いろんな有名漫画家が集まり手塚治虫の漫画を書いてるムックを買った。
一人数ページなので手塚治虫と自分の実録漫画やギャグや自分のキャラに手塚作品を語らせたり自分のと手塚キャラ同士絡めたりとか、読みごたえがあるが数ページ短編だなって内容が続いたのだが、原泰久は空気を読まず数ページでガチ鉄腕アトムを書いてきた。
以下ストーリー
立派な博士に作られたが心を持たない失敗作のロボットが心を持つ人類が失敗作だと暴走をして多くの破壊兵器を操り人類を滅亡させようとしている、お茶の水博士達も殺されそうになった所に副官を倒してボロボロのアトム登場、アトムは兵器開発を拒否したせいで動けないロボットの目の前で博士が殺されロボットが暴走を始めた経緯と、涙ながらに兄を止めてと死んでいった妹副官の最後を語る。
そして死闘の中で腹を貫かれたアトムは博士を救えなかった無念悔しさ悲しさそれが博士への愛だと叫び相討ちをして、ロボットは博士との暖かい過去を思い出しながら死ぬ。
修理をしたが再起動しないアトムの前で犠牲を悲しむ博士達、最後眠っているアトムが微笑み完。
すごく短いのに詰め込み感が無くて起承転結がついて、ロボット博士妹のキャラの魅力も出来てて、アトムらしさや迫力のアクションシーンもあり、感動も出来たし後味も良かった。
私の文章力のせいで陳腐に見えるかも知れんが、正統派直球みたいな心地よさもあった。
本当にこの人漫画が上手いなぁと感服した。
初めて会った時、この人とずっと一緒にいそう。と感じた人に音信不通にされて半年近く。
恋愛って感じじゃなくて、ずっと隣にいそうな感覚だったから、付き合うって感じじゃなかったけど。
連絡取れないまま、年も明けてしまって、心機一転!と思ってはいるけど、あの感覚が気になっている。
あの時のほわんとした空気のような感じはなんだったのかな。
運命とか、ご縁とか、どんな感じなんでしょう。
リアルに考えると
家の庭と中に餌とおもちゃを置いて大量に野良猫を集めている人はゴミ屋敷とかそれ系統のヤバイ人だ
そして煮干しをホームセンターに持っていき、猫が持ってきてくれた煮干しです、これ金色煮干なの、こたつと餌を売ってくださいと言ってくる電波
年末年始は帰省してみた。その中で地元の友人たちとご飯をたべたりした。田舎なので当然車で集合なのだけれど、その中に1人が真っ黒のセルシオで車高を落として、大きいアルミホイールで、とゲンロクのカタログみたいなのに乗っていた。普段の私の生活圏にはいない人種で、友人でなかったら即避ける人種だ。
話をしていたら、車の話題になった。その時僕は、実家のプリウスを使った。とにかく静かで、重いと感じた。
「駐車場」
聞いてみると駅前とか、イオンとか、コンビニとかの駐車場で、声をかけたり、かけらたりするらしい。斬新な知見だ。
田舎の話だ。
S | 熱いご飯+冷たいカレー |
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A | 冷たいご飯+熱いカレー |
B | 熱いご飯+熱いカレー |
C | 冷たいご飯+冷たいカレー |
aukusoe Aが好きだなー。ただ美味しい冷やご飯とまずい冷やご飯があって、冷めたおかゆみたいになってる冷やご飯はノーセンキュー。
zeromoon0 熱いご飯に熱いカレーがいい。冷たいのはなんかイヤだ。
熱々のご飯で少しづつ溶けるルウが好き
そうそうその通り
ホットサンドメーカー高いのよね
msdbkm 自炊をまったくやらないうえにたまに実家に帰る程度だと親がはりきって食事を用意してくれるから「昨日の残りのカレー」というものを食べる機会がめっきりなくなりました。
今度作ってあげる
焼きカレーうまそう。でも鍋洗うの大変そう
wow64 日を跨いだカレーとか怖くないのかな。
両方冷たいのはちょっとね
ninosan 考えたこともなかったが、言われてみると熱いカレー+常温ご飯の方が好きかも。
いいよねめんつゆで伸ばして
shotazc 一番は冷たい飯に熱々カレー!
やっぱり好みは色々だね
n_231 残量少なくて加熱ムラがあるやつ好き
あー言いたいことわかる
今度やってみたい
を読んだ。刺激的な内容だが、もやもやしてたのが言語化された感じで「はっ」とした。
と、同時に現状コピペプログラマが生まれるのは仕方ないことだとも思ってしまった。
1つは、根底の意識。もう一つは日本という環境が原因だと思っている。
私は縁あって外国人が多い会社で働いている。そこでWebエンジニアをしている。
一緒に働いている外国人エンジニアが、まぁ優秀なのだ。最近大学を出たばかりの人もいるが、優秀になるレールを歩んでいる。
一緒に働いてると日本人(俺)ってヤベーな。と思うことが多々ある。プログラムに関する意識が出発点から違うのだ。
彼らは以下の共通認識があるように思える。
3. 英語ができるのは当たり前
海外ではソフトウェアエンジニアは、医者に次ぐ人気職であるそうだ。今は帰国したが、一緒に働いてたインド人エンジニアは、大学受験をした際、医者とエンジニアで迷った。と言っていた。
彼ほどではないが、同世代の中でも優秀な若者が、明確なエンジニア希望をもって専門の過程を経てエンジニアとなる。
Linuxやネットワークなどの底レイヤーから、自分の興味ある分野(バックエンドやフロント、アプリ開発)まで、ある程度できる人がインターンを経て入社する。
私の経歴はというと、かなりお粗末なものだ。お世辞にも良いと言えない大学の文系卒で、大きいプロジェクト動かすマネジメントカッケーって思ってSIerを就職口の一つとして選んで入った。大学卒業時にはJavaとJavaScriptの区別がつかなかった。
そんな私でも独学と、勘と、経験によりある程度のことはできるようになったとは思っている(思いたい)のだが、優秀な彼らを見ると、コンピュータサイエンスを学ばずしてエンジニアを名乗ってる自分が恥ずかしくなる時が周期的に訪れる。
つまり、0ではないと思うが、文系卒、更には未経験が就職でプログラマを選ぶという選択肢は日本に比べると圧倒的に少ない。
そのため、外れプログラマは少なく、腐ったリンゴが少ない彼らは腐る確立が低いのだと思う。
私自身もその口だったし、今も抜け出したとは言えない。
しかし、彼らは違うように思える。その根底にあるのは、コンピュータサイエンスを学んできたが故、プログラムは難しいという意識と、造詣の深さだと思う。
もちろん、彼らとてExampleなく出発することはできないが、コピペで済ますことは極力しない。
ちゃんと手を動かして、表面だけでなく、どうやって動いてるかを理解しようとしている。1つの機能実装する時は、3つほどルートを探したり、必要なパラメータ、オプション以外もちゃんと調べてコーディングしている。
そのため、簡単にできます。とはあまり言わない。例えば、form一つ作る時も背景を理解して実装を行う。様々なセキュリティリスクを考慮して、フレームワークを選択している。
自分なんて、必要な部分しか見なかったし、そもそも調べる意識がなかった。ある時、私は仕事が早くなったと息巻いてたが、今思うとなんてことはない。単にググるのが上手くなっただけだったのだ。
3. 英語ができるのは当たり前
少し変わった環境で、いろんな国籍の人が働いている。スペイン、イタリア、聞いたことのない国の人もいる。しかしながら、彼らは一貫として英語がしゃべれるし、書ける。「え、公用語でしょ?」と言わんばかりだ。
だからなのか情報のキャッチアップが早い。わからないところはissueを漁るし、質問する。まず当たるのは公式だ。英語を英語のまま取り入れる。
総意の認識であると思うが、プログラムの1次ソースは英語だ。私たちの目に触れる多くは優秀な日本人エンジニアが翻訳した情報である。そもそも張っているアンテナが違う。
あと、上手くは言語化できないのだが、そもそも降りてくる情報自体が綺麗に整ったもの、絞られたものが多いのだ。そのため、泥水をすすることが少ないと思う。だからなのか、過程をすっ飛ばして答えを求めるサイトが多いような気がする。
では、この意識の違いはどこから来るかというと、日本という環境が大きいのかもしれない。
まず日本は、他国に比べて内需で食っていけるような環境である。
企業の発展にはエンジニアは必要不可欠。そのため専門知識を学んでなくとも、大量募集 - 大量採用が行われたのだと思う。
その後、海外の優秀なエンジニアが入ってテコ入れするかと言うとそうではない、日本語という既得権で守られているからだ。
なので私たちは気づきにくい。世界のトレンドとか、プログラムの書き方とか、考え方とか。そのためコピペエンジニアは自分をコピペエンジニアと知らないまま成長し、なまじ仕事ができて自信を覚え、次のコピペエンジニアを育てる仕組みが出来上がっていると推測する。
ここ数年でエンジニアを主体とする会社が増え、そのような意識が変わってきていると思うが、浸透するにはまだまだかかるはずだ。
根本的な解決となると、日本のあり方、教育を変えていく必要が出てくる。一例あげると、新卒一括で学部関係なくなんでもなれることはそもそも間違いなのだ。(自分はその経緯でエンジニアにならせてもらったことは棚にあげる)
構成がやや難儀だな。
主要人物の語られるバックボーンや、ロマンスもろもろが中途半端、或いは余計に感じるというか。
なぜこーなったかってことは理解できるのに、それに感情移入できない。
「どーいうテーマ、物語か」っていう観点で評価しにくいし、仮に評価できるとしてもそのテーマによって紡がれるものが希薄なのだ。
良くも悪くも、非常に圧迫感を覚えた。
隠し事をしている男と、復讐心に駆られて危うさを漂わせる少女との奇妙な交流は、どういう展開になるか最後まで読めない緊張感があり、実際ラストまでそれは変わらない。
けど絵が拙いのは一目瞭然で、ドアップな構図やフキダシ、文字もでかくて圧迫感を覚えた。
ある意味プロットと噛み合っているとも言えるが、それでもクドさを覚える。
ワンアイデアの設定と、それに合わせた主役のキャラクターによって可笑しさはあるものの、ほぼ静的なプロットは盛り上がりに欠けるのは否めない。
結局のところテーマの主体が先生の性的嗜好で、それで何か大きなドラマが紡がれているわけでもないからね。
絵は似たり寄ったりな構図が気になるが、粘液の質感はこの作品のテーマと関係していることもあって気合入れてるね。
とある女の子の問題と、とある教師の問題が平行しつつ、二人の交流によって展開していく構成かな。
気になるのは、女の子側の問題が教師の励ましによって大きく解決に向かうのに対し、教師側の問題は女の子が大したカンフル剤になっていないところだ。
あと、所々「ん? どういうこと?」というセリフと場面がいくつかあって、描き方の問題もあるのかもしれないが、自分がコンテクストを理解できていないことに不安になった。
プロットは理解できているのに、恐らく私はこの作品を肝心なところで掴みきれていない。
奇抜なワンアイデアを基盤に物語を展開させるってのは、モアイで読める受賞作品では定番なんだよね。
ただ、それをちゃんと活かしてテーマもしっかりしつつ、物語をドラマティックに紡いでいるのって案外少ないから、その枠組みではかなりレベル高いんじゃなかろうか。
物言わぬ人間となった妻と、それに相対する主人公の心労が丁寧に書かれている。
ラスト近くで描写される首がない赤ん坊や看護師は、主人公の順応を表現しているのか(赤ん坊も泣き声が描かれているし、看護師も普通に喋っているので、実際には首があるはず)。
38ページ目に丸い線があって、これが主人公に重なっていくつか描かれている。
時短を利用したら時間が短くなる分アウトプットが悪化して昇給・昇格が遅れるだって…!?
…当たり前じゃねーか!
配慮された責任の軽い仕事にやりがいが感じられないからアウトプットを悪化させたら更に悪循環になったって…!?
…当たり前じゃねーか!!
そもそもはてサに分類される方々が左翼を自称したことってあんのかよ
って思ったけどよく考えたら右翼を自称してなくてもネトウヨ扱いはいくらでもあるから自称の有無に関係なく別に問題のない行為だったわ
確かに
未成年までならまぁ機会がないって場合もあるだろうけどそれ以降は意思の問題だもんな
なんか自分の事ばっかり書いてるけど子が自分と別の一つの人格であることすら考えてすらいないようなガキが子を作ろうとするなんざ1億年早いわ
何度ジョナサンにシーザーのバンダナを巻くんだよ、シーザーが命懸けで託したのはジョセフだよ思い出せ。
荒木はタルカスとブラフォードとかペッシとプロシュートみたいな高潔な敵の後にはゲスな相方敵を倒してバランスをとるみたいなとこがあるけど、ゲスになる前にいい人そうな描写を挟んだりペッシ覚醒させたりする必要なくね?いや、高潔な敵を連続して殺すのは気分が悪いし、面白いんだけどさラスボスまで雑に扱わなくてもいい。
ラスボスの豹変と言えば七部が酷すぎる、不細工からの唐突なイケメン、最初絶対にラスボスにするつもり無かっただろこれ。
それにサンドマン、最初に主人公のような内面描写もあったのに適当に駄洒落のような能力つけられて雑魚敵として消すなんて酷いにも程がある。
体型や顔が変わったキャラは山ほど居るが、何で急に等身下がるん。
あと強すぎる味方はとりあえず雑に消すとこも、フーゴとかあれで退場はないわ。
いい映画だとは思ったけど巷で言われるほど心動かされはしなかった。
周囲の反応を見ても同世代の友人より会社の上司が絶賛しているし、
多分この映画の良さが本当に分かるのは4,50代ぐらいからなのだろう。
逆に「君の名は。」はもう十年早く見ていれば絶賛しただろうなという感じだった。
とても距離の近いコンサート。何とかしていつも同じ場所で彼を見ることが出来ていた。短期間に数え切れないくらいの公演に入った。お金はなんとかした。そのくらい楽しかった。
私が好きな彼のファンは当時ほぼいなかったので、コンサートが始まって幕が開けると彼が目の前に来る位置によくいた。当然そんなことを繰り返していたら向こうも覚えてくれたようだ。公演で彼が位置するところもだいたいそのあたりなので比較的楽だった。
公演のセットリストは完全に頭に入っていたので、次にどこに行って何をするかはわかっていたけれど、フリーの時は当然どこに行くかはわからない。
しかし、彼は真っ先に私がいる方へ走ってきてくれる。こちらが見上げるとキョロキョロと探し出してくれて、向こうも手を振ってくれたりした。最初の頃はこちらが〝お願い〟したことをやってもらっていたが、だんだん覚えてきたようで、来るとすぐに〝お願い〟をしてくれるようになった。たったそれだけのことだが、わたしにとっては夢のような時間だった。でもこれは彼だけではなく、他のタレントもそんなようなことはしてると思う。所詮そんなもんだ。彼らにとって根強いファンの獲得は大切だから。お金をかけてくれてずっとついてきてくれるファンがきっと1人でも多く欲しいのだろう。
その夢のような時間は公演時間の一瞬に過ぎない。タイミングは何回かあるが、時間にしたら1公演でトータル10分もない。きっともっと近づく方法はたくさんあるんだと思う。しかし、ステージにいる彼が好きで、キラキラな衣装を着て髪をセットしてニコニコしてる彼が好きで。反応してくれるのももちろん好きだが、他の子とキャッキャしながら踊っていたり、楽しそうにしているのが好き。だからこれ以上は近くに行こうとは思わない。きっとこれ以上を知ってしまったらキライになる。
毎日のように見に行くわたしを彼はきっと変な人と思っているだろう。それでもいい。ステージでしか関わりがない分、彼の本心はわたしには伝わらないから。
これは何年も前の話かもしれないし、つい先日の話かも知れません。
ジャニーズJr.を好きになった。
一般の人からしたらジャニーズJr.なんて子役みたいなものと認識されていると思う。私もそうだった。興味もわかないし、名前も知らない。
元々ジャニーズのデビューしているグループが好きだった。そのグループはもう国民的アイドルになりつつあるが、今でもバックにJr.をつけている。
コンサートで、自担(好きなアイドルのこと)がいないときはよくそのJr.たちを見ていた。好きだからというわけではなく、どこも見るところがないからという感じで。自担に作ったうちわがなぜだかJr.の子の目に行くようでよく反応してくれたのを覚えているが。名前がわからず苦笑いだった。
このくらいJr.が分からなかったので、雑誌に載るページのJr.配分が多くていつも嫌だった。この子達はまだデビューもしていない子達なのに、この子達が載らなければ自担グループがたくさん載れるのに、なんて思っていた。
でもあるときふと、一人の子が目に留まった。その子は自担グループのバックについてるわけでもなく、雑誌によく載るような子でもない。
後日付け足します。