はてなキーワード: 養護学校とは
男も女もまず汚物のような外見
生まれ育った街は田舎で、熱心なプロテスタント系の幼稚園に通っていた。先生に引率されて、頻繁に近所の養護学校に遊びに行っていた。興奮して口から泡が出るくらいしゃべるお兄さんもいたし、手を叩き続けてるお姉さんもいた。みんな好き好きな色ジャージを着ていて羨ましかった。(私は園の体操服でブルマなのがちょっと嫌だった) 一緒にお遊戯をした。手を繋ぐのは、本当は少し怖かった。でも、嬉しくても怖くても叫ぶ、表現が豊かでわかりやすい人が多かった。
その後、母の知人のお家にうまく動けない女の子が生まれて、友達になった。まーちゃんと言った。まーちゃんはお腹がすくと油揚げとか勝手に食べちゃうので変わってるなーと思ってた。基本ぼーっとしてたけど、赤ちゃんみたいな色のない笑顔で笑う美人だった。
大人になって横浜に住んでいる。あの時あんなに周りにいたちょっと変わった友達に、この町では全然会わない。元町を歩くのも、みなとみらいでお茶するのも、伊勢崎モールで本を探すのも便利で楽しいけど、あの友達たちがいるはずなのに見えなくてなんだか後ろめたい気持ちになる。
最近は意味不明な事を学校側に要求するモンスター親が何かと話題だ。
半数以上、6割ほどの家庭が子供が暴れヒステリーを起こすので学校に理不尽な要求をする。
この様な子供の親は大抵2種類。
一つ目は子供にあまり興味が無く、両親とも仕事に出ており子供の様子を気にかけない、さらに面倒なのか子供の要求を飲んで育てていた家庭。
二つ目は子供に発達、知的障害が有るにも関わらず普通の学校に行かせるのを望んだ結果、制御しきれない怪物に育ててしまった家庭。
ちなみに二つ目の家庭が9割ほど。
暴れて家庭で暴力をふるい、学校でもヒステリーを起こし物や人に八つ当たりをする生徒は高確立でADHDか知的障害である。
これはこちらが断定した物では無く入学時に親から既に伝えられている情報のため勝手な判断では無い。
あうあうあーほどでも無いが、一般的な人間に比べると明らかに学習障害、コミュニケーション障害が有り最早親や学校の指導ではどうにもならない。
どうしたら知的障害や一般人として生きられないレベルの子供を親が養護学校に入れてくれるのだろうか?
誰がどう言い聞かせても理解出来ない人間は外見は人間だが、中身は人間では無い。
昨日もまた問題になったがふたを開けてみれば、生徒が母親暴力を振るっており親が保護された。
狂っているのは親とは限らないのだ。
特殊学級と聞くと、障害を持った子が行く所だとイメージする人が多いが、
実際はそうではない。
学校にもよるが、僕の学校では「不登校」、「クラスに馴染めない」、「授業についていけない」、「いじめ」がメインだった。
小学生の時が「いじめ」、中学生の時が「授業についていけない」だった。
特殊学級は、普段のクラスよりも授業のスピードが遅くて、基礎的なものしかやらない。
特殊学級に入ってる人限定の校内キャンプに参加できるのが嬉しかった。
授業は基礎的なのしかやらない
お菓子作りがメイン
「俺、●●(教科)出来ないから答え見ながらプリントやって」と先生が言った時は「はぁ?」と思った。
基礎的なのしかやらない・・・
このままで良いのか?と不安になって姉に相談したら「とっとと辞めろ!」と言われた。
そりゃそうだ、基礎的なのしかやらないし、ただお菓子作りや遊ぶだけ。
もう辞めようと親のフリして連絡帳に「●組に戻りたいと息子が言っている。」等、長い文章を書いて出したら
4者面談する事になった。
特殊学級を辞めることができたが、一番ムカついたのは「●●君は++高校を希望してるけど、養護学校はどうかな?」とパンフレットを渡されたこと。
親は「障害者じゃないのに何で養護学校なんだ!ふざけるな!」と大激怒。
障がい者と濃密に関わった1週間を過ごした。
私は1週間だけだが小学校の特別支援と呼ばれる、障がい者の子が一日の大半を過ごす教室のボランティアをしてきた。
私は生まれてこの方障がいを持っている人と関わったことがなかった。
というのも私は小中高と私立に行っており、私立には障がいを持ってる子と関わる機会など一切なかったのだ。
バイトをしている際レジに障がいを持った方が時々来るが隣には世話をしてくれる人(言い方が悪いかもしれない)がいて、直接的にガッツリと関わったことはない。
私は大学で教職をとっており、学年が上がると養護学校の実習もある。
養護学校の実習に行くにあたり一度も障がい者の方と関わったことがないというのは不安しかなく、知り合いに頼んでボランティアをする機会をもらった。
それに対し先生は5人いる。
充分だと思うがこれでも人手は全然足りていないと聞いた。
障がいというのはADHD、ダウン症という症状がつけられていても、ひとりひとり症状は全く違う。
ダウン症の子が100人いても100人が全く違う症状を持っているのだ。
私は最初障がいを持つ子は何を言っても聞かないし、すぐ泣く、すぐ怒るというとてつもない偏見を持っていた。
だがそれは間違いでみんなきちんと話をすれば聞いてくれる。
細かく切り刻んで物事を話さなければならないがしっかりと聞いてくれるのだ。
叱られてもすぐ同じことをするがしっかりわかってくれている、気がするだけかもしれないが。
体育でも横について私が踊ると真似をして踊ってくれる。
トイレもひとりでできる。
同じことを繰り返し聞いてくるがちゃんと話をできる。
出会った中では色んな子がいた。
すぐ走り出す子。
してはいけないと言っていることをわざとする子。
中には男の子同士だがすぐちゅーをしたがる子もいた。
この一週間は私にとってとても良い経験となった。
あまり細かいことは特定につながるからかけないし、フェイクも入れる。
30超えての妊娠だったので、心配だったこともあり検査を受けた。
その時点ですでに「障害児は産みたくない」と思っていたんだ。
毎日仕事では障害児の教育なんかをしてる自分が、自分だけは障害児はいらないと思っていた。
それでも「まさか私が当たるだろう」なんて思ってなかった。
毎日仕事で障害児の親から障害児を預かり、障害児にモノを教えて、ご飯を食べさせて、職業訓練もして…職場生活の殆どを障害児と過ごしている私が、
診断結果を聞いた時、何も迷うことなく
と返事をしていた。隣にいた、旦那に何も相談することもなく反射的に答えていた。
頭の中で毎日接している障害児のことを考える余裕はなかった。
ただ考えたのは、その障害児の母親たちだった。
母親たちの愚痴もたくさん聞いた、共感するふりもした。私にできることは何でもしたつもりだった。
でも、彼女たちは数年で私達の目の前を去っていく。
学校にいた時より、学校を出てからのほうが彼女たちには地獄が待ってるのだろう。
たまに卒業生が遊びに来てくれることがあるが、
人間老化したらやつれるものだけど、卒業後のほうがよっぽど苦労した(そして今後も続く)んだなというのが一目見ただけでわかる。
だから、診断を受けた瞬間に浮かんだのはやつれて、この世の暗部をすべて飲み込んだような目をした母親と同じ姿をした自分だった。
「わたしは、それになりたくない」
はっきりとそう思ったし、逆に診断を受けたのにおろさず生んだという保護者にも人間として別の世界に生きているなという感想しか持てなかった。
明日からまた学校に戻るのだが、今担任している子供たちを卒業させるのを最後に、異動願いをだそうと思う。
中絶した私が、もう障害児に触れる権利はないし、その母親になにか言えることはもう何もない。
いままで養護学校での教員生活はずっとボランティア等で障害のある人たちに触れ合ってた私にとって天職だし、なにも違和感もないものだったと思っていたけれど、
結局私は彼や彼女らと同じ立場に立つことはできない人間だったとこの一件を通して痛感した。
ごめんなさい、この仕事を選んだ私が愚かでした。
困った。
嫁の子供嫌いがなおらない。
こどもきらい、というより、出産への恐怖か?
結婚する時はどちらでもいいと言ってたもののお互い一人っ子だし、つ産まないなら産まないで親に説明しなきゃならん。
けど、「障害児が生まれたら困るからいらない」の一点張りで説得のしようがない。
お互い三十歳だし、ほんとにそろそろ産むなら産まないとそれこそ障害児の確率が上がる。
「健常者でも育てる自信ないのに障害児とかだったら絶対無理。検査したらわかるよっていってもそれ、ダウン症とか超ヤバイやつだけでしょ?腕がないとかならまだしも、
大きくならないとわからない障害っていっぱいあるよ。自閉症も発達障害もいらない。わかった瞬間殺しても無罪になる国なら産んでもいいけど、日本ってそんな国じゃないし。赤ちゃんポストに入れていいなら入れるけど、小学生とかになってから発覚したらポストに入らないよ!どうすんの?その時は、誰か別の人か育ててくれるの?俺が育てるだなんて、仕事してるんだから無理でしょ?
離婚して親権持っていってくれるの?でも私子供はいらないけどあなたと別れたいわけじゃないんだよね。子供だけ何処かで犯罪にならないように捨ててきてくれる?
なんかもう八方塞がりで困ってる。
日本の法律変えてくれねーかな、捨てたくなったら捨てられる法律とか欲しいんだけど。
そうでもしなきゃ産まないんだもんなぁ。
誰も障害児なんてほしくないんだから捨てられる法律あればいいのに。
つーか障害持ちのやつってなんのためにいきてんの?
身体ハンディなら乗り越えて常人並みに活躍してる奴いるけど、精神障害者とか知的障害者って何も社会に生み出さないじゃん。
でもそいつらがいなければ養護教諭はもっと社会に利する仕事ができる。世話してる親も同じ。
存在してるだけで世の中にマイナスしか及ぼさない奴を殺しちゃいけない理由ってなに?
人を殺しちゃいけません、って、そいつら人じゃねーよ。障害持ってるんだから。動物は殺してもいいんだろ?肉とか食ってるし。
どうちがうのかマジでわかんねーわ。
きちがいじみたことを吐き出させてもらった。
いまの日本人の多くからすると、某国のカースト差別だとか、某宗教が女性に肌を見せるのを禁じて顔までベールで覆わせるのだとか、不合理でバカバカしいと思うはずだ。
問題は、合理性があるかどうかということであって、つまり、自然道理に合っているかどうかだと思う。だとすれば、社会慣習だからどうこうとかいうものでもないし、おなじように、法令だからだとかモラルだからだとかいうものでもないと思う。自然法則にしたがっているか、道理に即しているかどうかという問題だ。
たとえ一般論としては通用する慣習でも、個別事例には適しているかどうかはこれまた別で、合理性があるかどうかはいちいち考えなければわからないだろうて。ジェンダーだとか年功序列だとかもそうだろう。中には学校で飛び級をさせるべき子どももいるし、だが多くは飛び級は適さないだろう。どのように生まれ育ったかで、どの学校に行くかにしても、どの職業につくかにしても、異なるはずだ(だからもちろん、カースト制だとかの身分による分別は合理性が低い)。生まれ育ちによっては例えば「特別支援学校」(「養護学校」)に行くほうがしあわせなこともある。
そう、しあわせというのは一般論ではわからない。合理的か否かも個別具体的にいちいち考えなければわからないことも多い。例えば形式的平等というやつも、下を底上げするのには都合がいいが、それでは合理的とは言い切れない、みんなしあわせっていうわけがない。
例えば、不登校であるほうがマシであることもある。無理やり学校に通わされたら、なにも悪いことをしていないのに、そもそもなにもしていないのに、イジメられるってこともある(私もそうだった)。
合理的か否かというのは、思考停止している人間にはわからない。いちいち思考するというのはしんどいことで苛酷ではあるが、だからといっても、思考せずに勝手に決めつけるというのは教養のないガキの甘えだと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20130615195013
俺には知的障害者の兄がいます。正確には18トリソミーというやつで、知能は3歳時並といわれていますが、29歳の俺の兄です。
彼は長男で、俺は三男です。
弟の自分が言うのもなんですが、子供の頃のビデオなどを見ると無邪気で可愛い。
彼はたまに近所の子にいじめられたりもしてましたが、俺自信生来無気力な性格ゆえか小学生の頃はあまりそのあたりにタッチすることはありませんでした。
中学生くらいになって、兄が健常者でないということを少し意識的に、ほとんど無意識的に隠すようになりました。
近所を兄と一緒に歩くのが嫌でした。時々笑われたり、兄が癇癪を起こして他人を叩いてしまうことに必死に謝るのも嫌でした。
でも兄は愛嬌があり、好かれることも多く、俺も基本的には好きだったので、嫌いなところもある、好きなところもある、という程度の感情を持っていました。
- 父
本心でどのように思っていたかわかりませんが、俺からみて、責任を感じているように思えました。
「やれることは自分でやらせろ」とよく言ってました。なんでもやってあげては、将来困るに決まってるんだから。
兄がいうことをきかないことで、怒ることがよくありました。
父は怒りやすい性格なので、兄にだけではありませんが、兄に対して怒っている印象が強くあります。
- 母
母は、兄のほとんどすべての面倒をみていました。
外食では食事を食べさせたり、下のお世話、養護学校その他への送り迎え。その上で家事もすべてやっていました。
兄の話とはずれますが、母方の祖父がガンで入院している時の世話もしてましたし、
同居している父方の祖母の話し相手などもしてましたし、怒りっぽい父の相手もしてました。
兄が誰かに迷惑をかけたときに必死に謝るのは今でもほぼすべて母がやっています。
- 祖母
同居しており、母から聞かされたところでは、俺や兄たちが生まれるときには「いつ堕ろすんだ」としつこくいうような人でした。
ある時から仏教を信じるようになって、態度はやわらかくなり、兄を溺愛しています。
今は非常に優しい人です。
兄は感情が制御できません。体も弱く、知的障害とは別の深刻な病気も持っているため、歩くのを嫌がります。
でも運動はしなければいけないので、外に連れて行って散歩したりします。家族で外食もします。
その時たまに、機嫌の非常に悪い時には、他人に対して叩くような動作をします。
子供の頃は実際に叩いていましたが、叩くたびに俺や家族が本人を叱り、叩くということをしてきたため、今では叩くふりだけです。
でも叩くふりだけでも怖いに決まってますので、謝ります。やめてほしいですが、どうすればいいのかわかりません。
性欲はほぼ無いと言っていいと思います。そういうことがわからないのか、そういうことを教えて来なかったからか。
養護学校その他の施設のボランティアなどに参加したこともあって、俺は他の知的障害者のかたとも接する機会がありました。
正直言って、兄に知的障害者をもつ俺から見ても、かすかな恐怖は感じます。
いうことの意味がわからないことも多いし、たまに叩かれたりもします。
好かれたときは嬉しくも思いますが、どう接すればいいのかわからなくもあります。
今俺は実家から自転車で20分くらいの場所に一人暮らししていますので、約1ヶ月に一度実家に帰るとき以外は兄と会うこともありません。
俺は兄のことが好きです。愛おしく思っています。
こういう感情が確かに芽生え始めたのはまだ実家ぐらししていた高校卒業間際くらいだったので、「離れてみているから」という事ではないと思います。
外食してて隣の席の子供が兄を凝視してても、別にそんなもんだろうと思うようになりました。そりゃ珍しいもんね。
たとえば俺が結婚して、他人が自分の兄と家族になったとして、どうなるのか正直言ってわかりません。
迷惑したと言う話を聞くと、「じゃあ俺は結婚しちゃいけないのかな」と思ったりします。
次男に聞いたところによると、自分は結婚してはいけないと思っているらしいです。
兄のことを知って、迷惑がかかるケースも想定した上で結婚してくれる人が見つかれば、それはベストですが、
どうなのかな。そんなことしていいんだろうか、という疑念はぬぐえません。
今まで付き合ってきた彼女には、兄のことは言っています。会わせることもあります。
そのことで不安や不満を吐露されたことはありませんが、内に溜めているのかもしれません。
何度も付き合ってきた女性とは別れましたが、多分俺の性格のせいでしょう。
よしんば兄のことがわかれる一要素であったとしても、彼女たちは「優しい」から、それを言うことは期待できません。
母は、自分が死ぬときに一緒に兄も殺すということを(多分本気で)言っていました。
でも俺や次男は母が死んでも長兄の面倒はみるつもりです。
「あんなの人間じゃない」
生物学的にみては人間だと思いますが、個々人の認識の話であればそう思う人がいてもおかしくありません。
もしかしたら、大多数がそうなのかも。じゃあどこまでの知的障害があれば人間じゃないとみなされるのかなって思ったりもしますが。
単純に、兄が「人間じゃない」といわれるのは悲しいです。でも、そう思うのも無理はないとも思います。
「知的障害者の世話を家族に一任するシステムを変える必要がある。」
そうですね。自分を見てもそう思うけど、家族ってそのメンバーに対して贔屓目になる傾向にあるものだから、
特に他人に迷惑をかけやすい知的障害者の世話は専用施設とかそういうたぐいのシステムで補助する必要があると思う。
ただ、これ自体みんなに受け入れられるのかなと。
以上、ちょっと用事があるのでここまで。
ブコメ頂いてることについていくつか。
「18トリソミーで29歳以上?」
母から聞いた話でしかありませんが、兄は18トリソミーです。30代です。18トリソミーに特徴的な顔をしてもいます。
18トリソミー児は生まれて早くに死んでしてしまうことが多いので、これだけで身バレしてしまう可能性もあるくらい珍しいことです。
モザイク型かどうかはわかりません。
知能については3歳児並としか聞いていないのでそう書きましたが、実感としてはもうちょっと賢いのかなとは思います。
このことについては要削除とのご推奨も頂きましたが、リアルな実態を知ってほしい…というか、
どこまで事実を書けばネタと思われないかという境界線がわからないので、身バレ覚悟の上、
よっぽどまずいことにならない限りは残しておくことにします。
「読んでよかった」
書いてよかったです。読んでくれてありがとうございます。
「幸せを願う」
ありがとうございます。「人を祝わば福二つ」という言葉があるそうで、やはり他人の幸せを願う人はその人自身も幸せになるものだと思います。
「性欲無いのと体強すぎないのは救いだったのかも」
そのとおりですね。ボランティアに行った養護学校などでも、常時飛び跳ねている人や、手をつなぐのに力を入れすぎる人などがいました。
知的障害も色んなケースがあるので、全体を「知的障害者」として考えることに無理があります。
ただ、そういった分類と対応にはコストがかかりますし、ほとんど生産性のない知的障害者にそのコストを割けるのかという問題も。
「世知辛い」と言って誰かを批判することもできますが、俺や家族が幸せに暮らしたいように、その誰かも幸せにくらしたいに違いないわけで。
多分答えがでないのでここらへんでやめます。
以上です。
すみません、書き方が悪かったですが、29歳なのは俺です。兄は30代です。
「29歳の」は「俺」にかかってます。
撮り鉄に気狂いが多いみたいな話をよく見かけるけどさ、アレじゃないの?
自閉症の子とか知恵遅れの子ってさ、ガソリンスタンドに車が出入りしてる様子をジーッとみてたり、線路を跨いだ陸橋の上から、駅のプラットフォームに発着する電車をジーッと見てたりするじゃん。アレと同じなんじゃねえのかなって。
ああいう子達って、自分が満足するまではとにかく見続けるじゃん。親御さんが「ほら、もう行きましょうね」って促してもガン無視。親がちょっと腕を引っ張ろうものなら烈火のごとく怒りだしてけたたましい叫び声をあげてさ。
それと撮り鉄の発狂してる様子、とても近い感じがするのよな。そのまま身体だけ大きくなったっていうかさ。ギリギリ特別学級とか養護学校に入らずに済んだらああなるんじゃないのかなっていうか。
彼の出生云々を書いたプリントを道徳と言う名の同和洗脳教育の時に渡された。
内容は彼は逆子で生まれてきてダウン症以外に幾つかのハンデ(知的障害、心疾患など)を持ってるといい、
最後に「いっしょに勉強したい」と無理やり書かせたような文章だった。
3年間ほぼ隣のクラスにいた彼を見ていたが、ほとんどの授業などは彼に合わせる事になっていた。
体力も他の生徒より劣っているのでいつも最後だった。
「彼が戻ってこないから解散して帰れない」ということはいつものことだった。
学校行事もまず彼ができるものから選択してそれをやるというものだった。
学年一の不良と同じクラスにさせて彼の世話をさせていたりもした。
そして中学3年になった時「進路」というのが出てきた。
当初日教組に染まった学校側としたら基本的に同じ学校に行かせたい(というより学年全部を同じ学校に行かせたいと考えている)と思ってたが、
しかしある意味いろんな形で手厚く保護された温室状態で育っている彼を雇ってくれるような企業はもちろんなかった。
養護学校へ進学という選択肢もあったのに、なぜかそれをスルーしていた。
結局彼は進路が決まらないまま中学校を卒業し世間に放り出されることになった。
彼の中学校生活は回りの大人や「日教組」によって利用され振り回され、そして狂わされたにしか見えなかった。
親は普通の子供と同じようにしたいと思っていても、実際は周囲が合わせないと無理な話だし、親のエゴにしか思えない。
親は良かれと思っていても、彼の人生にとってはそれで良かったのか?
そういうものを目の当たりにしてきたからこそ今回の出生前診断のニュースは朗報だと思った。
自分はまだ子供がいないけどもしできたら出生前診断することに決めている。
新しい命を殺めていいのかということを言う人もいるかもしれないが、