はてなキーワード: 真夏とは
Wikiを見たら氷河期世代って2回あるんだね、自分の辛かった就活は2011年〜2012年(つまり11卒)だから第二世代にあたる気がする。
朧気な記憶と辛酸を舐めた感覚だけがトラウマ的に残っているから、忘れ去る前にだれかに知って欲しいと思って書き残す。
2011年はすでに「リクナビ 」「マイナビ」が発達していて、基本的に会社説明会はここからエントリーする形式だった。合同会社説明会も国際展示場で何度も開かれていて、そこに行って説明会を聞くか、エントリーして説明会のご案内がもらえればそこに行く形だった。
就活全体としては、説明会→ES→SPI/適正テスト→面接(グループディスカッション、一次面接、二次面接〜中略〜最終(五次)面接)→内々定のような流れ。説明会に行くのは必須。
何回も説明会に行って、何回も大学の支援センターでESで直してもらっても大体は書類で落ち続けているうちに、3月、3.11が起きた。
行こうとしていたNY行きの卒業旅行の3日前で、戸惑いながらキャンセルの連絡したら、向こうの代理店の日本人の方が、すごく丁寧かつ心配そうに良きに計らってくれて、問題なくキャンセルできて「あぁすごいことが起きたんだもんな」とぼんやりと思ったのを覚えている。
それからクソ暑い真夏もリクルートスーツを着続けた、暑くて辛くて惨めで、死にたくなったのを覚えている。同卒の学生は顔が良い人や、コミュ力の高い人から卒業前に内定を勝ち取っていったのを見ながら、自分に絶望しつつ頑張っていた。「お祈りメール」を読む日々のなかで、唯一お断りとともに自社製品を送ってくれたカゴメのことは今でも好きだ。戦略だとしても唯一優しくしてくれた企業だったので、喜んで掌の上で踊りたい。それくらい会社という社会からの拒絶感に病んでいっていた。内々定を3月にもらった友人が4月に内定取り消しを受けていた。内定取消し、圧迫面接、問題とされていたけど普通に起きていた時代だった。今みたいにSNSが発達していなかったから、個人で晒しあげる手段も空気もなく、不当だと感じつつ割と泣き寝入りしていた気がする。
就職したのは東京の小さなIT企業だった、25歳〜30歳の先輩はおらず、30歳以降の先輩は高卒しかいなくて、雰囲気が全然違って「なんだここは」と戸惑っていたのを覚えている。10卒の若干イケメンの先輩は明治卒だった。そんな時代だった。大田区の工場みたいな作業場で作ったものを、お客さんに届けるルートセールスを数年やった。客先からセクハラを受けて(手を舐められる、胸を突かれる、接待で連絡先を聞かれた後に帰宅時に付き合ってほしいとメールが来る)(今でも恨んでいるぞ中◯製◯)営業からはずしてもらったけど、セクハラもサービス残業(20-50h)も仕方ないよね、って時代だった。むしろ会社としては優しい方だったと思う。
会社が傾いてきて人員整理を始めたから波に乗って辞めた。半年アルバイトをしつつ就活した。運良くバイト先で社員登用されて希望の業界に転職できた。なんでかそこで人事を数年やったんだけど、12卒だけ圧倒的に「性格が良く仕事もできる子」が多くて、しみじみと氷河期を実感した。あの子達も時代が違えばもっと大手の待遇の良い会社に採用される人材だっただろうに…自分より不遇だな…となんだか時代の悲しさを思った。採用に関わった数年は、卒業年度によって応募してくる人達が全然変わることをすごく実感した。
こうやって書いてて思うけど、第一次氷河期の人たちの方がしんどそうだな、と思う。私達の頃は就活って大変なんでしょ?って認識があったし、就活自体過酷だったけど、悲惨さレベルが比較的マシ?なのかもしれない、母数も違うし。あと私みたいに20代のうちにキャリアを立て直せる可能性があった時代だった、私が25くらいから「第二新卒」って言葉で若手採用が行われて転職できるチャンスがあった。
ここ7-8年で「セクハラパワハラは悪!」「サービス残業なんてありえない!」「働き方改革!」「育休!」なんて風に怒涛のような労働のあり方が変わったよね。自分の世代が無理なく育休が取れ始めた世代なのかな。これでも今の新卒とは見える景色が全然違うんだろうな、私のときはこんな感じだった。良ければ他の世代の話も聞きたい。
近所に未だに汲み取り式のアパートがある
月に一度バキュームカーが来て便槽から汚物を吸い上げて行くのだが、まあ臭いがひどい
今の時期は家中の窓を開けると心地よい風が吹き抜けるし、洗濯物もカラッと乾く日差しのおかげで物干し台には大量の衣類がかけられている
冬や真夏、長雨の時期ならば窓も閉め切っていてその行為すら気づくことがないのだが、よりによって今日のような雨の前日の好天にやられると臭いで気持ちが悪くなり、その後には怒りが湧いてくる
アパートオーナーの経済的な理由もあるのだろうが、上下水道が整備されたこの地域で未だに汲み取り式の便槽を設置していることに無責任さすら感じる
てめぇらの鼻はもうイカれてんだろうが、こっちの鼻は正常に機能してんだよ!
知らんやつらの濃縮された汚物の臭い嗅がされて体調も悪くなってんだよ!
せめて汲み取りする前に合図出せや!周囲の住民の我慢を当たり前だと思ってんじゃねーよ!
あとクソアパートオーナーもいい加減下水に接続する工事やれや!家賃取って商売してんだろうが!
はぁ、このあとは家中のカーテンやらソファ、布物にファブリーズして……洗濯物に臭いが残らないといいな……ああ、せっかくの休みをクソのせいで……
無限にイライラしてしまうからここに書くことでこの件を私の中で終了させたい。
ことの起こりは6年前。
私が住んでるのはザ団地。検索していちばん上にでてくる画像の団地。こち亀とかにでてくる団地。
同じ団地の同じ棟の子ども二人2歳と4歳は、4歳の幼稚園後から日が暮れるまでいつも、その団地の前で遊んでいた。
私は0歳の息子を抱っこしながら買い物行って帰ってくるたびに、その子供たちに
「今日はどこいったの、なに買ったの」「これできるようになった、これ買ってもらった」など質問攻めおしゃべり攻めに合ったのちに
息子が歩けるようになれば「息子くんかわいい!」「もっと歩けるようになったら一緒に遊ぼうね」とにこにこで相手にしてもらえて、
しかし、平日も土日祝も季節も関係なくその子たちは外にいて、親は見たことない。
最初は軽い雑談で終わっていたかかわりも、月日が経つにつれて、
近くの公園に行くといえば「行きたい!」と言うし、遠出をするといえば「なんでそんなにいっぱい行くの?」(行ってない)と言うし、
外食しに行くと言えば「ずるい!」と言うし、言葉を濁せば「ちゃんと教えて!」と言うし、息子と遊んでいれば「ちゃんとこっちみて!」と言うし、
少し疲れていた。
遠くから見かけると、(今日もいるな…)と思いつつ、その子たちが笑顔で迎えてくれるのでなんとなく今まで通り相手にしていた。
真夏のある日、子どもは抱っこ紐で抱っこして重い買い物を終えて帰ってきた。
いつも通り3歳と5歳になったあの二人はいる。この暑い中、日陰だとはいえよう遊ぶわ、と近づいて行った。
そしたら「ねえおばちゃん家遊びにいっていい?」「同じ団地でしょ?」「おばちゃんなら大丈夫だよ」と言われた。
まあ、親がいいと言えばやぶさかではない。けれど、親から許可をもらうことは、この二人の子供にとってはもっとも無理なことであるのはわかる。
私だって見たことない。何言われるかわからない。だから、団地の前以外の公園やなんやらに移動したことは一度もない。
「家は難しいかな」「それはお母さんかお父さんがいいって言えばいいけどね」
そう言っても、二人の子供は引き下がらない。
重い荷物と抱っこしている息子に、熱い気温に、もう早く家に帰りたかった。
二人はついてくる。階段をのぼりながら、「お家はだめだよ」「二人とも自分のおうち帰りな」と言ってもなんやかんやとついてくる。
「玄関まで見送る」「家の場所確認して、いいよって言われたら行く」と言い始めて、もう親でてこいや~と思いながら家の前に到着。
ぐずりはじめた息子をとりあえず涼しい家にいれたいし、ドアを通れるだけ開けて中にスッと入ろうとしたら、
強引に二人でドアを開いて中に入っていった。
「涼しい、すごいおもちゃある、広い」などといい、勝手にいろいろ触りだす。
もうそこから30分ぐらい(バイキングじゃん…)と思うような状態。
「もう帰ったほうがいいよ、心配するよ」と言っても「大丈夫」の一点張り。
さすがに子ども二人を外に出せる剛力はないので、途方にくれていた。
とりあえず、姉に現状を伝えると「お前が攫ったって言われてもおかしくないから、すぐに帰らせろ」と言われて、ハッとした。
しかし、結局帰らせられず警察を視野に入れ始めたとき、外から二人の名前を呼ぶ声がした。
「お母さんじゃない?」と言ったらぴゅーーっとまず5歳のほうが家からでて(やばい)って顔していた。
3歳のほうは気にせずずっと遊んでいたが、5歳が「お母さん探してる!いいから出る!」って言ってるの聞いてようやくやばさに気付いて
外にでていった。一応追いかけて階段降りて行ったら、親らしき人大号泣。
睨みつけられたのち、「子どもたちから話しを聞きます」と言われ帰っていく。
私が5階でそっちは2階。
そんで、向こうから話しにくるわけでもなく、その後団地前でいつも通り二人が遊んでいるところにその親がいて一言。
それだけ言われた。
「いえ、私も止められず…」
それだけ言った。
その胸には、息子と同じぐらいの子どもが抱っこされていた。
のちに二人から聞いた話しだと、2階の窓から二人を時々見ながら末子の面倒をみていたのだという。
で、二人はその窓から見える範囲より外に行ってはいけないと言われていたのに約束を破ったので、親が捜索したとのこと。
なるほどなるほど。
なるほど?
もう書くのめんどくなってきたから省くけど、「なんで?」な部分が多々ある状況。
こっちは生きていただけなのに、放置子に絡まれて家に侵入された上に睨まれて人攫いみたいに扱われた上に、
私としては、放置はしなくなるし、謝罪されるんではないかと、平和な世界が戻るのではないかと期待した。
なにも変わらない。なにも起きない。
もしかして貧しいのかな?(高級車持ちでした)
もう常識外だな、と判断し精神衛生のために、それぞれがまた誕生日を迎える前に疎遠になり、関わりを持たないよう
会わないよう回避しようとした先のコロナによる外出禁止。さすがにかの一家も、外に子を出さなくなり私も、二人の子供の顔が
わからなくなるぐらいには疎遠となった。
そして今年。
5歳だった子は11歳で今年12歳の6年生。
3歳だった子は9歳で今年10歳の4年生。
その親は地区班に入っている。
しかも末子は同じ組。
毎朝顔を合わせる。
6年間ぐつぐつさせた小さな苛立ちがいま、良い感じに煮込まれて毎朝最悪の感情で満たされる。
「はよ謝れや!」
(あの家は子供をたぶらかした)(あの家はこんなんした)って言ってるんじゃないか…。
なにされてもおかしくない…。
そんでそんなわけあるかい…
という自己嫌悪…
けれどもさんざん子どもを放置して、1年以上あんたと同じ月齢の子供抱いてる親が、あんたが外で遊ばせるレベルの子供二人を相手にして、挨拶なく私も放置して
さんざん困らせたのに、ことが起こって子どもの意見だけ聞いて納得したのかしらんけど謝罪なく終わったことにされて、つーか納得してあげた、このことは飲み込んであげるみたいな態度とられたのを、
私としては常識外の人間のやることだから追求しないで距離をとればいいと飲み込んだ相手と、同じ学年同じクラス同じ地区班として関わらなきゃいけないって地獄すぎる。
書いてとりあえず落ち着いてきたわ。
なんでこんなにイライラしてたのかって、結局「私は悪くないのに、悪いってことにされている(だろう)」ってところだし、
かといって当事者に「あなたは悪くないです。こちらが悪いです。すみません」と言われても今更おせーわ!となるしで、解決方法は自分が消化する以外どうしようもないと気付きました。
もう顔に能面貼ってやり過ごすわ。
うちは父親が会社員で母親が専業主婦だったんだけど、父は自分の稼ぎで妻子が楽?するのを嫌がる人だったので、母親は趣味に使えるお金が0。
ハンドクリームとかも最安値以外の物を買うとなぜなのか問い詰める。
父がいない時は真冬でも暖房禁止(家の中でコート着てた)、お風呂以外でお湯使うの禁止(歯磨き、顔洗い、食器洗いは水じゃないとダメ)真夏もクーラー禁止。
父がいない時の外食も禁止(ファミレスとかファストフードもダメ)
子供の私がお小遣いや高校生になってバイトで得たお金でなにを買っても「そんなの買ったのか!?バカみたい、もったいない」みたいに言ってくる人だった。
そのくせ父は一晩で何万も飲み代に使う、浮気も数回してるし、パブとかお姉さんのいるお店に母に車で送迎させる、みたいな人。
そんな家庭だったせいか実家を出た今でも欲しい物がない、やりたい事がないって状態です。
それでも昔は「いつか結婚とか子供できたりでお金かかるかもしれない」ってことで仕事してたんだけど、
結婚してDINKSを決めた今、仕事をする=お金を稼ぐ理由がなくなってしまって何もかもめんどくさいなぁって感じてる。
趣味がないから休日前にお菓子買うくらいしか出費がなくて、月に5000円あれば済んじゃうんだよね。
貯金が○000万くらいあるので給料下がってもいいから適当なパートでいいかぁ、とも思うんだけど、休みの日は休みの日でやることなくて暇だし。
このまま80とか90まで人生続くのかと思うとめんどくさい。どうしたらいい??