はてなキーワード: 総合職とは
工学部修士課程の1年生は、夏に長期のインターンに参加するものらしい。
世界シェア2位とかの大企業にいくつか出して、最初に合格の電話をくれたところに決めた。
1割も女子がいないのに3人採るなら1人は女子とか言いたがる感じなので、どこも倍率は死ぬほど低い。
私を筆頭に機電系の女はブスで、化学系の女は可愛かった。集合写真見たら誰が化学系かわかるくらい如実に顔面格差があった。
顔で選べるほど女がいない機電系と顔採用したい企業の限界を見た。
20人の男子学生の全員が180cm以上で、169cmの先輩が学校推薦だったのにその企業に落ちたと言っていたのを思い出した。
業務はこれといって目新しいこともなく、実験して解析して発表、みたいな研究室と変わらない感じだった。授業が無い代わりに時々会議がある。オフィスも広い研究室みたいだった。
社員寮は洗濯機キッチン共用の監獄みたいな施設で、多分4畳半とかしかなかった。東向きの大きな窓に3級遮光のカーテン。休日だからと遅く起きることさえ許されない眩しさである。数週間でも辛いのに、ここに何年も住んでる人の気が知れない。
社員はとっても親切だった。
当然である。学生はお客様なんだから。いい評判を学校に持って帰って貰わねばならない。
私を押しつけられた部署の皆さんは、私が来たことで明らかに業務滞っているようだった。ざまあ。
食事もいっぱい奢ってもらった。私が可愛いからではない。技術系インターンとはそういうものだ。
インターン生同士も仲が良い、というポーズを過剰に取る傾向にあった。
大人数の飲み会や遊びを企画した人間には加点が入り、誘われなかった人間は減点される。
社員からのセクハラ、みたいなのもまあ当然のように存在していた。セクハラは良くないと意識して改善に努めた上で、無意識でそれセクハラやぞってことを平気でやっちゃう。別に研究室でもそういう感じなので、この業界は当分はこの男子校のノリのような下品さと旧態依然とした男社会を維持し続けるんだろうなと思う。
ただ、親のコネでインターンに来た学部3年の女子学生だけはそういうのにドン引きしてた。
すり減ってる彼女を見て可哀想になった。あー、私も研究室に配属されたばっかのときは摩耗してたな、って思いながら、彼女の愚痴に頷き続けた。
派遣や契約社員の人は一段下に見られるし、工場の作業員や社内の清掃員に関しては挨拶さえ返してもらえない。
非正規雇用には「正社員に挨拶すること」を義務付けておき、正社員は一切その挨拶を無視する。ヤバすぎる。
私はピュアガールなので社員に「なんで今無視したんですか?」って聞いたけど、社員が「なんでだろう…考えたこともなかった。」って言ったのでドン引きした。
インターン仲間にそれ愚痴ったけど誰にも共感してもらえなくて泣いた。
そういうことする人達なんだって目で社員を見始めた途端、彼らが飲食店の店員などを人間扱いしてないことに気付いた。
総合職の同僚女性や私のことは人間扱いしてくれるけど、なんていうか契約社員やお給仕のお姉さんとかは女扱いっていうかメス扱いっていうか、とにかく人権のある存在じゃなくてそういう生き物としてしか見てない。
それを私には一切してこないってその線引きもキモかった。
嫌なことはされなかった。
気持ち悪いことはたくさんあった。
辛いことはなかった。
何がそんなに嫌だったのかわからないが、とにかくそのインターンを機に私の精神はバキバキにへし折られた。
製造業全般への忌避感が半端なくて学校に行けなくなり結構長い間ベッドの上で天井を見るだけの生活をしてた。
今はまあ立って外を歩くに支障はないくらいになりはしたので就活してるけど、メーカーの採用ページを見るだけで吐き気がする。
しかし吐きそうなテンションで面接を受けても通るのが理系である。
逆に他の業種も受けたけど、死ぬ寸前みたいなヤバメンタルの人間を雇ってくれる企業って全然ない。
結局製造業で技術職やるしかなさそうで、本当に無理だけど、福利厚生だけは良いので鬱になってもちゃんと手当がでるのだけが希望だなと思う。
日本一有名なイタリアンレストラン、の名称が長いので、略してサイ〇と呼ばせてもらう。
今から15年程前になるが、近所のサイ〇のキッチンでバイトをしていた。キッチンでバイト、というのは、つまり調理専門の方でバイトをしていたという意味。
当時母親から「お前はバイトの面接に受からないだろうから、土日の11時から2時までだけ働けますと伝えろ。」と言われて、その通り伝えたら、採用された。
今思えば当たり前だが、いわゆるピークタイムにしか入りませんという意味だったので、周りは私に仕事を教える余裕もなく、私も丁寧に仕事をしている余裕はなかった。
そんなピークタイムだったが、キッチンは基本二人だった。今もそうかは分からないが、当時はテーブルでオーダーを受けると、それがキッチンの機械に転送されて伝票が出てくるシステムだった。調理が完了して出したら、その伝票を処分するというシステムだったが、全然処理しきれず、伝票がとぐろを巻き落ちていた。
驚くべきことだが、キッチンでは包丁も火も使う必要がなかった。それでどうやってパスタやサラダやハンバーグを作っているの?と思うだろうが、基本的に調理済み&IHだった。
私の記憶では、例えばペペロンチーノを作るときは、パックに入ったゆでパスタの袋を開封し、鍋にいれる。「スープ」と呼ばれていたIHにかけられ温められている鍋からお玉で1杯すくい、鍋に投入。確かふたをして規定時間(数分)火にかけ、ふたをとったら「ぺぺロン」とかそんな略称が書いてある、インスタントラーメンのスープみたいな小袋を開封して入れてぐるぐる混ぜて完成。色んな種類のパスタは、このラーメンスープの小袋が違うだけ。それを、IHコンロ3つくらいを同時に常に回しているという感じだった。
サラダはあらかじめ大量に用意して冷蔵しているので、ベースの葉物にそのメニューのトッピングとドレッシングをかけて提供。
また、焼く系の料理は、ベルトコンベアーが常に動いているオーブンがあり、既に成型済みのハンバーグだかムール貝だかドリアだか、そういうのを皿にのせ、コンベアーに流すだけだったので、一番楽だった。
また、皿がなくなってしまうので、下げられたお皿をお湯だけでスポンジでこすって大きな汚れを落とし、食洗器にかけるというのを度々行っていた。
ところで私は、このバイトが人生初のバイトであった。この、「サラダ作成・パスタ3つ/オーブン調理・皿洗いを同時並行で行う」というのが、まるでできなかった。学校では、こんなに時間が差し迫った状況で急いで同時並行で仕事を行うという状況に置かれたことがなく、バイトをして初めて気付いた。パスタを何度も焦がしたし、サラダのトッピングは次の土日には忘れてしまい、いつまでも覚えられなかった。
やけどもするし、厨房は暑く、休憩はなかったので、とても大変な仕事だった。ただの苦行だった。私はお金が必要ではなかった。欲しいものもなかった。ただ、バイトというのをやらなくてはいけなくて、それは母親に言われたとおりにやるべきで、どんなに嫌でも我慢してやり続けなくてはいけないと疑問を持たずにやっていた。
そしてあれから15年が経ち、私は総合職として働いている。相変わらず、同時に仕事をこなすことは苦手だ。給料は、当時の20倍くらいもらっているが、サイ〇のピークタイムのキッチンに比べたら、全然大変じゃない。
当たり前のことだ。
「女をあてがえ論」「下方婚も選べ論」はこれに当たる。
誰をパートナーにするかというのは個人の選択によるもので、より良いマッチング制度/機会は社会が提供できるかもしれないが。
また、反対の面で言えば「男性も女性と同じように家事、育児をしろ」というのもそうだ
一切家事をしなくても家族以外に責められるべきいわれは全くない。もちろんそれが離婚を招いたとしてもそれはその夫婦の選択である。
ジェンダーロールに乗らなくても、責められるべきではない。ヒモの男がいてもいいし、キャリアウーマンがいてもいい。
同様にジェンダーロールに乗っかって生きる事も一つの選択である。
傾向として、若い女性はジェンダーロールに乗っても乗らなくても一定の需要が、男はジェンダーロールから脱落すると著しく需要がなくなる。
外見の美醜は男女双方に影響を与えるが、男性の場合はジェンダーロールに乗っかってポジションを得ることによってある程度解消を狙えるが、女性は難しい。
乗っかると有利なジェンダーには乗ればいいし、不利なジェンダーには乗らなければいい。
不利なのに乗っかってしまっている例が多いジェンダーは理系文系の著しい男女差だろうか。男は理系、女は文系が得意というバイアスだ。
だが、キャリアを一時的に出産や育児等で中断する可能性がある女性にとって、専門職の方が総合職よりも有利である。(昔は専門職は総合職に待遇で劣るという風潮もあったが最近は減ったと思う。
横だけど、給与水準高い大卒相当職だと全国区の金融業は転勤当たり前(地域限定総合職はあるけど出世にキャップがある)だし、メーカーも全国転勤あるぞ。商社なんか海外含めて転勤ばかりだし。
出産後に仕事から長期間離れる女性が多いからですね。米国のキャリア・ウーマンは産後一ヶ月で職場復帰するそうですよ?
それ以前に就職時点で、総合職・技術職・専門職を選ぶ女性が少ない。
さらに手前の大学選びで、文学部よりも、経済・法学部、文系よりも理系と、男性が選んでいるような将来稼げる専攻を女性が選ばない。
18歳の時点で定年まで途切れることなく働き続けて配偶者と子供を養える稼ぎを得られる進路はどれか? ということを男性ほど真剣に考えていないからでは?
元増田に乗っかるなら、適切なキャリア形成を怠った人間が待遇の良いポジションに選ばれないのは、社会の問題ではないです。私に高給を宛てがえなんて言わないでね。
「なんでも調べられること」に疲れた (https://anond.hatelabo.jp/20210119234225) を書いた増田です。
思ったより大きい反響があって、その後リアルでもいろいろあって1つ気づいたことがあるのでここに書き留めておきたい。
タイトル通りである。どうやら私は、人生に、正解があると思い込んでいたみたいだ。
例えば、就職。今いる会社は自分なりに考え、納得して入った会社だ。やりがいもあるし、待遇も良い。
ただ、それでもやっぱり不満を覚えることがある。それは、中小企業であったり、考え方が古かったりなど、ありがちな不満だ。
そんなとき、100%満足することなんてないとわかっていながら、誰でも知っている大企業に同級生が勤めていると聞いたとき、
「あ、人生の正解はこっちだったかな」と思ってしまう自分がいた。
正直、その大企業の事業に興味はないし、自分の興味がある分野はちょっと特殊なため、そもそも業界内に大企業が存在しない。
そこまでわかっていながら、インターネットで「大企業の総合職は勝ち組」なんて記載を見ると、もやもやと妬んでしまう。
おそらく、自己承認欲求の方向と興味の方向が一致していないのだろう。興味がないのだから、今の私が何度就活をやり直したところで私が大企業に行くことはない。
自分の興味のある分野で、そこそこ良い待遇で働けているのだから、そこで今の状況に納得すればいいのに、私は「みんなに羨ましがられるような企業に興味を持つのが正解なんだろうな」と思ってしまう。
理由は、多くの人が、インターネットでもリアルでも、大企業の素晴らしさを説いているから。
そんなどうしようもない後悔や妬み、嫉みがぐるぐるしているときに、「あ、私は、『正解』に縛られているな」と思った。
インターネット上で私がよく見るまとめサイトでは(そもそもソースがまとめサイトな時点で間違っているのは重々承知の上で、これは麻薬みたいなもので読むのをやめられない)、とにかく【コスパ】のいい人生が賛賞されているように思う。できる限り少ない努力で、できる限り「羨ましがられるような」生活を送る。テンプレとして上げられるのが、都会の大学→大企業だと思う。
私は、自分の意思でそれとは違う道を歩んだにもかかわらず、「大多数が望む進路」に興味をもてなかったことに、後悔しているのだと気づいた。
大多数が望むことこそが、「正解」ではないかと思うようになってしまっていたからだ。
だから、そんな「正解(のようなもの)」が多く見える、現代の、「なんでも調べられる生活」に疲れていた。
でも、それは、「正解」じゃないんだなと、今更ながら気がついた。