はてなキーワード: 戦争放棄とは
アーティストのSNSをフォローする方々の気持ちが微塵も理解出来ないので
(エンジニアも同様。技術情報なら Twitter や Facebook 以外のチャネルからも別に得れるでしょ)
とりあえず元増田にはこう書いてあるぞ? ↓
あと、主旨は、ここだぞ
そう考えたときに、氏が「お上に盾突く」政権批判者を揶揄し続けていることはコミュニティの将来に暗い影を落としている。
意見の違う他者に敬意を払う、少数派の意見でも理があれば尊重する、近しい人間もそうでない人間もできるだけ平等に扱うように努力する、といった健全な文化が、
そのようなリーダーの下で育つだろうか?
Linuxのリーナス・トーバルズですら過去の暴言について反省し謝罪する時代である。多くのオープンソースプロジェクトはそれぞれに行動規範を定めるようになってきた。
Linuxの行動規範もPythonの行動規範も、それぞれにネット上での議論やオフラインでのイベントで守るべきルールを具体例も交えながら詳細に記述しているし、
それだけでなくルールを守らなかった場合の措置や、ハラスメントを受けたときの報告先、その報告がどのように扱われるかまできちんと書かれている。
Rubyにも行動規範があるにはあるのだが、その内容はおそろしく貧弱で具体例にも乏しい。なにより、ハラスメント被害にあったときに被害者が誰に報告すればよいのか、
その報告がどのように扱われるのかがまったく書かれていない。この健全なコミュニティ運営に対する無関心も、リーダーの姿勢と無関係ではないはずだ。
Matzことまつもとゆきひろといえばプログラミング言語Rubyの作者なのだが、技術的にはともかく政治的にはツイッターを見ていてとてもつらい。
高度なスキルを持つと自負し、高い裁量が欲しい私のような労働者を野党が目の敵にしてることはよく分かった。実に残念だ。— Yukihiro Matsumoto (@yukihiro_matz) March 1, 2018
「定額働かせ放題」とも呼ばれ、専門性も裁量性も低い業種への拡大が懸念される「高度プロフェッショナル制度」について、問題点を理解せず反対する野党を揶揄。
軽減税率といい、改元といい、サマータイムといい、IT 業界を苦しめたいか、生産性を高めるのを阻害したい勢力が政治をコントロールしている陰謀論を信じたくなるな。— Yukihiro Matsumoto (@yukihiro_matz) August 18, 2018
陰謀論に頼らなくとも、そのような勢力が自民党なのだが、なぜか自民党の批判には至らない不思議なツイート。
アベガーが「おい... 待てよ... 本当やめちゃうのかよ...」みたいな事を言い出すB級ドラマが見たい。— mattn (@mattn_jp) August 28, 2020
安倍晋三が辞任することで批判の対象がなくなって困るだろうと想像上の批判者を揶揄。
高ければ「無駄遣い」。安ければ「業界いじめ」。非公表にすれば「隠蔽」。段取りを踏めば「遅い」。この界隈の方の仕事は無限に生まれるから羨ましい。当初の単価400円(送料込)を半分近く削減しても素直に調達努力とは言えず疑惑(=ライターの仕事)にする根性には恐れ入る。https://t.co/NCYvtCN19o— 永山久徳 (@h_nagayama) September 28, 2020
9条信者は今すぐ中東行って仲裁して来いと憤る方々、ちょっと待って欲しい。アゼルバイジャンは日本同様「国際紛争を解決する手段としての戦争放棄」が憲法に折り込み済みなのである(— 我慢@体力練成中 (@g_a_man2) September 29, 2020
レジ袋有料化とか、財政再建のための消費税増税とか、日本学術会議がこれまでしたという提言がどれもこれもヤバイ、どれくらいヤバいかというと、近年の失政のきっかけを全部押し付けられそうなぐらいヤバい。— U.S.S.BlackPrince (@HMS_BlackPrince) October 8, 2020
どれも自民党が決定し実施した政策なのだがなぜか批判を自民党ではなく学術会議に向ける不思議なツイート。
技術者として優秀ならたとえ政治的にどれだけ頓珍漢なことを言っていてもいいのではと考える人もいるだろうが、筆者はそう考えない。現在のRubyの開発はまつもとゆきひろ個人ではなく、オープンソースとしてコミュニティにより行われているものだ。その中で氏は一人の技術者としての役割と同時に、コミュニティのリーダーとしての役割も果たしている。
そう考えたときに、氏が「お上に盾突く」政権批判者を揶揄し続けていることはコミュニティの将来に暗い影を落としている。意見の違う他者に敬意を払う、少数派の意見でも理があれば尊重する、近しい人間もそうでない人間もできるだけ平等に扱うように努力する、といった健全な文化が、そのようなリーダーの下で育つだろうか?
Linuxのリーナス・トーバルズですら過去の暴言について反省し謝罪する時代である。多くのオープンソースプロジェクトはそれぞれに行動規範を定めるようになってきた。
Linuxの行動規範もPythonの行動規範も、それぞれにネット上での議論やオフラインでのイベントで守るべきルールを具体例も交えながら詳細に記述しているし、それだけでなくルールを守らなかった場合の措置や、ハラスメントを受けたときの報告先、その報告がどのように扱われるかまできちんと書かれている。
Rubyにも行動規範があるにはあるのだが、その内容はおそろしく貧弱で具体例にも乏しい。なにより、ハラスメント被害にあったときに被害者が誰に報告すればよいのか、その報告がどのように扱われるのかがまったく書かれていない。この健全なコミュニティ運営に対する無関心も、リーダーの姿勢と無関係ではないはずだ。
以前からPythonの隆盛とRubyの退潮は繰り返し言われていたが、筆者はこれを機にRubyを捨てPythonに切り替えていこうと思う。日本で生まれた言語ということで、なんとなくRubyを応援したいという気持ちもずっと持ち続けていたのだが、そのような気持ちもだんだんと薄れてきてしまった。PythonがRubyに対して利用者数も開発者数もライブラリの充実度も圧倒的優位にある状況が逆転する見込みはないし、コミュニティ運営に対する意識の差も新しく流入する人の数に影響しこの流れを多少なりとも助長するだろう。既存のコードのメンテナンスはともかく、新しいコードはPythonで書くようにする方が将来的にはメリットが大きいだろうと思う。
https://president.jp/articles/-/27472 という記事を見たのだが これがひどい内容であった
これを読むと煙草というのは重大な脳に対する悪影響を及ぼし、正しい物事の見方ができなくなるのだなとしか思えなかった。
どこかで読んだディスカッションの方法では相手側に立ち良い点を見つけよというが これに関しては不可能だ。
なので以下余りにも酷かった部分を引用しつつ
>タバコが嫌いな人にいくら理屈を説いても、「でもやっぱりタバコはあかんよ」で終わってしま
わない反応としようと思う。
>「タバコは絶対禁止」にするのであれば、タバコよりも社会的に損失を与え、健康被害が明確に確認されている「お酒」についても「絶対禁止」にする必要があるということだ。
そもそも煙草と飲酒は別の問題である。今話すべき内容ではない。そもそもこれに習うなら 大麻が禁止されているのだから煙草も禁止にするで終わってしまう。これは論点のすり替えにほかならない。
この後長文にわたって「飲酒の問題点」について語っているがまるっと無視させていただく。煙草はどうした。
>兵庫県は、健康被害が未だ明らかになっていない、加熱式タバコについて、厚生労働省も認めている飲食が可能な「加熱式タバコの専用室」を認めないという。
>「健康被害の恐れがない」との証明などできるはずがない。そんなことを言うなら~
健康被害が明らかになっていなかった頃使用してその後発覚して問題になった物は少なくない。
アスベスト、フロンガスなどが一例で挙げられるだろう。その懸念はないのだろうか。
薬でもそうだが「一定の安全性が把握できるまでは認可しない」のと同じではあるまいか。
それを「悪魔の証明」というのは甚だおかしい。証明し切れずともある一定の安全性を提示するのは受け入れる側のやるべきことではない。
さらには健康被害は白米や牛肉などにもあるから規制対象にするのかとなどと言っているが
そもそも完全嗜好品である煙草と重要な食品の一つである白米や牛肉と比較するほうがおかしいことに気づいていない。
煙草より危険だから私は食べ物を摂取しない なんてやつはこの世にいないはずだ。なぜなら栄養失調で死んでいるからだ。
ヴィーガンも真っ青である。なぜなら「健康被害はあらゆる物全てにある」と文中にある。
>きちんと加熱式タバコの調査もせずに、感情論で先走るのは止めたほうがよい。
感情論で先走っているのは他ならない貴方でしかない と言わざるを得ない。
だからどうした。この文章から一体何を伝えたいのか一切伝わってこない。
もしかして「世界では喫煙は当たり前だから受け入れろ」なのか?
だったとしたら問題である。世界は戦争放棄していないから戦争放棄を放棄しなくては と言っているのと同義だ。
これに対しては「汗臭いやつは」「動物臭は」「排気ガスの臭いは」「ゴミの臭いは」などと言うかもしれないが
それは論点のすり替えであるし だったら許されるわけではないし、各自出さない努力をしているものである。
街中で花火や蝋燭、ガスバーナーを振り回していたら捕まるに決まっている。では何故煙草だけ許されているのか?
車の排気ガスというのは走るのに出さなければいけないものである。その恩恵に預かっているから許される
本当は約一カ月後の12月なんだけど、毎年この季節がくるとマジでウンザリしたくなる。
忠臣蔵のストーリー自体は別にいいんだけど、許せないのは忠臣蔵を持ち上げる人達が気に入らない。
日本は73年前の歴史的経緯から「戦争放棄」ということになっていて、戦争や争い事を美化してはいけないはずである。
「戦争と仇討は違うだろう」と言われるかもしれないけど、話し合いで解決できないから最終的に武力を使って白黒つけるという原理原則を考えてみれば、太平洋戦争も忠臣蔵も同じである。
アメリカからの経済制裁やタヌキからのイジメに耐えかねて、マジギレして大爆発するという流れも一緒だよね。
毎年8月になると原爆慰霊や終戦記念日で反戦平和を誓うのに、その4カ月後には赤穂浪士の「忠義」を礼賛するってどうなんでしょうか。
今まで赤穂浪士達を批判的に論じている人を見たことが無いし、下手に彼らをテロリスト扱いすると火病を起こす輩もいる。
私から見れば、靖国神社に祭られているA級戦犯も、高輪・泉岳寺に祀られている浪士たちも大して変わらない存在に思える。
それはA級戦犯を英雄視するとか、赤穂浪士たちは犬死にしたとか言うつもりではない。
前回早朝に書いたときは誰も見てなかったのでもう一度書く。
平和を脅かし、国民の主権を踏みつけにし、主権者国民の権利をないがしろにしつづけている。
今、安倍政権をとりまく種々の問題はすべてこの条文を改正しようとしているがために起きている。
それはクワトロ・バジーナがシャア・アズナブルその人であるというくらい公然の秘密だ。
70才を超え、TVばかりみている私の父でも知っている。
戦争放棄の平和憲法の条文を守ることを政治信条とする人間たちが、話し合いをする場でいつも話し合いをせず、相手をゆるさず、理解せず、ただただ痛烈に非難するだけなのに、国と国との紛争解決の場で、兵士や市民の命を懸けて武力を用いそうになっている極限状態で、急に他の人たちには決してまねのできないレベルの有意義な話し合いをするという。
なんという傲慢。なんという他人蔑視。なんという問題認識能力の不足。
これはごくごく単純なコモンセンスだろう。
トマス・ペインが今日本に生きていたら「イエス(高須)」と賛同してくれるに違いない。
安倍政権よりも真っ先に糾弾すべきは野党だ。まっとうな政治をするために欠けているのはまっとうな政権よりもまっとうな野党だ。
でもこんな国民のコモンセンスが決して共有されないマスメディア。
メディアの安倍政権追求報道を見ていると、「アポロは月面着陸していなかった説」を主張する陰謀論者の話を聞いているようでほとほと理性をすり減らしてしまう。こっちまで馬鹿になりそうだ。
どんなに有効な反論をしても黙殺されて、何か自説に都合の好さそうな材料を小出し後出しで持ってくる。
これはオールドメディアの自殺としてのちに歴史の教科書に載るべき事件だ。この事件の構図や裏側をスクープすることこそジャーナリズムじゃないのかね。いや本当に。
ところで、私はしがないサラリーマンだ。生活に必死だ。後進国の人々に生活水準でどんどん追い越されている立場のものだ。
でも、こういう私を赤化あるいはリベラル化しようとはせず、馬鹿にしているエリート層が日本の赤でリベラルだ。これも公然の秘密だし、コモンセンスだ。
こういう増田を書けば、私もネトウヨと揶揄されているものの一人になるだろう。
でも私は思う。私は荻上チキと文化論ではいい友達になれると。もちろんこれはコモンセンスじゃない。
でも彼は私のことを馬鹿にして決して友達とは思ってくれないだろうね。これはコモンセンスかもしれない。
さて私は2度転職して3度パワハラを受けた。今の野党がやっているような内容だ。
できるはずのない仕事量を押し付けてミスがあった。仕事の基礎を揺るがすようなミスだと騒がれた。でも本当は些細なミスだ。騒いでいる当の本人が協力すれば防げたし、わずかな時間でカバーできる。本当に基礎をゆるがすようなミスならばあなたはなぜそんなに無関係を気取っているのか、本当にあなたに責任はないのか、なぜそんなに非協力的なのか全く理解できなかった。
野党が悪魔の条文を守るためにやっていることは、国民の生活を脅かすパワハラ文化を日本に根付かせ、正当性を与えるようなものだ。
多くの人は見たことあるだろう。パワハラ現場を。あの野党のやり口はまさにそれではないか。
労働者を守る。代表する。と自認する立場の国会議員が労働者が苦しむパワハラのやり方を公開講座として日々メディアにのせる。
森友問題は、安倍昭恵さんの脇が甘くて詐欺師に懐にもぐりこまれたのが真相なのはコモンセンスだ。奔放な性格の昭恵さんを証人喚問して、そのうえで挑発して不規則発言を誘導し旦那の首をとろうという野党とその協力メディアの筋書きもまたコモンセンスだ。こういう本当に罪を犯していなくても有罪として裁いてやろうというやり口が職場ならパワハラだし、学校ならいじめのやり口そのものだというのは、もちろん、コモンセンスだ。
私はたまたま利益を上げることできる才能と運に恵まれていて3度ともパワハラをしのげた。だが、昭恵さんは相手が悪い。スターリンのように罪状はなんでもいい。最初から首だけを狙っているからだ。これもまたもちろんコモンセンスだ。
加計問題の本質は安倍さんの友人であれば人権は制限される。ゆがめられてきた獣医教育行政を正す機会と能力に恵まれても実行してはならない。安倍さんの友人が安倍さんと志を同じくして協力してはならないという点にある。安倍首相は常に孤立していなければ不正なのだ。これは野党とメディアのコモンセンスだ。一方で、セクハラをしたとされる福田財務次官よりもよほど悪質で、直接手まで出している鳥越俊太郎氏が別段問題視されず、その後もTVでご意見番をしているのは悪魔の条文の有力守護者であるからというのは国民のコモンセンスだ。守護者たちの友人関係は「善」なのだ。自分たちの連帯が素晴らしいからだ。
台湾出身で、台湾国籍をさかのぼって抜くために台湾政府に借りを作っている野党議員や、他人を疑惑の総合商社と非難しておいて自分が詐欺を働き、さらにそのうえで「ワークシェアリングだった」などと珍妙な言い訳をして今また首相を詐欺師扱いしている野党議員、そういう人たちがのほほんと議員を続けていられるのも悪魔の条文の守護者に加担しているからだ。これももちろんコモンセンス。
外国に借りを作った国家権力者がその後どういう行動をとるか、ドイツに特別列車を用立てられたレーニンがドイツと講和をして領土をたくさん割譲した例をみても明らかだろう。そして結局即時講和、平和を叫んでも実際は列強の干渉戦争を呼び込んでしまった。
自分の詐欺を十分に反省しない癖に、ほとんど女と甘酸っぱい時間を過ごせていない私のようなすばらしい日本男児をレイプ魔の子孫として世界に紹介し、歴史に記録しようとする。だれもまずは自分がやりすぎなくらい反省しなさいよと教えてあげない。他人にはやりすぎなくらい反省しなさいと強要してくる。20万人の性奴隷強制連行が嘘八百というもやはりコモンセンスだし、罪のない無力な市民を無実の罪で吊し上げ迫害するのが左翼の政治信条。これもコモンセンス。
私たちの知る権利、野党を正す権利、労働者としての権利、歴史的無実を叫ぶ権利、挙句の果てには総選挙で民意を示す権利でさえも憲法9条を守るという大義名分によって踏みにじられようとしている。この条文があるからこんなことが立て続けに起きるのか!?そうなのであれば、必ず!絶対に!すぐさま!憲法9条悪魔の条文は改憲されなければならない。これこそがここで一番言いたかったコモンセンスだ。
私がもし熱烈な護憲論者なら今すぐこの卑劣な改憲阻止運動を糾弾する。国民すら二派にわけて争わせる平和主義者・武力放棄論者があってたまるか。(武力蜂起論者なら合点がいく。)
そんなやつらには絶対に紛争を話し合いで解決できないだろう。今だって解決できないし、する意思もない。拷問の末無実の罪を自白させるようなことをやっている。まぁ、政治信条からしてそういうやり方が好きなんだろうけど。これもやっぱりコモンセンスだね。
俺(二十代後半)は空想平和主義が好ましいと思ってるので自衛隊も放棄すればいいし、それで日本が攻め込まれたなら誇り高く死んでいけばいいと思ってるけど、まあたぶんこれに同意する人は少ないだろうから、
今こそリベラルや左派は、現在の憲法のうち9条のみを改正し、「戦争放棄」を「侵略放棄」に変えた上で、明確に国防軍の保持を認め、その上で9条以外の現憲法の人権を尊重する良い所は断固守る、という態度を示すべきだ。
というのは確かにいいことだと思う。
でも、多分分かって書いてるだろうけど、実質、入れるかどうか迷うタイプの人が考えるのは実質自民党に入れるかどうかだ。おおさか維新や日本こころは泡沫政党とほぼ同じで、公明党は宗教票が入るだけ。
で、自民党に入れるのは改憲に賛成なわけではなく、他の部分に賛成だからだろう。
いや、もっと正確に言えば、リベラル政党に入れられないから自民党に入れるしかない。
いやいや、というか、リベラル政党がリベラルだから駄目なのではない。保守もリベラルもお題目としてはまあそれなりに魅力あるけど、現実の運営手腕などがちゃんとしてそうなリベラル政党がないから仕方なく自民に入れてるだけだ。
是非改憲したい層が自民に入れてると言うより、改憲はまあやってもいいかなだとか、改憲はできればしてほしくないけど自民以外はクソオブクソだし、ほどほどのクソである自民を選ぶのとバーターでついてくるならまあ許容せざるを得ない、くらいの感覚ではないか。
最近の各種報道によれば、今度の選挙でいわゆる改憲勢力(自民、公明、おおさか維新、日本のこころ)が議席の3分の2をうかがう勢いなのだそうだ。
このままの流れだと近い将来自民党のクソ改憲案のような新憲法が制定され、日本は暗黒の中世国家になるだろう。
これを防ぐ為には何をすべきだろうか?
ひたすらに「護憲」を訴える、という方法もまあアリではある。現在の日本国憲法の素晴らしさをひたすらに訴える、という正攻法である。
しかしながら、この方法で現在の流れを食い止めるのは相当に厳しいものがあるのではないだろうか。
新聞各紙のアンケートなどでは憲法改正には反対、という意見が若干多いが、大差をつけている訳ではない。その背景には、現在の憲法で国防は大丈夫なのか?という疑問が少なくないからではないだろうか?
「現在の憲法を改正しなくともしっかりとした国防は出来る」という意見にも一理はある。しかしそれで国民の大半の国防に対する不安を取り除けるのだろうか?
今こそリベラルや左派は、現在の憲法のうち9条のみを改正し、「戦争放棄」を「侵略放棄」に変えた上で、明確に国防軍の保持を認め、その上で9条以外の現憲法の人権を尊重する良い所は断固守る、という態度を示すべきだ。9条の空想平和主義を信じているのは今や大半が高齢者だろう。
9条の会をはじめ多くの左の方々が、軍を持たなければ、どこも攻めてこない。
戦争なんか起きない。井筒監督とかはせめて来れば全員、降伏して迎え入れればいいとか言ってる。
逆らわなければ殺されない。
その一方で、南京大虐殺で日本人は酷いことをした。謝罪しなければ、従軍慰安婦は悪魔の所業だと、同じ口が叫んでいる。
バカじゃなかろうか。
南京がねつ造とか、慰安婦なんかいなかったとか、色々、議論や意見はあるけどそれは置いといて、
南京大虐殺があったと言う人間が、戦争放棄とか自衛隊反対とか言うのが、矛盾なんだと思わないのだろうか。
南京で大虐殺があったとするならば、軍と言うのは暴走し、残虐な行為を平気で行う組織だという事になる。ならばそれが人民解放軍が同様の事を行うことは想定して当然だと思う。
南京大虐殺があったとするならば、当然、東京大虐殺が起きる未来もあるはずだ。
南京大虐殺は誇張されねつ造レベルに達していると言うのが僕の意見だが、それはさておき。
南京大虐殺があったと言う人間が、軍備を持つことに反対するのがどうにも、矛盾に思えて仕方がない。
彼らはバカだろうか。
そういった目に見える世界は、大きく7つにわけられる。
アメリカ、中国、インド、ヨーロッパ、アラブ、アフリカ、南米だ。
それ以外はまあ、誤差みたいなもんだ。
インドはパキスタンと揉めがちだし、アフリカと南米は相変わらずの貧困状態だ。
世界はまだ美しくはない。
信念は規律に繋がり、規律は暴力を抑制するが、暴力無くしては理念は貫けない。
世界は殴り合いを続けながらそれぞれの信念に基づく正常な状態を目指している。
結局のところ、誰も殴りかかってこなければ、正当防衛の権利など必要無い。
目指す理想無くしてはそこへ向かう階段はつくれないし、魔法を唱えても階段は出来ない。
多大な時間と、恐らくは相当な犠牲を伴って、信念を基に長い石階段は作り上げられる。
そして、無情な時間は記録しない物事を押し流し、今ある事物から物語は逆算される。
例えば、日本ですらガンディーが非暴力を主張していたことは知られている。
しかし、インドは世界でも有数の軍事力を持ち、そしてその当初から構成員は志願制だ。
「ガンディーは国家を独立させた偉大な人物だが、夢想家で非現実的」というのが、
インド北部におけるインテリ層の多数を占める意見だと聞けば、驚くだろうか。
さて、日本が少子高齢化社会だということは、概ね同意を得られるだろう。
第二次世界大戦が終わりベビーブームが訪れて以降、一貫して合計特殊出生率は右肩下がりだ。
人口置換水準と呼ばれる「人口が減らない基準」を、1974年以降ずっと下回り続けている。
より正確に言えば、丙午の反発を含めた、いざなぎ景気期間ですら、ぎりぎり上回っていただけだ。
団塊の世代が思い描く古き良き昭和の時代も、全体の出生数が多く、個人の出生率は低い。
改正高年齢者雇用安定法で、企業は定年後も年金支給までは人を雇い続ける事が義務になりました。
政府は、投票権を含む成年の定義を引き下げて、18歳以上にしようとしています。
国立大学法人化から10年、国から給付される大学の予算は減り続けています。
貸与奨学金の実態は学生ローンと変わらず、悲惨な現実が増えています。
国際比較で日本の15歳の学力レベルは、トップクラスを誇っています。
一家族に子供が3~4人で当たり前な社会にするには、裕福な生活に慣れすぎた。
目の前には、人口が減り続け、大学が増え続け、膨らみ続けた大学生250万人が見える。
憲法第九条は、フィリピンの憲法と同じく戦争放棄を宣言しているし、
侵略戦争を放棄したスペインやフランスと同じく、我々は平和を求めている。
アイスランドやコスタリカも日本と同じく常設の軍隊はなく、武力を持たない。
だから国連に明記された集団的自衛権についての報道で、徴兵制を懸念する声を上げたくなる気持ちは良く判る。
だが、山頂にある寺院に向かう石階段は、赤鬼が一晩で作り上げたのではない。
多大な時間と、恐らくは相当な犠牲を伴って、信念を基に長い石階段は作り上げられる。
政府はいつから短時間労働者の果たす役割の重要性が増大していると言っていた?
バカか。戦争がしたい国や人なんて元からいねーんだよ。でも大切な人、家族、友人、引いては国を守るために戦わねばならないこともあるって気付いてる人の方が多いだけだ。
お前はただ丸腰で黙っていれば相手が引いてくれるとでも思ってるのか?戦いたくないから尖閣を中国にやればいいとでも?
宮崎駿は「戦争するくらいなら侵略されるほうがまし」とまで言っていたが、それは「戦うくらいなら妻がレイプされるほうがまし」と言ってるようなもんだ。
戦争放棄という名目のもと自衛すらままならない今までの日本の方が糞だったんだよ。おめえみたいなのを平和ボケって言うんだ。いい加減察しろ。