラ。ルーチョが君にミーツしてよかった。
キアーラが「口に出さないといけない」と気づいたのと同様に、ルーチョも「人は誰かに頼らないと生きていけない」と気付いてくれて、私は少年少女の成長の瞬間に立ち会ったことに感動した。青春だ。これが。
道中ギブアップしたルーチョのおばのベアは、彼ら二人が戻ってきたとき、どんな反応をしただろう。彼女はルーチョのこれからを誰よりも案じていたから、帰ってきた甥が自立への一歩を踏み出した様子を見て、泣き出さん勢いではなかっただろうか。
私だったら泣いてしまうだろう。自分では何年かけても気づかせることができなかったことを、甥に気づかせてくれた、昨日今日会ったばかりの少女と、それを受け入れた甥を全力で抱きしめたい。
靴ずれでズルむけになったかかとが痛いと言いながら。
まあ、1年後、なにわらってるの?と青ざめるのですけど。
余談
ボーイがガールにファーストコンタクトしたときにツンな反応をされたのを「質問4回でノックアウト」と表現していて、イタリアーノだなぁ、と思った。日常的に口説いてんの?
また、地獄のオタクなので、高校デビューした美少女キアーラがとんでもないギャルになっていて、初恋?をきび砂糖のごとく粉々に砕かれるルーチョはアリかな、と思いました。でも、見た目ヤマンバになってても関係ないのか、内面が見えるのは良いことだね。
去年の話。
ひさしぶりに帰省して、せっかくだし故郷鹿児島を堪能してみるか!と思ったので桜島に出かけた。桜島はそれなりの頻度で噴火する活火山で、浪人時代にはよく予備校の最上階まで登って噴煙を見ようとしていた(さすがに噴火してないときの方が多いので、時々噴煙を見られると嬉しかった)。おい桜島よお…なんて語りかけるくらいに親しみを持っていたのだが、じつは行ったことがない。このままではいけないなと思ったのだった。
数年ぶりに乗った鹿児島本線は阪急と比べて揺れが激しい気がした。いっぽうで線路周りに建物が少ないからかどことなく車内が明るい感じもして、案外普通列車にもカラーが出るもんだと感心した記憶がある。
道中にある上伊集院駅から見えるホーム周辺の景色がけっこう好きだ。松陽台という新興住宅街があって、それの乗っかる丘がよく見える。なかなか爽やかな丘で、学生たちが坂道を登っていく様子がなんだか素敵だ。坂の上には松陽高校というのがあるが、ここは制服が全身緑色なことで悪名高い。松陽高校に行った友達と駅で出くわして、「マジでズボンまで緑色で最悪、なんなのこの制服、頭おかしい」と愚痴られたのをよく覚えている。松陽の話終わり!
鹿児島中央駅もけっこう好きだ。正直あんまり全貌を把握してないんだけど、とつぜん屋久杉のオブジェみたいなのがあったりするのが愛らしい。メインの出口から出たところでバァーンと桜島が見えそうな位置なのに、ホテルか何かのでけえビルに阻まれてイマイチ見えないのもいい。故郷のダメさは愛嬌にみえる。
鹿児島中央駅からフェリー乗り場まで徒歩で行くには暑かったので、市電に乗った。路面電車というものに憧れがあって、地元で進学してたら毎日路面電車に親しんでいたのかなと思うとちょっと惜しい気もする。まあ阪急とトレードオフなのかもしれない。阪急も悪くない。赤いし…
フェリー乗り場は水族館の近くにあって、その辺りは道も広いしヤシの木(?)も植わってるしでかなり雰囲気がいいんだよな。車通りに比べて歩行者が少ないのもなんだか孤独感があって良かった。かつて家族で水族館に来るたびすげえワクワクしてたのは周辺環境のよさも手伝ってたのかもしれない。
広い道のデカい横断歩道を歩行者ひとりの状態で渡ろうとすると、小心者なのでどうしても走ってしまう。暑いからちょっと走っただけで汗まみれになる。そうして汗まみれになりつつも歩いていくと、フェリー乗り場につながる赤い連絡通路が見えてくる。この通路は水族館にもつながっているらしい。一瞬やっぱり冷房の効いた水族館に行こうかとも思ったが、初心一徹!と思い直して桜島フェリー乗り場に向かった。潮の匂いがしてテンションが上がってくる。
フェリーは安かった。500円くらい取られるかと思っていたがなんと片道160円だった。コンビニのサンドイッチより安い。阪急一駅分くらいだ。もっと乗っておけばよかった…と後悔しつつ船に向かう途中に水族館がよく見えるのも心憎い。鹿児島水族館はオーストラリアのオペラハウスをショボくしたような外観をしていて、なかなか心に残るのだ。
フェリーはかなり大きくて、わりと見応えがあった。甲板に観光地特有のコイン式双眼鏡があったんでなんとなく近づいてみる。と、どうも様子がおかしい。コインを入れるところがない。よくみるとなんとタダで見放題らしい!全体的に太っ腹だ。つっても見るもんなんて大してないのだが…しかし港にいる見られているなんて全く思ってなさそうなオッサンを一方的に見るのには奇妙な快感があった。港にいるオッサン1を船の上からオッサン2が双眼鏡で覗く。いいね。いいか?よくないかも…
桜島は中心市街から20分くらいで行けるわりに離島らしい趣があって大変よかった。道は水族館あたりよりさらに広く、なぜか三車線あるところすらあるのに車通りは少なくて、歩く人の姿もまばら。特に目的地なしに来たのでちょっと途方に暮れたが、グーグルマップを見ると少し歩いたところに足湯があるらしい。とりあえずそっちに向かって歩き出す。道路の隅のあちこちに火山灰が溜まって黒いまだら模様ができていて、火山島に来たぞ!と思った。まあ地元の街にも灰は降るが…
途中に巨大な駐車場のローソンがあって、なんだか逆に寄る辺ない感じがした。知らない土地に見慣れたものがひとつだけあるとかえって寂しい。たしか入ってみたけど、中のことはあまり覚えていない…ってことは、まあ普通だったんだろう。水を買ったような気がする。
国民宿舎なんてカッコいい名前の建物の横を抜ける。ネコがたくさんいて、日差しを避けて木陰に集まっているのがいかにものどかだった。
足湯近郊は遊歩道になっているようだった。ザ・火山性って感じの黒くてゴツゴツした岩場、なんとなく見慣れない感じの植生、灰まみれの道。特に何があるというわけでもないが、目に入るものすべてがなんとなく普段目にするものと違う感じで楽しかった。
歩いてる人はあまり多くなくて、足湯までに数組とすれ違っただけだった。人の少ない遊歩道は最高
暑かったが足湯には入った。火山らしさのある(?)濁った湯で、悪くなかった。対岸が見える鹿児島湾とはいえ海が見えるのもよかった。タオルを持ってなかったんでどうしようかと思ったが、サンダル履きだしよく晴れた夏の日の昼だったからすぐ乾いた。
遊歩道を抜けようと思ってたんだけど、足湯を過ぎてちょっと歩いたところで通行止めになってたから泣く泣く帰った。
遊歩道の入り口あたりに戻る頃には昼時で、何か食おうと思って見回したり地図を見たりしながら帰ったんだけど、どうも気軽に入れそうな飯屋が見つからなかった。
しかたないし本土に戻ってから食おうかなと思ってフェリー乗り場に戻ったところでいい感じのカフェーを見つけて、そこで「桜島マグマバーガー」なるものを食った。辛めの味付けの鶏肉がメインのバーガーで、まあまあうまかったが異常に熱くて口をやけどした覚えがある。外国人向けに英語で「噴火ににビビるな!」みたいな内容の張り紙がしてあって、食いながら興味深く読んだ覚えがある。
それからフェリーで本土に戻って、結局水族館にも寄って帰った。水族館もなかなか楽しかったが、子供の頃のほうが楽しめた気がした。
桜島、最高!なんせ安い。ほとんど何もやってないのに妙に楽しめた。あんまり人がいない。非日常感がある。行きやすい。100点!
恥の多い人生を送っているが、とりわけ恥ずかしいと思うのが数あるエロ動画ジャンルの中で盗撮が好きなことだ。
たぶん初めてえっちな動画をネットで見ようとした時、控えめに検索して、水泳部の部室の映像やマンションものが出てきてめちゃくちゃ興奮したのもあるが、そこから身体検査もの、ナンパし連れ込みもの……と中身は変わってもジャンルそのものへの渇望は留まることを知らない。(当時ガキだったし、間違ってお金かかるサイトに繋いで死ぬほど親に怒られたりもした。)
モスバーガーの記事を知りたいという匿名ダイアリーを読んでいて思ったのが、なぜ盗撮系動画が好きなのか自分のルーツを辿ると地上波のテレビでやっていた番組の一シーンが鮮明に記憶残っているからだったと思う。
テレビのサスペンスかなにかであるお色気シーンの一つだったと思うけど、
男3人組ぐらいが女風呂を覗いている、竹の壁みたいな隙間からビデオか双眼鏡のレンズ的なものでみていた気がする。3人のうちの1人はやめた方がいいよ、的な感じで話していたら、結局、その竹の壁みたいなのが倒れてバレたような気がする。その後、説教されるみたいなくだりで主人公格の女の人とそのひよっていた男は昔馴染み的な感じもあった気がする。
リビングで見ていて、家族がものすごく気まずい空気になったが、そこからずっと頭に引っかかっている気がする。
誰か覚えていて詳細を知っている人がいたら教えてほしい。
俺は大都会が大嫌いだ。
パンパンの満員電車に朝っぱらから「満員電車しんどい~」みたいな阿呆ヅラしてるような連中が何千万人いるのか知らんが、とにかくうじゃうじゃいまくる。
そもそも大都会在住の貴様らや、大都会に憧れを持つ馬鹿どもがウイルスの温床みたいなところに集まって案の定ウイルスの苗床になってそれぞれの生活圏に帰っていく。
貴様らがそんな馬鹿丸出しな行動をするせいで死んだり、入院したりする人々が続出しているわけだ。
それに比べて俺たち田舎者は違うぞ?
そもそも歩くことがない。なんでかって?歩きたいと思える場所が観光地ぐらいのもんでそんなこと行くことはない。自分の住んでいる地域の観光なんて行きたくないし、行っても自分の住んでいるところ以上の「更に自然」な場所なだけだからだ。
移動も基本車だし、一日1キロも歩くやつのほうが少ないんじゃないか?と思えるレベルだ。
しょうもないベンチャーやテーブル上ですべて完結するような、生産性のない仕事をしてるに決まってるアホの大都会野郎がテレワークとかなんだか知らんが最高の職場環境で働いている中、俺たち田舎者は毎日あくせく製造業やそれに付随した工事をして生きているわけである。コロナにかかったら生活がリアルで終わる。会社も終わる。クソだろ。笑えよ。
もし、俺たち田舎者の住むところだけが世界で唯一のコロナの無い楽園になることがあれば俺は、村の境界の物見櫓で双眼鏡の覗き、外から歩いてくるコロナ野郎が村に助けを求めて俺に声を掛けた瞬間にスナイパーライフルで処分する役をやりたい。
だから、俺の大嫌いな大都会がめちゃくちゃになってみて欲しい。ちょっとスナイパーライフル(エアガン)が実家のタンスにあったか確認してくる。
妻の”悪行”に見えるエピソード
夫に自分だけが食べるクルミを大量に割らせる(面倒くさい) 夫が100個もあるだろというとせいぜい50個だと言い返す
夫に「あと十分で帰ってこい」という
夫の弁明を嘘だと決めつける
金に困っている夫に無断で高価そうな犬を買う
コンビニで買い物を終えて店から出てそこそこ歩いたところで買い忘れた「犬に飲ます牛乳」を買いに戻れと命令する 夫が100メートルも離れてるというとせいぜいXXメートルだと言い返す
id:saebou氏がパラサイトを評して「こんなに先の見えない崩壊寸前の家庭で互いの軋轢・口喧嘩も家長への反発もないのはおかしいと感じた」と感想を述べていたが
パラサイトのストーリー上必要ない(邪魔だった)というほか、「それ、犬噛でやったな」とて監督が無意識に今さら同じことをやる必要ないと判断した、という可能性が全くないとは言えないだろう。
・悪行の二面性
最近は主人公がシートベルトしていないとかノーヘルバイク運転、未成年飲酒喫煙などの触法行為は何らかのエクスキューズなり事後的罰を受ける描写がセットでないと許されないし
悪いことをした人間は相応の罰を受ける、というのが古くからの映画シナリオのお約束だが(「素晴らしき哉、人生」の悪役は古い映画にしては数少ない、罰せられない例外)
二作とも、犯罪・しでかしたわるいことのオトシマエについてはわりとルーズである。
犬噛では
・友人の、高価な双眼鏡を落として壊す>特に謝らないけど仲違いしなかった。
・酔っぱらって路駐している車のドアミラーを蹴り壊す>特に怒られない(ドアミラーを勝手に持って帰った≒盗んでいたことが最後にわかる)。
メインの
・ユンジュの犬殺しについては、告白しようと決意するが、ついに真犯人として認識されることはなかった(ウヤムヤ)。
上記の「悪行」を積んでいた妻(夫に対する優越者)も 実はドラマの途中で妊娠を機にリストラされた「負け組」であったことが明らかになり
犬殺しをしていたユンジュも、病で生活に困っていた物乞いには優しかった。
同様に
半地下では
金持ち家族を騙しているソンガンホも首を切られた運転手の心配をする一面が描写されていた。
・ラスト・数年後…
犬噛のラストは「いつか旅行に行こう」と言ってたヒョンナムとチャンミの森へのハイキングのシーン(おそらくメインストーリーの直後)だが、その前に
ついに教授となったユンジュが学生相手に講義を始めるシーンがある。
ユンジュはすっかり垢抜けていることから、それなりの時間経過が伺われる。
主人公(長男)が数年後、お金を稼いでしゃれた服に身を包み、物語の舞台となった高級住宅を訪れて買い戻すシーン。
だとすると、
ユンジュが教授になったシーンもユンジュの空想だったのではないか
ライブの内容についていうことは何もない。最高だ。最高のライブだった。
私が待ち望んだ彼の姿がそこにはあった。大満足だ。
今回私が言いたいのはその内容ではない。
言いたいことが山ほどある。
まず結論から言うと、”スタンディングに初めて参加するのにどうしてそのルールを少しでも学んでこないのか?”
かさばるジャケットを着っぱなしで、
じゃらじゃらとアクセサリーをつけて、
あげく棒立ち。
きっと知らない人がたくさんいるんだろうなとは思っていた。
特に幕張なんて初っ端の公演だ、今まで座席指定のコンサートしか入ったことのないオタクがいることは仕方のないことだし、
しかし回数を重ねるごとに何となく現場の空気などを感じ取って最終的にはそこらのスタンディングさながらになっていくんだろう、と。
でかい鞄はその分のスペースに人ひとり詰められる、
かさばるジャケットは邪魔になるものそうだが本人が熱いし汗まみれだし会場に不必要、
高いヒールはもみくちゃになったときに他人の足を怪我させてしまうので論外、
アクセサリーはどこかに引っかかって引きちぎられたり(ピアスは耳のほうがちぎれる可能性がありつけないほうがいい)、
両手を高く上げ、ジャンプをして、体全部でアーティストに声援を送る。
整理券番号が遅い人は死ぬ気で前を目指し、早い人は死ぬ気で柵最前をキープする。
肘鉄を食らい食らわせ、足を踏み踏まれ、もみくちゃにされ汗だくになって、ぐっちゃぐちゃになりながら全力で手を伸ばす。
柵を陣取っていた親子おふたり。
双眼鏡を持ち、隣人の腕を片腕で押さえつけていたお姉さん。
知らないことは悪いことではないと、もちろん思う。
しかし、何も知らないまま参戦するのは”良いこと”では決してないだろう。
ここで最後に、私が耳を疑った話を聞いてほしい。
二日目、私は整理券番号が遅く入場の時点で負けていた。
だがブロック入ってみると案外センター寄りが空いており私は喜んでその隙間に滑り込んだ。
周りはやはり不慣れな方ばかりのようでなぜか列のようになって前の人の真後ろに付いている人が多い。
こうなっているとこちらからすれば好都合で、この列になっている間から柵近くまで進めるな、と考えていた。
開演直前、場内が真っ暗になったとき、満を持して人波をかき分けようとしたその時だ。
「あなた私より後ろにいましたよね?あなたが前に詰めてきたから私も前に出ちゃって、隣の人にも迷惑が掛かってます。後ろに下がってください」
私より少しセンター寄りの前方から、そんなおばさんの声が聞こえたのだ。
は? である。何を言っているんだと。本気で耳を疑った。
スタンディングは座席指定のドームライブではない。列もなければ、前の人も後ろの人もない。
言われた人がどのような人だったのか見えなかったが、おそらく若そうな女性の声で返事があった。
そりゃそうだ。しかしそれではおばさんは納得しなかったようで何かを言って食い下がっていた。
女性は「じゃあこれ以上は動かないようにするので」と言い、
それを聞いたおばさんがもういいと言ったように後ろに下がっていくのが分かった。
周囲の方がどう思っていたのかは知らないが、どうして女性のほうが悪者扱いなのか。
ルールを知らないのはこの際仕方がない。
しかしスタンディングをわかっている人が我慢しなければならないのは、どう考えてもおかしい。
みなさん、知ってほしい。調べてほしい、少しでもいいから。
これからツアーが進むにつれ、みんな分かってきて、きっと周りの空気も変わってくる。
その時に必要のない争いを生まないために、どうか、知ってほしい。