はてなキーワード: ハラスメントとは
それはその通り。「強者的な力を持っていないだけの中流以上の女性」という属性であることをもって社会的にケアする必要はまったくない。
女性に限らず医学部の入試点数操作をされたら差別なので是正されるべき。
女性に限らずハラスメントの被害を受けたらケアされるべきだし、それ以前にハラスメント予防を組織として対策すべき。
女性に限らず夜道や満員電車で犯罪被害に遭わないよう治安を向上するべき。
女性に限らず肉体に負荷の高い労働はひとそれぞれの体格や筋力の限界を考慮されるべき。
女性に限らず出産や育児で休職や離職する人の復職を支援すべき。
「女性が被りやすい不利益」だからといって女性向けのケア・支援・同情をしたら、少数ながらそこから漏れた被害者(男性)がいる、という問題だと思ってたけど。
ただしこれは「コミュニケーション要介護者」の不快な振る舞いを、ある程度までは大目に見る風潮を醸成することも目的に含むわけで、不快な振る舞いをされたらハラスメントと指摘すべきという昨今の道徳とは衝突するが。
まさにこれで、本人に邪気のない(しかし決定的に不快な)セクハラをする中高年男性をこれまで社会的コストとして認容していたところ、もうそういうのはやめてくれませんかねというのがまさしく人権の尊重であって、いやあコミュニケーションが不得意な人の不快言動も許容しましょうよというのはさすがに通らないんじゃないか。だってそういう人が求めてるのが「若い女に、場合によってはとても失礼な軽口を叩いてコミュニケーションをとって癒されたい」とかだとしたら、若い女だけにコストを強いることになってしかもそれを社会的に許容するってフェアじゃなさすぎるでしょう。
そういう人を、そういう人はかわいそうなので助けてあげましょうという視点なら、職業として介護はするがこれは無償のボランティアではないってキッパリ言うしかない。介護と同じでいままで嫁がやってたんだからそうしましょうよというのには戻らないよ。
お年寄りや障害者に優しくするのと、ターゲットを絞って加害してくる人の不快言動を受け止めるのを同じレベルでは語れないと思うよ
弱者男性を「コミュニケーション要介護者」と捉えた場合、その支援は訪問しておしゃべり、みたいな直接的かつ具体的な支援に限らないだろう。
たとえば「コミュニケーション要介護者」ともできるだけ親しく関係を持つのがよいことです、というプロモーションを明に暗に打ち続ける方法がある。
お年寄りには席を譲りましょう、白杖を持っている人が立ちすくんでいたら声を掛けましょう、みたいな感じでな。
仕事としておしゃべり介護してもらうのも悪くないが、プライベートで友達や恋人が作れたらもっと嬉しいんだし、プロモーションの影響で人々がキモくてカネのないおっさんおばさんに対するイメージがよくなり恋人ができる可能性が増すならよろこばしい。
これは弱者男性に限らず弱者女性も「コミュニケーション要介護者」に含むことができ、彼女たちの孤独を救うことができるだろう。
ボダやメンヘラや鬱や統合失調症の人も友達や恋人ができやすくなるってわけだ。
なにより、社会がお前たちを排除や矯正していくつもりではないというメッセージを出すことで、彼ら彼女らに希望を持たせられるのがいいことだ。
弱者男性が反フェミニズムに熱心になりがちなのは、フェミニズムの声ばかり重用されて自分たち男性がどんどん追い詰められる未来の流れが見える不安や鬱憤があるからで、フェミニズムで女の欲望は肯定していくけど、男の欲望は男の欲望で社会として肯定していく意図があるよ、という雰囲気があればだいぶ状況が変わるだろう。
ただしこれは「コミュニケーション要介護者」の不快な振る舞いを、ある程度までは大目に見る風潮を醸成することも目的に含むわけで、不快な振る舞いをされたらハラスメントと指摘すべきという昨今の道徳とは衝突するが。
人権同士が衝突することも多いってのを勘案してくれ。
世の中はままならないので、増田のような、人権侵害は迷うことなく拒否してよいしそれでうまくいく、って整理では片付けられないのだ。
たとえば要介護者の世話は、家族など周囲の人間が担わねばならんのだが、やりたくもない介護をさせられるってのは周囲の人間の人権を侵害している。
公的にも私的にも扶助はあるが、それでもきょうだいに障害者を持って生まれた辛さ、親の介護の辛さ、みたいな記事がたまにバズるよな。
これは要介護者と健常者の人権がぶつかる中で、妥協点を探って暫定的に今の仕組みになってるわけだ。
なので、仕方ないけど周囲の健常者や国民の税を要介護者にあてがいましょうという仕組み、これが現時点での対処法である。
だが、増田のような考え方では、介護や公共のためであっても、人権制限に繋がるあてがえ論はノータイムで拒否してよい、となってしまう。
要介護者の意見で聞く価値があるのは「私は障害があり要介護者だけど仕事や外出や人間関係を楽しみたいのが本音だ、でもそれには他人に介護を強要する人権侵害をせねばらなんので、おとなしく家にこもることを選ぶよ」という内容だけだ! なんてことを誰かが言ったら、現代社会では賛同されづらいだろう。
そして増田の、弱者男性の意見で聞く価値があるのは「ぼくは女性とのコミュニケーションが欲しくて苦しいが、その苦しみの解消には女性の人権を侵害せざるをえないとわかってるから、おとなしく苦しみつづけることにします」ってタイプの弱者男性だけだ……という態度はこれに近いのだ。
それ自体もまずいが、もっとまずいのが、増田の主張の危うさに気づいていいはずのブコメ聴衆さえも、増田は道徳的で素晴らしい考え方をしていると褒めまくってしまうことである。
弱者男性の生きづらさが認めてもらえないというのは、誰か一人が偏った意見を言うってこと以上に、それを客観的に聴いているはずの大衆までもが無自覚に弱者男性に辛さを押し付けてるってことだと思うぞ。
俺の論をもう少し詳しく説明しよう。
弱者男性論の中でも、異性恋愛部分で揉めやすいのは、わかりやすく人権同士が衝突するからだ。
周囲の人間の自由意志を尊重することと、キモいとされる男性が異性とのコミュニケーションを得られず孤独に苦しむのをを救うこと、その両立が困難だと判明してきたからこじれているのだ。
(多くの人間または男性の心には、性的対象とのコミュニケーションによってしか埋まらない大きな飢えがあり、非恋愛の友人関係では満たせない、という仮定はとりあえず正しいとする。その真偽は心理学者などが長い時間をかけて研究せねばならないだろう)
箇条書きにすると、以下のようになる。
・だが、悪意がなくても他者に不快感を抱かせがちな上に改善困難な人間は存在し、その代表がキモくてカネのないおっさんのような弱者男性である。(女にもそういう存在はいる)
・よって、他者に不快感を抱かせる弱者男性は、諦めて孤独に暮らすべきだ。
・いや、それで本当に倫理的にいいのだろうか?
繰り返すが、弱者男性の人間関係についての話は、介護や障害者支援と近いんだよ。特に、支援が進まない精神障害の問題。
接触すると周囲の負担になりやすい人間をどう扱うか、という問題だ。
要介護者を厄介者みたいに言うのはかなり危ういんだが、実際のとこ、厄介者(とされちゃう人)をどう包括するかを真面目に考えることで社会や福祉は成り立っている。
現在の日本では、家族の扶養義務とか、介護ビジネスへの補助金とか、福祉とか、障害者雇用義務とかで要介護者に対処している。
たまたま家族に要介護者がいるからってその世話をさせられるのは人権侵害ではないか、という論点は当然あるが、今のところ、その人権侵害を一定程度許容してでも、要介護者を社会から切り捨てるのを防ぐべき、という風になっているわけだ。
耳を傾ける意見:「正直異性(他人)とのコミュニケーションは欲しいが、現実の女性の意思や人権を制限するなんて酷いことは考えていない」
すなわち、周囲に不快感を抱かせてしまう気持ち悪い弱者男性にもコミュニケーション欲求があるのは納得するが、その援助が周囲の人権を制限しなければならないなら無視してよい、ということになるだろう。
自由意志を制限するべきではないので、周囲が世話をしたがらないなら要介護者は介護される必要なし、弱者男性につきあってやる必要なし。
それで本当にいいのだろうか。
だが、弱者男性と言うカテゴリの中には、精神障害者やパーソナリティ障害に発達障害、さらに障害と健常のボーダーに位置する人間がおそらく結構な割合で含まれる。
また、そのボーダーは時代と共に変化し、歴史の傾向としては要支援の障害者と認定される範囲が広がっているのだから、ワガママで苦しいアピールする人間と正当な要介護者を現在の基準で完全に分割して別物と扱うのは適切ではない。
そして、弱者男性問題を、介護や障害と地続きの問題として見れば、精神障害者への支援の遅れと近いことに気づける。
対人能力や人格や情緒の安定にハンデを抱えている人間に対する扱いは、いまだに相当に厳しい。
障害者支援の代表例は雇用義務だが、精神障害は本当に厳しくて、障害者雇用でも採用されるのはおもに身体障害者だ。
精神障害者の雇用義務ができたのは、驚くべきことに2018年というつい最近だ。(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000192051.html)
精神病院についてのゴタゴタも頻繁に取りざたされる。
今も世の中には、「精神に障害のある人たちも苦しいだろうけど、関わるの負担が大きいし、その負担を強いるのは人権侵害だから、仕方ないだろ」なんて感覚があるのだ。
政策的知識のない俺が具体的なことを考えたってツッコミどころが多いだろうし、そこにツッコミが入りまくると、まるで総論としても弱者男性論が間違ってるような印象を持たれるからだ。
具体策として考えた内容に穴があるからって、総論としての方向が間違ってるとは限らないのにな。
……と思ってたが、「要は公的なカウンセリングと風俗か? それとも奴隷化か?」なんて人が多いので、それ以外の方法として、ACの広告みたいなイメージ戦略なども考えられるよね、とトラバで書いた話を追記として挟んでおく。
弱者男性を「コミュニケーション要介護者」と捉えた場合、その支援は職員が訪問しておしゃべり、みたいな直接的な支援に限らない。
たとえば、コミュニケーション要介護者ともできるだけ親しく関係を持つのがよいことです、というプロモーションを明に暗に打ち続ける。
お年寄りと地域で交流しましょうもたつきは温かく見守りましょう、白杖を持っている人が立ちすくんでいたら声を掛けましょう、みたいな感じでな。
仕事としておしゃべり介護してもらうより、プライベートで友達や恋人が作れたらもっと嬉しいんだし、プロモーションの影響で世間からキモくてカネのないおっさんおばさんに対するイメージがよくなり「自由意志」でイチャコラしてもらえる可能性が増すならよろこばしい。
これは弱者男性に限らず弱者女性もコミュニケーション要介護者に含むことができ、彼女たちの孤独を和らげることができるだろう。
男女問わず、ボダやメンヘラや鬱や統合失調症やアダルトチルドレンや無職の人も友達や恋人やセフレができやすくなるってわけだ。(弱者女性はむしろセックス相手として求められすぎて困ってるみたいな話もあるが)
なにより、社会がお前たちを排除や矯正していくつもりではないというメッセージを出すことで、彼ら彼女らに希望を持たせられるのがいいことだ。
弱者男性の中に反フェミニズムに熱心になる層がいるのは、フェミニズムの声が主に重視されて自分たち男性は相対的にどんどん追い詰められる未来が予想されて不安や鬱憤があるからだろう。
そこを変えて、フェミニズムで女の欲望は肯定していくけど、同時に男の欲望は男の欲望で社会として肯定していく意図があるよ、という雰囲気があればだいぶ状況が変わるのではないか。
もちろんこれは「コミュニケーション要介護者」の不快な振る舞いを、ある程度までは大目に見る風潮を醸成することも目的に含むわけで、不快な振る舞いをされたらハラスメントと指摘すべきという昨今の道徳とは衝突するので常にバランスの綱引きが行われるだろう。
あとはアンドロイドやセクサロイドで代替とかってのもアリかもと思うが、それならそれで、真面目にその方向の技術振興をしましょうという政策議論に繋げるべきだ。
「50年後か100年後にできたらいいよね~科学の発展に期待だね~」じゃなくて、それを少しでも早められるよう本気で向き合い、技術や金を使うために協力してほしいんだよ。
(追記ここまで)
まあダラダラ書いたけどさ、とにかくこういうことよ。
健康で文化的な最低限度の生活のためには周囲に負担を強いることが必要になる、広い意味での「要介護者」は世の中にけっこういる。税金を利用する全員がそうだとさえいえる。
人権侵害は絶対拒絶すべきという考え方をすると、周囲の強制負担も認められないということになり、その「要介護者」たちは見捨てられることになってしまう
現代では、人権同士が衝突する場面も多いとわかってきたのだから、その中でどう折衷していくかが大事だ。
そのためには、人権の侵害は議論の余地なく即却下、という素朴で潔癖な姿勢は話が進まなくなるので良くない。
このさい、弱者男性論はさておいてもいいや。
現代では人権同士がぶつかりあってるので、「人権は絶対守るべし。そしてみんなの人権を同時に守れる方法はある」とシンプルにいかないことはわかってくれや。
自分の子供が通う予定の小学校でこんな事あったらマジで怖すぎるんで自治体だけでも教えて欲しい。こんなのブラック校則と同じじゃん。担任の先生と一部の子供や保護者に対するハラスメント、人権侵害が起きてるじゃん。
特に給食試食会がひどすぎる。親が来ない子供晒し者にして泣かすとか、これ考えた奴人の血流れてんの? そこにホイホイ行って、泣いてる子供の友達横目に他の保護者もよく平気で飯食えるね。よその子を泣かせながら食う飯は美味いか? 誰も学校に抗議しないの?
うちの子供が通ってる保育園でも保護者会が終わるといつもより少し早くお迎えになるけど、親が保護者会に参加してない子は必ず、友達が親と一緒に帰っていくのが見えないよう、別の場所で過ごすように園が配慮してくれているよ。
そういうの一切ないのマジで? この共働きのご時世に、平日の昼間に仕事休んで学校来られない親が悪いって言われるの? 馬鹿じゃないの?
もしほんとに各地の保護者グループでこんなことが起きてるなら「ブラック保護者グループ」とか何とか名前つけて社会問題にしないとダメだよ。
知識の差という優位性を元に相手の尊厳を傷つけてるので、定義通りのハラスメントだよ。というかブコメで言われてたけど、新語造らなくてもパワハラじゃね?の一言だけど。
「先輩、会議用のZoom設定くらい1人でできないんですか。こんな簡単な操作で手間取って、よくこれまで仕事してきましたね」
デジタルネーティブ世代の新入社員にとって、こんな嫌みを言いたくなる場面もあるだろう。だがこうした言動は「テクノロジー・ハラスメント(テクハラ)」になりかねない。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODZ305K20Q1A330C2000000/
1年前ならね。10年20年働いてきて、急にテレワークになって、初めて使うツールで、それならしょうがない。じゃぁこの1年間何やってきたの、と。単なる業務遂行能力の欠如じゃないですか。
とりわけ何か新しく始めないといけないことが見当たらない
→弱者の内容によるけど、障害者、介護退職する人とかはちゃんと認知されてるよね
伴侶のいない人へのハラスメント、「伴侶を作るべき」「強くあるべき」というような性別に基づく社会的圧力の抑止
→もう男性の1/4が生涯独身の時代なんだから、いつか圧力もいつか消える
経済的困窮者を(余裕を持って独居可能〜家庭を持てる水準レベルに)引き上げる為の金銭補助、減税、福祉といった経済的再分配
→生活保護じゃダメなのか?あとは労組組んで賃上げやるとか。あと障害者手帳があったら自動車税無かったり減税はあるよね。
→かなり厳しくなってきてると思うし、通報すればいいのでは?ネットとかで通報すれば足もつかないでしょ。てか弱者、強者関係ない。
困窮内容に対する男女格差の是正(DV/モラハラ/犯罪被害者や自殺企図者の認知と保護等)
→年収700万だけど俺もこれ欲しい(弱者だけの問題じゃない)
→今もあるよね
アクセスが容易で社会的抵抗感の少ないカウンセリングやコミュニケーショントレーニング等
ハラスメントって言うから角が立つだけで、普通に電話が苦手ですとか、電話恐怖症ですとか、社会不安障害的なものとか、単に固定電話は非効率だと思うとか、教育なしでは電話に出られないとか、具体的に言えば全然納得できると思うんだけどな。
メディアが勝手にキャッチーな名前をつけちゃうから内容がいまいち伝わらず、そんなのは甘えだとか反感を買って、本当に困ってる人が周囲からの理解を得られず更に社会生活で苦しむことになるんじゃないか?
マスタベーションハラスメント
ヤレヤレだな
IT知識の高い人が不遜な態度を取ったり、意図的に専門用語で話し続けたりするテクハラ(テクノロジー・ハラスメント)。デジタルネーティブ世代の新入社員でも加害者となるリスクがあります。
自分も2chとかおーぷんとかまとめサイトでまんまん鳴いてた連中は全員死ねと思ってるクチだがそこ混ぜちゃダメだよ。
女叩きやるクソ野郎はあくまで女叩きやるクソ野郎どもであって、オタクや弱者男性ではない。
悪いのは「弱者男性」という弱者を隠れ蓑にしてミソジニーを垂れ流す女叩きクソ共であって、弱者男性全員がそれに該当するわけじゃないのは、今のホッテントリ見てもわかるはずだよ。
実際自分も「弱者男性とは何を求めている存在か?」という問いについて皆が考えて答える増田がホッテントリになる今日まで、うっすらと「弱者男性のほとんどはすももみたいなのに賛同してる女あてがえ論者なんだろうな」と思ってたけど、実はどうやらそうじゃないらしい事がわかったので収穫が大きかったよ。
増田のトラバにはいっつもネタであてがえ論延々書いてる頭おかしいのが住んでるから勘違いしそうになるけど、「弱者男性には女性からの無償の愛と支援が必要だ」なんてブコメひとつもなかったわ。「金銭的に安定した生活が欲しい」と「こちらを加害者または救済の必要がないと決めつけたハラスメントやめてくれ」って意見が大半だったよ。
実際のとこそのうちのいくらかはあてがえ論者で、IDの出る場所だから黙ってるだけなのかもしれないけど、「これが自分の考える弱者男性とその望みだ」って意見を皆が引き出しあって、「女あてがえ論者は一部のキチガイだ」って意見を総意にできたのはほんとにデカイと思うわ。
「女叩きクソ野郎どもはどんな弱者に落ちぶれても絶対に助けたくないので全員勝手に野たれ死ね」と正確に表現していきましょう。
主張が具体的(「まともに扱ってくれ」みたいな定義の曖昧な感じじゃない)で、「お前(弱者男性)がなんとか変われ」とか「女をどうにかしろ」みたいな煽りっぽいののうち、火種になってるあてがえ論以外を除くとこんな感じ?