はてなキーワード: 癪に障るとは
アイドルマスターシャイニーカラーズで直近に実装された4人組の幼馴染によるユニット「ノクチル」の空気感およびそのメンバーが苦手だ。
彼女たち一人ずつのSSRTrueシナリオ、現在開催しているノクチルが主役のイベントも読み終えたが、この感情が変わることはなかった。
①自分がおっさんになってしまって、今風のいわゆる「自分が最優先」という感情を隠そうともしないような彼女たちの空気感が癪に障る
②よくゲームのキャラにあるようなコミュ障ではなく、「自らの意思により、周囲からどう見えるかではなく自分のポリシーにあわせた態度をとっている、たとえシニカルやシュールであっても」というように見受けられてしまう
③アイドルになろうとして自分を磨いていくのではなく、自分を磨いていく、もしくは自分が目指した生き方を手に入れることの一つの手段としてアイドルというスタイルを選んでいるように見受けられてしまう
このあたりのような理解の仕方になってしまう為、自分には合わないなと感じた。
③はシンデレラガールズの一部にも見受けられるように思えるが、自分はシンデレラ詳しくないのでパス。
自分の解釈としては、リアルでもバーチャルでも現在のアイドルという言葉は「そう、自分の思う姿であろうとする意思」のことを指すと考えている。
そういう意味ではどれだけ過激なパフォーマンスをしても未熟であっても奇抜であっても、それぞれがそれぞれに考える
自分にとって最高のアイドルであろうとする姿なら、そこに練度やスキルや知名度の上下はあっても貴賎はないと思っている。
だけどノクチルのメンバーは、それぞれそうあろうとする意思が少なくともアイドル活動の範疇には存在しないのではないかと、シナリオを読んで思えた。
それこそ名前の通り夜光虫のように、外部からの刺激に反応してアイドル活動という光を(自らの意思とは関係なしに)放出しながら青春時代の不安定な衝動により自らをゆらゆら漂わせているだけのようだ。
それはそれで良いと思うし、選ばれしものにしかできない生き方だと思う。ただ、自分が疑似体験として彼女たちのその生き方の為に
貢献し労力を割きメタ的な意味でいえば課金を行いアイドルとプロデューサーというアイマスにおける共犯関係を築きたいかと言われればNoだ。
これからこの情緒不安定に漂っている彼女たちが、決定的に異なる生き方をしている他のアイドル達と絡んで一悶着起こしたりするのだろうか。
それは本当にほんとうに勘弁して欲しい。彼女たちのスタイルを積極的に否定するつもりはないが、お願いだから自分が好きな他のアイドル達と関わらないでくれ。
だんだん暑くなってきたわよね。
こう暑くなってくると
それはさておき、
細々とした仕事が多くなってきたので、
人が減ったせいでなんか本末転倒寺な感じがするんだけど、
そう思ってるのは私だけかしら?
あまりに雑用が多くて頼まれ過ぎちゃって私もそれ頼まれたの忘れててあとでツッコまれるのは癪に障るから、
釈由美子なんだけど、
ちゃんと頼まれたら忘れないようにガッチリTODOリスト書くようにしたのよ。
あー私はこんな雑用してたのかーってもう事務所のお茶を買うタスクとか誰かに託したい!
でも一つずつやっつけるチェックして消し込むのは楽しいんだけど、
でもここはひっそりと目の奥を光らせて耐えるしかないわね。
人が減って仕事が増えるって、
コロナ解除があけたらあけたで嬉しいけど、
てんてこ舞いなのはゴメンだわ。
またにするわね!
もう行くわ!
うふふ。
味が違って囓ってみて初めて気が付いたわ。
今度から見間違えないようにしなくっちゃ!
グレープフルーツが1玉89円となかなかお手頃価格だったので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
作品内で天祥院英智(以下、英智)が「リベンジポルノを撒き散らす」という発言をしたことにより、先日よりTwitterをはじめとしたSNS界隈で炎上している。
これに対して色々な意見が述べられているが、どうも「何が」問題なのかという点がズレてきているように思えたので、一個人としての考えをまとめさせてもらいたい。
この投稿を見ている人で、あんさんぶるスターズ!!(以下、あんスタ)をプレイしていない人ももちろんいると思うので、英智がなぜそういう発言をするに至ったかを簡単にまとめておく。
Crazy:Bというアイドルユニットが、他のアイドルたちの過去を捏造して公表したり、センセーショナルに煽ったりしたことで、アイドルへのヘイトが集まるようなパフォーマンスをした。
彼らの行いを放置することは、アイドル業界にとってよくないことだと判断した英智は、彼らを大人しくさせるための対抗策の一つとして、Crazy:Bのメンバーの情報を集める。
その際、英智は「やられっぱなしでは癪に障るからね。(中略)彼らの弱点を掴めたということだよ。だからもし、『Crazy:B』が【アイドルロワイヤル】での卑劣な戦術を繰り返すようなら、同じように僕たちも彼らを破滅させるために手に入れた情報を公開する。彼らの、恥部をね。毒針ならぬ釘を刺してあげるよ。目には目を、歯に歯を、ヘイトクライムにはヘイトクライムを。悪評を立てられたら、その報復としてリベンジポルノを撒き散らすよ (アンサンブルスターズ!! メインストーリー 第五章 第百三十八話より引用)」と発言している。これがどのような情報であるのかは、メインストーリー上では明確にされていないが、少なくとも、Crazy:Bにとっては触れられたくないような話であることは匂わせている。
さて、ここで問題となっているリベンジポルノとはどういうものなのか。
リベンジポルノとは、離婚した元配偶者や別れた元交際相手が、相手から拒否されたことの仕返しに、相手の裸の写真や動画など、相手が公開するつもりのない私的な性的画像を無断でネットの掲示板などに公開する行為のことである(wikipediaより引用)。日本でもリベンジポルノ防止法(私事性的画像記録の提供等による被害の防止に関する法律案)が制定されており、犯罪行為である。
これを踏まえて、今回の問題点は大きく分けて二つあると筆者は考える。
そもそも、文脈から考えると英智の行動は、リベンジポルノではないと言える。
今回、彼が示した対抗策は、簡単に言うと「ライブ会場やネット上で誹謗中傷を受けたので、こちらもCrazy:Bが嫌がる情報を公開してやろう」ということである。今回のCrazy:Bの行動も、英智が用意している策も、リベンジポルノも名誉毀損であることには違いないが、Crazy:B及び英智の行動は「性的なもの」ではないため、リベンジポルノという例えが当てはまるかは疑問である。著者である日日日が、何かの理由を持ってこの表現を用いたのかもしれないが、少なくともその説明が作品中で行われていない以上、適切な表現ではないだろう。
また、リベンジポルノという単語の使い方が適切でない以上、会社や作者が性犯罪に対して鈍感であると捉えられても仕方がないように思えてしまう。ただでさえ、日本は外国と比べて性犯罪に対する認識が甘いと言われいる。エンターテイメント上での表現とはいえ、十分な配慮を持って使用するべき単語であることは間違い無いはずだ。膨大なテキストを公開しているあんスタであるが、しっかりと複数の目を通して校閲していれば、そもそもこの問題は起きなかっただろう。(他の文章でも所々、使い方がおかしい文章や、誤植が多いことから、普段から校閲が甘いのだろうというところではあるが)
SNS上では、あんスタは、そもそも現実世界と同じ基準で考えるとおかしいところがたくさんあるから、あんスタはあんスタ世界の独自のルールに基づいている、と考えているので気にしない。という意見も見られる。フィクションと現実の乖離について弁えていることは大切なことであり、否定はしない。しかし、今回の問題はもう少し配慮するべきところが隠れているのではないだろうか。
問題となった「悪評を立てられたら、その報復としてリベンジポルノを撒き散らすよ」という台詞についてであるが、もしも「悪評を立てられたら、その報復として彼らを社会的に殺すことも厭わない」と表現されていたらどうだろうか。この表現は、簡単に言うと「相手の行動により名誉に傷がついたので、相手にも傷をつける」と言っているようなものだが、そう表すことで、眉を顰める人はもっと多くなるのではないかと筆者は考える。倫理的な対応ではないからだ。
SNS上では、「リベンジポルノの被害にあっているのは女性がほとんどで、その女性がメインユーザーのゲームなのにその単語を使うのはどうなの」だったり、「実際にリベンジポルノが原因で自殺したアイドルがいるのに配慮に欠けている」だといった意見も見られるが、個人的にはアイドルものの作品でリベンジポルノという単語が出てくることに対しては構わないと思っている。もちろん、先にも述べたとおり、単語の正しい使用や、道徳・倫理的な配慮を十分にした上でのことである。
また、フィクションだから、といった理由で暴力的な表現や、唾棄されるような単語を許容してしまうのは危険である。ゲームという大衆にむけた作品である以上、物語上の出来事であるとはいえ、世界の何処かに、その言葉、そのストーリーに傷つく人がいるかもしれないのだから、その存在を考慮しないことは、あまりにも視野が狭いと言わざるを得ない。少なくとも傷ついた人に向かって「気にしすぎだ」などといった対応をとるのはあまりにも人の心に対して鈍感だ。
あんスタはスマートフォンでアプリをダウンロードして楽しむゲームであるが、その対象年齢には制限がない。中高生はもちろん、下手をすると小学生だってプレイ可能なゲームである。常識を弁えており、ある程度の道徳・倫理観を持った大人がこの話はフィクションだから、と判断することは構わない。しかし、情操を養っている最中の子供たちが触れるゲームとしては、あまりにも過激なストーリーになってしまってはいないだろうか。今回の炎上は、昔から、あんスタで過激に表現されていたところが改めて問題となって浮上してきたため起きたのではないだろうか。今回のことをきっかけに、対象年齢や、作品としての方向性を今一度定義し直すべきではないかと個人的に思っている。
偽善者とか、そういう目で見るつもりは全くないけど、何か、テレビもスポーツ選手のyoutube流したり押しつけがましいし、こっちも同じようなの何回も見せされてるし、
さすがにこっちもそこまでバカじゃないと思うし。
「今はガマンしよう」なんで、よく分からん有名人に言われるのも癪にさわる。
やろうと思ってる、実践してるのに、テレビのニュースとかで訳の分からん有名人の「ステイホーム」なんで何回も言われるのって、どうなの。
誰に向かって流してるの?超一部のパチンコ屋に並ぶ連中に、幼児園児を諭す感覚で言ってるの?
ほんと、テレビの人たちの、馬鹿にした感覚は前から癪に障る。だったら見なきゃいい、と言われるけど、全方位網では、低いところに合わせなきゃいけないから、
モノホンはスゴイ
演劇人や音楽家の言葉尻をとらえて冷笑することがそんなに愉快なのかな。
演劇も音楽もなしで大切な経済や電気と生きてくれ、と言いたくなるわ。— naoko (@konahiyo) May 1, 2020
演劇や音楽の大切さを説くためには、みなさまに頭下げないといけないのか。
人間にとっての文化や芸術の大切さを主張したら、居丈高に威張っていると思うのか。
橋下徹がいかにもいいそうな意見だけど、インテリとか芸術家とかのなにがこういう人達の癪に障るのだろうね。— naoko (@konahiyo) May 1, 2020
どうも、平田オリザさんが星野源と「コラボ」する安倍さんを醜悪で無教養だと批判したことが、みなさまの逆鱗に触れたらしい。
演劇人の分際で偉そうに、と。
いや、演劇・文化人なら当然いうべき的確な論評でしょう。
ほかが言わなすぎるから。平田さん偉いわ。— naoko (@konahiyo) May 1, 2020
@konahiyo
もうコンテンツからは離れることにしたが、こんなファン心理が確かにあったことをここに記しておく。
今のアイカツは著しく壊れている。
メインターゲットたる幼女向けへの商売を諦め、あろうことかおじさんから金を巻き上げている。
アイカツオンパレードでもはや新しいキャラクター産業を諦めていることから目が当てられない。
今しがた騒がれているノエル4期は2016年でやるべき話であって、今動かしても喜ぶのはおじさんだけだ。
「思い出は未来のなかに」を魂の叫びに、未来に向かって努力する様を賛美していた時代はどこに行ったのか。
どうしてここまで回顧路線一辺倒になってしまったのか理解に苦しむ。
おじさん向けの商売ばかりしていても未来はないのは経営層が一番分かっているのではないのか。
"卒業"という単語をちらつかされて、我々はコンテンツに弄ばれたのか?
2018年2月4日に受けた告知で流した涙や壊れた心情は一体何だったのか。
フェスの開催告知の遅さ、無計画に大量に出されるグッズ、混迷を極める物販。
当日猛暑の中6時間待機を強いられた記憶は忘れようにも忘れられない。
イベントの内容は突っ込みたくないが、前半は必要だったのかどうか、今一度本気で考えてほしかった。
そもそも初代筐体の完成度が高すぎて、スターズ以降の筐体が今だそれに追いついていない。
マイページ、ランキング、ストーリーモードの濃さ、ライブCG、アピール難易度、
アピールの組み合わせ、コーデのやりこみ(グッドコーデ等)、キャラ数、全てにおいて初代が勝る。
現在のクオリティが子供向けだからといって許されると思っている向きがあるのが癪に障る。
これは子供騙しではないのか。
上記の(またはそれに近い)心理状況におかれている人が見られないのはなぜだろうか。
見てられない人はとっくに消えてしまったのだろうか。
今アイカツが好きな人は一体何を思い、どうしてこのコンテンツが好きなんだろうか。やはり分からない。
たかが幼女アニメに何をそんなに言っているんだと言われたらそれまでだ。
自分には、もはや目を背ける以外にできることがなかった。
愚痴です。
ざっくりいうと、
という話です。詳しく書きすぎて身バレしそう。
私は、昨年とある小さい企業に入社し、入社後10ヶ月ほどで管理職となった。入社直後の配属先は5名前後の開発チームで、タイトルの「元リーダーの部下」とはそのときにチームリーダーを務めていた人物である。
入社先の会社自体は設立から10年程度経過しているが、当初は社長のツテなどで社員を雇っていたようで、開発チームにはいわゆるプログラマとして働く人のみで開発のマネジメント経験のある人はひとりもいなかった。ちょうど数年前から事業をちゃんと収益化しようとしているところだったが、これまで社長自身の旗振りによって動かしていた開発チームも、社長が多忙となり直接見られないことから一応リーダーとして立っていたようだった。
私は前職ではそれなりの規模の企業で、受託案件のプロマネを数年間やっていたこともあり、今の会社の面接の際はそのマネジメント経験を非常に買ってもらえた。そういう経緯もあり内定をもらい入社したので、最初はやってる業務内容を教えてもらいながらこちらもチーム運営をヒアリングしたりして状況把握につとめた。初っ端、タスク管理方法について聞いてRedmineを見たところ更新されているチケットがほとんどなく、営業チームからの要求がたまに書かれるだけのものになっていて「おぁ・・・」となったが、そういうところから運用ルールを決めて周知して回して…と地道に進めてきた。
2〜3ヶ月もすると、開発チームのメンバーとしてマネジメントの会議に私が参加するようになり、他部署との依頼や業務調整など、すべて私を通してやってくれるようになった(それまでは、営業部門の人が開発メンバーに個別に聞きに行く、という形で情報共有もされていなかった)。
それでも、名目上、チームリーダーとしては彼を立ててはいた。もはや彼のリーダーとしての仕事は進捗確認するためにチームメンバーを招集すること(進捗確認の自体は私がやっていた)と、全社会議で開発チームの進捗をみんなに報告することだけであったが、私が管理職になったことを機にその仕事も私が引き取り、他のプログラマたちと全く同じ立ち位置になった。
話は変わってチーム全体のことだが、開発チームにはさまざまな勤務形態で働く人がいることと、私の前職ではデスマーチ的な働き方が横行していた反省から、チームメンバーには極力割り込み業務をさせない・会社全体の状況はできるだけこまめに共有する・定期的にメンバー個別に話を聞ける時間を作る、などメンバーが安心して働ける環境づくりを心がけてきた。また、開発プロセスや品質についてそもそも知識がないメンバーもいたので、個人個人が能力の底上げができるよう、タスクの洗い出し方から設計書の書き方、テスト項目の作り方など教えながら一緒にやってきた。実装やインフラ設定などは逆に私よりも知識・能力がある人たちだったので、道筋を作ってあげることでこれまで「それなりに動く程度に作って終わり、バグが報告されたら手が空いたときにやる(結局できない)」みたいな感じだったのが徐々に改善されてきたと感じている。
ただ、彼だけは例外だった。最初の数ヶ月で、彼自身にハンドリングさせる仕事を振ってはいけないと分かってはいたため、彼にアサインする仕事は必ず私が最初に介入し、進め方・タスクの洗い出し方・スケジュール…とすべて打ち合わせで明確にし「いつまでに何をする」をきっちり決めて(スケジュールは彼の見積りにさらにバッファを山積みして)あとはやるだけ…な状態に持っていく。また、彼は誰かに頼まれごとをするとそちらが最優先になる自分のタスク管理をできない人なので、一切他のタスクを振らないようにしていた。それでも期日になると、成果物が出てこないか、終わってないものが出てくるか、そもそもタスクがなかったことになっている。終わったと本人が言っていても、当初やることに合意したはずのものが実装されていなかったり、適当な実装だったり。リリースすると客から指摘が来て、それの対処にまた数週間かけるのである(次の開発を開始できないためまた遅延する)。
そんな状態なので、開発工程ど真ん中でも頻繁に介入して立て直しをする必要が出てくる。立て直しをするときにはできるだけ彼の心を折らないよう、「このまま進めても遅延するリスクが大きいので」と伝え、振り返りの体で「ここでもう少し見積りのための調査を詳細にやっておくべきだったね」「次はこうやってみよう」と立て直しのために必要な作業を一部実際に自分でやってみせ、他の部分を明日いっぱいぐらいで作ってね、作ったら一緒にレビューしようね、という風に毎回新人教育のような気分になりながら進めるのである。当然私自身が持っている仕事に支障が出るので週末にやるのである。
長くなってしまったが、ここまでは日常の業務の光景であり、組織作りや案件が炎上しないための立ち回りなどは私の仕事だと認識しているので努めて冷静に対処しているつもりである。怒鳴ったことは一度もない。
発言が、仕事を茶化すようなものだったり、自分のタスクを他人事のように言ったりする。そしてそれは状況がシリアス(彼の能力不足に起因する遅延が発生している状況など)になっても変わらないため、非常に癪に障る。
これまでのことをすべて列挙するときりがないが、直近に行った、彼が進めているプロジェクトの仕切り直しのための打ち合わせ(私と彼の一対一)での発言が特にひどく、タイトルの通り怒りが収まらない状態が続いている。
よくブチ切れずに済んだなと思いながら、このように調子に乗ったままだと彼は負債の再生産を繰り返して会社に害為す存在になることがわかっているため、きっちり〆ておく必要があるのかなとも思う。反射的にそういうアクションをとれない自分が恨めしい。とはいえ、過去に就業規則を全然守らないことに対して説教したときもヘラヘラしてたし、金銭的な処分をする権限はないし、自分には彼をどうにかするのは荷が重いな…と迷いに迷っている週末。
人手不足の折、やるべきタスクはたくさんある中で、彼の手もまた人手だと思いながらやってきたけど、私の負担だけが増えてモノができないなら思い切って切る判断もあるのかなと思う。結論が出てこないけど、直近指示したことが予定通り出てこないならまたそれに対して立て直しをしないといけないと思うと心が重い。彼を担当から外すにしても今他に空いている人はいないし、彼にさせる仕事も思いつかない。担当から外したら外したで「身軽になった〜」と喜ぶのだろうか。それを想像してしまいまた怒りがこみ上げ無限ループに陥るのやめたい。
選挙戦はほぼ一週間だが、それよりもっと前から、候補者の奴隷になった人がいる。
知人の話なので話半分で聞いてほしい。
その人はデザイナーで、今回立候補する候補者の一人のポスターや掲示物、印刷物を制作する仕事を請け負った。
ポスター用の撮影、画像修正、デザイン作成、修正の繰り返し、諸々の仕事を行っていた。
仕事内容は全く問題無いのだが、限りなくブラックな労働環境だったという。
まず、正月も休めなかった。
「どうでもいいだろ」という顔写真の修正などが深夜に直接本人から連絡が来る。
その対応を翌日朝までにやれ、と言われる。
電話に出ないわけにもいかない(このへん断ればいいと思っているのだが、難しい理由があるのだろう)
知人の精神はかなりけずられていて、会社を辞めるかどうかも考えていたようだ。
大前提として、会社自体がブラックだという話ではあるかもしれないが。
俺は、その話を聞いて心底その候補者が嫌いになった。
表では「子育て環境を良くします」「若者に向いた政策を」とか抜かしてんのに、
子育て真っ最中の知人を奴隷のようにこきつかって矛盾にもほどがあると言いたい。
正月まともに家族とも過ごせていない、夜中も仕事でおそらく子育てで大変であろう母親のフォローもできていない。
自分に関係している人の家庭を壊しておいて、何をきれい事を言ってるんだ、と思う。
そりゃ、あんたを応援したい支援者は沢山いるだろうし、その人達なら喜んで時間や労力を差し出すだろう。
ただ、知人は支援者ではない。単なるビジネス上の関係だ。こき使われる権利は無いはず。
その中に、知人の作ったポスターも貼られてあった。
https://anond.hatelabo.jp/20181205230256
27歳、童貞です。
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わかりみが深い。
僕も童貞だし、友達はいないし、身の回りにいる女性だって、おふくろただ1人だ。
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ところでそうした心境で
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ブサイクでも遊びに誘ってくれる友達とか、最高じゃん。休日が最高に楽しみになる。
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童貞にコンプレックス抱いているのも、親から「孫の顔が見たい」といわれ癪に障るのも、日常が満たされていないからだと思うよ。
本当に童貞にコンプレックス抱いているなら、風俗いってとっくの昔に捨てていると思うしね……。
婚前交渉がなくても、結婚したらさすがにセックスするだろうし、そうすれば童貞は卒業できるだろうけど、そういう話じゃないよね。
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満たされない日常を一発逆転させるために結婚というイベントを利用したいんだと思うけど、そんなことしなくても友達増えたら満足できると思うよ。
おたくの人が忌避?されるのは何でだろうかと考えてみた。以前おたくの人が好きなアニメの感想を書いていて感動したーという内容でした。
内容は特に問題のあるものではなく女の子たちが協力して何かを成し遂げるようなものだったかな。それに感動したという内容。たぶん子供がああいう純粋な物語に感動したという分には問題にされないのだと思う。おたくは大人であり、大人が子供向けのアニメを見て真面目に感動できることが忌避される原因。それはなんでかというと大人になったら厳しい現実社会を生きるためにある程度子供のときに持っていた純粋な感性は薄れる(なくなるわけじゃない、大人になったからってそういう感性が消えるわけじゃない、ていうか消せないし)、というか薄れさせないと生きるのが困難になる。厳しい現実社会を純粋な感性がないふりをして頑張って生き延びている大人側から見ると、純粋な物語にまだ感動できる感性を残して生きているよというのがちょっと癪に障るのだと思う。だからたぶん動機は嫉妬。
大人になってもああいう純粋な感性を残したまま生きているのって結構大変だと思うのだけど・・・。あれが現実に対する反逆にさえ見えるのかも。純粋な感動できる感性は何が何でも捨て去る気がない、持ったまま生き続けるよというかたくなさ?が現実に対する反逆的生き方に見えるとか。
既端末(iPhone7Plus)は2017年5月頃にロック解除済。
iPhone XS MAXに機種変更予約(netから店頭受取)。
店頭。近日、渡航するため、simロック解除できる支払いを希望。即日解除は不可能との説明と受ける。
「既端末(iPhone7Plus)がロック解除済ならできるのでないか?」と問うたところ、どこかに確認。
「しかしながら、一括の場合、現金であっても、入金確認に約1週間はかかるため、その後での解除となるため、即日解除を希望されるのなら、分割にすることを勧める」との説明。
入荷連絡あり。
再度「即日、simロック解除できるか?」と問い合わせたところ、「できない」との説明を受ける。
「先日、確認してもらって『できる』との回答をもらったが」と伝えたところ、店側で保持している書類の記載(9/16の説明が記載されている)を確認し、一転「できる」の説明となった。
「即日解除するためには分割しないとダメ」との説明は同様のため、仕方なくわざわざ分割を選択。
ロック解除については、手数料がかかるため、後日、自分で行うこととした。
simロック解除できず。101日制限のエラーメッセージが出る。
店頭窓口へ電話。9/25の担当者が出て、「個人情報の確認ができないため、157へ問い合わせてくれ」。
157に連絡して待つこと25分、電話に出たサポートの説明では「分割を選択されているので、101日の制限にかかる」との説明。
経緯と「101日以前にiPhone7Plusのロック解除が行われている」点を説明したところ、しばらくしてから「101日以前にiPhone7Plusのロック解除が行われていることは確認できた。なぜできないかは調査して折り返す」と説明され、待つ。
折り返しされた回答によれば「2017年12月1日以後にsimロック解除を行った場合は、101日経過すれば、機種変更後の端末でもsimロック解除ができるが、2017年12月1日より前にsimロック解除をしている場合、対象にならない」とのこと。
「すでにロック解除している端末をわざわざ解除を解いて、再度ロック解除する人がいるのか?」と聞いてみる(そもそもそんなことができるのか?)が、明確な返答は得られない。
「明日、分割したものを全額支払った場合、解除できるのか?」との質問には「支払い月が11月になるため、それが確認できてからの解除となる」との返答。
店頭の説明が間違った点について謝罪され、提案として「店頭へ出向いて、キャンセル(分割→現金一括への契約変更)ができるかどうか、聞いてほしい。その上で一括支払いにすれば、なんとかなるかもしれない」とのこと。
「もともと1週間かかると聞いているのに、10月6日には渡航するが解除できるのか?」の質問には「明確なお答ができない」との返答。
既にiPhone7Plusはなく、他の端末も持っていない。
10/6には現地で人と会うため、ネットや連絡不通になるわけにもいかず、どうすればいいのか途方に暮れている。余分な金を払うのも癪に障る。
非常に困るので、キャンセル返品(可能だと)し、apple storeで注文しようかとも思ったが、お届けは10/5-10(店頭受け取り不可)で間に合わなさげ。
過去にもいろいろsoftbank系の販売店には不満があったが、数年前から利用している店頭は比較的まとも。
前回iPhone7Plusの時の担当店員の中国人がとっても一生懸命だったため、好感度は悪くなかった。
端末代はApple Storeより割高だが、1年割引でさほど変わりないレベルまで落ちるし、通信的(接続はともかく容量的に)は面倒がなくてよいかと思ってしまったのが災いした。
今回、3人の担当者が出てきたが、すべての担当者が解除の詳しい条件を知らないまま、異なった案内をしている。
振込とかならわからなくもないが、現金一括で払っても、確認に約一週間かかるという理屈もわからない。何の確認だ?
一番よくわからないのは、2017年12月1日以後にロック解除した端末からの機種変更は101日以降解除できるのに、2017年12月1日より前の解除端末からの機種変更は101日の制限にひっかかるという点だ。そもそもこの説明が正しいかどうかも不明だが、以下の文はsoftbankの公式の説明だが、申し訳ないがそういう風には読めない。
「※2 過去に対象回線でSIMロック解除を行ったことがあり、かつ前回のSIMロック解除受付日から101日目以降である場合は、機種購入日から100日以内の場合でもSIMロック解除の手続きが可能です。この手続きは2017年12月1日(金)から開始します。」
https://www.softbank.jp/mobile/info/personal/news/support/20170719a/
各店員の対応を中心に書いたが、店員が問題なのではなく、softbank社の問題だろう。次の契約更新はないな。キャンセルが可能なら、すぐに転出するか。
『プーと大人になった僕』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。
これは100点っすな。点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」なので、この100点は大傑作という意味ではない(300点とかありえる)んだけど、ごちそうさまでした、わしゃぁあ満足です。という意味で良作だというのはたしか。損しません。
まあ、家族向けとかカップル向けかと言えば、実はそんなことはなくて、一人で見に行けよおい、しかも社会人がいけよ、っていうのはあるので万民向けとはいい難いんすけどね。この映画は、だって、学生にはわからなさすぎでしょ。
ざっくりいうと「おとなになって社会人となり企業戦士として毎日ブラックな労働をしているクリストファー・ロビン。仕事と家族の間で板挟み。人生の迷子になっちゃった。プーさんといっしょに正しい人生を探そう」みたいなあらすじ&テーマであって、それは予想通りだったし、そして予想を満たして十分以上な脚本完成度です。テーマや物語性(増田はここを中心として映画を見ちゃうタイプです。趣味合わない人は申し訳ない)でいえば、非常に満足でした。
がー。そのてんに関してはー。満足だったのでー、逆に満足であったがゆえにー。脇へうっちゃっておいてー。この映画のー。感想についてはー。別の部分をー。述べたいとー。おもいまーす。
映画冒頭部分では、まだ「100エーカーの森」でくまのぷーさんと遊んでいた頃のクリストファー・ロビン(ショタ)が登場するんですが、もうね、これがね、非常にこうファビュラスっていうか尊いわけですよ。華奢な白人少年が四分丈の(日本で言う半ズボンよりは少し長いけど膝上の)ズボンから、少し筋張ったくらいの細っい脚をね。伸ばしてね。みどり豊かな森の中をバスケットを持って歩く姿がね。素晴らしいわけです。
シーンはクリストファー・ロビンが寄宿学校へ向かうその直前。楽しく美しく永遠だと思われていた「森でのプーさんとの日々」が終わるちょうどその時。作中では「お別れをいう日(Day to say goodbye)」と描かれるその日なわけですよ。
クリストファー・ロビンは楽しい田舎暮らしから、厳しく抑圧的な寄宿学校へ入らなきゃいけない。それは大人への第一歩で、もう今までのように日々をただ日々として楽しく過ごせる時間は終わってしまった。それをクリストファー・ロビン本人もわかってるんですよ。もう自分はゆったり時間を過ごせない、これからは時間に追われて毎日何かをしなきゃいけない、大人になるからもう仕方ないんだって、諦観してるんですよ。
その「子供としての最後の日」。100エーカーの森で、プーさんとピグレットやティーガーたち森の仲間でパーティーをして楽しく過ごしたその後、森を見下ろす高台の丸太ベンチに座ったクリストファー・ロビンとプーさんの二人は、こてんと肩を寄せ合い夕日に向かってずっと座ってるんですよ。
そこで「ぼくのことをわすれちゃうの?」と鼻にかかった声で尋ねるプーにたいして、ショタ(大事なのでもう一度いう)美少年のクリストファー・ロビンが、優しくて、それでいて困ったような表情で「プーのおばかさん」って言うんですよ。
ほんと。
尊い。
わかるか人民どもこの尊さが? 「おばかさん」ですよ。もうね、水銀灯の牙城にいちどの跳躍で飛び込む偉大なシーンですよ。もちろん画面は映画でありフルカラーなわけですけれど、この夕暮れは追憶と郷愁の甘さを伴ってセピアにさえ見えるわけですよ。つまり何がいいたいかって言うとクリストファー・ロビンが尊い。
あっという間に幼少期、少年期、青年期を過ごしたクリストファー・ロビン。寄宿学校で父の訃報に接して、社会に出て、将来妻になるべき女性イヴリンと出会い、求愛して結婚し、子供を作り、出兵(たぶん第二次世界大戦)して、なんとかロンドンに帰ってきて、就職して仕事に打ち込む中年になってるんですよ。
大企業のカバン製造部門の責任者となったクリストファー・ロビンは、会社上層部からこの部門の効率化(予算削減)を求められていて、その要求は−20%。リストラ待ったなしの状況で、大事な部下を切り捨てるかどうかの瀬戸際の日々を送り、その結果として休日も家族との時間も奪われているわけですよ。妻からは「もう何年も笑顔を見ていない」と言われ大事な娘のマデリンからは失望されて、でも、家族を守るために部門を守るために、家族旅行への参加をキャンセルしてまで働かなきゃならんわけです。
予定されてた旅行にイヴリンとマデリンの妻子を送り出して、週末も缶詰で仕事しなきゃと追い詰められたロンドンのアパルトメントのクリストファー・ロビンのもとになぜかプーさんが現れて助けを求める、というのがこの映画の第二の開幕です。
懐かしい友プーに出会ったクリストファー・ロビンは彼の頼み(行方不明になってしまった仲間たちを探してほしい)を叶えるために(どっちかっていうと大都会ロンドンにおいては厄介なお荷物のプーさんを森に帰すために)、郊外の美しい故郷に戻ろうとします。そこでプーさんとクリストファー・ロビンは一緒に旅をするわけですけれど、相変わらずふわふわ夢みたいなことを言う(まあぬいぐるみなので当たり前だけど)プーさんの脳天気っぷりに、時間が黄金よりも貴重になってしまったブラックカンパニーソルジャーマシーンのクリストファー・ロビンはいらつくわけですよ。プーさんがベタベタのはちみつで汚してしまった廊下を掃除している間にも、刻一刻とリストラのタイム期限が迫ってるわけで。「なにもしないをすればいい」とか「ゆっくりすればいい」とかいうプーさんの言動が癪に障るのは、まあ、仕方ないです。
送り届けた「100エーカーの森」で、とうとうクリストファー・ロビンは切れちゃうわけっすね。
「ぼくはもう昔のぼくとは違う」とプーに突きつけてしまう。その時の表情がね、もうね、良い。
良いよね。
良い。
失意のぷーさんは「従業員を捨てなきゃならない(リストラ)」というクリストファー・ロビンに「もしかしてぼくも捨てたの?」と聞いちゃうわけです。
それに対してクリストファー・ロビンは「捨てたんだよ」と答える。
この時の表情も、良いのです。
「ソレ」をいっちゃったら相手が傷つく以上に自分も傷ついちゃうのを自覚していて、それでも言ってしまったクリストファー・ロビンの、ナイーヴな表情が尊いわけです。おっさんのくせに。イケオジつぇえな。
この時クリストファー・ロビンは「いいやプーは特別な友達だから捨てるわけないじゃないか」と適当に言うこともできたわけです。でも、それは事実じゃないわけですよ。現実として30年以上プーさんを忘れていたわけだし、放置していたし、それは客観的にって捨てたと言われても当然なわけですよ。そういう現実を糊塗して「捨てるわけない」とクリストファー・ロビンは言えなかった。特別な友達だからこそ、そこで嘘はつけず、自分も相手も傷つけるのなんてわかっていたけれど、「捨てたんだよ」と答えるしかなかったわけですよ。
40代になったクリストファー・ロビンはもうおっさんなわけですけれど、ロンドン紳士然としたイケオジなんですね。その彼がいろんな現実や言葉を飲み込んで、意地っ張りにも露悪的な「捨てたんだ」って告げるそれが、もうね。
ほんと。
尊い。
わかるか人民どもこの尊さが? 「捨てたんだ」ですよ。そんでもってさらに終盤になってね、途方に暮れて懺悔をするようにつぶやく「ぼく迷子になっちゃった」ですよ。いつも迷子になったプーさんを探しては連れ帰る、森の英雄だったショタロビンが、社会人になって人生の迷子になっちゃったわけです。大事で大事で何よりも大事な娘を守るために頑張ってるはずなのに当の娘にがっかりさせて心配させて、もう何が正しいんだかよくわからなくなっちゃったわけですよ。大人になったクリストファー・ロビンにこそぬいぐるみのプーは必要なわけです。
つまり何がいいたいかって言うとクリストファー・ロビンが尊い。
向いてないんだろうな。気に食わないものにいちいち噛み付くような性格はしてないけれど、癪に障る部分がすごく目に付くのでやめることにしました(言っても無駄だし)。
極一部の人間の書く文章なんだろうけど、見るものを選べないのは不便だなと思いました。健全なメンタルで増田やってられる人は純粋にすごいと思います。まあ、毎日見てれば慣れるだろうけど、暇(余った時間を増田に割く時間)はないからダメそうです。
気に食わないものに噛み付かないとは言ったけど、こういう形でちょっと愚痴っぽい形になってしまったのは良くないなと思いました。まあ自己制御が可能かと言えば可能だし、衝動に駆られてるわけでもないからいいか。そんなわけでログアウトします…