はてなキーワード: 高橋留美子とは
「絵柄で嫌いというよりもその姿勢が創作家として心底つまらない、変る姿勢がまるでないのが一番嫌いな理由」
これには正直同意してる。高橋留美子に作家としては魅力感じない。応援したいという気持ちにはならない。
また「違う、わかってない」とか言われそうだけど、あなたが高橋留美子を嫌いな理由にはけっこう共感している。でも度々いうけど、そこが好きなんだよな、ファンは。
私は「ファンはダメなところが好きだ」って言ってるんだけど、あなたは「ダメなところがあるからファンが減ってる」って言ってるから話がかみ合ってない感じがするんだな。私は残ってるファンの話をしちゃってるのね。
高橋留美子の最近のファンって「時代に合った変化ができてないところが好き」もっと言えば「古いから好き」なんだと思う。80~90年代の文化がリバイバルしてるからその流れで読者が増えてる。私もその一人。そういう人は昔の作品しか読まないから、進化してなくても関係ないし、作家の現状を応援するということがないから創作家としての姿勢とか関係ないんだよね。なんならダメなほうが好きなんじゃない?メタ的な楽しみ方だから。
しかし、そんなに嫌いさを主張したい動力源がよくわかんないなー。わざわざ好きな人のとこまで行って説明するから怒られるだけじゃないの?
「自分が好きなものを嫌いな人がいる」と「自分が好きなものを否定してくる人がいる」は全然違って、あなたのは後者に感じられる。よーするにマウンティングに思える。
ところがアンパンマンもドラえもんもサザエさんもクレヨンしんちゃんも時代に合わせてマイナーチェンジはしてるんだよね
内容もビジュアルも
特にマスコットキャラクターは時流にそって変化してきたのが生き延びてるし大きくなっている
でも高橋留美子の最新作の境界のrinneは売上順調に落ちて行ってるし
全盛期の犬夜叉も超えられない
サンデー読者の若い子に言わせたら古いという感想が真っ先にくるし
長年追いかけてきたファンでさえ苦しくなってきたという感想もチラホラみる
変化をやめたオタクだけに受け入れられたとしても商業的な成功とも芸術的な成功とも言えない
変わるべき
逆説的に言えば連載が続いてるからこそまだ受け入れられる余地があって
連載やめたら古い絵柄というだけで誰も読まなくなる
完成されてると思わせてくれる、とでも言えばいいだろうか?安定感。
私はむしろ完成形というのはあると思ってて、たとえばアンパンマンのキャラクターがそんなに変化してたらこんなに受け入れられない。
売れるキャラクターというのはある程度安定してなきゃいけない。安定させるのも一つの表現の進化。
高橋留美子がもっと変化したら面白いかもしれないのに、とは私も思うが、それで高橋留美子の世界が壊れてしまうのも嫌だなあと思ったり。
上手くなるといっても
上手くなる≠リアルになれ であって
あの絵柄をもっと生かす進化の仕方というのが何かしらの余地で残ってると思うのよ
「高橋留美子の絵柄」を進化させれるのは「高橋留美子しかいない」のよ
そりゃ絵柄が変ることで失敗することも当然あると思う
けどそしたら元に戻せばいいじゃない
俺が確認する範囲では高橋留美子が実験的に絵柄を変化させようと頑張ってた時期って1度も確認できない
挑戦しようとしない
進化しようとしない
書いてて気づいたけど絵柄が下手というのは言い訳で
どちらかというと変る姿勢がまるでないのが一番嫌いな理由だと思う
いつまで古い漫画書いてるんだという印象が強い
ジョジョを読めない人がいるのと同じで、絵柄は好き嫌いあるからなー。
ファンだけど絵は上手くないと思う。
でもうまくなったら魅力がなくなると思う。私は逆に、絵柄が変化してしまった作家の昔の絵柄が好きなことが多いなあ。
あと、話もマンネリで進化ないし、結局キャラが時代にハマるかハマらないかってだけだから、最近作は読む気しない。
増田が嫌ってるところがそのまま高橋留美子の魅力なのだと思う。
まず単純に絵下手だなと
好みの問題も勿論あるけど
下手だなと
思うわけですよ
でも素直にそういうと高橋留美子ファンは顔真っ赤にして怒るわけですよ
良さが分からないなんてとか
写実的でない上手さもあるとか
でもやっぱり俺は下手に見えるわけですよ
なぜか?
絵柄が全然変わらない
自分の絵柄に満足してるんですよ
変わることを正としてないんですよ
あれはある種の惚気話ですよ
昔と今見比べたらほとんどの作家が今の絵柄の方が上達してて良い印象を持つんですよ
※一部例外あり
だから変化を拒んでる高橋留美子はやっぱり俺の中でずっと下手で嫌いなんです
どんな内容で連載されても絶対読まないしタダで読めても読みません
いっつも同じだから
高橋留美子は嫌いです
あ、でもらんまは大好きです
書誌情報に50冊目であることが確認できる作品(よって超人ロックは該当しない,石ノ森の文庫版マンガ日本の歴史は一応該当とする),サブタイトルは割愛,同一作品でも合算はしない(ドラえもんプラス,ダイヤのAact2等)
サザエさんを追加,クレヨンしんちゃんを追加,絶対可憐チルドレンを追加,キングダムを追加,(試験的に)文庫版のマンガ日本の歴史を追加,劇画人間革命を追加
これ、本来は話が逆で、ラブコメの最弱属性って「ありきたり」なんだよね。
極端なことを言うと、「幼馴染で憧れのあの子、しか出てこないラブコメ」なら、ソイツとくっつくしか無い。
んで、主人公が男で、セクシーなオトナの女性っていうのは、一般的に言えば「かなり強い属性」になるわけだ。
で、その強い属性とくっつくなら何の意外性もないし、そもそもラブコメにならない。
ハリウッドの映画なんかで顕著なんだけど、「本当の○○とは☓☓だった」みたいなのがウケるのよ。
だから、スポ根ものなら最後に負けても、実はこういう意味では得るものがあった、みたいになってる。
「一般的に人気が出そうで男性が好きな属性持ち」がちゃんとヒロインになるのは、相当難しい。
まあ、セクシーな年上とくっつくんだったらそりゃ普通だろと言われない組み立てが上手いから高橋留美子は天才だと思うわけだが。
めぞん一刻とか。
宇野常寛の「母性のディストピア」が刊行されることを記念して、私が宇野にブロックされた時のことについて書こうと思う。
立命館で「サークルクラッシャー研究」なんてしょうもないことして卒業後サラリーマンやりながらミニコミの編集から身を立てて今や地上波キー局のコメンテーターにまでなったんだから。NHKじゃ時の人として特集まで組まれたよ。誰彼かまわず喧嘩を売って、使えそうなオヤジには取り入って転がすホステススタイルは誰にも真似できるもんじゃない。
で、ブロックされた時の話だけど、メンション飛ばしたり、引用RTしたりしたわけじゃない。
おそらく彼のシンゴジラの批評についてくさしたツイートを宇野がエゴサーチして見つけたんだと思う。
ツイートの内容は「宇野はいつまで大澤真幸や宮台慎司の残飯整理してるんだ」みたいなもの。
ブロックされた時、まず「小せえな」って思った。
普段、テレビのコメンテータとしての発言が炎上すると「耳障りの悪いことには耳をふさぐ愚民どもめ」みたいなこと言ってるくせに批判されるとこれかよと。尊敬してたのに見損なった。
次に「宇野はいつまで大澤真幸や宮台慎司の残飯整理してるんだ」って私の批判は妥当かどうかって自己反省をしてみた。
①戦後の日本をささえた「大きな物語」は失効したから、これからは中間共同体に依って自立して生きていくことが大切だ。
②村上春樹ファンとか高橋留美子ファンとか、母性に依存した惰弱なオタクは死ね。
前者については大澤真幸や宮台慎司90年代前半から言ってきたことで、これをいまだに繰り返しているのは芸がない。後者についてはそもそも誤読だが、百歩譲ってもほっとけよっていう程度でイキるような話でもない。そもそもこうしたマチズモ的な言説そのものが「大きな物語」への郷愁であり、まさに自家撞着に陥っている・・・とか書けば宇野風批評いっちょ上がり。安っぽい。
宇野のサブカル批評は対象を都合よく解釈、編集、捻じ曲げてこの1か2のどちらに接続するだけのものだ。
映画評論家の町山は「評論って串焼きみたいなもので、客観的なディテールや背景の事実などをできるだけ集めて、最後に自分の主観という串で貫く。集めた材料の量や質、それを外さずに貫けるかどうかで味(面白さ)、強さ(説得力と喚起力)が決まる」って言った。
宇野の批評は串ありきで、串に合わせて都合のいい材料を集めているだけだ。
考えれば考えるほどブロックされるようなことを言った覚えはない。
何がいいたいかというといちいち裏垢でツイート読むの面倒だからブロック解除してほしいのと、どうせくだらないんだろうけど「母性のディストピア」読むってこと。
あと教養のない若者は仕方ないと思うけど、あまり宇野の批評とか真に受けないようにな。
以上。
昨今ハヤリの、オタクの内ゲバじみたネットの「漫画ポリコレ論争」って、
どうもそもそも両者が「共有してる認識」からして古い感じがある。
この数年でとっくに「オフェンド(排撃や差別)されない楽しさ」って方向に
シフトしてるんだけど、なんかそういう視点はあまり見られない。
例えばアニメ化されてる「斉木楠雄のΨ難」「境界のRINNE」などは、
国内でも海外でも「キャラクターの扱いが差別的じゃないのが好き」って感想を
ネットを見てるだけでもかなりいっぱい見かける。
「理不尽な暴力は笑いに繋がらないと学んだ」と作中人物に言わせてもいて、
その辺かなり自覚的に合わせてきていることが伺える。
面白いのは、「RINNE」の作者は「らんま1/2」の高橋留美子だということで、
「古き良きエロコメ」の中核を担った人物であるはずなのだけど、
昔の読者が終わった作品の呪縛から未だに逃れられていないのは、
もちろん実際には両作品ともにまだまだ誰かを傷つけていそうな部分はあるし、
特に海外の感想は好意的な誤読と言うか、主に文脈を理解してないという理由で
ともあれそういうトレンドは確実に既に来ていて、結果も出しているのに
高橋留美子展の特別アニメでは日暮かごめと女性化していた早乙女乱馬をナンパしており、その際にかごめに「弥勒様の子孫!?」といわれている。ちなみに、原作ではガールハントの際には女の子に住所と電話番号を聞いていたが、このアニメでは携帯電話を所持し、2人にメルアドを聞いていた。
しのぶがヒロインから転落したから今度は転落させないみたいなのを見た覚えがあるけど、あかねとシャンプーや右京なら確かにあかねの方がヒロインだけど、あかねと乱馬なら圧倒的にヒロイン力で負けてる感じがする。
ウィキペディアで諸星あたるを見てたら予想外な話が多かったので以下コピペ
実在の人物である漫画家の諸星大二郎と巨人の江川卓の弟、江川中(あたる)に由来する(少年サンデーグラフィック誌上の原作者インタビューより)。様々な災厄に見舞われるという意味で「諸々の星に当たる」に、上記の名前をそれぞれかけたものであると考えられている。
諸星大二郎はレンタルビデオ店に入った際、突然「よく来たな諸星!」と言われ、あたりを見ても近くに誰もいないので気味が悪くなって出ようとしたら「どこへ行く諸星!」と言われ、おもわず立ち止ったと言う。後になって分かった事だがこれはうる星やつら2 ビューティフル・ドリーマーにおける面堂の台詞で、丁度レンタルビデオ店で流していたビデオだった。(高橋留美子展に展示されたイラストのコメントによる)。
『銀河英雄伝説』で無類の女好きという設定のオリビエ・ポプランというキャラがいるが、彼はファンから「イゼルローン(同作品内に出てくる要塞名)の諸星あたる」とあだ名がつけられる[12]。後に作られたOVA版でのポプランの声優はあたると同じ古川登志夫となるが、これは製作が同じキティ・フィルムであったことと、ファンのつけたあだ名も知られていたからでもある。
アニメ版におけるあたるの歩き方はガニ股であるが、これはチーフディレクターである押井守が最初に切った絵コンテの通りに作画されてしまったため(押井はガニ股でしか歩く絵が書けなかった)。押井は後に「そういう(あたるをガニ股に描いたような)ところが原作者の逆鱗に触れたんじゃないかな」と振り返っている[13]。
私は男だけど姉が二人いたから少女漫画を読むの普通だったんですよ
とにかく作家の主張したいことや物語の流れのようなものが独特で、主人公の意識のようなものが外に向かってないんだよね
ライバル校に勝つ!世界を救う!みたいな外への何かとの接触というものが少ない
フォーマット上そのようなものをやっているものはいくつかあったけど、結局どこか自意識と内面の描写に重点が置くものが多い
増田とか見てても、これ女が書いてるなってわかるようなのは、どこか自分と会話してるんだよね
ちなみに自我の向きの話、アメリカ人男性が一番外に向かってるよね
サンプル数が雑だけどこんなかんじ、俺の交友関係が狭いからこのくらいしかわからんけど
結構ブクマされてたので追記すると、まぁ偏ったサンプルではあるよね
アメリカ人女性が何を見てるのか、なにを描いているのかわからないので何ともいえない
アメリカンコミックスとか女の人が書いてたりするの?おれはよくわからないけど
それはそうとブクマのセカイ系の話でいうと庵野秀明をはじめとしてあの世代は少女漫画の影響受けてるよね
たとえば、かわいい女がさえない主人公に無条件で好きになる系ってこれ少女漫画のパターンなんだよね。
性別逆にしたらもろ少女漫画でありがちでしょ、自分に自信がもてない主人公の女の子がクラスの人気者に気に入られるっていう超受け身な漫画
美少女ころがり無条件すきすき設定は高橋留美子あたりがうる星やつらでやったんだと思うけど、作家が女性なのは納得だよね、少女漫画でありがちだから
キャラクターの造形(でかい目)とか、でかい汗マークとか、近年の萌え界隈というかいけてないオタクが消費する漫画
そして内向的な主人公の流れは確実に元ネタは少女漫画にあったと思うよ
そもそもなんだけど、なぜ日本人はアメリカ人に比べてイノベーションが起こせないのか
なんてことを考えてた時にこのことを思いついたんだよ
アメリカ人より勉強ができるアジアのイノベーション問題ってあるわけで
女は学校の成績で男と変わらないどころかむしろ良いなんてデータもあるけど
そんで社会進出ができないのは女が差別されてるからだって話になるんだけど
でも俺はこのさっきから言ってる自分との会話にあるんじゃないかってことにつながるのよ
イノベーションだけじゃなくて、ハンバーガーチェーン一つとってみても世界進出が半端なくない?アメリカ企業って
あの感じがアメリカの強さだと思うんだよ
日本企業って言ったらなんか、最近の海外進出のニュースの常套句でよく聞くのは「人口減少時代の生き残りのために世界進出が加速」ってやつね
もうね、仕方がなくやります、シンジがゲンドウにいわれてエヴァに乗りますみたいなしょうもない感じ
アメリカは人口減少もしてないのにねw、「乗る乗る!おれが乗りまーす」って感じしない?
ビジネスとかイノベーションって外の問題との対話にあるからさ、頭の中で完結してもしょうがないじゃない?
外へのアプローチこそビジネスってことで考えると、アメリカ人男性のビジネス力とか納得するのよ
アメリカ人って勉強はできないけど外へのアプローチ、対話、アピールで秀でてるじゃない?
って感じじゃない?
BLとか宝塚とかジャニーズとかすごい暗黙知ローカルルールすごいよね
そんなことを考えて、そういえば少女漫画って内輪世界の構築だよなって、自分と会話してるなって思いが浮かんだんだよ
コミュニティの構築やルールの明確な定義とかコミュニケーションとか
やれ技術力とかいいながら内にこもりがちじゃない?日本企業って
外との対話ができないからさ、日本企業がモノにこだわるのも、技術者が内にこもってモノにその代弁をさせようとしてるんじゃないか
サービスというかITなんてプログラマーが外にたいして語らないといけないからね
女関係ない話になったw
まぁとにかくイノベーションのこと考えてたら、日本人とか日本人女性のことになって
少女漫画が思い浮かんだのよ
それだけ