はてなキーワード: 2ちゃんねるとは
今すでに「2ちゃんねるはヒドかった」とか言われてるじゃん。
日本の文化は「マジ」と「なんちゃって」に分けられると思ってるんだけど
80年代はなんちゃってが優勢だった時代なんだよ。バブルで調子乗っててチャンネーシースーギロッポンとかふざけた時代。
テレビだったら秋元康ととんねるずの時代だよね。真面目が馬鹿にされる時代。
それが90年代はマジ優勢の時代になっていくのよ。正確にいうと91年にバブルがはじけてその残り香がなくなった94年くらいからかな。
そして00年代はまたなんちゃってに戻るみたいに繰り返してるとおもってる。秋葉系の時代と言っていいから「てへぺろ」でもいいかもしれないw
10年代はけっこう「マジ」が復活してる感あったよね。震災の影響あるのかもなぁ。
90年代は「マジ」の時代だから自分で作詞作曲しないと音楽で飯食えなくて、不遇だったのがアイドルのSMAP。
アイドルというジャンル自体が「なんちゃって」になってしまったので、活躍の場がなくアイドル冬の時代なんて言われていた。
だから開き直ってなんちゃってを始めたのがSMAPxSMAPで、なんちゃってが得意なフジテレビでコントのコーナーを取り入れたアイドル番組を始めたのが戦略的だよね。
でも音楽はマジの中心だったから、彼らは従来のジャニーズがやってた王子様的な少女漫画の世界から、リアルな青年をイメージさせたマジに寄せた青いイナズマとかSHAKEで勝負したんだよね
光ゲンジのだれかがSMAPの歌の路線をうらやましがってた話をしてたのを覚えてるよ
とはいえ中居の超絶的歌唱力でやっぱりSMAPはなんちゃって扱いだったけどねw
モーニング娘。もそのマジの時代に生まれたアイドルって感じだよね
ASAYANがそもそも「マジ」なんだけど、でも平家みちよに決まったオーディションの負け組で組まれたっていう流れがなんちゃってだし、いかにもアイドルな売り方だよね
とはいえ00年代みたいに黒髪にしろなんてこともなく、金髪の後藤真希がそうだけどマジ時代に対応したアイドルではあった
だからそのあと出てくる00年代の歌が下手で口パク上等でダンスがゴミなで、握手だのじゃんけんだので優劣を決めるAKBなんかと比べて歌とダンスは抜群にうまかったから、ハロプロオタクはそこが心のよりどころだったよね。
アイドルなのに「アイドルっぽくない」が誉め言葉という変な時代
アイドル不遇だから、芸能事務所が新人の女の子売りづらくなった。それで発明したのが女優の卵という謎のジャンル。
広末涼子が代表例で、そういう人材はしれーっと音楽も出してアイドル的な売り方もする。この手法は今でも続いてるよね。
アイドルが好きだと言ったら馬鹿にされたマジの時代に、思春期男子に「アイドルじゃねーから」といいやすく消費しやすくしたのが女優の卵だったり女子アナなんだよね。
音楽は「マジ」の中心地みたいな感じだったから作曲はできないけどせめて作詞はやらせろみたいなかんじでマジ売りを事務所におしつけられて
マジ時代に対応したよくわからんエセアーティスト売りのアーティスト増えて、歌姫なんていうジャンルが生まれたり、裸足で歌いだしたり、あの時代のマジ対応はよくわからんこと多いw
だから椎名林檎みたいなガチな人材が業界人からも勘違いされて「きみもそうなんでしょ?」みたいな扱い受けてたの笑うよね
松本人志はテレビのお笑いに「マジ」を持ち込んだ人だよね(談志とか上岡龍太郎とかもいるんだけど)
90年代はお笑い芸人が芸能界のヒエラルキーでトップになった時代といえるんだけど、間違いなくダウンタウンの影響だよね
ビートたけしは映画業界ではマジをやってたけど、テレビじゃ「なんちゃって」のキャラでコマネチコマネチってやってたからその辺が微妙だった
(余談だけど、彼がプロデュースした伝説の糞ゲーたけしの挑戦状は「こんなげーむにまじになってどうするの」なのが偶然とはいえおもしろい)
お笑い芸人は「なんちゃって」を生業にする職業で、昔はいろもんなんて言われてたが、松本人志はそれをひっくり返しマジをお笑いで商売にした人といえる
それでお笑いとアーティストの芸能界マジヒエラルキー競争が始まったんだけど
HEYHEYHEYとか、うたばんとかお笑い芸人がMCやり始めて
浜ちゃんに叩かれた!うれしい!浜ちゃんにたたかれると売れるってジンクスがあるんです~なんて言って
お笑い芸人に媚びるアーティストみたいな構図が普通になって、あれでアーティストがお笑いの下になったのを感じたよね
M-1がウケてるのは「マジ」だからだよね。あの時だけ、日本の笑いはかっこいい「マジ」が許される。
ただ初期のM-1はテツトモみたいなのも交じってたことね。それで談志に漫才じゃないとか言われてwあれってマジじゃないってことよね。
そんでM-1終わってフジテレビで始まったTHE MANZAIで審査員に秋元康がいてずっこけたねw
さすがなんちゃってのフジテレビですね。そしてTHE MANZAIが失敗するのも当然よな。
それでサブカル野郎はAKIRAとか攻殻機動隊は別腹とかいう扱いをしてたよね
メイドをコンテンツにする秋葉原はなんちゃって文化の中心と言っていいんじゃないかな
「ご主人様~、萌え萌えキュン!」なんてなんちゃってにもほどがある
そこに秋元康のようななんちゃってでメシ食ってた人間が注目してAKB48始めたのは当然だよね
セガってだせーよなとかいって自虐させたり湯川専務のように実際の専務をCMに使うなんて典型的なんちゃって戦略だけど
秋元って90年代のマジに対応できなくてさ、いつまでたっても80年代のなんちゃってな空気でスゲーダサかったイメージ
それが秋葉と00年代のネット文化で復活してしまったのは俺の中で苦々しく思うことの一つ
宝塚歌劇団がマジを提供し続けているなって思ったことあって、コナンと宝塚って結構似てるんだよね。
ジャンルは全く違うけど、マジというトーンが似てる気がするんだよね
「マジ」は「スタイリッシュ」「キザ」「見栄」「キメる」「気取る」「媚びない」でもいいよね
スーツびしっと着て、テンションがパリッと張って、キザで気取ってるのが好きなんだなって思ったよね
アニメコンテンツのなかでコナン、AKIRA、攻殻機動隊、カウボーイビバップはマジの立ち位置だったけど
秋葉系オタクはカウボーイビバップをオサレアニメって嫌ってたよね
あとブリーチに至っては、作者の久保さんまでネタにしてオサレオサレって馬鹿にしてた
00年代の秋葉のオタクたちはネットで冷笑でひろゆきみたいなキャラあこがれて、マジなものをなんでも馬鹿にしてた
秋葉がそうだったから2ちゃんねるみたいになったのか、2ちゃんねるがそうだから秋葉がそうなったのかしらないけど
とにかくマジをきらってなんちゃってでミニひろゆきみたいな他人を馬鹿にするような、中二病や黒歴史という言葉をやたら好んで他人を攻撃するやつらばかりだった
そのころアメリカはテンション張ってるものが好きだからオサレなもの、キザなものが好きでまっとうに評価してたよね、さすがハードボイルドの母国って感じ
最近アメリカで日本のシティポップが評価されてるらしいけど、あれもテンション張ってるキザでオシャレなコンテンツだからアメリカ人が好きなのは納得
アメリカ人はエルビスプレスリー、マイケルジャクソンとかブルーノマーズがそうだけど、伝統でも今でもずっとマジを真面目にやる国なんだよね。
日本人みたいに恥ずかしがってなんちゃってに逃げないし、他人をオサレとかいって馬鹿にしない。
ソニーがこの方向でそれ以前までの小学生に向けていたゲーム業界をファミ通などと組んでイメージの変革を起こそうとしていたよね
ソニー参入までは、ゲームを作る人は今でいう歌のお兄さんみたいな特集のされ方だった。「みんな新作まっててね~」みたいな感じだったけど
暗い部屋で間接照明をあてて「ゲームクリエイター」って肩書で、中高学生のあこがれの職業みたいにしていったのはソニーだよね
ソニーのゲーム事業は母体がソニーミュージックだからアーティスト的プロデュースのノウハウがあったんだろうね
マジをつかったゲームクリエイターのブランディングは見事にはまったよね。
それに対抗しようとしたセガはなぜか秋元に頼ってなんちゃってやってセガってだせーよなとかなんちゃってをやりはじめた
秋元のチェキっ子とかいうアイドル番組のスポンサーになってそらセガつぶれるわって当時思ったよ
セガって渋谷の兄ちゃんたちに愛されてたのよ。秋葉っていうよりかは渋谷系だったよね
そんなセガが秋元のなんちゃってに取り込まれ、そしてアイドルのスポンサーするとか終わってたよね
あのころのセガは方向性を見失ってて、サクラ大戦なんかもそうだけど、セガってこんなゲーム作る会社だっけ?っておもったよね
そのあとの話だけど、10年代のセガは初音ミクとか、バーチャロンととある魔術の禁書目録のコラボみたいに誰が得するんだみたいなことやり始めたり、とにかく秋葉系にすり寄っていくよね
90年代のマジなセガを知ってるから、セガサターンを白くしたり、ドリームキャストは最初から本体カラー白だし
あとゲーム業界のマジの代表格だったFFがFF10になって秋葉系オタクのなんちゃって文化に毒された結果が10-2
あれでまじでスクエニは死んだなって思ったし実際ゲームオタクからは相手にされなくなったよね。
この件に関して世論は納得しており、「ドワンゴなら安心」という意見も散見されるが、私は喉に小骨が刺さったような感覚が抜けない。
大筋は私もいいと思っている。
・ドワンゴと「ゆっくり」の大元ネタである東方シリーズ作者のZUN氏はコミュニケーションを取っており、二次創作的な著作権の観点からはこの対応に問題はない。
・「『ゆっくり』関連用語の商標出願」は棄却されることが前提であり、その筋で有効な手段ではある。
・「実用上」どこかの企業なり個人が独占防止のために商標を持っておくことは確かに有効ではある。
「ゆっくり」は確かに東方シリーズの二次創作であり、ZUN氏の寛容さを前提にした文化ではある。
同様に、ドワンゴが提供するニコニコ動画を下地にした動画文化がなければ、「ゆっくり」はここまで発展しなかった。
しかし、「ゆっくり」動画を作り、視聴してきた数多のオタクたちも同時にいたからこそ、「ゆっくり」は育てられたのではないか?
「ゆっくり騒動」と比較して並べられるギコ猫や電車男のような2ちゃんねる発のコンテンツも、著作権に寛容な環境と、ユーザーが育て上げてきたものである。
いちユーザーの視点から見て、「ゆっくり」とは誰かが作り上げたものでなく、みんなで育て上げていったものであって、
誰かがその権利を持つことは、その権利の主張や使用料の発生がなくとも、私は頷けない。
https://kai-you.net/article/83717
ドワンゴは
「『ゆっくり茶番劇』は動画のジャンルやカテゴリー、動画の内容を示す表示として広く一般に使用されている文字列であるという認識であり、特定の企業や個人が独占すべき文字列ではない」
と説明しているが、「『ゆっくり』関連用語の商標出願」はしている。
これは単に矛盾している。
また、ドワンゴという企業体が存続できなくなった時の商標をどうするかについても説明されていない。
よって、ドワンゴの
「『ゆっくり』関連の文字列について、ドワンゴは将来にわたって一切の権利行使をしないことを約束する」
も、ドワンゴという企業体が吸収・合併・解散したのちに存続するかどうか、誰に権利が委譲されるのかという保証がない。
ギコ猫騒動の顛末として、2ちゃんねる運営であるひろゆき氏がギコ猫を始めとしたAAを商標出願しなかったように、今回もいちいち出願する必要はない。
なぜなら、「ゆっくり」にまつわるこのような騒動が実績として生まれた時点で、今後商標出願を通すこと、ひいては出すことも難しくなるはずだから。
「『ゆっくり』関連用語の商標出願」は棄却されることが前提であるものの、このデモンストレーションには実質的に意味がないと考える。
確かにドワンゴという企業はニコニコ動画という形で「ゆっくり」文化に貢献しているわけだが、その実は「営利企業」である。
ギコ猫騒動を通してタカラ、エイベックスなどといった営利企業の横暴に怒りを燃やしてきたにも関わらず、
「これまで文化に貢献してきたから」という理由で、今回はいち営利企業に全幅の信頼を寄せて商標権を任せよう、という思考は私には信じられない。
こんなやり方はいち企業の権威的なやり方にすぎない。オタクの文化は原理的に突き詰めてオタクたちの手に委ねられるべきだと考える。
なんなら、「ドワンゴが商標登録するなら、模倣犯は全部ドワンゴが倒してくれるからいいや」くらいに思ってるんじゃないか?と思う。
自分の手で戦えよ。
きみらそんなに2ちゃんねる見てんのかよ