はてなキーワード: フリック入力とは
https://anond.hatelabo.jp/20210509234048
たぶん増田はITリテラシが高い人が集まるところ。Web全体も世間全体に比べれば、そりゃITリテラシが高い。
そのせいでChrome OSに対してのコメントが明後日の方に的外れになりがちだと感じた。
いま増田の主力のひとたち(世代)は少年期や青年期にPCが登場してそれに触れ、可能性や発展を肌身に感じて過ごしてきた。自分も世代的にはまさにそうだ。大げさに言っちゃえばMS-DOSでユーザー割当メモリ空間を自分で仕切ってたような人間だ。
そういう人間の一人として「これからはPCの時代で全国民が相応のITリテラシを身につけるべきだ」と思ってきたし、事実そうなると確信してるし、下手したら「え?そうなっていってるじゃん」とか思ってる。
でも実はそうじゃなかった。そうじゃなかったというか、その世代である僕らの考える「ITリテラシ」と10年代20年代の考える「ITリテラシ」の間には乖離があったのだ。それはキーボードだ。
人類はITのもたらすエンタメや利便性が大好きで歓迎したけど、僕らが思うほどにはPCのキーボードが好きじゃなかった。
なお僕はキーボードが大好きである。大半の古いPCユーザーも好きだ。好きだっていうか、好きか嫌いかを考えもしないほど一体化してる。当たり前だ。僕らの経験では、PCの入力デバイスとしてキーボードはタッチパネルよりもマウスよりも先にあったのだ。っていうかPCはキーボードでキーボードはPCだろ。Amigaなんてキーボード一体型だぞ。僕なんて役所なんかで手書きの書類を記入しなければいけなくなるたびに(それが文字数にして数百文字であろうと)なんでキーボードデバイスないんだよと嘆くほどだ。
そんな具合に僕らがなんの疑問も持たないでいる間に、ITを取り巻く環境は進歩し、デバイスの中心にスマホが躍り出た。スマホには(通常)キーボードが付属していない。つまり、僕らが当たり前だと考えてきたことは当たり前ではなかったのだ。僕らの考える「ITリテラシ」にはキーボードが不可欠で分離できるとは思っていなかったけれど、10年代20年代の考える「ITリテラシ」にそれは必須ではない。フリック入力でクックパッドのレシピは調べられる。
しかし、PC黎明期を知る僕らの無批判なテック信仰「ITリテラシ」や、10年代20年代のこれで使えてるんやから問題ないやろ「ITリテラシ」以外の、いわば産業界の求める人材として「ITリテラシ」もある。昨今流行の言葉で言えば生産性だ。生産性の話で言えば、キーボードと大画面慣れはほしい能力だ。スマホでスタートしてゴールしてしまった10年代20年代は実際にキーボードを使う能力が低かったりするし、大画面で見渡すことによるデザイン的な文章作成が苦手だ。
そういう要求に対して生まれた回答、そして教育用のChrome OSなのだ。
Chrome OSとその搭載PCのコンセプトは明確で、「大画面とキーボードのくっついたスマホ」だ。
Chrome PCに対する批判の多くは要するに「こんなの僕らの愛したPCじゃない!」ってものなんだけど、そんなの当たり前だ。でっかいスマホなんだから。
そう。スマホなのだ。あれは。スマホ慣れしたスマホネイティブに大画面とキーボードを教化する布教マシンなのだ。
自分は長いこと仕事でChrome OSのノートを使っているけれど、世代的には旧世代だ。だからChrome OSのPCに対して同世代やITリテラシが一般に高いとされている人が物足りなく思い、あれが出来ない、これが出来ないという感想になるのもわかる。なんだコレおもちゃじゃないか、という批判も理解は出来る。
でも一方でそれはとてつもなく野暮だということも理解してほしく思う。それは松屋へ行って和牛じゃないとか牛の甘さが抜けてるとか味噌汁がインスタントだとか文句をつけるのと似た行為だ。いってしまえば、Chrome OSにおいて僕らは対象とされるユーザーじゃないのだ。CPU性能が貧弱で〜とか批判するのも的はずれだろう。あれは「大画面とキーボードのくっついたスマホ」でしかないのだから。
Wordファイルでレポートを提出するのが当たり前になりつつある大学で、レポートの草稿はスマホで書いて提出のたびに漫画喫茶のPCで構成するとかあんまりにあんまりだ。そんなのでクオリティ上がるはずもないし、就職後の実務的な能力も頭打ちになる。キーボードを普及しなければならないのだ。そしてChrome OSはそういう人向けのアイテムなのだ。
ウェブはテキストこそ本道と思ってたが、最近は動画が主流になってると耳にして、もう俺はダメだと思った。
こないだたまたま若い人とカジュアルに話ししてて「好きなYouTuberとかいますか?」って問われ、その、YouTuberを見るのは当然といった口ぶりに、断絶と絶望を感じた。
ああ、俺はもう若くない。デジタルディバイドの弾かれる側になってしまった。
ハイパーテキストトランスファープロトコルでやりとりしてるんだからテキストベースのやりとりが当たり前だろなんて話はもう通じない。
動画文化になじめない。インターネットで時間を強制的に拘束されるのがやりきれない。俺のペースで情報を獲得させろ。
昔はhtml+cssで自分のホムペ作ったりもしてたがHTML5でついていけなくなった。
スマホは実用的に使う分には使えているが、若い人が超速でフリック入力してるのを見てると、ああすげえなって思う。俺も慣れようとフリック入力10年使ってるけど全然上達しない。QWERTYキーボードの方が速い。
どの創作においても1度は何かしら炎上するし、某ジャンルの二次創作を嗜んでいる私も御多分に漏れず炎上経験がある。
簡単に説明すると、オフで仲の良い友人がジャンルでのいわゆる大手で、おけパ状態の私は絵師友人信者の嫉妬から完全に巻き込まれた形での炎上だった。
今でこそ笑い話だが、当時は匿名の誹謗中傷に対してそれなりに病んだこともある。そんな時に支えてくれたのがこのフォロワー、Aさんだった。
Aさんとは同じジャンルのよしみで仲良くなり、この炎上をきっかけに心配のDMをくれたことからLINEを交換し、プライベートなやりとりをするようになり、会える距離にいるということもわかった。炎上の渦中で病んで自暴自棄になったり、匿名攻撃のせいで友人との関係に亀裂が入りかけたときも、Aさんはずっと支えてくれた。
Aさんは私より年上で、それなりのお歳だった。本人は「婚期を逃して独身です」と言っていたが、Aさんの寄り添うような優しさを以てしてなぜその年齢で独身なのか、私にはわからなかった。
友達付き合いの相談をしたこともあり、Aさんは「友達がいないので相談にのれるかどうかわからない」と言っていたが、人間関係においてAさんのように「一歩引いて我を出しすぎない謙虚さ」というのは貴重だと思うのに、なぜ友人が少ないのだろうか。
疑問はすべて、半日を共に過ごしたら分かった。
車移動がメインの私と免許を持っていないAさんなので、Aさんの行動エリア寄りの場所で会うことになった。
待ち合わせ場所まで迎えに行って到着の連絡をすると、Aさんがやってきた。
散髪屋カットのようなショートヘアはパサパサしていて毛艶がない。
首元袖口がヨレヨレで毛玉だらけの濃いグレーのニットに、薄いグレーのスカートってなんでやねん。
「化粧をしない」という人にも二通りあって、「アイメイクやリップメイクはしないけれど肌の手入れには気を付けている人」と「何もしない(ので肌も荒れ放題の)人」がいる思うが、Aさんは後者だった。
とりあえず移動しようと車に乗ってもらったのだが、助手席に置いていた荷物を後ろへ移動させようとした瞬間、後部座席のドアをあけたAさんと目が合った。
Aさんが「?」という顔をしているので、私はその荷物を助手席へ戻した。
Aさん自身がお風呂に入っていないのか、Aさんの洋服に染み付いた皮脂の匂いなのか。
Aさんの第一印象に色々と思うところはあったが、元々がTwitter繋がりだし、それまでが文字のみでの交流で、慕っているのはAさんの人柄だし、見た目がアレでも関係無いと思っていた。この時までは。
Aさんの振る舞いがまるでオタクのテンプレのようなソレなのだ。
まず、Aさんと目が合わない。
話し方も早口だったりどもったりと、まるで誇張されたオタクのよう。
年齢が年齢なので「オイィィィ~!」みたいなのはないけれど、「ちゃんと聞くからもうちょっと落ち着いてください」と言いかけた。
そして一番気になったのは「会話のテンポが合わない」
いままで文字でのやりとりだったので、一番気付きにくい部分だった。
私は文字の上ではタイピング・フリック入力が早く、自分の考えをまとめるのもわりと早い。
そしてAさんは「そうですね」「私は~~だと思いますよ」「~~は良いですね」という感じで割と短めのリアクションだった。
(「Aさんの考えを聞かせてほしい」と言ったときは長文で返してくれることもあった)
長文入力が早い私は、対面では相手の言葉を聞くほうが好きだったりする。
そして、Aさんは早口なうえに対面やり取りでの1ターンが長いのだ。
例えると
Aさん「ホントですね天気予報見て私来る前に洗濯物終わらせてきましたここ最近天気が悪かったので助かりました洗濯機がそろそろギリギリって感じでした帰ってから取り込まないといけないんですよ」
Aさん「それなですよ私独身なので独り身が自分の為だけに家事に追われるってすごく虚しいんですよ自分の為だけに掃除して洗濯してご飯作って働いてとはいえ結婚したからってやらなくていいわけじゃないんですけどね」
といった感じ。
Aさんは早口なので、彼女の1ターンが終わるまで口を挟む余地がなく、その長い1ターンのなかで何度もどもるので会話のテンポがすごく悪い。
もちろん、こちらの言葉を遮るとか、自分の話に持っていくとかではないので不愉快にはならないけど、Aさんが話し出すとAさんの1ターンを黙って待たなければいけなかった。
会話に違和感を覚えたまま夕食予の定の店へ移動した。
そのお店はそこそこの和食屋で、「クロークで上着を預ける」「履物を預ける」などのやりとりが発生する。
その度にAさんはまごついた。
例えばトイレに行きたい場合、店員さんに「お手洗いはどこですか?」と聞けばいいのに、「普段こんなお店に来ないので緊張しちゃってトイレに行きたくなりましたお店の中が迷路みたいですね迷っちゃいそう…トイレ…はどこですかねぇ」と長文の後しばらくまごまごしている。
クロークで上着を預かってもらうにも「あ、これ入口…でお願いする…とかですかねぇ」とまごまごしている。
お手洗いのスリッパを外まで履いて出る。
それらはもうテーブルマナーなどと格式ばった話ではなく、大人としての立ち振る舞いの問題だと思う。
夕食中、オタクなので同じジャンルの話になったりグッズの交換をしたのだけど、Aさんは声が大きい。
奇声をあげたりBでLな話を大声でするわけじゃないけど、とにかく声が大きい。
そしてカフェでは気づかなかったが、Aさんは肘をついて食べていた。
目が悪いのか、皿に顔を近づけて食べる。
逆だよ逆、箸を持つ反対の手で器を持って自分に近づけるんだよ。
そして帰宅。
Aさんの自宅最寄り駅まで送り届けることになったが、普段来ないエリアなので道が分からない。
グーグルナビで検索している最中、合流時と同じようにAさんは後部座席に座り、「すみません」と言うだけでナビすらしてくれない。
地元じゃないですか?と聞くと「普段は人の車に乗せてもらうか、自転車で仕事場と家の往復しかしないから道に詳しくないなにせ友達が少ないので休日に出歩くこともまずないので繁華街からの道となるとよく分からないんですよ」とのこと。
繁華街から田舎への移動だったので、走ったことのない道がどんどん暗くなり、とても怖かった。
Aさんを送り届け、やっと自宅に帰宅して携帯を見ると、AさんはTwitterで推し絵師さんへリプを送っていた。
元々が同じジャンルのオタクなので気持ちは分かるし、GOTOイートの時期とはいえ表立って出歩いた話をするのは控えようと話していたので「私さんとご飯食べてきました!」というツイートがないのは当然だけど、せめて推し絵師さんへの「尊い!」のリプより先に私へ「送迎ありがとうございます」のLINEじゃないんだろうか。
帰宅道中、炎上化中の頃を思い返していたが、Aさんは常に私の考え方や不当な言われに対する私の怒りを尊重してくれていたし、私が病んでいた時に支えてくれていたけれど、積極的に行動を起こしてくれたことはなかった。
連絡はくれるけど「気分転換にでかけよう」と誘ってくれることはないし、「通話しようか?」と誘ってくれることもない。
私が病みすぎていた時に「会いに行くこともできる」とは言っていたけど「会いに行きましょうか?」と言ってくれたことはなかった。
私が絵師友人の信者に絡まれている時も「大丈夫ですか?」と連絡はくれるけれど、自分から積極的に表立って自分の考えを表明してくれることはなかった。
もちろん気にかけてくれることは嬉しいし存在が支えにもなっていたが、「この人はどうして直接的に何かに繋がる“行動”はしないの?」とは思っていた。
会ってわかった。
Aさんは直接的な行動については、まごまごしていて行動しないタイプ。
良くも悪くも「私は理解してます」という、ただそこまでの人だったのだ。
某芸能人の「勝手に嫌いになってるのはそっちの落ち度だぞ」という言葉を思い出し、「期待していて理想と違ったからといって、嫌いになるというのは完全に私の問題でAさんの落ち度はひとつも無い」「タイミングやテンポが合わない人もいるし、それがイコール嫌いになる理由ではない」と考えていた。
これだけ書いておいてなんだが、Aさんの事が嫌いになったわけでも苦手になったわけでもない。
オフでの付き合いにおいて「なんかタイミングが会わない人」というだけで、嫌いな人ではない。
今まで通りオンラインでやりとりをして、もし会う機会があれば場所や環境次第では全然会う。
そこそこのお店へディナーへ行くなどという機会を積極的に作ろうとはしないけれど。
Aさんから会おうといわれることはないだろう。
私はオンライン上でのAさんの考え方や判断における平等性を尊敬していたが、本人が自虐のように繰り返していた「友達がいない、婚期を逃した」に関しては「でしょうね」と思った。
初めて書くにしてはなかなかの内容になる。
なんせ推しがYoutube企画でお酒を飲んでナンパをしてたのだ。
もう動画も削除され謝罪しているのでグループ名をあげることはしない。
今公式アカウントのフォロワーを増やすための企画をしているのに何考えてるの?って言う感じ。
多分この日のインスタライブでもメンバーからの謝罪はあるだろう。
ここまでを見ると「そんなグループ推すのやめなよ」となるだろう。
でも、降りれない。
不適切な発言をしてしまったりこんな企画を受け止めてしまった本人たちも悪いがこれを考えた元は運営サイド。
本人達が望んでやった訳では無いと考えると、どうしても全て嫌うことは出来ない。
「推したいのに、推せない。」
ジレンマが頭で駆け巡って心が苦しい。
これに追い打ちをかけるのは周りのオタク仲間の考えだった。
「連携不足?そんなわけないでしょ」
「もう降りる。」
なんでそんな怖いの?
運営は「謝罪と動画の削除」って私たちが初めに求めてたものをしてくれたじゃん。
内容が内容だったから故に心が狭くなっている。
こんなことがなければ沢山貢いでたんだろう。
「自粛中に好きになって、アルバムも買いました!○○くんすごいかっこよかったです!」
「ほんと?ありがと☺️」
「まじ?嬉しい、やった😆」
と笑顔で答えてくれた。
その笑顔で「私はこの人が好きなんだな。推したいな。」と思えた。
こんな叩かれてたら笑顔なんて出来るわけないだろう。
正直私は本人たちよりこんな企画をやらせた運営がとてつもなく嫌いだ。
彼らのメジャーデビュー曲聞きながらこんなこと書いてて私もだいぶ馬鹿らしいと思いながら未だにスマホのフリック入力を進めている。