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はてなキーワード: 社交界とは

2018-05-04

[]ヴィルヘルミーネ・フォン・ザーガン

1781年に、クールラント公国現在ラトビア)に生まれた。

最後クールラントペーター・フォン・ビロンの四人の娘のうちの一人。

教養豊かで美貌も備えた彼女社交界で奔放に振る舞い、

やがてオーストリア宰相メッテルニヒ愛人となった。

メッテルニヒが反ナポレオンに舵を切ったのはヴィルヘルミーネの影響だという。

ちなみにヴィルヘルミーネの妹ドロテアはフランスの大政治家タレーラン愛人

貧しい子どもたちへの慈善活動の一環として、

チェコ国民作家ボジェナ・ニェムツォヴァーにも援助をしており、

小説「おばあさん」にはヴィルヘルミーネをモデルとした公爵夫人が登場する。

英語版Wikipediaに載ってる肖像画かわいい

2017-10-19

フランス文学きらい

何か話をするのに自国歴史とか人物とか地名とかをいちいちブッ込むのマジやめろ

文学なら万人に通じる普遍性のある文章を書けよ

そういうところやぞ、余計なプライド肥大化した国って言われてるのは。

>恋は本質的に自慢屋で、ずうずうしくて、浪費症で、嘘つきで、豪奢なのだ。ヴェルマンド公爵社交界舞台へ登場するのを助けるため、ルイ十四世は思わず自分の袖飾りを引き裂いたものだったが、この偉大な君主に、その袖飾りが千エキュもするものだということを忘れさせるほどの情熱をかきたてえたラ・ヴァリエール嬢を、ルイ十四世の宮廷の女たちがこぞって羨んだとすれば、その余の人間たちに何を要求することができよう?

知らんわボケ!!!

知らんわボケ!!!!!!

2017-10-06

丁寧語使っただけでmsdbkmになった気になれる

ナチュラルにこんなことできるってさぞ社交界に慣れていらっしゃるのだろうなあ

そんな人が昼下がりにティーかっぴを傾けてときおり頬を緩めながら増田をチェックする・・・

うーんなんか違うおゆなきーがしてきた

2017-09-14

anond:20170914135058

皆が当たり前のように高級時計をしている社交界においては、

しろ高級時計を身に着けていない方が心配される。強盗にでもあったんじゃないか?と。

2017-06-27

https://anond.hatelabo.jp/20170627091507

ここでいう趣味とは社交界用の趣味だよ。

まさか、斬った爪を集めて取っておく趣味を他言するわけにいかないしな。

2015-12-09

12月になると見たくなる映画アマデウス」を思い出して、気がつく。

自分には悪意がないけど、まるでサリエリみたいじゃないか……?

映画のなかで、宮廷音楽サリエリは、モーツァルト天才的な

音楽の才能に気づき凡庸自分を呪って焼けつくような嫉妬から

神を恨み、神に愛された才能をもつモーツァルトを死に至らしめる。

破天荒な振る舞いで(モーツァルト発達障害だとも言われる)

社交界から孤立してしまい、極貧生活のなか病床のモーツァルト

サリエリは、大金をチラつかせ、不眠不休の無理なスケジュール

まるでモーツァルト自身のためのレクイエム(死者のためのミサ曲)を作らせる。

そして、結果として(サリエリの願いどおりに)、死に至らしめる。

いや、自分には、そんなサリエリみたいな悪意は本当に皆無なんだ。

感謝と恩義の気持ちこそあれ、決して妬んだり嫉んだりの感情はないし!)

ただただ、天才モーツァルトの紡ぎ出す音楽が・旋律が・文章が大好きで、

(その素晴らしさに、同時代に生きて触れられるだけで喜んでいるほどで)

でも、そうやって、自分が率直に・能天気モーツァルトを礼賛することで、

体調の悪いモーツァルトに、無理に作曲を続けさせて、

しろ死期を早めることに加担しているのではないか……。

ブログを拝見しながら考えていたのは、そういうことだった。

Hさんの最新の文章を読める嬉しさに舞い上がって我を失いながら、

同時に、頭の隅で冷静に自己分析をして強烈な罪悪感を抱いていた。

ブログ記事を拝見すればするほど、自分想像もしなかったような

壮絶な生活が「また」日常としてHさんを囲んでいることを知って、

ただただ、圧倒される気持ちで読み進めていた。

そして、Hさんの文章に触れられる喜びを感じながら、

Hさんの置かれている状況を知っても何もできない自分は、

そうやって、Hさんに文章を綴らせて、自分読書の楽しみのために

Hさんのいのちを・日々の生活を「消費」しているんじゃないのか……?

何度も、そんな可能性を自問自答した。

ブログを書くことで、Hさんが死への確信を深めていたとしたら。

やっぱり自分は、意図せずにサリエリと同じことを

天才モーツァルトにしようとしているんじゃないか。

Hさんが書いた文章が、今でもWeb上でいろんな人に思い出されたり、

語り継がれていたりするのを見つけると、

「そうなんだ、Hさんは本当にすごいんだよ」と嬉しくなる。

そんなHさんが、書き続けてくれることは、

いつか・誰かの目にとまって、自分のように感銘を受けて

大きく変わるキッカケを得る人が、出てくるかもしれないと眩しく思う。

それだけの、言葉文章の力をもっているかただから

でも、そうやって、いつか・どこかで目にする誰かのために

いま、Hさんが身を削って文章を紡ぎ続けてくれたらと願うことは、

やっぱり、とんでもなく我がままで傲慢な願いなんじゃないだろうか。

「ファンです」なんて軽々しい一言だけで

許されてはいけないことなんじゃないだろうか。

ブログ記事を読めて、すごく嬉しいのに、すごく苦しいし切ない。

いったい、自分はどうしたらいいんだろう。

2015-11-25

いじめずる

SMなんてするやつ、人格疑うわ」http://anond.hatelabo.jp/20151124132957を書いた増田です。トラバありがとう

http://anond.hatelabo.jp/20151124135007

http://anond.hatelabo.jp/20151124141101

http://anond.hatelabo.jp/20151124175900


読みました。なるほど。言及する価値もないクズ、ごく一部のやばいやつに過ぎないということで、誰も本気で反応しなかったということね。

http://anond.hatelabo.jp/20151124142814も読みました。「かわいい子には旅をさせよ」w

”苛愛ずる”(←動詞つくってみた)はジャパニーズカルチャーである、と? はー。
”苛愛ずる”は子どもや猫等を対象に老若男女が嗜むエンターテインメントであり、そこにはなんら美学矜持といったものはなく、多かれ少なかれ、いきものすべてがもつ単なるサガである、と? ひー。。
”苛愛ずる”というサガに自覚的で理性の弁を開放しているのがSM嗜好の人々で、対象子どもや猫にとどまらず、BBA虐待して可愛いと思うのがご主人様、おっさん虐待して可愛いと思うのが女王様である、と? ふー。。。
可愛い子を殴りたいという元増田は、なんら特別人間ではない、と? へー。。。。
性的パートナー(プレイ同意を得ていない相手)を強制的に”苛愛ずる”のは、社交界に集う紳士淑女の嗜みである、と? ほー。。。。。

まみむめもー、ばいばいきんたじたじ…;;(´﹏`);;

個人的感想としては、とにかくもう、「悪趣味…」のひとことであるのだけども。。。(当然伝わってると思うけど、悪っていうのは善悪というより、私の美意識からするとかっこ悪いみたいな意味大元増田最近私が遭遇した人間の中でも1,2を争うレベルでかっこ悪いわ。。。)

先日増田ホッテントリしてた「親から子供への冗談が大嫌い」http://anond.hatelabo.jp/20151025173243を読むにつけても、今回のトラバを読むにつけても、SM嗜好って闇教育産物っていう側面があるんじゃないかという疑念を強くするわ。 ※「闇教育」については、アリスミラーの著書を参照のこと

てか全然関係ないけど、SM嗜好の人って猫好きなの??? なんか忠誠心のかけらもなさそうな動物みえるけど……

2014-08-25

アイスバケツ

そもそもなぜアイスバケツなのか?

ALS筋肉が萎縮する難病で、しばしば手先足先がだんだん凍っていくことに例えられる。

アイスバケツかぶるというのは、症状の理解や体験という側面から考え出されたもの


チャリティは粛々とやるものだ。病人をダシにしていないか

難病というテーマ申し訳ない気持ちにならなければと感じていないか?

・みんなが粛々としたり、申し訳なさを感じた所で、病気治療研究は進まない

・楽しそうにしていることと、バカにしていることや侮辱していることは全く別もの

重要テーマを前に楽しそうにしてはいけないという日本人根性のそぐわない


実質的社交界のあそびとなったアイスバケツ

有名人有名人を指名するクローズド社交界と疎外感

・「見られること」を前提にふざけられる上位カーストのお遊び、もやもや

2014-08-22

バケツに眉をひそめる人ってさ

AIDSチャリティーおっぱい募金とかも当然眉をひそめてたんだよね?

難病チャリティーなのにチャラチャラしおってとか、心がこもってないとかうんぬん

もしおっぱい募金はOKで氷バケツがなんか嫌だなという人がいたとすれば

やっぱり輪に入れないからなんだろうなと思うよ

バケツ有名人たちの社交界での流行で、有名人がいかにリアジューなのかを見せつけられる形式だ

有名人有名人と友人であり、友人や家族がたくさんいて、おしゃれな家具があって、広い庭があって……

そりゃあ面白くないし、ケチもつけたくなるだろう

一方おっぱい募金孤独モテない男にも参加できるイベント

一部のフェミニストを除いて、あれを批判した人がいたのだろうか

当のフェミニストも、馬鹿げた企画で募金を募ること「そのもの」は別に批判してなかったしね

2013-06-15

http://anond.hatelabo.jp/20130614165747

しかにそうだね

人権問題の話をしておいてその言葉遣いはないわってお上品な笑いやね

あの方文法をお間違えになられましてよ という下品な嘲笑ではないようにも思える



生まれも育ちも良いトップクラス人間があつまるところでいか場違いかって記事にするには

文法まちがえたはずかちぃーってほうが日本人うけいいって感じだったりとか

状況を察する能力や社交的な態度の気品といわれても日本人あんまりなじみないでしょって感じだったんじゃない?


結果オーライってことで

sの有無とか縁のない社交界とか細かいことはおいといて ダメ人間みつけたってことが伝わったからいいじゃない

2013-06-02

その昔、社交界で男女のカップルが成立してゆっくり話す段階に入ると

女はソファに座らせて、男は立って話をするのが一般的だったらしいのだけど

胸の谷間をよく見る為だったという説がある

素晴らしきレディーファースト

2013-01-23

婚活って言葉が生まれるまでこういう記事ってどういう風に表現していたのかな。

いちいちよ、うるせえんだよ。婚活婚活ってよ。馬鹿じゃないの。

モデルセレブタレントとして活躍中の森泉(30)の“婚活熱”が周囲を困らせているという。

「前から森さんは『誰かいい人、いない?』とアピールはしていたんですが、30歳を迎えた焦りからか、

最近は『早く結婚したい!』と言うようになって、周りもホトホト困っているんです」(芸能プロ関係者

祖母は世界的に有名なファッションデザイナー森英恵氏(87)。森自身もパリコレに出演した経歴を持ち、

趣味乗馬とまさに絵に描いたようなお嬢様パリ社交界名簿に名前が載っている日本人の一人でもある。

となれば、お相手に困ることはないはずだが、育ちの良さが影響し、実は苦戦続きだという。

「定期的に男性デートはしているようなんですが、お眼鏡にかなう男性がなかなか現れないようです」と

前出の芸能プロ関係者婚活熱が爆発しているのが、レギュラー出演している「おしゃれイズム

日本テレビ系)の舞台裏だ。森は番組お笑いコンビくりぃむしちゅー」の上田晋也(42)や

俳優藤木直人(40)とともにMCを務めている。

「毎回ゲストを呼んでトークする番組ですが、スタッフなどに『独身ステキ男性ゲストに呼んで!』と

お願いするんですよ。しかも、条件があって『お金持ちじゃなきゃダメ!』とムチャな要求まで…。

確かに共演をきっかけにお付き合いに発展することはよくありますけど、みんな困ってますよ」(前同)

藤木や上田にも「いい人を紹介して!」と森は幾度となくお願いをする光景が目撃されているという。

焦る森に王子様は現れるのか。

ソース東京スポーツ新聞社(東スポWeb)

http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/81082/

2012-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20120604133706

問題点を挙げる

それはBEMANI音楽ゲーム情報サイト大手「ぷろとらドットコム」の管理人Ta2氏がコミケット準備会通報されたと言う事から始まる、

彼の悪事暴露ラッシュである

http://henkaya.blog.fc2.com/blog-entry-15.html:夏コミ制作更新前に告知しておきたいこと - 状態変家 - サークル「状態変家」公式ブログ]

この記事が表向きには全ての始まりだった。

お互いのメールのやり取りを見ただけでも、Ta2氏の異常性はよく分かるであろう。

「全ての始まりだっていう概要まとめが消えてて読めない。

もうこの時点で興味引くのは厳しくなってる。

そしてこの記事を境に、いわゆる「元身内」から暴露が相次ぐ事になる。

現在ブログ記事として確認できるものを以下に列記する。

http://resonate.go-th.net/Entry/27/:ある音楽ゲーム同人サークル管理人の話【追記有】- RESONATEブログ]←いわゆる「元相方」と呼ばれている人

俺は暇人からここまで読んだ。

が、ネットトラブル名物の鬱病投薬カミングアウト。またウンザリ

病人オタクの言った言わないなんて読まされてどうしろっつうんだよ。

しかもいさかいの原因は「屁をこく女の子gif」って舐めてんのか!


それ以降は俺でももう読む気が全くしない。

っていうか専門用語固有名詞必要背景知識が多すぎだろ。

どういう人間拡散したいんだよ。

お前の説明じゃおそらくディープ音ゲー社交界人間じゃないと言ってる内容自体が理解できん。


あと仮に理解できたとして

音ゲー界隈に興味ない人間の関心にタッチできる事件なのかそれ?

そうは思えない、序盤しか読んでないけど。

2012-05-29

Studygiftの事を考えてたら眠れなくなった。

在籍状況を詐称してたという以前から、なにかものすごい違和感を感じていたサービスだったのだけどそれがなんなのか言葉にできなかった。

そんな中、ネット著名人の人がStudygiftを擁護し出して、なるほどそういう見方もあるよねと納得しかかってたところ、切り込み隊長からの批判もあり、なるほどそういう見方もあるねぇと、だんだん自分意見を色々な素材を元に自分で考えるというよりも、ネットでの趨勢を確かめてどうやら正解であろうことを見極めるといった立場に変わってきている自分がいた。



要するに思考のアウトソーシングしていたってこと。自分で考えずに、流れに乗って気持ちよくなることだけかんがえていた。


そもそも、僕がStudygiftについてなんらかの意見をもつ必要なんてなにもないのに。

大多数の人もそうなんじゃないだろうか。ほとんどの人にとって、Studygiftなんて関係ないはずだ。

なのに、みんな必死になって自分意見らしきものをもとうとするし、隙があれば叩く姿勢でいる。なんでだろう?

Studygiftの気持ち悪さの本質は、建前は公共的なものをうたっているが実質的には内輪ノリの遊びの延長のようなものしかないということなんだと思う。

一部のネットで影響力があるひとたちが、その影響力を使って外部を巻き込む形で内輪ノリをしている。気持ち悪い。

人気者はいいですねぇ。

そういう嫉妬のようなもの怨嗟etcを引きつけてしまったのがStudygiftなのだろう。

ネット自分の居場所だと思っていたのに、結局は一部の特権的な人達の内輪ノリを外部から眺めるだけ、挙げ句の果てには利用されてる、そういう空間だったということを思い知ってしまったということなんじゃないだろうか。

サービスのものについてもそうだし、それを取り巻く批判や擁護についても自分の居場所はなく、ただネットで影響力をもつ人に左右されてしまう居場所のないあやふやな自分。そもそも、自分意見をもったって誰が聞いてくれよう?


傍観者傍観者しかないのだ。現実世界でもネットでも。

僕は影響力がある起業家ではないし、ちやほやされる女子大生でもない。

Studygiftについて考えれば考えるほど、僕は部外者であること、ネット内の社交界はいないこと、影響力などない無力な人間だということだという現実を知るだけである

この問題解決する方法ひとつしかない。そもそも自分とは無関係であるネット社交界の出来事に僕があれこれ考えたってなんにもなりはしないのだ。だって関係がないんだもの。関係してちやほやされたいなぁと思ってる哀れな自分がいるだけなんだもの

そんな虚しい行為は即刻辞めて、自分身の回りのこと、自分人生自分の生活を考えたほうがいい。

ということに今気づいたので明日から自分の生活のため寝ることにする。

2012-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20120418182304

それは、「知らない」から幸せなのではなくて、「求めない」から幸せなんだよね。

都会の味も、高等教育の味も、高所得の味も知らない。だから無理して求めない。手近な幸せが最大の幸せである幸せ

というくだりに、ちょっと見下ろすようなニュアンスを感じたので(おそらく「ちょっと」ではないのだろうと推測するけど)、余計かもしれないけど書いてみる。

オレだって世界の王貴族が生きる社交界の味も、ノーベル賞頭脳の人と交わすディープな会話の味も、アラブ王子みたいな「趣味世界中から格闘自慢を集めてバトル大会開催してみた」みたいな趣味の味も知らないけど、(増田は知ってるのかもしれないけど(皮肉))それこそ「スクリーンの向こうの世界」のことであって、別に、切実に求めないから、そんなことで不幸を感じたりしない。むしろ、そういう人は気苦労が多くて大変だろうなーと同情すらしてる。

もちろん、「不幸」なのが悪いわけでもない。それが何かを求める原動力にもなるわけだからね。今ある自分に満足しないのは、それはそれで重要なこと。増田が言うファミリーが、イオンで買い物して飯くって一日遊んでるのを見て、それでいいの?オレはやだな、と思う気持ちも、まあ、分かるよ。ただ、自分と彼らは「違う」のだと、そう思ってる。簡単に「人は違う、わかり合えない」と言ってしまうのはただの傲慢と怠慢だけれど、だからと言って「人は同じ」と簡単に言い切ってしまうのも希望幻想の類だ。

オレが言いたいのは、仮に上から見て不幸ということなら、それは彼らも増田もオレも、そしておそらく王侯貴族も、仮想の「上」から見れば等しく「不幸」なのであって、そういう発想では、誰も永遠に幸福」にはならないだろう、ってこと。それどころか、オレが王侯貴族に「同情」しているように、増田も彼らに「同情」すらされてしまっていることだろう、と。そういう世界は、不幸な世界なのかな?幸福世界なのかな?

オレは、やはり不健全で、そして不幸な世界だと思う。

幸福というのは、常に「過程」だとオレは思うから。求めて得られた瞬間から、不幸は忍び寄るものから

から、そんな(今ある)世界よりも、お互いがお互いの幸福を追求し、他者の幸福を理解し、それをけなしたり阻害したりしない世界がいいのじゃないかと思う。誰も、誰にも同情する必要もなく、適度に羨みつつ敬いつつ、自分幸福を「ちょっとだけ上」に置いて、それなりに努力し、それなりには満足をしつつ「明日」を目指している世界が、実現すると本当にいいなと思ってる。

そのためには何が必要か。


それを日々考えているところなんだ。

増田も考えてくれ。

2012-02-11

ルーゴンマッカール叢書を読破しないうちにバルザックにはまってしまった

エミール・ゾラの『ルーゴンマッカール叢書』

まだ全部読んでいないのにバルザックに目覚めてしまった

バルザックか 『セラフィタ』は面白かった

『谷間のゆり』でヒロインうんざりして『従妹ベット』の細かい描写で嫌になって

そのころ『ナナ』を読んで一気にゾラへ興味が移ったのだけれども

バルザックの『ゴリオ爺さん』でバルザックの方が面白いなと

ゴリオ爺さん』あらすじ

名家の流れを組む貧乏家庭の長男イケメン)がパリ大学勉強出世の為にやってきて

最初勉強に打ち込もうとするんだけど、コミュ力必要性に目覚め

カリスママダムとして活躍してる従妹に、コミュ力教えてもらい

下宿先のワルからは、勉強しても元手となる金が無いと望むような出世は出来ないという現実

を教えられ

社交界美人マダム愛人となり知名度をあげて

芸能界上流階級でもいるよね、有名お嬢様学校出たトロフィーマダムな奥様や

よく分けのわからない肩書きの芸能人の夫、夫や妻の知名度を利用して商売をしてる人

イケメンくんは貧乏でも貴族です)

社交界でやっていく事を目指すが

金持ちマダム愛人となるには身だしなみに

金をかけることが必要と悟り家族に金の無心して、「ゴリオ爺さんに金をせびる娘たち」と

同じ事をしていると気づきブルーになるが、腹をくくってこの世界に挑む

社会的成功する為にはイケメン高学歴かつ家柄があっても、身だしなみにかける金や

金持ち社会でのコミュ力が無いと厳しいという現実を書いてるのが面白い

下宿先のワルのその後を書いた『幻滅』や『浮かれ女盛衰記』はまだじっくりとは読まず

パラパラページをめくっただけだけど、かなり面白い。『幻滅』は現代のネットメディアステマ騒動にも

通じるところがある

早く人間喜劇シリーズの続きが読みたいのに市立図書館工事2月29日まで完全閉館

2月終わるまで続き待てない。

本屋ではバルザックまり種類置いてないから、電子書籍で『浮かれ女盛衰記』買うか

ルーゴンマッカール叢書」+「バルザック全集」だと本棚場所かなり取るから

こういうとき電子書籍っていいなと思う

2010-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20101227203942

アメリカのIT企業の偉いさんだかも書いてたな。

閉鎖的、かつ無目的学校目的勉強はない。)なところでは人気取りメインのすることになり、人気が取れなかったものは悲惨になる。

これは学校だけでなく囚人社会主婦の集まり、昔の貴族社交界とかもそうだと。

2010-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20101007165049

中世の頃の欧米ではスポーツ観戦なる娯楽は、まだ発明されてなかった。

だから音楽は娯楽として大きな位置をしめていた。

 

だから民衆の娯楽は、酒場フォーク音楽で踊ることだった。

ここの音楽は崇拝されるものではなく、聞き手を遊ばせるためのものだ。

また欧米音楽家には、ルックスや精神的に障害を追っている者も多い。

聞き手は、こいつには音楽しかできないかも、という哀れみの感情から音楽家を支援したりすることもある。

 

一方、いわゆるパトロン、つまり社交界人間ステイタスは、屋敷で、盛大な舞踏会を開くことだった。

ここでは、豪華なものが受ける。いわばパトロンに対する偶像崇拝

 

そして教会教会で、神をたたえる音楽をやる。

荘厳で圧倒的な音で人々を勇気付け、神をたたえればいいんだ。

 

ここで、欧米ではウンチ音楽に対しての批評やブーイングは激しいので、音楽もその分早く進化する。

だからそれぞれの分野でパワーのある音楽が生まれる。

 

それに対し、日本人は娯楽に対して批判的ではなくブーイングも少ないので、音楽進化ははるかに遅い。

芸者芸人。ショーパブジャニーズ文化はあるわけだが、所詮ピンナップガールやピンナップボーイのオマケの音楽は、批判の対象にすらならず、

その音楽家が哀れみの対象にもなることも、ほとんどない。

 

欧米で、日本音楽ペラペラプラスチックと言われるのは、なんとかしたいと思うけどね。

2010-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20100822172316

ごくまれに、いわれていやな思いをすることもある、か

お互いただの習慣でたいした意味がない限りにおいては挨拶潤滑油になるが、言う言わないに位取り(どっちが偉いかと言う、京都的・社交界的値踏み)の意味見出してしまうとギスギスするってことだな

2010-08-21

皆さんはホメオパシー起源を誤解しています

これ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/24208162

ブコメがひどいですね。リストに挙げられた故人の名誉のために少しお話をさせていただく必要があるようです。

ホメオパシー電波医者が編み出した電波理論だと思われていますが、それは違います。提唱された当初は、当時の先端医療の延長線上に立てられた有意義な仮説であり、当時の標準医療よりましなものでさえありました。その当時の信奉者は、必ずしもおかしなものを妄信していた非開明的な人物であるとは言えません。

今のように、ベルリンの壁分子0.6個(平均値)しか残らないまでに薄めたものを教室会社に噴霧すれば非コミュのお前らもいじめられなくなるなどというオカルトではなかったのです。(ベルリンウォールのレメディは、人間関係修復、いじめや鬱対策、戦死者やテロ被害者浄霊などに効果があります。)

ホメオパシーワクチン拡張理論

症状を引き起こす物質を薄めて体内に入れることで症状に対抗するという理屈

何かに似ていると思いませんか?

非常に薄めた菌を植えて抵抗力を獲得する、ワクチンですね。

エドワード・ジェンナーが種痘の接種に成功したのは1796年、発表は1798年。それ以前から天然痘の接種は行われていましたが、なにせ病人の膿をそのまま植えるので、結構発病して死にました。薄めて接種することで危険性を下げ、うまく効果だけを得る方式を編み出したのがジェンナーなのですね。

一方ホメオパシーの始祖であるドイツ医師サミュエルハーネマンが類似の法則を初めて世に問うたのは1796年(医学誌にエッセーを発表。これをホメオパシーと名付けたのは1807年?で、体系付けて理論書にまとめるのは1810年)。この時点では薄めることを条件としていないようですが、1800年には希釈したベラドンナを用いた記録が確認できます。

はい。ワクチンとごく初期の同種療法は、同時代の似通った発想なのです。

ハーネマンは希釈という手法をおそらくはワクチン研究から取り入れ、薬草でも同様に毒性を下げて薬効を得られるのではないかと考えたのでしょう。当時の最先端医療勉強し、さらに拡張して薬草の効果にまで敷衍できないかと考えたのではないでしょうか。毒を薄めて薬にする薬草は結構多いですしね。結果的には同種療法の考え方は誤っていたものの、当時おかしくはない着想であり、悪くない医学上の仮説であったと言えます。

ハーネマンはアホではない。真摯な学究の徒でした。砒素中毒に関するまっとうな専門書を書き残してもいます。だからこそ砒素水銀を処方していた当時の医療を嫌って独自の療法に走ったのであり、先端医療から希釈という発想を取り入れる聡明さも持ち合わせていました。

ふと思い付いてキナ皮を飲んでみたらマラリア類似の症状になったことから同種療法を考え付いたという逸話が有名ですが、ここに薄める手続きはありませんよね。そこは他人の先端研究を意欲的に取り入れた部分です。

ホメオパシーがまったく新しいオリジナルの着想だと言いたいホメオパス元ネタを隠蔽したためにここがミッシングリンクになっているのです。もっとも、ハーネマン自身もそうだったのかもしれません。そのまま採用するのが癪で、薄めれば薄めるほど有効などという蛇足を加えたのかもしれません。

同種療法が伝染病に効いた!

同種療法はハーネマンの元でほそぼそと試されていたのですが、これが世間の知るところとなったのは、1800年の猩紅熱の流行です。若草物語で三女のベスが死の淵をさまよう病気ですね。この時、上で述べた通り、希釈したベラドンナを使用しています。

ワクチンまでも開発されたご時世ではありましたが、標準医療としては依然、瀉血と(動物の血の)輸血が行われていました。そんなもん、ぴんぴんしてても死んでまうわ。

のちにナイチンゲールが語った通り、害のある行為よりは意味のない行為の方がましです。なので、同種療法は標準医療より生存率を高めました!

おめでとうございます。最先端医療である同種療法の有効性が確かめられました。

ホメオパシーの零落と再興

かくて華々しい実績を引っさげてデビューした同種療法はやがてホメオパシーと名を変え、1830年代までは標準医療に追われながらも果敢に戦っていたようです。が、1828年頃には、ハーネマンが次々思い付く新理論についていけないホメオパスも現れていました。ホメオパシーはもはやまったく医学上の一仮説ではなくなってしまっており、理論を信じて従ってきた者とどこまでもハーネマンに付く者という形でホメオパス同士の内部抗争が始まりました。

1830年からのコレラ流行で英仏が水際作戦に失敗したため近代医療への不信が高まったことがホメオパシー最後の味方となりました。ハーネマンは若い妻を娶り、パリ社交界に招かれさえもして、幸せ晩年を送ります。

しかし、それが最後の輝き。所詮は誤った仮説であったので、医療の目覚しい進展に伴い取り残されてしまいました。お疲れ様でした。役目を果たし終えた仮説に用はありません。誤謬でしかなかったホメオパシーは、そのままマイナー代替療法の一種に零落していったのでしょう。

ですが、第一次世界大戦戦後の暗い世相の中、ホメオパシーは再び胎動を始めるのでした……。ハーネマンの遺稿(と称するもの)が1920年に刊行されるほどに。

お知らせ

このエントリはあくまで当方の史観を示す読み物です。

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