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2007-06-10

疑問点

http://anond.hatelabo.jp/20070610190723

  • 広告主のせいで中立な報道ができない。
    • 「中立な報道」って存在するの?ある事実を伝えるとき、全ての情報を取捨選択なくして丸ごと放り込むことは不可能なので、一定の意図を持ってディレクションする必要はどうしても出てくる。このとき、「中立」というのは何を指すの?それに、一つの報道だけで中立性云々ではなく、様々な情報の山の中に放り込むと、「これはこの大きさで報道する」「此れは報道しない」という取捨選択も存在する。つまり、「報道する」という時点で価値判断存在している。その判断基準が「(その人々にとっての)正義」だったりはしても『中立」というのはあり得ないんじゃない?ただまあ、広告の有無という観点で見れば、広告主の存在によってその価値判断広告主に遠慮する方向になってしまうというのは普通に理解可能。あと、現実には広告主だけでなく、その情報流通に大きく左右する企業も強い影響力を有していることを忘れてはならない。(文春キオスク不買事件が有名)
  • ニッチな専門媒体は、広告の取れる業界・種別の、狭い業界誌しか続かない。
    • なぜ紙限定なんだろう?ニッチな専門媒体はむしろウェブでこそ活躍の余地が大きいし、実際色々あると思うし、紙はまさにこの分野でウェブに食われたんだと思うけれど。あと、「狭い業界誌しか」とあるけれど、そうでないニッチな専門媒体って、どういうものをイメージしているんだろう?ピンと来ない。
  • チープ革命によって、広告単価もチープ化、新規参入が困難に。
    • なぜ?ウェブには単価が低くて安くて細かい広告が山ほどあるけど、そこには個人が独立したような代理店もいっぱい絡んでくるし、スキマは山ほどある。大手にとってはゴミ仕事でも小さいところには十分利益が出せるし、ちゃんとした仕事ができるニッチな代理店というのは実はかなりニーズがある。みんなドブに捨てるような細かい広告を出しているんだから。

「現状、ひとつだけ案がある。国が払う。でもこのモデルがうまくいかないのはNHKを見ればよくわかる。」

まず、NHK公共放送であって国営ではないし、国が払わなければならないという必然性が見当たらない。「中立な報道」のため?でもそれは国がコストを支払うことによって担保できるわけがない。メディアとは(この匿名ダイアリーのすぐに忘れ去られる書き込みですらも)全て権力であり、権力は他の権力とのパワーバランスの中で存在せざるを得ないのだから。それはたとえその権力がどれだけ万人の望む正しい志を抱いていたとしても避けられないことで。

まあ、正直なところ、一番の権力者消費者だと思うけどね。

2007-02-22

[]Ver. 0.35

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以下、未発達ネタ

2007-01-06

みなさんは、「ニセブクマ」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。

これは、見かけはブックマークのようだけれども、実は、ブックマークとはとても言えないもののことで、「疑似ブクマ」や「似非ブクマ」などとも呼ばれます。

『そんなものがどこにあるんだ』とお思いの方も、例として、「無断リンク禁止」や、「これはひどい」などのタグを挙げれば、『ああ、そういうもののことか』と納得されるかもしれません。それとも、かえって、『え?』と驚かれるでしょうか。

例えば、皆さんもよくご存知のように、『無断リンク禁止は間違い』と盛んに言われ、ひところは大手ブックマーカーもこぞってブクマするほどのブームになりました。無断リンク禁止関連のエントリーブクマされたのは、もちろん、無断リンク禁止は間違いということに確かな裏づけがあると信じた人が多かったからでしょう。はてな界隈でも頻繁に取り上げられましたから、それを疑えという方が無理な話かもしれません。

しかし、実は、無断リンク禁止は間違いという確かな根拠は、ほぼない、といってよいのです。あのブームは、まったくの空騒ぎでした。大手ブックマーカーまでが、なぜ、その空騒ぎに乗ってしまったのか。きちんと検証しておく必要があります。

いまは、無断リンク禁止を訴える個人サイトに、人気が出てきているようです。しかし、実のところ、無断リンク禁止を訴える個人サイトブックマークをしたところで、せいぜいお守り程度の効果しか期待できません。

いま、このような、ブクマのようでブクマではない、「ニセブクマ」が蔓延しています。

こういった「ニセブクマ」のなかに、個人攻撃や晒し上げに関わるものがあります。その話をしたいと思います。

よく知られている例の一つは、『無断リンクは禁止します』とくりかえすいわゆる「tinycafe=Yoko」へのブクマです。しかし、このブクマに、科学的に信頼しうる有益性はないのです。その意味で、これもまた「ニセブクマ」です。

もちろん、tinycafe=Yokoの行動にもそれなりの問題性がありますから、ネットマナー形成に影響することはあるでしょう。しかし、それだけなら、はてブの一部のブックマーカー2ちゃんねるの利用者などでも同じです。その行動をブクマすることとは、まったく別の話なのです。

ところが、このブクマは、はてブ関係者に広く受け入れられています。全国各地で、有力ブックマーカーや小規模ブックマーカーブクマがなされているようです。

もちろん、tinycafeはてなを訴えるとか消し去るとかいうので困っているというはてなユーザーは多いでしょうし、はてなブックマーカーもそういう風潮を何とかしたいと思っているのでしょう。

そういうみなさんにとって、tinycafeへのブクマが一見、福音に思えたことは分かりますが、効果のないものに飛びついても、仕方がありません。

そもそも、無断リンク禁止などtinycafeの問題行動を何とかしたいというのは、ブクマの問題ではなく、tinycafeとの対話の問題だったはずです。tinycafeが四六時中問題行動をして困ると考えるなら、やめるようにきちんと対話するべきでしょう。問題の処理をブクマに求めようとしてはいけません。

もう一つ、今度は、タグにまつわる奇妙な説を紹介しましょう。

エントリーに「これはすごい」とタグをつけると、質の高いブログができ、「これはひどい」とタグをつけると、質の高いブログができないというのです。

ブログというのは個人サイトの一種ですから、これは、タグの良し悪しがサイトの内容に影響を与えるという主張です。しかし、もちろん、そんな馬鹿なことはありません。

ブロガーは、ただの人間です。ブクマをいちいちチェックする暇もなければ、はてブコメント意味を確認する手立てありません。『ブログブクマタグに影響される』など、いい大人が信じるような話ではなかったはずです。ところが、これが広く信じられています。『「これはすごい」はリファラーのないブログにも伝わるほど良いタグだ』といわれると、それだけで、『便利な機能』だと思い込んでしまう人は、意外に多いらしいのです。

これらのタグが、いくつものブックマーカーによって、当然のように使われていることが問題になっています。すばらしいエントリを広めるのに、格好のタグと思われたようです。

しかし、本当にそうでしょうか。

このタグは、たくさんの問題をはらんでいます。

まず第一に、明らかに科学的に誤っています。ブログコメント欄炎上が言われる今、アクセス解析常識だからといって、ここまではてブ内部タグを、外部にも伝わるタグであるかのように考えていいはずがありません。

しかし、それ以上に問題なのは、ブログへのコメントの代わりを、ブクマタグというまったく別のものに求めようとしていることです。

タグは、ブックマークの分類の手段ですし、ブックマーカー同士のコミュニケーションの手段ですから、その使い方は、あくまでも、ブックマーカーが自分の頭で考えなくてはならないはずです。「これはすごい」はどんな状況下でもいい言葉なのか。それを考えてみれば、この話のおかしさは分かるはずです。

tinycafe」が対話の手段をブクマに求めるものだったのと同様、ここでは、コメントの代わりをブクマに求めようとしています。それはブクマに対して多くを求め過ぎです。

対話もコメントも、人間が自分の頭で考えなくてはならないことであって、ブクマに教わるものではないはずです。

さて、「ニセブクマ」が受け入れられるのは、ブクマに見えるからです。つまり、ニセブクマを信じる人たちは、ブクマが嫌いなのでも、ブクマに不審を抱いているのでもない、むしろ、ブクマを信頼しているからこそ、信じるわけです。

たとえば、無断リンク禁止がブームになったのは、『無断リンク禁止は悪く、無断リンク禁止への非難は良い』という説明を多くの人が「ブクマからの知識」として受け入れたからです。

しかし、仮に、ネット有識者に、『無断リンク禁止は間違いなのですか』とたずねてみても、そのような単純な二分法では答えてくれないはずです。

ウェブサイトといってもいろいろあるので、中には無断リンクを禁止すべきでないものも、閲覧制限したいものもあるでしょうし、自由にリンクをしていいといってもリンクされすぎればサーバーに負担も起きるでしょうし、ぶつぶつ……』と、まあ、歯切れの悪い答えしか返ってこないでしょう。

それがインターネット的な誠実さだからしょうがないのです。

ところが「ニセブクマ」は断言してくれます。

無断リンク禁止は間違いといったら間違いだし、tinycafeはおかしいといったらおかしいのです。

また、無断リンク禁止を見逃すとなぜ良くないのかといえば、それが正しくなるからです。

これはすごいは、もらったブログがいいエントリーをたくさん作るから、良いタグなのです。』

このように、「ニセブクマ」は実に小気味よく、物事に白黒を付けてくれます。この思い切りの良さは、本当のブクマには決して期待できないものです。

しかし、パブリックイメージとしてのブクマは、むしろ、こちらなのかもしれません。『ブクマとは、インターネット上の様々な情報に対して、曖昧さなく白黒はっきりつけるもの』ブクマにはそういうイメージが浸透しているのではないでしょうか。

そうだとすると、「ニセブクマ」はブクマよりもブクマらしく見えているのかもしれません。

たしかに、なんでもかんでも単純な二分法で割り切れるなら簡単でしょう。しかし、残念ながら、世界はそれほど単純にはできていません。その単純ではない部分をきちんと考えていくことこそが、重要だったはずです。そして、それを考えるのが、本来の「合理的思考」であり「科学思考」なのです。二分法は、思考停止に他なりません。

「ニセブクマ」に限らず、良いのか悪いのかといった二分法的思考で、結論だけを求める風潮が、社会に蔓延しつつあるように思います。そうではなく、私たちは、『合理的な思考プロセス』、それを大事にするべきなのです。

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