はてなキーワード: 仮想敵とは
私の世界はやりたいことであふれている。
でも、始めてみたらすぐ飽きる。始めるだけマシ、一歩踏み出さず飽きることだってある。
無意識下で仮想敵を創り出し、『ソイツにマウント取られないくらいレベルアップせねば!』という思考に囚われた結果、私はそこで足踏みをする、座り込む。
やりたいことがたくさんあると、ひとつひとつにかけられる時間は残念ながら少なくなって、結果的にレベル上げに時間がかかる。
時間がかかると成長を感じづらい。 『あぁ、仮想敵を打ち負かすくらい強くなれないな』 こんな思いがよぎったら最後、一気に醒めてしまう。
一点集中、一点突破すればいいじゃない?それもそうだ。時間が足りないと申すならば、時間をかければ良いではないか、良いではないか。
『時間をかけた結果がこのザマか!』 うるさいうるさい、分かっている。私は失敗したくないんだ。時間をかけた分、それなりのレベルになることが保証されないのが怖いんだ。
分かっているよ、分かっている。失敗を恐れている限り、レベルを上げて物理で殴るなんてマネできない、仮想敵を打ち負かせない。
恐ろしいよ、恐ろしい。このまま恐れに囚われて、中途半端にやるよりも低次元で終わってしまう自分の姿、おそろしいおそろしい。
何をやっても平均以下だ。何一つ秀でたものがない
バイトも満足にできなければ、就職もできない。もちろん彼女はいたこととない
服もダサいし喋りも下手。インターネットも満足に活用できている気がしねえ
けど、イケメンや美人だったらそんなことも「愛らしい一面」として捉えてくれるんだろう?
俺のようなクズ半ニート人間が、社会復帰するために泥臭く職業訓練通ったり生活保護受けたりしてないんだろう?
俺は悔しいよ、何もできやしないことが。せめて外見だけでもって思うよ。
けど違うんだよな。この仮説が違うことを知っているんだよ俺は。
ごめんよ美人とイケメンの人、ブサイクな俺が仮想敵にしてしまって。
どうしたらいいのよ俺は。なんで俺はこうダメなんだよ
学校の先生的なものを仮想敵にして世間知らずだなんだ揶揄するのは簡単だけど
揶揄してるお前らはどれだけ社会の事をわかってんだ?って思う時もある
そもそも人間の観測範囲なんか狭いわけでネットがあるから世界が見えてるような気がしてるだけなんじゃないのか
サラリーマンってそもそも世間や社会わかってるの?税金も社会保障も会社におんぶにだっこなくせにさ
そもそもユーチューバーやエンタメ芸人なんか一番社会の仕組みわかってねーだろ
でも大人になるってさいかに社会がデタラメでやばい大人なんかろくな奴がいねーそんで自分もろくでもねー
でも生きていくしかないそういう受動的だけど主体的に生きるしかない矛盾のもと歩くしかないとかそういうことじゃねーの?
だから仲間が必要だったり人を好きになったりするんじゃねーのか?
最近なんかぶっ叩ける固有名詞探してギロチンに上げてバズってやろうみたいなバイブスの奴多すぎ
別に先生擁護とかじゃないんだよ憎むべきは社会のシステムや規範であってあいつを殺してやろうってことじゃないはずなんだ
視点はミクロに心はマクロにそういう態度が必要なんじゃないのか?
いつまでお前らはお子様のままでいいね稼いで踊ってんだ?
クソバカタレ!
女の視線でもそんなこと言ってる人いないんだけど。
男はみんなクズ!女はみんなクズ!みたいな異性敵視がネットのトレンドだけど
男にも女にもいいやつとやばいやつがいるのは社会出たら普通に分かることだし
男女じゃなくて「キチガイ」「キチガイじゃない人」でくくった方がいいんじゃないかと思う
写真関係でもバイトテロや撮り鉄で問題起こすのは男でインスタで問題起こすのは女が多いとか男女コミュニティごとの特色くらいはあるだろうけど
架空の異性を仮想敵にするんじゃなくて実害出てるキチガイをちゃんと狙い撃ちしてほしい
追記なんだけど
まともな女・キチガイの女vs男全体 じゃなくて
まともな男女vsキチガイの男女が終着点になってほしいっていう話です
キチガイのために引っ掻き回されるのが嫌なんだよ
表現の自由を守りたいという意見は、それを原則論として語りつつも、背後にある危機感はなんだろう。
ようするに、「快不快」によって表現の流通が左右される社会が是か否か、ということが動機のように思えた。
そうであれば、すごくよくわかる。いや、わかるというのは、同意しているわけじゃなくて、なるほどな、だから日本の表現の自由ってふわっとしてるんだなということ。
振り返ってみる。
日本の表現規制の有り様は、戦前のエロ・グロ・ナンセンス発禁にあるように、当局が国民の大多数が不快と思うであろう「不健全」で「公序良俗」に反する表現を対象としてきた。
つまり、割り切った言い方をすれば「健全」と戦っているのが表現の自由の戦士だというふうに思える。
でも、ひとたび、「表現の自由」の思想的な出発点をヨーロッパやアメリカの歴史から振り返ってみると、戦士の動機づけとしてはあまりにも心もとない。
表現の自由とひとことでいっても、思想的な背景は、それぞれ背負っている歴史が異なる。
この国の憲法や憲法判例が示してきた表現の自由は、ヨーロッパのそれとはかなり異なる。
17世紀にアメリカに最初に渡ったピルグリムファーザーズの世代は特に、当時のヨーロッパのプロテスタントに対する不寛容の被害者であった。
メイフラワー号の協約に象徴されるように、お互いに異なるFaith(信条)を持つ者同士が、どちらが正しいとして糾弾することなく、社会を構築しようという、社会の多様性の確保が原点だ。
1970年代には、ヘイトスピーチを巡ってさまざまな紛争が連邦最高裁まであがり、不協和音こそ社会の強さとまで判決の意見で述べているものがある。
当時の裁判官のたとえを援用すれば、空気を浄化しようとするやつが社会の敵なのだ。
人間は不完全なのだから、正しいものなど、最初から先験的に決められない。ということから、この国では、思想の自由市場などという言い方も生まれてくる。
しかし、他方で伝統的な価値観や習慣もそれなりに強い。いやかなり強い。
そういう土地柄では、動機づけとして、多様性の確保というのは、正直、あまりピンとこない。
むしろ、彼らの原点は、教会から弾圧された経験であり、その反動としての「神を冒涜する権利」だ。
伝統的にカトリック教徒でありながらアンチクライストを叫ぶ、そんな権利を求めている。
とくにフランスでは、公共空間を設計するにあたり、真理の判断権を持つかのように振る舞う教会がとてもまずい存在だった。
権力をふるいたがる教会に口出しをさせないことが重要なテーマだった。
それゆえ、その解決のため、一方では、表現の自由というコンセプトで権利を宣言し、他方で、政教分離という原則を確立して、公共空間設計のための理論武装をしていく。
だから、イスラムのスカーフを公立学校から排除しようとしたりする動きが起きるし、
ひとたびムスリムの神を冒涜するような表現をしたことで、襲撃を受けたりすると、社会は「涜神の権利はいずこに」とがぜん盛り上がるわけだ。
アメリカにしても、フランスにしても、それぞれ動機づけは異なるものの、表現の自由を守ろうとする信念というか確信の力は、
極めて強い。テロがあったり、社会情勢の変化で揺れ動いたりするものの、いざ事が最高裁までいくと、
じゃあ、国づくりの原点に戻ろうじゃないかという話になって、17世紀の悲惨な経験が思い出として蘇ってくる。
その動機づけの強さにこそ、新大陸にしても、旧大陸にしても、表現の自由を将来に渡って確保しようとするエネルギーの再生産があり、いわば持続性がある。
翻って、日本。
快不快のような勝手な基準で決めつけられたくはないよね、誰しも。
でも動機づけとして、やっぱり弱いんだよね。
ここで、仮に、日本は、アメリカ式の表現の自由を真似っ子しているのだ、としようか。
でも、日本社会は、アメリカほどには、多様性を求めてないでしょ。むしろ移民なんか大嫌いでしょ。
多様な意見なんか、どの組織でも出てこないでしょ。会議でも右に習えでしょ。
普段から多様性を確保しようというマインドがベースにあって成り立っている社会とは全く違う。
そんな社会では、エロい表現のときだけ急に表現の自由だのと盛り上がるのは、歯が浮くような思いがする。
公共空間におけるエッチなものの取扱なんて、はっきりいって、社会が合意していればどっちだっていい。
じゃあ今度は、大陸が17世紀に経験した熾烈なコンフェッショナリズム、この思想的な背景を
表現の自由として日本国憲法が参照している、と仮に想像してみる。
この場合、仮想敵は、いってみれば、国家神道とファシズムかな。
(*ところで大河ドラマの「いだてん」って、健康ファシズムの視点でみると面白いらしいね。みてないけど)
「国によって右へならえを強制され続けた結果、自分たちが戦争に動員されてひどい目にあった思い出」とでもいうべき動機づけは
定期的に思い出す機会があるかぎりは、ある程度は持続的たりうるのかもしれない。
でも、第二次世界大戦を思い起こしてみると、国民が国家のキャンペーンに煽られて動員させられる、というのは、
なにも敗戦国のドイツや日本に限った話じゃないし、アメリカ含め、あちこちの国でウイルスのようにファシズムが蔓延しかけていたのが現実。
またファシズムをコントロールできた国もない。その意味で、真の意味でファシズムに抗し切った国はないように思う。
表現の自由っていったところで、自然の摂理かのように、神がバランスをとってくれるわけじゃないんだよね。
そうすると、いざ日本にとって対外的な脅威(例えばアジアの隣あたりの国らへん)が増せば、
表現の自由なんか、どうでもよくなっちゃう程度のものなんじゃないか。
このあたりの感覚は、動機づけとしては重要なんだけど、日本の場合、ちゃんと思想として、自分たちの言葉で自分たちを守る武器として昇華してないんだよね。
敗戦で混乱していた時期にすかさず、日本国憲法を戦勝国からもらった、というところで思考停止になった、という面はあるかもしれない。
もらったもので、とりあえず勉強して運用してみよう、という時期が最初はあってもいいかもしれない。
でも、戦後30年、40年、とりいそぎ運用していたものが定着していく、という過程で
例えば「思想の自由市場」ってよくよく考えてみると、日本社会では、あまりピンと来なくね?みたいな気づきがあっても良かった。正直、「思想の自由市場」って日本社会じゃ、なんの役にも立たない理屈だと思うんだよね最近。
また、フランスの公立学校でのムスリムのスカーフ論争。大方の日本人は、何あれ?状態。背景となる歴史が違うんだから
それを知らずに無理やり、政教分離って憲法に書いてあることを適用しようとしてきて、実は消化不良を起こしているんだけど、
そういうことがよくわかったという話。
この間、知人でいわゆる嫌韓を主張してる人と話していて愕然としたんだが、日本と韓国の右翼・左翼の区別がついていなかったんだよな。ちょっとびっくりしたんだ。
文在寅政権は、これはまあ日本から見ても韓国から見ても左翼ということになるのだろうけれど、韓国で左翼とされる理由は「リベラルだから」ではない。韓国における「左翼」というのは、ほぼイコール「親北」なのね。そして韓国における「左翼」の主張は、日本人が思うよりもかなりキナ臭い。なにせ、
とか言うからね。こういう人々だから、仮想敵国としての北朝鮮の位置を変えるために、他の仮想敵を据える位のことは平気でやるわけなのですよ。
じゃあ右派が良いのか、というと、そんなこともない。韓国における右派は軍や警察のOBなんか……おそらく全斗煥政権辺りまでバリバリやっていたような人々。熱心だが、高齢の人が少なくない。丁度日本における「アベガー」と叫ぶ人々が高齢なのにちょっと似ているかもしれない。
日本では右翼の代名詞は「民族派」って位で、民族主義的な意見は右から出てくるものだよな。けれど、韓国では民族主義ってのはむしろ左翼が主張する。だから、この辺りの違いが共通認識になっていないと話が通じなくなるわけ。面倒くせぇと思いつつ説明したのを思い出しつつ、ここにも書いておくことにしよう……でも皆これ位知ってるよなあ。アイツよっぽどのバカなのかなあ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1320994
今まで何を見てたんだよ。
お前らの見る目のなさというか
表面でちょっとごまかし入れたらすぐに騙されるチョロさが心配だよ。
お前らhagexについても過大評価つーか悪い点から目をそらしすぎだが、彼の死は理不尽で気の毒だからそこは言わないよ。
でもフミコフミオについて今までは良かったとか言ってるやつ、ほんとバカじゃねえのか。
終始自分以外のことをバカにして自分を上げるスタイルは何一つ変わってないよ。
今までは目上の者をバカにしてたけど、自分より弱いやつにターゲット変えただけ。
前の会社員時代は無職やニートを叩いていたな。いざ自分が無職になると途端に叩くのやめたね。立場が変わるたびにマウント取れる仮想敵を叩くんだね
もともと性格は悪くて嫌味っぽい人だった。でもひどい境遇の中でのボヤキやグチだからとてもおもしろかったんだけど、いい会社に入って偉くなって、ただ嫌な人になったな、という感じ
これだよこれ。これ以外の評価のやつって、自分がいかに文章読む力がないかを恥じろ
なのに、マウントする相手が変わったから自分にとって不快になったって告白するやつは
普段文章を自分にとって気持ちいかどうかでしか考えてない馬鹿って言ってるようなもんだよ。
お前らって、ほんとバカ。
まさに帝王切開で産まれた男だが、何歳の頃かは忘れたが、ガキの頃に母親と一緒に風呂に入ってて、母親から
「帝王切開っていう手術でここを切って、ここからあんたが産まれた」(意訳)
みたいな説明をされたが、リアルタイムでは特に嬉しいも悲しいもなかった(てかガキだからその本当の意味がよくわかってなかった)。強いて言うなら興味深かったかな。
で、だ。
あなたがどう思ってるか知らんけど、帝王切開で産まれた、産んだみたいなことを話すと実際こういうディスり方してくる奴がいるんだよ。
全員の意見がそうじゃないなんて当たり前だけどさー、その男の人、身近な誰かに現実にそう言われた経験があるんじゃないの? 少なくとも俺は言われたことありますね。仮想敵とは限らないよね。
「俺は出産で腹を切ることは生涯ないけど、ママは切ったんだぜ」というマザコンっぽさがこの発言から若干におうので気持ち悪い。
帝王切開で産まれた男として申し上げるが、意味のわかんなかったガキの頃はともかく、大人になった今なら、そんだけ大変な思いをして産んでくれたことに感謝してますね。それを『わからないなりにうれしかった』と表現することに何ら違和感無いよ。そもそも自分が産まれたイベントを肯定的に言えない人ってかなりヤバくない? 帝王切開で産まれてきて消えない傷をつけて母親に申し訳なかったとでも言って欲しかったわけ? そっちの方がかなりヤバくない?
ま、あなたに言わせたら、俺もマザコンで気持ち悪いだけなのかもしれないけどね。ただ、思い込みで人を気持ち悪がってるのはあなただからね。そこはわかっといてね。