はてなキーワード: リア充とは
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
ここだけの話、私も少し前までは誰が作ったか見分けがつかなくてな。
今でも百合とか薔薇とか、右とか左とか、リベラルの種類やPCあたりは正直なところ記憶が怪しい。
ブクマの多さがホッテントリに密接に関係している以上、「ブクマしている人間がしょうもないから」というのが答えになってしまうな。
まあ、あくまで君の主張に則った上での回答だが。
つまり、その「“しょうもない”中に君が含まれていない」というのが本質的な回答になる。
君がその“しょうもない”人間に加担した覚えがあるなら自明の理だが。
今回学ぶべきは、「大局的に見れば、しょうもないモノの方が遥かに多い」ということだ。
その次元内では、しょうもないと思っていないからブクマしているかもしれないし、思っていてなおブクマしている人間だっているかもしれない。
幸か不幸か、私の質問会場はしょうもなくないことが多いが。
スープにできた膜を食べる仕事も大概だが、こっちはまだ理解できる方だからな。
昔の日本でも敵討ちは認められていたから、そんな感じになるだろうな。
そういったものを題材にした演目もいくつかあるので、私刑行為ってのは古今東西需要があったわけだ。
私が知っているレベルの時代劇とかでも、基本的には悪い奴らを非合法な手段や、超法規的措置で成敗するものが多いしな。
とはいっても演目になる程度には、理想と現実が異なっていることの証左でもあるが。
多くは返り討ちに合うか、そもそも仇相手と出会うこともないまま旅の途中で死んでいたようだ。
武家とかは仇を討たないと家督を継げないなんていう風潮もあり、嫌々やらされることも珍しくなかった。
つまり何かを公に認めるということは、しがらみも多くなりやすいってことだ。
友人とは中高生のころに知り合い、もう10年来の付き合いである。
友人とは席が前後だったことがきっかけで仲良くなり、お互いオタクだったこともあってすぐに仲良くなった。
友人と私含めたグループで昼ご飯を一緒に食べたり、放課後にどこかに寄り道して遊んだり、土日に集まって
馬鹿な事をして遊んだりした。あの時は本当に楽しかった。短い私の人生の中で一番楽しかった瞬間だと、今も胸を張って言えるぐらい。
大学生になっても、社会人になっても、友人との関係は続いた。会う頻度は減ったけれど、集まればすぐに学生の頃に戻った。
友人がおかしくなったのは3年付き合った彼氏にふられてからだ。
私からするとろくでもない男だったが(友人から話を聞いていて正直別れてしまえと3年間ずっと思っていた)
友人にとっては大切な彼氏だったようで、別れた後の友人の憔悴っぷりは凄まじかった。
体調が悪く、精神的に不安定な状態がずっと続いた友人を私は心配していたが、ある瞬間から友人は持ち直し、以前のように元気になった。
元々ミュージカル等が好きだった友人は舞台にはまり、推し俳優ができた。
友人の推しである俳優Aは確かにかっこよく、人気があるというのにも頷けた。
友人は推しの舞台に足しげく通い、パンフレットやブロマイドを買い、DVDをそろえ、TVに一瞬でもうつっていたら必ず録画した。
一時期鬱状態にも近かった友人が元気にオタク活動をしているのを見て、私は良かったなぁと思っていた。
ただその安心は、今思えばかりそめだった。
初めて違和感を感じたのは、友人が旅行に行くのを渋った時だ。二人で旅行でもしたいね、とは昔からよく話していたのだが、
私が「連休の時にここに行くのはどう?」という提案をしたら「高いから無理」と却下されてしまった。
場所は伏せるが金額にして5万である。いわく、最近入り用が多く、一人暮らしの身としては、今は5万すらも厳しいと。
そもそも私と友人の休みを合わせるとしたら飛行機が安い時期にチケットを取れるわけがないので何を今更とは思ったが、
まぁそういう時もあるよなと思い直し、その旅行の話は無くなった。
だがツイッターを開くと、友人は俳優A目当てに同じ舞台を一月に10回以上観に行き、宿泊込みの遠征にも行っていた。
すっと自分の血が冷たくなるのを感じた。
このエピソードに似たことが他にもあり、自然と友人とは疎遠になった。
疎遠になっている間、友人とは一切会話をしなかったが、ツイートはタイムラインに表示されるのでたまに見ていた。
友人はネット上で舞台仲間を作り、どんどん俳優Aに傾倒していった。
舞台を観に行くだけでなく、写真集を買ったり、握手会などのイベントに参加してチェキを撮ったりしていた。
そんな友人のホームは舞台関係のツイートか『彼氏なんていなくても人生楽しい』『結婚しろと言ってくる世の中はクソ』
みたいなリツイートが大半だった。
この前、学生時代のグループで久しぶりに集まろうという話になり、私は友人と再会した。
その時友人は「旦那はいらないけど子どもは欲しいなwだからまぁ…結婚したほうが良いんだろうけど」と笑って言っていた。
誰がお前みたいな人間愛すかバーーーーーーーーカ!!!!!!!!!!!!!!
普段舞台に金ドブみたいにつぎ込んで?リアルの予定全部ブッチして舞台行って?半年とか1年後も舞台の予定が
スケジュールにびっしりだからそもそもリア友との予定が皆無のお前なんか誰が好きになるかバカ!頭おかしいんじゃねぇのか?
舞台以外に金払いたくねぇから今日の飲み会もテメー一人だけ金少なく出したの気付いてんだよバーカ!
何が「おろすの忘れちゃったwごめんw」じゃねぇよクズ!
リア充に対して嫉妬があるなら同じようにすればいいじゃん。舞台に逃げるのやめればいいじゃん。
趣味が無い人間、彼氏がいる人間、結婚する人間、ディスる意味がわからんわ。
舞台を至高の趣味みたいに思ってその他の趣味をディスる神経もわからん。
お前みたいにプライドが高くて周りの人間を下げなければ生きていけない人間、誰が好きになると思ってるの?
女だろうが、男だろうが、誰もお前なんか愛さないよ。だって一緒にいても楽しくないもの。
学生のころはそんなんじゃなかったじゃん。確かに昔からひがみっぽいとこはあったし、片鱗はあったけど、こんなんじゃなかったじゃん。
今のお前、最低だよ。プライドばっか高くて、他人の悪口ばっかり。なんでこんな風になっちゃったんだろう。
お前じゃなくて私が変わったのかな。どっちも変わったのかもしれない。
結婚しても、何歳になっても、ずっと仲良くしようねって、言ってたあの頃に戻ってよ。
厳密に全てのスポーツがこなせなくても、サッカー、バスケ、バレー、草野球、水泳、サーフィン、スノボ辺りがまんべんなくこなせれば、色んな仲間と楽しく過ごせそうで羨ましいわ。
プラス、キャンプとかのアウトドア好きで、更にエレキかアコギの1つも弾ければ完璧だろう。
他のスポーツだと、テニスは大学でヤリサーに入るなら必須だろうけど、他で彼女作るつもりなら多分不要。
ラグビー、アメフト、柔道は爽やかというよりガチムチな印象だし、スケボーはヤンキーっぽいし、卓球、バド、剣道、弓道、アーチェリー、自転車、モータースポーツその他マイナーな競技は「へえ凄いんだね」で終わりそうなので、まあできないよりはできた方が話題に困らないかも?という感じ。
楽器についてもトランペットとサックス(アルトとテナーのみ)はともかく、ピアノやバイオリンやフルートだと「男なのにやるんだ?ふーん」ってなりそうだし、ベースやドラムは地味だし、クラシックギターはオタクっぽいし、その他の楽器に至っては「どんな楽器だっけ?」になりそうだから、あんま表に出す必要性が感じられない。
ともかく、スポーツを中心にメジャーどころの趣味や娯楽を押さえていれば、それだけで独身時代はもちろん、家族ができても子供と遊ぶネタや他の親と交流するネタにも尽きないし、リア充ってのはこういうのを指すんだろうと思う。
だけどそれは、思えば現実からの逃避だったのかもしれない。と最近思うようになってきた。
家業があり、幼少期からそれを見てきた自分はそんなことはやりたくないと思いそれだけを口にして絵を描いてきた。
インターネットを手に入れ、ネットの世界に絵をアップされると簡単に承認された。絵を描く人間のコミュニティに住まなかったからだ。
絵を描いてはインターネットに投げ、承認される。そんな日々を繰り返した後。
本格的に絵を描こうと絵描きのコミュニティに投稿してみると世界が変わった。自分の絵も漫画も褒めてくれる人間はごく少数だった。
なんとなく、萎えた。
だけど夢を口にするのはやめなかった。
高校時分、上級学校に進学するとき専門の道に進むことも考えた。
その道に進むなら学費は出せないと親に言われた。
受験勉強もひどかった。進学先も反対された自分は特進クラスとして講習などを受けたが、それすらもほっぽって現実から逃げた。
要するに、何もしなかった。参考書をなぞり、その場しのぎの用語を覚え、勉強をする気はなかった。
だがそこはつまらないオタクがただ駄弁り、リア充になりきれないやつが羽目を外す真似をし、遊ぶための部活だった。
流された。
絵は描いた。優越感や承認は簡単に手に入った。周りのやつらは絵を描かなかったからだ。
中にはとりわけ上手い人間もいた。だけど近づかなかったし、仲良くもできなかった。
何故か。今思うと、あれは自分の絵がその人間の絵と比べられ、劣っているものと認識されるのが怖かったからだ。
私生活ではプライベートで絵を描いた。しかしそこには上達しようという意識はなかった。
描くだけで楽しかった。
そんなまま、あっという間に4年間が過ぎた。
漫研は中途で体部し、承認される場がなくなったせいで萎えたのか、自分から絵を描かなくなっていた。
就職しなければいけない。
「働いているサラリーマンはつまらない顔をしている。あんな大人にはなりたくない。夢を追いかける。」
八方美人だった自分はバイト先では気に入られ、承認を手にする。
だけど絵や漫画は怖かった。
持ち込みにいこうと決心するにも、自分の絵や漫画が他人にけなされるのが怖く、足を運ぶこともなかった。
1年と半年がすぎた。
2年目の春には、親と自分との暗黙の了解で、実家に帰ってくるという約束をしていた。
自分の絵はプロと比較してお世辞にも上手いとは言えないレベルだった。
どうすればいいんだろう。
こんな自分にかまってくれる友人を羨んだし、自分にも失望した。
たくさん考えた。
夢ってなんだろう。他の人はどうなんだろう。こんな家庭に生まれなければ。環境が違っていれば。絵が上手ければ。
この先、生きていけると思えない。
田舎の闇を見た。
暗くてオタクっぽかったのでめちゃくちゃにイジメられていた。実家ごと引っ越して高校は隣県のとこに行ったらしいので以後の消息は不明。
ていうか期待していた。
「自殺してねえかなあ」とか「友達できてたらむかつくなあ。イジメられてこと教えなきゃ」とかそんなことばっか言ってた。
大人になっても、昔から知ってる同年代と職場やプライベートでつるんでいくようなこの地域では過去が過去にならない。
だから、みんなの心のなかにはいつもイジメられてた「あいつ」がいつまでもいた。
中学卒業から10年間くらい経って、就職したり結婚したりしても、みんなは相変わらず「あいつ」の引越し先や現在の生活を探ろうと躍起になって情報交換してた。
俺も情報なんかあったら知らせるよう言われてた。
つい最近、「あいつ」の動向が突然わかった。速攻で知れ渡った。
絶対にわからないようにボカすけど、クリエイターとしてその業界の有望な若手になってた。多分、金持ち。
当然、みんなは呆然とする。
みんな、せいぜい役場の職員とか教師とかで、他は中古車屋とか零細建設会社とかパチンコ屋とかに勤めてた。
間違いなくそこらへんのショボいオッサン、オバハンとして一生を終えるのは見えてる。
ていうかブチ切れてた。
もう集まれば、遠くの世界へ行った「あいつ」の話題で持ちきりだった。許せないってキレまくってた。
「俺もう我慢できねえから週刊誌に告発するわ」っていうのはそんなときに出た言葉。
なにを告発するんだ?と訊いたら
「俺たちにイジメられてたこと。キモいこと」と真顔で返された。
もう全員ダメだと思った。
ドブみたいな人生を「仲間サイコー!地元サイコー!」って喚き散らして年取るだけだとわかった。
これでもう地元が大嫌いになったわ。
なんか真面目に告発を目的としたグループみたいなの最近作り始めたらしい。
嫌だなあ。
自分の子供をこんな奴らがいる地域で育てたくねえよ。しかも、なにかと家族ぐるみで絡む機会多いし悪夢だわ。
こいつらウジ虫以下だわ。