はてなキーワード: ピーマンとは
どーも、どーも、どーも!
さて、私はどこにいるでしょーか?
ここ!ここ、ここここ!
なんと、その広さ東京ドーム9個分だそうです。
って、ビール祭いいわね!
端から端まで全部は飲めないので、
どこか、選んで絞って飲まなくちゃいけないし、
それで、結構4~5杯飲んだら
べろんべろんになるから、
それはそれで面白いわよ!
それぞれ味が違って、美味しいしね!
でも、ビールなんて苦くて飲めるか、
不思議だわ。
憧れるわ、行ってみたいけど、
きっと、一番手前のところで
酔っ払いちゃいそうね。
もちはいいんじゃないかしら?
久しぶり野菜。
はっきり言って味は、
青臭さが全部水に移った、って感じで
でも、一回やってみると良いわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ブレイク必至と煽りつつ、札幌のローカルな流行りに終わったスープカレー。
今にして思うと、その頃のスープカレーは店によってあまりにもバラバラで、スープカレーを定義づけることが出来なかったのが札幌の外に発信することが出来なかった理由のように思う。
幾つかのブログや掲示板に、「すげー美味いから食ってみろ!」みたいな書き込みがあったが、それらのどれもが、どういう味かを語れなかった。
そもそも、スープカレーとはから語らないといけないのだが、スープカレーがどんな食べ物かが誰もわからなかった。
たとえばラーメンを語る場合、そもそもラーメンという共通認識があり、醤油、みそ、塩、という味のジャンルもはっきりとしている。
カレーという言葉から、普通のカレーを、時にインドカレーやタイカレーを想像してしまうので、スープカレーというジャンルのトマトベースでこういう味といっても、文章で相手に伝えることは困難であった。
そんなこんなで約10年の月日が流れて今にいたるわけだが、その間にそこそこの数の店が東京進出を果たし、大衆に合う味を追い求め、ようやくスープカレーとはなにかが固まってきた感じがある。
ブームにはならなかったのは残念であるが、ようやく一つのジャンルになれた。
ここで、僕もやっとスープカレーについて語ってみようと思う。
カレーとは似つかない。エスニックで辛いポトフという表現が最も近い。
敢えて近い香りを選べばカレーのような香りというだけに過ぎない。
具がゴロゴロしていて、おかずにもなるスープというものを想像すれば正しい。
かつて札幌でブームになっていたころは、スープのベースとなるのは鶏ガラをベースにしたもの、魚介ベース、等々いろいろと個性豊かであったが、今日では豚骨と鶏ガラと香味野菜というありきたりな組み合わせが主流になっている。
ウェイパーほど中華っぽくなく、味の素のコンソメよりはパンチが強い、そんな感じのスープを想像していただきたい。
ここに、トマトとニンニクと唐辛子をつっこめば、香り以外はほぼ完成だ。
小麦粉は使わないのでトロミはないが、豚骨あるいは鶏ガラのコラーゲンで乳化している場合が多い。
後述するが、スープカレーの客単価は低くなってきている気がするが、それはスープの改良、低コストで大衆の舌に合うスープの方程式が確立したことと無関係ではないと思う。
通常のカレーのスパイスは、辛味のほとんどがチリペッパー由来で、残りのスパイスが香りと味を決定している。
そして、そのほとんどがターメリック、クミン、コリアンダーの3種類で決定され、残りのスパイスは隠し味のような感じだ。
チリペッパーを加えた4種類で、カレー粉の9割は出来上がっている。
スープカレーの特徴は、このなかのターメリックがほとんど入らないことだ。
油と小麦粉がたっぷりのルー仕立てでは、ご飯によく合うのだが、スープとして味わうときには、泥臭さが全面に出すぎる。
そんなわけで、スープカレーのビジュアルは黄色みが少なく、赤に近い。
普通のカレーには入らずに、スープカレーにはほとんど入ってくるスパイスとして、焦がしバジルが特徴的である。スパイスと言っていいか微妙だが。
ポトフやおでんのように、スープと具が一つの鍋に泳いでいるわけではなく、スープだけ寸胴からとりわけ、具は別に用意する店がほとんどである。
肉系(チキンレッグ、ラム、豚バラ)等は固まりのまま煮込んだものをスープに乗せる。
茄子、ピーマン、カボチャは素揚げが多く、ニンジン、ブロッコリーは茹でたものが具となる。
ジャガイモは素揚げの場合もあるし、茹でたものという場合もある。
オクラやレンコンなどが入る場合が多いのもスープカレーの特徴か。
当初に比べて値段設定は安くなってきている。
物価設定、とくに食物においては安い北海道において、1300円くらいの強気の設定をしていたが、東京に進出しても値段据え置き、あるいは低価格化の印象。
それに伴い、一食の量も減った感じはある。
具材も巨大なものがゴロンゴロンというのが売りだったが、食べやすくこじんまりとした。
下北沢のマジックスパイスは、いまだに強烈な個性を保っている。
スープカレーですらないマジックスパイスという食べ物としか説明がつかない。
ピーマン一種類食べられなくても死にはしない。
よっぽどのひどい偏食とかでないなら、別に直さなくてもいいんじゃない?自分もピーマン嫌いなまま三十路を迎えてるけど、今までの人生でなにひとつ不便する事はなかったよ。嫌いな食べ物を無理やり食べたら、湿疹が出る事もあるから、体が必要としていないんじゃないかと思ってる。あと食べようと思ったらちょっとくらい我慢して食べられるけど、やっぱりおいしくない。
http://anond.hatelabo.jp/20150830023606
臭いやクセの強い食べ物も無理せずに食べられたので、小学生のころから酒を飲む父親と同じものを食べていた。
大人になった今もエスニックでも激辛でもスイーツでもすべて美味しく食べることができる。
そのせいで、子供によくある好き嫌いをどう直したらいいかわからない。
「自分の場合は親の作る食事がおいしかったのでは」という可能性もあるが
同じものを出されていたはずの弟は好き嫌いばかりでよく怒られていたので、それだけが原因ではないはず。
豚肉ときのこしか家になくて炒めて食べたけどなんだかうーん。だった。
肉と野菜の相性、プロシェフやプロ主婦は感覚で理解してるんだろうがいかんせんこちとら素人一人暮しベビーなんだよなぁ。
素人一人暮しが経験して感じた相性だけど、豚は物腰が柔らかい野菜としか合わない気がする。茄子・白菜・キャベツあたりの誰とでも優しく振る舞える野菜。油もきちんと吸うし豚の旨味への理解もある野菜がよく合う。
鶏はガチッとした野菜でも全然合う。それこそきのことか、じゃがいも・ブロッコリー・にんじん・ゴボウ。根菜と煮ても照り焼きにしても合う。鶏自身も煮込もうが焼こうが食感が折れないからそんな性格の強い野菜とでもやっていける。
牛は、野菜とは合わないかなぁ。俺牛だし、みたいな主張強すぎて相手にしてくれんのピーマンくらいなんじゃない??
肉が男とするなら、結婚するなら堅実で相手にも主張を許す鶏なんだけど、好きになるのは自分はちょっと不恰好ででも女(野菜)に優しくされたくて結構なんでもがんばる豚かな。
牛みたいな高級感ダダ漏れで女(野菜)を添え物としか思ってない男(肉)はお断りだわ。たとえ黒毛和牛でもA5ランクでも同じ。人が食べてるのをうらやましーと思ってテレビで見てればもう十分。
「アーティストは政治的主張を行うべきではない」、「作品で語れ」。
なにもかも職人偏重文化のせいだとおもう。与えられた枠内で技術を研ぎ澄まし、寡黙にプロダクトを作り続ける「職人」への憧憬。それをアーティストにも適用してしまったことがそもそもの悲劇だ。
日本のアーティストは根っこの部分で表現者であることを求められてはいない。製造者たれ、ということだ。なんだってプロダクト扱いしてしまうのだ。美術品は金銭に還元できるものであり、究極的にはコンビニで売っているヤマザキのクリームパンと等質であると信じて疑わない。
なので、先日のオリンピックエンブレム問題を見てもわかるとおり、高度に訓練されたデザイナーやデザインはリスペクトされない。
日本人の美意識は今後百年、楽天の通販サイトから一歩も前へ出ないだろう。
ところで「アーティストなら作品ですべてを語れ」という言説は一見かっこ良く、筋が通っているように思われる。
ひとつは、表現活動はストレートに言語化できない領域を扱っている場合が多い、ということ。
明確なテーマや社会的政治的なメッセージやイデオロギーが作品内で直截的に説明されている作品や作家も世の中にはある。
しかしエンターテイメントの分野においてはリーダビリティの都合上、そうした主張は糊塗されていることが多いし、アート作品ならばそもそも既存の言説言語では語りえない(表現者自体の言語能力はさておき)ことを表現したがったりする。
ありきたりな言葉でいえば、数行のセンテンスで説明できる内容ならそもそも小説や絵や漫画や映画や写真や音楽などにせず、論文なりtwitterなりで発表するはずだ。そして、現にそうしている作家も少なくない。政治的なアーティストたちは、単に媒体ごとで最適かつ合理的な伝達形態を選択しているにすぎない。
だというのに、バカは不合理を強いるのが好きだ。
もうひとつは、作者にはテーマが選ぶ自由がある、ということだ。
あなたが政治的なレベルでピーマン嫌いだとして、戦国時代を扱った作品でピーマンの栄養学的劣位を述べる必要はまずない。
表現者の義務は自分のすべてを伝えることではけしてない。むしろ、自分の要素のうち何を削ぎ落とすかが重要になってくる。これも伝達における最適化の問題だ。さきほども言ったように、簡単に言語化できる政治的言説を人びとに伝えたいのであれば、それはそのまま作品を通さずに主張するのが合理的なのだ。
ぎりぎりまで絞った作数を重ねるうちに、全体を通じてひとつ芯の通ったテーマが浮かび上がってくることもある。その芯は作家性とも呼ばれる。だが、残念なことに作家性はたいがい作家個人のコンプレックスやトラウマに直結している。社会性などない。
選ぶのは自由なので、もちろん、社会的なメッセージ、政治的なメッセージを作品を通じて生に近い状態であれオブラートにうまく包んであれ発信する作家も多い。それは彼らがそうした方が受け手に伝わりやすいと判断したからだ。やはりそれも作家個人における選択の問題であって、乱暴なアフォリズムで普遍化されるべきものではないんですよね。
三丁目の夕日を読んでいて、ふといずれ自分が子供の頃食べてた食事も珍しく思われるのかなぁと思った。
小学校のときは給食だったから、朝はほとんどパン。絶対超熟(PASCO)。
トーストにしてマーガリンとジャムを塗ったり、ダイエットなんかも気にする年頃になるとマーガリンはやめてクノールのカップスープに浸して食べたり。
お昼はお弁当。玉子焼き、ベーコンとピーマンの炒め物、昨日の晩の残り物の煮物、牛肉の生姜煮、にんじんといんげんの豚肉巻き…。
冷凍食品なし。逆に冷凍食品のおかずの友達が羨ましかった。海苔巻きチキンとかちっこいグラタンとか…。今は、今となってはマミーの弁当のスヴァラシサはわかるけどね。
夕飯はうちの家は基本大皿料理。それをみんなでつついて食べる。
なんせ野菜が多かった。
菜っ葉とお揚げの煮物、こいもの煮物、お豆腐と大根を炊いたやつ。
あと茄子の素揚げにマヨネーズとしょうゆかけた謎の旨すぎのやつ。ゆで卵の黄身だけ取り出してベーコンとかマヨネーズであえてまた白身に戻してフライにしたやつ。ロールキャベツ。うどん。
お肉は時々。おかんの作るハンバーグとんでもなくおいしい。あとグラタンもおいしい。
洋食が出るとテンション上がった。あと焼肉は家の庭でやってた。
おやつは家にあるクッキー食べたりポテトチップス食べたり、あとばぁちゃんからもらう白餡が入ったちっこい四角い焼き菓子。
お寺さんでもらう丸いおもち、祭りでもらうゆでたての枝豆、近所の小売のお店で買うウイスキーボンボン。
自販機で出会う新商品。アンバサのいちご味出たときのアガリ感。
そんな80年代のメシ。
○昼食:なし
○夕食:祖母宅でご飯、ご飯、豚肉となすとピーマンの炒め物、桃、枝豆、オクラ
○調子
むきゅー!
ちょっと今日はブックオフに買い物に行きたかったので、ポケカはお休みしました。
○ポケモンOR
メンツは
ダーテング、ヘルガー、ヤミラミ、ワルビアル、ゲッコウガ、ズルズキン
○一戦目:ランドロス、シビルドン、トルネロス、エルレイド(メガ)
敗北。
メガヘルガーがいっさい動けず、負け。
敗北。
っていうか、ファストガードも追い風も使えるなんてダブルでも強いなあ、ファイアロー。
相手の降参。
岩雪崩で二人ともひるみをひいたのが手痛かったようでした。
○四戦目:カイリキー、ミロカロス、マニューラ、ガルーラ(メガ)
相手の切断。
まだ熱風が両方ともに外れるという勝ち筋が残ってたんだけどなあ。
○五戦目:フシギバナ(メガ)、リザードン、ライチュウ、ラプラス
勝利。
これまでカロリーなど気にせず食事をしていたが、普段の生活では体をあまり動かさない
したがって、太る一方だった
そこで食事メニューを決めることにした
今回は平日の食事における1日の摂取カロリーを気にして決め、1ヶ月実行した
ヨルタモリでやってた賄い飯
ただし卵と白米だけでは味気ないので、チーズを載せてる
・生卵:2個
・白米:半合
・塩コショウ:少々
・とろけるチーズ:1枚
食堂はカロリー300kcal程度になるようおかずを取り、半合の白米を食べる
・白米:半合
以下のルールにしたがって作った
・白米は食べない
・野菜はスーパーの店頭でおすすめされてるさまざまな野菜を購入(1000円程度/週)
野菜 | おおよその個数 | 特徴 |
---|---|---|
ナス | 1本 | 水気を含む野菜と一緒にスチームするといいかも |
ピーマン | 2-3個 | 歯ごたえと、ほんのりな苦味がよいので、ほぼ毎日食べた |
にんじん | 1本 | 甘い |
玉ねぎ | 1個 | 切るとき涙がでるので、ガムを噛みながら切った |
きゅうり | 1本 | 無味だが、食べた気になれるほどの歯ごたえ |
ズッキーニ | 1本 | ナスとキュウリの中間 |
じゃがいも | 小3個 | 炭水化物だが、月3回くらい使用した |
スチーマーには蒸すための水を10l
ただし、毎日ではなく週に2回程度
5キロ痩せた
朝飯が楽しみになった
平日だけなら今後も続けられると思う
冬は夜を鍋にする予定