2017-11-13

自分けが不利益を被っているという感覚

日々仕事をしていく中で、自分けがテンパっていて、周りの同僚はなんとなくうまく、楽しくやっているように見える。でもそれは、自分思い込みだということが最近わかった。

先日の飲み会で、同僚の一人がいか自分が不幸かということをこれでもかと話し続けたので、さすがに苛々した。と同時に、ああその感覚って俺にもあるやつだなあと思った。その不幸自慢の同僚からみた俺は、それなりにうまくやっている人間に見えているのだろう。

かに自分は、仕事で追い詰められているときでも平静を装う。でも頭の中では思考はフル回転している。

だけどこれって、社会人ならみんなそうであるはず。自分が辛い目にあっているなどとわざわざアピールするのは、大人ではない。

このすれ違いは、家庭に当てはめることができるように思えた。

から見た夫の姿はきっと、自分の苦労など知らない生意気な男に見えることだろう。残業時間でくたびれて帰ってきたときでさえ。

から見た妻は、大して労働もしていない癖に口だけは達者な煙たい女に見えるだろう。具体的にどんなストレスを抱えているのか知ることもなく。

理性的大人でさえ、自分を中心せずに物事を考えるのは難しいことだと思う。みんなもっと他者が苦労していることを意識した方がいのではないか

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