はてなキーワード: パブリックイメージとは
毎年楽しみにしてる嵐のアルバムがやっと発売になったので適当に感想〜
とりあえずアリーナツアー入ったので魂は当然のように落選で、あ〜この曲生で拝みたかったってなってます
じゃあ早速↓(wとか使ってます)
01.DRIVE
すごい気だるさが漂ってる曲だな〜。伊豆半島の海沿いの道をオープンカーでたらたら走る嵐が脳裏をかすめた(地味)
80年代〜90年代の曲の雰囲気があって耳馴染みはいいしコーラスとかオシャレ。ただ一曲目のつかみの曲としては地味目な気もする、、
02.I seek
シングルカットの曲だしいろんなとこで歌ってたからやっぱ安心感ある。
03.Ups and Downs
カップリングにありそうなアップテンポな人生いろいろあるぜ曲。
1番も2番もサビ前の大宮の高めの声で曲を引き締めてる(?)のがいい
この曲最初まったく自分的にはピンとこなかったけどラスサビ前の大野くんソロで印象がガラッと変わった
あそこからラスサビに入る時のドラムとか嵐の曲にしては珍しい感じしたんだけどどうなんだろう
太鼓の音聞こえてきた途端耐えきれずにワロタ さすが相葉くん監修の曲だなって感じですごい楽しい
まず曲の入りの電子音が80年代アニメっぽくてすごい好きw個人的にはタッチのオープニングいける
コンサートではコーレス絶対盛り上がるのが想像ついてほんと羨ましい;
歌詞は純粋な(?)ラブソングで「もう一回」からのサビも最高だし早口のとこもたまらない
久女の評判悪化がえらくうれしいらしいけど、残念ながらそんなにダーメージないよ、たぶん。
パブリックイメージとやらはたいして傷つかない。
なぜなら知ってる人が少なすぎる。
はてなの一部でわっしょいわっしょいしてるだけじゃない?
昨日の女性本人のエントリ、それにのっかったブログも200-300ブクマくらいでしょ。
岡田育はその辺がわかってるんじゃない?
だから自身のツイッターではめったにこの件について触れないし、触れても大量のリツイートに紛れ込ませてるw
わざわざ調べようとする人以外、何も知らずに岡田のTL見てる人は気づかないよ、きっと。
久谷女子って、パブリックイメージが、どちらかと言うと知的とか洗練の方面にポジショニングされてたようだけど
今回の件で、下衆さや、社会性のなさ、実際の処理能力の低さあたりが露呈された。
メンバーも読者もそういうパブリックイメージにプライドがずいぶんおありで、大切だったんだろうけど、
結局あんまりレベルが高いわけじゃなかった人の化けの皮が剥がれただけだったのかもね、
なんかこの増田読んで思った。
この増田が、メンバーや関係当事者の誰かだったとしても、シンパだったとしても、どっちにしてもイタすぎる。
私は、下衆な内容満載の同人誌を買う趣味はないので、増田を一旦信用してこの増田の引用を正しいものとして扱ったうえで色々突っ込むけども。
1 名誉棄損とは
その後に別のホテルに行ったとか行ってないとか、そういうことは一切書いていない。
その前の引用文を読むと、メメがデリヘル嬢に見えたからホテルに入れなかった、と解釈できるけど、
この内容では、セックスしたかどうかの事実認定よりもむしろ名誉棄損の対象になるよ。
普通のホテルは、予約人数以上の人を客室内に入れるのを目撃したら止めるのは社会通念上も当たり前だし宿泊約款にも書いてある。
連れて行った女がデリヘル嬢に見えようが深層の令嬢に見えようが変わらない。
だから、デリヘル嬢という形容詞自体が「ホテルに連れ込めなかった」という内容"だけ"を伝えるには不要であるし、
その表現がなければ伝えられないことがあるとしたら、「メメは風俗嬢」と執筆者が言いたかったということになる。
なので、このくだり自体が、すべてまるっと名誉棄損として扱えるし、執筆者だけじゃなくて編集者も当然責任を負うべきだよ。
2 内容証明について
内容証明とは郵便局が行っているサービスで、法的な拘束力などは何もない。久谷女子はメールを読んで返事をしているのだから、内容証明郵便で同じ内容のものを送られても意味がない。何がどう気の毒なのか。女性が内容証明を理解してないことが気の毒なのか。訴状と内容証明を混同しているものと思われる。
民民で名誉棄損についての対応について交渉を行いたい、でも相手が面会してくれない、住所等の連絡先も開示されていない、という状況な訳だから、
「相手に到着していることが送付者が把握できる」という内容証明の機能は、メールでは補完できないよ。
BtoBの取引で、メール文面のやりとりが法的拘束力を持つことはもちろんあるけれど、双方が「メールにて取引成立でオッケーです」と合意している場合や既に取引実績がある場合が一般的だよ。
そうじゃなきゃ、しょっちゅうくるスパムメールの謎の金銭請求がすべて拘束力を持つことになってしまう。
訴訟にまで至らずとも、交渉を進めるには、相手がこちらの要求を読んでいるかを知っておく方がスムースだし、住所も電話も知らず、今のところ不誠実な対応しかしていない相手であれば
「ちゃんとメールくだされば読みますから」なんて、信じにくいのが当然だろう。
このご時世、文章を集めて並べて本にするぐらい、にわとりにだってできる。
本来「編集者」というのは、執筆者の書いたものをチェックして、執筆者に相談し、より良い文章を作ってもらうために、そして何か問題が発生した時に対応するために存在している。
「より良い文章」とは当然「どういう本」なのかで基準が異なる。たとえばオヤジ向け週刊誌なら今回のような内容は「セーフ」だろう。実話ナックルズなら「ゆっくりセーフ」かもしれない。
そういうのから遠い場所に居たいはずだった(であろう)、久谷女子が、実は中身は下衆なオヤジ雑誌と同じだったとか、
ワタシ、シゴトデキル女です、といった様子で経営者やフリーで仕事している人もいるようなのに、「うわー社会人としてありえねー」という対応をしていくという化けの皮の剥がれっぷりとか
otuneの間抜けな下半身事情も含めて、面白すぎるのは確かで、今まで面白すぎるweb事件簿に対して、嬉々として発掘してブコメしてた人たちが何も言わないってのも含めて、
嘲笑の対象になっちゃってるのはしょうがないだろうなぁ。それが「世間の反応」ってやつだ。
岡田育については、今まだログが残っているのか知らないが、twitterのつぶやきで「私がどんな思いで書いたと思ってんだ」みたいなのがホッテントリ入ってたから、その辺でやり玉に上がってるんだろう。
個人的には、モノを作るの人が言ったら負けなセリフナンバーワンが「私がどんな思いで云々」のくだりだと思っている。どんな思いかを伝える力量が足りなかったことの裏返しでしかないからだ。
本を書いても売れなかった著者が、「私がどんな気持ちで書いたと思ってる」って言うの、コントぐらいだろう。そのコントすごく面白くなさそうだが。
現に、まともな編集者が居れば、こんな下衆な企画は通らない可能性だって高かったはずだし、
少なくともこんなことに巻き込まれないような内容に修正するために著者と打ち合わせをするのは編集者の仕事であり、力量の差が一番多く現れる部分だ。
同人だからそんな労力かけてられないし、同人だからこそ好きにやらせてよ、というのなら、所詮その程度の覚悟の人が、なぜ「どんな思いで!」なんて言うんですかねって話だしね。
まごうことなき左翼の私ですが、橋下が逆噴射おこして「事実アメリカ人にレイプされまくってんじゃん、占領ざけんな、もっかい戦争すっか、次は負けねえぞ」って言い始めたら、転向して支持に回ってたかもしれない。支持することにならなくて助かったけどw— 唐木 元さん (@rootsy) 2013年5月17日
乙武問題についてはどっちもどっちだと思ってます。ただこれまでずっと君子っぽいパブリックイメージを通してきた乙武さんが「どっちもどっち」という感覚を引き起こさせたのは画期的だし、平民宣言というか、普通の人なんだなーと、彼に対してはむしろ好感度が上がった。友達になれそうというか。— 唐木 元さん (@rootsy) 2013年5月22日
テレビを見なくなって久しい。今ではいつどんな番組をやっているのかさえよく知らない。だから今年の24時間テレビがもう終わってたことも知らなかった。2ちゃんねるのまとめブログで「出演者にギャラはらってチャリティーって言いながらクズばっか」みたいなエントリーがアップされるのを見て、あぁこんな季節にやってたっけなと思い出したくらいだ。昔は僕自身も「へっ偽善者番組がっ!!」などと思っていたがテレビを見なくなってテレビ文化から離れてしまった今となってはそんな怒りはわかなくなった。距離を置いたことで冷静に見られるようになったのかもしれない。
さて、出演者のギャラについてだが結論から言えばこれは悪いことだとは僕は思わない。むしろタレントへのギャラがよくないという意見に若干の違和感を感じる。
番組制作の枠組みとか流れを考えてみよう。ネットで見た意見の中には「募金をタレントのギャラに使ってる」などというのもあったがこういったのは誤解であると思われるし。まず24時間テレビに限ったことではなく日本のテレビというのは広告主(スポンサー)、放送局、視聴者という三つの要素から成り立っている。
これに電通、博報堂などの広告代理店とか番組制作会社とかあといろいろが絡んでくるわけだけどそれは一旦置いとく。このように日本のテレビというのは広告媒体として発展してきたわけだ。ただCMとか流しても見てもらえるわけないから面白い番組を放送してその合間にCMを流すことでコマーシャルの質を高めてる。
さて広告主から資金を得て効率よくコマーシャルを流すのが放送局の役目。得た資金を元に「番組」というコンテンツを作らなければならない。コンテンツが面白く視聴率がよくないと広告主は資金を出す意味がないからね。コンテンツを作るために放送局は製作会社に依頼する。制作会社はコンテンツを作るための場所と物と人と企画を用意する。たとえば武道館という場所を借りるにはお金がかかる。タレントという出演者をに出てもらうにもお金がかかる。もちろんこれにかかる費用は広告主から出された資金を元にしている。こうして番組が作られている。そして番組とともにコマーシャルを流す。24時間テレビであっても変わらないはずだ。24時間テレビでもコマーシャルは流れるよね?(もし流れないんだったらこのエントリー自体の意味がなくなるが笑)
番組の制作費は広告主から出ている。これ重要。けして視聴者から集めた募金から番組を制作しているのではない。
http://www.ntv.co.jp/24h/contents/how2012.html
募金は全額福祉環境災害活動に使うという方針らしい。(収支報告を出しているかどうかまではわからなかった。)つまりコンテンツの制作にかかる費用は全くの別会計、別の流れがあるということだ。で、問題になっているタレントのギャランティーだがこれはコンテンツの製作費に含まれるということになる。「タレントにギャラを払うのはおかしい」というのは何となくわかる気がしながらも違和感を感じていたのはここにポイントがある。コンテンツ制作の流れを見てわかる様に24時間テレビにおける「タレントのギャラ」は「武道館のレンタル料」と同じことだ。調べた限り証拠はなかったがたぶん武道館にはレンタル料払っているのだろう。これは人を用意するのと場所を用意するのの違いだけで基本的には同じ費用の類だ。でも今まで見た批判の中に「武道館へのレンタル料を払っているのはおかしい」という意見は見たことがない。あったら教えて欲しい。タレントがチャリティーで儲けるなと批判するなら武道館はチャリティーで儲けるなという批判もあるべきだ。結局はタレントへのギャランティーの問題は視聴者の「タレントはテレビの人」というイメージの問題に収斂するのではないだろうか。タレントはコンテンツのソフトとして”使われている”だけで本来は放送局と同じカテゴリーのものではない。もちろんそういった「テレビの人」というパブリックイメージを用いて経済活動をしている限りチャリティーのギャラには節度が必要という意見はあってしかるべきだとは思う。
たとえば平々凡々な一般人たる僕がチャリティーをしようと思う。そうだ、Tシャツを作って売ってその収益を寄付しよう。拙いながらデザインを起こしてTシャツを買い、印刷会社にプリントを発注する。かかった経費の3掛けで売ろう。なんとか作った分完売。交通費や販売に関しての諸経費は考えないことにして収益は全額赤十字に寄付した。領収書はスキャンしてブログで公開。
さて、批判されるところはあるだろうか?偽善と言われるのはしかたない。だって偽善だもの。でもTシャツのメーカーや印刷会社を批判する人はいないと思う。24時間テレビにおける出演者はまぁこの印刷会社と一緒だ。Tシャツ売るってチャリティーで儲けてるやつらがいるぜ、糞と味噌の区別もできずに批判しているのと同じだ。ギャランティーを支払われるのは批判されることではない。と思う。
最後にはなるが「チャリティー」と銘打ってる限りイメージや収支に関する説明責任とかは大事だ。それは番組の内容にも係わってくるがそれはこの日記のテーマの出演者のギャラとは別の問題だ。そしてそれに関しては僕は語る言葉を持たない。
>「セクシー系悪女を見なくなった」という、社会的ニーズの話なわけ。
>ここで社会的に認知されている悪女キャラを出せれば、世間的なニーズがあることの証明になる
だから、その「社会」とか「世間」ってのは キ ミ の 観測範囲内の社会であり世間なわけでしょ?
その外からやってくるものを全部はじいてるから「俺の観測する範囲で社会的に認知されてない!意味ない!」ってなっちゃうんだよ。
>認める認めないの話じゃないの。
>それは「関係のない」どうでもいいことなわけ。
>というか、海外でしかニーズがないというなら、なおさら日本には悪女キャラが出てくる下地がないってことになるだろ。
確かに認める認めないの話ではないな。「事実」だもんw
キミがどんなに認識拒否したってそれでPVの台詞が書き変わるわけじゃなし。
関係ないと思ってるのはキミとキミの小さな世界だけだよ。
日本ではきちんとしたパブリックイメージを発信するに留めているから、たとえばテレビのバラエティで悪女やったりはしないだろうなw
>しっくり来る説明を考えてて思いついたんだけど
>つまりあなたって「背徳」と「悪」の区別がついてないと思うんだよ。
見た瞬間に思いついたんだけど、背徳って悪のいちカテゴリですよね。
区別っていうか内包されてるものなんじゃないスか。いやアンタのオリジナル定義なんか知らんけど。
>わざと下品なことや性に奔放なことをオープンにしていくって言うスタイル。
>下品さや奔放さのアピールは悪の十分条件じゃないし、必要条件ですらないよね。
>両立させようとすればする、という程度。
アンタの悪女って何なんねん。
まず峰不二子が「下品でなく性に奔放アピールしてない」タイプの悪女かどうかをはっきりさせてみようか。
どの不二子かって話にもなるけど、2ndからは基本的に媚びて下品と評判だぞ☆
基本「男は結局ちんこが本体」みたいなやり口でしょ。そして男の側もハイそうですよとばかりにひっかかる。
原作か1st観ればそれも納得の評価だ。2以降のアニメの不二子に品があるとはちょっと言えない。故に2nd以降は論外。
では1stの不二子は悪女だろうか? 機械的に判定するなら悪女だろう。宝石大好きだし。でもあれってすんごい可愛い悪女だよな。
「ルッパァ〜ン(はぁと」ってんじゃなくて「御機嫌ようルパン(手をひらひら」って感じ。あれは品がある。
はっきり言って可憐でさえあって、全然「悪」い「女」に見えない。ぶっちゃけ結構健気。ルパンと対立した昔の恋人撃ったりしてるし。
セクシーアピールも基本「敵に脱がされる」タイプのお色気担当であって、常にドレスでパーティ会場にいたり水着でプールのそば寝そべってたりで金持ちのそばうろついてるんじゃなくて、仕事なら普通にツナギ(ライダースーツじゃなくて作業員のツナギ)着たりもする。
つうか書いてて思ったけどパーティドレスのシーンとかあったっけ…キャサリンの宝石のときもメイド姿でハイネックのドレスだったような…
とりあえず1stアニメの不二子もとい品があって奔放に男を利用する、そのくせときに可憐で健気でさえある女、これが「悪女」とする。
すると例えばドロンジョさまは外れるんですけど、っていう。あの人2nd不二子から衣装はそのままに色仕掛けを抜いてハプニングエロてんこもりにした感じだし。
元増田と合わんぜ。
「そも悪女の『悪』とは誰にとって悪なのか?」を考えてみると、これって悪女に引っ掛けられた「男」と、悪女に引っ掛けられた男を見た連中にとってであって、本人は基本的に単に好きなように振る舞ってるだけなんだよね。
だから、一人称で悪女をやると大体ガガみたいな感じになると思う。
で、ガガの「悪女」ってなんか悲劇的な感じがある。それがある種の一途さの故だから見方によってはすごく可憐に映る。
そこんとこが、不二子と全く同タイプではないけれども「悪女」だなあ、と思わせる。同時に普通に絵に描いたようにビッチな「悪女」もやってるwと。
>自己表現として世間の生活習慣や宗教に逆らって見せるのが「悪」なら
>同じ論理でいくとマリリンマンソンは「悪人キャラ」ってことになるけど、これはもっと違和感あるよね。
>ていうかほとんどの奇矯なミュージシャンは「悪人キャラ」ってことになる。
>これはやっぱり無茶苦茶だと思うよ。
何が「やっぱり無茶苦茶」なのかわからん。奇矯なミュージシャンて実際みんな割と無茶苦茶やってる悪人キャラやん。
反クライストってそれ自体相当「破廉恥さん」だと思いますよ。せいぜい非性的なだけで。
ロックの界隈とか過激な奴が勝ち〜みたいなとこがあるじゃないか。ピストルズとかなんかそこらへん。パンクのらへん。
ああいうの、態度と思想を何処まで一致させるか的な問題があったはずだ。
で、態度がいわゆるパブリックイメージで、思想がキャラ(の源)だ、っていうだけの話。
一線引く奴は引くし、ロットンでさえ結局はそこに線を引いた。ように見える。
>パブリックイメージをキャラとして認めないほうが特殊なような…
>特に、赤の他人同士が共通認識として語ることができる「キャラ」なんてパブリックイメージ以外にないだろう。
パブリックイメージって逆にキャラとはある程度乖離してるもんじゃないの。少なくとも常に全くのイコールじゃないでしょ。
一般的に、売り出し路線としての人物像が「キャラ」で、言い方がアレだけど政治的というか社会に対しての立ち位置込みの人物像が「パブリックイメージ」じゃん。
世界に愛されるスーパースターのMJだってBADなんつってワルキャラ、すさんだ下町世界の住人で押した時期があるんだぜ。
あとどっちかっていうと、話がかみ合わないのはそもそもお前が認識してなさすぎるからだから。共通認識まで到達してない。
自分の知らないレディ・ガガを持ち出されたからって、知ってる部分に固執しすぎなんだよ。素直に「へえそうなんか、知らんかった」と言えればいいだけなのに。
>日本人同士が日本語で悪女を語っているときに「欧米では~」とか言い出されても困る。
米人の女のことニッポンフィルター越しに語られてまさにこっちが困ってんだけどw
はてなブックマークを使ってない人ならともかく、書き込みした時 はてなIDで書き込みしてるのだから、ブクマを見る可能性高い事もわかっている
まともな批判でもなく
考えてみれば批判の対象とされるような事ではない
ほんとに死ねと言うのかだよ
間接的なら良いわけでもない
社会的弱者も生き延びられるようにとか、社会にももっと違ったものの見方考え方を、という提案をしながら
自分達は、自分達を、排除するな 疎外するな と社会に働きかけるポジションを取っていて、自分達は平気で排除する。
排除とは、どういう事かというと、相手の立場や気持ちや権利を、全く考慮しない、配慮しない 人間と思わない 人間扱いしない それで、そういうふうに扱って良い人間だと、決め付ける。変な人 アレな人 だ・か・ら・と
アレだからとか、コレだから、というのは、後付で何とでも付けられて、先に「「相手の立場や気持ちや権利を、全く考慮しない、配慮しない 人間と思わない 人間扱いしない」」 これがあるのではないか?
なごみけいエントリだったのに、なんでこんな事に と物凄く嘆いたかというと、そんな事はなくて、「「相手の立場や気持ちや権利を、全く考慮しない、配慮しない 人間と思わない 人間扱いしない」」 これが できる立場の相手を見つけた!!と思ったからではないのか?
随分と、社会に向けて発信しているパブリックイメージと、違うないかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
普通、キモオタが一方的に発狂した場合の対処はスルーか事務所に任せる。
あの子は、少しでも否定されると、自分が全否定されたと思って必死で噛み付いてくるのよ。だから炎上する。
そんなもん世の中の何処探してもいねぇよ。
ただ、芸能界の方とかはパブリックイメージをきちんとコントロールしているのさ。
コントロールできて居ないから炎上発言するし、ファンと衝突する。
ブログやTwitter斜め読みするだけで、文章の一部分だけ否定されてるのに全力で噛み付く平野綾がいたるところに。
基本的に「ファン=肯定してくれる人」という希望が強いんじゃね?
これを思い出した
その理由となるのが、科学の実像とパブリックイメージと のギャップである。推測だが、科学に対しては「さまざまな問題に対して、曖昧さな く白黒はっきりつけるもの」というイメージを抱いている人が多そうである。もちろ ん、現実にはそうではない。科学は本来曖昧なものである。科学者に質問したとして も、いろいろな留保条件をつけたりいくつもの言い訳をした上で、しかも往々にして 歯切れ悪く曖昧な結論しか出せない。科学者の態度としてはこれが普通なのだが、パ ブリックイメージからすればこれはあまり科学らしくない。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/nisekagaku_nyumon.html
自らプロや絵師を名乗る人がいてコメントが感情的に見える。本物かどうかわからないけれども。
「私、絵を描いているけど~」
絵師とはこういうものだ・・・という共有されたパブリックイメージがあって、
それが果たしてイコールの姿かと言えばそうではない。結局のところ、理想でしかない。
それをもって絵師という存在をかろうじて精神的に支えているのなら
それはなんとも貧しい根拠だと思う。たとえこれが良いのか悪いのかは別としてだ。
絵を描くという姿勢については個人差がありすぎる。
それを擁護できるのは苦しさをいかに耐えてきたのかに尽きる。
とはいえ、必ずしも苦行を行えば向上するのかと言えば正しくはないけれど。
苦行と思わず当たり前のことだと本人が思っているのなら、それは正しい。
これは自信もっていいと思う。だけどいいわけに使うのはやめたほうがいい。
当たり前のことだとおもってやっているからこそ、その行いに人は感化されるもので
付き合い始めて2ヶ月。
どっちも三十路だし、 大人の恋愛をしているのかと思っていた。
淡々と週末に週一ペースで付き合ってきた。
互いの家は100kmほど離れているので仕方ないのか。
どこかガードも硬かった。
こちらもちょこちょこ粉をかけるのだけど、反応は控えめ。
攻めどころが分からず、これは難物だなあ...と感じた。
「今日は帰りたくないなあ」
男の礼儀として、これは引き留めないと。
食事後、近くの公園に連れ出すと、
近くに座っていた学生ぐらいのカップルが唖然としてこちらを凝視していた
某高級ホテルに転戦。
部屋に入った後、シャワーも浴びず、そのままベッドの上に。
疲労困憊していたオレ。肝心のモノはきちんと機能しなかった。
ひたすら愛撫を求める彼女。
30代女の性に対する貪欲さをいやというほど思い知らされた。
でも、快感を求めて体をぶつけてくる彼女の恍惚とした顔を見ながら、
食事でも買い物でもセックスでも何でも、
女の嬉しそうな表情を見るのが、男の最大の喜びなんだよなあ、
と改めて認識した。
今朝5時半に解散。
昼休みに骨身にしみているところです
まず言いたいのは、あなた自分をもっと好きになりなさいってこと。
あなたはあなただから、自分を旦那さんと同一視しすぎるのをやめたほうがいいよ。
みんな言ってるけど、旦那さんができることを全部できる必要とかないし。
旦那さんが存在しない、自分だけの世界をちゃんと作った方がいい。
あと、間違ってるのが
相談したところで、彼らに迷惑をかけるだけで、なんの解決にもなりません。
なるよー!!!
周りはそう思ってるのは、勘違いだってちゃんと教えておかないと。
パブリックイメージを大事にしても、実際の自分とは違うんだったら絶対無理が出る。
旦那さんの誤解を解くことが難しいみたいだから、それ以外の人に分かってもらうこと考えようよ。
夫に対して猛烈に嫉妬する
http://anond.hatelabo.jp/20080518030942
続き(1) http://anond.hatelabo.jp/20080518115202
続き(2) http://anond.hatelabo.jp/20080519013707
続き(3) http://anond.hatelabo.jp/20080519141444
精神的な病気なのかもしれないなあと思って、頭の中を整理するために、増田でまとめます。
以前、「夫に対して猛烈に嫉妬する」という日記を書きました。その時はただの殴り書きでした。実際には、書いていなかった事実があります。
>「包丁を突き立てるほどにいらだつ自分」
これですが、私がやったことはこれだけではありません。その後、所謂リストカットと似た行為、私の場合は足や上腕部など目立たない部分を切ったり刺したりしています。夫がいないときに行い、その後の処置も適切に行うため、この事実は私しか知りません。
怒りのやり場というか、わき上がる衝動をどうして良いのか判らず、自身の体であれば誰にも迷惑はかからない、といった感じで行っています。したがって、怒りが起きる要因が起きた直後でなく、その感情をその場ではプールし、その後、問題のない環境が整ったときに一気に自分の体に対して衝動をぶつけるといった感じです(判りにくいでしょうか・・・うまく説明できないのですが)。
本当は打ち解けた友達や、両親などに相談すべき事なのかもしれません。「私は病気かもしれません」とか。
しかし、私のパブリックイメージというか、家族、夫、友達から見た印象は、強くて明るくてたくましい人というものです。どんな困難にも打ち勝ってきた人だといった感じでしょうか。相談したところで、彼らに迷惑をかけるだけで、なんの解決にもなりません。できれば家族が知らないうちに病院へ行き(もしくは自己療法などをし)、家族が知らないうちに直したい。いい方法があればいいのですが。
かつて、こういう二面性というか、誰にも頼りたくない、誰にも迷惑をかけたくない、その代わり辛いときは自分に八つ当たりをする、というスタンスがおかしいと思い、心療内科に通ったことがあります。その際の診断は鬱病で、リタリンをしこたま処方されました(当時鬱病患者にリタリンを処方するのはある一定の病院では自然な流れでした)。
> 私は学生結婚した相手がキャバ嬢に貢いで多大な借金をしたため大学中退、必死に働いて返している途中で相手が疾走し離婚、返し終わった
この時期私はリタリンを大量に飲むことで睡眠時間を減らし高い集中力を保つことで人より倍働き借金を返したので、ある意味正しかったのかもしれませんが、私は鬱病ではなかったのではないかと(たぶん)思います。その後リタリンの離脱症状に苦しみましたが、何とか抜けました。
今日私がひとつ、自分では成長した、学んだ、と感動したことがありました。しかしそれは夫にとってはとっくに知り学んでいることでした。この瞬間私は、自分が無価値な存在なのでは、と思うのと同時に、「なぜ自分にはなんの(id:dankogaiが言うところの)giftもないのか」と思い、どこまで努力してもたどり着けない感じにいらだち、その怒りを自分に向けました。吐くまで飲む。飛び降り自殺をして頭が割れてぐっちゃぐちゃになる自分を想像する。ヘッドフォンをして世界を遮断する。いろいろやりますが最終的にどうしようもないので、太ももに刃物を刺したりします(ちなみに物凄いテンションなのであんまりいたくないです、後からいたいですけど。交通事故にあったときみたいな感じですね)。
夫は何も悪いことはしていません。ただ「えーそれ知らずに今までやってたの?」みたいなことを言ってたような気がします。文字にすると嫌味にな感じになりますが、至って普通の会話です(何度も言いますが「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」のトーンです)。本人に悪気はないし、そもそも夫に能力があることは悪いことではなく素晴らしいことであり、悪いのはそれに嫉妬したり追いつけないからといらだつ私です。その部分、病気ではないかと思い始めました。病的、ですよね?
思えば id:dankogai の奥様も、id:jkondo の奥様であるところの id:reikon も、gift を持っている夫を支える良き妻ですよね。id:dankogaiの奥様がどのような方かはあまり存じ上げませんが、id:reikon は会社でも総務法務会計周りだし、私生活でも家事全般請け負ってる感じで、いわゆる「良き妻」ですね。
一方私は夫に追いつきたい、ちょっと進んだと思ったらまた向こうが大幅に成長して幅を開けられ、みたいな感じで本当に最悪の妻だと思います。キモいですよね常考。でも、これは私のアイデンティティの問題でもあって、自分の仕事の能力が夫より低いから家事に専従する、というのは(すいません今から主婦の皆さんを敵に回します)、奴隷になった気分なのです。
悪いのは私の性格?病気?なので、離婚はしたくないし、病気なら直したい。今涙を流しながら文章を書いています。感情がコントロールできていないので文章が支離滅裂かもしれません。すいません。誰にも言えないことなのです。子供も夫も寝た夜中に、増田で書くしかないのです。
どれだけ頑張ったらいいのでしょう、育児もあるので勉強時間も朝の5時から6時の一時間くらいしかとれない。6時から弁当を作って、7時半くらいには二人が起きてくる。仕事は10時から19時。それから子供を迎えに行って、ご飯作ってお風呂の支度して子供が寝て、洗濯して干していろいろしたら22時くらい。それからちょっとネット見たりして調べ物する、そうこうしてるうちに0時がくる。勉強する時間が全然ない。みんなはいつ勉強してるのだろう。仕事に絡んだものなら仕事中に勉強できるけど、それも根本的な解決にはならない。
ちょっと混乱しています。また辛くなったら増田で書きます。