2019-11-25

上条春菜が抱えてしまった倒錯について

上条春菜眼鏡は切っても切り離せない存在である彼女はかつて視力が下がったとき眼鏡をかけることで世界は明るくクリアものだと再認識する体験をした。眼鏡に救われた彼女は、眼鏡が持つマイナスイメージを変えるためアイドル事務所の門を叩き、アイドル活動を始めた。現在彼女の野望は、視力など関係なく誰もが眼鏡をかける社会である。実際に彼女は至るところで眼鏡プレゼンテーションしているし、それは時に普段コンタクトをしているアイドルにも及んでいる。

でもちょっと待ってほしい。それって、目的のための手段として正しいのだろうか。

眼鏡マイナスイメージ払拭する」ことだけが完全に達成されたとしたなら、訪れる結果は「誰もが眼鏡をかけてもいいし、かけなくてもいい」(眼鏡フリーと呼ぶことにする)社会である。つまり彼女の望みは「眼鏡マイナスイメージ払拭する」を通り越し「眼鏡は素晴らしいものだと広める」に及んでしまっている。それは眼鏡は野暮ったい、ダサい裸眼主義)、という価値観を、眼鏡は素晴らしい(眼鏡主義)、という価値観で上書きする、ということだ。

だが、眼鏡主義裸眼主義は、ひとつ価値観強要しているという点で同じである上条春菜は現状に眼鏡フリーをもたらすつもりで、眼鏡主義を持ち込もうとしてしまっているのだ。もはや「眼鏡はイケてない」と言う人と何も変わらない。

彼女はまだ18歳である自分の行動の意味に気づかないまま突き進むのは仕方のないことだし、その一途さは彼女の強みでもあるから、それは上条春菜の落ち度ではない。だが、どんな個性でも許容されるシンデレラガールズという世界で、彼女が抱える問題を指摘してくれる人はいない。

かくして上条春菜はひたすらに眼鏡を広めようとする存在になってしまった。それは上条春菜というキャラクターの舵をこの方向に切ってしまった運営責任である

だがまだ間に合う。彼女自身が気づいて、方向転換すればいい。掛けたい人は掛ける、掛けない人は掛けない。気分に合わせて、時には別の手段を使い分ける。眼鏡至上主義とは違う、真の眼鏡フリーを目指すのだ。その中には四六時中眼鏡を掛けるという選択肢だってあるのだから彼女アイデンティティが無くなることもない。

彼女にとって大きな転換点になるはずだ。上条春菜次の一手として、どうですか運営さん。

まぁでも、上条春菜というキャラクター自体眼鏡主義象徴みたいな面を持ってしまっているから、今更は無理なのかな。上条春菜が「眼鏡を掛けなくてもいいんです」って言っただけで解釈違いで映画ヒトラーばりに怒り狂いそうな人、いるしな。

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