はてなキーワード: 養護学校とは
教員免許取得の定められた実習に介護等体験がある(教育実習だけじゃなくなった)。養護学校で2日、社会福祉施設で5日というもの。
私はこれで中学生の知的障害児が通う養護学校に行った。知的障害のある人と触れあうのは小学生の時以来で、上手く振る舞える自信など全くなかった。実際、養護学校の生徒たちと顔を合わせて怯まなかったかと言えば嘘になる。その時の気持ちを正直に言えば「怖い」だった。
どういう行動をするのか予想が出来ない。
どういう反応をされるのか予想が出来ない。
そういう人に対する純粋な恐怖。差別と言われても仕方ないが、これは生理的な恐怖であって22歳かそこらの小娘が易々と払拭出来るものではない。
しかし、養護ではないとはいえ仮にも教職を目指す者。「知らないから怖いんだ」「まず知ってみよう」と思い直し、なけなしのコミュ力を絞り出して実習中は極めて明るく振る舞ったと思う。おかげで2日目には生徒たちとも打ち解けることが出来た。
彼らの唐突な反応にびくびくすることもなくなってきた頃、一人の男の子が私にぴったりと寄り添って来てくれるようになった。私も嬉しくなり、手をつないで一緒に歌を歌った。その男の子は私の手を引き、にこにこしながら廊下の端の方まで連れて行った。結構な力持ちで、半ば引っ張られるような形だった。
そして彼は私に顔を近づけ、強引にキスをしようとしたのである。
ダメ!と言ってもにこにこしたまま口を寄せ続けた。聞こえていないかのようだった。当然、力は彼の方が強い。やられる…!と思った私は教職を目指す者としては最低の行為に及んだ。走って逃げたのだ。
その時の私、22歳で処女。ファーストキスもまだ。平均よりも恋愛に夢を持っていた方だろう。
怖かった。やっぱりどうしても怖いと感じてしまった。半泣きで走って(彼は笑いながら追いかけてきた)、養護学校の先生のいる部屋に「すみません!○○君が!」と駆け込んだ。助けてもらえると思っていたのだ。
「○○君、キス魔なんだよねー」にこにこ
「私さん適当に相手してあげてねー」にこにこ
この時の目の前が真っ暗になる感覚はまだ鮮明に覚えている。障害のある男の子より、先生の反応の方が怖いと思った。先生方は、キスぐらいさせてあげるのが普通だと思っているのか。ブスの実習生の貞操なんて福祉の前では守るものでも何でもないのか(今、考えればまさか先生方もいい年してファーストキスだとは思っていなかったとは思う…)。
結局、彼は逃げ続ける私に途中で飽きて、別の実習生について行くようになった。私はそれをハラハラしながら目で追った。ようやく実習が終わった頃には心身ともに疲れ果てていた。ひどく、恐ろしく、長い時間に感じた。
正直あまり良い話ではないのですが、貴重な経験であった事と、これを読む人にとっても、そういう事ってあるのだなという意味で、まあ他人の経験談って何かと考える時の材料になるので書こうと思いました。
っていうよりも自分の一つの記憶として一度整理しておきたいなと思ったってのが本当かもしれません。
あれは2008年の春の終わり頃だったのでもう3年も前ですが、ある個別指導の塾講師として採用され働きはじめた時の事でした。
それまで個別指導というのは家庭教師と同じ事をただ塾という場所でやっているものだと思っていたのですが、どうやら個別指導というのは会場に教壇や黒板のような物がなく、一人一人の生徒が個別に課題に取り組み個々の生徒の申し出に応じて講師が席まで行って個別に教えるというものだという事をこの時知りました。もしかしたら塾によって色々と違いはあるかもしれません。
だから同時に学年の違う生徒が同じ部屋で勉強できるので稼働率という意味では良いのかもしれません。それに講師の個々の技量もありますが、課題を制作するのは本部なので、その課題の出来具合も生徒の伸びが左右される、そんな所でした。
判ってはいたのですが、けっこうなハードワークで時には何十人もの小中学生のマシンガンのように「先生!」と呼びつけられます。朝は昼過ぎから始動なのでのんびりしていますが午後は終電少し前くらいまでが普通でした。
そんな中、接する事になった生徒や親、そしてそれに対する塾としての在り方として、どうしても嫌になってしまった事がありました。嫌な話をするのは嫌ですが、色々と考えさせられたという意味では良い話です。
一つ目は「え?」とビックリしてしまった親の話、まさかと思われるかもしれませんが親の中には「家に居て欲しくないから」という理由で塾に行かせている親がいるという事。本当にこれにはビックリしました。そんな発想はどこから出てくるのかと、ただ例え口でそう思っていると言わなくても態度や対応を見ていればそうとしか思えない。勿論断定するわけではありませんが「ああそうなんだな」と誰でも感じる事はあるでしょう。
それが僕の頭の中に浮かんだ印象です。
しかし、だからと言って塾として預からないわけにもいきません。なんか悲しくなりますよね。なぜ?なぜそんな親の手助けみたいな事をしなければならないのか?勿論塾として経営状況が素晴らしく良ければ、その事が子供にとって良かろうと悪かろうと塾としては生徒本人の「学びたい」「塾に行きたい」という意思を尊重すべきだと思うので、そういった場合拒否する事も不可能ではないでしょう。
そして、次これは小学5年生くらいの双子の女の子の話です。ちょっと記憶があいまいなのですが、たしかその双子の親は娘達を受験の必要な私立に中学に行かせたかったみたいなのですが、片方の女の子は良かったのですがもう片方の女の子があまり勉強が好きではない様子。やりたくなくてやりたくなくて仕方がなくすぐにイタズラ書きなど始めてしまい。「同じ学校に行けなくなると」と言っても「別にいい」という様子、そして母親は講師に対し「もっと厳しくお願いします」というもの。
だいたいにおいてそうですが「やりたい!」と思わせる事も大事ですが、色々とむずかしいものです。
最後に、いわゆる知恵の遅れた子供の話です。知能障害と言っても色々あるようにどう考えても今の制度では普通の学校ではなく養護学校などに行くことになってしまう場合もあれば「際どい」という場合もあります。比較する事がそのまま良いとは思いませんが、同年齢の児童と比べても明らかな差があってもある程度は親の裁量で普通の学校に行く、もしくわ養護学校側から断られる場合もあるでしょう。
例えば6年生で10÷2を計算する時に一々
2×1=2
2×2=4
2×3=6
2×4=8
2×5=10
あっ答えは10だ!ってならないでしょ?
この子は確か九九を覚えていなかったのか、知能の問題で九九を覚える事ができないのか不明ですが、一私塾でそこまで広範囲な性質を持った児童にまで対応しきれません。こんな状態であるのにも関わらずそこに、さらに親の「息子に遅れがある」という事を認めたくないというエゴが相まりその児童に対し塾として毎日何時間もただ右から左へ数字を移動するだけのような拷問にも似た作業をさせ続けるという事をしなければなりませんでした。
かなり主観としての表現なので、そんな事でも長い目で見ればその子の役に立つ勉強なのかもしれません。けれどその時の自分にはどうしてもそうは思えなかったのです。
もちろん、こんな嫌な話ばかりではなく、伸び伸びと成長していく子供達とかかわり、元気がだだ溢れる環境で働けるというのはとても素晴らしい事であるし、一定の生徒にとってはとても有効に活用できる場でもあると思います。
ただ自分にはやっていけないなという思いと、どうにもならないなという無力感に尽き。その仕事は辞める事にしました。
今この瞬間も塾という場を利用して我が子を苦しめている親がいるかもしれないのかと思うととても悲しいですが、そういう事もあるのだなと知れた事が自分にとってはとても良い経験になりました。
子供は親にとっての何なのだろう?
お手伝いしなさい! なんて命令はなんの為?
例えば、食器洗いにしてみても
いまだに「嫌だったのにさせられたなあ」と思いだします。
そういう記憶だけはある
「いい いい 俺洗うから」とか
誰かの家で御馳走になった時に
「御馳走になったし、皿くらい洗わせてよ」
などと言ってしまう
洗っていいよ!だとか言ってしまったり
お母さん!ありがとう!
でも、こういう作業は嫌がる人の方が多い世の中だから
してあげると喜ぶよ!って教えてくれれば
それで良かったのに
- 1994年3月、八王子市立石川中学校の卒業式で、掲揚されていた国旗を降ろして、減給処分。
- 1995年3月、八王子市立石川中学校の学級通信で国旗掲揚を非難したため、訓告処分。
- 1999年3月、八王子市立石川中学校の家庭科の授業で、国旗及び国歌に関する法律はオウム真理教のマインドコントロールと同じであるというプリントを配布し、校長の学校運営を批判したことにより、訓告処分。(この処分に対しては、2001年に「教育行政の教育現場への不当介入」として訴訟を起こすが、2004年5月に敗訴)
- 2000年2月、多摩市立多摩中学校の家庭科の授業で従軍慰安婦やジェンダーフリーをテーマに授業を行い、校長の職務命令に従わなかったため、減給処分。(この処分を不服とし、2004年に訴訟を起こすが一審二審共に敗訴している。)
- 2003年3月、調布市立調布中学校に異動。通勤時間が往復で4時間かかる勤務地への配属は不当として、2004年に訴訟を起こす。
- 2005年3月、立川市立立川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、減給10%・6ヶ月。
- 2005年4月、立川市立立川第二中学校の入学式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職1ヶ月・ボーナス0。
- 2005年12月、大阪市の『すわって示そう戦争反対!12・23』で講演
- 2006年3月、立川市立立川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職3か月。(この処分を不服として訴訟を起こすが、2009年3月に棄却される)
- 2006年4月、『4.25改憲と共謀罪に反対する集い』で講演
- 2006年12月、多田謡子反権力人権賞を受賞。
- 2007年3月、町田市立鶴川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職6ヶ月。
- 2008年3月、東京都立南大沢学園養護学校の卒業式で国歌斉唱を拒否したことにより、停職6ヶ月。
- 2008年4月、東京都立あきる野学園に異動。
- 2009年3月、東京都立あきる野学園の卒業式で、君が代不起立により停職3ヶ月。
キチガイすぎるだろこいつ。
こんなのがクビにならない事が逆に怖いわ。
親が障害を持つ子供の権利を(過剰なまでに)求めるといった類のニュースが語られた時、近年になって定番のように貼られるコピペに、以下のようなものがある。
普通学級に通学するのが、物理的に困難な障害児の入学をゴリ押しする親や人のニュースを見るたびに、 以前に見たドキュメンタリーを思い出す。
生まれついて重い障害を負って生まれた息子の為に、親は「サリドマイド児の親の会」を立ち上げて、休日は全て会の活動。
「障害者に理解のある社会=息子の為」との強い信念のもと、息子を連れて積極的にマスコミにも出たり、講演活動も行った。
さらに、息子を普通学級に進学させた。息子は重い障害を負いながらも大学に進学。一時は、マスコミにもてはやされた。
が、大学卒業後、障害を負った息子は何処にも就職できなかった。ここで、息子は生まれて初めて本音をぶっちゃける。
「子供の頃から、人前でさらし者にされて辛かった」「休みの日くらい、家族だけで過ごしたかった。家族だけで遊園地や旅行に行きたかったのに」
「普通学級になんて行きたくなかった。手の無い俺が、普通学級でどれだけ不自由で辛く、孤独だったか。
どれだけ、危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)な思いをしたか!」と、延々と恨み言を言い出した。
で、親が「何で言ってくれなかったんだ!」と反論したら「言ったが、全て“お前のためだ”で済まされた。
一度だけ、同じ障害を持つ子供たちがいる養護学校に行きたいと言ったら“負けるな”と説教された」
「俺みたいな障害を持った子供が、親に見捨てられたら生きていけない。だから、言いなりになっていた」
「お前たちは“俺の為”と言っていたが、結局は自分たちが社会から注目されてチヤホヤされたかったダケだろう。
養護学校に進学した同じ障害を持った連中は、職業訓練を受けて就職して自立しているのに、親の見栄で、普通学級に進学させられた俺は、就職できなかった」
「俺の障害を受け入れてくれない、見栄っぱりな親のせいで、俺の人生はメチャクチャにさせられた!」
結局、息子さんは親に対する恨みつらみの遺書を残して自殺。最後に親御さんは「もっと息子の気持ちを考えてやれば良かった」
「健常児と同じようにする事が、息子の為だと思っていたが、間違いだった」と嘆いていたな。
【サリドマイド児】と冠してしまったことで、(主にサリドマイド禍にあわれた方々が、大卒の年齢に達するのが今から30年程度前であることから※)全体に無理が生じてしまったこと、にもかかわらずドキュメンタリーなどと真実味を付加してしまったことで、決して少なくない数の「嘘を嘘であると見抜けない」方々が、あたかも現実の出来事であるかのように喧伝してしまうことがもったいないほどである。
既に
http://ameblo.jp/rosexxxkasumi/entry-10613422332.html
といった記事で述べられているように、このコピペが真実であると誤解した方々が、出典として挙げる書籍に『青い鳥はいなかった―薬害をめぐる一人の親のモノローグ(飯田 進)』というものがある。
上記のサイトを見ていただければ、このコピペが=『青い鳥はいなかった』著者の息子、伸一氏ではなかったことや、コピペの状況自体に矛盾が生じることは容易に理解出来ると思う。
にもかかわらず、相変わらずコピペ=伸一氏であるとされる方々は一向に減らないし、さらには「俺はこの本を読んだけどこのコピペの内容が書いてあったよ」などとする者もいる。
ここではその誤解をはっきりと解くために、『青い鳥はいなかった』本文からの引用を交えてネット上に残しておきたい。
なお、本来『青い鳥はいなかった』という書籍は伸一氏との関係についてを主たる題材として扱っているわけではないため、これから取り上げる部分がこの本の限定的な一部分からの抜粋になることを付記しておく。
この本を紹介したアマゾンのページである。目次に注目していただきたい。
目次
わが内なる罪
父母の会創設
国際的な連帯を求めて
噴出する矛盾と内部対立
集団訴訟をめぐって
親の止まり木を目指して
裁判有利の展開のかげに
疑惑の根源
裁判の終結
和解の落とし穴
父母の会の解散
息子伸一の死
実際は「わが内なる罪」を序章とした一二章構成になっており、ここに前書きと終章が加わる。
『青い鳥はいなかった』を誤解している方の殆どは、この目次と、飯田進氏がサリドマイド児の親たちを中心にした「子どもたちの未来をひらく父母の会」発起人であり会長であったことのみをもって判断しているのではないかと想像するが、どうだろうか。
「わが内なる罪」で始まり「息子伸一の死」などと締めてあっては、いかにもコピペの親が飯田進氏であるかのように錯覚できるのは否定しない。
しかし実際「わが内なる罪」で語られている進氏の心情はこうだ。
まぎれもなく私は、重大な過ちを犯した。大倉医師の指摘したとおり、私は充分な統計的調査をすることなく、不用意にも息子伸一の誕生が、あたかも「被爆者に奇形児が生まれると、それをすぐに原爆の影響だと考える」思い込みを前提とした投書をしたのであった。(37頁38頁)
たしかに息子がうまれたときには、その障害の原因がサリドマイド系薬品にあったことを知っている者は、だれもいなかった。その罪意識は、それから私の心理と行動に支配的な影響をもたらすことになった。(41頁)
「息子伸一の死」ではより具体的にコピペとの差違を指摘できる。
知人が主催する公益法人に、伸一を就職させたことがある(268頁)
彼は結婚前もその後も、しばしばタイ、インド、ネパール、チベットなどへ旅行をしている。いわゆるバックパッカーである。いくら貧乏旅行とはいえ、それだけの経済的余裕があったのである。(269頁)
いわゆる不審死である(274頁)そして死因は急性肝不全(274頁)
さらに終章では
伸一は母子感染でC型肝肝炎になったのにちがいない。当時の輸血用血液は、アメリカなどからの輸入に頼っていた。その血液には、しばしばC型肝炎のウイルスが混入していたのである。(312頁)
もちろん伸一は、妻が入院中、連日のように病院を訪れている。見る影もなくやせ衰え、苦痛に耐えつつ死んでいった妻の姿を見ている。だから彼は、おのれが直面させられている運命を、知っていたのに違いない。(312頁)
事実上医療をこばみ、緩慢な自死にひとしい成り行きをたどった秘密もまた、そこに潜んでいたのか。なんたることか。(313頁)
『青い鳥はいなかった』で語られるのは父母の会の設立運営や、その後の訴訟に関して「こうするべきだった、こうあるべきだった、でも現実にはそうではなかった」という筆者の悔恨である。そして息子の死が「私が行ってきた行動を、全否定しているかのよう」に感じた筆者が死後の伸一氏へ当てた手紙のようでもある。
飯田氏の行ってきたことを少しでも知ったなら、あのようなコピペの元ネタとして扱うことがいかに礼を失する行為であるかは理解してしかるべきであると思う。
障害をもった親の権利を(過剰なまでに)求める親や、その親を反差別だネグレクトだと叩く行為の是非まで問うつもりはないが、それを叩く材料として上記のコピペを「真実」であるかのように貼り付けたり、『青い鳥はいなかった』と結びつけて語ったとき、その行為は誹謗中傷であり、いいかえればそれこそが”差別”である。
最後に、コピペにある「遺書」と似て非なる伸一氏が「遺した書簡」が、筆者にとって「お前は肝心なところはわかっていてくれたんだな」と言わせる、筆者と伸一氏の間に決定的な断絶があったわあけではないことの証左であるし、また筆者がこの本でいいたかったことの半分程度を言いあらわす例ともなりうるので、全文を引用してこの日記を閉じる。
「サリドマイドの裁判は、親である第三者が闘った裁判であるのが特徴であった。かなり特殊な裁判であると言える。当事者である被害者は、幼児であったからだ。障害者である本人は、自分の被害をほとんど知らぬままに保証金をもらって和解したのが、サリドマイド裁判の実態であると言って差し支えないであろう。その裁判においてサリドマイド以外の障害者については、何もしなかったのも事実だ」(中略)[注、本文ママ]
「つまりサリドマイド裁判は薬害と言いながら、サリドマイド障害者の救済しかしなかったし、一緒に闘ったはずのサリドマイドとは認定されなかった他の障害者の救済は何もしなかった。いまだにその認識は、サリドマイド障害者にはほとんどない。」(290頁)
※に関する追記
サリドマイド禍はその時期がそれほど広範ではなく、「サリドマイド禍にあわれた方々」が大学を卒業する時期もある程度類推が可能である。コピペの記述などから考えても、「30年前」という時期をそれほど外してはいないと思う。
30年前といえば、時はバブル前夜。「大卒」という肩書きが十二分に武器となった時代。今とは違い、大卒で「就職できない」という事態はそれなりにレアケースである。「親の活動そのもの」が反社会的とされ、企業に嫌われた可能性もないではないが、コピペの記述からはどうもそんな雰囲気ではない。少なくとも、職業訓練よりは大卒の肩書きのほうがはるかに就職に有利であった時代に「普通学級で大学にいかされたせいで」就職できない、という記述には矛盾が生じている。
コピペに「危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)」という記述があることから、その障害が日常生活や就業に支障をもたらすものであった場合は上記の限りではないが、そうであった場合、時はバリアフリーのバの字もなかった時代である。そういう時代に重度障害者が大学に通い、卒業する、ということがどれだけ大きな事態であったことか。それこそ大学始まって以来というレベルの出来事である。本人の確固たる意志に、親をはじめ、周囲の身を削るような協力があっても難しいような行為。にもかかわらず、本人に大学に行きたい、卒業したいという意志はかけらもなく、親も見栄が先行しているのを子供に見透かされるような程度の熱の入れようなのだそうだ。ここにもやはり矛盾がある
なんだかあちらこちらで子育ての話が多いから、俺もちょっと考えてみたんだけど、独身の俺でも子育ての大変さに気が付いてしまったんで増田に書いてみる。
まあ言葉では「大変だね」なんて幾らでも言ってきたんだけど、どの程度、大変かなんて想像も付かない。ただいくら大変だからといっても、世間一般の人達はそれなりに子育てをクリアしてきているので、たかが知れてるレベルだとは思っていたんだ。友人の家に遊びに行くまでは・・・
その友人宅には、一歳半と二歳半の男の子がいる。そこのカミさんとも仲良しなので、子供が生まれるまでは、晩飯にお呼ばれしたり、酒を飲みに行ったりしていた。しばらく遠慮してたんだけど、子育てにもひと段落付いたから、久しぶりにメシ喰いに来なさいみたいな話になったので、ごちそうになりに行った。
最初は子供達も大人しくしていたが、どうやら俺が安心できる人間だと理解されてからは、もうカオス状態。友人夫婦は常識人だし、しつけも普通にはしているらしいんだけど、夜遅くまで室内をダッシュしまくり、こっちに体当たりしまくり、物投げまくり、皿は割る、水はこぼす、ウンコしてオムツ交換中に暴れてクソまみれ、冷蔵庫バタンバタン、パソコンの電源連打しまくり、プリンタの紙カセット引き出して紙ぶんなげまくり、ティッシュ出しまくり、引き出し引き落とししまくり、なぜかこっちのチンコもまれまくり、電子レンジチンチンしまくり、エアコンのリモコンどっかに隠されたり、俺の携帯がいつのまにか米びつに突っ込まれていたり、意味が解らない大声で叫びまくり笑いまくり泣きまくり、これでひと段落付いているレベルなのかよ・・・と愕然。これが夜寝てる時と昼寝の時間を除いて、朝から晩まで続くそうだ。
帰り道にふと思った。あの子供達は知的障害児なんじゃないかと。抑えが一切利かず、暴れまくる。昔、小学校や中学校にあった特殊学級のメンバー達を思い出した。そういう人達にとても似ていると思った。そういや、そういう子供達は、知能が三歳児レベルだとか四歳児レベルなんて話を聞いたことがある。
はっとした。そうだ、そうなんだ、さっき訪ねた夫婦の子供達が知的障害児かどうかはともかく、せいぜい五歳、六歳になるまでは、子供はこっちのイメージしている知的障害児と同じ行動をするもんなんだと。朝から晩まで知的障害児と暮らすと思うと、マジ大変なんだと思う。そりゃ子供を殺す親も出てくるだろうなと。
子育てがどのくらい大変かイメージ湧かない人間でも、少なくとも5、6年は知的障害児と生活を共にすると考えると、イメージが湧くんじゃないだろうか。そういう子供に朝から晩まで付き合い、1日3食x365日x5年で5500回もメシを作り、喰わせなきゃならん。しかも知的障害児やボケ老人レベルの動きに合わせてやらんといけない。対価は子供の笑顔程度しかない。こりゃ地獄だ。と同時に母親はすげえ。世間一般の母親はそういうものを概ねクリアしているんだから。どんだけ母親すげーんだと。
介護施設や養護学校で働く人達は大変だというけど、しょせん仕事。一方、世間一般の母親は無償で、朝から晩までの仕事になる。どんだけブラックなんだと。
帰りにハーゲンダッツとパピコをかーちゃんの為に買って帰った。肩も揉んであげた。なんかきもちわるいと笑われたが続けた。うっすら俺は泣いていた。かーちゃんはその顔をちらっと見たはずだが、何も言わなかった。何故か結婚したくなった。
ごめんなさい、元々自分が何に苛立っていたのかが、話題が発散してよくわからなくなってしまったのでもう一度整理しておきます。
私は元々、赤木智弘氏が「アグネス・チャンの『二次元』児童ポルノ規制論は、当の児童の『性的主体』としての権利を侵害している」と発言したことが、「フェミ」系の人を中心に批判されていることを中心に違和感を覚えたわけです。しかしながら、そういう批判をしている人たちは従来、「中高生はセックスするな」という意見があれば反発する層と重なると思え、どうしてそんな矛盾したことを主張できるのだろうという従来のイライラが噴出したということでした。「主体」に対して保護はあり得ないのだから、児童ポルノ規制と性行為禁止はセットであるべきだし、酒やタバコと同様の理由でこの両者はセットで規制すべきだろうというのが私の意見です。
あなたは七生事件をご存じであった、それどころか増田で書かれていたという記事を読みましたが、「知らなかった経緯」と書かれるのはなぜでしょう?
知っていたけれども、それが宗教原理主義(具体的には統一教会?)的な意味での「純潔教育」と結びついていたとは初耳だったということです。私は単に、身内に障害者がいたので、養護学校ではあのような試みがあることも知っていたから「糾弾動画」を見てああいう記事を書いただけです。そういう予備知識なしにああいう動画を見せられて「狂信的フェミニストによるやり過ぎの事例」とか言われればその通りなのだと思いこんでも不思議はないだろうと思いましたし、石原はそういう勘違いをしただけだろうと思っていました。身内のタカ派議員あたりからそんなことを吹き込まれたではないかと想像したわけです。それ以上の政治的背景には関心も知識もありませんでした。
しかし、例えばコンドームはなくてもセックスできます。わざわざ身分証明書を借りてきたり偽造したりしてまで(現状で高校生が酒を買う方法です)、コンドームを買うかというと疑問です。がんばらないと入手できない状況を作ることは危険です。できれば、未成年には無料で配布したいくらいですが、禁止されていれば無理ですね。
特にピルは処方薬ですので現状でも医師の診察が必要であり、入手は困難です。法的に禁止されれば入手は今以上に困難になります。
何度も言うように、「禁止されていれば入手できない」というのは飛躍が過ぎると思いますし、同じことをもう一度言いますが、現状ではポルノだって禁止されているはずですよ。必要なのはその程度のザルな「禁止」であって、それ以上でも以下でもないと思います。
ちなみに、酒なんて誰でも平気で買えるものだと思っていましたが、それは初耳です(そういえば最近、私も一度スーパーで年齢訊かれたことがあります。既に二十代後半なので唖然としましたが)。それは明らかに度の過ぎた過剰反応ですね。
あと、ピルは外国では処方なしで買えるものだと思っていましたが、調べてみてそうではないことがわかりました。そうだとすると少しそこは裏口を考えなければいけませんね。医者には守秘義務があることを強調するとか。
で、建前として18歳未満はセックスを禁ずるべきと言う論ですか。
18歳未満とは言っていません。年齢制限については低いに越したことはなく、たぶんあなたの言うように15歳ぐらいが適当でしょう(元々、議論の発端は「13歳」だったわけで)。要するに、体が未成熟で妊娠が生命の危険を生じさせ、また社会的に子供を育てる能力もない状態では保護が必要であり、その保護の一手段として禁止が必要であるという理屈です。義務教育が原則15歳で終わることや女性が16歳で結婚できることなどを考えても、それ以上の規制は現実的に有害無益だと思いますし。
また、私も「出来る限り人間の自由は制限されるべきではない」という原則を信奉しており、たとえば実際の行動に及ばない限りは小児性愛者も性的少数者の一種にすぎないという立場から「非実在」児童ポルノは絶対に規制してはならないという立場ですが、「自由」には必ず「自己責任」が伴うわけで、判断力が十分でない年少者にはこの原則を当てはめることは不適切だと考えます。
ソースは検索したけれど発見できなかったので提示ありがとうございます。しかし、この話にはキリスト教原理主義ないし何らかのイデオロギー性を読み取ることは不適切でないと考えます。成人が同じことをすれば、「猥褻物陳列罪」にしかならないはずで(しかもその成立要件は確実にもっと狭い)、それがもっと重罪で裁かれるのは明らかに法の濫用ではありませんか。
私はこの種の、「世の中が全体としてトチ狂ったことをする」ことが何よりも嫌いです。児童ポルノ過剰規制は反捕鯨運動や北京五輪の時の犬肉禁止運動、そしてスカーフ反対運動と並んで、現代西洋社会の最大の思想的恥部だと私は思っています。そしてここでも鹿鳴館根性が働いている日本という国が情けなくて仕方がありません。
元増田です。
そう思わないといった覚えはありませんが。
誤解して欲しくないのですが、性行為をすれば妊娠する可能性があるということから、避妊に関する基礎知識まで、そのあたりのことは当然教えられるべきです。
その上で、「20歳になるまで酒は飲むな」というのと同一線上の理屈で、「体が成熟して、子供を産み育てる覚悟ができるまで性行為はするな」ということを教えるべきだという話です。その意味で、石原が言った「中学生はセックスするなと教えろ」というのは全然おかしな話ではないはずです。むしろ、酒やタバコの害は基本的にほぼ本人のみだし、一杯や一本で健康を決定的に害することがないのに対し、性行為は一度でも妊娠することがあり得るのだから、リスクはよほど高いはず。そして、「酒を禁止する以上は『一気飲みをするな』と教えることはおかしい」なんていう理屈にはならないでしょう?
にもかかわらずこれはタブー視されている。それはなぜか、おかしくないかと言っているわけです。そして、これをタブー視するなら児童ポルノをそんな重大な児童虐待として扱うこと自体矛盾してないかということです。
知ってます。私は自分でこんな記事 ( http://anond.hatelabo.jp/20080523001935 ) だって書いたことあるぐらいですから。
私の知っている限り、13歳にセックスさせるべきというフェミはいません。
13歳もセックスする可能性を考えて教育すべきというフェミならいると思いますが。
そのあたり、フェミへの偏見から違うものを見てはいませんか?
いや、私だってフェミが「させるべき」と言ったなんて思ってもいませんし書いてもいませんが。
それに、別に13歳じゃなくて15歳でも17歳でもいいんです。要は、「児童ポルノはフィクションといえども女性へのヘイトスピーチ」というのと「児童の性行為を禁止するのは統一教会のキチガイ」という思想がどうやったら共存できるのかという話です。
それに、話をわかりやすくするために題名では「フェミ」と書きましたが、別にフェミでなくても構いません。世間の最大多数は、たとえば「中高生の性行動は割と普通のこと」と思っている一方で「自分から体を売った中高生を撮影してばらまくのは児童虐待、そんなものに興味持つ方が異常」とも思っていると想定されるので、自分で矛盾感じないのか、感じないふりしてるのかどっちなんだろうと思っただけです。
元の三段論法批判を書いたものです。
議論にのってくれてありがとう。
そんな馬鹿なこと、あるのかな。
100%に避妊ができないように、100%無事故の運転はできません。
避妊を必ずすべきであると教育し、避妊具を配布したとして、中学生が妊娠する確率は自転車に乗って事故を起こす確率とどっこいどっこいでしょう。
問題は、避妊を正しくすべきであるという性教育を行えないことにあるとは、なぜ思わないんでしょう。
私は石原慎太郎的純潔教育には反対するものですが、それは彼らが性教育を否定する立場に立っているからです。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%E3%B7%E9%B6%B5%B0%E9
ジェンダーフリー反対で有名になった「七生養護学校事件」のケースを参考にしてください。詳しく書きたいけど眠いのでごめん。
「やるな」と教育したって、やるやつはやるよ。だって性欲あるもん。
それより、なんで安易なセックスは危険なのか、なんで避妊は大事なのか、それを教えた方が効果はあります。
私の知っている限り、13歳にセックスさせるべきというフェミはいません。
13歳もセックスする可能性を考えて教育すべきというフェミならいると思いますが。
そのあたり、フェミへの偏見から違うものを見てはいませんか?
http://anond.hatelabo.jp/20100411050817
ここで書いてあったので、気になってググった。
障害を持つ人が近くにいたこともあったので
(小学校では養護学校交流会があり、中学には心障児学級もあった)
一切接触を持ったことがない人よりは免疫があると思っている。
それでも、吐き気がした。本人にじゃなく親に。
でもさ、それをまわりに押し付けるのは違うだろ?
「スクリーニングはダウン症の可能性が診断されちゃうからダメ」?
別にあなたにスクリーニングを強制はしていないでしょう。
あと、「きょうだい児」?
身内に障害者がいるばかりにしわ寄せを受ける、かわいそうな子供。
世間には、第一子が障害者だから、その面倒をみさせるために
第二子をわざわざ作る親がいるらしいんだよね。
第二子にしてみたら、冗談じゃないよ。生まれる前から人生決定だよ。
上が健常者で下が障害者の場合も、面倒をみることになるのは同じだろうけど、
狙って生まれたわけじゃないから、その分はまだましというか。
それを他人に押し付けるな。
「もし仮に障害を持って生まれてきたとしたら、愛せないのか?」
正直に言おう。愛せない。少なくとも、五体満足な子より愛せない。
たとえ自分が産んだ子であっても。
鬼だと言われても仕方ない。でもこれが本当の気持ち。
下手すると自殺しますよ。
http://d.hatena.ne.jp/unsui456/20100218見て夏目漱石が統合失調症であるという事を知り、
昔からなぜか病気になりたいと思っていた。多分中二病。私は特別なんだとかそういう。
思い返せば、病気(風邪)になれば母親から優しくされるからか、なんかの病気になりたかったのかもしれない。
もしくは小学生の時に隣に養護学校が隣接されており、養護児童との接点があった。
彼らは確かに見た目は奇異ではあるがゆえに、周りから優しくされて少し楽に生きているように子供の目には写ったのかもしれない。
始めから変人を目指す自分がいたのかもしれないが、その辺は定かではない。
そして最近人生がうまく行かない。自殺しようかとかよく考えていた。
病気になろうとしているのだからそうなるのは当たり前なのだっていうのは浅はかだと思う。
心の中では本当になろうとしている訳ではない。サボりたかっただけかもしれない。
ただ「私は病気かもしれないな」が重傷化して、発症してしまう思い込み病に近いものであると思う。
病は気からといいますが。
そしてやる気がいまいちでないのを自己診断で鬱だとかADHDだとかそういうものであると思っていたのだが、
最近世界とうまく行かないと思っていたら、統合失調症に近いものに陥っていることに気がついた。
今までの価値観(人間として大切な所)や大切なはずのものがどうでもよくなってくる。
この世界感の崩壊は体験した人間にしか分からないのかもしれないけど、
serial experiments lainの主人公の行動に共感が持ててしまいます。
ただ以前視聴した大分後にそう思ったわけで、私が影響されやすいだけなのかもしれません。
一番怖かったのは、自分の思っている事が相手に伝わってしまう「気がする」(※本人は100%伝わったと勘違いしている)という症状だ。
脳内で言葉(脳内音声)として文章化して物事を考えている場合にそれが人に丸聞こえになってしまう、と周囲の状況から判断してしまった。
まさにサトラレ状態。
それに気がつき(勘違いし)パニック障害に近いものも発症していた。
病気の状態を調べている最中にも、精神科の世界では便宜上「そういう気がする」に押さえて伝えておかなければ、
自分の意思を周囲にまき散らして迷惑をもたらすからだ、と思ってしまった。
そんなことが伝わるはずがなく、自分の思い違いである、という認知が狂ってしまうことで、
一旦これに陥ってしまうとなかなか抜け出せない。全ての事が思考が伝達した結果であると感じてしまう。
そうすると自分の思っている事がちょっとした考え事が何か大それた物であるとか、人にどう思われているかとか、
そういう事ばかり考えるようになって、その結果、幅広い視線で物事を考えられなくなったり、世間の人間が汚くみえてしまった。
ただ幸いにも人が助けてくれてるのかなという感覚はあった。
次にmatrixではないが、聖人君主の資格をもった救世主を探して周りの人が行動しているようにみえた。
そして人間は実は脳内音声が聞こえている生き物なんだと自分に理解させ、人間になるように諭される。
そして自分に少しでも救世主の資格がないと発覚すると、汚い人間性を持った俗人になるように誘惑され、
志のない一般市民への転落へと陥れようと画策しているかのように人間が見えた。
以下妄想垂れ流し。
統合失調症は根本的な思考方法パターンが異なっているだけの人種だのだと思う。
http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/fe5d47a4094d72a271d6de0c7980bc6aのようなSとN、みたいな。
でも実はこれは誰にでも備わっている能力であると思う。
今ではパニックを少し抱えつつ冷静に落ち着いて行動をしているけど、普通の自然体が言葉で思考する人種にとっては黙っておけというのは難しい。
(※黙っておけ=お前の脳内音声が聞こえるからうるさい、と言われている気がしていた)
音が気になる人は、別にそれは小さな音なのだから騒音として聞き流すか、音楽でもかけていれば気にならなくなるはずだろう?
仏教や禅の精神では心を無にするのが落ち着くと考える人がいる。特にそれが盛んな地域では、他者の生み出す意識の流入が嫌われる。
なのでそういう宗教の人は、統合失調症を発症した人間に対して「何か悩みがあるのだろう」と優しく語ってくれるのだが、
決して悩みがある訳ではなく単にそういう考え方の脳を使うスタイルであることを理解してもらいたい。
心を無にしても無の境地があるだけで、何にも新しいものは生まれてこないと思う。ただ生み出しやすくはなるけど。
誰もいわないけど、「心の声」や一種の「テレパシー」は存在するのではと考えている。
オカルト的なものではなく、脳からマイクロ波が飛び出し周囲に伝搬する「フレイ効果」というもので、
脳内音声は他人に聞こえるのではないかというのが私の見解。これが自我という奴なのか?それを知っているのが普通なの?
この事は大人の対応として誰も言ってくれないんだが、逆にこれを言うとオカルト扱いされるというレトリックもある。
「電磁波ハラスメント」というものも出てきているくらいに、人が密集した地帯では深刻なものになりうる。
脳内での受信部位であるミラーニューロンが発達した人々の間では耳障りな音がするらしい。
これは自閉症スペクトラムの中で自閉気味にある人間には、聞こえないか聞こえても無視できるくらいの音声、もしくは人間的な度量があるのかもしれない。
こういった自閉症のようなマイノリティーが病気として追いやられ自殺に追い込まれるという社会は終わりにしたい。
私の頭がおかしいのだけなら、そんなこと(脳内音声が伝わる事)はないと言ってもらいたい。
逆にそうでなければ自分がおかしい、病気だぞという方向におさえこまれる意味が分からないからだ。
こんな感じで、ちょっと冷静になってみると訳の分からない理論を勝手に唱えていました。
一旦統合失調症の発症に気がつくと、実は人間という存在は全てが脳の思い込み刷り込みの産物でしかない事に気がつく。
人類が作ってきた歴史や文化そのものが、特定の価値観があるんだよという刷り込み。
感受性豊になると世界がカラフルに見え、恋愛をすると世界が輝いてみえるように、世界は白黒で無価値なものに見えた。
よくありそうな自己啓発などではなりたい自分をイメージしなさいと言われる。このイメージする作業は、人によって脳内の言葉であったり映像であったりするだろう。
そして言葉や映像以外でも、同じように実は人間の5感は自分の意志で脳をコントロールする事ができるかもしれないと思っている。
音声はともかく、味覚や触覚や嗅覚や視覚を実際の入力とはかけ離れてコントロールできる。
ただ再現可能性がないということで科学にはなりえません。自分だけのものとしてうまく使いこなせるようになりたいですが。
スパイラルの底に陥って、どうしても幻聴は外部から攻撃されているんだという概念から離れられず、
自分でやっている事に気がつかないで苦しんでいる人もいるのかもしれないと思うが、
一般に普通とされる人間がそれらの幻覚を自ら進んで実行する脳コントロールをしてみる欲求はあると思うのだ。
ビジネスや自己啓発や美容で用いられる思い込みの力は、社会的にプラスに作用する方向に使うからいい。
これを自分の感じる感覚が無意味であるものとする方に作用していくと、精神的に荒廃した人間が出来上がる。
無意味であるとはどういう意味であるかというと、例えば痛覚。これを遮断するように脳に働きかけると、痛みを感じなくする事ができる。人間はヤバいときには、沈痛作用の脳内麻薬を分泌して本能的にそうやっている。
これをやっちゃうともう後には戻れない所にくる。私の予想では、後に戻るには赤ん坊か精子の時からと同じ道順をたどってこなければいけない。
ただ人にはそういう精神的な所に気がつかずに生活してきたベースとなるそれぞれのパーソナリティーはあるにしろ、
反社会性をもったパーソナリティーは排除されるように教育がなされている。
自分は連続殺人犯だとかの反社会的パーソナリティーの気持ちも別に分からない気はしない。
やっても得になる欲(興奮)が欠落しているのではなく、それを理性によって閉じ込めているだけかもしれない。
頭で考える事が出来たからといってすぐに犯罪に結びつく訳ではない。人間には理性がある。
行動しなければ何を考えても自由であるはずだ。少なくとも日本では内心の自由が保証されているのだし。
人間は一人で生きていく存在ではないとよく言われる。
これはまぎれもない事実であるかどうかは分からないが、社会のベースとなる考え方だと思う。
だからその考え方を元とすれば、どうやっていけば(障害者も含めた)社会全体がより良い物になっていくかを考える事が可能であると思う。
葬儀屋は人の不幸がないと成り立たない。
介護ビジネスなんかも、人の不幸(とまで言えるかどうか)がないと成立しない。
あと、養護学校とか盲学校聾学校も、人の不幸(とまで言えるかどうか)がないと・・・
仮に将来、身障者の発現確率が減少したら、養護学校の教師は失業するんだろうなあ。
で、ふと思ったことだが、就学前検診とかで、「特殊学校行き」の児童を
「発見」して振り分けたりするのだが、
「例年だと100人に1人、特殊学校行きの児童が現れるのに、
今年は300人診ても現れない。
ボーダーラインのA君、この子、昨年だったら普通学級行きなんだろうケド、
今年は特殊学校が空きまくっているから、特殊学校送りにしちゃえ」なんて
運用がされていたりして。
要は就学前検診の振り分け基準が「絶対評価」でなく「相対評価」だった場合、
「たまたま障害者が少ない学年」に生まれついたボーダーラインの児童が、
「障害の側に振り分けられる」という「不運」に見舞われたりしたりして。
生活保障なんてやめるべきだろうね。
母子家庭だろうが一切金はやらない。
もちろん義務教育だろうが学校は有料な。たぶん子供1人につき年間で50万くらいかな。
健康保険は無駄だから廃止して、入院代が払えないヤツに自然に死んでもらう。
年金も機能しないから廃止で、老人になって金がないヤツは勝手に自殺でもさせる。
犯罪者を養うのは無駄だから、万引きだろうが立ちションだろうがちょっとでも犯罪を犯したら全員死刑。
養護学校はすべて廃止。
あ、やっぱ病院もすべて廃止。病気になったのは自己責任だからだ。
弱いヤツ、馬鹿なヤツ、無力なヤツ、未熟なヤツ、なんらかのハンデのある人間を一切保護しない。
老人だろうが子供だろうが女だろうが全員すべて平等だ。
強いものだけが生き残る。
すばらしい世界じゃないか。
7 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/07/03(金) 23:19:06 ID:T4rR2vse0
普通学級に通学するのが、物理的に困難な障害児の入学をゴリ押しする親や人のニュースを見るたびに、以前に見たドキュメンタリーを思い出す。
サリドマイド児の親のドキュメンタリーだったのだが。生まれついて重い障害を負って生まれた息子の為に、親は「サリドマイド児の親の会」を立ち上げて、休日は全て会の活動。「障害者に理解のある社会=息子の為」との強い信念のもと、息子を連れて積極的にマスコミにも出たり、講演活動も行った。さらに、息子を普通学級に進学させた。息子は重い障害を負いながらも大学に進学。一時は、マスコミにもてはやされた。
が、大学卒業後、障害を負った息子は何処にも就職できなかった。ここで、息子は生まれて初めて本音をぶっちゃける。「子供の頃から、人前でさらし者にされて辛かった」「休みの日くらい、家族だけで過ごしたかった。家族だけで遊園地や旅行に行きたかったのに」「普通学級になんて行きたくなかった。手の無い俺が、普通学級でどれだけ不自由で辛く、孤独だったか。どれだけ、危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)な思いをしたか!」と、延々と恨み言を言い出した。
で、親が「何で言ってくれなかったんだ!」と反論したら「言ったが、全て“お前のためだ”で済まされた。一度だけ、同じ障害を持つ子供たちがいる養護学校に行きたいと言ったら“負けるな”と説教された」
「俺みたいな障害を持った子供が、親に見捨てられたら生きていけない。だから、言いなりになっていた」
「お前たちは“俺の為”と言っていたが、結局は自分たちが社会から注目されてチヤホヤされたかったダケだろう。養護学校に進学した同じ障害を持った連中は、職業訓練を受けて就職して自立しているのに、親の見栄で、普通学級に進学させられた俺は、就職できなかった」
「俺の障害を受け入れてくれない、見栄っぱりな親のせいで、俺の人生はメチャクチャにさせられた!」
結局、息子さんは親に対する恨みつらみの遺書を残して自殺。最後に親御さんは「もっと息子の気持ちを考えてやれば良かった」「健常児と同じようにする事が、息子の為だと思っていたが、間違いだった」と嘆いていたな。
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/50847397.html
『普通学校へ進学させた親を怨みます。脳性まひの男性』を読んだ。
我ながらすごく平坦でつまらない意見だけど、いろいろあると思う。
一概にどちらがいいとは言えないし、障害の状況や周りの条件でもくるくる変わる。
障害の軽重だけで決められるものでも無い。
親に感謝している。
見た目はともかく、実生活には(少なくとも本人が思うには)支障は無い。
右手でちょきが出せない、いわゆる“びっこ”を引いている、そんな程度だ。
右手でちょきが出せなくても左手でちょきを出せるので、じゃんけんに困ったことは無い。
但し、小学校では友達も少なかったし、毎日図書館に入り浸っていた。
それは障害による直接的な影響というよりも、気持ちの問題が大きかったような気がする。
やっぱり、学校に上げるときは親は悩んだようだ。
障害児の親なら、誰でも通る道だ。
子供のころ、学校とは別に障害児を支援する公的なセンターのようなものにも入っていた。
そこではよくバスで遊びに連れてもらったり、夏にはCAMPなんかもした。
こちらは学校と違い、かなりたくさんの友達ができた。
夏の夜、テントの中でいつ果てるともない話を延々と続けるのは楽しいものだ。
友達たちの大きなテーマのひとつに、これからの進路があった。
小学校から中学校にあがるとき、中学から高校にあがるとき、このまま養護学校に進むのか、普通学校に行くのか…
概ね、気持ちは行きたいが新しい世界でやっていけるかどうか不安だナァというものだった。
もちろん、学校側が受け入れてくれるかどうかも現実問題としてあった。
外に出て行きたい理由はもうあまりはっきりとは覚えていないが、どうしても世界が狭くなる、甘えてしまう(あるいは、
甘えてしまう学友を、周りにたくさん見てしまう)という理由だったように思う。
僕はこの話題になると、あまりしゃべることがなかった。
僕にとって、養護学校は遠い存在だった。
高校時代に知り合い、とても影響を受けた(今も)人がいる。
腕っ節がすごく太い。
その人は、高校まで養護学校に行き、そこから地元の私立大学に進み、家庭を持った。
障害が重く、子供のころは医者からは車椅子の生活になると言われていたそうだ。
彼は養護学校時代、毎日、授業が終わった後に1~2時間鉄棒などで腕を鍛え続けた。
そうして腕だけで体を支えられるようになり、松葉杖で今もどこへでも出かけていく。
子供心に、今何をすべきか考えたのだと思う。
彼はとてもIQが高く、重い障害に通学を渋っていた地元の小学校の校長が「是非来てください」と言うほどだった。
親は、結局、養護学校に進ませる道を選んだ。
同じ条件にある子供が皆こうするわけではないだろう(というより、殆どしないだろう)。
でも車椅子の生活者になったかもしれない。
もちろん、どちらがいいという話ではない。
子供を育てるのに正解は無い。
それは、障害児だって同じことだと思う。
なんだか当たり前の結論になってしまって、(ここまで読んだ方には)申し訳ない。
普通学校へ進学させた親を怨みます。脳性まひの男性:Birth of Blues
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/50847397.html
を読んで、少し考えたことを書く。
私の兄は自閉症だ。
小学校、中学校と養護学級のある公立の学校で過ごし、高校は養護学校(今は特別支援学校と言うらしい)に通った。現在は障害者用のワークセンターで働いている。
兄自身は自分の幸・不幸とか難しいことは語らないのでわからないが、毎日ちゃんとバスと電車を乗り継いで仕事に行って、時々携帯のカメラで風景を撮影して帰ってきて、暇な時間は絵を書いたりインターネットをしたりして過ごしているので、多分充実した毎日を送っているのではないかなと思う。
私も兄がいることで何らかの不利益を蒙っていると思ったことはないし、両親も決して兄のことを不幸だとは思っていない。はずだ。
ここまで書いて、元記事で紹介されている方々と私達家族では境遇が違いすぎるということに気付いた。
でも気にしない。考えるきっかけとなった、というだけで十分だ。
「普通の学校に入れる」ということはそんなに重要なことなのだろうか。
勿論、様々な理由があると思う。
通える距離に養護学校・学級がない場合は近くの学校で受け入れてもらいたい、特別支援学級を新設してもらいたいと思うのは普通だと思う。
でも、そうでない人が頑なとして「普通」学校・学級に行きたいと思うのは何故なのだろうか。
友達と同じ学校に通いたい?
友達なんて学校が変わったらまた作ればいいだけの話だし(第一、クラスが変わったらまた新しい友達を新しいクラス内に見つけるのが普通)、現在は電話もメールも発達しているのだから毎日顔を合わせなくても友達関係を続けるのは可能だろう。
健常者であってもここで学力差により学校が離れて、友達関係が薄れてしまうこともあるというのに。
(なので個人的には、以前どこかで見た「知的障害者が普通高校に入れるように問題を解きやすくして便宜を図る」ような活動には懐疑的だったりする。
目の不自由な人のために問題用紙の字を大きくするとか、拡大鏡の持ち込みを認めるとか、そういうのは歓迎だが、問題そのものを「障害者のために」変えるというのはどういうことなのだろう?と。
それで合格したとして、彼らが本当に普通学級の授業についていけるのか。高校は義務教育ではないし、留年だってありえる場所だ。テストのたびに彼ら用に解きやすい問題を作るのか。それは結局彼らに対する「特別扱い」であって、普通学級という肩書きの下で行われる養護教育に過ぎないのではないか)
他にはどんな理由があっただろう。主張はさまざまあったと思うが、全てを追う時間はないし、そもそもそこが本題ではなかったので切り上げる。
(さっき別の増田を見たら「特別支援学校の現状は~」というものがあった。特別支援学校の現状に問題があるというのも理由の1つかもしれない。何が問題なのか把握してない身で申し訳ないが、本題はやはりそこではないので切り上げる)
20数年間自閉症の兄と共に生きてきて、こういう報道や話題には敏感になった(と言っても何か社会に対し意見を発するために敏感になっているのではなく、野球が好きだからプロ野球速報が気になるとかそれと同じような敏感さだ)が、親や子が出て涙ながらに訴える記者会見とかを見てもあまり共感はできない。
私は私であって、彼らではないというのも共感できない理由の1つだろう。
だがきっと、共感できない一番の理由は、特別学級・養護学校に通い、障害者ワークセンターで働く兄が、充実した毎日を送っていると思っているからだろう。
「普通学級に通わない」ことが全ての障害者に統一化された不幸ではない、ということを、私は兄を見て、知っている。
むしろ、本当に不幸なのは、親と子が通じ合えず、元記事のように親を恨んでしまうことなのではないかと思う。
誤解を避けるために書くが、前述の通り私は障害者を必ずしも普通学級に入れる必要はないと考えているし、特に受験の問題を解きやすくするといったことには懐疑的な人間ではあるが、障害者とその親が「普通学級に行きたい」と希望し訴えること自体には反対してはいない。
本人たちが強く希望しているのならばそれを咎める権利は誰にもないと思う。
その希望が通って普通学級に行けたなら「よかった」と思うし、希望が通らなかったら「希望通りにならなくて残念だった」と思うだろう。
ただ、思うことは、普通学級に入学した「その後」のことをきちんと考えてほしいということだ。
入学はスタートであって、ゴールじゃない。普通学級で過ごした彼らが将来どうなるのか。それをよく考えてほしい。
高卒で就職を考えている人が名門進学校に進むのはよい選択とは言えない。進学校には大学のパンフレットは来ても、企業の求人票は来ないからだ。
それと同じように、学校を出たら子供を就職させたいと考えている障害児の親が、その子が働くために必要な技能を身に付けさせられない学校に進ませるのはよい選択とは言えないと思う。
長い目で、自分の子供の幸福を考えてもらいたい。その上で、子供にとって何が本当に最善かをじっくりと考えてもらいたい。
勿論、今活動している多くの親がそこまで考えた上で子供は普通学級に行くのが最善だと考えていると思うので、当人達に訴えることはしない。
増田の片隅でこうしてひっそりと祈るに留めておく。
どうか全ての人が己の人生にとって最善となる選択ができますように。と。
そういえばこれを書いている最中に思い出したのだが、誰が教えたわけでもないのに(多分高校時代の私が四六時中インターネットしてるのを見ていたんだろう)兄がインターネットを始め、両親が非常にやきもきしている。
怪しいサイトに行かないかとか、変なウィルスに感染してしまわないかとか心配だそうだ。
ウィルスに関してはウィルス対策ソフトをインストールし、ファイヤーウォールも動かしている。だけどサイト閲覧に関しては現在はスルー状態だ。
両親には「たまにブラウザの履歴を確認するように」と連絡したが、いつの間にか兄は履歴の消し方まで覚えたらしい。どこで覚えた。
なので、最終手段としてフィルタリングソフトを導入したいのだが何かオススメはないだろうか。条件はだいたいこんな感じで。
・有料/無料は問わない
・メンテナンスに極力手間がかからないこと
普段そのPCに触れるのは私ではなくPC知識のほとんどない両親(どの程度かと言うと、インターネット自体はできるが、FLASHやAcrobatReaderの更新が来るたびに「これってどうすればいいの」と私に電話してくる程度。あと、気付いたらSafariがインストールされてた)と兄なので、これは必須。
・制限オンオフの切り替えが容易であること
両親は制限ナシでインターネットできる必要があるため、これも必須。
ただ、ワンクリックで解除できるとかだと少し困る。兄は学習能力が高いためこの程度ならば簡単に外してくるだろう。
ちなみに、ログオンするたびにいちいちクリックしたりパスワードを入力するのが面倒臭いという両親のために窓の手の自動ログオン機能を使っているため、ログインユーザと設定を紐付けするタイプは×。
こんな大事なことを思い出させてくれた元記事には本当に感謝している。
---
追記
ブコメでhpHosts教えてくれた人どうもありがとう!無料でこんなものがあったなんて知らなかった!
というわけで早速調べてみたのだけども、英語アレルギーの私には辛うじてどういうものかを理解するのが精一杯でしたorz(しかもhpHostsでぐぐって理解したとか…)
というわけで追記。
ホントすいません(;´Д`)
ちなみに暫定的な対処として、家のPCのブラウザは起動時にキッズgooを表示するようになってます。無意味に近いですけど…。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090404-00000525-yom-soci
この問題に対して、「私の学校では~」や「私の子供のころは~」といった個人的な体験からくる議論やコメントに対して非常にもどかしい思いをしています。もしかしたら財政難というのは言い訳にすぎず、ただ面倒だから拒否したのかもしれませんが、この学校の内部構造を知る人間として車椅子で登校する際、不便そうなところを挙げます。これらの問題点を解決するのにどれだけの予算がいるか、またどんな知恵が必要かという議論に役立ててください。ただ卒業したのがずいぶん前であり、すでに改築されていたり記憶違いなどもあると思うので、あくまで参考程度にしてください。
この少女や両親がどのような学校生活(特別学級に入るのかなど)を想定しているのかは不明ですが、とりあえず通常の授業を受けるとして考えます。
学校内部について
●1階に通常授業に使える教室が1つもない。
本当に1つもありません。生徒のホームルームはすべて2~4階にあります。1階にあり、大人数(30人程度)で使える部屋は職員室ぐらいです。また、これは変更可能だと思いますが、この中学では通常1年生が4階を使います。
●音楽室、調理室、視聴覚室、美術室、理科室がすべて2階以上にある。
特に美術室と理科室は旧館と呼ばれる建物にあり、幅1メートル50センチほどの渡り廊下(壁なし柵のみ、渡り廊下を渡るために3段ほどの階段あり)を通る必要があります。1階の渡り廊下は多少余裕があります。ただ扉が非常に狭かった記憶があります。
●階段について
階段は4つあります。
1.中央階段と呼ばれる最も大きな階段です(校舎中央にあるわけではありません)微妙に弧を描く螺旋階段。
2.外に面した取り付けられた小さな階段です。一人で通るのも苦しい。
3.通常の学校にあるような間に踊り場がある階段その1。ただし4階までいくと屋上に出る。
4.通常の学校にあるような間に踊り場がある階段その2。ただし給食室に一番近く、給食運搬の要。
学校外部について
●校舎に入るまでの段差
この学校の校舎は道路から20メートルほど高い位置にあり、校舎に入るまでの方法はだいたい3つあります。
2.正門から階段を通る方法
3.横から入る方法
このなかでは3が一番現実的だと思います。車で学校の横の道(広くはない坂道)から中庭に入る方法です。ただ、中庭は砂利を敷いてあり、溝と段差だらけなのでそこに何か対策をする必要があるでしょう。
1はまず不可能だと思います。20メートルの高さ分の急な階段(途中に踊り場を挟みだいたい60段)を上る必要があり、校舎と体育館の間(幅30メートルはない)にあるので緩やかな坂を作るのも不可能です。
2は正面の階段(石、30段ほど)を登る方法ですが、この階段はぐらつく部分があるので車椅子を持って運ぶのは危険ではないかと思います(作り直すなら別)
●体育
この少女が体育に参加するかは不明ですが、一応書いておきます。ただこの件は車で移動すれば解決するので心配は不要だと思います。
学校前にあるグランドは狭すぎるため(バスケットコートのぐらいの大きさ)、町のグランドを使用しています。グランドは校舎から約700メートルほど離れており、生徒は体育の時間に10分ほどかけてそこまで歩きます。道路の舗装は美しいとは言い難い状態です。またそのグランドに行くまでには少し急な坂道があり、砂利道も通る必要があります。
その他気になる点(不便なのか不明)
●山をえぐるような位置に立っているので、スペースにかなり厳しい制限がある。
廊下にあるのは壁ではなく柵です。雨が降ると濡れて非常に滑ります。廊下は固いゴムのようなものでできてます(なんなのかは不明)彼女の通っていた阿知賀小学校は吹き抜けではありません。
これだけ問題点をあげましたが、私はこのことから彼女が養護学校に行くのが当然だと言う気はありません。かといってどんな犠牲を強いても彼女が下市中学校に行くべきだとも思えません。
下市町は豊かな町ではありません。インフラも十分に整っていない町です(もちろんバリアフリーも)上水道が整備されておらず、井戸や湧水で生活している地域があります(簡易水道ができたと嬉しそうに電話がかかってきたことがありました)道路が1本しかなく、木が倒れただけで学校にも買い物にも行けない地域がたくさんあります。下水道も整備されておらず、生活した後の水が直接川に流れ込み、魚がぷかぷか浮かんでいるのを何度見ました。
どこにお金を使うのか、誰が我慢するのか、とても難しい問題です。
私はどうすることが一番良いのか、結局判断できませんでした。
あんまり関係ないこと。
田舎に川遊びに来る方へ
きちんと調べてから来てください。田舎の川は全部きれいなわけではありません。上にあるとおり生活した水を直接垂れ流しのところもあるので、都会より危険かもしれません。わざわざテントまで持ってきて病気にならないように気を付けてください。
もう20年以上も前の話だ。
タッくんは足が悪かった。
5, 6年生のときのクラスも同じだったから、そのときのタッくんのことはよく覚えている。
タッくんは生まれつき足が悪かった。
幼稚園の時は少し片足をひきずるような形で歩いていたが、お庭ではみんなと遊んだし、
運動会にも参加していた。もちろん速くはなかったが。
小学校に上がると、随分と悪化したように見えた。
運動会の50メートル走でも、ハンデで25メートルラインからスタートするという方法で
参加するようになっていた。小学校高学年の時は、もう運動会には参加していなかった。
小学校ではいろいろな係活動があると思う。
黒板消し係とか、掲示係とか、いきものがかりとか。
それと同じ並びで、タッくん係というものがあった。
タッくんの車イスを押してあげたり、階段ではおんぶしてあげたりしてあげる係だ。
タッくんは忘れ物や落とし物が多かったし、それにちょっと怒りっぽいところもあった。
それに対して周りのみんなは、さすが小学生というべきか、とても優しく対応していた。
タッくんをいたわるという労は惜しまなかったと思う。
あるときの学級会で、そのことを議題に上げる子がいた。ミホちゃんだ。
「みんな、タッくんを甘やかし過ぎじゃないの?」
「タッくんは足が悪いだけなんだから、それ以外のことは、みんなと同じでしょ?」
ミホちゃんは、タッくんのご近所さんで、タッくんの良き理解者でもあったように見えたし、
なによりも頭の良い子だったから、みんな少し驚いた。
「ミホちゃんって冷たい」みたいな空気が流れた。
でも逆に僕は、衝撃を受けた。
ミホちゃんはすごいと思った。
こういうのが差別なんじゃないかと、おぼろげに理解できた。
そして、僕はミホちゃんをフォローした。
結果的に、タッくんに対しては、もう少し厳しく応対する、つまり、いろいろな意味で
他のみんなと同じように接するということで落ち着いた。
タッくんはその後も悪化の一途をたどり、中学からはみんなと同じ公立の中学に
行くのではなく、少し離れた養護学校に通うことになった。
それ以来僕はタッくんに会っていない。
中学に上がると、タッくんのことは急速に忘れて行ったが、たまに親から状況を聞いたりしていた。
本当の病名が、筋ジストロフィーというもので、現代医学では治らないこと。
そして、少なからず衝撃を受けたのが、命にも関わる病気で、もって20才くらいまでだということ。
その間タッくんのことを思い出すことはほとんどなかったように思う。
ああ、来るべきものが来てしまったなと思っただけで、特別な感情はわいてこなかった。
遅く行き過ぎたせいで、弔問客はすでになく、タッくんのお母さんと直接話ができた。
もとから絵がうまかったタッくんは、養護学校に行ってから絵を勉強して、最近まで、
ずっと描いていたのだそうだ。
ただ、最近では、手も思うように動かなかったから、絵筆を口でくわえて描いていたという。
最後に描いた絵を絵はがきにして、弔問客に配っていたので、僕もいただいた。
これから逝ってしまうときに描いたとは思えない、さわやかな夜空とお月様が描かれていた。
足だけでなく、手も不自由になっていたということは少し驚いたが、筋ジストロフィーというのは
そういうものなんだろうと、妙に納得した記憶がある。
先日、引っ越しをするとき、荷物の中からその絵はがきが出てきた。
なんとなくタッくんのことを思い出し、それから筋ジストロフィーのことを調べてみた。
wikipedia のページを見て、筋ジストロフィーの症状として、精神薄弱などもあることに気がついた。
まさか。
タッくんの落とし物が多かったことや、怒りっぽかったことは、病気のせいだったのかもしれない。
涙がこぼれてきた。
僕と、ミホちゃんがタッくんにした仕打ち。
なんて酷い。
なんかこれがYouTubeやブクマで叩かれてたのでちょっと余計なお世話だけど一言。普段良識的なことを言ってる人までがなんか「これはひどい」とか言ってたので見てられなくて。
http://www.youtube.com/watch?v=bRt442KLJtw
冗談抜きで、これはシャレにならん話なんだよ。その辺のガキでも体の発達に精神の発達は追いついてないものなのに、知的障害者ってのはそれ以上のものなんだ。しかも困ったことに、人間である以上性欲というのはあるのだ。
彼らは、セックスしたら妊娠するっていう因果関係がわかってないことも多いし、子供を産んで育てるということがどういうことかもわかってなかったりする。
そういう彼らに、どうしても必要最小限の性知識を教えるにはどうしたらいいというんだ?これ以外の方法があるなら教えてもらいたい。教師がここまで体を張ってるのは必死の努力そのものなのであって、褒められこそすれけなされることではない。
だから、たちの悪い奴の中には障害者を食い物にしてる奴がいるのだ。優しい言葉で騙して売春を強要して、金のほとんどを巻き上げている、そういうヤクザがいる。一部で話題になった山本譲司の「累犯障害者」って本にその辺の事情が書かれているから読むといい。
そういう現状を知ってても、これを「異常性教育」だとか「キモい」だとか言うのか?だとしたらそれはたまたま「知能」水準が標準に近いところに生まれついた人間の傲慢さとしか言いようがないことだぞ。
俺が高校生だった頃のこと。
俺が通っていた高校は小高い丘の上にあって、通学路から行って丘をさらに越えたところに養護学校が建っており、朝方など場合によっては普通高校生と養護学校生が同時に通学することもあるという特殊な立地にある学校だった(地元の人にはどこのことだかピンと来るかもしれない)。俺は3年間、付近の自宅からその高校に通っていた。
その高校は田舎にあったので学力のレベルなんかはたいしたこと無かったのだが、近所ではそこそこの「進学校」として認識されていて、入学してくる連中も(俺含め)さしたる実力も無い割りにプライドだけは一丁前の田舎スノッブが多かった。そんな生徒達はもちろん養護学校に通う知的障害者など馬鹿にしており、普段はほとんど話題に出すことも無かった(通学途中ですれ違うことがあっても、あたかも存在自体が不可視のような扱いをされていた。女子などは近寄りもしなかった)。
俺はというとそんな学校の中にあって先生の話を真面目に聞いていないような劣等生だったので、授業中にふと窓の外を見渡しては、養護学校の生徒達が先生に連れ立って校外学習をしているのを「観察」するのが日課のようになっていた。中でも特に気に入っていたのがやや背の低い中学生ぐらいの男の子で、歩くときに前方を注意する習慣がないのか、よく前のめりになって転んでいるのが見かけられた。それを他の生徒が一生懸命抱き起こすのがおもしろくて、先生の話などそっちのけで熱中していたことが何度かある。
学校の高い校舎の上から道路に這い蹲る養護学校生を見下ろす、その行為そのものが、今思えば差別主義的なものだったと思う。
前述したとおり、学校のクラスメート達はそんな養護学校生たちのことは内心見下すか不可視のものとして扱っていたので、めったに彼らのことが直接話題に上ることはなかったが、ある昼下がりの休み時間のとき、口下手なクラスメートの一人に向かって、あるクラスメートがこんなことを言ったことがある。
こう書くとやや芝居がかった台詞だが、俺の創作ではない。
ひどいのは、これはいじめられっ子に対していじめっ子が吐いた侮辱の言葉ではなく(その口下手なクラスメートは確かにクラス内ではややからかわれがちなポジションにあったが、上の台詞を吐いた奴とは普段から仲良しでよくつるんでいた)、友達同士で交わされたちょっとした「ジョーク」の言葉だったということだ。実際、内向的なオタクだった当時の俺も(今でもだが)一度違うクラスメートから似たようなからかいの言葉を受けたことがある。上の台詞を言われた口下手なクラスメートは「くすっ」と笑って、その場では何事も無かったかのように談笑が続けられた。
俺は3年間、付近の自宅からその高校に通っていた。しかし、その間、養護学校の生徒達がいた場所、社会とは、ほぼ一度も直接的な交わりを持つことが無かった。普通高校の生徒達と養護学校の生徒達は、お互いがお互いを無視し合い別世界の住人として生きていた。そこに人間同士あり得べきコミュニケーションの姿は無かった。
俺は今でも、上の台詞を言ったクラスメートの顔と名前をはっきり思い出せる。しかし、よく前のめりになって転んでいたあの愛らしい男の子の顔は思い出せない。名前も知らない。
参考