はてなキーワード: ホラー映画とは
私はホラー映画大好きで女優霊、リング、仄暗い水の底からはむちゃくちゃ好きなんだけど
それがいる森
はヒドイ映画だった
でも、どんなに酷い仕事をしても中田監督ってリングの功績があるからか
映画館に観に行くきは失せるよね
邦画のホラーを見て、面白かったなあって思いたいんだけど令和になってからなかなかそういうことがないんよね
中田秀夫監督じゃないけど、きさらぎ駅は「がんばってるな~」って感じて好印象だった
Jホラーってホラー小説の方は面白いなあ!と思うものがずっと出版されてるけど
はちょこちょこ出てくるけどイマイチだなぁとかつまらないなーって思う作品が多いような
来るはけっこう人気あるみたいだけど私は原作のぼぎわんが来るが好きだったから原作が映像化されることを期待して映画館行ったら「あれれ?」って感想になってもた
留守電が入る
留守電を聞く
「もしもし(飯屋の店名)です〜、今☓☓の前に停まってます〜、ご自宅はどちらでしょうか?」
間違い電話か?(昨日利用した店舗ではある)掛け直す→電話中→掛け直す→繋がる
「もしもし、先程お電話いただいた(飯屋の店名)です〜、○○さんですか?」
「違いますね、ウチは○○じゃないです」
「そうですか〜失礼しました〜」
2、たしかにウチの近くに☓☓がある
3、掛け間違い指摘後、2回目に繋がらなかったタイミングで留守電が入っていた。聞くと無音の間にハザードを付けているだけの長い間。音楽?車内だろうか
まあたまたま同じ飯屋の配達で電話番号かけ間違って、たまたまウチに繋がったんだろう
(同じ飯屋だとしても、同じ地区の同じ店舗だとは限らないし、たまたま☓☓も被っただけかもしれない)
けど
ホラー映画の「くる」だったら、
もし
すずめ(午前)
・券売機で小銭をぶちまける。店員さんに助けてもらう。誠にごめんなさい。
・シネコンは予告が長いのは嫌だけどスクリーンが大きくていい。見慣れた東京MERの予告でなんか安心する。コナンは最近スピッツ版になったからまだ新鮮
・序盤は画力で押し切ってるところもあり、大スクリーン高画質でないとキツさが出るのかも。真水の質感がいい。
・港のシーン、走るすずめの腕がループなのに気付く。ここは違和感ないのに、学校の戸締まりだと腕の振りが一定なのがなんか気になる
・なんJ民と突然興奮する患者役KOUSHIROUさんが銀幕で共演しているという事実
・相変わらず面白かった
シン・仮面ライダー(午後)
子供の頃、偶然初代の再放送を見たことがあって、改造シーンとかでホラー映画だと思い込んで怖がってた。これまで昭和ライダー見たのはその一回だけ。戦闘シーンとか切り抜きはあるけど。平成はアクションとかCGが洗練されてて、昭和は爆薬とか無茶なスタントが凄いという認識。
・映画館の方針か知らんが、予告編がアニメからホラーから洋画から何でもあり。ホラー予告はあまり見ないから驚いた。あっPG12だから?
・ネタバレ回避してきたのにコラボCMでクモ怪人が出てきて怒。まぁ最初の敵がクモってのはお決まりだからいいけど。
・序盤は説明抜きで畳みかけてる感じ。CGかと思ったがミニチュア?
・アマゾンズみたいな血飛沫。延髄ぶっこ抜く方のシン?か
・クソ博士、割とすぐ死ぬ。グロ死かと身構えたがそんなことはなかった。
クモの隠し腕かっこいい。
・おーバイクかっけー、変形かっけー、なんじゃこの超カッコいい変身は!!??個人的に今までで一番カッコいい変身だった
・コウモリ、闘技場シーンでパラロスじゃん!と思ったら違った。究極の選択かと思ったら違った。線路いいよね…
・サソリ、ケレン味が強すぎる!人間が頑張るのはいいけど勝てるのか!?……あれ、勝ったの?
・ハチ戦、さっきのサソリなんだったんだ…という気持ちを抱えながら見る。キャンプ道具急いで片付けるとこ、ギャグかわからんが好き。サソリの伏線回収されたけど、まぁそれで泣くパターンだよね…アララァ…
・ルリルリ、ポスターで見た時はコスプレっぽいなって印象だったがすげー可愛い。片桐はいりの擬人化みたいな髪型しやがって…老けたチビノリダーみたいな本郷もカッコいいし、後で出てくる2号も藤井隆の出来損ないみたいな印象だったが終盤はカッコいいし。
・クモ先輩の後輩、ここで来るんか…
・プラーナ移すとかで治せるでしょ?あっ…
・ライダー軍団、偽ライダーかパラロスか、ちょっとギャグになってない?共闘とか名前呼び合うの好き
・お前が変身言うのか…Vスリャー!とか名乗ったらどうしようかと。
・正直、弱体化か洗脳のためのマスク剥がしかと思ったらなるほどそう使うのか…
・プラーナ体で残るのはいいけど、それって何とか計画とあんまり違わないんじゃ…と少し思う
・なるほど主役交代…
・ダディーヤナザン!?
・ラスト好き。ルリルリも入れてワチャワチャしてほしいとこもあり。
・あのロボが敵ボスなんかね?
シンウルトラマンはそうそうウルトラマンってこんなんだったよなー、って楽しさがあったが、こっちは自分が昭和ライダー詳しくないだけかもだが、仮面ライダー本郷猛の物語として予測不能な面白さがあった。
ライダーも怪人つーか、怪人もライダーっぽいというか、ショッカーの方針が世界征服じゃなくて世界幸福だったりするとこによるかもだが、怪人としての悲哀というより社会不適合者の哀しみみたいなとこはあり。ちょっと極道っぽい。
そういやマスター役いなかった?警察の人がその枠なんだろうか(追記:他の人の感想読んでて気付いた。橘じゃなくて立花か!滝つっても君の名はの方が…ってかニワカなんで滝の存在知らなかった。あとウルトラマンなのも気付かなかった)
シンエヴァの第三村パートみたいな、他者との関わりについて。本郷もコミュ障無職だし、緑川家も家族のコミュニケーションがアレだし。それでも信頼しあうことは出来るっつー、ミスチルの掌みたいな。
十代ならではだよな、あの「また同じ明日が来るんだから今日はなにやっちゃってもいいじゃーん」っていう
いやお前、また今晩惨殺されるんだぞと思うんだが、これが若さという奴か。
状況を把握してから「死にゲー」「覚えゲー」感覚でカラダ探しを攻略していくのもよかった。
カラダ探しに巻き込まれることで、各個人が抱えているいろんな問題が解決されていくところなんかは
ただ、どうしたってこれ系だとちょっとズレるけどハッピーデスデイには及ばんなって感じがしてしまう。
ちなみにハッピーデスデイは「何度同じ日を繰り返しても殺されてしまうビッチが頑張る話」だ。
ハッピーデスデイに比べるとホラー要素とキラキラ要素と謎解き要素のバランスが悪かった。
謎解き要素も雑だし。
ハッピーデスデイはホラーというよりはサスペンス、ミステリよりなのでそこで比べるのもよくないか。
ハッピーデスデイはゲームとしてよりトライアルアンドエラーの提示が丁寧だった。
オールユーニードイズキルなんかもそうだけど、やっぱ繰り返しものは俺ならこうするのに~が楽しい。
カラダ探しはそもそもカラダがどこにあるかという謎は特に存在せず、
基本的にひたすらローラーしていくだけだったのでそのあたりのエンターテイメントが足りてなかったかな。
でかい目、でかい鼻、でかい口が妙にまとまっていて美人の範囲内に収まっているアニャテイラージョイになりたい
表情でかい女優を作る思考実験で生まれたかのような顔パズルの組み合わせに憧れる
彼女のメガネザルかよってくらいでかい瞳は、演技なんて門外漢な自分にも感情の機微を全て読み取らせてくれる
狂人に襲われている際の怯え、天才の思考過程、困難な状況に立ち向かうことを決めたときの一瞬の全能感が目の揺らぎからのにらみに溢れている
暴力や耐え難い事実に対し、自信が折れ、虚栄心に変わり、絶望へと屈していく様、逆に絶望から一瞬のチャンスを見つけ出し、虚栄心で自分を満たし、強がりからの切り替えしを始める際のスムーズさ
観るたびに作品の邪魔じゃないな、嫌いじゃないな、むしろ好きだなに変わってきた
筋張った首から連なる細い頬は震えることで恐怖を増長し、開いているときはバカっぽく見えるでかい口も、唇に紅を引かれて閉じると、この人を怒らせたら厄介そうだと思うような芯の強さを感じさせる
アニャテイラージョイよ、一生スクリーンの中で、ホラー映画に出続ける呪いにかかってくれ
さっき、『ザ・メニュー』を観たけど、気難しいシェフが店に閉じ込めたお客様にわけのわからない料理をふるまう、ギャグなのかそうでないのかよくわからないシーンもあんたがいることでいくらかポッブに見えたよ
劇中であんたが食う飯は最高に美味そうに見えた
僕も生まれ変わったら生まれ変わったらアニャ・テイラー=ジョイになって、この人の笑顔を見るために料理を作ってみたいなと思われてえもんだ
同性愛者の当事者だけど先天性か後天性かなんてどっちでもいいと思うんだがなんでみんなそんなの気にするの。
パンとご飯どっちが好き?その理由は?私はご飯が好きだけどそれは日本人の遺伝からくる先天性なのか文化的な後天性なのかわからない。
確かにセクシャリティはアイデンティティに関わる重要なことだけどそれと同時に人間の一部分でしかない。
そして人間は時と共に移り変わるものだ。なぜ同性愛者だけ理由や証明が求められるんだ。
当事者の中にもいつか異性をとって捨てられてしまう可能性に怯えてバイを嫌ったり先天性説を重要視する人がいるし
自分も親に無用な悩みを抱かせたくなくて先天性説が正しいと思っていた時期があった。
結局はみんな自分を救ったり何かに納得したいから理由を求める。
でもさー他人の人生をただそっとしておくのに理由が必要なのは心が狭すぎやしないか。
個人のセクシャリティや生き方については肉親ですら外野でしかない。
自分が同性愛者と気付いてからずっとそれを認めて受け入れて生きてきた。
両親を含む近しい人たちはそんな自分を受け入れてくれて日々の生活でたまに気まずかったりむかつく思いをすることはあれどストレスなく暮らしている方だと思う。
数年前生まれて初めて異性を好きになりかけた。すぐに相手もセクシャルマイノリティーであることがわかり(ちなみに同性愛者ではない)恋愛関係に進むこともなく今も普通に友達をしている。私ももうその人に対する恋愛感情はない。(このくだりを読んでじゃあお前は同性愛者じゃないじゃんという人もいるだろうけどここに書いていないことを含めた様々な状況を汲むとこの出来事は私の自認が変わるほどではなかった)(同性愛者の定義も当事者ですら人によって揺れがあるのであまりここで厳密に話そうとしても意味がないというのもある)
この出来事で一番ショックだったのは異性を好きになったかもと気付いた瞬間に涙が出てきたことである。
それは自分が同性愛者ではないかもしれないということに対するショックでもあるしついに普通になれたという喜びでもあった。と自己分析した。これまで周囲に恵まれて楽しく生きてきたと思っていたけどそれでも同性愛者であることにストレスやプレッシャーを感じながら生きていたんだということに気付かされてそれが一番辛かった。でもそれによって何かが変わることも変えようと思うこともなかった。死ぬ以外自分からは逃げる方法はないから。
結局自分がいいなと思う方法でしか生きられないし自分がしっくりくるセクシャリティしか名乗れないし、それもこれも日々変わっていく。子どもの頃大嫌いだったフルーツも今はよく朝ご飯にしている。昔はホラー映画が普通に見れたけど今は結構苦手。好き嫌い、やるならないを選べることも選べないこともある。今は同性ばかり好きになるから同性愛者と名乗るのが一番コミュニケーションがしやすい。でもいつか異性や無性の人に心奪われるかもしれない。別にそれでもいい。いつか恋愛関係じゃない人と一緒に暮らしたり、複数人で恋愛関係になったり、それはもう数え切れないくらいの人間関係の可能性がある。今はありえないと思うことでもそのとき私が幸せならそれでいいしなんでもいい。その生き方がどこからきたのかも名前も理由もなんもいらん。社会も自分も、変えようと思ったり変わったと気づくより先にもう変わってるものだ。
有名な絵は他の絵と比べて
②飾られ方に気を使ってもらっている
③鑑賞している人が多い
という特徴がある。
だから盲目の人が博物館に行って有名な絵の前で立ち止まって「これちょっと違うな」と感じるのは全然不思議じゃない。
それは目に見える人には分からない絵の要素が見えているからではなく、むしろ「絵というものを微塵も感じておらず、その絵に対して周囲がどういうリアクションを取るかしか感じとってない」からなんだよね。
「奴らはラーメンを食ってるんじゃない。情報を食ってるんだ」の究極系みたいなもん。
ソレに対して「盲目の人にも絵の凄さって伝わるんですねえ……」とか言ってる人はただの馬鹿。
誰もいない空間でガラス越しに全く同じ起き方をされたら、片方が子供の落書きで片方がゴッホだろうが全然違いを感じ取れないよ。
じゃあそういう人が美術館に行くのは無駄かって言うと、それはちょっと違うと思ってる。
絵は見れないけど、絵を人間がどう扱うかは感じ取ることができてるんだから。
まあ物自体は見れないわけだから、障害者割引を込で考えれば行っても良いぐらいの感じにはなっちゃうかもだが。
たとえば「有名な絵のために用意された特別な配置」に対しては目が見えない人の方がおそらくより敏感で、それがやってくるよりも手前から「なんか流れが違うな」と分かると思う。
そうして少しずつ空気や人の流れが変わっていくのを肌で味わうのは、ある種の「オーラを体験する」という錯覚さえ起こすと思う。
誰かが他のものに影響されている様子ってのは十二分にコンテンツになっていて、たとえば「激ムズゲームやホラー映画を初体験する人からしか取れない栄養」なんてのはまさにソレ。
人が特定の状況からどういったリアクションを起こすかは結構人気のジャンルとさえ言える。
目が見えてない人からすれば、足音の量や脚の止め方が他とは違う空間が存在するというのは、中々に印象深いものがあると思う。
それを「オーラが見えているんだろう」って雑な解像度の低さで終わらせるのは、人をコンテンツとして消費する能力が貧しいなって俺は感じちゃうね。