はてなキーワード: Alsとは
1977年 | 環境庁長官 | ・水俣病患者施設を視察した際に患者から抗議文を手渡される。 |
会見で「これを書いたのはIQが低い人達でしょう」「補償金が目当ての“偽”患者もいる」と発言。 | ||
土下座して謝罪。その状況の画像は今もインターネット上に残っている。 | ||
1981年 | ・石原の弟が倒れた際、小笠原諸島から自衛隊機を呼びつけて帰京した。燃料代は160万円 | |
1982年 | ・石原の第一秘書が対立候補のポスターに「北朝鮮より帰化」というシールを3000枚以上貼り付け。 | |
秘書は現行犯で逮捕される。 | ||
1987年 | 運輸大臣 | ・身内のヨット仲間の忘年会の席上で「小網代港の魚網はヨットの邪魔だから運輸大臣任期中に取り除かせる」と発言。 |
・宮崎にあったリニアモーターカー試験場で試乗した際 | ||
「ブタ小屋、トリ小屋の間を(リニアモーターカーの宮崎県内の実験線が)走っており、日本の技術力を世界に示すにはふさわしくない」と発言 | ||
その後記者会見で謝罪。しかし更に「言ってない。謝って損した」などと話した。 | ||
2000年 | 東京都知事 | ・「週刊ポスト」で「私は半分以上本気で北朝鮮のミサイルが1発落ちてくれたらいいと思う」とコメント |
2001年 | ・ロサンゼルス・タイムズのインタビューで「北朝鮮のミサイルが日本に当たれば、長い目で見て良いことだろうと思った。」と発言。 | |
2006年 | ・文部科学省の伊吹文明大臣宛にいじめ問題を解決するよう嘆願する手紙が届いた。 | |
この手紙には「改善されなければ自殺する」と書かれていたことを受け、石原は | ||
「予告して自殺するバカはいない。やるならさっさとやれ」と暴言を繰り返した。 | ||
2011年 | ・東日本大震災について | |
「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を一回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う。と発言。 | ||
2016年 | ・小池百合子都知事に対して「大年増の厚化粧がいるな」「厚化粧の女に任せるわけにはいかない」 | |
小池氏は顔のあざを隠していると明かしている。それにかこつけた発言。 | ||
2020年 | ・ALSについて『業病』と表現。 |
ぶっちゃけ多すぎて全部まとめるの無理だわ。
http://camelop.g2.xrea.com/isihara/isihara_gendou1999.html#IQ
石原慎太郎が差別発言「(障害者に)人格あるのかね」「(水俣病患者の文書に)IQ低い」
https://biz-journal.jp/2017/03/post_18396.html
-----------------------------------------------
It's one of the things I'm not used to in Japan, but I can't get used to being laughed at for something I said in earnest.
For example, when I tell them about the ALS patient I met in the U.S. who is living with a feeding tube in his stomach, or about my contact with people in juvenile detention centers, or about the fact that I saw them go through a lot of painful things like rape and abuse before they became monsters, I get a strange laugh.
I'm always annoyed by their incomprehensible reactions like "Ah... hahahaha...".
I get the same reaction when I talk about something serious about my family or my health (I'm speaking in Japanese, so it doesn't mean they don't understand what I'm saying).
大分過激な事言ってる表現の自由戦士界隈を非表示にしたんだけどさ(id:Gragraとかid:technocutzeroとか)、他の記事への影響ほとんどないんだよな
今回100IDぐらい消した上で、岸田絡み、45歳定年、トイレットペーパーの芯、さいてょ、ALS…とかとか色んなジャンル掘ってみて、「記事へのコメント」のカウントと表示されているコメント数の差が3~4しか出ない。
借金玉の時も若干減ったけど、フェミVtuber統一の話だけ決まって半分~7割ぐらいコメント消える
ある日のことである。以前のブルマーに関する調査に物足りないものを感じていた僕は、なんとはなしに「ドイツ ブルマ」で画像検索した。すると、個人のブログで、戦後の西ドイツを舞台にした「橋」という映画にブルマーが映っているのが紹介されていた。1959年の映画であるが戦時中が舞台なので、これは明確に戦前にもショーツ型ブルマーが使われていたことを示しているようだ。Youtubeにも動画が上がっており22:48頃からブルマーの出てくるシーンが確認できる。
そんなことから、もうちょっとドイツのブルマー事情について調べたくなった。
自分が以前調べたナチスのブルマーとは、ドイツ女子同盟のものだ。
ウィキペディアによれば、ドイツ女子同盟は、もともとナチズムを信奉する少年の有志で構成されていたヒトラーユーゲントの下位組織として発足したものだが、ヒトラー政権の成立から3年後、全ての未成年男子がヒトラーユーゲントに編入されると、これに伴ってドイツ女子同盟も強制参加の団体へと変化した。
設立の理念は、ドイツの将来を担う「良妻賢母」の育成であり、軍人教育は施さなかった。よって、健康な子供を産むためにカリキュラムは家政学ではなく、体育の方に重点が置かれた。つまり、国によって「女らしさ」「母性」「健康」が強制されていたわけである。そのせいか、略称をもじった卑猥なジョークもあったらしい。
さて、そういうわけで、軍服のような制服のみならず体育教育に使う、こちらのように黒い短パンというか提灯ブルマー姿の女性を確認することができる。写真によっては、サイズがあっていないせいか、角度のせいか、ほとんどショーツ型ブルマーのようになっているものもある。
ちなみに、こちらのサイトによれば、ブルマーを卒業すると白いワンピースになったそうである。また、色は黒であると言及されている。
しかし、写真を見る限りでは、冒頭の映画ほどハイレグではない。これは地域によってブルマーの規格に差があったのか、それとも監督の趣味だったのか、よくわからない。1930年代のThe Woman’s League of Health and Beauty(英国の健康増進団体、ヨガも取り入れている)ではhttps://flashbak.com/the-womens-league-of-health-and-beauty-nazis-pilates-and-the-birth-of-the-keep-fit-movement-4580/:title=
ショーツ型ブルマーに似た制服]で運動しているし、https://aurora-ray.blog.ss-blog.jp/2017-09-15=ドイツ女子同盟のフィギュア(オーロラモデル 1/35ミリタリー WWII ドイツ少女同盟 体操着姿 ガレージキットフィギュア ML76)]ではやっぱりショーツ型ブルマーに似ているのだが、詳細はわからない。冒頭で紹介した映画ではのんびりしたシーンであり、ナチス的な全体主義をあまり感じない。もしかしたら、ドイツ女子同盟とは別に、普段からブルマーがそれなりに普及していなことも考えられなくもない。
その後ドイツではブルマーはどうなったか。以前の記事にも書いたように、東欧ではブルマーが採用されていたことを示す写真はちらほら見つかったが、制服として具体的にいつ頃採用されていたかなどの情報は見当たらなかった。そのため、しばらく調査は暗礁に乗り上げていた。
きっかけになったのはDeepLやGoogleの翻訳である。英語のショーツ型ブルマーを意味する語の一つ「gym knickers」をドイツ語にしたところ「Turnhose」という語が出てきた。これで何かがわかるかもしれないと思った。確かにこれは「短パン」を意味する言葉に過ぎない。だが、ドイツ語のウィキペディアには、英語版とは違い、こんなことが書いてあった。
Für Frauen, Mädchen und Jungen (bei Jungen aber nur bis zum Alter von etwa zehn Jahren) gab es etwa zwischen 1960 und 1990 Turnhosen in Slipform, die zwar umgangssprachlich Turnslips genannt, im Katalog aber unter der Bezeichnung Turnhose geführt wurden. Als Material verwendete man anfangs schwarzen Doppelripp und Helanca. Passend dazu gab es auch die Turnhemden.
女性、女の子、男の子の場合(ただし、男の子の場合は約10歳まで)、1960年から1990年の間にパンティーの形のジムショーツがありました。これは通称ジムブリーフと呼ばれていましたが、カタログにはジムショーツとして記載されていました。当初、使用された素材は黒いダブルリブとヘランカでした。それに合うジムシャツもありました。
やっとのことで、具体的な年代を特定できる情報を見つけた。1960年から1990年、確かにドイツではショーツ型のブルマーが採用されていたのだ。
もちろん、出典が明記されていない以上どのくらい正確な情報かはわからない。ショーツ型ブルマー(上ではジムブリーフと訳されている)を意味する「Turnslips」で画像検索してもまったくそれらしいものは該当しない。だが、調査は確実に一歩前進した。
ドイツでブルマーがいつまで採用されていたか、かなり具体的な情報を手にすることができた。しかし、今回のドイツや前回のチェコとは違い、ポーランドやロシアに関する情報はなかなか手に入らない。昔の記事のように確かに写真はある、動画もある。だが、文字情報が乏しいのだ。「ソ連 体操着 歴史」「ソ連 体育 制服」「体操着 1960」などと単語を変えてもなかなか引っかからない。おまけに、ポーランド語でgym knickersを訳して「majtki gimnastyczne」で検索すると、スポーツ用の下着しか出てこない。また、言語によっては体操着に該当する言葉を探しても、レオタードしか出てこないこともある。
プロの陸上選手がブルマ姿になっているものは出てくるが、学校での採用事情については、なぜかデータが少ない。
資料が見つからない理由は恐らく三つある。一つは、ロシア語やポーランド語ではブルマーを何と呼んでいたか、正確な名称がわからないことだ。チェコ語では、幸運なことに「Jednotný cvičební úbor」が「体操用の制服」といった意味で、直訳でもよかったようだが、他の国の言葉ではそうでなさそうだ。
もう一つは、そもそもネットに資料が載っていない可能性だ。国によってネットの普及した時期は異なるが、紙媒体の資料をわざわざネットに乗せる熱意や理由がないことも考えられる。
最後に、これは前述の熱意がないことと重なるが、欧米ではそもそもブルマーに対して関心が薄いのではないか。海外にも服装に対するフェティシズムはあるようだが、何がセクシーと感じるかは国によって全然違う。ブルマーフェチの人は海外では人数が少ないのではないか。
全くの推測だが、ブルマー時代末期には、ブルマーを性的に感じるあまり盗撮する者が後を絶たなかったという。それが原因で、ますますブルマーが性的だという感覚が強まった。となると、日本でブルマーマニアが増えた理由は、個人のカメラやビデオが日本で普及した時期にも理由があるのかもしれない。
ポーランドやロシアでのブルマーについての文字情報が見つかったら掲載する。しかし、いつになるかはわからない。また、東ドイツと西ドイツとでブルマーの普及に違いがあったか。このあたりも資料が乏しいが、見つけたら公開したい。
また、今まではブルマーはほぼ紺色と思い込んでいたが、黒という記録を見つけた。白黒写真の画像しか見つからなかったケースを、再検討する必要がある。