はてなキーワード: 徹底抗戦とは
http://kkmmg.at.webry.info/201012/article_11.html
「強盗したお金で御社の車を買ったと犯人は言っていますが、どう思いますか?」という意見に対してトヨタ従業員の人が
な ん と も 思 い ま せ ん
とか言ったら、やっぱマズイよなーというはなし。
その従業員の人は100%悪くないのにね。
でも意見している人は
「大変不幸な事件が起こり、犯人が当社の車を購入したことは残念です」
例えば従業員の人が、全然車の製造とは関係ない関連会社に勤めてる人だったとしても。
ブログ運営してる人も「トヨタの従業員です」って言うなら、自社関連のネタが出てきたら徹底抗戦するか、
理不尽でもなんとなく頭を下げるかどっちかすると思う。
徹底抗戦なんかしたら、下手すれば身元が割れて会社にいられなくなったりするからふつーはできない。
「集められた税金は、すべて全国民のために使い、私も一公僕として精一杯勤めております」
くらい言っとけばですむ問題だっていうのに、ただでさえ公務員に風向きが悪い状況であるにも関わらず、
さらに貧乏人どもの納税でおれらの給料まかなえるとでも思ってるのか
ともとれるような発言しちゃってるのは、公務員は企業イメージとか無縁だし、無邪気に自分が思ってること言っても安定してるっていうもあるし、
マスゴミじゃないんだから、一部分だけを引っこ抜いて
批判するのは止めたほうがいいんでないの?
短文なんだし
kamisetsuさんのブコメ
不謹慎な話にはなるが、こういうのは学校側やいじめる方だけを叩いて、いじめられる側には何ら責任がないような事ばかり言うのでどうかと思う。いじめられる側にも責任はあるし、最悪転校いう手段もあった。
死ぬよりも先にやれる事あるよね、という事だと思うわ。
いじめられる事自体への責任(キモい奴、KYは叩かれて当然、みたいな)含めたニュアンスが強いから誤解を招きかねない。
親は子供に対して一緒に戦うか(いじめた生徒&学校と徹底抗戦)、一緒に逃げるか(転校)
どっちでもいいよ、どうする?って言ってあげる、やってあげる事はありだと思う。
ただ実際には転校や転居なんて難しかったり
いじめられている子供って追い詰められすぎて見えていない場合もあるから
どこまでどうやったか、やれたかなんて言えない事でもある。
いじめの事実を把握してない、とか寝ぼけた事言っているのが一番の問題なんだろうけどね。
学校がいじめた側に何らかの処置をすばやく的確にやれるのが一番なんだろうけど
なんか、最近増田でもいじめた側の(自主退学勧告された)親増田が書いていたけど、どうせいじめた側なんて厳罰でもなければ(あっても)大した事だって思っていないんだよ。
そういうのって、肌で感じて絶望しちゃうんだと思うわ。
なんていうかなー
辛いとは思うんだけど
戦い続けるのも、転校もきっと辛いとは思うんだけど
どうにか「死ぬ前に死ぬほど足掻いてみせる」って事を
子供が思い至る方法はないものだろうか。
ぴかっ!ぴかっ!ぴかっ! (ぎゃあ)ぎゃ~んぎっ! 新型 爆弾 欲しいの~
ソレ!ソレ!ソレ!(ぎゃお)KILL! もがいて もがいて ください~
徹底抗戦が にっちじょうです~ ヤるって言ったらっ ジ・エンドにゃん!
米英~ 仏露~(降伏しろ!) ウェルカム 無条件~
玉砕覚悟だめ~ にゃんたら神風アタック、ダ・イ・キ・ラ・イ~(ぎゃ~ん)
はっぴぃ にゅう ぼむぅ~ り~とるぼ~い~
キミにっ あげるっ さっいしょの オーバーキーール!
抗うから~ 焼き払う~ いえろ~もん~き~
エ~~ッ ノォ~ ラァ~ゲイ
ち~~っかづいてる~ 一機だけ見つけなさい~
竹槍使って 墜とせば~~~~~~いーじゃん!
おい、横レスだけど、ただの「堅いオッサン」と「三国人嫌い」は随分違うぞ。石原慎太郎みたいなもんじゃねえか。
"三国人嫌い"なのにあんまりそういう感じのタイプじゃないんだよ。ラディカルなんだよ。
あと「異質なもの~」云々はレスした増田が「お父さんを想像して」書いたことだろ?「あなたは」と決め付けて語るのはやめなはれ。それは恋人のお父さんに言え。
ごめん。
まあ、でも恋人はそんなご両親に憤ってるみたいだし、この際恋人の家はカットアウトして付き合えばいんじゃね?どうしても結婚、ということになれば徹底抗戦するもいいんじゃないか。
カットアウトしてもしなくても、たった一人の大事な息子が"中国の血が入ってると思ってる人"と結婚してご両親が気の毒かもと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20090928010831
>鳥に乗って空を飛んだり、竜を追い払ったりする力はその時に得た。
転生する前に、鳥を呼んでサルマンの塔から脱出している。エルフの国から出発時のガンダルフが竜の存在を知っていたのかや追い払う力を持っていたかは不明。
>神や精霊が人間の世界に対してやることにいろいろ制限があるのは神話の世界のお約束。
人間集団を率いて火山に向かったり、サウロンの本軍と人間の軍を率いて自分が先頭に立って正面戦争したり(人間の国のリーダーを自分の判断で殴って気絶させて自分が勝手に指揮権を奪って、退却の指示を徹底抗戦の指示に変更して戦闘)、サウロンの一番の部下である9人の王のリーダーと直接対決したりすることは問題無しで、ホビットに乗り物を提供するのはだめというのはおかしい。
ベビースターラーメンとヤッターメンを同量ずつ別の器に入れどちらがどちらか分からないようにしておいて、
そして、どっちのほうが美味かを徹底議論する。互いに一歩も譲らず徹底抗戦の泥沼化。
俺はヤッターメンのほうをとる。
左翼には、マスコミと検察という二つの根源的な原因があって、マスコミについては周知の通りで、
検察についてもホリエモンが『徹底抗戦』で明るみに出したでしょ。
簡単に触れると、検察は悪を証明するのが仕事みたいなもので、悪者を作り出すために必死になってる。
あれも悪い、これも悪いなんて考えしているうちに、左翼に傾いていくということだね。
公安と似ているようで実は正反対なんだよね。
どちらにせよ、利権がらみで対立して躍起になっていることには変わりない。
頭が硬いというのもあるが、根源的には利権がらみだから仕方ないという部分が大きい。
昔はそういうお固い体制に対して義憤を感じて活動している熱血漢がいたものだが、今は皆無に等しい。
で、革新の場合は、マスコミだとスポンサーや視聴者からの信頼、検察だと仕事になるかどうかというように、
保守の場合は、あんまり具体的な利権がなくて、曖昧模糊としてる。
早い話が、革新の根源的な部分にいる人は、革新してないと食いっぱぐれかねないが、
保守の人ってのは別にそうでもない。具体的利権はあまり無く、曖昧な国粋主義で成り立ってる。
別に、だから良いとか悪いとかは言うつもりないけれども。
2009.05.08 長すぎて1つの記事では全てを表示できないようなので、2分割しました。
「爆発音がした」まとめ 上 - http://anond.hatelabo.jp/20080506041614
「後ろで大きな爆発音がした。俺は驚いて振り返った。hydeは156cm。」
爆発(ばくはつ)とは、急速な膨張を言い、一般的には気体の急速な熱膨張を指す。
専門家の間では、燃焼による爆発の内、膨張速度(炎の伝播速度)が音速に達しないものを「爆燃(ばくねん)」、膨張速度が音速を超えるものを「爆轟(ばくごう)」と呼んで区別することがある。これは、爆燃が衝撃波を伴わず、被害が比較的に軽微であるのに対し、爆轟は衝撃波を伴い(時には数百mから数kmの範囲で)甚大な被害を及ぼすからである。
「爆発音がした」ということなので、早速ふりかえってみることにしました。詳細は以下より。
「どかーん!!。まあ爆発ですわ・・・る」
「まぁーた来たやがった…全ての始まりと終わり!この世界の創造と破壊の爆発が!!だがこれが最後だ…いけぇぇぇ!!」
「クソッ、また俺を狙って組織が動いたか・・・!」
「後ろで大きな爆発音がしました。その時私は隠れ家的お店にいました。
頑張った自分へのご褒美です。女性の鬱にも勝てますよ。
自立した大人の女性です。ワーキングビューティーとも書きます。
なので私は振り返りました。」
nice bakuhatsu.
「来るぞ・・・来るぞ・・・ 来たぁーー!!」
「爆発を爆発と見破れない人には(振り向くのは)難しい」
「爆発で死にそうになったら働く」
「俺の後ろで爆発音がしたけどめんどくせえから寝た。自宅警備も大変だな。」
「また大阪か」
「ちっ…ついにやつらここをかぎつけやがったか…」
ブラッディ フォーチューン
「振り返り様、俺の右腕に宿る"血塗られた運命"が騒ぎ出す…」
「くっ…近すぎるぜ…"こいつら"が"生贄"を求めている…」
「なんだ爆発か・・・」
「地球が爆発すればいいのに」
「振り返る服がない」
「後ろで大きな爆発音がした。きっと工作員の仕業に違いない。」
スレタイ:今後で爆発音がしたんだが
本文:安価>>10
ズン、と腹に響く爆発音が、オレの頭の約5メートルほど後ろから聞こえたお。腹に響くといえば、オレはまだ昼飯食ってない。もうだめぽ。仕方がないから振り返ろうとしたら、首が回らないことに気づきまくりんぐ。そういえば今朝、寝違えたことを思い出したお。どうするか……そうだお!右向きじゃなくて左向きで振り返ればいいだろ……常識的に考えて……オレはかくして昼飯に思いを馳せながら、後方を見るべくゆっくりと左向きに振り返った。なにもねえwwwwwwwうぇっうぇっwwwwwwwwwwww
音うぜえw
スレタイ:なんか後ろで爆発音がしたんだけど
本文:もしかして俺の屁?
うはwwwwwなんか音がしたおwwwwうぇうぇwwwwwwww
スレタイ:お前らちょっと後見てみろ
本文:どかーんwwwwwwwwwwwww
爆弾が爆発するのではない。爆発するものが爆弾なのである。
私が金持ちになったのも、金を稼ぐより金を使う方が難しいということに気づいたからだ。
弾言する。爆発とはコンピュータであると。
Dan the Bomber
「俺の背後で大きな爆発音がした。っぐわ!…くそ!…また暴れだしやがった…
奴等がまた近づいて来たみたいだ…俺は邪気眼を使い振り返った…」
私の背後からは・・・。そうだな、赤い濁流とでも言おうか、天を沖さんばかりに吹き上がる炎があったわけだ。その後執った私の行動は、君、判るだろう。自分に火の粉が吹きかからない事象に人は得てして酷薄で、また法悦を抱くものだからね。先に若い女性がプラットホームから車線に転がり出た時―彼女の意思かどうか知る術も無いが―そこに参集してきた彼らの瞳は、様々な内包物が混淆としながらも濡れていたんだ・・・私の奴もそであっただろうな。兎に角、又瞳が濡れるのを感じながら其処を見遣ったんだよ。
「@爆発音 爆発しろっ!」
「爆発音がした。イマココ! L:○○県○○市○○」
bombtter「爆発音が爆発しました。」
[あとで振り返る]
「[爆発][事件][けまらしい][しねばいいのに]
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090510/1241923485
「こんな大きな音が爆発音のはずがない!」
「おいィ?何いきなり爆発してきてるわけ?」
恥知らずな忍者がアワレにもベヒんもすの盾ができずに背後で爆発したようだったが、リアルモンクの俺はとっさにカカッとバックステッポで避けた。タゲを失った破壊力バツ牛ンのベヒんもすは辺りを漂っているようだったが誰も手出しできないようでただ黙っていたので、たまに行く学校で羨望の眼差しを与える黄金の鉄の塊に身を包んだ俺がふいだまを入れると同時にフラッシュでメイン盾となりグラットンスウィフトを入れ一気にダメージを与えた。これは一歩間違うと全滅の危険をある危険な技だったのでギャラリーが拍手しはじめたが、俺は「うるさい、気が散る、一瞬の隙が命取り」と言うとギャラリーは黙った。
「爆発ってレベルじゃねぇぞ!!」
爆発しました・・・(15)
「爆発に振り返らないたった一つの冴えた方法」
「爆発?いいえ、ケフィアです。」
ニュータイプ「! うしろっ!」
バーーーン(爆発)
アムロ「だ、駄目だ、振り返ったら駄目だ。光と人の渦がと、溶けていく。あ、あれは憎しみの光だ」
「 なら爆発するしかないじゃないか!」
シンジ「逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ」
「何、爆発だってぇ。それが何だって言うんだよぉ」
例えばね、グワッアーン!と、背後で爆発が起こったとしましょう。それで振り返ります。で、「やれやれ」って面倒臭そうに振り返るような、僕はそんな主人公は絶対書きません。
──厭世的ということですか。
それ以前です!あのね、爆発があったら、それが近くであれば先ずエイッって飛び退くでしょ。遠くのことでも「何だ何だ」と振り返る、そういう身体感覚を持っているのが普通です。これは何度経験しても同じですよね、命に関わる事なんですから。だから、こんな鈍感さを持つキャラクターが成立していいのか?ということに自覚的であることは、作家としての最低条件だと思っていますが、今そこら辺を見回してみると、そういった破綻を無意識のうちにやらかしている作品というのは、本当に多いんです。そういうのは、芝居にすらなっていない。
「うしろで爆発音がしたんですね、わかります。」
「後ろですごい音がしなかった?」
*ばくはつのなかにいる*
「振り向く権利をやろう」
「( ゚д゚ )彡そう!」
「樹海を進む君達を衝撃と轟音が襲う。静寂に包まれた樹海を一瞬で蹂躙したその音はどうやら君達のすぐ後で鳴り響いたらしい。君は後ろを振り返ってもいいし、このまま探索を続けても良い」
All your bakuhatsu are belong to us.
「バクハツいっこおきる」
エアリス「うしろ。音した。びっくりぃ!」
エインシャント卿「……」
「おおうしろよ!は"くはつしてしまうとは なさけない」
「ぬわーーっっ!!」
君子「すごいね!びっくりだね!」
「挟まった!」
「バクハツヲ ムシシテ ヘイキナノ?」
「Q:この音はガスが爆発したのですか?
A:いいえ、爆発したのはトムです。」
「この音はおならですか?」
「いいえ、それは爆発です」
「48発の爆弾が爆発しました。最初に用意した爆弾のうち、20%が不発だったとすると、最初に用意した爆弾は何発だったでしょう?」
「どこに座標系をとるかによって誰が爆発したかが変わってくる。」
「爆発…ですかね」
クルーグマンは発言をコロコロ変えるので有名だが、爆発についての意見はとっくに撤回しており、爆発派の間でこのような不毛な議論が続いているのは日本だけである。この本は、翻訳が下品なことに眼をつぶれば評価できる。
「あの時はどうしてあそこを通っちゃったのかなぁ…
夜道をですね、1人で歩いてたんですよ。ある番組の打ち上げがありまして、
ちょっと一杯引っかけて、ああ、夜風が気持ちいいなぁ、なんて思いながら。
するとですね、突然後ろから聞こえてきたんです。ドカーーーン!…って音が。
あたしゃビックリしましてね。ガス爆発なのか、それとも事故なのか。
でもね、本当の爆発なら衝撃っていうか、爆風みたいなのがありますよね。
それをまったく感じない。こりゃこの世の音じゃないな、そう確信しましてね。
ちょっと酔っ払ってたのもあって、よせばいいのに
脅かすならやってみやがれ、って振り返っちゃったんです」
「ぶははははwwwここは中東かwww」
「爆発だああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
「プラズマだって何度ry)」
「ドカーンと爆発がしましたが何か問題でも」
小倉「僕はねえ、これはいつか爆発するんじゃないかなと思ってたんだよねえ、デーブ」
デーブ「アメリカでは、以前からこの事問題になってたんですよね」
「いいですか、村田さん。あなたはね、簡単にね、爆発とね、言いますけどね。これはね、ただの爆発じゃないんですよ。グローバル化した、アメリカ中心の、国際社会の中で、…違いますよ。最後までちゃんと聞きなさいよ。誰もそんなこと言ってないよ。」
「爆発音を聞いてどう思った?」
「ギョギョーーーー!!!!!!!」
「爆発すると思ったので振り返った」
「ずっと爆発すると思っていました」
「(爆発音の後で)別に」
「爆発したんです!」
神保:「これはさあ、要するに爆発しちゃったって感じなんだけど、宮台さんなんか言うことある?」
宮台:「これはまさに、バカな田吾作どもによるケツ舐め爆発って奴ですね。その点においては、右も左もなんら変わらない」
浜田:「ほんで?」
松本:「ほんなら、いきなり後ろからバーン爆発ですよ」
浜田:「またまた~」
松本:「いや、ホンマやねんって!」
「これは言ってみれば、自衛隊が自分で爆発させたようなもんでね。1 発の爆弾が 2 発になれば 2 発の爆弾が 1 発になったときより余計爆発するわけだから。みんな米軍がやった米軍がやったって言っておるけれども、米軍にはそんな能力はないし、自衛隊だけでじゅーぶん爆発させられる。だから、これは言ってみれば…」
「エクスプロージョン!」
「欧米か!」
「バックをルックするぜ!」
「大柴か!」
赤川一平「姉さん事件です」
「そしたら大きな爆発音がしたの。まあ嘘なんだけどね」
「そしたら、アンタ、どうなったと思う?」
「爆発した…?」
「爆発物は単なる機械であり、宇宙の決定論的な性質により爆発は起きた。」
(ドーン)
「どうだ今の爆発は、驚いただろう……そうか、驚いたか。
我輩もちょっと驚いた。
実はリハーサルの時はもっと小さな爆発だったんだ……まあそんなことはどうでもいい!」
「爆発物に見入る者を、爆発物もまた見つめ返す」
「金星人だ」
太田「そしたらその人、爆発しちゃって」
田中「なわけねーだろ!なんで爆発するんだよ!」
「まさかとは思いますが、この「爆発音」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。」
「瞬間、私は怒りを爆発させた」
「うわぁ~、爆発やぁ~」
「習慣と習癖の結果、爆発が起きた。」
「どかーんなんつって、爆発しちゃったりなんかして~ このぉ!つんつん。んもう、振り返っちゃうよ?この~ウスラトンカチのチョンチョン」
「仮に爆発があったとしても、何がいけないんですかねぇ?」
「いま何やら爆発音がしたようですね。ちょっと心配です。ではお天気いきましょう!市川さん!」
「どうなのよみなさん?もうね、爆発してもらいたいね」
「ほんならー、後ろでドッカーン爆発しましてー、ほいでもう石やらなんやらがボンボン飛んできてー、そばにおった子供なんてもうこんなんですよ(立ち上がって実演)」
「森永さん。アナタねえ、爆発とかいうけどねえ、いままでにねえ、日本で爆発があったことがありますか? だいだいねえ、アナタみたいなトンチキな奴がいるから日本はダメなんだよ。アナタのお父上は立派な人だったけど」
「爆発音を聞いて振り返ると脳が活性化するんですよね」
「いやだからー、これは単に、爆発させたいから爆発させちゃったってだけなんですよ。だってぇ、○○省が出した答弁の中にぃ、爆発ってちゃーんとかいてあるんですもん。結局、 ○○省の連中はみんな爆発させたいだけなんですって。」
「田原さん、それはちょっと違いますよ。確かに、自民党の中にも爆発させろと言ってる人もいます。でも…」
「それは具体的に誰?」
「それはちょっと言えないですけど(言いよどむ)、自民党はそんな党じゃありませんから」
「後ろで大きな爆発音がしたが笑ってごまかした」
「藪からスティックにエクスプロージョンするなよー、カッ!」
「BackでbigなExplosionがしてよ~俺はAmazedでlooked backしたのさ!」
「スッと行こうとしたらバンときた」
「そらそんなん(大きな爆発音が)あればそう(振り返る)なるわな」
「なんでそんなんを、ばく発のアレを言われなアカンのや!」
「そらそうよ」
「爆発したから振り返った。それだけ。」
「爆発音が起きただけで声の上がる日本サポーター。ああ、いやだいやだ。欧州ではこんなことが当たり前だと、なぜ分からないのか。バルセロナの方角を向いて、思う。私は、ただ、嘆くばかりだ。」
歩いていたら
爆発したんじゃ
まじ驚いたわ
「いわゆるひとつのエクスプロージョンがですねぇ、こうドーンと」
「振り返っていく」
「(後ろで爆発があったことを)知らなかった。」
「今回は結果が出ませんでしたが、修正すべきところは修正して、次に繋がる爆発をしていきたいと思います。」
「後ろで大きな爆発音がした。『オッケーイ!』俺は驚いて振り返った。」
「急に爆発が起きたので」
くり返す この爆発
あの衝撃は まるで戦争
振り返る いつかみたいな
あの光景 甦るの
くり返す この爆発
あの反動が うそみたいね
くり返す この爆発
ああ手榴弾 みたいな恋だ
またくり返す この爆発 この爆発
ハァ
空母も無ェ 戦艦も無ェ
戦車もそれほど走って無ェ
ヘリも無ェ ミサイル無ェ
軍曹 毎日ぐーるぐる
朝起きて イージス艦
二日ちょっとの 演習中
携帯無ェ パソコン無ェ
スパイは一日一度来る
俺らこんな爆発いやだ 俺らこんな爆発いやだ
爆弾貯めて 東京でテロするだ
かっくん:「お兄さんは最近なにやってるんですか?」
うらら兄:「今度は、保管専用爆弾ってのを考えたんだよ。」
かっくん&うらら:「保管専用爆弾?」
うらら兄:「ほら、アメリカとかロシアとか、いっぱい爆弾持ってるけど、全然使わないだろ? だから、保管専用爆弾ってのがあれば売れるんじゃないかと思って。」
うらら:「でも、保管しておくだけだったら爆弾の意味ないじゃない?」
うらら兄:「だから、実際には爆発しなくてもバレないんだよ。」
歌:「はい木久翁さん」
木:「布団屋の後ろの地面が爆発しました。」
「世界にはさらに驚くべき爆発があった!」
「っと、その時後ろで爆発音が。ボブが振り返ったそこには!
・・・
3ヵ月後、そこには元気に走り回るボブの姿が!」
「もう僕二度と爆発なんてしないよ!」
桂小枝「シオアル?」
ハチ「ねえナナ、あの日の爆発を覚えてる?あの爆発はもうないよ」
「その時、田中の背後で爆発がした。
プロジェクトに暗雲がたちこめた。」
「背後で爆発があったとということだが、一発だけなら誤射かもしれない。」
「背後の爆発を見るため、振り向くよう求める声も高まった。だが、心配のしすぎではないか。 」
「先程のニュースの中でお聞き苦しい爆発音がございました。謹んでお詫び致します。」
「そのとき、歴史が、動いた」
「岩石蒸気に襲われた世界では雪は瞬時に溶け、川を作るまもなく蒸発していきます」
『「われわれの敵がい心が爆発すれば…」 北、日本の先制攻撃論に反発』
「爆発?なあに、かえって免疫力がつく。」
「現場付近の爆発速度は毎秒約20メートルで減速規制するほどでなかったというが、 平時と同じ時速約100キロで最上川の橋梁(きょうりょう)を渡ったことに問題はなったか。 爆発とは言いながら、 風の息づかいを感じていれば、事前に気配があったはずだ。 」
「爆発音(ガイア)が俺に早く振り返れと囁いている」
「なんでやねん!」
「オーマイガ!」
「いやー、オイの後ん方ででっかか音のきこえったたい。そいでびっくいしたけん、目ばそこんほうにむけたとばってんがね。」
後方大爆音我驚振向
「初めに爆発があった。神は七日後に振り向いた」
子曰く「吾十有五にして爆発す。三十にして振り返る。」
「そもそも、爆発とはなんぞや?」
後ろでの爆発音に続く処理を表すものが継続です。
1000 1001 1000 0010
「芸術は爆発だ!」
「多すぎて爆発した」
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ついかもときどきしていきます。
http://anond.hatelabo.jp/20090315214745
まーそういう話だわな。特に野党は「代表質問とかで嫌がらせしない」とか、あとはせいぜい「間違って与党になっちゃった時の保険」程度でしかない。
で、小沢の件なんだけど、どうも民主の方では特捜は何か口実付けて再逮捕に踏みきってくる可能性が高いと見てるみたい(さっきピンがフォーラムで言ってた)
でも何の容疑で?収賄は無理だよね、普通に考えて職権なんかないわけだし。じゃああっせん利得?まあ強いて言えばあっせん利得で引っ張る以外ないんじゃないかとは思うよ。でもこれもかなり無理筋だよね。これまでの自民への適用方針と比べるとあからさまなダブルスタンダードになるのは目に見えてる。もう一回微罪で引っ張るにしてもダブスタは避けようがない。国会で「いじめない」のと引換に献金してあっせん利得とか言い出したらそれこそ自民が跡形もなくなるやん。もしくはこの政治資金規制法違反だけで起訴いくの?尚更ないわ。自民側で闇献金まで出てるのに聴取始めましたってリークそのものがデマってのがよりによって二階手ずから晒されて、このまま突っ切ったらそれこそ国策調査呼ばわりの笑いものだよ。
小沢が異常なまでに徹底抗戦に出てるのも収賄やあっせん利得まで行かないか、行っても早期に勝てる算段がある、つまり5年以内に身に覚えのあるような件は無いんじゃないかと思われる。もちろん自民時代や自自公時代は真っ黒だろうけど実際ずっと下野してるここ5年だけに限れば何もない可能性は高いよね。ほんとに小沢に負け戦の自覚があるなら適当にけんこうじょうのもんだい(笑)とか起こしてジャスコに禅譲してるよ。
今回の件、国策捜査という表現には違和感を覚える。どう見ても特捜の聖戦士様(笑)が暴走した的な印象を受ける。いわゆる青年将校状態って奴か。表層的な現象だけ見てると尾身あたりの異様なまでのスルーっぷりからどう見ても清和会の仕込みです本当にありがとうございました的発想も沸くのだけど、現実問題として単に大物すぎて手が出ないというのも多分にあるだろう。
特捜が24日にどういう手に出てくるかによって、背後関係とか、本丸とか、検察がどのくらい仕込んで動いたのかとか、見えてくるだろう。
あなたに漠然とした質問をひとつします。
深く考えずにとりあえず答えてみてください。
「答えはどこにあると思いますか?」
本当に漠然とした質問で戸惑ってしまったかもしれません。
でも、答えてください。
反射的に出てきた言葉でいいので何か答えてください。
何となく決まり文句で出てきた言葉でいいので答えてください。
答えましたか?
これは自分探し病にかかっているかどうかをチェックするテストです。
「自分の中にある」と答えたあなた!自分探し病にかかっています。
このテストは、速水健朗「自分探しが止まらない」を読んで、私が勝手に考えたものです。かなり精度の高いチェッカーだと自負しています。実際の自分探し病患者である自分自身の病理をよくよく観察して考案しました。
「自分探しが止まらない」を読んで、自分自身が自分探し病にかかっていることを認めざるを得なかったのです。不本意ながら。
でも、病を自覚できたおかげで、最近悩んでいたことがすっきりしました。
娘の教育にあたっての妻との衝突の悩みです。
「これだけは誰にも負けないという何かを、何でもいいから持つべし!」というのが、娘の教育にあたっての私の方針でした。決して突飛な考え方ではないと思います。
しかし、これを聞くと妻はため息をつきます。そして言うのです。
「誰にも負けない何かなんて、私には何にも無いよ!」
たしかに妻は、勉強や運動で飛び抜けた成績をあげたこともなく、これといった得意分野もありません。何かの趣味に熱中することもありません。
では、どうして妻は、私にとってかけがえのない存在なのでしょうか。
そして、娘の教育方針はどうしたらいいのでしょうか。
現在の子育て世代は、深刻な自分探し病世代でもあるように思います。自分探し病でわが子まで不幸にしないために、私の考えをまとめてみました。
「自分探しが止まらない」では、我々の世代はみんな、自分探しを社会から強制され続けてきた世代であることを、様々な事例から明らかにしていきます。
我々の世代というのは、「あいのり」世代として区切ることができます。青春時代に放送されていた恋愛バラエティー番組が「あいのり」であるという世代です。比較して語られるのが「ねるとん」世代。
私は「あいのり」世代です。そして、「あいのり」の本質は恋愛バラエティーではなく自分探しバラエティーであると、「自分探しが止まらない」は分析しています。
私は「あいのり」という番組が大嫌いですが、好むと好まざるとにかかわらず、時代の空気というものは誰もが影響を受けてしまうものです。そして、テレビ番組は時代の空気を映す鏡です。極論すると、我々の世代の全員が自分探し病の患者か予備軍なのです。
「ねるとん」のキーワードは「三高」、「あいのり」のキーワードは「本当の私」、ここに世代間の意識の違いがくっきりと現れます。
「高身長・高学歴・高収入」と恋愛成立の条件を「相手」に求める「ねるとん」に対して、「あいのり」は「本当の私を分かってくれる人」といった具合に、一見すると相手に求める条件のようでいて、じつは「自分」の内面的なことがすべてであるという違いです。
私たち「あいのり」世代は、徹底した自己分析によって自分の適性にぴったりの職業を見つけて、その職業に就くことによって初めて幸せな社会人になれると刷り込まれ続けてきました。
というか、刷り込まれてきたという自覚もありません。仕事=自己実現であり、答えは自分の中にあるのであり、就職活動=本当の自分探しであるという考え方に疑問すらわかない状態です。
自分探し病が重症になると、恋愛についても同じ考え方をしてしまうわけです。恋愛=本当の自分探しであり、やっぱり答えは自分の中にあると考えるのです。
常に本当の自分とやらを見つめ続け、
「よくよく考えてみたら、私にはこんな一面があると気づいたの。だからあなたとはお別れね。あなたが悪いんじゃないの、あなたを選んだ私は、まだ本当の私じゃなかっただけなの。」となるわけです。
問題をややこしくしているのが、この考え方が「あいのり」世代特有の奇妙なものであることを自覚するチャンスが無いということです。「自己分析」という自分探し病キーワードを「あいのり」世代が口にしても、スルーされてしまうという罠があるのです。
罠のポイントは、「あいのり」世代の奇妙な考え方にお説教のひとつくらいしてもよさそうな50代から60代あたりの世代こそが、私たちに「個性重視」教育を施した当事者であるということです。
その世代の人たちは、ある種のファンタジーというか、ものの考え方の振れ幅の片方として教えていたつもりで、まさかそこまで本気で私たち世代が信じ込んでくれているとは思ってもいないのです。
(没個性・画一教育へのアンチテーゼという意味での)「個性重視教育」
をやっていたつもりが、いつの間にか括弧書きの部分が取れて、
「個性重視教育」
になってしまったのです。
ファンタジーが現実になってしまったわけです。バリバリの没個性・画一教育を受けて育ってきた世代には、どうにも実感の湧かない現実でしょう。自分たちが目標に掲げて実現した世界なのに。
だから、「自己分析」というキーワードを「あいのり」世代が口にしたところで、そこに信仰にも似た過剰なまでの熱量が含まれているとは思ってもみません。文字通りの意味で受け止めて、微妙にずれた言葉のキャッチボールが成立してしまうのです。ある程度の「自己分析」が就職活動に必要なことは間違いないのですから。
相当に丁寧な言葉のキャッチボールをしないと、この微妙な、だけどとても大きなずれに気付くことは出来ません。
このような「自分探し」をめぐる世代間の認識のずれは、自分探し病についての建設的な議論を台無しにしてしまいます。
50代から60代あたりの世代は、まだマシです。我々「あいのり」世代が抱えている「自分探し」観を懇切ていねいに説明すれば、
「へぇ?、そんな風に考えていたんだね。思っても見なかったよ。」と素直に受け止めてくれる人も少なくありません。
問題は「ねるとん」世代です。「ねるとん」世代は、「自分探し」がブームになった世代なので、「自分探し」について自分たちの世代もよく知っているつもりです。「深夜特急」が青春時代に刊行され、そのマネをして旅に出たという友達がまわりにたくさんいた世代です。
だから、自分探しについて自分なりの考え方を既に持っています。そして、それを語り尽くしたら、議論をおしまいにしてしまうのです。
「自分探し?そんなものは俺が若い頃にもあったし、俺もかぶれた時期があった。あんなものは一種の通過儀礼で、いつまでも自分を探しているやつは甘えているだけなんだよ。」みたいな感じです。
たしかに「ねるとん」世代が青春を謳歌していた頃に「自分探し」はブームになり、「ねるとん」世代も多くの人が自分探し病にかかりました。
しかし、まさに「ブーム」でした。
「ねるとん」世代の多くは「ブーム」として自分探し病にかかり、「ブーム」だからこそ、しばらくすると熱は冷めていったのです。
自分探し病がそのまま重症化してしまった人も、もちろんいました。オウム真理教に入信してしまった人などです。ただし、それは特別な存在でした。
しかし、我々「あいのり」世代は、自分探しこそが幸せへのパスポートであると社会全体が大合唱している中で青春時代を過ごしてきました。今の大学生にいたっては、物心ついてからずっとです。
自分探し病の病原菌に、いつか治すべき流行病として感染したのが「ねるとん」世代。素晴らしいワクチンであると学校で接種されて感染したのが「あいのり」世代なのです。自分探し病にかかるということの意味合いが全く違ってくるのは当然でしょう。
そのあたりの認識のずれに気付かないまま自分探しを論じているブログがたくさんありました。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51003082.html
Baldanders.info
「『自分探しが止まらない』を眺める」
http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000376.shtml
どれも、我々「あいのり」世代の自分探し観と微妙にずれた、彼らの世代の自分探し観を前提として持論を展開し、議論を切り上げてしまっているように思えます。
自分の病理として捉えつつも、このように冷静に分析できたのは、私が自分探し病にかかりつつも、それほどこじらせないで済んでいたからです。
妻のおかげです。
私と妻、それぞれがまったく違う生き方をしてきたのが功を奏しました。
私は圧倒的な優等生としてずっと生きてきました。常に学級委員を務めていて、勉強も出来ました。しかも、好奇心旺盛で何にでも興味を持ち、個性的と賞賛される発想を、ずば抜けた行動力と調整力によって実現してしまう伝説級の優等生でした。運動神経は全くありませんでしたが、スポーツから逃げるのがしゃくで、中高と運動部に所属して、それなりにこなしていました。
あくまで事実を書いただけですw
より適切に表現するならば次のような感じでしょうか。
キモオタなんだけど、やたらと行動力があって、運動以外のスペックが全般的に高くて、何より精神的なダメージへの耐性がむやみに高いせいで、周囲の微妙な空気も含めて力技で引っ張り回して、何だかんだで思い通りにしてしまう人間でした。
要するに、「あいのり」世代が受けてきた「個性重視教育」に、これ以上ないくらいに適応した人間だったのです。学校が楽しくて仕方ありませんでした。
就職するときには、超氷河期の中でしたが、おもしろそうだと思った仕事にすんなりと就くことが出来ました。今も仕事が楽しくて仕方ありません。
一方、妻は、勉強も運動も人並みで、特に何かに熱中することもなく、至って普通に生きてきました。学生時代に何かを成し遂げた思い出も無いそうです。
なんとなくいくつかの会社を受けて、内定をくれた会社に就職し、しばらく働いてから寿退社。今は専業主婦です。
要するに、「個性重視教育」に背中を向け続けてきた人間なのです。学校では先生のお説教が憂鬱で仕方なかったとのこと。
相変わらず我が道をばく進する大学生だった私が、ひょんなことから出会った専門学校生の妻に交際を申し込んだ理由は、そんな妻の普通すぎる価値観が逆に新鮮だったからでした。
まぁ、正直なところ妻の美しさが最大の理由でしたが、新鮮な価値観に魅力を感じたのも嘘ではありません。妻としても、私のキモオタぶりも含めて、すべてが新鮮だったからOKしたそうです。
実際に交際を深めていく中で、かけ離れた価値観をぶつけ合うことが、やはりとても生産的なすばらしい行為であることを知りました。というか、妻がここまで徹底抗戦してくるとは思っていませんでした。
私が積み重ねてきた経歴や、獲得したたくさんの語彙や、膨大な知識に、まったく臆することなく、というか意味を見出さず、ひたすら一つのことを問いただし続けるのです。
「あなたは私を幸せに出来るの?」
そのあまりにシンプルな問いと向き合ったおかげで、私の自分探し病は悪化しないですんだのかもしれません。
「あなたは私を幸せに出来るの?」
「俺には輝かしい学歴があるからね。」
「いや、これが結構残念なことになっちゃう人も多くてね。
だけど、俺は違うよ。就きたい職業のイメージもしっかりしているし、そこに向けた努力もきちんとしているし。」
「仕事はおもしろそうだし、お給料は人並みにもらえるらしいし、安定している業界だし、忙しい職場だけどそれなりに家庭生活とのバランスもとれるっぽいから、大丈夫だと思うよ。」
「本当に?」
「たぶん…。」
「私を幸せに出来るの?」
「いや、そう言われると…。これから社会がどんな風に変わるか分からないし、仕事が自分にとって本当におもしろいかは入社してみないと分からないし、それなりに出世するつもりでいるけど、学歴とか関係ない職場だし…。言われてみると…。」
真剣に具体的に考えて、私は愕然としてしまいました。
私にあるのは可能性だけで、何一つ確実なものは無いのです。
輝かしい学歴も、個性的な発想力も、築き上げた人脈も、彼女に幸せを約束するための十分条件にはならないのです。いや、必要条件ですらないのです。
三段跳びに例えると、助走で最高に気持ちよく走ってきて、スピードものってタイミングもばっちりだけど、ホップ・ステップ・ジャンプでうまく跳べるかなんて、踏み切ってみないと分かりはしないってことに、初めて気付いたのでした。
走ることと跳ぶことって全く別のことですもんね。うまく助走出来た方が、うまく跳べる可能性が高くなるというだけです。うまく助走できていたのに、うまく跳べないことなんてざらにあります。一方で、助走ではいまいちスピードがのらなかったのに、うまく跳べてしまう人も少なくありません。
更に言えば、ホップ・ステップまではうまく跳べたのに最後のジャンプで大失敗なんて、歴史の教科書ではむしろ多数派です。
そんな問答を彼女としながらも、私はとりあえず就職活動を進めていて、希望通りの業界で内定をもらいました。
しかし、内定を手に大学4年生となった私に、トラブルが発生したのです。勉学以外の活動が面白すぎて夢中になっているうちに、最後の一年でとるべき単位が大変なことになっていたのです。時間割のすべてのコマをパズルのように埋めて、すべての授業で単位を獲得できれば卒業できるという状況でした。
跳ぶことの怖さに気付いてしまった私にとって、そんな状況は、跳ぶのを止めて、とりあえず助走を続けるのにぴったりの理由に思えました。
その年度の卒業は諦めて、もう一度就職活動を仕切り直そうと思ったのです。自分探しを延長するのにぴったりの大義名分だと思ったのです。
三段跳びの踏み切り板が近づいてくると、もう少し走れば、もっといい感じのスピードとタイミングになるかもしれないと思えてきたりもするのです。
内定した会社より、重役面接で落とされた別の会社の方がやっぱり自分にあっている気がしてきてみたりするのです。
そんなことを彼女にほのめかしてみたところ、一喝されました。
「何が何でも卒業して就職した方がいいと思う。最初から留年するつもりなんだったら、別れる。
だって、就職留年して別の会社に内定したところで、幸せを約束できるわけじゃないのは一緒でしょ。試験勉強応援するからさ。」
彼女がそういうんだったら仕方ないというか、そうした方がいいことは薄々気付いていて背中を押してもらったというか、私は卒業に向けて全力投球することになったのでした。
そして、私は無事に大学を卒業して就職し、今に至るというわけです。彼女、つまり妻が一喝してくれて本当に良かったです。
助走って楽しいんですよね。でも、助走はしょせん助走なんです。助走としての個性重視教育にしろ詰め込み教育にしろ、過剰に最適化された私は、走ることがあまりにも心地よかったこともあって、跳ぶことをついつい先延ばしにしてしまうところだったのでした。
たしかに、踏み切り位置がきっちり決まり過ぎていた頃は、それゆえの悲劇もあったのかもしれません。
足のタイミングが踏み切り位置にたまたま合わなくて失敗したとか、もう少し長めに助走していたらスピードがぐっと上がっていたはずだったとかです。
だから最近は、そのあたりの悲劇を無くすために、踏み切り位置をきっちり決めないでOKとする風潮になってきました。
でも、何だかんだ言って、結局は跳ばなきゃ話にならないのです。
「もっと真面目に助走しろ!」と怒られ続けてきた妻にしてみると、それほど意味がないように思える助走なんかさっさと切り上げて、早々に跳んだ方がいいに決まっているのでした。
ということで、妻に一喝されたおかげで、私は自分探し病をこじらせないで済んだのでした。
でも、いまいち問題の本質を理解しないままでいて、危うく娘まで自分探し病的な考え方に押し込めてしまいそうになっていたところを、再び妻に一喝されたというわけです。
「誰にも負けない何かなんて、私には何にも無いよ!」
「誰にも負けない何か」というのは、私がずっとすがりついてきたキーワードでした。
閉塞感が漂う時代は、多くの人が確実そうなものにすがろうとします。医学部が人気になったり、公務員試験の競争率が高くなったり、金相場が上がったりします。
でも、私たちの世代は、「すがれそうな確実なもの」という幻想をことごとくぶち壊された世代でした。
私たちが大学受験をした当時は、医者余りで食いっぱぐれる医者も出てくるなんて言われていました。
学歴は、無くて困ることはあるけど、あったところで何かを保証されるわけで無いことを、みんな知っていました。
大規模リストラのニュースが毎日のように流れ、終身雇用の原則は、音を立てて崩れ落ちていきました。
そもそも、大企業自体があっさり潰れる実例をたっぷりと見せつけられました。
かといって官僚も、天下りありきの賃金構造でモチベーションが維持されていて、そんないびつな構造を維持できるはずがないと、みんな薄々気付いていました。
そんな状況と、骨の髄まで染み込んだ個性重視教育から導き出されたのが、「誰にも負けない何か」という考え方なのです。
確実なものなんて望めない世の中だけど、それでも望もうとするのならば、努力によって磨き上げられた圧倒的な才能くらいでないとすがりつくことは出来ないという悲壮な認識です。
でもね、そんなものに手が届くはずがないのです。認めたくないですけど。
だから、妻の反撃は私を追い詰めていきます。
「誰にも負けない何かなんて、私には何にも無いよ!あなたにはあるの?」
「Aの分野における、Bという条件での、Cなら誰にも負けない自信がある!」
「随分限定するのね…。そこに需要があるの?」
「ある!…はず。」
「食べていけるの?」
「…いけると思う。」
「子どもの学費もあるんだよ。」
「いける…ん…じゃないかな…」
「厳しいんじゃない?」
「まあ…ちょっと…覚悟は…しておいて…」
それなりにスペックが高いと自負している私は、努力さえすれば「誰にも負けない何か」が手に入ると思っていました。でも、ちょっとやそっとでは「誰にも負けない何か」なんて到達できるはずがありません。
そこで、私はニッチ路線をひた走る戦略へと方針転換したのでした。数は少ないけど熱烈に支持してくれそうな見込み客がいて、市場としてこれから成立しそうな分野に、今から開拓者として乗り込んでおこうというわけです。この方針転換自体は間違っていないと思っていますが、もはや「すがりつける確実なもの」というレベルの話でないことを、認めざるを得ません。
というか、「一生安泰」のためには、「誰にも負けない何か」を「ある程度維持し続ける」必要があります。一発屋が、むしろ不幸へとつながりやすいことをみんな知っています。かといって、「誰にも負けない何か」を「ある程度維持し続ける」という生き方は、もはや普通の人生以上の修羅の道です。
要するに、「誰にも負けない何か」なんて見果てぬ夢であって、それを目指すことは悪くないけれども、それを必ずつかめるはず、それをつかんで初めて幸せになれるなんて考えるのは大間違いだということです。
でも、なにか確かなものが欲しい!
そこで頭に浮かんだのが、「誰にも負けない何かなんて何も無い」妻が、私にとってかけがえのない存在であるということでした。
私にとって妻がかけがえのない存在である理由を考えてみました。
私は常に暴走モードに入っています。ふと思いついた楽しそうなことに向かって、闘牛のようにとりあえず一直線に向かっていきます。
そんな私の背中にまたがった妻は、時々私の耳たぶを引っ掴んで大声で叫ぶのです。
「あんたバカぁ!?そっちに行ったら危ないでしょ!ちゃんと前見て走りなさいよ!」
妻を背中に乗せていなかったら、私は壁に激突しまくって瀕死の重傷を負っていたことでしょう。
一方で、私の背中に乗っていなかったら、自力で前に進むのが苦手な妻は、その場に座り込んでため息ばかりついていたことでしょう。
今となっては、これ以外考えられない組み合わせです。
「誰にも負けない何かなんて何も無い」妻ですが、私を操縦することにかけてだけは、誰にも負けないわけです。
一方で、こんなきっついツンデレ妻を背中に乗せていられるのは私くらいだという、妙な自信もありますw
もちろん、最初からこの組み合わせがうまく機能していたわけではありません。長いつきあいの中で、お互いに激しくぶつかり合って、お互いに譲り合ったりしていく中で、何とか作り上げたギリギリのバランスです。
自分らしさの大切な要素だと思っていたものを、それぞれが泣く泣く諦めたりして今があるのです。そして、これからもぶつかり合いは続きます。
そうなんです。ぶつかり合いは続くんです。あらゆる状況は常に変化していくわけで、最高の関係を築き上げたつもりの私たちの間で、微調整どころではないぶつかり合いが、これからも発生し続けることは間違いないのです。
結局は、個人と個人とが直接ぶつかり合って作り上げた関係性の中にしか、確かなものなんて無いというのが私の結論です。そして、それは常に揺らぎ続けるものであって、確かなものにし続けるために不断の努力が欠かせないものなのです。
不断の努力無しには崩壊してしまうものが「確かなもの」であるかは微妙なところですが、わが家では、その程度の「確かなもの」で十分とし、それ以上のゆるぎない何かを求めるとろくな事にならない気がします。
私たちが探し求めている「自分」というのは、結局のところ「存在意義のある自分」なんですよね。
そして、それは「自分の適性を最大に生かして仕事をすること」とか、「誰にも負けない何かを身につけること」とか、「自分のすべてをありのままに受けて入れてくれる恋人と出会うこと」とかではなくて、「大切にしようと決めた人と、お互いがお互いにとって大切であり続けるためにもがき続けること」でしか手に入らないものなのです。
かといって、「キミとボクの関係が世界のすべて」だなんて、そこに過大な意味を見出そうとすると、また妙なことになってしまいます。
そうではありません。あくまで、世界のすみっこで生きている個人同士が、その存在の小ささを受け入れた上で、お互いの存在価値を認め合って、それに見合った努力をし続けるということなのです。
「答え(=「存在意義のある自分」)は、どこにあると思いますか?」
という質問に改めて答えるならば、「大切な人と自分との間」にあるといったところでしょうか。
後編へのリンクを忘れていました。
初増田なもので、すみません。
わが子を自分探し病から守る 後編
日本で社会運動が今ひとつ盛り上がらない理由について考えてみる。日本の風潮のせい、ネットで話題になる偏向報道、またひどく深刻な社会問題がないということ、学生運動の失敗などなど理由はいくらでもあるだろう。それらが複合的に絡み合って今の現状がある。
ところで日本人の風潮とは一体何だろう。色々な問題が出たときにとやかく日本人の風潮というものが問題視されるが、その実体は一体何なんだろう。最近読んだものには”表面的な付き合いしかしない若者”というものがあった。自己のメリットの範囲内でしか人間と人間の付き合いをしないという若者のコミュニケーションがそこでは問題視されていた。表面的な付き合いというのは日本の一種独特のコミュニケーションスタイルだと思う(それをコミュニケーションと認めるならば)。集団社会という点、自分の趣向をないがしろにできるという点、雰囲気を過剰に読むという点(KYというふざけた言葉があるくらいに)などが表面的な付き合いというものを可能にしている要因である。特に日本には以心伝心という言葉が古くからあるように言わずとも分かれという意識が非常に強い。これは日本人全体のコンセンサスにもなり得る程だ。
あるいは古い時代なら何と言わないままでも分かり合えてたのかもしれない。しかし、現代の人間にはそんなことは伝わらない。むしろ言っても何も伝わらない時代なのだ。人間という生き物は確かなプロセスと結果を学習しなければ、何も得る事は出来ないのは自明の理である。子供の精神や脳のシステムが発達していく段階に、親はしつけの名の下に何がどうしていけないかを教えなければならない。現実問題として親はしつけを放棄するようになっているし、大人が子供を恐れているという問題もある。挙げ句の果てにはアダルトチルドレン問題なんていうものさえあるのだ。少し脱線したが、私が言いたいのは想像力のない人間が増えているということである。人間を包丁で刺したら死ぬということさえ理解していないように見える人間だっている。現代は人に対する想像力が決定的に欠けている人間が多くなっている。想像力のない人間に、”ダメ、絶対”という言葉だけで一体何が伝わるというのだろうか。しかし表面性を重んじる社会はこれを賞賛するのだ。全くもって素晴らしい国だ。説明する労力をみんながみんな省こうとするのだから。
こうした表面性にも増して社会運動が盛り上がらない重要な要因はもう一つある。それは言うまでもなく日本的集団社会のシステムである。グループや組織の中で一人違った発言や主張をしただけですぐに組織からしめだされる。マイノリティを排除しようとする素晴らしい民主主義システムである。
こうした事柄などから社会システムなんていうものはいくら頑張っても個人の力では何一つ変えられないと日本人が思うのは至極当然のことだ。そういう意識は勿論私にもあるし、日本全体のコンセンサスのようになっているかもしれない。社会運動、学生運動などは時代が違うのだ。社会のシステムに歯向かうなんて馬鹿のすることだ、と多くの人は考えている。それでも立派な革命家、思想家なら徹底抗戦するだろう。詩人や小説家も同じかもしれない。とにかく少しでもいいから社会をいい方向にもっていきたい。それが理想であろうと幻想であろうと妄想の戯れ言であろうと彼らは頑張っている。それが例え最悪な結果を招いても方向性が著しく間違っていたとしても彼らを私たちが嘲笑うことなど出来ないだろう。私たちは何にもしていないのだから。
民衆の結束力が弱くなった時代だと言う。人々は互いに無関心になって、国民意識とか郷土意識とかがなくなっているともいう。しかし、世界の裏側で子供が餓死しようと、チベットで暴動が起きようと、そうした事が私たちの実生活に影響を及ぼさないのも事実だ。所詮対岸の火事なのだ。そんなことは私や君の生活には関係ないから、例えそれが心を痛ませるものだとしても、私達は自分達がどうやって明日の生計を立てていくかを考えた方が良いのだ。ではもし自分の住んでいる街に原子力発電所ができたら、ゴミの埋め立て場ができたらどうするだろうか。どうもしない。その街を出て行けばいいだろうと人は言うだろうし、反対運動に身を費やすよりは補助金でももらってさっさと新天地を求めた方が懸命だ。現代とはそんなもんなのである。
では、例えばの話をしよう。
ある漁村にダムの建設計画が浮上した。漁村が位置するのは珍しい泥海がある場所で、そこで漁師達は伝統的な漁を営み生活していた。またそこにはムツゴロウなどの珍しい生態系も住んでいた。その地域は毎年ひどい水害に見舞われていた為、ダムをつくって水の流れを止めてしまう事が切実に必要だった。しかし、ダムによって水がせき止められてしまえば、そこにいる生態系は全滅し、漁師達は職を失う。
このニュースは直ちに全国に流れた。人々はそれを見て何て可哀想な出来事なんだと感じた。そして、様々な抗議運動が展開された。珍しい生態系を守らなければならないというのが特に人々の心を動かしたようだった。漁師の伝統的な漁と、珍しい生態系は絶対に守らなければならない、と彼らは声高に叫んだ。だが、ダムを建設しなかったら水害はどうなるということについて彼らは何も考えていないようだった。水害は毎年死者を出すほどのひどいものであったので、地域の住民はダムの設立を切望した。双方様々な運動をした。どちらにとってもダムは文字通り死活問題だった。
結局漁師の抗議運動もムツゴロウなどの保全をうたう環境団体の運動も結局は何の効果ももたらさなかった。何故ならダムを作る事の優位性は明確だったし、地域の住民の数に比べて漁師の数は圧倒的に少なかった。そして誰もが仕方の無いことだったんだな、とニュースを見てひとしきり胸を傷ませた後、各々の生活に戻った。
一つの季節が終わり、春が来るとほとんどの漁師は村を去ったが、ムツゴロウは元気に繁殖活動を続けていた。
数年後、漁師やムツゴロウ達が消えた場所には「ここは昔海でした。」とだけ書かれた看板が立てられた。世間の人々は漁師やムツゴロウのことはもうすっかり忘れていた。何故人はすぐに忘れてしまうのだろうか。それは全ての事件に胸を痛ませて、憤慨し、悲しいことを忘れないように、理不尽なことを忘れないようにしていたら、人は疲れきってすぐに気が狂ってしまうに違いないからだ。誰もが何もかもを忘れていく。自分に直接関係のないことは所詮自分に関係のないことなのだ。
昔、漁村があった街には今では味気ないダムと味気のない看板が立っている。その街の人々はとても幸せそうに暮らしている。
私はこの文章を書きながらチベットの人々のことを考えた。難民のことを考えた。食べ物が無くなり、今にも餓死しようとする子供達のことを考えた。平和が訪れればいいな、と本気で思った。
それでも寝て起きたら、私も全てをすっかり忘れて私の日常に埋没するかもしれない。それが良い事なのか悪い事なのか私には分からない。
ただ、それが出来てしまう今の自分を好きになれないということだけは分かっている。