はてなキーワード: 視力とは
あなたが考えているようなことを実行したら藝大合格しましたよ、という話だったらもっと心強かったですよね。
その代りと言ってはなんですが、美大ならどこでも合格できますよ。
眼がいいのは何よりですので視力を落とさないようにしてくださいね。
3列目だと視力1.0でも厳しい感じがします…今は倍率40倍もないようなのでそんなに混まないのかもしれませんが、こればかりはやはり運ですね。
あとこれはあなたにはまず起こらない特殊な事例だと思いますが、受験中、昼食をちゃんととったにもかかわらず、まるで低血糖のような状態になって目眩で倒れそうになってしまったんです。
それで母に持たされた飴をこっそりなめました。
飴を隠し持っていると役に立つかもしれません(その場合、見つからないようにしてくださいね)
あなたは目的意識もコミュ力も高いしきっと有意義な藝大受験生活が送れると思います。
任天堂は7年経つ頃にはどうなっているかわかりませんが、もっと面白いことが見つかったときに絵を描きまくった経験が必ず役に立つでしょう。きっとそういうことが出てくる気がします。
失敗談も役に立てばと思い投稿した次第です。
元増田です。
私の想定するような進路を実際に歩まれた方からのご回答は物凄く心強いです。ありがとうございます!
視力については私は両目共に1.0ありますので、問題はないかと思いますが、3列目に配置されてしまうと圧倒的なディスアドバンテージなのは同じですので、池田満寿夫さんの例を踏まないようにこれは運に祈るしかないですね…。
「一次試験では眼がすべてを決めると言っても過言ではありません。」
沁み入ります。心に留め、受験の際は眼のコンディションに細心の注意を払いたいと思います。
私より遥か年上の浪人生との交流ですが、この点についてもある程度自信を持っています。
中1の時に美術部に入り、その当時中3だった先輩達とすぐに仲良くなり、同期同然といった仲で一緒に遊ばせてもらっていたので、年上の先輩との良好な人間関係構築は楽しく行っていけるかなと。
いずれにせよ予備校昼間部の同じ科という極めて狭い空間で長い時間を一緒に過ごすことになる仲間(でありライバル)なわけで、好ましい関係が築いていけるよう努力したいですね。
失敗した時に損切りする柔軟さ、保険を掛けておくといった心得は、他の多くのトラバやブコメにて指摘を受けましたので既に準備ができています!ですのでその点でも大丈夫……と言いたいところですね。
現役時は藝大専願で受験しますが、1浪時は私大との併願で臨み、この場合も藝大に落ちた場合はその結果に対して柔軟に対応し私大への進学へ切り替えようかと。また就活の際には任天堂専願というわけではなく、多くの有力ゲームメーカーも同時に受けるつもりです。任天堂に落ち、やむなく他ゲームメーカーに入社するとなった場合は、その会社にて何年か研鑽を積み、中途採用枠にて任天堂を受ける予定です。
高一から予備校通いを始められ、藝大受験に挑戦、結果として海外デザイナーとして活躍されているという、回答者様の実際の体験談も伺えとても参考になりました。
私も中学の頃から東京藝大デザイン科志望で、別の理由で高校へ進学しなかった者です。大学受験資格は大検で取りました。
大手の美術研究所に高一の歳から通い続けましたので、あなたが考えているようなことを実行したことになります。
絵が下手だったからという訳ではなく、家族は全員美術系で、私自身も小さい頃から周囲が驚くような絵を描いていて受賞経験もありました。
では何故藝大受験に失敗したかというと、理由は主に2つあります。
藝大受験の一次試験の石膏像は埃ひとつ付いていない真っ白なものが並びます。
陽が当たると白くとんでディティールが全く見えません。
運悪く3列目になってしまった場合、眼が悪いと非常に不利です。
池田満寿夫さんはこのクジ運が悪く、毎回遠くて東京藝大受験に3回失敗したのは有名な話です。
一次試験では眼がすべてを決めると言っても過言ではありません。
2つ目は、3年間描き続けて受験のための美術に飽きがきてしまったことです。
高校に行かなくても学べることはたくさんありますし、時間を有効に使えば後々無駄にならない貴重な経験ができるでしょう。
ただ、15か16歳で周囲は浪人生ばかりになるので友だちを作るのにやや馴染みにくいかもしれません。
社会に出てしまえば歳の差は関係ないですが、その年頃では3歳以上の差は大きいです。
それよりアドバイスしたいのは、もし志望する任天堂に入れなかったり、入ったけれど任天堂が合わなかったり、他にもっと興味を惹かれるものを見つけたときに進路変更できる柔軟性とキャパシティーは持ち続けた方がいいということです。
人生は必ずしも思い描いた通りにならないことが多々ありますし、私自身も進路変更して幸せになりました。
道はひとつではないです。
悔いのないように頑張ってください。
上条春菜と眼鏡は切っても切り離せない存在である。彼女はかつて視力が下がったとき、眼鏡をかけることで世界は明るくクリアなものだと再認識する体験をした。眼鏡に救われた彼女は、眼鏡が持つマイナスイメージを変えるためアイドル事務所の門を叩き、アイドル活動を始めた。現在の彼女の野望は、視力など関係なく誰もが眼鏡をかける社会である。実際に彼女は至るところで眼鏡をプレゼンテーションしているし、それは時に普段はコンタクトをしているアイドルにも及んでいる。
でもちょっと待ってほしい。それって、目的のための手段として正しいのだろうか。
「眼鏡のマイナスイメージを払拭する」ことだけが完全に達成されたとしたなら、訪れる結果は「誰もが眼鏡をかけてもいいし、かけなくてもいい」(眼鏡フリーと呼ぶことにする)社会である。つまり、彼女の望みは「眼鏡のマイナスイメージを払拭する」を通り越し「眼鏡は素晴らしいものだと広める」に及んでしまっている。それは眼鏡は野暮ったい、ダサい(裸眼主義)、という価値観を、眼鏡は素晴らしい(眼鏡主義)、という価値観で上書きする、ということだ。
だが、眼鏡主義と裸眼主義は、ひとつの価値観を強要しているという点で同じである。上条春菜は現状に眼鏡フリーをもたらすつもりで、眼鏡主義を持ち込もうとしてしまっているのだ。もはや「眼鏡はイケてない」と言う人と何も変わらない。
彼女はまだ18歳である。自分の行動の意味に気づかないまま突き進むのは仕方のないことだし、その一途さは彼女の強みでもあるから、それは上条春菜の落ち度ではない。だが、どんな個性でも許容されるシンデレラガールズという世界で、彼女が抱える問題を指摘してくれる人はいない。
かくして上条春菜はひたすらに眼鏡を広めようとする存在になってしまった。それは上条春菜というキャラクターの舵をこの方向に切ってしまった運営の責任である。
だがまだ間に合う。彼女自身が気づいて、方向転換すればいい。掛けたい人は掛ける、掛けない人は掛けない。気分に合わせて、時には別の手段を使い分ける。眼鏡至上主義とは違う、真の眼鏡フリーを目指すのだ。その中には四六時中眼鏡を掛けるという選択肢だってあるのだから、彼女のアイデンティティが無くなることもない。
彼女にとって大きな転換点になるはずだ。上条春菜の次の一手として、どうですか運営さん。
まぁでも、上条春菜というキャラクター自体が眼鏡主義の象徴みたいな面を持ってしまっているから、今更は無理なのかな。上条春菜が「眼鏡を掛けなくてもいいんです」って言っただけで解釈違いで映画のヒトラーばりに怒り狂いそうな人、いるしな。
ちょっと前に、人生初メガネになったのよ。免許の更新に耐えられないくらい視力下がっちゃって。
んで、しばらく掛けてたら、左耳だけ異様に痛い。
で、いろいろ考えて、ちょっと万一だけど、耳の位置が違うのかと思って目尻からの距離を測ったら、左だけ1cmほど長い。
これはちょっと衝撃的だったね。
顔なんてだいたい左右対称だろと思ってたら、センチ単位で違うとか。
何十年も鏡で見てきた顔なのに、気付かないとか。
身近な人も誰も気付いてないとか。
とりあえず、買ったメガネ屋さんに持っていって調整してもらって、その痛みは収まったのね。
ところが、こんど気になりだしたのは、左側が下がることが多いということ。
で、これもまた、距離が違いうるとしたら、高さも違いうるんじゃねって、よく見比べてみたらやっぱり左だけ1cmほど低い。
いや、鏡見たら気付けよ、自分。
こういう非対称が、おそらく、誰しも顔写真を右から撮るのと左から撮るので、どっちがよく見えるかってのに影響してるんだろうな。
たとえば、2012年に国際眼科学雑誌に報告された論文では、イタリアのシエナ大学の研究者がランダム化比較試験を行っている。ある種の眼の病気を持つ140人の患者を2つのグループに分け、片方はビタミン剤療法、もう片方は血液クレンジング療法を行い、どちらで治療効果が出たのか比べてみたのだ。その結果、血液クレンジング療法は特段の副作用もなく、実際にビタミン剤療法を上回る視力の改善効果が観察されたと結論し、抗酸化分子の産生を促すような検査結果も確認したと書かれている。
すなわち、13世紀に創設された由緒あるシエナ大学から、信頼性の高いランダム化比較試験が国際誌に発表され、“有効性”が示されているわけだ。
やっぱり。
レーシック手術をして有りか無しかと問われますと、やはり一言で答えられません。
私は術後数年は「やって良かった」と思っていました。
マリンスポーツなどをやったときには、特に「やって良かったな~」と感じましたね。
「やって良かった」から「やらなきゃよかった」に変わっていった理由は、術後1,2年は1.5見えていたのですが、徐々に視力が下がり始め、15年経過した今、0.4まで戻ってきてしまいました。
成人になってからレーシック手術をしたのなら、視力は半永久的に維持できると聞いたのですが、実際は10年ももちませんでした。
またレーシックをする前にはなかったドライアイが想像以上にとてもつらいのです。そしてそれは術後より、どんどん悪化している気がします。
女性ですから、目にアイラインなどお化粧をすることもありますが、ドライアイによる涙の量が多く、すぐに目のお化粧は落ちてしまいます。冬場などは外に出ただけで、涙がぽろぽろ流れてきてしまいます。
そして自分の涙で目がしみて、痛いのです。
私の場合、レーシックをやったのは右目だけなので、左目との差は歴然です。左目はドライアイにはなっていません。そのうえ、他人が見ても若干右目の方が突っ張ったような、腫れたような感じになってしまっています。
レーシックをした病院に不調を訴えに行きましたが、ドライアイの目薬を処方されただけで、視力の低下に関しては、また手術もできますよ、と言われただけです。
自分も父親似で顔が長いわ口元がブサイクだわガタイがいいわ足がでかくて市販のレディース靴に入らないわ
誰に似たのか皮膚が重たすぎて邪魔くさい一重まぶただわ視力が悪いわ斜視だわぜんそくだわ
こんなに不細工で不遇な遺伝子は親戚のどこを探しても見当たらないくらいブサイクです
母親は風邪薬を飲んだからというくだらない理由でわたしより前の子を中絶しており
自分は本来3番目にあたる子で、中絶さえしなければ生まれてこなかった命です
こんなゴミのような遺伝子をわざわざ押し付けられるために生まれてこなければならなかったのがなぜ自分なのか
親に対して怒りしか覚えません
馬面と罵りながらなぜ母は父親のような人と結婚したのか、本人は仕方なかったと正当化しており
子どもがブサイクに生まれても仕方なくどうでもよかったようです
母親の結婚しろコールに対してブサイクで遺伝子欠損で斜視や視力障碍まであることがどれほど生きることの足枷になっているか
全部ぶちまけられたらどんなに楽かと思います
働いても辛くて泣きそう
誰に言っても「甘えてる」って言われる
分かってるけど、現状をどうにかしたい
接客はアルバイトして無理すぎたから、人と話すのがメインの仕事は無理
そうすると自ずと、営業も無理になる
仕事探ししよう
母親と話していると、知的障害か発達障害があるんだろうなと感じる。精神障害かもしれない。
だから、祖母が高齢出産をして障害児を産んだのか?と思って、祖母が母親を出産した年齢を聞いてみると32歳か33歳で出産したらしい。
高齢出産でもないのにこんな頭がおかしい娘を産んだのか?と思った。
でも、
祖母は母親を出産する前にすでにたくさん子どもがいたため、別に末子はいらなかった。だから、堕胎するつもりだったんだけどちょっとしたことがキッカケになって、母親をおろすことを止めて産んだらしい。
搾取子、愛玩子という言葉があるが、祖母にとって母親以外の子供が愛玩子なら、母親は「罵倒子」って感じである。
自分以外の孫は祖母に可愛がられていたが、自分は祖母に舐められてバカにされていた。色んな複雑な事情もあって、幼いころはとにかく祖母にはバカにされた。
毒母である祖母に育てられたから実母である自分の母親は頭がおかしい人間に成長したのだろうか?それとも自分の想像どおり母親は障害持ちなんだろうか?
母親は発達障害という概念がメジャーじゃない時代で育っているため、ただの変な子として生きてきたんだろうか。母親と話していると母親が健常者とは思えない。元々頭がおかしい上に加齢による視力低下、判断力の低下まで色々と絡んで来ているから余計おかしくなっている。ただでさえ、頭がおかしいのに年寄り特有の頑固さ、バカさがさらに強化される。
タイトルに関して知見が欲しいの半分、愚痴りたいの半分で書く。
斜視はかなり改善してるけど片目は未だに弱視。もう片方も裸眼で遠くは見えるけど本の活字がほぼ読めないから眼鏡必須。
ここ1年くらいで視力が落ちてきて目に力を入れないと手元が見づらくなったので久々に眼科に行った。
初診で散瞳剤を点眼し検査をしたがうまくいかなかったと言われ、後日サイプレジンという目薬を使って再検査をした。
長丁場の検査後「左右2段階ずつ度数をあげますね」と言われ、処方箋を手渡された。そのまま眼鏡屋に直行し眼鏡を購入した。
数日後完成した眼鏡を受け取りに行き、掛け替えて店を出て少し経ったあたりで頭痛と吐き気をじわじわ感じ始めた。
遠近感も妙で夢の中を歩いているような違和感がある。手元のスマートフォンの文字もぼやけるし、駅の電光掲示板は滲んで見えづらい。
初めて眼鏡を買い換えてこういった感覚におそわれたが、じきに慣れるだろうと思い様子を見ることにした。
翌朝になっても何も改善せず、昼過ぎにおかしいと思い処方箋を見直した。
見える方の度数が3段階、弱視の方の度数が1段階上がっていた。
すぐ以前の眼鏡に掛け替えたところ1〜2時間で体調も良くなった。
眼科に逆ではないかと電話すると「おそらくそうだと思うが診ないとわからないので来てくれ」と言われた。
そして昨日眼科に行ってきた。
「前回対応をした者に対応させる」と言われたので「不安なので別の方に対応していただけるとありがたい」と伝えた。
「検査結果通りに処方したがどうやら合わなかったようだ」と言われたので「2段階あげると言われたのにそうなっていないうえ、かけても視力が出ないのはおかしいし逆ではないのか」と言ったら、医師がパソコンのデータか何かを見ながら「確かに逆だ」とかそんなことを小さく呟いた。
改めて正しい処方箋が欲しい旨を伝えたが「遠視の目は測定が難しいので来月専門家(なんたら士?と言っていた)が来た時に再検査したい」と言われた。すぐに眼鏡を買い換えたいと伝えたがしばらく前の眼鏡で生活してくれと言われた。
病院から指定された日は仕事を休まないと来院できないと伝えたがじゃあそうして欲しいと言われ少しイラッとした
腑に落ちない部分はあったが来月の予約をさせられ診察を切り上げられた。
受付で800円程取られて「処方箋が間違っててもお金を払わないといけないんですね」といらない嫌味を行ってしまった。
言い訳すると月のもので体調が非常に悪い上に朝1で受診するため寝不足気味の状態で来院したため精神的な余裕を欠いていた。
もう1度診察室に行ってくれと言われたが、いらないことを言ってしまい申し訳ないしごねたり金を返せと言うつもりはないので会計してくれと返した。
暗所で看護婦数人と医師に囲まれるのは正直嫌だったが強引に診察室に連れていかれた。
医師から「あの処方箋は誤りではない」「こちらは正しい処方をしたが合わなかっただけ」と言われた。
もうさっさと家に帰って寝たかったので「誤りでないというのは納得できないが揉めるのは本意ではないし誤っていたからといってタダにしろとかごねる意図はない。先程の発言はやつあたりということにしてほしい。申し訳ない」と言った。
何言ってるんだこいつみたいな顔をされてなんとなく話が終わったので受付に失礼な態度をとったことを謝って病院を出た。
3度も通って眼鏡代より高い金を払ってこの状況はなんなんだと思ったので、そのまま眼鏡屋に行って処方箋なしでレンズの度数を変更できないか相談した。
本来は処方箋がないと変更できないので駄目元だったがその場で検眼してレンズを変更してもらえることになった。
病院のいうとおり遠視に合う眼鏡を調べるのは難しいと前置きされた上で、左右均等に1段階か2段階度をあげるのが丁度いいだろうとのことだった。
昼前に帰宅してそのまま倒れるように床で寝て夜に起き今に至る。
他の遠視の人もこういう面倒な工程や出費を経ているんだろうかと思って似たような境遇の人がいないか軽く検索したが大半が子供のうちに治るらしいと知って心が折れそうになってる。
わたしの妹から「今日実家に帰るつもりだったけど引っ越しの荷造りが終わらなくて帰れなくなった。明日の朝8時か9時くらいに駅に迎えにきて」とLINEがきて
「大変!今すぐ迎えにいかなくちゃ」と妹を車で駅に迎えに行こうとした。
わたしが「ちゃんと妹のLINE読め。迎えに行くのは明日だよ」と言って、混乱している母親の代わりに妹に「了解。明日迎えに行く時間連絡してね」ってLINEした。
わたしの見立てでは母親は知的障害か発達障害があって、まともじゃないためこういうことがしょっちゅうある。
しかも母親は自分が失敗しそうになったら母親にとって、都合の良い嘘をつくため、会話がますます厄介になる。普通の人ならば、自分の嘘を嘘だと認識しているけれど、母親は自分の嘘を本当だと、事実だと認識することができる才能があるためますます厄介である。
自分が失敗しそうになった場面以外でも母親は嘘をついているという認識がないまま嘘を事実として話すことができるため会話がむちゃくちゃになる。
おそらく元々、知的障害か発達障害持ちだったのにここに加齢による判断力低下、視力低下、更年期障害などもろもろ重なってきてますます厄介な性格になった母親
付き合いたくないなあ
https://www.jasa-web.jp/general/medical-list/nystagmus
眼振とは、眼球がけいれんしたように動いたり揺れたりすることの医学的な名称です。無意識で規則的にリズミカルに動いたり、振り子のように往復運動がおこったりします。眼の動きを上手にコントロールできない場合に起こり、両眼にみられることが原則です。眼振はさまざまな原因でおこります。また、生理的眼振(正常な眼振)は、例えば動く乗り物の中から外の景色を見ているときにだれにでも起きる眼振です。生理的眼振がおきていることは物をみる視力があることの証拠になるので、赤ちゃんの視力の評価にも使います。
脳の障害、耳の障害、薬物中毒、その他の全身疾患のために眼振が起きることがあります。通常、このような眼振はめまいが起きたり、物が揺れて見えたり、その他の全身の症状を伴います。
眼科で扱う眼振には、著しい低視力のために起きる場合と、眼に問題がないのに眼の動きが定まらないためのものがあります。眼振のために眼球がみたいもののところで静止しないと、眼に異常がなくても視力が悪い場合があります。